忍者ブログ

生きるための犯罪と強欲のための犯罪

これが今の日本の現実である。
私が裁判官なら、生存のための窃盗は情状酌量する。その反対に、何不自由ない身分でありながら、税金からカネを盗む、安部、加計などの上級国民は死刑にする。

別の話になるが、さい銭箱に20円しか入っていなかった、という事実にも少し驚く。つまり、日本各地の神社や神道組織は、神道連盟や日本会議などのために、国民から見放されているのではないか。
もちろん、これは現代においてはすべての宗教が人々からかなり敬遠されているということの一端ではあるだろう。それで社会が良くなったのか悪くなったのか、一概には言い難い。少なくとも、組織化されると宗教にも組織悪(組織の生存や利益拡大が第一義になること)が生じてくる、というのが私の意見である。カトリックはその代表であり、カトリック教会によってキリスト教はかなり悪どく捻じ曲げられ、本来のキリストの思想とは別物になったと思っている。もちろん、新教にも組織悪はあるだろう。


(以下引用)



  © 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 兵庫県警兵庫署=神戸市兵庫区下沢通3

 神社のさい銭箱から20円を盗み、逃げる際に神社関係者の顔を殴るなどしてけがを負わせたとして、兵庫署は10日、強盗致傷の疑いで、自称神戸市兵庫区の無職男(60)を逮捕した。


 逮捕容疑は10日午前11時ごろ、同区の神社でさい銭箱をひっくり返して20円を窃取した上、事態に気付いて近づいてきた神職の男性(63)の顔を殴るなどしてけがさせた疑い。男は男性に見つかった直後、20円はさい銭箱に戻したという。


 同署によると、男の所持金は300円ほどで「生活費が欲しかった」と容疑を認めている。さい銭箱には全部で20円しか入っていなかったという。




拍手

PR

税金を食い物にする人たち

例によって鋭い指摘である。
現代の公害は「公務員(政治家含む)による害」かwww





「公害」という言葉を発明した人間は、「企業による環境破壊」でしかないものを「公的な(つまり「誰のせいでもない」あるいは「みんなのせいで起こっている」)災害」のニュアンスに読み替えさせた人物であったわけで、ということは大変に悪辣な策略家だったのではなかろうか。






拍手

虐待の明確な親の親権停止

虐待可能性のある親の親権を停止するというのは一案だが、里親制度が有効に機能するか、また、里親制度を利用した犯罪の可能性は無いか、など詰める部分は多いと思う。しかし、虐待の明確な証拠がある場合には、それしか救済手段はないのかもしれない。虐待をする親が改心する可能性はほとんど無いだろう。子供を虐待しながら何の心の痛みも感じない人間が改心するはずが無いではないか。


(以下引用)


「おねがい ゆるして」と書いた結愛ちゃんは、どうやったら救えたのか
2018年06月08日 06:01


日々、子どもに関わるソーシャルワークを行っているNPO法人フローレンスの駒崎です。


本当に悲しいニュースが飛び込んできました。 


死亡の5歳、ノートに「おねがいゆるして」両親虐待容疑(朝日新聞デジタル)


殺された5歳の結愛(ゆあ)ちゃんのメモにはこうありました。


ママ


もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから


もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします


ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして


きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす


これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったい


やらないからね ぜったいやくそくします 


もう あしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ


僕は、このメモを見て、大変恥ずかしながら泣いてしまいました。


自分にも5歳の息子がいて、毎日僕が帰ると「パパーっ!」と言って抱きついてきてくれて、そんな年頃の可愛い子どもが、覚えたてのひらがなで一生懸命「ゆるして」と書いたと思うと、涙が止まりませんでした。


しかし、僕は児童福祉の実践者の一人なので、悲しむだけで終わらせず、どうしたら良かったのか?を考えました。


後々の検証を読まないと確たることは言えませんが、しかしそれを待っていると数ヶ月、長い場合は1年以上かかるので、今ある情報に基づいて考えを書きます。

事件の流れ

事件の流れを最もよく書いているのは、以下のニュースです。 


5歳女児死亡 両親「虐待発覚恐れ病院行かず」(NHKニュース) 


