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爆弾は誰のもの?

アメリカが落としたんだから、米国政府に請求しろよ。(笑)
ついでに、20世紀以降にアメリカが他国に及ぼした被害の費用をすべて請求したらいい。





不発弾処理費、誰が出す? 請求された地主「頭真っ白」
 

大阪市浪速区で撤去される不発弾=昨年5月9日、同市提供© 朝日新聞 大阪市浪速区で撤去される不発弾=昨年5月9日、同市提供

 戦時中に投下され、私有地から見つかった不発弾。撤去時の防護壁や警備の費用を払うのは国か、自治体か、それとも土地所有者か――。大阪市から負担を求められた所有者が、支払いを不服として裁判を起こしている。「戦争の遺物」ながら責任の所在を明確に定めた法律はなく、自治体ごとに対応が分かれているのが現状だ。


■支払い不服、提訴


 「すぐに用意できる金額ではなく、頭が真っ白になった」。大阪市浪速区の不動産管理業の男性(58)が所有する土地から米国製1トン爆弾が見つかったのは昨年3月。作業は自衛隊が実施したが、万一に備える防護壁の設置費など576万円を市から求められた。


 速やかな撤去のためいったん支払ったが、今年4月に市に返還を求めて大阪地裁に提訴した。「今後、負担を求められて困る市民が出ないよう、適切な司法判断を待ちたい」


 裁判で市は争う姿勢だ。民法の「土地の所有権は土地の上下におよぶ」との規定をもとに、これまでも土地所有者側に負担を求めてきた。市によると、これまで異を唱えられたケースはないという。


 一方、今回の訴訟を機に、市は「国の責任」についても問う方針だ。吉村洋文市長は記者会見で「不発弾の処理は本来は国が負担すべきだ」と発言。7月、国に訴訟の当事者として参加するよう促す「訴訟告知」の手続きをとった。国は「方針はまだ決まっていない」としている。


■自治体の対応、まちまち


 費用負担のあり方は、各地で異なる。私有地から見つかった不発弾の処理実績がある自治体を取材したところ、東京都品川区や浜松市、宮崎市は自治体が負担。神戸市や大阪府八尾市は大阪市と同様、土地所有者側が払っていた。








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日本人のメダル狂い

孔徳秋水氏のツィッターから転載。
そういえば、千葉すず騒動というのがあったなあ。
ただ、孔徳秋水氏は、こうした「組織のボスたち」(たいていは、なぜその組織やその人間に権力が与えられているのか、まったく国民や部外者は知らない)の横暴に対して、「日本国民は三流」と言っているが、国民は最初から蚊帳の外だろう。
マスコミの論調が国民の意見を代表しているわけでもないし。そもそも、「一流の国民」はどこだよwww

だがまあ、千葉すず騒動を思い出して、「日本人のメダル狂い」に水をかけておくのは有意義だと思う。熱狂は「狂」の字が示すように、いつもキチガイ行為なのである。



「オリンピックは楽しむつもりで出た」
「そんなにメダルメダルというのならば、ご自分で出ればいいじゃないですか」
「日本の人はメダル狂いですね」


まさに、おっしゃるとおり、である。オリンピックなど、税金を使って派遣する必要も無い。自費で出ればいいのである。企業のスポンサーが付くなら、それはアマチュアではないから、ただのプロの宣伝活動だ。金メダルでの「国威発揚」など望むのは右翼くらいだろう。

世の中の仕事の大半は不要な仕事であり、特にスポーツや芸能など遊びにすぎない。それに大騒ぎするマスコミや国民は阿呆の極みである。
ただ、当人がその「遊び」に一生を賭ければ、そこに世阿弥とか千利休とか芭蕉のような存在が生まれる。そうは言っても、それは他人が応援して自己満足を得る類いのものではない。
まあ、応援されて迷惑、ということもありそうな気がするww 千葉すずの発言にはそういうニュアンスがある。 
応援することで自分は相手に対して何かの特権を有するような気持ちを持つというキチガイ的なファンというのもいるのではないか。いやファンの大半はそうではないだろうか。「ファン」と「ファナティズム」は同根かもしれない。




(以下引用)



