忍者ブログ

「夢」商売人(主に教育者)の害悪性

私が「夢を持て」「若者は大きな夢を持て」という言説が大嫌いだということは何度か書いていると思うが、下の島田編集長の言葉は、その害悪性を明確に説明している。

(以下引用)

モーニング 島田英二郎編集長

島田英二郎 @asashima1

およそ「あきらめなければ夢は必ずかなう」ほど悪質な言説はないと思う。こういうコトバが幅をきかすと夢を途中であきらめる若者は「夢がかなわなかったのは私が途中であきらめたからだ」という自責の念をしょいこまなければならなくなる。


  2012-03-01 09:36:48
島田英二郎 @asashima1

執念は大事だが、夢がかなうか否かはやはり才能の問題。すごい才能がいるわけじゃなくて、ほんのちょっと才能があればあとは確かに「あきらめないこと」とかそのあたりが大事になってくるんだろうけど、その「ほんのちょっとの才能」の有無は決定的な差です。


  2012-03-01 09:37:18
島田英二郎 @asashima1

「漫画家の夢をあきらめた」若い人の話に、最近立て続けふれる機会がありました。あきらかに不必要な負い目を感じていて、見てられなかった。いいんだよ、向いてないと思ったらどんどん違う道さがして。そんなに時間ないんだから、人生は。


  2012-03-01 09:38:16
島田英二郎 @asashima1

夢をかなえるのに大切なのは「自分がどんなことに向いてるか」、少なくとも「どんなことには向いてない(才能がない)か」を悟るカンです。どんなに好きでも向いてないことは向いてない。


  2012-03-01 09:39:06
島田英二郎 @asashima1

夢をかなえるのに必要なのは「向いてない夢はとっととあきらめるいさぎよさ」です。ある程度はあきらめていかないと、かなう夢にも出会えない。


  2012-03-01 09:39:21
島田英二郎 @asashima1

いろんな道の成功者たちも、実はけっこういろんなことをあきらめてきてるものです。普通は。人生なんてあきらめることの連続なんだって。別にそれでいいんだよ。負い目もたなくていいから。あきらめた自分が悪いんじゃないから。


  2012-03-01 09:40:03
島田英二郎 @asashima1

いい大人が「あきらめなければ夢は必ずかなう」なんて言わないでほしい。そんなことあるわけねえだろ。じゃあ、オリンピック出れなかった奴らはみんな途中であきらめたからかよ!? あきらめたそいつの根性のせいかよ!? 子供は真に受けるんだからヘンなこと言うのやめなさい。


  2012-03-01 09:40:47
島田英二郎 @asashima1

周りにどう言われようと自分の才能を信じることも大事。そう思える人はあきらめずにがんばってください。でもそう思い続けるのが困難になったとき、別の道をさがすのはちっとも悪くない。というか、さがしなさい。自分の人生なんだから。


拍手

PR

凶兆としてのカササギ

今、読みかけの「暗黒事件」(バルザック)の中に、カササギが不吉なことの象徴のようにされている文言があり、そういえば、ロッシーニの「泥棒カササギ」という曲もあり、西洋ではカササギは凶兆なのかな、と思って調べてみた。

中世以来、カササギは魔女悪魔に奉仕する不吉な鳥とされている。

ということらしい。


なお、私はサギとカササギの違いはよく分からない。

(以下引用)

絞首台の上のカササギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『絞首台の上のカササギ』
オランダ語De ekster op de galg
英語The Magpie on the Gallows
作者ピーテル・ブリューゲル
製作年1568年
種類油彩
寸法45.9 cm × 50.8 cm (18.1 in × 20.0 in)
所蔵ヘッセン州立美術館、ダルムシュタットドイツ

絞首台の上のカササギ』(こうしゅだいのうえのカササギ、De ekster op de galgThe Magpie on the Gallows)は、フランドルの画家ピーテル・ブリューゲル1568年に描いた絵画[1]。『絞首台のカササギ』とも[2]

