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北林あずみの「人間中心主義批判」「欧米中心主義批判」

「北林あずみ」のブログ記事の一部を転載。面白いところはほかにもたくさんあるが、あきれるほど長い記事を書く人なので、読むのも疲れるだろう。簡潔にまとまったところだけ取り出す。
なお、「北林あずみ」氏は男であり、爺さんである。何で女名前なのか、本名かペンネームなのかは知らない。
氏の批判する「人間中心主義」の批判点は、「人間」の定義次第で他者を切り捨てて来た思想だから、ということである。たとえば、白人にとって有色人種はかつては人間ではなく「動物」の一種だった。そして暴力支配の時代には「女子供」は人間扱いされなかったのである。女は「財産」であり、子供は労働力予備軍だったわけだ。
私は「尊皇主義」なので、下の記事の言葉の中には反発する部分もあるが、明治政府以降の政府による「天皇神格化」(一神教的国家神道)は、日本を誤らせたものだと思っている。


(以下引用)

 日本の古代神道は、仏教思想と出遭って融合するのだが、人間中心主義と欧米中心主義を乗り越える可能性を、わたしはそこにみている。
 日本の右翼と極右と保守は、一神教的国家神道をあたかも日本特有のものであり、日本の精神的な伝統であり、真髄のようにみなしているが、まったくの間違いだ。一神教的国家神道はキリスト教の模倣であり、それに儒教の絶対的家父長制を接ぎ木したもので、多神教的な日本の精神的伝統と構造とは真逆のものだ。一神教的国家神道を作った張本人の伊藤博文が日記で吐露しているのだから、否定のしようがない。一神教的国家神道とは、西欧近代主義の出来損ないの物真似でしかなく、人間中心主義はそのままで、欧米至上主義の代わりに、天皇を神として、天皇を戴く国を神の国とする、日本至上主義を据えたものでしかない。
 お粗末でありお笑いでしかないのは、その日本至上主義だが、明治維新政府が打ち出した脱亜入欧の政策をみればわかる通り、その実は、「欧米至上主義 〉日本至上主義」なのだ。日本至上主義=日本主義の根っこには、欧米へのコンプレックスがある。だから、そのコンプレックスを打ち消そうと、激しいアジア蔑視となって噴出するのだし、欧米へのコンプレックスがひっくり返ると鬼畜米英になったりするのだ。日本主義とはかくも歪んだ構造をしている。
 櫻井よしこをみれば一目瞭然だろう。櫻井よしこの歪んだ精神こそが、日本主義の本質だ。ご主人様のアメリカに、ちぎれてしまうのではないかと心配したくなるほど尻尾を振っている一方で、中国と韓国に向かって牙を剥きだして吠えているのだ。そして日本主義を掲げ、一神教的国家神道の旗を振っている。見苦しいまでの歪んだ心だ。櫻井よしこの日本主義が、日本を侮蔑し、日本を貶めていることに気づかない。これほど日本の精神文化と精神的伝統とほど遠いバカはいないのではないか。思い込みも甚だしい。

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人はなぜ「無敵の人」になるのか

私自身の別ブログに書いたばかりの文章だが、ここにも載せておく。

(以下自己引用)
最近よく言われる「無敵の人」は、確かに無敵である。
しかし、その種の人間が卑小にしか見えないのは、その行為が単なる身近な他人や通りすがりの人間の大量殺人にすぎないことが多いからである。つまり、「無敵」であるはずなのに、「弱敵」しか相手にしない卑怯さが、彼らを軽蔑すべき存在にしている。
これがたとえば北一輝とか大塩平八郎になると、国家や政府を相手に立ち上がった彼らの行為は、まさに英雄的行為である。いや、革命的行為だけが英雄的なのではなく、「強敵」に対して立ち上がった行為が英雄的なのである。それが世間的には悪と見做されても、それは英雄の行為だ。その種のものには、たとえばマルキ・ド・サドやニーチェがいる。文筆行為の中には、その種の英雄的行為がよく見られる。文筆の徒は柔弱な者と見られることが多いが、実は英雄にしかできない行為を為したことも多いのだ。ただし、それが人類の利益となる行為だったかどうかはまた別の話である。それで害を受けた善良な者たちも多いだろう。ここでは、善であれ悪であれ、普通人ができない行為をした者を英雄としている。

