新型コロナウイルスオミクロン株の拡大により濃厚接触者の入試方法が変更されるなど注目を集めていた2022年の大学入学共通テストは、初日に起きた東京大学前の刺傷事件によって、別の関心も集めることとなった。殺人未遂で現行犯逮捕された名古屋市在住の私立高校2年生の少年は事件の目撃者によれば、事件時に高校の偏差値や「僕は来年東大を受けるんです」と叫んでいたという。警察で「医者を目指し東大(理III)に入りたかったが、約1年前から成績が振るわず自信をなくした」と話していることが報じられ、動機と起こした事件のちぐはぐさに驚かされた人も多いだろう。俳人で著作家の日野百草氏が、東大に入ることを当然と考える子供たちがどんな心の闇を抱えるリスクを背負うのか探った。
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「東大に入れなければ負けです。極端ですが日本のトップ校の子というのはそういうものです。とくに理IIIは別格です」
そう言ってのけるだけのトップ校を卒業した教育関連企業のベテラン室長が語る。
「日本のトップ校というのは田舎の公立進学校の話ではありません。本当に日本のトップ、選ばれた子供たちが通う学校のことです」
それは開成、灘、筑波大学附属駒場(以下、筑駒)、桜蔭、ラ・サール(鹿児島)、麻布、東大寺、洛南、甲陽学院、東海(愛知)といったテレビでもお馴染み、全国区のトップ私学だという。東大、まして理IIIとなるとこうした中学から(高校入学もまれにある)一貫校に入る道を選ぶことが多い。もちろん地域によっては地元公立のナンバースクール以外選択肢のないところもある。本稿では便宜上、東大に入ることが当然のような日本の最上位層の私学を「トップ校」としている。
「日本でトップを競う子たちです。口には出さずとも小中時代は誰もが東大、とくに理IIIを目指します。東大生は珍しくもありませんが、理IIIとなると別です」
あえて平易に書くが、東大の理III(理科III類)とはいわゆる東大医学部のこと。日本国の受験でもっとも難しいとされている。実際、日本の大学受験の最高偏差値は常に理IIIである。定員はわずか100人。
「勉強で勝ち続けた受験エリートが集まる学校ですから、できれば一番偏差値の高い大学の、一番偏差値の高い学部に入りたい、それが理IIIなわけです。プロ野球とかと同じ構図ですね」
なるほど、確かにプロ野球も強豪校には少年野球のエリートが来る。その中でプロになる子は一握りどころかひとつまみ、東大理IIIも毎年の合格者が約100人と考えればプロ野球も全12球団で毎年約120人(例外あり)がドラフトに掛かるわけで、そのジャンル別の難易度はともあれ数字の上では似ているかもしれない。
「はい。野球やサッカーのエリートがプロを目指すように、受験のエリートは理IIIを目指します。あくまで最初は、ですが」
秀才かつ受験に特化した訓練と対策をした人しか東大理IIIは入れません
素朴な疑問だが野球やサッカーのエリートはプロを目指す、理IIIということは医者を目指すのだろう。ごく一部には医師免許を持たずに研究者を目指す場合もあるが、ほとんどは医者になる。理III入試という日本で一番難しい試験に合格することと医者になることは命題が違うような気がするのだが、どうか。
「いえ、トップクラスの子たちにとっては医者より理IIIなんです。親や学校からずっと思い込まされてきた子たちです。洗脳と言っても構いません」
洗脳とは穏やかでないが、親にそのつもりがなくとも、そうした学校や環境で自然とそう思い込んでしまう子もいるのかもしれない。だが、程度の差はあれそれくらいの「受験マシーン」にならなければ日本のトップ校、まして日本の受験上位100人とされる理IIIには入れないのだろうか。
「違います。それでも入れないんです。いや、受けるレベルに達しない。よく『勉強しない秀才が入った』なんて話がありますが実際はどうか」
極稀にニュースでスポーツなど他のことも成し遂げながら理IIIに入れてしまう子などが話題になるが、レアケースだからこその全国ニュース。受験業界からすれば、何十年も関わってきた関係者からすれば一般的な現実は違う、ということだろう。本旨ではないのでエクスキューズに留めるが、世の中には何もかも自然に記憶できてしまう特殊な人もいる。
「東大というだけならそういう子もいますが、理IIIとなると別です。(経験上は)秀才かつ受験に特化した訓練と対策をした人しか入れません。その上で受験の向き不向きがある、ともいえます。極端な向き不向きで理III受験に向いているような子、それを『才能』と言う人はいるかもしれませんが」
日本中の子供は中学であれ、高校であれほぼ全員が受験を経験しているだろう、理IIIに入るのがその世代の受験上位100人余(多世代から入る浪人もいるだろうが)と考えれば恐ろしいほどの狭き門。ましてやその毎年合格者の3割から5割近くを占めるとされる筑駒、灘、開成、桜蔭の子たちは受験における「究極」だろうか。それにしても受験に「向き不向き」とは面白い話。
「おっしゃる通りその4校が日本では別格です。他のトップ校なら(理III は)数人出れば万々歳です。それすら凄い。田舎の公立進学校で1人出たら学校側も大喜びですよ。宣伝になります」
受験の価値観はさまざまだが、こと理IIIとなると問答無用にトップ中のトップ、正直、普通に生きていると別世界のように感じる。実際、別世界なのだろう。しかし先の言葉を借りるなら「洗脳」が溶けないままに、その合格者100人余に入れなかった、その前の段階で否定された子はどうなるのか。