概要[編集]

晩年のブリューゲルは、より一層低い視点による身近なシーンを描いていた。しかしながら、本作では以前と同じように、16世紀前半にネーデルラントで描かれた「世界風景画」 (en:World landscape) の伝統に連なるパノラマ風景画に舞い戻っている[3]


本作は、遺作とされており、画家は身近な暮らしの情景やその中に潜んでいる不安や恐怖を、広く大きい自然とともに描き出している。カレル・ヴァン・マンデルは、1604年発表の『北方画家列伝』の中で、「ブリューゲルは遺言によってこの絵を妻に遺し、カササギによって口煩い人々を表し、絞首台に送った」と述べている[3]


ベルギーのシント=ゲルツルディス=ペーデ (en:Sint-Gertrudis-Pede) には、本作に描かれた水車が残っている[2][4][5]

作品[編集]

ネーデルラントの初秋の午後の風景が描かれている[6]。カササギが木製の絞首台の上に止まっている。中世以来、カササギは魔女悪魔に奉仕する不吉な鳥とされている。しかし、本作ではカササギや絞首台の他に、画面右手前に描かれた牛の頭蓋骨などが、死の恐ろしさを鑑賞者に感じさせている[3]


その一方で、画面の左側では、農民たちが踊っている他に、中景まで続いている市で賑わう村の道の様子など、晩年のブリューゲルが好んで扱った、農民たちが元気よく暮らす様子が描かれている[3]


カササギは他人の陰口や悪口をいうおしゃべり好きな女性の象徴であり、そのような人は絞首台に連れて行かれても仕方がない、それはまたプロテスタントの教えを宣伝するための説教をする、おしゃべりの多い牧師たちを絞首台に連れて行ったスペインの支配者をも示唆するといい、不必要なおしゃべりや密告などは自粛するべきだ、というメッセージにもなっている[7]


画面の最も左下の草の茂った場所で糞をしている人は「絞首台に糞をする」という、『ネーデルラントの諺』でも描かれている諺を、バグパイプ奏者が奏でる音楽に合わせ、絞首台の左側で踊っている2人組と3人組の人たちは「絞首台の下で踊る」という諺を描いている[7]

解釈[編集]

絞首台は、『死の勝利』や『十字架を担うキリスト』、『牛群れの帰り』にも描かれているが、これらのいずれにも刑が執行された後の死体がぶら下がっている。一方で、本作の場合、絞首台に死体はつり下げられていない。もっぱら、絞首台という物体が奇妙な形で立っているだけであるかのように見えるように描かれている[7]


中央に立っている絞首台の右側に、木でつくられた十字架が描かれている。この十字架が立てられている墓地は、かつてこの場所で絞首刑を受けた人の墓所であると考えるのが一般的であるが、十字架は、絞首刑によって死んでいった人々への鎮魂のための十字架であるようにも解釈できる[7]


左右に描かれた大きな樹木に挟まれて中央に立っている奇妙な形の絞首台、その上に止まっているカササギ、その下の朽ちて立ちすくんでいるかのような十字架、さらにその下方に静かに横たわる風車小屋ののんびりとした風景、絞首台の左側で踊る農民たち、木々の向こう側に見えている比較的大きな規模と思われる町の家屋群、さらにその向こう側に見える大河、その水際に建っている城砦、遠景として描かれた薄紫色の山々とその上の水色の空、これらのすべての要素が、それぞれに独立しながらも同時に関係しあい連続して、ひとつの絵画の世界をつくり上げている。この構成によって、「これが世界というものである」という世界の「世界性」が表現されているのである[7]

評価[編集]

ヘッセン州立美術館が発行している本作の解説を書いたギゼラ・ベルクシュトレッサーは、本作に関して、「構図的にも、色彩的にも当時の最高度の技術を駆使しており、ルーベンスへの道を切り開いたばかりでなく、17世紀オランダ絵画の先駆となった作品である」と記している[8]


