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靖国の桜同様、さっさと散ってくれ

私は音楽をほとんど聞かない人間で、特にJポップはむしろ嫌悪している人間なのでゆずとやらがどういう連中だろうがどうでもいい(ゆずの歌はたぶん一度も聞いたことがない)のだが、ゆずの「靖国」歌のどこが問題なのか、下の記事がかなり明確に説明しているので転載しておく。


(以下引用)



「君と見た靖国の桜はキレイでした」ゆずのこれまでにない愛国テイストの新曲が話題に




面舵いっぱいです。詳細は以下から。

◆ゆず新アルバムの新曲が話題に
ゆずの通算14枚目のオリジナルアルバムで、2018年4月4日にセーニャ・アンド・カンパニーから発売されたBIG YELLが話題になっています。

とはいえ、ニューアルバムが2年3ヶ月振りの待望の1枚であるからでも、フジテレビ系「めちゃ×イケてるッ!」2017年テーマソング「タッタ」、日本テレビ系「NEWS ZERO」テーマソング「カナリア」、伊藤園「お~いお茶」CMソング「愛こそ」などの豪華タイアップ曲が満載だからでもありません。


話題の理由は11曲目の「ガイコクジンノトモダチ」という曲。北川悠仁が作詞作曲を努めており、歌詞は曲名の通り外国人の友達ができたというもの。

その外国人の友達が「私、日本がとても好きなんです。あなたはどこが好きですか?」と問いかけて「私」は少し戸惑ってしまいます。その理由は「君の方が日本の事をよく知ってそうだから」

サビは「この国に生まれ 育ち 愛し 生きる なのに 知らないことばかりじゃないのか?」「どうして胸を張っちゃいけないのか?」として「国歌はこっそり唄わなくっちゃね」「国旗はタンスの奥にしまいましょう」などと続きます。

究極なのは「TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって だけど 君と見た靖国の桜はキレイでした」のくだり。ここで外国人の友達は「もう二度とあんな戦いを共にしないように」と祈ってくれています。

一部を切り取っているだけと思われる方のために、歌詞全文はこちらから読むことができます。視聴はこちらなどから。

◆日本を愛する人々が迫害を受けている?
まるで「日本を愛している」と言ってはいけないような、国旗国歌を愛する人は迫害を受けているかのような印象を受ける新曲の歌詞。しかし今の社会を振り返ってみると、「日本を愛している」と声高に叫ぶ人々によって「自民党の考えに賛同しない人」「貧困問題を訴えた人」などが「反日」と罵倒されているのが現状です。

その最たる例が今の政権を強くバックアップし、多数の政治家を送り出している「日本会議」の人々の考え方。日本会議北海道本部理事による「日本人」の定義付けもツッコミどころがあまりに多く、自らの意に沿わない人々を「日本人ではない」と嘲り、「我こそ日本人」とマウントを取りたいだけにしか見えません。


多くの若者が犬死にしたにもかかわらず、発案者はのうのうと戦後日本を生き延びた特攻兵器や太平洋戦争そのもののことを考えれば、国旗国歌を忌避する人がいても仕方がないはず。しかし「日本を愛する人」はそれに従うことを強制し、そうでなければ日本人と認めません。


日本の将来を考えた時、さまざまな角度から見た意見が存在して当然ですが、「日本を愛するからこそ反対」という立場が認められることは決してなく、「この人たちの国籍を調べたら、どうなるでしょうか?!」などと揶揄されているのが現状です。


◆なぜ「靖国」でないといけないのか
そもそも天皇皇后両陛下や世界各国の首脳も慰霊に訪れる千鳥ヶ淵戦没者墓苑のある桜の名所、千鳥ヶ淵が目の前にありながら、あえて靖国神社を選ぶなど、特定のスタンスから見たバイアスが強くかかっている今回の歌詞。




単なる日本の良さの賛美を超えた愛国路線へと面舵をいっぱいに切ったゆず。ファンたちはこの変化をどのように受け止めるのでしょうか?




