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文章では橋下徹的詭弁は通らない

小田嶋隆の老化は外見だけでなく知性と精神の老化が激しいのではないか。
下のツィートは、論理の強引さが、まさに精神的退廃を示しているように見える。まあ、短いツィートでは論理を構築する余裕が無いのは当然だが、自分の主観的な思想、あるいは感想を、敵対思想者への口汚い嘲りを加えて言うだけなら、ツィートなどしないほうがマシだろう。
小田嶋氏のツィートへの批判を先に書いておく。

1)「ポリコレ」の問題点は、そのスタンダードが絶対的に正義だと主張され
2)そのために、「ポリコレ」に反するとされた表現や思想が抑圧される点にあり
3)ポリコレに異を唱える人々のほとんどは、それを懸念している。

というのは、「反ポリコレ」の最重要な立脚点だろう。その立脚点を、なぜ簡単に、何の根拠も出さずに否定できるのか。小田嶋氏の主観は神の意見ででもあるのか。

4)「ポリコレ」の問題点は、まさに彼ら(ポリコレ派)が何かの主張を「これが政治的に正しい」とアプリオリ(先験的・無条件的)に主張する、その独善性にあるのは明らかだろう。
5)しかも、その主張によって社会的に迫害される側が必然的に生じる。
6)とすれば、ポリコレ派が「正義としてものを言う」その立ち位置への批判はあって当然だろう。
7)しかしそのことは、「反ポリコレ派」が正義そのものを憎悪していることにならないのは当たり前の話である。詐欺師が口先で道義を言って、その詐欺師を批判したら、それは道義を批判したことになるのか。下手な漫才家を批判したら、漫才そのものを批判したことになるのか。
これは推測だが、ポリコレ派とリベラル派は重なってる部分が大きい(と言うよりリベラル派はポリコレ派、あるいは戦闘的フェミニズムに侵食されている)ために、リベラル派、つまり既成マスコミ主力派に属する小田嶋氏は立場的にポリコレ派に加担するしかないのだろう。
しかし、リベラル、つまり「自由の拡大」を常に主張する思想は、それが全体の自由ではなく一部の人間の自由の拡大の主張の場合、必然的に他の一部の人間の自由を侵害するのであり、それがポリコレ問題では明示的であるわけだ。
言うまでもないが、「全体が満足する自由」というのは存在しない。誰かの自由の拡大は他の誰かの自由の抑圧である。自由主義とは抑圧主義と一卵性双生児、あるいはシャム双生児なのである。社会の全員が賛同する「政治的な正しさ」というのが存在しない以上、ポリコレとは危険な、あるいは「暴力的な」思想だというのが私の考えだ。(抑圧された少数者の権利の拡充には私は基本的に賛成であるので、これは原理としての論議である。)

(以下「小田嶋隆ツィッター」から引用)

ポリコレに異を唱える人たちは、そのスタンダードに納得していないとか、表現が抑圧されることを懸念しているとかではなくて、ポリコレを言い立てる人たちが「正義」としてものを言っている、その立ち位置を憎んでいるのだと思う。つまり彼らはなんであれ「正しさ」を憎悪しているわけだよ。


(夢人追記)「ポリコレの狂気」の良い事例があるので、載せておく。


これほんとにまずいのは、「男性青 女性赤」が市民投票では最多だったのに覆されてる事だよね。 民主主義は確実に崩壊に進んでいる。地方自治は民主主義の学校とはよく言ったものだ。
画像
引用ツイート
神戸新聞
@kobeshinbun
·
「男は青、女は赤」は当たり前? トイレの市民投票案を「色分けなし」に変更 明石 kobe-np.co.jp/news/sougou/20

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