タイムラインを簡易的にまとめました。 


201612月 「家の外に出されたり、怪我をしたりして」一度めの一時保護


20173月 「家の外に出されたり、怪我をしたりして」二度目の一時保護


      本件で2回書類送検


178月 体にあざがあるのを医師が見つけ、児童相談所に連絡。「パパに蹴られた」と開示。 


1712月 雄大容疑者(父)が仕事の関係で東京 目黒区に引っ越し、翌月には優里容疑者(母)と結愛ちゃんも雄大容疑者のもとに引っ越す


201814日 「児童福祉司指導」を解除


181月 香川県児童相談所が品川区児童相談所に資料を送り、引き継ぎ


181月末 目黒区「今年の1月末から要保護児童対策地域協議会 個別ケース検討会議を開催する準備を進めていた」


182月 引き継ぎを受けた品川児童相談所の担当者がアパートを訪問。優里容疑者(母)に「関わってほしくない」などと言われた 


183月 結愛ちゃん虐待死 

親権停止してたら救えた可能性

タイムラインでは、四ヶ月間で二度も親から引き離し、一時保護しています。 


これは、相当深刻度が高く、命に関わるシチュエーションです。


こうした場合、自動的に親権停止し、里親委託や特別養子縁組に移行する仕組みになっていたら、彼女は亡くならずに済んでいたでしょう。 


しかし、日本の親権停止件数はわずか17件。ドイツが12000件以上、イギリスが5万件以上なのに対し、ほとんど行われていないレベルです(出典:2012年度資生堂児童福祉海外研修報告書)。


日本では長年、子どもの権利よりも親権が優先されてきた歴史があり、いまだにそれが続いてしまっています。


例えば児童養護施設に子どもを預けたまま、何年も会いに来ないケース。たとえ里親や養親さんが見つかっても、親がノーと言ったら、子どもに里親・特別養子縁組委託はできません。 

児相職員の専門性がもっと高く、もっと人数がいたら救えた可能性

現場の児相職員の方々は、昼夜を問わず働いてくださっていて、心から敬意を持っています。


しかし、今回のケースは、2回も一時保護し、父親は2回書類送検され、さらには医療サイドからの通告もあり、子どもも「パパに蹴られた」と言っているわけで、明らかに一時保護から家庭に戻してしまってはいけないケースだったのではないでしょうか。


後知恵となってしまいますが、アセスメントが甘すぎたと感じます。


児相職員の方々の多くは、他の部署からの異動によって来られた方々で、数年経つとまた異動されます。それによって専門性が磨きにくい、という制度的な限界もあるでしょう。


また、ケースワーカーが持つケースも多すぎで、1人で100件近いケースを持つ場合もあります。


ちなみに東京都は人口約1300万人で11の児童相談所が管轄しているので、いち児相あたり100万人のエリア感。子どもの人口は約12%ですから、12万人以上の子どもを数人(4万人あたり1人の基準)で担当しています。


こうなると、常にケースに追いまくられるため、十分なアセスメントを行えなくなるのも必然です。

里親・養親がもっといれば救えた可能性

児相が親子を引き離す「一時保護」を躊躇する理由のひとつが、一時保護した「後」です。


一時保護所は数が少ないので、もともと通っていた学校には通えなくなったり、虐待児と非行児が一緒の部屋になったりと、子どもの心理的負荷は大きいです。また「一時」保護なので、一定期間しか保護できません。


一時保護した後に、適切に受け入れてくれる、少人数で家庭的な施設や里親、あるいは養子縁組をしてくれる養親さんがたくさんいれば、一時保育はしやすくなります。


しかし、現在はそうした施設や里親さん達は圧倒的に不足しています。よって、児相が一時保護したくてもできない事情もあります。 

警察と全件共有していたら、救えた可能性

今回のケースは、品川児相が2月に訪問したのに、母親が「関わって欲しくない」と面会を拒否しています。


ここで、警察が介入し、子どもを保護すべきでした。 


3月時点で12キロという小ささだったので、目視をすれば虐待事実が確認できたはずです。 


足立区のうさぎ用ケージに3歳児が監禁され虐待死した事件でも、児相から子どもに会わせてくれないと警察に連絡が行き、警察が子どもが家にいないことが確認し、虐待されていた次女も保護しました。