[8/26 17:50] >次のシドニー五輪の代表選考会に五輪標準記録を突破して優勝したにもかかわらず、代表に選ばれなかったのだ。生意気な千葉は五輪に連れて行かない、という連盟幹部の匿名のコメントも紹介される。こうなると、もはやメディアと日本水泳連盟を共犯とする社会的リンチの様相を呈した。


  1. [8/26 17:50] アスリートは一流でも国民は超三流の日本>「オリンピックをバカにしている」「わがままだ」などというバッシングが、千葉選手に向けられたのだ。いまで言う「炎上」というやつである。千葉選手への攻撃はメディアのそれだけに留まらなかった。

     

  2. [8/26 17:48] 日本は国民が三流>競技後、インタビューに答えた千葉選手はこう語った。「オリンピックは楽しむつもりで出た」「そんなにメダルメダルというのならば、ご自分で出ればいいじゃないですか」「日本の人はメダル狂いですね」ところが、日本社会はこの千葉選手の明るさと朗らかさを受け容れなかった。


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お里が知れる着こなし

「日刊ゲンダイデジタル」から転載。
「谷間の百合」さんがブログで小池百合子の着物の着付けを嘆いていたので、日刊ゲンダイのこの記事を読んでみたが、なるほど、ひどい着こなしだったようだ。
まあ、現代では着物というのは金持ちのご婦人の道楽だ、というのが私のような底辺の人間の感想だが、それだけに、着物の着こなしは一朝一夕ではできないと思う。カネと時間をかけ、研究と体験を積み重ねないとまともな着こなしはできないのではないか。女子大生が卒業式で袴を着れば、それで「着物大学」は卒業、というわけにはいかないだろうwww
帯を胸高に締め、裾が広がった結果、この写真だと、何だか朝鮮のチマ・チョゴリに見えてしまう。そういう着付けで、自分で違和感を感じない、という感性は、安倍マリオ氏にも通じるようだww まあ、どちらも「お座敷には出せない人間」(山口瞳氏が自分の弟について言った言葉だである。まあ、こういう感覚は、あまり好きではないが、妥当性はあると思う。)だのに、それが堂々と日本を代表して世界に恥をさらす、というのは何とかならないか。天皇ご夫妻がどんな場面でも品位を保っている姿を見習うがいい。



(以下引用)

着付け師も「残念」 小池知事“リオ五輪着物”大失敗の理由

「あれは失敗だった」とネット上でケチョンケチョンなのが小池百合子都知事(64)の“勝負服”。リオ五輪閉会式に和服で登場したのはいいが、「着物が残念過ぎる」「あまりにもモッサリ」「不自然というか丸いというか……」とボロクソだ。なぜ珍妙な印象を受けるのか。

「全体的にバランスが崩れているからです」と言うのは、和服着付け歴20年の谷口美智子氏だ。

「まず気になるのが帯の位置。小池知事の帯は若い女性が締める高さになっています。和服の世界ではミセスになると体形が変わるので、帯の位置を下げるのが常識です。小池知事は3センチほど高かった。また、肩や二の腕などが膨らんで身幅が大きく見えます。これは、内側に着る襦袢と、着物のサイズと素材が合わないからでしょう。本来はもっと細身に着られるはずなのに残念です」

 帯から裾にかけてのラインにも違和感を覚える。スカートみたいに裾が広がって見えるのだ。

    



 谷口氏によると、本来は締める前にウエストのあたりで着物の内側と外側を引き上げて、裾が逆三角形型にすぼまるようにしなければならない。その引き上げが不十分なため、裾が広がったのではないかという。

「手足の動きも気になります。五輪フラッグを振る時、体を安定させるために両足を開いたのはやむを得ないでしょう。ただ、和装に慣れている人なら、両足を開いて片方の足を少し後ろに引き、引いた足のつま先を内側に向けるもの。自分から見て両足が『ハ』の字形になり、奇麗な印象を与えます。逆ハの字形はよろしくありません。あと、両手を左右にだらりと下ろすのも作法に合っていません。やはり、両手は前で揃える。そうでなければ、両手を膝に添えるくらいの配慮が欲しいものです」(谷口美智子氏)

