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当たり前の生活の幸せ





少年院生活は辛かった一方で、どこか温かさも感じていました。「一生ここにいろ」と言われたらそれはそれでいいなって……。私に限らず、少年院に来るのって、社会や家庭の中で身の危険を感じて育ってきた子が多いから、ちゃんとご飯があって、先生が優しくて、勉強させてもらえて、本が読めてという当たり前のことが、なんだかすごく幸せに感じられたんです。(戦慄かなの:少年院上がりの「アイドル」)

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科学(化学)の敗北

こういうのは議論そのものが冗談のようなもので、くだらない議論であることがわかっているからこそ面白いのである。日本もこういう冗談議論が悠然となされるような社会になってほしいものだ。
なお、英王立化学協会の「ミルクを入れるのが先だ。リッチで魅力的な色を楽しめる」は、これほど説得力の無い根拠も珍しい。飲食物の評価の重点が視覚であるというのは無いだろう。特に、ミルクティーの色など、何が美しいのか。色を楽しむならミルクなど入れないほうが美しいに決まっている。










ロンドンのホテルで紅茶を入れる従業員=2016年8月(AFP時事) © 時事通信社 ロンドンのホテルで紅茶を入れる従業員=2016年8月(AFP時事)


 【ロンドン時事】ティーカップに牛乳を注ぐのは紅茶よりも先か後か-。英国の伝統的な習慣「アフタヌーン・ティー」に欠かせないミルクティーをめぐり、英国を長年二分してきた論争に決着がついたようだ。最新の世論調査で「牛乳は後に入れる」派が大勢を占めた。


 調査会社ユーガブの世論調査によると、79%が「牛乳は後に入れる」と回答。先に牛乳を注ぐ人の割合は20%にとどまった。


 年代別に見ると、65歳以上では「牛乳は後」が68%だったが、若くなるほど高くなり、18~24歳では96%に達した。


 英文学を代表する作家ジョージ・オーウェルは1946年に発表したエッセーで、どちらが先かを「最も議論を呼ぶ論点の一つ」と指摘し、「紅茶を先に入れた方が、牛乳の量を調節できる」と主張。これに対し、英王立化学協会はオーウェル生誕100周年の2003年に声明で「牛乳が先だ。リッチで魅力的な色を楽しめる」と反論していた。


 調査では英国人の紅茶好きも鮮明になった。58%が毎日飲み、1割超は1日に5杯以上飲むと回答した。調査は7月24~25日、英国の18歳以上の男女1595人を対象に実施した。 





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顔を見れば人格はお察し

どう見ても、ヤクザ同士の握手であるwww
まあ、人殺しくらい平気でできるような人間でないと組織のトップには立てないのかもしれない。


(以下引用)



日大理事長&日本ボクシング連盟会長 “渦中の2人”が写真に

 似た者同士ともっぱらの2人が1枚の写真に納まっていた。

 左側は、日大アメフト部による悪質タックル問題の調査や学内のガバナンス体制を検証する第三者委員会から、「説明責任を欠いた」と指摘された日大の田中英寿理事長。日大を牛耳るドンとして週刊誌などでカネや人事にまつわる疑惑が報じられたが、いまだに表舞台に出てこない。

 もう一人は、助成金の不正流用やグローブの独占販売など、こちらも数々の疑惑が浮上している日本ボクシング連盟の山根明会長だ。

 写真は、2015年2月20日、日大会館で行われた日大ボクシング部の関東及び大学王座優勝祝賀会で撮影されたもの。撮影当時は、まさか3年後に世間からこんな形で注目されるとは夢にも思わなかったはず。「疑惑や噂はすべて嘘」と言うなら、会見で胸の内を思う存分語ってもらいたいものだが。

 それにしてもどこか雰囲気が似ている2人だ。


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日本の歴史的政治システム

別ブログに書いてまだネットに公表していないものだが、せっかくタイプ打ちしたのでここにも載せておく。現代の政治状況と比較しても興味深い。たとえば、安倍政権が内閣人事局を握ることで官僚を完全に支配したことなど。私自身は、天皇以上の実力を持った人々が自らあえて天皇になろうとしなかったのは「天皇の権威」の高い利用価値を知っていたからだ、と思っている。単に「日本書紀」などによる洗脳の結果だけではないだろう。政治が権力闘争の場(殺し合い)だからこそ、そこから一歩を置いた権威の存在は非常に強い「安定装置」になるのである。


(以下転載)