拍手

米国にとっての日本の意味(トルーマン発言)

「大摩邇」所載の「ナカムラクリニック」記事の後半で、長いし画像が多いので前半は割愛。
これを載せるのは、トルーマンの有名な発言が載っているからだ。知識としては知っていても、完全に読んだ人は少ないのではないか。

(以下引用)


これまで、厚労省がワクチン接種率向上をはかるため、世論形成のために大手PR会社と様々な策を打ってきた。あるNPOメディアがその活動内容の公開を求めたところ、厚労省の返答は、なんと、完全な黒塗りだった。
つまり、政府は国民に手の内を明かさないということだ。


画像

一方、政府は、平時から「誤情報」を常時監視することを決定した。
ワクチンで多くの人が死亡することも恐ろしいが、情報統制も負けず劣らず恐ろしい。
さらに恐ろしいのは、このような政府の姿勢に対して、メディアがまったく危機感を持っていないことだ。


画像

毎日新聞の社説が『ネットに広がる偽情報、社会全体で危機感共有を』と題して、ファクトチェックについて、肯定的に評価している。


画像

メディアの役割というのは、権力が暴走しないように監視することだよ。
それなのに、メディアのみなさんが、権力の暴走を支持してどうするのよ


画像

恥ずかしいことに、日本のメディアは先進国のなかでもトップレベルに低くて、G7中で最下位、世界的には70位。
反権力としてまったく機能していないということです。


画像

まず、政府が持って行きたい方向があって、マスコミがそこに「世論」を乗っける。本当はそんな世論、どこにも存在しない。でも事実は関係ない。「そんな空気」を作ればいい。誰も事実を検証することなんてできないだろう、と高をくくっている。
結局この国のメディアは、太平洋戦争の頃と何一つ変わっていないんだ。


画像

地方自治法改正が、恐らく成立する。非常時に国が地方自治体に指示を出したとき、自治体はその指示に対して法的義務を持って対処しないといけない。違反すれば拘束される。たとえば、コロナのようなパンデミックが起こったとして、国が自治体(県とか市)に対して「ワクチンを打て」と言えば、自治体は接種の義務を負う。
これは、要するに、「第二の南出市長」を出さないための法律です。
ワクチンの危険性をすばやく見抜き、市民に送付する接種案内には『接種は任意です。よくよく考えて』というような市長メッセージを添付したり、小児に対してはコロナワクチンの通知自体を送らない。そんな不届きな市長が出ては困る。国は、この平時から次なるパンデミックに向けて、着々と手を打っているわけです。


画像

ワクチンで健康を奪われ、バタバタと死んでゆき、未来の日本を担う子供は生まれず、危険性を訴える声は押しつぶされ、経済的に失墜し、国力が衰退してゆく。
ああ、国はこういうふうに滅んでいくのだな。


画像

結局、これだった。
これまで、飼い太らされていた。今、収穫の時期。
用済みになった国は、地震兵器でぶっ壊して、あとは中国にでもくれてやるつもりだろう。
戦争に負けた時点で、日本の運命は決定していたのかもしれない。


画像

もうすぐ、ものが自由に言えない社会が来るだろう。
このnoteはすでに検閲されていて、たとえば僕や荒川央先生の記事は、検索してもヒットしないようになっている。しかし、6月以降、偽情報の常時監視が行われるようになれば、僕のアカウント自体がぶっ飛ぶ可能性もある。
しかし、ものが言えるうちは、最後まで情報発信を続けたい。
女房子供のいる身だから、自分の安全の範囲内で、ということになるけれど。

