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教育の「義務」と「権利」

「混沌堂主人雑記」から一部転載。
本当は全部コピーしたかったが、複数ツィッターを一括してコピーできないので、ひとつだけコピーした。

世間で使われている「義務教育」という言い方が良くないと思う。

教育を受けることは子供の「権利」であって、義務ではない。義務だと思い込んでいるから、行きたくもない学校に無理して通い、いじめで自殺したりする。教師側も、学校に来るのは子供の義務だと勘違いしている。子供が学びやすい環境を作るのは「学校側の義務」である。子供には行きたくない学校に行く義務はない。
「義務教育」とは、本来は「子供を持つ親にとっての義務」なのである。昔は、特に農家など子供を家の仕事に使っている家庭が多かったから、学校を休ませがちだった。だから、「義務教育」としたのである。
現在のように、子供を労働させる家庭がほとんど無い時代には「義務教育」という言葉自体が時代錯誤と言うべきではないか。この「義務教育」という誤った観念のために、子供が苦しみ、自殺もしたりするという状況を、社会的な問題として再考すべきだと思う。

ついでに、私が疑問に思ったことをひとつ書いておく。生徒や児童にはなぜ本人の希望による「クラス替え」の権利が無いのだろうか。クラスを替えるだけでもいじめや嫌な担任などから簡単に救われる場合も多いだろう。
実に簡単な方法だのに、こういう方法で生徒や児童を救済したという話をほとんど聞かない。もちろん、学校全体が最低なら学校を替えればいいし、行くのをやめてもいいのである。社会では終身雇用が絶滅状態だが、学校では「絶対に一年間同じクラス」が当然視されている。その中でサイコパスに出逢ったら、地獄である。


(以下引用)




黒飛隆政 @Justice_kuro3

追い込まれたら、選択肢が無限にあることに気付けないんだよな。

“義務”教育と云われてはいるけど、命投げるために行く義務はない。
そこを理解できる大人と環境を作るのが、彼らにとって先輩である我々の役目。

生きるために必要なことは、学校の外で学ぶもんだしね。

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