「無敵の人」がなぜ無敵になるか、その根本を言おう。それは、自分の人生と生命を捨ててかかるからである。それはしばしばその人の家族の人生も犠牲にする。だから、革命家と犯罪者は「無敵の人」としては同類なのである。
世間の多くの人が不自由と不満の人生を送る理由もまた同じ盾の半面だ。我々は、自分の人生、家族の人生を守るためにあらゆる不自由を忍んで生きるのである。
老人などは、もはや守るべき生命もほとんど無いのに、なぜあらゆる不自由を耐え忍ぶのか。それは、自分が明日死ぬ、という覚悟ができないからである。そして、自分の現状を作っている、社会的地位、名声、親類縁者などへの未練があるからである。

この一文は読みかけのトーマス・マンの「魔の山」の一節から想起した思念を書いたものなので、その一節(2か所)を引用する。

こういう事態(注:肺病からの回復が絶望的で、余命がほとんど無いこと)から僕にゆるされるすこしばかりの自由を、みなさんに大目にみていただきたいんです。高等学校で落第ときまってしまって、教師に質問もされないし、宿題もやらなくていい、あれと同じなんです。あの幸福な状態に僕は最後的にたどりついたんです。僕はもうなにもしなくていいし、もう数にもはいらない人間で、どうにでもなれなんです。



彼の感じたこと(注:主人公ハンス・カストルプ自身が、前述の若者アルビンの述懐を聞いて、彼自身の落第の経験を思い出したことへの感想)はだいたいつぎのようなことになる。つまり、名誉はりっぱな結構な特典をあたえてくれるが、不名誉もそれにおとらぬ結構なものであって、むしろ不名誉の特典はまったく広大無辺ともいえる性質のものである、というものであった。

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障害者には健常者が描く世界はほとんどファンタジー

私の別ブログに載せた、ある人の投稿記事の一部だが、現代の「笑い」の性質を通じて現代日本の世相をなかなか見事に浮き彫りにしていると思う。

(以下引用)引用したすべての部分に同感しているわけではない。「万能の空白」という言葉も、それに関する言葉もかなり意味不明だし、共感できない。しかし、障害者から見たら、この世界のテレビドラマはほとんど「ファンタジー」だというのはかなり鋭いと思う。


私は生まれつき障害者で、弱者側の人間なので、
ぶっちゃけ、ドラマやバラエティで「普通」ということになっている舞台や環境、セリフに全く共感できません。「ハリポタと同じファンタジー」だと思いながら、見ています。
「そうそう、こんな世界あって、こういうことができたら笑えるだろうな」みたいな。



「仕事先の銀行で大金を横領してキャバクラ開いた」
→仕事いくとなぜか首になるので、そこまでやったことないので想像できない
→ご飯食べられるだけで幸せなのに、なんで大金とるの?



「ふらりといった旅行先で殺人事件に巻き込まれた、大変!」
→障害上、頭の中で考えながら行動できないので、修学旅行のしおりのように「これから何が起きます」とあらかじめ分単位で予定された通りに行動しないと、外に出られませんが何か?



なんというか、私が障害もちで特殊なせいかもしれませんが、多分一般レベルでも
「普通の定義が普通じゃなくなってきている」せいもあると思います。



「普通にご飯を食べ、進学し、就職し、結婚し、普通に子供を持ち、普通に育児やって、普通に家を買って、普通に年金を受けて老後を生きる」
この普通の前提が今は全部崩壊しているので、「笑いを生むための平均的な共通項」がなくなってきてるのです。



ある意味、教育やインフラや歴史が崩壊してて、共通言語もない多民族の途上国で
「何をやったら相手(どんな背景持ってる人か全く想像できない相手)は笑ってくれるのか?」を考えるのと同じ状態です。



だから「メチャクチャ」「カオス」「おかしな動き・言葉」しか
もはや笑いを作る方法がないのかもしれません。



「普通が崩れてしまった」状態だから、「その場のおかしなセリフの繰り返し」「素っ裸」「ゾンビ(人を食う、死なない)」など、一目でわかる「異常」、「いじめたり殺してもどこからも文句がこない存在」を演出しないと笑いやネタが取れなくなったのかもしれません。



これ、冷静に書いてみると、統合失調症か、精神異常者の行動とあまり変わらないようにも見えますね。(障害者側からいうのもナンですが)



つまり、精神異常者の行動は「笑える」ってことですけど(少数派、異常なので)
それをうまく書き換えて普通に見える人が演じる・またはものすごく異常な格好した人がやることで、ギャップで笑いを作ろうとしてますけど