拍手

日本国民の「教育」レベル

「3割が小学校までに学習カリキュラムについていけなくなる」という言葉の「までに」の意味が曖昧だが、これは「小学校段階で」の意味だろう。普通の「までに」だと、たとえば「この仕事は9日までに終わらせてください」と言えば、「9日」がタイムリミットになる。まあ、それでも「9日」が含まれなくて「8日」が期限だ、と思う人もいるはずで、「までに」という言葉は曖昧である。
仮に、「小学校までに」が、「小学校に入る前に」だと、幼稚園に教育カリキュラムがあるのか、という話になるww で、国民の大半は小学校レベル以下(幼稚園児レベル)ということになるが、まさかそういう意味ではあるまい。
単純に、「日本国民の3割は小学生レベル、5割が中学生レベル、7割が高校生レベル」と言うなら、これはかなり優秀なのではないか。それは高校の教育内容を見れば分かる。私は高校の教育内容の半分どころか5分の1くらいしか理解できていないと思うが、それでも一応は大学に合格はした。まあ、大学入試は運もあるし、私の時代の沖縄には優遇制度もあったのであるが。
これも一応言えば、私は小学校の理科や中学校の理科のほとんどは理解できていなかった。被子植物とか裸子植物とか、今でも何のことやら分からない。理解する意味もない気がする。

要するに、日本の学校教育の8割くらいは庶民の実生活に無関係だということだ。最低限必要なのは小学校の四則演算と読み書きくらいだろう。つまり、昔の「寺小屋」程度の教育内容で十分なのであり、難しい数学や理科よりも、実社会の知識、つまり税金とか法律の最低限の知識が有益なはずだが、実は教師のほうもそちらはあまり知らない可能性が高いww
なお、日本人の四則計算能力の高さは外国人には驚異であるらしい。これは小学校教育だけは大成功しているということではないか。このことは、中学校以上の教育が、すべて大学受験を目的とした、馬鹿げた教育内容になっていることと同根だろう。

(追記)今読み返すと「日本人の3割、5割、7割」を足すと15割になるではないか。私の知能は小学生以下かwww

(以下引用)

【悲報】教育のプロ『ドラゴン桜は嘘です。主人公たちは底辺でもなんでもない。むしろ元から優秀です』



ドラゴン桜



1: 『ぶいあに』で検索! 2024/05/02(木) 13:41:50.81

「平方根を暗算できる上に英文の主語・述語・目的語の並び順がわかってる時点で底辺どころか明らかに平均より上です」








 





拍手

「ポリコレ」行動の最大の問題点

まあ、言っていること(書いていること)の大半は愚劣か意味不明かのどちらかだが、ごくたまに、ごくごくたまに珠玉のような指摘をすることがある「バカ国民帝国日本の滅亡」記事の一節である。これは「ポリコレ」の最大の問題点を見事に剔抉していると思う。ポーの言う「地図の中で、あまりに大きすぎて目にとまらない文字」のようなものだ。

(以下引用)


ここまで言ったので、補足するが、ポリコレの問題点は…


 


何の権限もない、カンケーない人々が他人に指図するところである。


 


これは、私的に警察権、裁判権を行使しているのと同じで憲法違反の行為。


 


つまり、ポリコレ団体は「強要の罪」を冒している疑いがあるのに、


 


マスコミがこれを応援している。


 


マスコミは、いまや犯罪の教唆・幇助を専門とする犯罪組織と化している。


 


 


拍手

「メランコリーの妙薬」はあるか?

私は鬱病になったことが無いので分からないのだが、鬱病は病気なのだろうか。
昔はそういう「正体不明の憂鬱、憂愁」というのはべつに病気とはみなされなかった。思春期の青少年の多くはそういう憂愁を感じることが多いし、小説家や詩人の中にも、多かった。それは「病気ではなかった」のである。近代では芥川龍之介などが精神病だと判定されたようだが、結局は治癒できなかった。それは「病気ではなかった」からだ、という説を私は提起しておく。たとえ病気だとしても、治癒不可能なら、それを病気扱いすることに何の意味があるか。もちろん、危険性のある狂人を放置せよ、というのではない。そういう「危険物」は監禁するか監視下に置くだけのことだ。
なお、私は「精神に影響を与える薬物」の存在自体を否定しているのではない。単純な例で言えば、酒などもそれに当たる。煙草もそうだろう。そして、酒や煙草のほうが、下の記事で書かれているような「医師の処方する精神薬(実は麻薬)」よりもはるかに安全だと思う。昔から酒などは愁いを払う存在とされており、煙草が精神を平穏化するのは過去に愛煙家だった私が保証する。ただ、その両者とも害も大きいことは認めるのだが、精神科に通うよりは害は小さいだろう。

