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聖痕2

 


第二章 聖痕


 


夕暮れの街は寒々として物寂しい。俺のアパートは高円寺にあり、新宿からそう遠くはないが、夕方になるとあまり人通りは多くない。


 地下鉄に乗り、新高円寺の駅で降りた後、駅からは歩いて2分くらいだ。木造のアパートだが、三畳の台所と六畳の居間の二間があり、それに風呂とトイレがついている。一人暮らしには十分な部屋だ。


 俺はアパートの鍵を開けて(正確には錠を開けてだが、なぜか鍵を開けてと言う人間が多い)中に入り、薄暗くなっている室内の電気をつけた。幸い、台所も奥の部屋も片付いている。俺はわりと綺麗好きな方なのだ。ただし、台所の三分の一はゴミ袋で占領され、そのゴミの半分はビールの空き缶だ。俺の冷蔵庫の中には、常に缶ビールが2ケースは入っている。その代わり、食い物はインスタント食品ばっかりだ。


「どうぞ」


俺は月村静を招き入れた。


奥の部屋には、書き物用の勉強机と椅子が窓に面して置いてあり、来客用のテーブルには卓袱台しかない。


「お茶とビールとどっちがいい?」


室内の様子を眺めていた少女は、俺の言葉に振り向いた。


「ビールがいいわね」


俺は冷蔵庫からビールとグラスを取り出した。グラスも冷凍庫で冷やしてあるのだ。茶箪笥からカキピーとタコ燻を出して皿に盛る。


「腹がすいてるなら、何か作ろうか?」


「いらないわ。有難う」


俺たちはビールを注いだグラスの縁をコツンと合わせて乾杯した。


「いい部屋ね」


「そうかい? 今どき、学生でもこんな安アパートには住みたがらないぜ」


「寝る所があって、台所があって、トイレとバスまでついているなら、立派なものよ。それに、きちんと片付いているわ」


「女っ気が無いのが玉に瑕だな」


「そう? あなたの方が必要としていないんじゃないの?」


「いやいや、こちらはいつでも受け入れオーケーなんだけどね、どうも女に縁がなくて」


「……外は暗くなってきたみたいね。じゃあ、お見せしましょうか。電気を消してくださる?」


俺は、彼女の言葉に、当然ながら、ある期待をした。要するにこの女は、俺と寝るためにここに来たんだろう、と思ったのである。俺は自惚れは強くないから、こんな美少女が、何で自分のような男に、と思わないでもなかったが、世の中にはそういう趣味の(悪趣味とは言わないが)美女もいるのだろう、と考えて自分を納得させたのである。


「勘違いしないでね。電気を消すのは聖痕を見せるためよ」


俺は首をひねりながら、彼女の言葉通り、電気を消した。


室内は闇に包まれた。と思ったが、次の瞬間、闇の中に人形(ひとがた)のぼんやりとした姿があるのに俺は気がついた。それが、月村静の体が発光しているのだと気付くのには2秒ほどかかったが、俺はあっけにとられてその光を見つめた。


それほど強い光ではないが、闇の中で彼女の顔がかすかに輝き、その表情も見て取れる。彼女の手も足も、服に隠れている所以外はすべて発光しているのである。


「これが私たち一族の印、聖痕よ」


部屋の電気がついた。彼女がつけたのだ。


「その、体が光るのがかい?」


「そう。だから、成人した後は普通の人々の目からこの聖痕を隠して生きていく必要があるの」


「ちょっと、腕を触らせてくれるか?」


俺は差し出した彼女の腕を見た。その白い腕には、どのような化粧品も塗料もついていなかった。しかし、俺は職業柄、疑り深い性格である。台所から濡らしたタオルを持ってきて、それで彼女の右腕の表面をこすった。


「痛いわよ」


「御免。じゃあ、もう一度電気を消すよ」


闇の中で、俺が手に捕まえている彼女の右腕は、やはり全体がかすかに青白く光っていて、俺がタオルでこすった部分とその他の部分に違いは無かった。


俺は電気をつけた。


「納得した?」


「じゃあ、人の心が読めるというのも本当なのか?」


「そう言ったでしょう?」


「よし、じゃあ、俺が今何を考えているか言ってくれ」


「……どうせみんなインチキに決まっているさ。絶対何かのトリックだ。俺を騙して何の意味があるんだろう。こんなきれいな顔をしているのにもったいない。この女、いったい何が目的なんだ。……もっと読む?」


「……もういい。まだ完全に納得したわけじゃないが、ある種の読心術はできるようだな」


俺が完全に降参しなかったのは、ポオの小説で読んだ、あるエピソードが頭にあったからだ。その小説で、デュパンという探偵が、友人の態度を観察することで、その友人の心の動きを見事に読んでみせる場面があったのだ。これは超能力ではなく、推理力である。