 ネットユーザーは「経費削減のために着付け師を同行させなかった」と推測するが、東京都によると「着付けの専門家が帯同しました。着物の代金も着付けの費用も公費からは出していません」(広報課)とのこと。ポケットマネーでの和服パフォーマンスだったようだ。


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「男の子」が国を滅ぼす(笑)

「東洋経済オンライン」の木元寛明とかいう軍事史研究家の「日本に戦車の必要な4つの理由」という記事の最後の部分である。
なぜ、専守防衛が国是のはずの日本に戦車が必要なのかを、分かりにくくごちゃごちゃ書いているが、前から言っているように、長大な海岸線を持つ日本がすべての海岸線を守ることは不可能であり、どこからでも侵略できるのである。そして、日本は同時に山岳地の多い地形であり、戦車が走行できるのは、路上や平坦地がほとんどだ。戦車が活動できる場所は限定される。
そもそも、二次元平面でしか動けない戦車など、三次元の立体空間で動く飛行機の敵ではない、ということは、既に第二次世界大戦で実証されている。

なぜ戦車を持つか、と言えば、それは軍事企業がカネが儲かるから、という一事にすぎない。

それに多くの「男の子」は戦車が大好きなのである。だから、可愛い女の子が戦車に乗って「試合」をするというアニメを「男の子」が作ったりする。現実の女の子は、「アホらしい」としか思わないのではないか。「男の子」は可愛い女の子や武器やメカが大好きであり、死ぬのが自分でさえないなら、戦争も大好きなのである。
戦車というのは、完全装甲された状態で砲撃するというイメージであり、いわば板金鎧(プレートアーマー)で身を護った西洋の騎士のようなものだ。「自分は安全な状態で相手をやっつける」という、「男の子の夢」のシンボルだから、人気があるのだろう。

野暮を承知で書いておくが、わざわざカギ括弧付きで「男の子」と書いたのは、精神年齢12歳の政治家や官僚や軍人や知識人たちのことを言っているからだ。



(以下引用)



第3は、陸上戦力は国土防衛の最後の砦です。万が一侵攻を受けた場合、最終的には侵攻部隊を海に追い落とさなくてはなりません。これは攻勢による決戦であり、その骨幹となる装備が戦車なのです。たとえ日本本土への直接侵攻の蓋然性が低いとしても、それがゼロでないかぎり、「国家百年の計」として侵攻部隊を海に追い落とすための備えを営々と持続しなければなりません。


国土防衛作戦は、対着上陸作戦――沿岸地域における防勢行動――から始まり、陸海空全戦力を集中し、米軍の来援を得て、最終的には決戦――攻勢行動――により侵攻部隊を完全に撃破することです。国土の寸土たりとも侵攻国に与えてはいけないのです。


50年、100年先は別としても、見通せる将来では、陸上戦力の骨幹となるのは相変わらず戦車でしょう。戦車の最大の特色は、ハイテクノロジーを駆使した攻撃力と防御力が一体となった究極の兵器であることです。


陸上戦力は国土防衛の最後の砦です。陸上自衛隊をして最後の砦たらしめる本尊が戦車なのです。したがって、最新鋭の戦車を開発し、必要最小限の戦車を部隊に装備し、勝つための訓練を徹底して行い、ノウハウを次の世代に確実に伝えなければなりません。


第4は、戦車は国家の防衛意思を体現した陸上装備のシンボルです。一躍、世界のトップクラスに躍り出た90式戦車は、約20年間の研究開発、エンジンなど主要構成品の研究試作、システムの研究、1次・2次試作などを経て制式化し、この間1500社以上の企業が関係したといわれます。


戦車の研究開発から製造までを一貫して行える国は、世界を見渡しても10指に満たないでしょう。戦車は国家の技術力を挙げての結晶であり、官民協力の成果でもあります。このことは戦車という究極の兵器に、国家の防衛意思が具体的に込められていることの証左です。