(以下「大摩邇」から転載)

今日のアメリカにおける死因の第一位は医薬品である Ethan Huff

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/medical%20tyranny/leading%20cause%20of%20death
<転載開始>

The leading cause of death in America today is PHARMACEUTICALS 04/25/2024 // Ethan Huff


https://www.naturalnews.com/2024-04-25-leading-cause-death-america-today-pharmaceuticals.html



生乳、銃、ワクチン未接種者、TikTokのようなものは、私たち国民を害から守るために禁止する必要があると政治家からよく聞きます。でも、なぜ同じ人たちが、実際に大差でアメリカ人殺しの第一人者であるビッグファーマを支持するのでしょうか?


処方薬は現在、心臓病やガンを凌いで、アメリカにおける死因の第一位となっています。その中でも、特に精神科の薬はトップキラーとして第3位を占めています。


医薬品は「薬」であるはずだ、そう言われているにもかかわらず、アメリカ社会で最も多くの命を奪っているのは医薬品なのです。なぜ私たちはこんなことを我慢しているのでしょうか?


ブラウンストーン研究所に寄稿したピーター・C・ゲッチェ[]は、この問題に関するコンソーシアム研究を調査しました。彼の調査結果は、米国食品医薬品局(FDA)が規制する合法ドラッグ業界の深刻な問題を指摘しています。


信じられないかもしれませんが、FDAによって承認され、医師によって処方される合法ドラッグは、アメリカ人を最も多く殺すものの一つです。つまり、医者はアメリカ人の死因のトップであり、犯罪者よりも危険なのです。


ゲッチェが調べた研究はすべて古いものです。このテーマに関する最新情報はそれほど多くなく、それはおそらく、製薬業界が死と隣り合わせであることを露呈することになるからでしょう。


(関連:製薬業界が新たな利益源を生み出すために、失敗した医薬品のブランド名を変えていことをご存知でしたか?)



「自然死」の多くは医薬品が原因


ゲッチェが掘り起こしたもう一つの興味深い小ネタは、病院記録と監察医の報告書です。


「自然」あるいは「原因不明」とされた死因のほとんどは、実際には医薬品の中毒、特に精神疾患のために処方された医薬品に起因していると遡ることができます。


「精神分裂病の若い患者が突然死んだとしても、それは自然死と呼ばれる」と、ゲッチェは書いています。「しかし、若くして死ぬのは自然なことではない。そして、神経遮断薬が致死的な不整脈を引き起こすことはよく知られている。」


「多くの人が、薬の副作用を疑うことなく、服用した薬で亡くなっている。うつ病治療薬は、起立性低血圧、鎮静、錯乱、めまいを引き起こす可能性があるため、主に高齢者の間で多くの人が死亡している。この薬は用量依存的に転倒や股関節骨折のリスクを倍増させ、股関節骨折後1年以内に患者の約5分の1が死亡する。高齢者は転倒することが多いので、このような死亡が薬物によるものかどうかはわからない。」


アメリカにおけるもう一つの一般的な死因は、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)です。NSAIDsは全国のドラッグストアや食料品店で市販されています。


「非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)は、主に心臓発作や出血性胃潰瘍によって何十万人もの命を奪っている。しかし、このような死亡は薬剤を服用していない患者でも起こるため、副作用としてコード化される可能性は低い」と、ゲッチェは付け加えています。