「これに限りませんが、普通は子供なりに軌道修正するじゃないですか。中学受験でふるい落とされて、高校受験でふるい落とされて、校内や予備校でふるい落とされて、どこかで『それなり』に落ち着きます。でもふるい落とされても洗脳が解けない、洗脳され続けてしまう、勝手に思い込んでしまう場合があります。その子次第、と言われればそれまでですが」
かけっこの速い子も、いずれ明確なタイムでふるい落とされる。受験も模試なり定期テストで点数は出る。こちらも明確な偏差値の輪切りで志望校を決めるわけで、理IIIも不合格はもちろん受けるに達しない、という結果が100mの持ちタイムと同様に突きつけられる。芸術や創作の世界は才能のあるなしを量るに難いが、数字の世界は残酷なほどに明確だ。
「はい。だから怖いんです。それまで理IIIに行くはずと思い込んでいた受験エリートがその100人にはなれないと知ってしまう。洗脳がひどい場合や思い込みの激しい子だとおかしくなる子もいます。とくに学校のプレッシャーと家庭のプレッシャー、最近だとネットのプレッシャーの三方向で追い詰められた子は『それなり』に落ち着けなくなるのです」
極端で多くの大人からすれば異常に思えてしまうかもしれないが、ずっとそう思い込まされてきた子供、その期待に応えてきた子供からすれば「逃げ場」が無くなってしまうということか。またネットというのは匿名掲示板やSNSはもちろん、学校や塾の仲間で内々に作られるメッセンジャーアプリによるグループのことだろう。昔はなかったこうした情報の氾濫もまた、多感な思春期には堪えるかもしれない。
「学校や教師によっては東大か医学部以外は負け、と考えるトップ校は普通にあります。私学も営利企業ですから理III合格者はいい宣伝になりますからね。それでも受験段階で多くはエリートとしての『それなり』に落ち着くのですが、そうなれない子は追い詰められます」
なんだか甲子園常連の野球エリート校のようだ。少年野球時代はエースで4番でも3年間スタンド応援というのは珍しくない。もちろん大半は『それなり』の進路に落ち着いたり、野球部を去っても別の夢に切り替えたりするが、不器用で真っ正直な子供によっては行き場をなくす、いや、生き場をなくしてしまう。真摯で本気だったからこそ。親も学校も手を差し伸べなければ、そう錯覚してしまう。
「残酷ですけど、日本の上位100人とかになるって時点でなれない確率のほうが高いわけです。オリンピックのメダリストとか宇宙飛行士に比べれば間口は広いですが、プロ野球も理IIIもその点は同じです」
同世代で「世界の数人」に比べれば間口が広いのは確か。例えばバレエは「世界一残酷な職業」とまで言われるほどに死屍累々である。日本限定なら将棋がその究極のひとつだろうか、あれは本当に残酷で、それをわかって目指すものだ。プロになれるのすらごくわずか、ほとんどが奨励会で挫折する。中には不幸な道をたどる人もいる。それらに比べれば同世代の100人は間口としては広いが、やはり理III合格が究極の「選ばれし受験勝者」であることには変わらないのだろう。
「医者になるという夢なら国公立でも私立大学でも、当たり前の話ですが東大以外たくさんあります。日本の最上位クラスの私立高校の子ならどこかの医大には入れるでしょう。裕福な家ばかりですしね。でも医者になりたいのではなく受験の頂点に立ちたい子もいるんです。そういう子は理IIIでなければだめなんです。そういう子の親も教師、学校もです」
たとえ勉強ができても心の不器用な子は追い込まれると思考停止に陥る
2018年度から理IIIは面接試験が復活した。一連のオウム真理教事件で理IIIはじめ多くの理系エリートがカルトにハマり犯罪に関与したこと、合格者に同じ私学の高校生が大半を占めたことなどをきっかけに1999年度から面接が導入されたが、2008年度から廃止されていた。
「東京大学受験指導の専門塾とかにいる『医者になる以上に理IIIに受かりたい』という受験マシーンを排除するためでしょう。もっとも、そういう塾はその対策もしてますが」
日本中の一番勉強ができる子供たちが受けに来るだけに東大、とくに人の命を扱う医師や研究者を養成する理IIIとしては対応に苦慮していることが伺える。あくまで目的は医師養成なので当然だ。
「それでも受験エリートはまず東大を目指すんです。理IIIを目指すんです。それは社会も認めています」
受験業界の長い彼の話なので極端に思えるかもしれないが、こうしたトップ校は存在し、なにがなんでも理IIIという親子は実在する。テレビも東大には「東大王」として「王」までつけている。社会もそれを受け入れている。むしろ煽っている。
しかし彼もその危険は知っている。最後に教えてくれた。
「いくらトップ校でも、挫折のリスクヘッジを子供に作らない学校や親は危険です。勉強ができることと心の器用さは違います。たとえ勉強ができても心の不器用な子は追い込まれると思考停止に陥ります」
また中学受験や高校受験の成功を過信するのは危険だという。
「大学受験とは別です。子供によっては中学(高校)受験まで、という極端な子もいます。遊びまくったとか勉強サボったでなく、ただ大学受験に向いてない子ですね。不思議なんですが、偏差値70超えの学校に入れたのに大学受験では中堅大学がやっと、なんて子もいるんです。そのときこそ『それなり』に落ち着くことを親も学校もサポートすべきですね」
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)ジャーナリスト、著述家、俳人。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題や生命倫理の他、日本のロジスティクスに関するルポルタージュも手掛ける。