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「所有」ということへの疑問

某漫画家のリツィートしたものだが、このブッダの言葉は面白い。
冒頭の言葉は「自分には子供がある。財産がある。だからそれを捨てて出家はできない」と「悩む」人のことだと状況としては思われるが、そういう状況とは無関係に「所有とは何か」を考察すると面白い。「私は私自身を所有しているだろうか。また、それを処分する権利はあるだろうか」という問題である。
もちろん、私は「処分する(自殺する)権利はある」という考えだが、私自身は私のものか、と問われれば即答はできないし、むしろ無数の機縁によってたまたま生きている(生かされている)だけだ、つまり、他人も「私」の所有権の一部を主張できるとは思う。そして私の思考や行動は偶然のきっかけで発生しているのであって、そこに本当に私自身のものと言えるものがあるかどうか確答はできない。まあ、そうすると、「自殺だけが人間の自由意志の唯一の証明だ」という、『悪霊』の中にあった思想(うろ覚えだが)に近づきそうだが、自由意志の問題は面倒くさいのでここではやらない。
とりあえず、「すでに自己が自分のものではない」という言葉は示唆的なのでメモしておく。そして、「所有」あるいは「所有権」というものへの疑問は、人類の歴史全体、特に「財産」という概念が生まれて以降の歴史と常識に突きつけられた刃であると思う。何をもって、人はその所有物への所有権を主張できるのか。「法律があるから」という愚劣な答え(法律などどんな愚鈍な独裁者でも制定できる)は問題外としておく。
人類史における戦争の9割以上、おそらく10割近くが「所有権」を巡ってのものであり、個人的闘争(喧嘩)の7割くらいも広い意味での所有権から来ているのである。たとえば一人の女を巡る複数の男の争いも、その所有権を争っているわけだwww

(以下引用)

ブッダのことば
@Buddha_Words
62 「私には子がある。私には財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか(ダンマパダ)

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