親が子供に会わせない、威嚇・過去に虐待歴がある等の場合は、児相は即時に警察と情報共有をし、会えない場合は警察が家に踏み込んでいくべきです。


それ以外のケースについても、月1回等と頻度を決め、児相と警察でケースを共有するべきです。いずれにせよ、すべてのケースを児相と警察で共有するのです。 


実際に、愛知・茨城・高知では、児相と警察との全件共有が行われています。 


しかし、今回の事件があった東京都や香川、その他多くの児相は警察との全件共有を行なっていません。 


子どもの命に関わる問題なのに、地域ごとにバラツキが出てしまっている状況です。


2月の訪問失敗の1ヶ月後に、結愛ちゃんは亡くなっています。


あの訪問時に警察が踏み込んでいたら、ギリギリのところで救出できたはずです。


しかし昨日(7日)、都議会では虐待防止NPOが提案した全件共有の要請を、警察消防委員会では不採択。厚生委員会では後ろ向きな「継続審議」となったそうです。

最後に

親権制限や警察との全件共有は、政治がルールを変えれば良いだけ。児相のキャパ不足も予算をつければ良いだけ。


なぜそれができないか。この社会的養護の分野は、最も票になりにくいからです。だから熱心に動く議員自体が少ない。


でも、票にはならなくても、「評」(評判)にはできます。この分野で動こうという政治家を、ネットや街頭で応援しましょう。あるいは次の選挙で駅前に立つ政治家に「児童虐待に取り組む?」と聞いてください。


子どもが虐待で死ぬニュースを見て、その場だけで胸を痛めても、悲しくなっても、再発は防げません。


一過性の感情だけで終えず、制度を変える、お金の使い道を変えることに繋げて、構造的な再発防止を目指しましょう。


それが彼女を助けられなかった我々大人にとって、せめてもの償いではないでしょうか。




編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年6月7日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。


拍手

人前で話すこと

「逝きし世の面影」から、是枝裕一監督の発言(文章)引用部分を一部転載。

「23年の間に気付いたことは、映画を撮ること、映画祭に参加すること自体が既に政治的な行為であるということだ。」

というのは、鋭い発言だと思う。映画を撮ることはともかく、映画祭に参加することは、その映画の社会的認知(公認)の拡大を求める、非常に政治的な行為だろう。商業的な成功にも関係する「経済的行為」でもある。それはその映画の製作に関わった人々の生活にも関係する。

私が、沢尻エリカという女優を社会人失格、いや、人間失格だと見做したのは、彼女が、自分が主演した映画のオープニング上映でこの映画についての感想を記者から聞かれて「別に」と答えた、あの出来事のためである。「感想は無い。この映画はその程度の、つまらない、見るに値しない映画である」と言ったも同然である。その映画の出来がどうだったかはともかく、この発言は、この映画の製作に関係したすべての人間の営為を一瞬で崩壊させるものだった。実際、映画公開後、まったく観客は入らなかったと思う。つまり、彼女は、その無思慮さによって多くの人の生活にダメージを与えた。だから、人間失格だ、と言うのである。
沢尻本人はたまたまその時不機嫌だったのかもしれない。このような質問に答えるための「答案」を予め準備していなかったのかもしれない。しかし、人前で発言することは、政治的な行為なのであり、女優は映画宣伝の場では政治家であることを要求される。

たった一言がすべてを崩壊させる。人前で何かを言うということは、それほど恐ろしいものだ。であるならば、「お座敷に出せない人間」を座敷に出してはいけないのである。私自身そういう人間だから、人前にはほとんど出ず、言いたいことはブログに書くだけだ。無名人のネットでの発言など、水の泡のようなものであり、「かつ消えかつ結びて久しく留まりたるためしなし」である。


(以下引用)




映画監督なのだから政治的な発言や行動は慎んで作品だけ作れというような提言?もネット上でいくつか頂いた。僕も映画を作り始めた当初はそう考えていた。95年に初めて参加したベネチア映画祭の授賞式でのこと。ある活動家らしき人物がいきなり壇上に上がり、フランスの核実験反対の横断幕を掲げた。会場にいた大半の映画人は、立ち上がり拍手を送った。正直僕はどうしたらいいのか…戸惑った。立つのか立たないのか。拍手かブーイングが。この祭りの空間をそのような「不純な」場にしてもいいのか?と。しかし、23年の間に気付いたことは、映画を撮ること、映画祭に参加すること自体が既に政治的な行為であるということだ。自分だけが安全地帯にいてニュートラルであり得るなどというのは甘えた誤解で不可能であるということだった。
 映画祭とは、自らの存在が自明のものとしてまとっている「政治性」というものを顕在化させる空間なのである。目をそむけようが口をつぐもうが、というかその「そむけ」「つぐむ」行為自体も又、政治性とともに判断される。しかし、このようなことは映画監督に限ったことではもちろんなく、社会参加をしている人が本来持っている「政治性」に過ぎない。日本という国の中だけにいると意識せずに済んでしまう、というだけのことである。少なくともヨーロッパの映画祭においては、こちらの方がスタンダードである。今僕はその“しきたり”に従っている。もちろん公式会見や壇上のスピーチではそういった行為は避ける。「作った映画が全てだ」という考え方がやはり一番シンプルで美しいと思うから。しかし、これは個人的な好みの問題でしかない。個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。その態度をなんと呼ぶかはみなさんにお任せいたします。

