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ナショナリズムの考察

みなさんは「ナショナリズム」という言葉にどんな印象をお持ちだろうか。最初に「右翼」を連想する人が大半なのではないか。

そこで英和辞書を引くと、nationの訳語の最初は「国民」なのである。そして第二が「国家」だ。

しかし、「ナショナリズム」を「国民主義」と訳した人はほとんどいないと思う。だいたいは「国家主義」と訳すだろう。そこで、「国民よりも国家を優先しろ」というある種の右翼に特徴的な思想をナショナリズムだと考えることになるのである。もちろん、それはおかしな話だと私は言っているのである。
しかも、その右翼的連中が、たいていは軍国主義者でもある。戦争になったら国民は「お国のために」戦場に行って真っ先に死ね、最後は特攻をしろ、と言うわけだ。はたしてこれは「国民主義」だろうか。「愛国心」とは国民よりその時その時の政府を優先させ、しかも上級国民はけっして戦場に行かず、生き延びるのが当然だという、そういう思想なのだろうか。
そうした人々は「国家あっての国民だから、政府を最優先するのは当然だ」と言うだろうが、なぜ「国民あっての国家だ」と考えないのか。そもそも、nationとは第一に国民であり、次が国家なのではないか。そして政府とは単に、国家を形成する一部でしかないのである。(国家とは国民・領土・政府がその要素である。その中では国民が最重要だから、nationの訳語は「国民」が第一に来るのである。)

さて、では、「国民」とは何か。

「同じ国に生まれ育った精神的(文化的)同朋をその国民と言う」と定義してみよう。

もちろん、単に「その国の国籍を持つ者をその国の国民と言う」と法的には定義されるだろうが、その場合はそこにはnationalism(国民意識・愛国心)は生じないだろう。同じ国に生まれ、同じような教育を受け、同じ文化の中で育つことで「同朋意識」は生まれるのである。私が文化の重要性、特に伝統文化や古典の継承の重要性を言うゆえんだ。
他国に移住した人間がかたくなに移住先の文化を否定し、元の国の文化に固執するなら、その人はたとえ国籍は新たな国のものを得ても、その国の人間の精神的同朋ではないわけだ。これがユダヤ人が世界的に嫌悪されてきた原因だろうし、今のようなグローバル化世界では、その種の人々はどんどん増加し、各国で国民の精神的分裂と愛国心の低下が起こっているはずである。

なお、私は政府批判ばかりしているが、それは政府が「反国民的政策」ばかりやっている、非国民政府だからである。日本という国とその歴史と文化を自分の精神的母体(母胎)として愛するからこそ私は政府批判をするわけだ。





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