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人頭税石

別ブログで触れた琉球王国での人頭税の象徴としての人頭税石(私はなぜか人頭石と覚えているが、そのように書いた本か記録を子供のころに読んだのだと思う。)についてのウィキペデイアの記述である。
下の記述では、人頭税石が人頭税の課税の目安としてのものだったという説を否定しているが、それもまたひとつの説にすぎない。この石が「人頭税石」あるいは「賦測石」と現地で呼ばれていたという事実が真実を語っているように思う。

現在では沖縄に対する本土政府の対応への反感から琉球王国時代を何か素晴らしい治世であったかのように思う沖縄県人が多いようだが、いつの時代にも上級国民は下級国民(昔は、そのほとんどが農民)を奴隷的に扱い、収奪していたのである。



人頭税石

移動先: 案内検索
人頭税石

人頭税石(じんとうぜいせき、にんとうぜいせき)は、沖縄県宮古島平良字荷川取にある高さ143cmほどの石柱。他に「賦測石」(ふばかりいし、ぶばかりいし)などの呼び方がある。なお、史跡などの文化財の指定は受けていない[1]


由来[編集]

人頭税石に関する伝承[編集]

1609年琉球侵攻(琉球征伐)により琉球王国薩摩藩に支配され、重税を課されることとなった。財政的に困窮した琉球王府は、1637年に先島(宮古・八重山)地方などへ厳しい人頭税を課した[2]。人頭税の対象は15歳から50歳までとされたが、戸籍が整っていなかった宮古島では、人頭税石と同じ背の高さになると適齢に達したとみなされて課税されたと伝えられている。この伝承は、大正時代に宮古島を訪れた民俗学者・柳田國男が、著書『海南小記』に書き記したことから全国に広まり有名になった。


しかし、人頭税石を基準に課税されたことを歴史的事実と裏付ける記録はなく、このような伝承は人頭税による労苦を象徴的に示すものとして生まれ、語り継がれてきたのではないかと言われている[3]。実際には、先島では人頭税課税の前年の1636年にはその準備のためとも言われる戸口調査が行われており[4]、宮古島では1714年頃から正確な戸籍があったため、人頭税の対象を年齢で定めることが可能であった。同じく人頭税が課された石垣島にある石垣市立八重山博物館館長の黒島為一は、身長によって税を課せば、人々は身体の成長を阻害しようと試み、労働力の低下を招くから、そのような税制はあり得ないと論じている[5]

人頭税石の目的[編集]

星見石(石垣島登野城)

この石が、何のための石であったかについては、人頭税の課税の目安であるという説の他にもいくつかの説が唱えられている。その中には、かつて蔵元(宮古島内の貢租を取り扱った場所)の中庭にあり、霊石信仰の対象であったとする説や、陽石図根点とする説などがある[6]石垣島にも星見石と呼ばれる同様の形状の石がいくつか残っているが、課税の目安であるとの伝承はなく、農作業のための天体観測の基準点であるなどと伝えられている。前出の黒島為一は、人頭税石は低い石を伴っており、かつては海辺近くにあったことから、航海のための天体観測に用いられたのではないかと推測している[5]

所在地[編集]

この石が、現在立っているのは、「ンミャガーニのウプユマタ」(宮金家東方四辻)と呼ばれた場所であり、かつて平良の荷川取地区の人々が多く集まった場所であった[7]立っている場所は、過去に確認できるだけでも3度移転を繰り返している。[要出典]

人頭税[編集]

現在、人頭税と呼ばれている税制は、施行されていた当時は「頭懸(ずがかり・ずがけ)」と呼ばれていた。その納税は、穀物(宮古島では主に)または反物にて行われており、村の収穫量・身分・性別・年齢によって、税の細かい等級が決められていた。当初は各人に等級に応じた税が課される人頭税であったが、人口の増減によって税収が変動するため、1659年には、人頭税に代わって、毎年の島全体の貢租を一定とし、それを等級を応じて各人に配分する分頭税(定額人頭配賦税)が採用された[2]


ただし、人頭税(あるいは人頭税的な税制)は、古琉球時代から琉球全域で賦課されていたとする説もある[8]。また、頭懸を人頭税と呼ぶようになったのは明治に入ってからであるが、この表現は適切ではなく、頭懸は人頭税ではないとする説もある[9]