拍手

男三人集まれば

女が三人寄れば「姦(かしま)しい」だが、男が三人寄れば「謀(たばか)る」なのか。(下の、鎌倉時代に作られた国字参照)
なるほど、政治的軍事的陰謀は男の世界。日常的な小さな嘘は女性のほうが上手いと思う。


(以下引用)



さんがリツイート

鎌倉時代の国字も見たいとあったので鎌倉時代の辞書に載ったインパクトのあるのと分かりやすい国字だけ紹介…


拍手

先天的サイコパスと後天的サイコパス

「ハフィントンポスト」記事の一部で、例の目黒の5歳児死亡事件の父親に関するものである。
ネットスラングで言うところの毒親というものだろう。子供にとって害悪でしかない親のことである。その一方で、子供は生存を親に依存せざるを得ない立場であり、こうした状況では子供を救うことは極度に困難になる。児童相談所や家庭裁判所が家庭の内情を知ること(特に子供本人からの聞き取りなど)が難しい上に、親から子供を引き離すことも人権侵害に当たる可能性が高いからだ。
不思議なのは、子供を死に至らせるまで虐待する親(実父ではなかったようだが)の心理である。母親の方も、自分が生んだ子供でありながら、虐待に加担し(少なくとも黙認し)ていたわけだが、主犯は父親の方と思われる。当人は、その虐待を本気でしつけや教育と思っていたのだろうか。その「教育」内容が下に書かれたものである。

私は、世の中の人間の3%は生まれつきのサイコパスだと思っているが、この事件の父親のようなのはそういうサイコパスかどうか、判断しにくい。つまり、当人自身は教育に関する或る種の「主義」で行動しており、その意味ではネトウヨ層とほとんど同じだからである。子供への異常な対応以外は案外まともな生活を送っていたのではないか。つまり、生まれつきのサイコパスではなく、誰でもそうなる可能性がある「後天的に形成されたサイコパス」なのだろう。そういう後天的サイコパスを含めれば、世の中の10%くらいはサイコパスかもしれない。
厄介なのは、表の顔だけを見れば、そういう人々はまともに見えることである。例の日大タックル事件の内田監督や井上コーチも「後天的サイコパス」「隠れサイコパス」と言えるのではないか。


(以下引用)


5歳児に対し過大な期待「モデル体型を維持」

父親は、児相の聞き取りに対し「きちんとしつけないといけないから」と繰り返し説明していた。

県の職員は「5歳児に対して、父親が過大な期待をしていた。とにかく養育や作法について、強いこだわりが見えた」という。

細かなこだわりは、結愛ちゃんの言動からも推し量られた。結愛ちゃんは職員に対し「勉強しないと怒られるから」と伝えていた。

人に会うときは、しっかりおじぎをして、あいさつをしないといけない。

ひらがなの練習をしないといけない。

はみがきは自分でやり、怠ってはいけない。

太りすぎてはいけない。

また、雄大容疑者は体重に対しても異常に気にするそぶりがあり、優里容疑者に「子どもはモデル体型でないと許さない。おやつのお菓子は、市販のものはダメだ。手作りしろ。野菜中心の食事を作れ」と言っていたという。

また、一時保護を解除したときにした「祖父母の家に定期的に預ける」という約束も、「祖父母は子どもを甘やかす。歯磨きすら一人でできなくなる。だからもう行かせたくない」などと言い、だんだんと預けることがなくなったという。

拍手

夢の中で見た情景

別にいつも政治のことを考えているわけではないのだが、今日の起き抜けの夢(私は、夢を見る時はだいたい、目覚める直前に見るのだが、誰でもそうなのだろうか。)に今上天皇が出てきて、目が覚めてから、これは何なのか、と少し不思議に思った。
夢の内容は、私自身は登場せず、(小説技法で言えば「神の視点」「第三者視点」で)出来事を傍で見ているだけだったのだが、何かの式典の後で今上天皇に与党系の若手代議士と若手自衛隊員が詰め寄って何か文句を言っている情景だった。そして、今上天皇が、「私が平和を求めて一生懸命になるほど、文句を言われる」とお付きの人か誰かに苦笑をしながら言っている、という夢である。
まあ、私自身が今上天皇やそれを取り巻く状況に対して持っているイメージがそのまま夢になったのかと思うが、政治的な問題を本物の夢の中で見たのは初めてだったので、奇妙な気持ちになった。

拍手

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析