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「純文学」とは何か

竹熊健太郎のツィートだが、「ファインアート」の定義を初めて見た。この定義は世界的に公認されたものだろうか。いや、公認ではなくとも、常識としてそう認識されているのか。
もちろん、私はこの定義にほとんど同意するが、他の定義も成り立ちそうな気もする。
ちなみに、私は「純文学」の定義を、「世界(あるいはその国)に人間性や精神などへの新しい思想や感覚や発見をもたらした文学」と思っている。その点ではSF作品の中には「純文学」的価値を持った作品が多いが、推理小説などは、いくら面白くても「純文学」にはならない。「なろう小説」の大半が「何かの亜流の亜流の亜流」であるに至っては、単なる「消費物」である。
私の「純文学」の定義を言い換えれば、「読む人の精神世界を拡大する小説や詩」である。たとえば、詩でいえば、アルチュール・ランボー、小説で言えば、スィフトやルィス・キャロル、ポー、ドストエフスキーなどである。或る種の「狂人性」がそこには必要な気がする。もちろん、読む人の感性や解釈能力によっては「ドン・キホーテ」なども純文学だ。

(以下引用)

こういう表現をなんと呼ぶべきか。「純文学」「純音楽」「ファイン・アート(純粋芸術)」という言葉があるが、これらは「娯楽」とか「商業芸術」に対比される言葉で、目的が「表現そのもの」にある表現を言う。言葉を替えれば「その表現手法でなければ表現できないもの」のことだ。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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