ネタの根底が「弱者、障害者」なので、一瞬は笑っても、ずっとヒットする・長年親しまれるような笑いに根付かないんじゃないかなーと思ってます。



笑いの根底とは「おどけて、いじられたいと思っている人が笑われる」
(個性がたまたまあるけど、いじられたいと思ってないのに、回りが勝手に「かまってあげてる」と解釈していじると、いじめになる)



「そうじゃないだろ」とツッコミ待ちのボケ



頭がいい人・権威ある人がなぜか「実は当たり前のことができない」、といった「万能の空白」
のような、オーソドックスな笑いが結局ずっと使えると思いますが…



親父ギャグ、一発ギャグ…これはちょっともう古すぎてダメなんでしょうね。
なんというか笑いを作ろうとしても、余裕がなさすぎて。
どちらかというと、笑いの代わりに「癒し」を求めてる気がします。



笑いは「希望や元気」があると欲しいものですが、今現在、世の中に希望や元気がないので
まず疲れを癒して、回復して、元気になってから、「笑えるものが欲しい」と思うかと。



安心の定義も崩れ、エネルギーがかなり低下していて、回復・治療・希望作りを
まず先にしないと、笑ったり、何か生み出す元気もない状態のような気がします。

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日本の仏教という、インチキ仏教

司馬遼太郎の「以下、無用のことながら」は、タイトル通りに無用の文章がほとんどを占めている(司馬の個人的交友関係に関する文章が多い。友人の訃報に関する記事など)が、中には面白い文章もある。真面目な講演記録や歴史考察などだ。その中に、仏教、特に浄土宗や浄土真宗を論じた文章があって、なかなか興味深い考察をしている。私はその浄土真宗擁護の根本思想には反対だが、考察に値する文章である。
引用すべき箇所を探すのも、それをワープロ打ちするのも面倒なので、大意を先に書いておくと、「大乗仏教は釈迦の教えではない」ということである。仏教とは釈迦の教えが土台である、とするなら、「現在のほとんどの『仏教』は仏教ではない」ということだ。本来の釈迦の教えは「個人的悟り」に至る道であり、つまり「小乗仏教」こそが本物、本来の仏教だ、ということだ。そして、釈迦の教えには天国(浄土)は存在しない。つまり、浄土宗のような「厭離穢土欣求浄土」という思想などは、釈迦の教えに反しているわけである。
釈迦の教えは文字化されたものはほとんど無いが、その中心思想が「空」であることだけは確かなようだ。とすると、「般若心経」こそが釈迦の教えの本質だと見てだいたい正解だと思われる。
ただし、司馬の文章は、彼自身が浄土真宗を信じる土地や家に生まれたことから、上記のことを明確には言っていない。ポイントはただ、大乗仏教(個人的悟りを目的とする禅宗を除く日本のほとんどの仏教はそれ)は釈迦の教えではない、ということだけだ。
司馬の言葉を引用する。

要するに浄土思想というのは、輪廻の思想が日本人に合わなかったので、鎌倉期くらいでストップした、そして浄土思想に転換したのだろうと考えています。
浄土思想は、地理的に西のほうに浄土があり、そこへ行くんだというだけですから、輪廻はそこでストップするのです。

まあ、これ(輪廻の思想が日本人に合わなかった)は浄土宗の成り立ちについての司馬の妄想の可能性が高いが、浄土宗が「浄土」の存在を大前提としているのは教派名から明らかである。では、その浄土はどこにあるかという時に、なぜ「天にある」としなかったかというと、これは私の推測だが、天はすでに皇祖によって占拠(著作権登録ww)されていて、はばかりがあったからだと思う。そこで、「西方浄土」という概念を作った、あるいは仏教の経典はインド(西方)から来たからそこが浄土だとしたのだろう。では、西へ西へとどんどん行けば誰でも浄土に行けるではないか、と思っても、それをナンセンスだと思う人はさほどいなかったのだろう。まあ、当時の人間には、日本の外の世界というのが想像できなかったから、それで済んだわけだ。
釈迦はおそらく「念仏称名」などまったく言っていないだろう。そもそも、念仏だろうがお題目だろうが、それがなぜ仏教の小道具になるのか、私にはまったく理解できない。そんなのは仏教というか、釈迦の「空」の思想と何の関係も無いではないか。要するに、念仏やお題目というチケットを買えば、誰でもディズニーランド(浄土)に行けます、みたいな思想である。
もちろん、それで無学な庶民が安心立命できるから、詐欺でも「良い詐欺」だと言えないことはないがそれを釈迦の教えだ、仏教だ、というのは大局的には害が大きいだろう。つまり、オウム真理教や幸福の科学を非難できないことになる。極論すれば、「仏教とは空観がすべてである」とすべきである。






