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頭の良し悪しと指向性

頭の良し悪しとか、「地頭がいい悪い」というのは何なのか、少し考えてみる。
まず、「地頭がいい」というのは、学校の勉強はできないが、状況に応じた理解力や判断力はいい、ということかと思う。したがって、「東大卒は地頭がいい」という言い方は、「地頭」という言葉の使い方としては間違っているのではないか。
もちろん、地頭のいい人間が勉強をしたら、東大にだって入れるかもしれないが、勉強などにはまったく向かないタイプの頭の良さ、というのもあるのではないか。芸能界や不良ややくざの世界で頭角を現す人間や、あるいは戦国時代の優れた武将などは、「学問的頭脳」ではなく、地頭が良いタイプだろうと思う。もちろん、度胸の問題もあるが、それはここでは論じない。

私は学校の勉強も苦手で地頭も悪いのだが、物事を大局的に見ることと、直感的な正否の判断というのは割と優れているのではないかと自惚れている。だから、これまで書いたブログ記事の中でも、それほど間違ったことは書いていないと思っている。人間を見る目もわりとあるつもりだ。これまで他人に下した評価を変える必要があった経験はほとんど無い。
ただし、今でも分からないのが、「容貌で頭の良し悪しを知る方法」で、これは写真などを見ても、その人物が頭がいいか悪いかはほとんど判断できない。まあ、精神薄弱者くらいになると特有の顔つきがあるが、顔で分かるのはその人の人格であって頭脳ではない。そして、人物判断で重要なのは人格の方なのである。

人間、ほとんどの人はIQが90から110くらいの間で収まるのがふつうで、現実生活をやっていくのに頭の良し悪しなど、あまり関係は無いのではないか。
もちろん、学問研究では頭の良し悪しは大事だろうが、科学者の世界でさえ、「あまり頭の良すぎる人間は研究者には向かない」とも言われているくらいなのである。まあ、「頭が良すぎると先読みをしすぎて、未知の世界に踏み込むことをしないで安全確実な道を選ぶから大発見はできない」ということらしいが、これは頭の良し悪しというよりは、「指向性」の問題だろう。
私が将棋をやったら将棋のプロに何万回やっても1回も勝てないだろうが、彼らの頭が私の何万倍も良いとは思わないのである。彼らは将棋が好きだから、何万回も将棋を指してきた、その経験値の違いだとしか思わない。何の道に進み、どれだけ努力をしたかが問題なのであって、頭の良し悪しはさほど問題ではない、と思う。




fromdusktildawn @fromdusktildawn 4月15日

若い頃、「東大卒は地頭がいいから、何をやらせても、すぐに学習して、いい結果を出してくるだろう」という甘い考えで、東大卒を採用して、惨憺たる結果になったことがあった。さらに、「地頭が良い=仕事で役に立つ」というわけでもないんだよなぁ。採用は難しい。


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