琉球王国では、公有地を年ごとに耕作者を割り当てられる制度(地割制)があった。地域の有力者・豪族等には、この税制や土地制度を守らない者がいて、収穫量の大きい土地を独占することもあった。そのため、人頭税の負担は、地位が低い者に多く割り振られるようになって、貧民ほど重い負担となった。[要出典]


この税制は、琉球処分が行われた後も、琉球士族への懐柔策として古い制度を尊重するという明治政府の方針(旧慣温存政策)のもとで続いたが、1893年(明治26年)頃に廃止運動が興り、その指導者である中村十作新潟県出身)、平良真牛ほか4人の農民代表が宮古島から東京に上り、帝国議会に陳情を行なった。それらの運動の結果、1637年から続いた人頭税(分頭税)制度は1903年(明治36年)に廃止された[4]


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高校野球の政治学

「徒然なる闇鍋話」記事の一節である。
高校野球の政治学、みたいな話であるが、これは高校野球が一部の人間のカネや権力と強く結びつく存在になっているからであり、高校野球が衰退したらたとえばサッカーなどがその代わりに同じ立場に就くだけの話で、高校野球だけを非難して済む問題ではない。
要するに、高校運動部の部活動が大人たちのカネと権力に利用されるほどに活動が過大である、ということなのである。まあ、当の部活生自体が、運動部での活躍を利用して名前を売り、大学やプロに進みたいという欲望を持っているわけで、不人気運動部だけが「普通の部活」という健全な部活を行っているのだろう。
かと言って、学業だけをやっている生徒が偉いという話でもない。「自分の所持するリソース(運動能力、学業成績、コミュ力、暴力、容貌、etc)のうち何で食っていくか」というだけの問題なのである。ただ、何であれ、カネが絡むとロクなことにはならない、ということだ。特に子供の世界にカネが絡むと汚い話になる。


(以下引用)赤字部分は夢人による強調。


 かつては、元部員の暴力行為で出場停止などが普通にありました。
 まあ、大抵は内部でもみ消すんですが……有力校同士の駆け引きというか、政治的やり取りを含めてどうしようもなくなるというパターンですね。
 今はどうか知りませんが、私が現役の頃は大会前になると地域の高校野球連盟に密告の電話がじゃんじゃんかかっていたようです。
 どこそこの部員がタバコを吸っていたのを目撃した……など。
 不思議なことに、1回戦、2回戦で負けるようなチームに対する情報はほぼ皆無らしいんですけどね。

 ……ちなみに、ネットなんかなかった時代です。
 個人的情報なんて概念が、世間で共有されて無かった時代です。

 『〇高の高塔という部員が、夜遅くに繁華街をうろついていた。高校生としてあるまじき行動であり、野球部の指導に問題が……云々』

 ……などというタレコミが県の高野連にあったなどと、監督から告げられた私。(笑)
 まず言い訳として。
 帰り道ですから、そりゃ自転車に乗って、通りがかります。
 それと、練習終わったら、夜ですから。
 でも大事なところはそこじゃない。
 市外から学校に通っていた私を、どうやって特定しやがった?
 自慢じゃないが、私は補欠で有名選手でもなんでもないのに。

 今はどうか知りませんし、私の出身地以外の地域がどうかも知りたくないですが。
 夏の大会前に、各学校の野球部部員の情報が顔写真入りで載っている小冊子というかなんというか……発行されるんです。
 出身校とか当然ありで。

 当然、密告されるのは私だけじゃなく……『誰それが、女の子と2人で歩いていた』とか、『誰それがタバコ屋の周りをうろついていた』とか……。

 ……うん、本当に大事なことはそこじゃない。(笑)
 高野連への密告というか情報が、現場(各学校の)に漏れているのは何故?
 それはね、甲子園が狙えるような学校と、高野連の職員がズブズブの……おや、こんな時間に誰か来たようだ……。

 各学校の後援会の代表は、地元での有力者であることが多いので、そういった情報は野球とは関係ない力関係や政治的やりとりにおいて表面化するかしないかが決定づけられるわけです。

