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片目の国では両目の人間は異端となる

まあ、民主主義というのは、国民の6割が馬鹿なら馬鹿の大将(馬鹿とは限らない。だいたいズル賢い)が支配する国になる、ということだから。
昔は「賢い人」は尊敬されたが、今は憎まれる。つまり、「自分たちが馬鹿にされている」と馬鹿たちは思うからだ。馬鹿の自我や自惚れが途方もなく拡大したのが現代である。
その原因のひとつは「地頭の良さ」という概念だろう。昔は学歴が頭の良さの証明書だったが、今は「テレビに出て馬鹿な発言をして笑わせる人間のほうが本当は頭が良い」となっているわけだ。もちろん、どちらも単に程度問題にすぎない。学歴のある馬鹿もいるが、地頭は良いが無知無教養でまともな判断ができない「政治的には馬鹿」(そういう人物の政治的発言は社会的害悪になることが多い。)もいる。地頭の良さと見做されているのは単に「笑いの反射神経が良い」だけという面が大きい。


(以下引用)


・賢い小難しい言葉を用いるのは負け ・論理を必要とすると負け ・批判しようとすると負け ・長い文章を必要とすると負け ・人間に期待すると負け ひたすら感覚や気持ちややってる感が重要
引用ツイート
建築エコノミスト森山高至
@mori_arch_econo
·
返信先: @mori_arch_econoさん, @C4Dbeginnerさん
それが、N国であり一部の維新のバカ戦略&下衆戦略である。 民主主義の多数決の選挙において大衆対策をおこなった場合に、 「民衆より突出した能力を強調する賢がり戦略」VS「オマエらとの共感を醸すバカ下衆戦略」では、 かならず下衆側が勝ってしまうのである。 なぜなら大多数が勝つ制度だから。


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