1998年に米国で行われたメタアナリシスでは、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)などの副作用により、毎年少なくとも106,000人の患者が病院で死亡していると推定されています。より多くの医薬品が市場に出回るようになった今日、この数字がどれほど高いかは想像に難くありません。


1998年当時は、一般人が医薬品を服用することはほとんどありませんでした。今日、医薬品の使用は非常に一般的であり、2019年現在、すべての新生児は、人生の約半分の期間、処方箋薬を服用すると予想されています。


ビッグファーマに関する最新のニュースは、BadMedicine.newsでご覧いただけます。


Sources for this article include:


Brownstone.org


NaturalNews.com


関連


ヤブ医者とは誰か? Mike Stone

拍手

「医学界の権威」と「カネ儲け主義医療」が生む膨大な悪業

ここに書かれた「過去の医学界の過ち」は、ほとんどの人が知っているだろうが、しかしそれでも人々は病気になると病院に行き、医者に頼り、その処方に従うのである。私ももちろん同じだ。それは、単純に「ほかに手段が無い」からである。である以上、「医学界の正常化」以外にこの問題の解決策はない。つまり、医学界が正直になり、過ちを即座に過ちと認めるか、効果の怪しい、あるいは害のある治療法を中止し、あるいは禁止することを続けるだけのことである。しかし、そういう行為は「医学の権威を傷つける」から彼らはけっしてやらない。そこにこの問題の本質がある。もちろん、さらにその根底には医療や医学界の「カネ儲け主義」があるのはもちろんだ。

わざわざ言うまでもないが、これは歯科や眼科や耳鼻咽喉科など、原因と治療が明白な医療を例外とする問題である。信じられるのは、そういう「明白に技術的分野」の医療だけだろう。下の記事も、そういう前提で読むべきだと思う。
アメリカなどでは歯医者に行くと法外な治療費を請求されるので歯医者にも行けない人がゴロゴロいるという。我々は、それが空気や水のように「当たり前」になっているために健康保険制度の驚異的な恩恵を理解していないのである。まあ、若いうちは「俺は病気になどならないから、健康保険費を払うのは馬鹿馬鹿しい」と自惚れていても、人生の後半では病気だらけになるのである。
 
(以下引用)

医学界の権威はほとんど常に間違っている Dr Vernon Coleman MB ChB DSc

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/medical%20tyranny/the%20medical%20establishment
<転載開始>

The Medical Establishment is nearly always wrong  Dr Vernon Coleman MB ChB DSc


https://www.vernoncoleman.com/isnearlyalwayswrong.htm 


 


医学界の権威は、常に自分たちがすべて正しいと思い込んでいる。そしてジャーナリストも、医学界の権威は常に正しいと思い込んでいる。


 


しかし、状況や運動家によって見解を変えざるを得ない状況に追い込まれるまでは、医学界の権威はほとんど常に間違っていることが、証拠によってはっきりと証明されている。


 


医学界が犯した重大な過ちのおかげで(そのいくつかをこれから挙げる)、今や医師はがんや心臓病や感染症よりも多くの人を殺傷している。医療機関のおかげで、病院のベッドの6台に1台は、医師によって病気にさせられた患者で占められている。また、処方箋薬を投与された患者の10人に4人は、深刻な、時には致命的な副作用に苦しんでいる。


 


製薬業界によって下され、医療機関によって伝えられた決定をただ受け入れるのではなく、科学的根拠を見ることを好む人々は、傲慢にも自分たちがすべてを知っていて、自分たちだから常に正しいと思い込んでいる人々によって、反逆者として排除され、信用を失墜させるものとして罵倒される。



これは個々のミス(間違った薬や間違った量を処方したり、間違った手足を切り落としたり、手術器具を患者の腹部内に放置したり)についてのエッセイではないし、医療腐敗(製薬会社の機嫌をとるために研究結果をごまかしたり、隠蔽したり)や風変わりな行為(患者を性交させれば問題が解決すると患者に告げ、すぐに実行に移した開業医など)についてのエッセイでもない。


