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少年マルス 48

第四十八章 約束

「スオミラという町がアスカルファンやレントの連中に奪い返されたそうだ。しかも、その連中とは、お主が散々に負けたアンドレとマルスだ」
スオミラが奪還されたという知らせを受けた、グリセリードのアルカード駐留軍司令官イゴールは、ストーブに手をかざしている傍らのガイウスに言った。
ガイウスは、ポラーノの戦いの後はグリセリード軍に戦いを任せ、自分は後ろで高みの見物を決め込んでいたのだが、思わぬグリセリード軍の敗北を見て、あっという間にポラーノに逃げ戻り、手兵五十人ほどを連れてアルカードに逃げ込んだのである。
イゴールはこの敗走兵たちにいい顔はしなかったが、アスカルファンに内乱を起こした功労者ではあるから、受け入れないわけにはいかなかった。
「負けたのはグリセリード軍だ。わしが負けたわけではない」
ガイウスは怒るでもなく、平然と言った。
「いずれにせよ、復讐するいい機会ではないか。どうだ、お主、スオミラ攻撃の指揮をせんか」
「気が進まんな。攻城戦は時間がかかって性に合わん。もし、やれと言うなら、兵士を千人出してくれ」
「あの程度の城に千人か。勇将ガイウスの名が泣くぞ」
「なんとでも言え。わしは勝てる戦しかしないのだ」
「なら、他の者をやろう。メドック殿はどうだ」
「二百人もあれば十分だろう。それに、相手が一晩で落とした城なら、こちらも一晩で落とせるさ」
メドックと呼ばれた男は、自信満々で答えた。
馬鹿め、とガイウスは心の中で呟いた。相手がある手を使ったなら、その手は二度と使えないということだ。それに、冬の早いこの地方では、篭城している側よりも、それを取り囲んで野宿をする側の方が辛いのだ。
ガイウスの予想通り、メドックの軍は、スオミラを包囲して二週間後に降り出した雪に音を上げて、グリセリード司令部のあるオレスクの町に戻ってきたのであった。その間に、城内から射掛けられた矢による被害がおよそ五十人、肺炎などにかかった病人が百人近く出ていた。

スオミラの町では、敵への備えを十分にした後、すでにレントからの兵士は帰還させていたが、マルスたちは大事を取って、しばらく残っていた。
しかし、雪が降り出し、このままでは川が凍ってアスカルファンへの帰国が難しくなるため、オーエンだけを残して、マルスたちはアスカルファンへ、アンドレはレントへいったん戻ることにした。
「さようなら、マルスさん、オズモンドさん、ジョン、それにトリスターナさん、マチルダさん」
オーエンは目に涙を浮かべて別れを告げた。
彼は、ここに残って町の軍事責任者になるのであるが、さすがに長い間行動を共にした仲間との別れは切ないものがあった。
アンドレは父親のイザークに別れを告げた。父親の年からして、もしかしたら、これが最後の別れになるかもしれない。
「どうしても、一緒にレントに来てくれないのですか」
「わしの事は気にするな。お前は自由に生きていけばいい。年寄りには住み慣れた所が一番なのじゃよ。どこにいても、お前の幸せを祈っとるからの」
アンドレは父親の肩を抱きしめて、涙をこぼした。
レントへ向かう商船に乗って、マルスたちはスオミラから離れた。
スオミラの町は、雪に降り込められて、おぼろになり、やがて消えていった。それは、ひどく物寂しい景色だった。

なんとなく寂しい船旅であった。アンドレは後に残してきた父親やスオミラの町が気がかりで物思いに沈んでいるし、他の者も、静かで内気だが、献身的で頼りになるオーエンとの別れが胸に残っていた。
別れの寂しさと、冬の寒さが、人々を物思いに耽らせる。アルカードほどではなくても、アスカルファンもそろそろ寒さがつのって来るだろう。
そして、マルスの十六歳の日々も終わろうとしていた。

アンドレはレントに残ったが、トリスターナは、結婚の件はしばらく考えさせてくれと言って、マルスたちとアスカルファンに戻り、ジョーイとクアトロはアンドレの客人として、レントにしばらく滞在することになった。

アスカルファンに帰ってすぐ、マルスはマチルダに求婚した。
「この国にもう一度、危機が訪れるそうです。もしも運良くその戦いに勝つことが出来たら、その時は、僕と結婚して貰えませんか」
ぎくしゃくとそう言って、マルスはマチルダの宣告を待った。
一秒、間があって、マチルダは小さく「ええ」と言った。
マルスは一瞬混乱した。今のは「ええ」だったんだろうか、それとも「いいえ」だったのか、それとも「ええと」と言ったのか。
マルスは間抜けな顔で聞き返した。
「つまり、承知したんですね」
「その通りよ。でも、約束して。結婚したら二度と危ないことはしないって。結婚した途端に未亡人なんて絶対にいやですからね」
「大丈夫です。結婚したら僕はあなたの為だけに生きますから」
と、世界の損失になるような事を軽軽しく約束して、マルスは有頂天になった。

グリセリードの草原を走る一頭の馬がいる。その馬上には、男装をし、軽い鎧を着た美女が乗っている。
彼女は空を見上げる。四方に遮るものが全く無いこの草原では、空が丸い。
太陽は中天にかかり、やや西に傾きかけている。
あの空の向こうにアスカルファンがある。来年になったら、そのアスカルファンが自分の最初の戦場となるのである。
ヴァルミラはにっこりと笑い、再び馬に鞭をくれた。
あざやかに馬を操るその姿は、一幅の絵のようであった。

        『軍神マルス』 第一部   完

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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