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エロチシズム論

別ブログに書いた小論だが、わりと満足できる内容なので、こちらにも載せておく。

(以下自己引用)

エロチシズム論



三島由紀夫の文学論「ジョルジュ・バタイユ『エロチシズム』」の冒頭部分だけ読んだのだが、そこに書いてあるバタイユとやらのエロチシズム論が不可解なので、考察ネタにしてみる。

とりあえず、「エロチシズム」という、言葉だけはよく聞くが定義の曖昧な言葉の私流の定義からしておく。それは「性的欲望を喚起する物象や言語表現によって喚起され高揚した、性欲を含む複合的感情」としておく。つまり、基本は性欲だが、性欲だけではなく、或る種の神秘感や美感がそこには存在する、と言えるのではないか。たとえば、自分の母親や姉妹の全裸を見た時に、相手を犯したいという性欲を感じる人もいるだろうが、普通の性欲とは言えない或る強烈な感情を生じる人もいるだろう。それは、近親相姦というタブーによって、より激烈化しつつ隠れた性欲であり、葛藤であり、苦悩なのではないか。しかも、そこには或る種の美感すらあるかもしれない。
まあ、分かったような、偉そうなことを書いているが、私は男の性欲など射精すれば終わりという思想であり、恋愛と性欲はまったく別だと考えている。そして、エロチシズムというものもよく分かっていない。だが、それを「性欲と同じ」とするのは違う気がする。まあ、美的概念のひとつでもあるだろうが、裸=エロではない。勃起した男を見て女性が美的と思うとは思えない。あんな無様な姿はない。映画やアニメのラブシーンでも男の勃起したペニスは見せないし描かないものである。
ここで、三島由紀夫が紹介しているバタイユの「エロチシズム論」の概要を書いておく。
三島の文章をさらに私が簡略化しておく。

1:生の本質は非連続性にある。
2:個体分裂によって個々の非連続性が始まる。
3:個々の個体において生殖の瞬間にのみ連続性の幻影が垣間見られる。
4:しかし、存在の連続性とは死である。
5:ゆえにエロチシズムと死は固く相結んでいる。
6:エロチシズムとは、われわれの生の、非連続的形態の解体である。
7:それはまた、「われわれ限定された個人の非連続性の秩序を確立する規則的生活、社会生活の形態の解体」である。
8:ここに性愛と犠牲の近似点があり、犠牲が裸にされることがこうした解体の第一歩であり、殺されることがその完成である。
9:なぜなら、犠牲の死によって、人々は存在の連続性の明証を見るからであり、それがすなわち神聖感の根拠である。
10:エロチシズムには三つの形態があり、「肉体のエロチシズム」「心のエロチシズム」「神聖なエロチシズム」である。

さて、理解できただろうか? もちろん、私には理解できないのだが、理解に努めてみよう。

1はそのままだと極論だが、「個人の生の本質は、両親から切り離された存在であるという非連続性にある」とでも言えば納得できるだろうか。そこに人間の生の孤独の出発点もある。
2は、私が上の説明で言ったことと同じだろう。
3も、「生殖」とは祖先から子孫に続く、「血(遺伝子)の連続性」を確立する手段だから、そこには「連続性」が幻想されるわけだ。もちろん、それが「避妊」という壁をはさんでいても、性交という行為自体によって、連続性の幻想は生じるのである。
4が一番難解であり、論理性が無いように思える。そこにどういう論理を持ってきたらいいのだろうか。1で見たように、生の本質は非連続性である、というのは良しとしよう。としたら、形式論理としては、生の反対物である死の本質は連続性である、となるわけだろうか。しかし、死の本質が連続性だ、と聞いて頷く人はほとんどいないと思う。死とはまさに生の断絶であり、究極の非連続性だと誰でも思うだろうからだ。まあ、とりあえず、個人の死ではなく、種としての死を問題とするなら、個体の死は生殖の前提条件であり、個体に死がなければ生殖の必要性も無いわけである。つまり、(個体の)死は種としての連続性の前提条件となる。これを乱暴にかつ断定的に言ったのが「存在の連続性とは死である」という言葉だ、と解釈しておく。
5は、4が同意できたら即座に了解されるだろう。
6も、5と同様に4への同意で了解されるだろう。
7も、同様に4への同意で了解されるかと思うが、わかりやすく言えば、セックスをしている時に会社や仕事のことを考える馬鹿はいない、ということだ。
8は、まあ、どうでもいい話だと思う。犠牲がどうこうという人類学的問題に関心が無い人間には意味を持たないことだ。性愛と犠牲が近似している、というのは「それはあなたの意見ですよね」と言っておく。だからどうなの、という話だ。
9は、4への同意から了解されるだろう。要するに、「存在の連続性とは死である」という、奇抜な逆説への同意があるかないかで、4以降の論への同意・不同意が決まる。
10もどうでもいい話で、だから何なの、である。エロチシズムを御大層なものとするために「神聖なエロチシズム」をくっつけただけで、エロチシズムに心のエロチシズムと肉体のエロチシズムがあるのは馬鹿でも分かる。むしろ、エロチシズムとは肉体ではなく心の問題だ、とするのが私は正解だと思う。

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