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西洋的個人主義(利己主義)と日本の「大和(だいわ)の精神」

「神戸だいすき」は、個々の事例へのたいていの主張は他人の主張の受け売りで、「耳から即座に口へ」という印象なので、その主張を真面目に読むことはないが、情報収集に熱心なので、その点は偉いと思う。まあ、お喋りばあさんである。話の半分くらいは自慢話(苦労自慢も含む)というところもウザイww
しかし、ここに書かれた「主張」は、なかなか的を射た意見に感じる。
この前、佐藤優の「危ない読書」という新書版の古本(古本の新書ww)で読んだ、「国体の本義」という、GHQに禁書にされた、日本の「右翼書」として知られている本の中心思想に通じるものがあるので、それも後で転載しよう。
その思想を簡潔に言えば「日本は大和(だいわ)の国」である、というものだ。つまり、「和を以て尊しとなす」思想が、日本人の魂の根底にある、というものである。これは私も同感で、白人のエゴイズム思想(白人的個人主義)とは対極的なのだが、マスコミと教育(受験だけが目的の教育)の力で、日本人の精神が極度に利己的、かつ、力がすべて、という「実力主義」になっているのは誰でも認めるだろう。実力主義とは「弱者切り捨て思想」なのであり、「大和」の精神の対極にあるのである。
その悪質なエゴイズム精神(罰さえされなければ法やルールを無視してもいい)の矯正策としては、東海アマ氏の言う「利他主義」は極論であり、「和の精神」が正解だろう。己も他も和の一部なのである。(この思想をさらに敷衍すれば、「生命全体が共生体である」という、手塚治虫の「  火の鳥」の思想になる。そこに自らを捨てて他者を生かす「自己犠牲」の思想も発生しうる。)

既に載せたコピー画面の後に別の文章を書くと、コピー画面仕様になるので、先に「国体の本義」の当該箇所を引用しておく。原文のベースは哲学者和辻哲郎のものかと思われる。文中のカッコ内は私の補足。送り仮名は当時のもの。文語的表記もあるが読みやすいはずだ。「夫々」は「それぞれ」と読む。「同じう」は「同じゅう」と読む。原書では、この後に聖徳太子の「和を以て尊しと為す」の言葉が引用されているという。

「要するに我が国に於ては、夫々の立場による意見の対立、利害の相違も大本を同じうするところより出づる特有の大和によってよく一(いち、ひとつ)となる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壊を以て終らず、成就によって結ばれる。ここに我が国の大精神がある」




(以下「神戸だいすき」から引用)

日本人の魂は、見てくれでは死んだみたいに見えるけど、決して死んではいないよ。

それどころか、この円安(これだって、自然現象じゃない。仕組まれている)で、日本のいいものが、どんどん世界へ出て行って、また、外国人が日本にやってくる。


最近、盛んに「外国人がびっくりする日本のいいところ」というyoutubeが出ているけど。

あれを見ながら、こちらとしては、

「え?外国では、子供は一人で道も歩けないの?まして、電車に乗れないの?まして、夜道を歩くこともできないほど、治安が悪いの?」と、驚く。

まえまえから、感じていたけど、やっぱり、白人は質が悪いね。頭が悪いのかな?

日本人は、どうやったら、みんなで幸せに暮らせるかを一番に考えるのに、彼らは、他人から奪うことしか考えていないんだね。

思想が間違っている。

戦後の日本人は「不戦の誓い」の下、平和を追求するために、ほかのすべてを捨てた。
でもね、日本人の魂を捨てたりしてない。

「共生の思想」は、日本以外では、まず、存在しない。

日本人は、魂の発揮の方法を変えただけだと思う。



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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