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東海アマ氏による「ヘーゲル思想」解説

「東海アマ」ブログ記事の一部だが、ヘーゲルの「絶対精神」なるものは、私には直観的に大馬鹿思想に思えるのだが、批判的に論考する気力も無いので、アマ氏の文章を転載して、思考素材として提供するだけにする。
まあ、プラトンのイデア論と仏教の輪廻思想とユダヤ的神秘思想と弁証法をミックスしたら、こんな奇妙な思考になるのだろう。
で、この世界のどこに、絶対精神を実現した存在がいるのだ? 何億年の輪廻の果てに、まだひとつも絶対精神など世界に生まれていないではないか。そもそも、「すべての存在」が究極は絶対精神になるのなら、とっくの昔に世界は絶対精神で満杯だろう。猫も鼠も糞も石ころもすべてが絶対精神、つまり神になるのか? まあ、「世界=神」という思想なら、少しは面白い。我々は神の見ている夢の中の存在だ、というわけだ。


(以下引用)


 私は、高校生のころから哲学に関心を持ち、マルクスやヘーゲルを学ぶ機会があった。
 そして、ヘーゲルの「絶対精神論」こそ、宇宙と人生の究極の本質を示すものと確信を抱いた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%B2%BE%E7%A5%9E

 「絶対精神」というのは、一人の人生でもいいのだが、原理的には宇宙のすべてのものが「合理性」というエネルギーポテンシャルに導かれて、変化(否定の否定・対立の統一)を繰り返し、やがて絶対精神=イデーという終着駅に達するというもので、人生の場合は、「輪廻転生」を繰り返して、あたかも双六のように運動しながら、最期にはイデーという「上がり」に到達するというものだ。

 輪廻転生で矛盾のカルマを克服し、すべての矛盾を克服したとき、人(モノ)は、やがて超越的存在=神の領域に至るというもので、絶対精神に向かうプロセスこそ、人生の本当の意味であるというものである。

 つまり、人は神になるために生きて死に、次々に生まれ変わるのである。輪廻転生によって新しい人生で過去のカルマを解消し、少しずつ矛盾のない完成された人格に向かって歩み続ける。
 人はたくさんの失敗を繰り返し、たくさんの人生を経験することで人格が完成してゆき、最期には、転生不要の絶対精神が待っているわけだ。

 こう考えると、自分の過去の間違いや愚かな所業に苦しんでも、「次の人生で克服すればいいのさ」と気楽に考えることで大いに救われるのである。
 私など、ひどい失敗だらけの人生だったから、そんな自分でも、やがてイデーに到達できると約束してもられるのなら、本当にありがたい。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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