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戦国武将の「男色」の理由

私の別ブログに書いたものだが、なかなかの卓説だと我ながら思うので、ここにも転載する。
今どき、セックスの話は小学生ですらするだろうから、この説が猥褻扱いされることは無いだろう。なお、普通の武士の男色は「主君の真似」だと思う。
普通の武士でも家督相続問題はもちろんあったが、そのために男色をするほどではないから、稚児小姓(色小姓)などへの「尻で禄を得た」という陰口は多かったようだ。

(追記)記事末尾の「柳田国男すら言っていない」は、もちろんいい加減な発言で、調べたわけではない。そして、南方熊楠には確か「男色論」があったと思うので、私の説に近いことがそこで言われている可能性もあるが、そういう面倒な「論文」は読む能力が私には無い。論文を探す気力も資力も無い。私は自分の「妄想説」をあれこれ考えるだけで楽しいのである。毎度言うが、「思索は娯楽である」ということだ。


(以下自己引用)


なぜ戦国武将は「男色」したか



やや、猥褻扱いされそうな内容になりそうなので、あまり人の読まないこのブログに書いておく。
それは、戦国武将がなぜ男色をしたかという問題だ。
その理由が、男色とは「後背位」だからだ、という奇矯な説を最初に書いておく。
で、もっと普通の説を述べると、性交の身体的危険性を避けるため、つまり自分の生命を守る手段が男色だったということだ。

戦国時代に女性とは「生む機械」だったというのは常識だろう。学問も無いし、社会的常識もない。単に家事・労働をし、性交相手をし、子供を産むのが女性という存在の位置付けだったのである。当然、非常時の「戦力」にはならない。
ところが、その「産むこと」が、戦国武将にとっては二律背反的な難問の種になるのである。戦国武将にとって、子供がいることは、家の存続の絶対条件であり、その点では女性は貴重だが、子供の産めない女性には存在価値はない。ところが、子供を産んだら産んだで、新たな問題が出て来るのである。それは、生まれた子供が「家の相続者」となり、その母親も権力者になることだ。とすれば、現在の「夫」は妻にとっての潜在的な「敵」になるのである。妻への愛情が薄くなれば、新たな「女」がその愛情を占有し、さらにその女が子供を産めば、その子供が家督を継ぐ可能性が高い。そうなると、「夫を殺す」ことが、妻の選択肢に入るのも理の当然だろう。夫が死ねば、自分の子供が家督を継ぎ、自分はその母親として権力を得られるのである。
ということで、戦国武将にとっての「妻(愛人としての女性含む)という存在」は非常に厄介なものだったことは自明である。

しかも、性交の場というのは、男が完全に無防備になる場である。性交の際に男の陰嚢を握り潰す(引き千切る)だけで、男は悶絶し、その生殺与奪は簡単だろう。
そこで、稚児小姓という存在が浮上する。これは、家督相続と無関係だから、君主に害意を持つ可能性は少ない。主君によって取り立てられるのだから、むしろ主君に感謝の念を持ち、忠節であるだろう。
そして、性交の相手として、「後背位」であるから、性交の際の小姓の側からの暗殺が非常に困難になるのである。

以上が、簡便に述べた稚児小姓の存在意義である。

これは、柳田国男ですら言っていない、なかなかの説ではないだろうか。

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