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「あの戦争」の体験者の大半が戦争を語らなかった理由



あの戦争を経験した大人たちはしゃべれなかった。僕たち子供だった世代が語り継ぐべきだったのに「ノンポリ」として過ごしてしまった。



というのは至言である。
私自身の別の記事で書いたことだが、戦争経験者たちはそのほとんどが被害者であると同時に「戦争加担者」でもあったのである。被害者(空襲などの被災者はもちろん、兵士であること自体戦争被害者でもある。)であると同時に戦争推進者(地域指導者や公務員などは自動的に戦争推進者だったはずだ。)であった人は物凄く多かっただろう。そういう人々は、敗戦後長い間あの戦争について発言できなかったはずだ。実際、「私はあの戦争でこういう悪行をした」と表立って堂々と語る人などほとんど聞いたことがない。だが、内輪の席では「俺は中国戦線で何人殺した」とか「姑娘を強姦した」と自慢する中年男や老人も結構いたことはいろいろな記録で見たことがある。
南方戦線よりは中国戦線でその手の話が多いのは、南方戦線での「敵」は米兵(白人)だったからではないか、という気がする。つまり、中国人を自分より下に見て、白人を自分より上に見る「優越感と劣等感」の結果だろう。言うまでもなく、中国人を下に見る習性は日清戦争の勝利で肥大した傲慢な自尊心のためである。白人への劣等感は「強制開国という国家的強姦」によって植え付けられたものだ、というのは岸田秀の説だが、私もそれに同意する。


(以下引用)


うかつだったと…大林宣彦監督 高畑さんは「映画で平和をつくる意思が明快だった」


高畑勲監督死去



花束を持って舞台挨拶を行った大林宣彦監督
Photo By スポニチ

 「火垂るの墓」など数々の名作を手掛けたアニメーション映画監督の高畑勲さんが5日午前1時19分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。82歳。大林宣彦監督(80)は「映画で平和をつくる意思が明快だった」と同世代の高畑さんを悼んだ。

   ××  ××  ××  

 最後に連絡を取ったのは、昨年12月の僕の映画「花筐/HANAGATAMI」の初日のころ。うちの恭子さん(妻)に連絡があり「大林さんは元気でいいね」と花を贈ってくれた。その花束を持って僕は舞台あいさつに上がったんですよ。

 思い起こされるのは2〜3年前、一緒に映画賞を受賞した。そのときに高畑さんは「あ〜大林さん、うかつだったね。僕たちがうかつだったから、日本がこんな戦争をする国に戻ってしまった」と言うんだ。今の日本を大変心配していた。僕たちは敗戦後の国造りを任された世代。あの戦争を経験した大人たちはしゃべれなかった。僕たち子供だった世代が語り継ぐべきだったのに「ノンポリ」として過ごしてしまった。それを高畑さんは悔やんでいた。

 高畑さんの作品は決して見て楽しいだけのアニメーションではなかった。つらいけどつらさを乗り越えていくことを教えてくれた。映画で平和をつくる意思が明快だった。同じ世代の大変大切なパートナーを失ったと思うと無力感が募る。(談)




[ 2018年4月7日 08:40 ]






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寝なくても頭脳と肉体が疲労回復する薬を発明してくれ

人生において睡眠時間ほど無駄なものは無いと思うwww 寝ている時間って、死んでいるのと同じではないか。だから夢を見ることがあると得した気分になる。タダで映画を見たようなものだ。しかも、その切実さは現実並みである。まさに高度なバーチャルリアリティ。時には、夢を見ているな、と、夢の途中で気がついて、その夢を自分の好む方向に導くことに成功することもあったが、最近はそういう経験が少なくなっているのは残念だ。
前にも書いたが、現実人生では王様で、夢の中では奴隷であるのと、現実人生では奴隷で夢の中では王様であるのとは等価ではないのか。そういう昔ばなしがあるのだが。

なお、寝ている間は死んでいるのと同じ、というのはジェローム・K・ジェロームの「ボートの3人男」の中の言葉で、私の思い付きではないが、私はそれに深く同意しているわけだ。

ちなみに、寝なくても頭脳の疲労回復をする(あるいは精神が高揚する)薬は実は既にあって、「ヒロポン」と言う。現在では覚醒剤扱いだが、戦中と戦後しばらくは普通に薬局で買えたらしく、「サザエさん」にもその描写が出てくる。まあ、馬鹿が24時間活動してもロクなことは無いから、人生の3分の1(つまり1日8時間)は眠って暮らすくらいが適当かもしれない。