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日本古代史についての東海アマ説と、その批判

東海アマブログ記事で、かなり独断的で妄想的な内容だが、日本史の本質的部分をある程度示唆しているところもあって興味深い(というか、私とかなり一致する部分もある)ので転載する。
朝鮮半島から来た民族が日本の上級国民になったのだろうとは私も思うが、気質が遺伝的に決まっているとは私は思わない。そこが東海アマ氏の強迫観念的で、異民族排斥的で陰険な部分である。日本人全体が雑種化している現代に、異民族排斥思想の氏は、かなり度し難い。自分の中の血の一部を排斥するのか。排斥するなら、むしろ、日本人を植民地奴隷化している米国人を排斥すべきだろう。
武士というのは本来は上級国民ではない。昇殿も許されない、「貴族の使役人」だったのである。少なくとも武士は渡来系ではないはずだ。いや、彼らの一部は渡来系だろうが、大半は、大和朝廷に追われて東北を本拠とした日本原住民(これを縄文民族と言ってもいい)の末裔と私は見ている。つまり「東夷」である。渡来系の弥生民族の特徴も戦闘性にあるのではなく、むしろ「政治力」「謀略」「文化」にあっただろうというのは「日本書紀」や「古事記」で分かる。単なる戦闘力では東夷のほうが強かったのである。その後裔が源平争乱の源氏である。ただし、その頃には血の混交が進んでおり、縄文時代からの「気質」はさほど問題にならない。源頼朝は、京都、あるいは書物で学んだ「政治力」で平家を倒したのであって、武力はその一端にすぎない。
江上波夫の「騎馬民族渡来説」は「騎馬民族」という言葉が良くない。騎馬という習慣は、渡来民族の主な特徴ではない。そして日本では騎馬というのはほとんど習慣化されなかった。当たり前である。騎馬というのは広い平野と道があって成立する行為だ。山岳地帯が多く平地の少ない日本では幹線道路ができるまで不要の習慣である。(幹線道路ができても、馬には荷運び以外の用途はほとんど無かったのではないか。昔は庶民は「歩くのが当たり前」であり、歩くのを億劫がるのは現代人的発想だろう。)戦争で騎馬兵が重要性を持つのも源平争乱以降だろう。ついでに言えば、昔の馬は現在で言えばポニー程度の大きさのようだ。だから人間が肩にかついで急坂を下りることも可能だったわけだ。当時の馬というのは機能的には原付バイク程度だったのではないか。要するに、「騎馬民族」という言葉には実体的意味はほとんど無い。

(以下引用)



 
 日本人の同調圧力の強さについては、これまでもたくさんブログを書いてきた。
 「生きるということは、みんなと、いっしょでいることだ」
 この同調的発想が、良くも悪くも日本人の特性を定めてきた。

 日本という国は、四方を海に囲まれた島国なので、ちょうど孤島に暮らす民族と同じ本質がある。
 小さな孤島に数百名の人々が生き抜いていれば、自ずと生きるための知恵が整ってくる。その最大の知恵は、みんなが協力することであり、自分勝手を許さないことだ。
 「共通するルール」を守って生きる……ことが孤島に軋轢を生まずに、一致団結して困難にあたり、生き抜くための最大の知恵になるのは当然のことだ。

 だから、孤島の共同生活には強い同調圧力が作用する。掟を守らないと「村八分」の制裁を受けるのだ。日本列島という単位も、この延長にある。
 日本社会は、孤島に生きる住民たちに似た強い同調圧力と集団行動の社会である。

 海によって閉鎖された孤島とは逆に、縦横無尽に開放された大陸の土地では、自分のやりたいことをやれる条件がある。どんなに人とかけ離れた奇矯な生活をしても、文句を言う人もいない。何か問題があれば、自由に逃げ出せるのだ。
 だから、そんなところでは、同調圧力が成立しない。思想の幅が広くなると同時に、孤島の共同体では起こりえない、残虐な戦争、強奪、大虐殺が起きて、人々の格差も極端に拡大してゆく。

 こんな条件が、たぶん大陸の中国人と孤島の日本人との思想性の違いを作ったと考えて良いと思う。
 孤島の日本では、同調圧力によって大きな格差は許されなかった。そして、みんなを思いやり、いたわる人間性が育まれた。
 だが、開放された大陸では、強盗や殺戮が常習化し、みんなをいたわる気持ちが育つ前に、自分を大きく強くし、都合が悪くなれば、どこかに逃げ出すという発想が育つ。