戦車の研究開発は、ひとたび中断すると技術の進歩に追いつくことが極めて困難となります。世界に冠たる戦車を作り続けることが国家究極の防衛意思の表明なのです。



(追記)これも、「男の子」が夢と現実を混同して国のカネの無駄遣いをしている例。



はぁとふる売国奴 @keiichisennsei 13時間前

とある日本の超電磁砲 超速射・レールガン(電磁加速砲)を日本独自で開発へ 防衛省が概算要求 (1/2) - ITmedia ニュース


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「持ち家・賃貸」比較記事はほとんどステマ記事

本文記事はくだらない内容だったが、コメント9に同感したので、コメント4ともども転載した。
ネットでは実に頻繁に「持ち家より賃貸がいい」という趣旨の記事が登場するが、その理由は、「読者のためではなく、不動産業者のため」であるところに注意を促したいわけである。
こういうのを「ステマ」つまり、「ステルスマーケティング(見えない宣伝広告)」と言うのはご存じのとおりだ。

賃貸より持ち家がいい理由はコメント4が言っているとおりだ。
毎月の家賃に給料(収入)の3分の1から4分の1くらいが消えていき、しかもそれは後に何も残さない、ということのストレスは思っているより大きい。会社を首になれば、明日からは住む家もなくなるわけだ。
(ただし、コメント4氏は、文章冒頭の言と残りの部分が矛盾している。「今ではなくて昔からそうだろう」という言葉は、「持ち家より賃貸がいい」という、記事本文内容を肯定するものだのに、コメント後半では「賃貸より持ち家がいい」としか読めない内容になっている。)

食費や衣服費などは切り詰めることができるが、家賃は切り詰められない。公共料金や税金や健康保険料もそうだ。(国民健康保険は、低収入ならば、役場に言えば減額されるが、言われたとおりに払うとなると、法外な金額である。他人の高額医療費を、医者にも行かない人間が支払っているわけだ。これは相互扶助というだけで片付けられる問題ではない。無駄な医療が膨大にある、というのが一番の問題なのである。)
そのように、「絶対的支出」の金額が増えた分、「切り詰められる支出」はどんどん切り詰められ、その結果デフレになり不景気になる、という悪循環に今の日本社会は陥っている。

まあ、持ち家があれば、ストレスがだいぶ減ることだけは確かである。


(以下「阿**」から引用)



今あえて「持ち家」より「賃貸」がいい、これだけの理由(NEWS ポストセブン)
http://www.asyura2.com/16/hasan112/msg/258.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 8 月 21 日 07:18:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 
 
 
 

             買ったつもりで賃貸に住めば貯蓄もできる


今あえて「持ち家」より「賃貸」がいい、これだけの理由
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160821-00000010-pseven-life
NEWS ポストセブン 8月21日(日)7時0分配信


 


(本文記事全文省略www)


   


 






コメント
 



 




 


4. 2016年8月21日 13:39:36 : 4Lt0stQCX6 : O33YHbrUcio[11]
今ではなくて昔からそうだろう。
賃貸10年以上の俺の経験から言わせてもらえれば、問題は如何にして良い物件と良い大家に出会うかなんだな。
そういう意味では官舎や社員寮に住める高級官僚や大企業社員は給料以上に有利な生活を送っているわけだ。
下っ端庶民は悪条件の賃貸や大家に耐え続けねばならず、結局は持ち家を買った方がストレスの少ない生活を送る事ができる。
だからある一定の年齢に達すると、みんな家を買うのだ。金はあの世に持って逝けないから残しても仕方がない。







 




 




 



9. 2016年8月23日 09:10:55 : n0IVto845F : 1ycz0hDbxuE[19]
ただ単に、賃貸が減って不動産が儲からないから賃貸しろとか宣伝してるだけだろう。

一番いいのがローンせずに中古物件を買うこと。


そしたらローンの無駄金をすべて自分の生活に使え、しかも金に困れば家を売れる。


新築なんて金持ちや将来設計が出来ている人向けだよ。10年もすれば半額に値下がりするしね。




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スポーツという「遊び」に人生の大半を捧げる生き方

「リテラ」から転載。
5ページもある長い記事だが、その最初のページだけ転載した。
この問題提起だけでも十分であり、後は読む人がそれぞれ考えたほうがいい。
私はスポーツ観戦は好きだが、スポーツを過度に称賛する社会風潮にはうんざりすることも多い。たとえば、京都マラソンなどで、市内への車の乗り入れ禁止とか、迷惑この上ない。商店なども商売の邪魔だろうに、よく文句を言わないものである。何で、あんなにスポーツやスポーツ選手は優遇されるのか。ある意味、彼らも「上級国民」である。まあ、その末端だ。

