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礼や作法や義理の意味

引用ツィート内の「儀礼体」は誤記で、後で「儀礼的」と訂正されている。

「日本を救うのは無礼と不作法と不義理だぞ」という断定が面白い。
要するに、「礼」と「作法」と「義理」が日本を窒息させている、ということだろう。窒息だけでなく脳梗塞で半身不随かもしれない。実際、社会生活の大半は他人への忖度であり、それが「礼」や「作法」や「義理」とされることで、絶対化している。その一方で、安倍政権に見られるように、ほとんど犯罪者的な連中が上級国民となって好き勝手なふるまいをしている。つまり、礼や作法や義理は下級国民を縛っているだけだろう。また、日本全体として礼や作法さえ表面的に守れば、悪行をしても見逃される、というところもありそうだ。
日本人はもっと「本物の批判精神」と「抵抗精神」を持つ必要がある。
私はヤンキーや不良が大嫌いだが、彼らの反抗精神(実際には集団内部の強い者に従うだけ、というところもあるが)や勇気(勇気を見せる対象が間違っていることが多いが)は評価するところもある。しかし、社会的な規律には反抗する彼らが、仲間内の作法にはうるさいらしいのが笑える。まあ、そこはヤクザ世界も同様だろう。
要するに礼や作法というのは本来、私的集団内部の「締め付け」である、ということだと思う。つまり、組織内部の上層部の利益を守るために作られた規定である。なぜなら、礼とは基本的に上下関係の確認の作法だからだ。



(以下引用)



  1. とかなんとか言っているこの私にしてからが、いったん送信したツイートに文章のつながりの悪さを発見すると、いちいち訂正しては再送していたするわけだから、まことにうちの国の人間の真面目さは実に救いがたいと思うことであります



  2. 何十万という人々の午前中が、ただただ儀礼体なメールに返事を書くことのためだけに費やされていると思う。なので、私は、極力無愛想な、用件のみのメールを書くことを心がけている。無礼なヤツだと思う人もあるはずだが、日本を救うのは無礼と無作法と不義理だぞ。






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