 


これは、医学界の権威が多くの大きな間違いを犯し、実際、正しいことよりも間違っていることの方が多いことを示すエッセイである。



このエッセイを書こうと思ったきっかけは、実験的なCovid-19ワクチンが効かないどころか、多くの重篤な副作用と多くの死者を出したことが証明された後でも、医学界の権威(そして主流メディアの熱狂的で無批判な支持者たち)が無謀にもCovid-19ワクチンを宣伝し、擁護したことである。


 


医学界の権威は常に正しいと信じている医師やジャーナリストたちは、自分たちが間違っていること、Covid-19ワクチンが多くの害を及ぼし、何の役にも立たないことを示す証拠が積み重なっても、傲慢な確信(無知、傲慢、偏見に基づく確信)を堅持していた。



製薬業界の無謀な主張を支持し擁護しようとする姿勢は異様である。少し調べれば、医学界の権威が正しいことよりも間違っていることの方が多いことが証明されるからだ。さらに、新しい治療法や診断法、新しい治療法を無批判かつ異例の熱意で宣伝する一方で、批判を呟く勇気のある者は誰でも批判するような場合、医学界の権威が間違っている可能性が特に高いことは簡単に証明できる。さらに、医学界の権威たちは、自分たちの集団的な無知に固執し、自分たちの確信に疑問を投げかける人々と議論したり、意見を交わしたりすることは決してない。


 


では、医学界の権威が間違ったことをした多くの例をいくつか挙げてみよう:


 


何世紀にもわたり、医学界はガレノスの研究に基づいてすべての知識と仮定を構築してきた。問題は、ガレノスがすべての結論を人体の解剖学ではなく、豚の解剖学に基づいていたことである。


 


医師たちはかつて、血を抜くことは万能薬だと信じていた。彼らは弱った患者から血を抜くためにヒルを使ったり、傷跡をつけたりして、必ず死を早めた。



何世紀もの間、医師たちはもうひとつの万能薬として下剤を用いてきた。悲しいことに、彼らが熱心に使った下剤は何の役にも立たず、大きな損害をもたらした。


 


かつて医師たちは、患者に灰色のトカゲを飲ませることでがんを治療していた。


 


青酸カリ、水銀、ヒ素は日常的に薬として使われ、しばしば致命的な結果をもたらした。


 


医学界は、ジェームズ・リンド[James Lind]によってその関連性を認めざるを得なくなるまで、壊血病の原因がビタミンCの不足にあることを認めようとしなかった。


 


医学界はかつて、喫煙は健康によく、特に胸部疾患の治療に有用であると主張していた。


 


看護と病院経営に対する医療界のアプローチは、スクタリの病院で42%の死亡率をもたらした。フローレンス・ナイチンゲール[Florence Nightingale]が登場し、その手法で医療機関に衝撃を与えた後、死亡率は2%まで低下した。


 


亜酸化窒素が麻酔薬として使われるまでは、医師は手術の前に患者にアルコールを飲ませていた。


 


医学界はバルビツール酸塩を安全で効果的なものとして宣伝した。(バルビツール酸塩を使う前は、医師たちは臭化物は安全だと主張していた。バルビツール酸塩の後、彼らはベンゾジアゼピン系が安全だと主張したが、それは間違いだった)


 


抗うつ薬は効かないという証拠が山ほどあるにもかかわらず、医師は日常的に抗うつ薬を処方している。


 


医学界は電気ショック療法を承認した。しかしその後、電気ショック療法は無意味で危険であることが判明した。


 


医学界はかつて腸の切除を奨励していた。そして、それが危険であることがわかった。今日、外科医は「痩身を助ける」ために腸管の健康な部分を切除し、乳がんを予防するために完全に健康な乳房を切除している。


 


精神科医や心理療法士と話すよりも、美容師やバーテンと話す方が役に立つ可能性が高いという証拠があるにもかかわらず、医学界は精神医学や心理療法を支持している。同様に、行動療法も以前は人気があった。そうでなくなるまでは。


