忍者ブログ

フルイチケンジュという汚物

まさにその通り。
いちいち自分のことを引き合いに出して済まないが、私はケンカ(争いごと)が大の苦手で、口喧嘩さえできない人間である。(怒るのは不愉快だし、不愉快なことは極力しない主義なのでwww)つまり、惰弱で柔弱な人間だ。そういう人間だから、「怒るべき時に怒れない」ということがしばしば起きる。演技で怒ることもできないのだから、他人の不正を叱ったり抗議したりすることもできない。舌がもつれてしどろもどろになる自分が、やらぬ先から目に浮かぶwww
だからこそ、「社会生活に必要な能力は嘘をつく能力と演技をする能力だ」と大真面目に書いたりするわけだ。嘘と演技の能力に恵まれた人間は、或る意味私の羨望の対象だ。だが、悪質な嘘つきが社会の上位にいる場合は、その嘘のために社会全体が蒙っている害悪(特に弱者の蒙る害悪)を思うと、怒り(自分個人の怒りではなく、「公憤」である。人々が社会の不正に怒らなくなれば、その社会は終わりだと思う。)が胸に溢れてくる。

小沢一郎の温厚さと腰の低さは、彼を直接に見た人には良く知られていることのようだが、その彼でも、ここは怒るべきところで、実際怒ったわけだ。
無礼なことをしても、それが無礼だとも知らない阿呆なのか、相手を甘く見てのことなのかは分からないが、(上からの指示だという説が妥当のようだ。)古市憲寿という「みっともない顔」をした偽社会学者のこの振る舞いは、小沢一郎だけでなく、正義感のある人間なら、等しく怒るべきである。古市憲寿はこれまでもしばしば阿呆そのものの発言をしてその知的レベルを疑われている人間だが、そういう人間を司会者としたことへの「任命責任」は誰にあるのか。その点も追及されるべきだろう。まあ、どうせ権力側のメディアでの出来事であるから、この「事件」は有耶無耶にされることになるだろうが、少なくとも古市憲寿の不快な顔がこれ以上マスコミに出ないでほしいものである。顔自体が汚物であるのだから、公器としてのテレビ画面に出すのはほとんど犯罪である。もちろん、これは個人的感想だwww


なお、「嘘と演技」自体が悪いということはまったく無い。嘘と演技で悪を行った場合が問題なのだ。嘘をつくには頭の良さと周囲への配慮(外部情報の観察と分析と戦略立案)が必要であり、馬鹿ではできない。まあ、橋下のように嘘ともろバレの嘘を撒き散らしてもマスコミから許容されるというポジションを手に入れている「権力側の人間」もたくさんいるわけだが。



(以下引用)




小田嶋隆 @tako_ashi 9時間前

小沢さんもいちいちカドを立てないで、ジョークでかわすぐらいの余裕を見せないと……的なご意見をいくつか見かけたのだが、あそこは、きちんとカドを立てないとダメなところです。


拍手

PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

11 2024/12 01
S M T W T F S
30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析