「デュパンねえ。そういうやり方も確かにあるわね」


「そうだろう」


と答えて、俺はぞっとした。この女は、俺が今デュパンのことを考えていたことがなぜわかったのだ。


「さあ、どうしてかしら。やっぱり超能力?」


少女は笑ったが、その笑顔は少々不気味にも見えた。


「まあいい。とりあえず、あんたの言葉がみな本当だとして話を進めよう」


「それがいいわ。でないと別の探偵を探すことになるから」


「しかし、何で俺を選んだんだい?」


月村静はにっこりと笑った。


「あなたが信頼できる人間だからよ。あなたが大木君と話している間に、あなたの心を読ませてもらったわ。と言うより、心の色を見たの。いい加減なところもあるけど、根本的に善人で、けっして人を裏切らない人間だとわかったの」


はて、俺はあの男と話している間、どんなことを考えていたんだろう。どうも、このいい加減な話に適当につきあって、金だけ貰おうとか考えていたような気がするが。


「いいのよ。あんな話を頭から信じるような人間ならかえって頼りにならないわ。あなたの反応は健全だということ。それに、あんまり真面目すぎる正義漢もこちらが疲れるしね」


そうか、と俺は頷いて、また彼女が俺の心を読んでいることに気付いた。俺は、この事態をどう考えるべきか、わからなくなっていた。


「もしもあなたが厭なら、なるべく心は読まないようにするわ」


「……できればそう願いたいね。相手があんたのようなきれいな人じゃあ……わかるだろう?」


彼女はくすりと笑った。


「大丈夫。慣れてるわ。若い男だろうが年寄りだろうが、男がきれいな女を前にして考えることはみんな同じ。そのへんのポルノ漫画と同じよ」


「ま、まあそういうことだ。じゃあ、今後の相談をしよう。俺たちが探す相手がどこにいるのか、まったく手がかりは無いのか?」


「それをあなたに探してもらいたいの。新聞記事やテレビのニュースで、不自然な物を見つけたら、それを追ってほしいのよ」


「不自然な物というと?」


「その事件の関係者に、聖痕の持ち主か、超能力者がいるという気配よ」


「超能力か。どんなものがあるって言ってたっけ?」


それから一時間ほど、俺は彼女から超能力についてのレクチュアを受けたが、どうも子どもだましのような気がしてならなかった。そんな能力が本当にあるなら、もっと世間で騒がれているだろう、と思ったのだ。まあ、百歩譲って、月村静のテレパシーは本当だとしても、それ以外の念動力やら予知能力やらという能力が存在するとはまったく信じられない。


「じゃあ、明日はあなたの事務所に行くわ。明日からは新聞はすべて購入して、詳しく見てね。テレビもニュースは必ず見ること」


 月村静は、「ちょっとバスルームを貸してね」と言って、風呂場に入った。やがて出てきて、


「もう、外は暗くなっているから、気をつけないとね」


「はあ?」


「メーキャップをしたのよ」


 俺は彼女の顔を見た。かすかに、化粧をしているようだ。なるほど、彼女の体が本当に発光するのなら、化粧品で体の露出した部分を隠す必要があるのだろう。


「なんなら、泊まっていってもいいぜ」


「嬉しいお言葉だけど、今日は別の予定があるの。また明日ね。事務所は代々木でいいんでしょ?」


「ああ、何時に来る?」


「そうね。10時でどうかしら」


「わかった。待ってる」


 俺は玄関のドアを開けてやった。亜麻色の髪の少女は軽く頭を下げて、夜の闇の中に出て行った。


 


第三章 クレーの絵


 


 俺の事務所は、JR代々木駅南側を出て右にしばらく行った所にある。蕎麦屋の側の雑居ビルの2階だ。この蕎麦屋の蕎麦は知られざる名品で、俺の昼飯は夏冬問わず、ここのざる蕎麦だ。金がある時は、それが天ざるになる。駅の南口を真直ぐ行くと有名な予備校があるが、俺の事務所のあたりは案外と閑静である。


 俺はあまり才能は無いが、寝覚めだけはいい。今日も朝の6時前には目を覚まして、身支度をした後、すぐに事務所に出勤した。朝飯は、乗り換えの駅構内の立ち食い蕎麦だ。駅の中の立ち食い蕎麦も案外と美味いもので、下手な名店よりもずっと安くて美味い。天玉蕎麦という奴が、俺の定番だ。熱い汁に落とした卵と、汁を吸いかかった天ぷらのハーモニーが、幸福感を与えてくれるのである。


 代々木駅を出ると、事務所とは反対側に少し歩き、喫茶店チェーンのルノワールでモーニングサービスの厚切りトーストとゆで卵、ミニサラダとコーヒーで朝食の第二段を行いながら、朝刊各誌に目を通す。と言っても、まだ仕事時間ではないから、単に昨日のプロ野球の結果を見るだけだ。ひいきの選手が活躍していると嬉しいものだが、俺の一番のひいきのイチローは大リーグに行ってしまったから、少々淋しい。


