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医療による殺人を分明にした新コロ問題

記事の引用は、その引用内容全体に引用者が同意しているという誤解を招く危険行為である。だから、不同意箇所がある場合は、私はその部分は省略するのが常だが、省略しきれていない場合もある。まあ、引用行為自体、元記事の筆者の同意を得ていないのだから、その辺は無用なこだわりかもしれない。東海アマ氏の場合は、極端な中国嫌い、ロシア嫌いがところかまわず文中に出て来るので、中国好き、ロシア好きの私としては引用に困ることが多い。しかし、重要な発言も多いのである。

(以下引用)

 この期に及んでもなお、ワクチン接種を勧める人たちは、いったい何を考えているのだろう。ワクチン接種を大大的に推進してきたテレ朝羽鳥MSの玉川徹は、どうやって責任をとるのか? このままでは番組で切腹でもしないといけない。
 もちろん安倍晋三・菅義偉、岸田文雄らは、公開絞首刑でもしないといけない。
 全国のワクチン推進医は全員、廃業しなければならない。

 だが、もちろん、ワクチンを推進してきた全員が、無意味な大量死の原因を作ったことに対し、「自分のせいではない」と開き直って責任をすり替えることが目に見えるようだ。
 医者は、実は歴史的に、人を無意味に死なせる体験を積み重ねているので、心に痛痒を感じる者など、ほとんどいないだろう。

 ほとんどの医師は、実は殺人鬼と救済者の二足のワラジを履いているのだ。
 私は、2014年頃、間質性肺炎を発症した。
 呼吸音にブツブツバリバリ音(肺線維症=IPFの典型症状)が出て、わずか2mの階段もまともに上がれなくなった。家も部屋も片付けができなくなり、ゴミ屋敷のなかで完全に死を覚悟した。
 
 そこで、ネットで間質性肺炎に関するあらゆる情報を集めて、結局、医療にすがることを断念し、自分で死を迎えることに決めた。
 最大の理由は、IPF診断、治療マニュアルに、X線CTスキャンと肺穿刺が必要条件になっていたからだ。私は、その恐ろしさを知っていた。

 X線CT被曝量は、20~30ミリシーベルトが常識で、CT撮影自身が発癌イニシエータとして作用することになる。免疫力の低下した人など一発だ。
 私は、東大の上昌広医師の「医療被曝は被曝ではない」という発言に強い憤りを覚えていた。医師の大半が、医療機器を盲信して、「医療行為」の危険性に目を向けようとしない軽薄な姿勢に怒りを感じていた。

 私が信頼する山仲間の外科医I医師でさえ、「被曝はたいしたことではない」と発言したことにショックを覚えた。そりゃ外科医からX線を取ったら診療行為の半分が失われてしまうわけだから当然なのだが、厚生省は1990年に、医師養成カリキュラムから被曝影響の項目を排除していたせいで、それ以降の医学教育では、被曝の恐ろしさを一切教えられなくなった。
 これは原子力発電推進を目的にして、専門家からも被曝知識を奪う目的だったといわれている。

 さらに、間質性肺炎の診断確定のため、「肺穿刺」検査が必須項目に入っていた。これは背中から太い針を肺に挿入して細胞を摂取して調べるものだが、当然、肺に直接刃物を突き立てるわけだから、物凄い負荷が患者にかかる。
 肺穿刺は、細胞診や気胸治療で行われることで大変な死者を出している。
 https://www.medsafe.or.jp/uploads/uploads/files/soumu01/R02unei/02/02_02_shiryo/siryo3-3.pdf

 間質性肺炎の細胞診は、病名確定のために必須になっているが、本当はまったく無意味だ。他の症状やベルクロラ呼吸音だけでも十分に確定できるのだが、医学界の硬直した方法論によって強制的に定められている。
 逆に、胚穿刺によって「急性増悪」を引き起こして、それによって死亡するケースが非常に多いが、ほとんどの場合、病院は医療ミスによる賠償を避けるため隠蔽するので、統計数字など表には出て来ない。
 また素直に間違いを報告する良心的な医師も、ほとんどいない。隠しきれない場合にしか報告が上がらないのだ。

 だから、私は間質性肺炎の治療目的で医療にすがれば、逆に殺されると確信せざるをえなかったし、発症後5年で8割が死亡する、その大半が、肺穿刺やCTのマニュアル=間違った医療行為によって殺されたのだろうと考えた。

 私は、そもそも病気は、自然治癒力=ホメオステーシスで治すと確信していたので、私の選んだ自家治療は、高い効果が報告されていた「呼吸トレーニング」だった。
 あとは、発作の危険を感じたとき、サイトカインストーム予防効果が確認されている葛根湯の服用ですませた。
 おかげで発症後8年を経ても、まだ死んでいない。ただ元通りに回復もしていなくて、ときおり死を覚悟することもある。

 肺穿刺は非常に危険な「検査方法」だが、こんなものを瀕死の老人に処置することの無意味さと愚かさ、犯罪性について自覚している医師は、ほぼいない。
 実は、私の実母もまた、死の前に新型コロナに感染したらしく、呼吸障害を起こしていたらしい。
 当時、私の姉や妹が、母親の処遇に完全に関与し、私に関与させようとしなかったことで、私はどうすることもできなかった。

 最期は、病院から退去を強いられたことで老人ホームに移され、呼吸不全を起こして、医師が96歳のやせ細った瀕死の老女に肺穿刺検査を行ったと聞いた。
 それから一週間後に母は死んだ。あまりにも当然だ。
 これは殺人だと思った。しかし、姉も母の延命を望んでいなかったので、文句をつけることはなかった。
 私は、担当医は、たぶん母を死なせるために肺穿刺を行ったと思った。
 まったく無意味であり、死という結果だけが約束された「検査」だったからだ。

 だが、死に瀕した老人施設や病院では、このような「殺人的検査、治療」が頻繁に行われている。
 これはタテマエは治療であっても、実際には殺人だ。安楽死ではない。これなら安楽死の方がよほどマシなのだ。

 祖母も、100歳を迎えて頻繁に骨粗鬆症骨折を起こすようになり、大腿骨折の後、事実上、治療されず餓死させられた。
 「老人たちに死を与える」
 これが終末医療の実態である。医師たちは、たぶん百も承知で行っている。
 もしも問い詰めたなら、大半の医師が「ならば、どうしたらいい?」と開き直ることだろう。
 
 日本では「安楽死」が禁止されているが、私は、これから否応なしに安楽死の選択と実現が迫ってくると思う。
 医療は、恐ろしい二面性を持っている。「治療」の名のもとに、「殺人」を行うセクションなのだ。

 冒頭に紹介した、ワクチン問題もまた、実は政府内部で、意図的に殺人ワクチンを奨励した可能性があると思っている。でなければgotoキャンペーンなど、やる意味がない。
 目的は何か? それは「年金予算の削減」ではないだろうか?
 老人たちを殺すことで、財政事情を健全化させたい官僚たちの思惑が隠れていると考えるのはうがちすぎだろうか?

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