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少年マルス 46

第四十六章 グリセリード

アスカルファン侵攻の失敗を聞いたグリセリードの女王、シルヴィアナは、烈火のごとく怒って、第二次遠征軍の派遣を、デロス将軍に命じた。
デロス将軍は、この国第一の武人であり、アスカルファンごとき小国にはもったいないというのが群臣たちの考えだったが、シルヴィアナの剣幕では、それに反対するわけにもいかない。
「ご命令とあらば参りますが、アスカルファンを取って、何の利益があるのでしょうか。今や、この大陸の東側は、すべてグリセリードのものとなりました。考えるべきは、この版図をいかに維持するかであり、油断をすれば、この大国はすぐにでも反乱によって四分五裂しましょう。まして、大山脈を越えて行くには、騎馬部隊の派遣は不可能であり、船で行くには、これから兵士を大量に運ぶだけの大船を無数に作らねばならず、多大な出費がかかります。そのような犠牲に見合うだけのどんな利益が、アスカルファン攻略にあるのか、お聞かせください」
デロス将軍は大広間に立ち、女王を直視して大声に言った。
群臣は、デロスが斬罪に合うことを予想して、目を伏せた。
女王は、一瞬言葉に詰まったが、すぐに
「利益だと? 私の胸がすっとすることが利益じゃ。お前は臣下の分際で王の命令に従わぬ気か。なら、お前の首を刎ねることで、私の胸を晴らしてもいいぞ」
「左様ですか。なら、アスカルファンに向かうことにしましょう。同じことなら女の手で死ぬより、戦場で強者と組み合って討ち死にするほうが気持ちいいですからな」
デロスは巨体を優雅にかがめ、皮肉に一礼して、女王の前から退出した。
宰相のロドリーゴは、女王の側で眠ったように眼を閉じている。
この宮廷で、ロドリーゴが自分の意志に従わせることができないのは、デロス将軍だけである。血で血を洗う戦場を幾つも潜り抜けてきたデロスの強靭な精神力は、何物をも恐れず、ロドリーゴの射るような視線を跳ね返してしまうのである。
だが、デロスは根っからの武人であり、国王に対する忠誠心を捨てる事はなかった。と言うより、シルヴィアナの父である先代国王ヴァンダロスへの忠誠を今も持ち続けており、国王の命令なら、いつでも死ぬ覚悟があった。
デロスは大臣に命じて、大船団の建造を計画させた。現在の技術の粋を使い、金を湯水のように使って、兵士三十万人を運ぶ大船団を作るのである。
女王シルヴィアナが即位したのは十二年前である。まだ二十二歳の初々しい女王が誕生したのは、先代の跡を継ぐはずだったその夫が、領土拡張の戦争の最中に戦死したからであった。そして、僧侶上がりの大臣ロドリーゴが宰相となった時から、シルヴィアナの専制はひどくなってきたのであるが、それがシルヴィアナと男女の関係にあるロドリーゴのためである事を知らぬ者は、この宮廷にはいなかった。
船団の完成は、どんなに急いでも九ヵ月後だと、宮廷の工人は言った。
「なら、わしの命も九ヶ月は安全というわけか。その間は小さな戦は他の将軍に任せて、のんびり過ごさせてもらおう」
デロスは自分の屋敷に戻って、九ヵ月後に出征すると、その若い妾のナタリアに言った。
「まあ、アスカルファンですか。ずいぶん遠くまで行かれるんですね」
「まあな。これまで乗った事のない船とやらにも乗らざるを得ない。わしは馬は得意だが、水の上に人間が浮かぶなどというのは気味が悪いわい」
デロスは風呂場でナタリアに背中を流させながら、そんな事を言った。
デロスの褐色の体は五十を過ぎた今も逞しいが、無数の刀傷や槍傷、矢傷で、つぎはぎである。
「今度の遠征にはヴァルミラも連れて行こうと思っている。お前たちは、もしもわしが戦場で死んだなら、この家にある物をすべて自分たちで分け合うがいい。ただ、財産を醜く奪い合うことはしないでくれよ」
「死ぬなんて、縁起でもない。それに、この家の方はみんないい方ですから、争い事は起こりませんわ」
「分からんさ。女が一人で生きていくのは大変なことだ。何かの時に、多少欲深になっても仕方がない」
「ヴァルミラ様も戦場に出られるんですか?」
「まあな。あいつも、男より馬と剣が好きな女なんだから、そろそろ本物の戦場という奴を見せてやろうと思ってな」
ヴァルミラは、デロスの一人娘で、小さい頃からデロスの真似をして剣や槍を振り回し、弓をオモチャにして育った娘である。
どういうわけか、デロスの女たちが生んだ子供は、男の子は一人も育たず、女の子のヴァルミラだけが十九歳の今日まで無事にそだったのであった。
容貌魁偉なデロスにも似合わず、相当の器量良しの娘なのだが、男にはまったく興味が無く、いつも自分を戦場に連れて行け、と父親に頼んでいた。

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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