 中国では、械闘という歴史的な武闘習慣があり、無法集団による集落ジェノサイドが珍しくなかった。ある日突然、集落が襲われて皆殺しにされるのだ。
 だから客家の集落は、械闘襲撃に備えて円楼という要塞になっている。
 https://media.eurasia.co.jp/china/fukkendorou

 また、人の近寄れないような凄まじい断崖絶壁の上に集落が作られていることも少なくない。
 https://japanese.cri.cn/20200523/7bea627b-fb9b-d40d-f59f-a0754dcfed2a.html

 いつ襲撃されて皆殺しにされるか分からないという中国社会の恐怖が、このような超孤立の要塞村を出現させたのだ。
 日本には、襲撃を恐れた要塞村は少ない。ただ、2600年前に蘇州呉国民がボートピープルとして北九州に移住し、弥生人国家を形成した。これが瀬戸内海を東進し、大阪湾に至り、紀伊半島を回って静岡県付近まで弥生人集落を形成したことが分かっている。

 呉国には械闘習慣があり、弥生人にも引き継がれた。だから、瀬戸内沿いの弥生人集落には吉野ヶ里のような戦争に備えた環濠集落がたくさん発見されている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E6%BF%A0%E9%9B%86%E8%90%BD
 日本の武家社会における山城や城塞も、その延長と考えられる。

 しかし、おおむね、日本社会には武家以外で、要塞村を作り出す人は少なかった。
 なぜ武家が、争いを好んだかというと、AD300年前後に、百済から弓月氏(秦氏)が120県(20万人)という規模で日本列島に移住してきたことが大きい。
 まだ日本全土で100万人程度しかいなかった頃だ。もちろん彼らは一大勢力となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B

 秦氏の正体は、「秦の始皇帝の子孫」を名乗る軍事集団だった。馬を使った戦闘集団で、「騎馬民族」として、それまで馬を知らなかったヤマト社会を武力で乗っ取ってしまっった。これが江上波夫の騎馬民族征服王朝説である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC

 ちなみに、私は、あらゆる民俗学的状況証拠から、この学説を完璧に支持しているが、万世一系説を信奉する極右系の人々は、未だに反対しているようだ。
 弓月氏が来てからというもの、それまでの弥生人文化は一変することになった。
 円墳は方墳に変わり、騎馬民俗文化として、乗馬ズボンや鬟結い、直剣が登場したのだ。それまでは稲作に適した呉服と、刈り取りに適した曲剣だった。

 彼らのなかから天皇家が生まれたことがはっきりしている。たぶん継体天皇が最初の騎馬民族天皇ではなかったか? ズボンを履いた聖徳太子も子孫である。
 彼らは基本的に軍事集団だったので、日本の武家の大半が彼らから始まっている。
 代表的なものが藤原氏だ。藤原氏に代表される武家は、東山道を通って奥州にまで達した。源平藤橘も、藤原氏の子孫である。

 彼らは、とても戦争が好きで、日本社会を戦乱の世に変えたのは彼らだ。
 元々、孤島の日本人は、戦争を好まなかった。しかし、大陸からやってきた弓月氏→藤原氏=源平藤橘は習慣的に戦争社会を目指したと考えてよいと思う。
 ここで、日本社会には戦争の大好きな、大陸系の騎馬民族の末裔と、農耕に生きる平和主義者の人々に二分化されたと私は考えている。

 ちなみに弓月氏(秦氏)は、元々弓月国(キルギスタン)から来たのでツングースの慣習どおり先祖地を名乗ったのだが、キルギスは、実は「失われたユダヤ十氏族」の地である。
 つまり、イスラエルから逃げ出した十氏族の一部が逃げ出して日本列島にたどり着いたことになる。だから旧約聖書を、そのまま日本社会にも導入した。
 その思想は「神道」にそっくり引き継がれている。諏訪神社や伊勢神宮、平安神宮などでは、旧約聖書に描かれた創世記のイベントが、そのまま現代にまで残っている。

 例えば、イサク祭や木落、祇園祭などで、藤原氏(秦氏)が欧州まで移動した東山道沿いには、私の住む中津川市を含めて、大半の神社が「ユダヤ神社」と称された八坂神社(ヤーサカ=祇園社=牛頭社)の末社ばかりになっている。

