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学問と興味

竹熊健太郎のブログ記事だが、実に同感である。まあ、虚数というのは実在しないが、そういう想定をすることで数学理論が大きく拡大できるという、ただの道具としての概念だろう。つまり、本来は将来の数学者だけが知ればいいものを、すべての高校生が無理に学ばされているのではないか。虚数概念を使うことで、「現実生活にも使える数学」が生まれたという事実はあるのだろうか。
まあ、私も竹熊氏ほどではないが、数学が大の苦手だったので、今でも「自分には不要な無駄な知識を頭に詰め込まれた」という不満はある。それは理系科目すべてにそうだ。私の人生に役に立っている理系科目は小学校までの算数だけだ。それで(医学部志望だったが)歯学部などに入ったのだから、そこでも理系科目の洪水で、落ちこぼれて退学したのは当然である。まあ、人の口の中を覗き込むだけで一生を終える歯医者にならなくて良かったとは思うが、医者になっていても、満足な人生が送れたとも思えない。何しろ、「自分に興味の無いこと」に付き合うのが大嫌いなのだから、毎日8時間も患者の愚痴を聞くだけの人生や人の身体を切り開いてグロな光景を眺める仕事が面白いはずがない。(もちろん、医者も歯医者も重要性の高い仕事で、社会に大きな貢献をしている。ここでは、個人的適性の話をしているだけだ。)

(以下引用)

2005/12/30

数学が苦手です


年の瀬にこんなことを書くのも何なのですが、数学が苦手でたまりません。一応できるのは、加減乗除くらいのもので、せいぜいが小学5年生レベルの算数でしょうか。中学レベルだともう怪しいです。中学2年くらいで習った因数分解は、たしか高校に入ったあたりでようやく理解できましたが、もう忘れました。微分・積分などは、最初からわかりませんでした。


だいたいかけ算の九九にしたところで、1×1~6×9までしか覚えていないのです。7のケタからの計算は、必ず頭の中で7×4=4×7と一度ひっくり返して計算します。また足し算にしても、大人になった今でも指を使ってしまうのです。つまり小学校低学年の時点で、算数が苦手であったわけですから、中学・高校ともなると数学の時間は地獄であったといえるでしょう。



どうも俺は典型的な視覚型人間のようでして「絵になるもの」以外はよく理解できないようです。いわゆる抽象思考が苦手みたいなんですが、それでも文化系的な抽象思考は、苦手とはいえ理数系のそれよりはまだましですので、やはり数学的な抽象がとことん苦手に出来ているのでしょう。


そういえば数学でも、幾何学とかベクトルみたいなものは、比較的マシでした。やはり図形とか矢印を使うからでしょうね。数字や記号ではなく一応「絵のようなもの」を使うので、ある程度理解できたものと思われます。


大学以上の高等数学になると次元の問題を扱うそうですね。4次元まではSFなんかで俺にも馴染みがありますが、5次元とか25次元とかあるじゃないですか。なんですかそれは。4次元の「タテ×ヨコ×厚み×時間」まではわかりますが、25次元ってあなた。まったく頭に「絵」が浮かばないので、今でも理解の外であります。


そういえば子供の頃の「少年マガジン」で大伴昌司先生がそういったSF的概念を「図解」されていました。今でも覚えているのは「4次元世界」という特集で、これは大伴昌司が企画で、実際に原稿を書いていたのは前衛科学評論家・斉藤守弘先生であります。


yojigensekai←「4次元世界」より(少年マガジン 1970年11月1日第45号)


左図は、その特集から「4次元立方体」を絵にした部分を引用しました。当時のマガジンの大図解を見てつくづく感心するのは「この世の森羅万象ことごとくを絵にしてやる」という執念がどのページにも漂っているところです。はたして4次元空間における立体を、2次元的な平面上で絵にできるものかどうか、疑問ではあるのですが、とにかく絵にしているので感動します(ちなみにこの特集は、「少年マガジン大図解」(講談社)の三巻目に収録されてます)。