(以下引用)


2018年04月10日


Comments(3)







1: 2018/04/10(火) 02:58:36.54 ID:GVZ22dBEM
でも六時間半も寝てるんやな

no title

Recommended by
2: 2018/04/10(火) 02:59:08.56 ID:G4+8R1vkd
平均でこれはヤバイやろ

4: 2018/04/10(火) 03:00:04.02 ID:tcrBjWqb0
うるせーよ働け

8: 2018/04/10(火) 03:01:00.41 ID:9rU9u2bl0
うおおおおおおおおおおお
no title

12: 2018/04/10(火) 03:01:45.52 ID:cK+A5Bdl0
8時間も寝てたら絶対頭おかしくなるわ

15: 2018/04/10(火) 03:02:58.50 ID:X4YZ2CzO0
>>12
逆に八時間寝んかったら日中眠くなるわ



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威張ることは上司の務めではない

これは美談と言っていいのではないか。上司に堂々とそう言った新入社員君も、新人に指摘されて自分の過ちを即座に謝った上司も素晴らしい。
日本では(まあ、世界ではどうか知らないが)、上司というと「威張っていい」むしろ「威張るべきだ」という考えのアホが多いと思うのだが、上司というのは仕事上の命令や指導をする役職というだけの話で、威張ることが必要条件であるわけではない。これは運動部のコーチや監督も本当は同じである。運動部の上級生や先輩もべつに下級生などに威張る資格があるわけではない。ただし、未熟な者は熟練者への敬意を持って然るべきであり、その結果としての敬語の使い方に差が出るのは自然なことだ。
だが、繰り返すが「威張ること」はそれとは別の話だ。
身分社会においては、威張ることが身分の差異を示すことだったから、その習慣が民主主義の世界でも続いているのだろう。


(以下引用)



上司に「なんでわざわざ嫌な言い方するんですか?」って聞いた結果・・・・・・




1::2018/04/09(月)11:38:48 OLJ
急に静かになって
帰りに「嫌な言い方してたんだなごめんな」とか言われて謎
2::2018/04/09(月)11:40:11 HRC
嫌な言い方が謎
3::2018/04/09(月)11:40:11 tE7
何があったんだ
4::2018/04/09(月)11:41:54 OLJ
>>3
未経験入社したんだけども
上司から「この工具すら知らないとか大丈夫?」とか「普通知ってるよねこのくらい」とか言われまくってたから
休憩中に「上司さんてなんでわざわざ嫌な感じの言い回しするんですか?昔なんかあったんですか?」て聞いたら
謝られた
7::2018/04/09(月)11:45:00 tE7
>>4
一言余計につけ加えるのってストレス発散になったりするんだよな(実体験)でもその上司は自覚なくそういう言い方をしてたのか?
5::2018/04/09(月)11:43:51 c31
お前すげえな
6::2018/04/09(月)11:44:18 OLJ
>>5
すごいの?
なんでそんな言い方するんだろって純粋に疑問だった
8::2018/04/09(月)11:50:14 e4x
すばらしい話やん
9::2018/04/09(月)11:51:52 aI8
昔なんかあったんですかは有効
まだ何にもない新社員の強み
会社に長くいると棺桶まで持っていかないといけないものまである
10::2018/04/09(月)11:52:38 IK2
同じこと他の人間にも言われてたが今まで気にしなくて、だが新人からも言われて
「俺もしかして本当に嫌な言い方してたのか?」ってようやく自覚したとか



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飼い犬ソング

まあ、そりゃあ、自公政権べったりの秋本康(AKBその他)や松本人志などが芸能界で重用されている現実を見たら、そういう行動に出るのも無理は無い。もちろん、下種そのものだが。


(以下引用)







ざっくり言うと

  • ゆずの新曲「ガイコクジンノトモダチ」の歌詞がネット上で注目を集めている
  • 「靖国の桜」といった、政治的とも捉えられるフレーズが歌詞に頻出する
  • 「こういう思想の持ち主だったの?」などと困惑する声が相次いでいるという




ゆず新曲に「美しい日本」「靖国の桜」 異色「政治的」歌詞...その真意は?