 弓月氏=秦氏が日本列島に移住してから、弥生人による円墳は方墳になったのだが、その方墳は、誰も理由が分からない「前方後円墳」である。
 ところが、この奇っ怪な形の謎は、秦氏がユダヤ人の末裔であり旧約聖書を信奉していたという前提がつくと、瞬時に解決する。

 それは、旧約聖書における、モーゼの十戒と三種の神器を見れば分かる。
 ①十戒を刻んだ石板 ②アロンの杖 ③マナの壺
 を形象化した宗教的祭器と考えるなら、十戒石板と銅鏡に関係がありそうだし、アロンの杖は、最近発掘された蛇行剣、草薙の剣、そしてマナの壺こそ、前方後円墳の姿そのものである。
 上から見た仁徳陵は、巨大なマナの壺であり、民衆に永遠の食を約束する神器なのだ。民のかまどの煙を見た仁徳にふさわしい、永遠に民を飢えから解放するための神に与えられた形象なのである。

 日本の民衆は、戦争大好きな騎馬民族から、平和と安定を尊び、八百万の神を信奉する神道の民へと変わっていった。
 安定平和を実現するために、もっとも大切だった思想は、同じ神を信奉し、その規律を守る同調圧力だったかもしれない。
 そして全国津々浦々に残されている祭りが、共同体の連帯意識を支えた。

 つまり、全国の集落は、同じ神を祀る連帯感と同調圧力によって生き延びてきた。
 ただし、それは武家ではない人々のことだ。
 秦氏=藤原氏の末裔たちは、全国の武家階級となり特権階級となった。
 ここには、騎馬民族特有の権勢争奪戦の習慣が残っている。

 明治維新における四民平等は、武家を消してしまったが、その末裔の多くが、特権的地位と資産を利用して、明治資本主義下にあっても、特権階級のまま移行した。
 つまり、新興資本家の多くも武家階級出身だった。平民百姓出身の資本家は、あまり聞いたことがない。

 彼らにとって、資本主義は、あらたな戦場であり、騎馬民族の本能を呼び覚ます戦いの場だった。
 彼らが金儲け戦争のために利用した一般大衆は、同調圧力に訓練された、「みなと同じでいたい」という実に使いやすい人々だった。

 日本社会には二種類の人々がいる。つまり、元武家出身で本能に戦争がすり込まれている争い大好きの人々。これは秦氏末裔であり、天皇家もそうで、第二次世界大戦における軍人たちの多くもそうだった。
 かれらは明治維新後、武家の身分を剥奪された後も、資本家として君臨することが多かった。

 もう一つは、孤島にあって平和な同調生活を好んできた、心優しい人々だ。彼らは、人の上に立って、人を利用することを好まず、同じ仲間の幸せを願う穏やかな人々であった。
 彼らは、資本主義勃興期から現在に至るまで、大人しい同調圧力の強い労働者として底辺社会を支えてきたのだ。
 彼らは「みんなといっしょでいたい」のである。

 騎馬民族末裔のように、自分だけ特権を得て、自分だけ大金持ちになりたいなどと考えない。ただ、人々の笑顔を糧として、穏やかに生きていきたいのである。

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マルキシズムという悪質な宗教

「紙屋研究所」から転載。一部省略。私は「風たちぬ」も「君たちはどう生きるか」も見ていない。要するに、「理想主義」と「現実主義」の相克という永遠の問題が宮崎駿の強迫観念なのだな、という感じであるが、紙屋氏のようなマルキストがマルキシズムを理想主義としているのか現実主義としているのかよく分からない。私は、理想主義ですらなく、人類のかなりな割合(特に、善良で誠実な人間たち)に不幸な人生を送らせた悪質な御伽噺であり、一種の宗教だと見ている。
資本主義は単なる現実主義で、思想ですらない。だが、現実だから強い。その悪質さ、悪への傾斜にも関わらず、強いのである。まあ、無数の人々を足元に踏みにじる怪物である。

(以下引用)冒頭の「これ」は「風たちぬ」のこと。


 これに比べて、「君たちはどう生きるか」はある意味、シンプルな作品である。


 戦火——空襲の炎で死んだ母親。*1


 少年はまだそのような母親の死を社会や歴史の文脈に乗せてとらえることさえしていない。しかし作品全体には「戦争によって母親を失った」ことが主人公の少年に重くのしかかり続ける。そのような戦争がない社会…という直接的な比喩は一切用いていないが、そのことが念頭にあるに違いない。もちろん、そこをもっと緩く捉えて、気候危機による人類の破滅などといった人類の存続に関わる様々な問題だと感じてもいいだろう。