彼らの辛苦と努力は凡人にはマネのできない凄いものだが、はたして、そういう人生を自分が送りたいかと言われたら、まったくノーである。哀れな人生だと思う。
嫌味な言い方だが、お前は名馬に生まれてGⅠで何勝もして人々から称賛されるのと、一生ホームレスで、人にさげすまれて生きるのとどちらがいいか、と聞かれたら、私は後者を選ぶ。スポーツ選手の生き方は、私には競走馬の人生にしか見えないのである。
これは音楽家(演奏家)でも同じことだ。他人の娯楽のために自分の人生を捧げているようなものだ。(他人の娯楽に奉仕して生きていると言えば芸能人も同じだが、今の芸能人は楽をしてカネを稼いでいる。芸人は鍛錬が必要だが、芸人と芸能人はまったく別の種族である。)はたして、それは偉いのか、馬鹿なのか。



(以下引用)

伊藤美誠、白井健三、池江璃花子…五輪選手の親はみんな“毒親”なのか? 感動物語の裏で虐待スレスレの英才教育

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 日本選手たちの期待以上の活躍、メダルラッシュに、日本中が湧き返っているリオ五輪。マスコミも五輪一色で、朝から晩まで感動物語を伝え続けている。


 その盛り上がりに水をさすつもりはないが、一方で、どうしても違和感がぬぐえないのが、メダリストが誕生するたびに報じられるあの“親と子の絆”の話題だ。「5歳の頃から父親が徹底的に鍛え上げてきた」「小学生の頃から母親と二人三脚で夢に向かってきた」……親による英才教育エピソードがやたら美談として垂れ流されているのを見ていると、思わず「大丈夫かよ」とつぶやいてしまいたくなるのだ。


 たしかに、リオでメダルを取ったり活躍をしている選手は、親が小さい頃からつきっきりで英才教育をしていたケースが多い。体操の内村航平、卓球の福原愛、レスリングの吉田沙保里、重量挙げの三宅宏美など、五輪の常連選手はもちろん、今大会ではじめて注目されたニューフェイスもほとんどがそうだ。


 たとえば、15歳で卓球女子団体の代表選手に選ばれ、銅メダルを取った伊藤美誠選手は、元実業団選手だった母親が妊娠中から胎教で卓球の試合実況中継を聞かせ、3歳の頃から毎日7時間ものスパルタ訓練をさせていたという。


 16歳という若さで6位入賞の快挙となった水泳の池江璃花子選手も、元陸上選手だった母親から徹底的な幼児英才教育を受けてきたことで有名だ。0歳から運動能力向上のためうんていにぶら下げ、2歳には逆上がりができるようになった。


 女子レスリング63キロ級で金メダルをとった川井梨紗子選手は、両親とも競技経験者でレスリング選手という一家だ。とくに母親は全日本で優勝経験もあり現役時代五輪を目指したが、当時、レスリングは正式種目ではなかった。川井は小学2年生のときから母のその思いを引き継いだというエピソードが大々的に報じられた。


 体操男子団体で金メダル、種目別で銅メダルを獲った若手のホープ・白井健三選手も両親が元体操選手で父親はジュニア体操クラブを運営していた。幼少期に特注のトランポリンをつくり、両親と二人三脚でひねりの才能を開花させたというエピソードが紹介されていた。


 また、体操に関しては、今回のリオ五輪に出場した団体選手5人のうち実に4人は実家が体操教室を営んでおり、同じように幼い頃から英才教育を受けていたという。


 とにかくどの選手も、「小さい頃から親と……」のオンパレード。親が同じ競技種目をやっていた元アスリートで、徹底した英才教育を行っていたケースもかなりある。


 でもこれって、本当に美談として賞賛されるような話なのだろうか。むしろ「3歳の頃から毎日7時間トレーニング」とか「0歳から運動能力向上のためにうんていをさせる」とか、一歩間違えば“毒親による幼児虐待”ではないのか。