松本清張のエッセイ「天正十年のマクベス」より、抜粋(文章は一部変更)。

・家康は複数の小禄譜代大名で構成した執政機関(老中部屋)を置き、原則として将軍は親政しない方針をとらせた。しかし、執政の任免権は将軍の手中に握らせた。六代将軍家宣が顔色を動かすことなく老中上座柳沢吉保を罷免したのはその例である。役員人事の独裁権を持つほど強いものはない。だからこそ徳川幕府はとにかく二百五十年以上も続いたのである。
・朱子学は君臣秩序維持にきわめて都合のいい支配階級の学問で、百姓、町人にいたるまでこの忠義精神によって抑圧される。これが明治政府にうけつがれる。
・君に背くものは不忠であるという道徳は徳川幕府になってからでき上った。さかのぼっては足利尊氏にも乱臣賊子のレッテルが張(貼)られた。(中略)日本の中国侵略があらわになってきた昭和十年ごろには、尊氏をほめる者は不忠の臣であり、国体を紊す賊子の徒であるとの声が軍部や右翼方面から上がり、「国体明徴」運動が起こり憲法学者の美濃部達吉は天皇機関説で排撃を受け貴族院議員を辞職せしめられ、不敬罪で起訴された周知の事件となる。
・応仁の乱によってすっかり体制が崩れると、それまで続いたところの将軍の源家や足利家も落ちぶれてしまう。天皇も公家も力はない。もっとも、天皇や公家に実力がないといっても、伝統的な権威というものは続いている。天皇が現在まで万世一系として存続している理由についてはっきり説明できない人が多い。歴史的にみて、天皇よりも実際に力が上だった蘇我氏だとか藤原氏、平氏、源氏、足利氏が、天皇になろうとしてなれなかった理由については、誰もはっきりと説明ができないのである。
・(日本書紀によって)皇室の祖先は神武、綏靖、安寧、懿徳以下何々として皇統が上世いらい日本の知識人の頭脳に灼きつけられた。そこに一種の系統主義というものが生まれたとわたしは思う。だからこそ、藤原氏に実力があっても天皇家に対抗して、自分たちが天皇だといってこれに取って代わることができなかった。源頼朝も足利尊氏も天皇にはなれなかった。系統主義によって周囲が容認しないのである。
・後白河法皇は頼朝と対決した。頼朝の家来、上総権介平広常という者が、なにも法皇に遠慮することはない。法皇をやっつけなさいという意味のことを進言した。聞いた頼朝は、たちまち広常を殺した。こんな人間は、いつまたおのれの地位をひっくり返すかもわからないと恐れたからである。これも系統主義のあらわれである。

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読書の功罪

  1. 本というものは、読む人が百人いたら受け取る内容は百通りあるわけで、読者次第である。つまり、本を読んでも筆者の意図どおり理解する人はまず存在しない。読者の知的レベルや精神経歴などによって千差万別の受け取り方がある。
  2. 私の場合は、学術的書物(言い換えれば、真面目そのものの本)は、それが大衆向けの書物だろうと、まず2割か3割くらいしか理解できていない自信があるが、それを読むのが無駄だとは思わない。理解できたわずかな部分の中に、私自身の精神世界を根本から変えるものがあることもあり、そこまで行かなくても、何か大事なものを付け加えることもある。小説などの場合は作者や作品次第だが、平均したらだいたい6割から7割程度の理解度だろうか。
  3. また、本を読むことが害になることもあるわけで、ネトウヨがその種の本やそれを使ったネット発言の影響から生じることは容易に推測できる。真面目な本でも、誤った読み方をされて社会に悪影響を与えることもあるだろう。宗教書などはその種の影響力が強いわけだ。また、最初から社会的洗脳目的で書かれた本もたくさんある。
  4. 小田嶋師が、「本を読んで目を悪くするだけの人もいる」、と言ったのは、「目が悪くなる=物事の正しい判断ができなくなる」という比喩みたいなものだろう。物理的に目が悪くなることももちろん多いわけである。
  5. 「書物を三日読まないと顔に垢が付いたような気がする」と昔の中国の人が言ったが、これはもちろん、読書による精神の洗濯(洗顔)をしないと堕落した気分がする、ということである。悪書ではもちろんその反対で、読めば読むほど精神が堕落する。
  6. 小田嶋隆 @tako_ashi 7月29日
  1. まことに偏狭な態度で自分ながらいやになるのですが、私はすべての書物に価値があるとは思っていません。むしろ、無価値な本や有害な本がの方が多いと考えています。また、仮に価値のある書籍があるのだとしても、その書籍を読むに値しない人間がいるとも思っています。残念ですが。



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全財産を銀行に預ける怖さ

日本でキャッシュレス化が進まないという記事の読者コメントを幾つか読んだが、的を射ているな、と思ったのは下のコメントだけである。キャッシュレス化を歓迎する意見の人は、電子情報の脆弱性に対する危機感が無さすぎる。
「赤毛のアン」でマシューが心臓麻痺を起こして死ぬのも、財産の大半を預けていた銀行が倒産して、自分たちがほとんど無一文になったことを新聞記事で読んだショックのためであった。
銀行が倒産しなくても、電子的な事故でデータが無くなったら、「あなたの貯金は我が銀行には存在しません」ということになる可能性だってある。また、親が銀行の暗証番号を子供に知らせないまま死んだら、はたして銀行は預かった金を遺族にちゃんと返すだろうか。






富裕層には、銀行を1ミリも信用してない人も大勢いるしな。
(いつ裏切るかわからないから。)


災害とか、有事には現金(硬貨)ってトコも変ってない。
孤立地区とかカードがあっても、回線死んでたら、お茶一つ買えないし・・・・

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人権って何?

「オイ喜べ、お前の奥さんは自殺したぞ!」という言葉のインパクトは凄い。しかも、それが日本の戦時中だと現実にありそうな話だからなお怖い。
日本だけでなく、戦争中の国民は似たようなものかもしれないが、「国家への奉仕」が何よりも優先される社会状況が、平時には狂人と思われるような行為を正当化するわけだ。
何しろ、自分の生命を鴻毛の軽きがごとく思え、という訓示が上官から兵士たちに堂々となされるわけで、要は、キチガイになれ、と国家(政府)が命令するわけだ。
ちなみに、私は政府というのは国民の下僕だとしか思っていない。つまり官僚も政治家(代議士)も国民が税金で雇っている下僕である。総理大臣も同じことだ。




  1. エッと思うと、「お前の奥さんはな、私を国に遺しては夫は戦地で安心して戦えない、夫が心置きなく戦って死ねるように」と、まず自分から死んだという内容らしい。乳母車がどう絡んでくるのかは忘れた。



  2. 大都映画という会社が戦時中に作った国策映画「誓いの乳母車」を見てみたい。見た人の話だと、出征兵士が駅に見送りに来ているはずの妻の姿を探すが、一向に妻の姿が見えない。どうしたんだと思っていると、村長がやってきて「オイ喜べ、お前の奥さんは自殺したぞ!」と告げる。


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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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