 大叔父は、石を積んで危ういこの世界の均衡をどうにか成り立たせてきた。


 しかし、その努力ももはや限界である。


 大叔父は、この世界をどう構築するかを、少年に託そうとした。


 しかし、大叔父が少年に託そうとした石は「悪意に染められていない石」であった。「石」は「意思」のようにも思えてくる。


 「悪意に染められていない石」を積んで世界を再構築しようとする試みを、少年は断固拒否して、「奪い合い、殺しあう世界」、争いや矛盾、悪意に満ちた世界と格闘することで、世界の再構築をする決意をし、現実の世界=歴史へと戻っていく。


 ぼくには「悪意に染められていない石」というのは、徹底した理想論を想起させる。


 例えば武力に一切頼らない日本国憲法の前文、および第9条のように思える。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(日本国憲法前文


 あるいは、勢力均衡の世界が戦争を招いた反省から、集団安全保障の理想を掲げた国際連盟国際連合の比喩のようにも見える。


 


 戦火のない世界を「悪意に染められていない石」によって構築しようとする試みは、失敗したかに見える。「悪意に染められていない石」を粗雑に積み上げて、それをぶち壊してしまうインコ大王の振る舞いは、「憲法9条など空論だ」「国連など無力だ」と理想主義を嗤い、悪しき「現実主義」に身を委ねた人々のようにも見える。


 インコ大王は、理想の中に侵入してくる現実である。現実は理想に侵食し、理想に妥協を迫る。理想は「時間が欲しい」といってその侵食と折り合いをつけるのである。


 大叔父は、もはや老境に達した宮崎自身のようにも見えるし、宮崎だけでなく、戦争の中で積み重ねられてきた理想の知恵、例えば日本国憲法であるとか、戦後民主主義の姿のようにも見える。


 吉野源三郎が『君たちはどう生きるか』で主人公のコペル君を導いた「叔父さん」をも重ねているかのようだ。「叔父さん」という知恵は、日中戦争が勃発し、戦争の暗い時代が始まるさなかに、自分だけ・自国だけの視点ではなく、世界の中の自分、社会の中の自分という視点を持つように訴えた。


kamiyakenkyujo.hatenablog.com


 


 宮崎駿はかつて、マンガ版『風の谷のナウシカ』で、浄化された理想論としての共産主義マルクス主義を批判した。


kamiyakenkyujo.hatenablog.com


 


 当時の宮崎の雑誌インタビューだ。同様の表明を当時ぼくは読売新聞などでも読んだ。


いちばん大きな衝撃的だったのは、ユーゴスラビアの内戦でした。もうやらないだろうと思っていたからです。あれだけひどいことをやってきた場所だから、もうあきてるだろうと思ったら、飽きてないんですね。人間というのは飽きないものだということがわかって、自分の考えの甘さを教えられました。(「よむ」1994年6月号、岩波書店



ナウシカ』を終わらせようという時期に、ある人間にとっては転向とみえるのじゃないかというような考え方を僕はしました。マルクス主義ははっきり捨てましたから。捨てざるをえなかったというか、これは間違いだ、唯物史観も間違いだ、それでものをみてはいけないというふうに決めましたから、これはちょっとしんどいんです。前のままの方が楽だって、今でもときどき思います。……労働者だから正しいなんて嘘だ、大衆はいくらでも馬鹿なことをやる、世論調査なんて信用できない。(同前)


 


 下図は、漫画版『ナウシカ』のラストで、ナウシカ墓所の主と対決するシーンである。墓所の主が、理性に基づく清潔な理想を語り、ナウシカは大ゴマでその理想を力強く否定する。この拒絶に、今回の主人公・真人の拒絶と同じ力強さを感じないだろうか?




宮崎駿風の谷のナウシカ』7、徳間書店、p.196

 


 漫画版『ナウシカ』で宮崎はユーゴスラビア内戦に直接のきっかけを得て、マルクス主義放棄を宣言した。それを聞いたときぼくは、まあマルクスを救い出すためにムキになって反論したという側面はあるのだが、宮崎が言いたかったことは、絶望するほどの現実と泥まみれで格闘することなしに、主義や理想だけで世界が変わるなどということは金輪際ありえないというその覚悟を問うことだったのだろう。今となってみれば、宮崎の言いたい気持ちは痛いほどわかる。


