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薬で人格や精神を変える怖さ

「八咫烏」というブログから転載。
書き手は何かの商売をしている人のようだから(冒頭にあるのがそれだろう。)、そのポジショントークに気をつければ、なかなか有益な言葉もある。
実は長々と前説を書いたのだが、パソコンかネット接続の不調で全部消えた。
新たに書く気が無くなったので、記事紹介だけにする。


(以下引用)

この世は理不尽だが、それに翻弄されない心の自由は得られる


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統合失調症の薬を長期に服用すると逆に統合失調症様の症状が現れる。
対症療法である向精神薬は、一時的にその適応症状を抑えることはあっても、逆説的にその適応症状を悪化させる。
現在の製薬会社のドル箱は、頭打ちの抗うつ剤に代わって統合失調症治療薬。
ここ数年の傾向では、統合失調症だけでなく、難治性うつ病の治療に有効だとか、子供や高齢者の問題行動に対して躊躇なく統合失調症薬が使われる。
末期癌の痛み止めの麻薬による朦朧とした状態ででる妄想にセレネースが標準だなんて気がくるっている。
何が何でも妄想は消さねばならないらしい。
統合失調症と診断された患者の最も問題となる症状は、極端な易怒性や極度の不安。
実際に保護入院や措置入院となる直接的な原因となる。
(他害、自傷につながらない妄想などで入院治療なんて逆効果以外の何物でもない。)
薬の服用前と比べて明らかに怒りや不安に対する閾が下がる人がいる。若い人に顕著だと思う。
その結果、症状の悪化とされ、ますます薬が増量されることになる。
まさに悪循環。抗うつ剤でもベンゾジアゼピンでも同じような事が起きる。
活動を通じて、多くの精神科サバイバーと交流してきた。
その経験の中でも、この怒りや不安に対する脆弱性がときおり問題となる。
驚くほど簡単に怒り、簡単に傷つく。
30代、40代であったとしても、思春期の子供のように不安定なのだ。
これは統合失調症や神経症が若い人に頻発することと関係していると思う。
逆に言えば、統合失調症や神経症の多くは年を取っていくにつれて回復しやすくなるものなのではないか?
実際に、当人の話を聞くと、延々と恨みつらみを聞かせられることも多い。
共感はするが、その傷つき方も怒りも尋常ではない。
実際、そのコントロールに失敗して、再入院で再度薬漬けの事例も多々ある。
その当人の世話をする周囲の人間もその対応に疲れ果てて、今度はその周辺の人間がこころを病んでいく。
その連鎖を止めるには、当人を薬漬けにして、頭をボーっとさせて抑えつけるか、
なんとか、自分でその怒りや不安をコントロール出来るようになるかのどちらかと言うことになる。

怒りや不安の自己コントロールは、回復における最重要課題となる。
その多くは、親の無理解や横柄さを主張するが、そもそも、親とは理解のない横柄な存在だと私は思う。
生まれた時代も、価値観も違うのだから。
ひきこもると妄想が増大するように、社会性の欠落、他者との関わりが無くなると、身近な家族への恨みつらみも増大する。
以前はスルーしていた些細なことが引き金で怒りが爆発する。
それが当人の責任だと言っているのではない。人間とはそういうものだと思う。
だからこそ、他者と関わりの中で、ゆっくりと怒りや悲しみの受容力やそのような場合の危機管理能力を高めていく他ないと私は思う。
最近は反抗期が無い子供が多いと聞く。
それって大丈夫なのかと思う。
無邪気で良かった子供から、今後、大人になる過程で出会う、最初の理不尽な存在は、多くの場合それは親である。
この理不尽だらけの社会で生きていく上で、反抗期は、誰もが思春期に経験すべきものだと私は思う。
反抗期がない方が不安。社会に対する失望や反発が無いほうがかえって心配である。
何度も書いているが、仏教哲学のもつ人生観は私の人生観と重なる。
特に四苦八苦は、人間の持つそもそもの苦悩、弱さを良く表していると思う。
根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、 
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
を加え、四苦八苦という。
なんとも良く出来ているではないか。
日々出会う人々の苦悩はこれのどれかに当てはまる。
その苦悩を上手く扱えなかった人が心を病む。その苦悩とは本人一人だけの苦悩では決してない。
人間は、知らず知らずのうちに自身の苦悩を他者に押し付けている。
親子間のもめごとは、互いに苦悩を押し付けあっているように私には見える。
そして、それを家庭内だけで改善するのはほぼ不可能だと思う。
オープンダイアローグやスウェーデンの家族セラピーなどが、地域で不特定多数の人々がその家族に関わるのは、そうした狭い人間関係の引き起こす問題だと理解しているのだと思う。
私が、自分の半生をもって学んだのは、数々のこの世の理不尽である。
仏教が教えるように、そもそも、人生は苦の連続であると私は思う。
人間は、生まれてから死ぬまで、いくつもの苦と格闘しながら生きていく。
避けられないから、誤魔化したり、逃げたりしながら、なんとかそれと折り合いをつけて生きていく。
怒りや悲しみ、自らに降りかかった苦悩を受容して行く術を身につける以外に生き残る道はない。

その理不尽と如何に折り合いをつけていくか。如何にその理不尽から自由になれるか。
子供から大人になるということは、少しずつ理不尽を受容していくことだと思う。
統合失調症が、思春期から20代前半に頻発するのは、子供から大人になるこの時期の理不尽に対する受容が上手く行かなかった結果と言えはしないだろうか。

私の糞みたいな人生の中で、それでも私が正気を保っていられたのは、あくまで自分で選択した人生であったこと。
それと時折ご褒美のように得られる喜びのおかげ。人は希望があれば生きてゆける。
決して理不尽と闘って勝利したわけではない。
決して納得は出来ないが、仕方ないと受容しただけである。
もちろん受容するまでは、それなりの時間とそれに向き合う必要がある。
理不尽な相手を屈服させたり、考えを改めさせることなど、そうそう出来るものではない。
苦しいのは当たり前、だが苦しければ苦しい程、それを乗り越えたあとの喜びは大きい。

生物学的精神医学に毒された現代精神医学は、こうした考えの対極にある。
あなたの苦しみは脳の異常です。
人は幸せに楽しく生きることが当たり前。
つらいことは薬を飲んで忘れましょう。
などと言っているに等しい。
これに毒されていると人間、本当に馬鹿になる。
ここに至って、まず我々が問いなおすべきは、心の病とはそもそも何かという問いである。
精神疾患(心の病)は、その人の人生の危機と考える社会精神医学は、その考え方において私の人生観と相通じる。
そして、心の病が人々の苦悩から生まれるとしたら、人生は苦で出来ているとする仏教哲学は、モノアミン仮説などよりはるかに正確に人間の苦悩を説明しているではないか。

各地のサードオピニオン会では、
まずは、思考停止から脱することから始めたい。
目標は、妄想や幻聴を消すことではない。
コミュニティへの参加(第3者との関わり)、危機(怒りや不安が爆発すること)への対応力を上げること。
自己管理力(セルフケア)を高めること。

苦に満ちたこの世は理不尽だが、それに翻弄されない心の自由を得ることは可能だ。


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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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