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人間関係のギャップという問題

宋文州のブログから転載。読者コメントも興味深いので、取捨せずに全部載せた。一番最後のコメントは、嫌味だなあ、と思うが、それも載せておく。
「従僕に(とって)英雄無し」という言葉があるが、成功した人間も日常では凡人でしかないのは当然の話だ。凡人のほうが幸福ですらあるのではないか。
いずれにしても、面白い文章である。「外的生活」と「家庭生活」のギャップという問題だけではない。成功すると、凡人時代を知る人間は疎ましくなる、という心理は確かに多くの成功者に見られるようだ。逆に、成功者を「自分のレベルに引きずり下ろしたい」という嫉妬心は多くの凡人に共通する心理だろう。


(以下引用)


なぜ成功した人に離婚が多いか

成功すれば傲慢になるからです。結婚相手の恩義を忘れるからです。成功者を誘惑する人が寄って来るからです。より良い相手を見付ける能力を持つからです・・・
以上の答えの中に多分、あなたの思いにぴったりの答えがあると思います。(ない場合、ぜひブログやfacebookのコメント欄に書いてください)

人は成功する前、皆成功していない凡人です。凡人同士が結婚してお互いに相手の欠点が見えてきます。結婚する前の恋愛感情で盲目になり見えていなかった欠点が結婚数年後に次第に見えてくるのです。

離婚しないのは離婚コストが掛かるからです。もちろんここで言うコストとは単なる経済的なコストだけではなく、モラル的なコストから育児的なコストまで或いは世間体的なコストなども含まれています。さらに言うとなかなか今の相手よりもっと魅力的でもっと自分に熱心な相手が現れないからです。

それでも世界的に離婚の確率は4割を超えているのでコストがかかっても我慢せず離婚を選んだ人が半分に近いとも言えます。最後まで我慢している夫婦も計算に入れれば、最後まで維持できた幸せな結婚は2割前後だろうと私は勝手に推測しています。

離婚において成功した人と普通の人との違いは成功前後の環境の違いにあります。凡人の彼あるいは彼女は成功した後に急速にカリスマや特殊な存在になっていくのです。特に成功者の周りでは人材の流動性が高く凡人時代の彼や彼女を知らない人がどんどん増えて行きます。

気がつけば成功者は徐々にみんなの注目と羨望の的になります。彼らを褒める言葉と尊敬の眼差しに次第に慣れていくのです。正直、成功したのに羨望の眼差しや褒める言葉を心の底から拒否する人はいません。なぜならばそれこそが成功したい重要な理由の一つだからです。成功していない人もそのような眼差しと言葉を喜ぶはずです。ただ成功していないから手に入らないだけだからです。

ところが、成功した彼や彼女が家に戻ると別世界が待っています。成功の事実を知っていても凡人の彼や彼女を知っている相手にとって、成功以外は何一つ変わっていないのです。相変わらず排泄し、体の欠点を晒し出し、些細なことでイライラする凡人の姿です。成功するまでの彼や彼女を支えた自負(本当は普通にしてきただけの場合が殆どですが)と、彼や彼女を見付けた自慢が混ざり合って、凡人以下に見える相手にはとても尊敬や羨望もできません。

人によってはこんなしょうもない凡人も成功できるならば私がやればもっと成功できるはずだと思う人もいるでしょう。

北海道の岩やコンクリートは本州より何倍も早く壊れます。理由は冬の寒さです。寒い外気に触れる側面は零下20度にもなりますが、奥にある側面は暖かいのです。温度差が大きいほど、物質は歪みが大きくなり、壊れやすくなるのです。実は人間の心もこの物質に例えられます。成功前から結婚している相手から受ける昔のままの態度と、成功後の環境下でその他の人達から受ける態度の温度差が大きくなればなるほど、成功者の心に歪みが生じるのです。放置した場合、やがて耐えられなくて破綻するのがむしろ普通でしょう。

成功すると昔の相手に飽きてより美しくより若い相手が見付かると思いがちですが、決してそれだけではありません。年齢と外見で大差のない相手と再婚した人はたくさんいます。離婚につながった最大の理由は旧相手側から見えない中と外の態度の違いです。