 基本的にはこのような理想主義批判と現実主義を、宮崎は本作でも繰り返した。


 しかし、かつてのマルクス主義の放棄とは違って、宮崎にとって、この1、2年の世界情勢の推移はより切迫し切実したものになったに違いない。*2


 「『風立ちぬ』を批判する」でも紹介したが、宮崎自身は、名うての反改憲論者であり、日本国憲法が掲げる理想の規範を高く評価する人物である。


 だが、ウクライナ戦争をはじめとする国際情勢は、そうした理想主義が果たして次の時代も通用するかどうかを激しく問うている。主人公から母親を奪った、そのような戦火をどうしたらなくせるかという問いをたてたとき、「悪意に染まっていない石」を積んで理想世界を実現させるたくなるのが、戦後民主主義世代だろう。


 ただそこをあえて、「殺し合い、奪い合う」現実世界と格闘することで、新たな世代は作り出せと言おうとしているのではないか。他方で「悪意ある石」を主人公(真人)は拒否しており、それは現実への屈服や虚無主義のようなものだと言える。


 宮崎自身は「大叔父」に重ねられているのだから、今さらその立ち位置は変えられまい。彼らの世代の努力で石=世界の均衡はどうにか保たれてきた。しかし、それを引き継ぐ世代は、もはやその「悪意に染まっていない石」を積み上げた理想主義だけでは対処できず、現実そのものと格闘しなければならないのだと言いたいように思われる。


 ぼくも宮崎の後の世代にはなるのだが、ではこれまでの理想主義は全く無駄かといえば、そうは思わない。アメリカに従属してその戦争に動員される危険を抑止する強力な武器として憲法9条は引き続き機能するであろうから、リアルな現実と格闘する武器として理想主義を活用すべきだというのが、ぼく流の「どう生きるか」である。


 


 下図で、墓所の主が語る理路整然とした美しい理想主義に対して、ナウシカが「清浄と汚濁こそ生命」だと切り返しているのは、他方で薄っぺらな現実主義には拝跪せず、しかしあくまで「清浄」=理想は捨てないというその難しい均衡を示している。


 理想主義への徹底した批判を加えつつも、その理想そのものは決して捨てないところに、戦後の進歩的知識人であった宮崎の面目躍如がある。今回はそれを一層現実主義にスライドさせたが、それでも理想は捨てていないのが宮崎であろう。




宮崎前掲書p.200

 このテーマ性こそ、宮崎の「最後の作品」にふさわしい。彼が生涯問いかけたものであり、引き続き後続世代に考えてほしいと願ったテーマだろう。もちろん、この後ひょっとしてまた作るかもしれないし、もっといいものができるかもしれないが、この時点で宮崎が放つべき作品のように思える。

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努力と才能

これは、米山隆一が正しいだろう。世のブラック企業経営者や教育ママは武井派がほとんどだと思う。そして多くの人、多くの子供を不幸にする。
米山の言うことは非常に大切で、努力するにしても才能のある方向に努力することが大事で、才能の無い方向に努力すると一生をフイにする。だから、多くの事に触れて、自分は何が好きか、何に向いているかを知ることが一番大切なので、私のように怠ける(ボケッとしている)ことが好きという人間でも何かを考察したり文章を書いたりすることはまったく苦にならない。もちろん、それが娯楽だから苦にならないのである。
もっとも、たとえばパチンコが好きだから、それを一生やろうというのは間違いで、娯楽でも、あるいは純粋な娯楽だからこそ仕事にはならないことがある。女が好きだから、ホストを一生の仕事にしようというのも大間違いで、60歳70歳のホストにあまり需要は無いだろう。女を食い物にする覚悟と冷酷さ、下劣さがあってこそ成り立つ商売でもある。
ただ、武井の言うのは、スポーツだけに関して言えば、「正しい努力をせずに我武者羅にやってもダメだ」というのが彼の主張の本質で、多くの人は単に走るだけでも「正しい走り方をしていないから成績が伸びない」のだ、ということだ。これは正しいと思う。世の9割の子供は正しい走り方を知らない。教えられもしていない。もっとも、それで記録を数秒伸ばしても、才能のある人間には太刀打ちできない、というのが米山の言い分で、それも正しい。

(以下引用)

米山隆一さん、武井壮にレスバトルを申し込む。「才能によって努力に要するエネルギーは段違いです」

 

引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/

1: それでも動く名無し 2023/07/19(水) 18:46:09.53 ID:qwT/S/sbM
うおおお
no title

no title
2: それでも動く名無し 2023/07/19(水) 18:47:24.81 ID:PkICYVFQM
たまにまともになるよなこいつ

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