 


心臓手術(特にバイパス手術)は、かつては心臓病患者にとって不可欠なものと考えられていた。しかし現在では、ほとんどの場合、手術は益よりも害をもたらすことが明らかになっている。


 


医学界はかつて、脳を破壊する手術(前頭葉ロボトミー手術など)を推進していたが、それが甚大な害をもたらすことが明らかになった。


 


医療機関は集中治療室や冠状動脈治療室の使用を好んだが、これらは弱い立場の患者に大きなストレスを与えることが明らかになった。


 


アンフェタミンが危険であることが明らかになるまで、医師は減量のためにアンフェタミンを処方していた。



サリドマイドは医学界によって承認され、推進された。


 


ウェンデル・ホームズ[Wendell Holmes]、ゼンメルワイス[Semmelweis]、リスター[Lister]といった医師たちによって作業方法の変更を余儀なくされるまで、医師たちは手術室や分娩室の衛生状態を無視していた。


 


医師たちは、オプレン、ジスタルゲジック、フェニルブタゾン、プラクトロールといった薬を、深刻な副作用を引き起こすことが判明するまで、熱心に大量に処方した。


 


医学界がようやく治療法の危険性を認めるまで、医師たちは患者にけいれんを起こさせ、修正インスリン療法で治療していた。


 


医学界はかつて、LSDのような幻覚剤を患者に投与する医師を認めていた。


 


医学界は、精神障害者を罰することで治療していたが、それはまったく効果がなく、むしろ逆効果であった。


 


軽い喘息の子どもたちには、深刻な副作用が明らかになるまで、ステロイド剤が日常的に過剰に処方されていた。


 


背中の手術は、腰痛のある人なら誰にでも日常的に行われていた。



かつては、扁桃腺摘出、割礼、子宮摘出が日常的に推奨されていた。同様に、ヘルニアの手術も、多くの問題を引き起こすことが判明するまでは、不必要に行われていた。そして子宮頸部摘出術は、信用されなくなるまで、女性にとって日常的な手術であった。


 


放射線は、無害でないことが判明するまでは、医学界では無害だと考えられていた。


 


などなど。


 


私は何百、何千もの似たような例を挙げることができるが、それは医学界の権威が危険なまでに腐敗しており、その集団的で不誠実な考えを改めざるを得ない状況に追い込まれるまでは、ほとんど常に間違っていることを疑う余地もなく証明している。医療機関は、保護するために報酬を得ている患者の健康よりも、製薬業界の経済的な幸福をより重視しているのである。


 


今日、もちろん、医学界の権威(そして主流メディア)は、Covid-19ワクチンが無用で危険であるにもかかわらず、それを受け入れることを望んでいる。


 


必然的に、医学界の虚偽の主張に疑問を呈すると、私は悪者にされ、評判を落とされた。


 


医学界の権威は、その考えを変えざるを得ない状況に追い込まれるまでは、常に間違っている。数年後には、Covid-19ワクチン(および他のワクチン)が有毒で危険であることを受け入れるだろう。悲しいことに、その時には、ワクチンによって死亡したり負傷したりした人々にとっては手遅れになっているだろう。


 



さらに詳しい証拠については、ヴァーノン・コールマン著『Medical Heretics(医学の異端者たち)』(副題は「医学界の権威はいかにして真実を潰し、良い考えを抑圧するか」)と、ヴァーノン・コールマン著『The Story of Medicine(医学の物語)』(副題は「社会的、政治的、経済的、軍事的な影響が、太古の昔から近代に至るまで、人々の健康と医学の実践に及ぼした影響についての説明」)をお読みください。どちらの本も、www.vernoncoleman.com のブックショップで購入できます。



Copyright Vernon Coleman May 2024


 


拍手

カレンダー

11 2024/12 01
S M T W T F S
28
29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析