「in deep」過去記事の一部だが、破壊とは創造の起点であり、幸福な、幸運な出来事なのだ、と肯定的に考えるというのは、精神的に非常に良さそうである。
何しろ、目にする記事目にする記事、毎日「何人死んだ」「何人死んだ」だけなのだから、よほど自分で気をつけて、これらは洗脳なのだ、と心をしっかり持たないと鬱で死ぬ人が厖大に出るだろう。なあに、死ぬことだって、娑婆苦からの離脱だと思えば幸福なのだがwww
ただ、死んだ後で、「あっ、間違い。やり直しさせて」といかないのが欠点だ。
(4月30日追記)「ネットゲリラ」記事中のこのコメントが、実にタイムリーで、成る程、コロナ騒動が無くても、AI革命によって世界は今のようになっていたのだな、と思う。AIとコロナを結んだこの発想は凄い。あるいは、ビル・ゲイツの人類削減計画も、AIによって不要になる無数の人間の処分を考えたものだろうか。もちろん、私のようなヒューマニストが「大多数の人を処分」という残酷な政治をまったく肯定しているわけではない。そうではなく、本気でBIを導入することを世界的に考えるべきだろう、ということだ。「AIとBIは表裏一体であるべき」というのは標語になりそうだwww
AI社会が到来すれば、大多数の人が不要になる。
だから、その時のために破壊神が大多数の人を処分してる最中としか思えない。
(以下引用)
今の資本主義は、かつて、大恐慌とかリーマンショックとか、いろいろと乗り切ってきましたが、今回の段階はいろいろとちがうものとなるでしょう・・・いや、あとで書きますが、こういう「〇〇でしょう」という消極的な考え方が、私たち人間社会の停滞を招いていました。
「この世は私たち自身が作っている」ということを考えますと、すべては「断定」でなければならないのだと思います。
「金融は消滅する!」
「自然と植物に囲まれた真の人間の生活の時代が来る!」
「新しい地球の時代が始まる!」
と強く強く思い、考える。
そして、その次に、どんなことが起きても、通常「否定的」とされることが起きても、起きるすべてのことは不幸なことなのではなく、「次の地球の時代」に向かう最も幸せな道なのだということを思い、考える。
もちろん、反対に、「今の地球のままでいたい」と思うのならば、それを強く思う。どちらがいいかなんてのは、人それぞれでちがうわけですから「こう考えなさい」という方向はひとつもありません。
この世界は、あるいはこの宇宙はひとつのように見えて、まったくひとつではないのですから、いかようにも人それぞれの「確信した宇宙」を選択できるはずです。
いずれにしても、行動より何万倍も強い「思う」「考える」ということを主体にして生きる。
そして、何年何十年かかるかはわかりませんが、今のすべてのシステムの崩壊という「歓喜の時代」がやってきます。
なぜ、随所に「幸福」とか「歓喜」と入れているのかというと、たとえば私などは、この世の中で、「ひとつのこと」を勘違いして生きていたのです。
その「ひとつのこと」とは、
ということです。
このことを考えることを私たちは阻害されていたために、私たち人間は、新しい地球を創造できない状態に陥っているように見えます。
しかし、この「破壊が愛であること」は後で書きます。
いずれにしても、今のシステムの崩壊が連鎖的に起きていくはずです。
何しろ、目にする記事目にする記事、毎日「何人死んだ」「何人死んだ」だけなのだから、よほど自分で気をつけて、これらは洗脳なのだ、と心をしっかり持たないと鬱で死ぬ人が厖大に出るだろう。なあに、死ぬことだって、娑婆苦からの離脱だと思えば幸福なのだがwww
ただ、死んだ後で、「あっ、間違い。やり直しさせて」といかないのが欠点だ。
(4月30日追記)「ネットゲリラ」記事中のこのコメントが、実にタイムリーで、成る程、コロナ騒動が無くても、AI革命によって世界は今のようになっていたのだな、と思う。AIとコロナを結んだこの発想は凄い。あるいは、ビル・ゲイツの人類削減計画も、AIによって不要になる無数の人間の処分を考えたものだろうか。もちろん、私のようなヒューマニストが「大多数の人を処分」という残酷な政治をまったく肯定しているわけではない。そうではなく、本気でBIを導入することを世界的に考えるべきだろう、ということだ。「AIとBIは表裏一体であるべき」というのは標語になりそうだwww
AI社会が到来すれば、大多数の人が不要になる。
だから、その時のために破壊神が大多数の人を処分してる最中としか思えない。
(以下引用)
今の資本主義は、かつて、大恐慌とかリーマンショックとか、いろいろと乗り切ってきましたが、今回の段階はいろいろとちがうものとなるでしょう・・・いや、あとで書きますが、こういう「〇〇でしょう」という消極的な考え方が、私たち人間社会の停滞を招いていました。
「この世は私たち自身が作っている」ということを考えますと、すべては「断定」でなければならないのだと思います。
「金融は消滅する!」
「自然と植物に囲まれた真の人間の生活の時代が来る!」
「新しい地球の時代が始まる!」
と強く強く思い、考える。
そして、その次に、どんなことが起きても、通常「否定的」とされることが起きても、起きるすべてのことは不幸なことなのではなく、「次の地球の時代」に向かう最も幸せな道なのだということを思い、考える。
もちろん、反対に、「今の地球のままでいたい」と思うのならば、それを強く思う。どちらがいいかなんてのは、人それぞれでちがうわけですから「こう考えなさい」という方向はひとつもありません。
この世界は、あるいはこの宇宙はひとつのように見えて、まったくひとつではないのですから、いかようにも人それぞれの「確信した宇宙」を選択できるはずです。
いずれにしても、行動より何万倍も強い「思う」「考える」ということを主体にして生きる。
そして、何年何十年かかるかはわかりませんが、今のすべてのシステムの崩壊という「歓喜の時代」がやってきます。
なぜ、随所に「幸福」とか「歓喜」と入れているのかというと、たとえば私などは、この世の中で、「ひとつのこと」を勘違いして生きていたのです。
その「ひとつのこと」とは、
「破壊」は「誕生に対しての愛」と同義である
ということです。
このことを考えることを私たちは阻害されていたために、私たち人間は、新しい地球を創造できない状態に陥っているように見えます。
しかし、この「破壊が愛であること」は後で書きます。
いずれにしても、今のシステムの崩壊が連鎖的に起きていくはずです。
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