ゆずは「紅白歌合戦」にも出演した国民的デュオだ(2013年撮影、左が北川悠仁さん、右が岩沢厚治さん)

写真拡大



人気フォークデュオ・ゆずの新曲「ガイコクジンノトモダチ」の歌詞が、インターネット上で注目を集めている。


「美しい日本」「靖国の桜」――。このように、「政治的」とも捉えられるフレーズが頻出する歌詞に、「こういう思想の持ち主だったの?」などと困惑するユーザーが相次いでいるのだ。

明るい曲調で「国歌」や「国旗」歌う

話題の楽曲は、ゆずが2018年4月4日に発売した最新アルバム「BIG YELL」に収録されたもの。作詞、作曲はリーダーの北川悠仁さん(41)が担当している。


明るくシンプルなギターの伴奏に、ポップなメロディを乗せた軽快な一曲。歌舞伎をモチーフにしたような「ヨォ~」という合いの手が曲中に入ったり、外国人女性の話し声が流れる場面があったりなど、全体としてコミカルな印象を受ける。


だが、こうした楽曲の歌詞の内容が、ネット上で議論を呼ぶことになった。右寄りの思想を感じさせるフレーズが頻出するとして、違和感を訴えるユーザーが続出したのだ。


「ガイコクジンノトモダチ」というタイトルの通り、歌詞は日本が大好きだという外国の友人を持った「僕」の心情を表現したもの。サビでは、日本に生まれ育ち、日々の生活を送っていることなどを歌った上で、

「なのに 国歌はこっそり唄わなくっちゃね」
「なのに 国旗はタンスの奥にしまいましょう」

といったフレーズを続けている。


さらに曲中には、「靖国の桜」というワードも登場。これは、メディアでは右、左などと騒いでいるが、外国人の友人と一緒に見た靖国の桜は綺麗だった――という文脈の中で使われている。

「思想的なイメージがないからビックリ」

こうした歌詞について、ツイッターやネット掲示板では、

「ゆずどうしちゃったん?あまりそういう思想的なイメージがないからビックリ」
「北川さんってそういう思想の持ち主だったのか」
「ゆずは一体どうしたの...。歌詞だけ見るとネトウヨって感じですけど」

といった困惑の声が続出。一方、「自分の主張を曲にのせるなんて別に普通」「皮肉なのでは」といった意見もみられる。


ジャーナリストの津田大介氏も4月9日未明のツイッターで、曲の歌詞を紹介しつつ、

「ゆずのニューアルバムに入っている『ガイコクジンノトモダチ』という曲の歌詞確かにパンチが効いてる。メロディは素朴なのがまたこう......これはベタでやってるんだよね?」

と反応。また、映画評論家の町山智浩氏も同日、「総理とご飯食べてないか」とツイートした上で、

「『国歌はこっそり歌わなくちゃ』なんて、どっかの国に占領されたレジスタンスか? 現実は、君が代に起立しない教師は減給されるのに」

と投稿していた。

北川さん「自分が大切だって思うことは、ちゃんと伝えたくて」

このように波紋を広げた「ガイコクジンノトモダチ」の歌詞について、当の北川さんは4月5日発売の雑誌「音楽と人」(18年5月号)に掲載されたインタビューで、

「文章にして読み上げるとかなり危険そうな内容も、ポップソングにしちゃえば、何だって歌にできるな、と思って書いてみたんだよね(中略)自分が大切だって思うことは、ちゃんと伝えたくて」

と説明している。また、インタビュアーから「かなり強い右寄りの思想を感じる」などと伝えられた北川さんは、

「危ないよね(笑)。でも音楽にすることでラッピングされちゃう部分をうまく使いたかった。あとこういう歌詞を唄うことで、みんながゆずに対して思ってることを壊したかったんだよ。それがいちばん大きいかな」
  1. としていた。


    (夢人追記)まあ、こういう背景もあるようで。芸能界ってのは糞である。

    さんがリツイート
  1. 返信先: さん
  2. ゆずの の母親が、神道系新興宗教の「」代表の「」。 「かむながらのみち」は、「」の代表委員である が法主の「」 から派生したらしいのです。 だからこの歌は、大まじめでやってるんだと思いますよー

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酔生夢人
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男性
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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