実は同じ心理は同僚や部下が社長になった時も起きます。
「何偉そうに言ってる。昔あいつだって同じドジを踏んだ。」

「○○君は俺の三つ年下だよ。あいつの新人教育は俺が担当した。しかし、社長になるとは思わなかったな。」

「あいつが社長になったのは単なる運だよ。上に好かれているだけだよ。」

どうですか?あなたはこんな話を聞いたこと、言ったことがありませんか?実はこれらの話は外れている訳ではなく全部当たっているのです。しかし、このような話をする人は間違いなく社長と同じ、あるいはもっと長く会社に居ながら、出世できない人々です。社歴の短い社員(年齢と関係なく)には決して思い付かない文句です。

出世できないのは悪くありませんが、出世できないのにずっと居座って出世した仲間や後輩の悪口を言うのが悪いのです。そんな態度をついついとるから若手の社長や上司にとって離婚したい相手になるのです。まあ、会社の場合は社長が我慢するしかありませんが。

どうですか?今日は単なる成功者の再婚率の話だけではないことに気付きましたか?
この記事へのコメント
良い話です。私の経験と同じです。中では社長、外では、先生と言われて生活をしているうちに家に帰って来ると腹が立つことが多くなりました。何故か?気がつきました。女房だけが社長でも先生でも無かった当時と同じ口の利き方をしているのです。
Posted by 田口立基 at 2016年08月19日 08:33
成功者が、偉くなったと勘違いすることが一番の問題だ。
とはいえ、相手の欠点に堪えられない状況ってのも問題ですが。(-_-;
Posted by カルロス青木伸哉 at 2016年08月19日 09:06
どんな人の人生も多面的で教訓に満ちたものですね。社長どころか、その後経済団体に熱心に活動した人が、とんでもない発言をしてみたり、思わぬ人生を送る人も時にはいますから。
これとは別ですが、巨額の宝くじに当たった人の半分以上が数年後には自己破産をしていると言う統計を聞いた事とがありますが、これはこれで勉強になりますね。
平凡な人生が終わりに近づいている小生にとっては勉強になる程度ですね。
Posted by 旧旧車 at 2016年08月19日 09:08
漢の始祖の劉邦と呂雉にも同じことがいえるのでしょうか。劉邦の没後、生前の皇帝に推戴されて以降の劉邦に何のリスペクトもない極端に専横的な振る舞いを見せた呂雉の態度と行動の変化はこの話の例なのかなという気が。
Posted by 小林祐也 at 2016年08月19日 09:37
なるほどと思いました。そこで一つ質問です。
宋さんは、我慢して結婚生活を続けますか?それとも我慢しないで離婚しますか?

私は後者を選びました。けして成功者ではありませんが、離婚するコストはその後の生活で回収できプラスにできたと感じます。

この話は、主従関係である関係にすべてあてはまりそうですね。
Posted by 黒田 at 2016年08月19日 09:44
いつも拝見しています。上から目線的で申し訳ないのですが、『そのとおりだ!』と思うことが大半で、時に、「偏ってるな」と思うときもあります。
ところが今回のは秀逸です。目からうろこの着眼の素晴らしさと現状分析です。
宋さんのご夫婦はどうなっているのでしょう。最後の2割なのでしょうね。
今後も素晴らしいレポートをお待ちしています。

Posted by 上野 則男 at 2016年08月19日 09:58
いつも楽しく読んでおります。
今回のお話は特に『キレ』が良くて、ついコメントしたくなりました。
次回も楽しみにしております。
お身体、ご自愛ください。
Posted by 小原 at 2016年08月19日 10:31
わざとだと思いますが、ほとんどの人がひっかかると思いますよ。
「成功」ってなにか?

すべて他人のものである大企業での肩書きなんて私からしたら「成功」でもなんでもありません。

私は自分自身の人生は成功だと思っています。
その成功ノウハウを家族とわかちあっています。
そうやって、成功の本質を教えた子どもたちは他の人より早く、そして私よりも「成功」してくれると思っています。

成功とは人それぞれの人が己の価値観で決めることであり、他人がうらやましがる「成功」は本当の成功かどうかはわかりません。

自分の価値観を確定させることは、一生かかります。にもかかわらずなぜカンタンに「成功」を定義できてしまうのか?

中国でいうなら、孔子は結果的に生涯プータローでした。が、彼の生涯は失敗ですかね?

偽りの「成功」を求めた人は離婚もすることでしょうよ。
Posted by たかお at 2016年08月19日 11:27
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