この特集を読んだだけで、4次元というものが正確な理解はともかく「わかった気」になるのですからたいしたものです。俺の基礎教養の80%くらいは、子供時代の「少年マガジン大図解」からできていると言って過言ではないでしょう。


ただしその影響で、「絵にならないものは理解できない」という悪しき感性もできあがってしまったようです。おそらく俺の数学嫌いも、そのへんから来ているのかもしれません。


01たとえば数字でも、プラス・マイナス・ゼロまではわかるんですよ。ちょうど木村恒久先生のこのモンタージュのように、プラス=出っ張っている、マイナス=引っ込んでいる、ゼロ=出ても引っ込んでもない、というふうにイメージができるわけです。


でも問題なのは「虚数」というやつで、高校時代にこの言葉を聞いたとき、ちょうど「45億年に及ぶ地球の歴史に比べて自分はなんてちっぽけなんだ」という実存的な問題に悩んでいたお年頃でしたから、なんかすごくかっこいい数であるかのように思えたわけです。英語だとなんというのかわかりませんが、日本語として格好いいではありませんか。


しかし、これがさっぱりわからない。Wikipediaなんかを見ても、


x2 + 1 = 0 の解の一つを i と書き虚数単位 (imaginary unit) という。 i と実数 a のを i a あるいは a i と書く。任意の二つの実数 ab に対し a+b i の形で書かれるを複素数という。 ab がともに整数である場合 a+b i をガウスの整数という。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E6%95%B0


とか、


虚数単位(きょすうたんい、imaginary unit)とは、-1 の平方根、すなわち二乗して -1 になるのことである。任意の実数は二乗すれば正の数になるので、虚数単位は実数の中には存在しない。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E6%95%B0%E5%8D%98%E4%BD%8D


とか書かれておっても、そもそも複素数とか平方根とかの意味が俺にはわからないのですから、頭の中がワヤクチャになるだけなのです。だいたい実数以外に虚数があるということが理解できない。二乗してマイナスになるって、そんなアホなことがあってたまるかと。そりゃせっかく二乗したのにマイナスになったら虚しいに決まってますよ。オナニーした後の虚脱感みたいなものなのですか。


こういうときこそ、大伴昌司・斉藤守弘両先生の才能をもって「バカでもわかるように虚数を図解してくれ」と叫びたいわけです。とにかく俺の場合、頭の中に「絵」として浮かばない言葉ほど腹立たしいものはありません。それで、「虚数」という日本語の字面から、勝手にイメージを思い浮かべるしかない。この場合、パッと思い浮かぶのは諸星大二郎の『不安の立像』なんですけども。


moroboshi-fuan-01


←諸星大二郎『不安の立像』(集英社)


この作品集に収録されている短編なんですけどね。諸星大二郎にとっては、事実上の商業デビュー作で、1973年の作品。通勤電車で通うサラリーマンが、毎日、なぜか線路の脇に黒い人影を見るわけです。あまりにもよく見かけるので、興味を持った主人公が「影」を追いかけていく。すると影はおびえて逃げていくが、なおも追いかけていくと……。という感じの作品です。それで虚数と言ったときに、発作的に俺が思い浮かべてしまうのがこの「影」なんですよ。理由は、よくわからないんですが。イメージで。


moroboshi-fuan-03その「影」というのが、こいつなんですけど。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に登場するカオナシの元ネタでもありますね。諸星マンガを一通り読んでから宮崎アニメ見ると面白いですよ~、諸星先生、パヤオにいろいろパクられていて。『もののけ姫』なんか、部分的にまんま諸星の『マッドメン』ですからね~。


まあそれはそれとして、こういうわけのわからないものをビジュアル化させると、諸星先生は天才としかいいようがありませんね。まあおそらく、現実の数学における「虚数」と、『不安の立像』はたぶんなんの関係もないわけですが、俺にはこう見えるということで。どなたか数学の得意な方、虚数というものを俺にも分かるように「絵」にして教えてくださいませんか。あるいは、「たとえ話」にしてもいいですよ。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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