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正義が勝つ世の中であれかし

「反戦な家づくり」から転載。
明月氏の地元のこの工務店というのは、いかにも地方ボスという感じで、どこの地方にもいそうである。時代劇だと主人公に退治される役柄だ。だが、現実には退治されないからこそ庶民の代償行為として「水戸黄門」などが好まれるのだろう。何しろ警察も裁判所も権力者の味方なのだから、無力な庶民は大衆小説や映画やテレビドラマで「正義は勝つ」という御伽噺を見たり読んだりして憂さ晴らしをするしかない。
だが、まあ、「どうせ悪が勝つ」という敗北主義的思想を子供のころから持つのも問題で、こういう斜に構えた言説は子供の教育に良くないから慎むべきかもしれない。
なお、「政治言説で理屈が通らなくなったのは小泉以来」というのは私もそう思う。私自身、あの当時それを批判する記事を何度も書いたような気がするが、それが安倍政権になって「自民党お家芸」となってしまったわけだ。
社会全体にまともな言語空間が無くなっているような気もする。つまり、ネットなどで言えば、正しい論理のある発言よりも、「数の多い発言」「相手より一度でも多く言って、最後を締めくくる風の発言」がまるで正論や結論みたいになっているということだ。

話が例によって散漫になったが、要するに、「言説の中の論理や根拠や正当性を重んじる姿勢が無くなったら、民主主義社会での正義の実現は不可能だよ」と言いたいのである。



(以下引用)






2018-02-28(Wed)

ヤクザとカタギの境目がなくなってきた今日この頃

私の生息している地域では、創業一族が名士扱いされている工務店がある。

小学校の卒業式が終わった途端、校長が生徒や保護者にお尻を向けて来賓席に座る創業家の御大に駆け寄っていくような関係だ。
田舎ではなく大阪梅田まで電車で10分という場所だけれども、そういう人たちの頭の中にはいまだにちょんまげが乗っているらしい。

その工務店がマンションの工事をしている。
もうすぐ竣工のはずが工期が遅れているらしく、連日現場の前には何台もの工事車両が停まり、カラーコーンで道路を半分塞いでいる。もともと広くはない道路のうえに曲がり角なので、車が1台ギリギリで歩行者は危ないことこの上ない。見たところガードマンもいなかったので、現場監督に注意した。

すると、見事に逆切れしたその監督は、「歩行者が避ければいいやろ」「いままで事故になっていないから大丈夫や」「文句言うのは嫌がらせか」「そんなんして面白がってるやろ」と私に罵声を浴びせた。
挙げ句の果てに、その場に居合わせた下請業者の社長が「おまえどこ住んでんねん。うちの若いもんつれて押しかけたるわ!」と脅迫。
なかなかスゴい場面となった。

もちろん私はすべて録音して、その工務店の上司にその旨は伝えたところ、ひと言だけ謝罪はあったのもの、それ以降もほとんど同じやり方を続けている。
他の住民も、たまりかねて警察を呼んで違法駐車をやめさせたりしているようだが、なにせそういう工務店だから警察も強くは言わないらしい。あいかわらず道路使用許可もとらずに占拠し続けており、住民ももうあきらめモードである。

着工前の近隣説明会では、違法駐車はしません。大きな音が出るときは事前に知らせます。などなど、調子のいいことを言っていたのはどの口だったのだろう。
とにかく無視して押し切れば、地主階級ではない無力な住民はあきらめるだろう、という態度が丸出しである。



こんなことがあって、ふと気が付いたが、これって安倍政権のやりかたの超ミニチュア版だなと。

選挙のときは調子のいいことを言って、終わった途端やりたいほうだい。文句を付ければ冷笑を浴びせ、それでも引き下がらないと脅迫する。
そして、いっさいの抗議を無視して、何が何でもやり続ければ、そのうち国民はあきらめてついてくる。

このやり方を開発したのは、私は小泉純一郎だと思っている。
あの「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」 や「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」 発言である。

論理や対話というものをぶち切り、意味不明の言説を弄して強引に押し切る。
いくら自民党でも、何らかの対話が成立するさせることは国会の中でもやってきたし、それが完全に破綻したときは辞任したり、降ろされたりしてきたものだが、小泉純一郎は、完全に破綻しても選挙に勝てばOKという、新しい自民党の伝統を作ってしまった。

まして、第二次安倍政権になってからは、目の前にある事実でも、見えないフリをして押し切るという凄まじい状態になっている。
もはや、国会で議論とかいうレベルではなく、100%言論を無視して押し通すという意味では、テロリズムに匹敵する。目の前で武器を振り回してはいないけれども、籠池夫妻のように都合が悪い人間は拘置所に閉じ込めたり、前川喜平さんのような重要ポストの人物は尾行してスキャンダルを読売新聞に書かせたり、まさに恐怖政治である。

官僚は出世と退職金とバラ色の老後を、政治家は公認と当選をカタに取られて、内閣調査室に握られたネタに怯えながら唯々諾々と無理無体に従っている。
国会の質問では威勢のいいことを言っている野党議員も、何のことはない予算案を1日遅らせただけで通してしまうようでは、「なんか握られてんの?」と疑ってしまう。



ヤクザが怖がられるのは、暴力を使うからという理由もあるけれども、むしろ「理屈が通じない」という点にある。
最低限の理屈が通用するのかどうか、そこがヤクザとカタギの境目だったはずだ。

冒頭の工務店も、決してヤクザな会社ではない。地主の地主による地主のための会社ではあるけれども、カタギの会社であることは間違いない。
そういう会社が、かくも理屈の通じないヤクザまがいのやり方をすることに驚いたのだ。

そして、そのような最低限のカタギの条件を率先垂範してぶち破ったのは、この国のトップなのである。
地方の工務店ならばヤクザまがいで済むけれども、国のトップになればヤクザどころではない。テロリストよりも恐ろしい。
奴らの唯一のアキレス腱は選挙なのだが、それすらも独裁的なカネと権力を振り回して、住民を恫喝と諦めと買収で票をかき集める という姿が名護市長選挙で赤裸々になった。

国会ショーを眺めていても、ガンバロー三唱を繰り返していても、事態はなにも良くならない。
盤石に見える安倍官邸といえども、どこかにスキはあるはずだ。
目をサラにして、耳をダンボにして、スキを突くしかない。



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