 再び駅前を通って、キヨスクで新聞数誌を買い、事務所に到着。まだ時間は九時前だ。早起きの人間には時間に余裕がありすぎる。


 事務所の中はいつもどおりきちんとしていたが、今日は美しい来客の予定があるから、もう一度チェックした。ガステーブルにケトルを載せ、火をつける。コーヒーの準備である。俺はコーヒー中毒で、一日に4,5杯は飲む。来客がコーヒー嫌いであった時のために、電気ポットにも電気を入れてお茶の支度をしておく。


 10時になった。月村静はまだ来ない。俺はちょっとがっかりした。俺は時間にルーズな人間が嫌いなのである。約束の時間に遅れる人間は、他人の時間を尊重していない無神経な人間だからだ。しかし、俺の判断は先走ったようだ。時計が10時1分になる前に、事務所のドアが開いて、美しい顔が見えた。


「御免ください」


彼女は笑顔を見せた。彼女の笑顔は、昨日見たかどうか忘れたが、実に魅力的である。アイドル歌手以上に美しいが、あまりに落ち着きすぎ、冷静すぎるためにこちらを萎えさせるような美貌が、笑顔で和らげられる。


「遅れたかしら?」


「いや、丁度です。どうぞ、そちらへ」


彼女が坐ると、俺は言った。


「お茶とコーヒー、どちらがいいですか?」


「コーヒーがいいわね。あなたのご自慢なんでしょう?」


俺は、彼女が俺の心を読めることを思い出した。


「御免なさい。もう読まないわ。でも、人間って、昨日と今日で状況が違うことがよくあるの。だから、自分の安全のために、相手が知人でも、最初、少しは読む習慣があるの」


「大変だね」


俺は言って、ポットに入れてあったコーヒーを二つのカップに注いだ。


「あら、本当においしいわ」


「安い豆だけどね」


「淹れ方が上手なのね」


彼女の今日の身なりは、昨日の白いミニのワンピースではなく、薄いベージュのバギーパンツ姿だった。上もそれに合わせたTシャツとジャケットの重ね着だ。亜麻色の髪とベージュの服が、良く似合っている。


「さて、仕事にかかろうか」


「ええ。テレビもつけておいて下さる?」


ついうっかりしていた。俺はテレビが嫌いなので、事務所にあるテレビの存在すら忘れていた。本当は、世間の事件の情報を得るために、テレビのニュースも見るほうがいいのだが。


「実はね、手がかりが一つはあるの」


「へえ、どんな?」


「探している七人のうち、五人くらいは一緒に行動している可能性が高いのよ」


「なぜそれが分かるんだ?」


「例の七人の絵を描いた人間は、予知夢を見る能力があるんだけど、その夢の中で、その五人が一つの事務所で机を並べている光景を見ているの」


「へえ、そいつは大きな手がかりだが、しかし、その夢に見た光景がいつの話なのか分かるのかい?」


「それが分からないのよね。でも、私たち一族の長老である方が、関東地方に大きな精神的エネルギーの集合を感じると言っていたから、東京近辺に彼らがいることは間違いないと思うわ。それに、私たちが自分を守るためには、仲間同士集まっているほうが有利なのは確かだから、もしも彼らがお互いを仲間だと認識したら、集まって行動するようになるのは、とても自然な話だわ」


「それが現在、五人まで集まっているわけか」


俺は、心の中で、500万円掛ける5は2500万円、と胸算用した。もしもその五人を見つけだせば、あと五年は遊んでも暮らせる。


「その予知夢には、ほかに、場所を特定できるような手がかりは無かったのかな?」


「壁に、クレーの絵が掛かっていたことくらいね。でも、その事務所の場所そのものを探す手がかりにはならないでしょう」


「いや、そうでもないさ。もしも、そのクレーの絵を買ったのが最近なら、調べる手段はある。じゃあ、俺は今日はそれを調べよう。あんたも来るかい?」


月村静は首を横に振った。


「歩き回るのは苦手なの。明日も朝10時に来るから、その時、結果を教えてね」


「分かった」


俺は、月村静を送り出しながら、気にかかっていたことを聞いた。


「なあ、あんたみたいな美人が町を歩いたら、軟派されて大変だろう?」


彼女はくすっと笑った。


「そういう人間が側に来たら、さっと逃げるようにするの」


「ああ、そうか、あんた、心が読めるもんな」


でも、逃げられないこともあるんじゃないかな、と俺は思ったが、まあ、これは本人の問題だ。


「それじゃあ、さよなら」


「ああ、また明日」


俺は、彼女が出た後、電話帳を調べて、数箇所の画廊や絵画ブローカーに電話を掛けた。もちろん、壁に掛かっていた絵がただのレプリカである可能性の方が高いし、どこぞのデパートで買ったものである可能性も大いにある。しかし、捜査の99%は無駄なものであり、その無駄があって始めて本物の手がかりが入手できるのである。


 

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HN:
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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