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こうして日本人は作られる

安倍政権ごますりツィートの多い田中圭一が、鈴木氏の正義感溢れるこのツィートを取り上げたのが奇妙だが、まあ、さまざまなポジションの中で生きているのが社会人である。
それはともかく、出久根達郎と思われる回答者のこの回答は

1)日本社会全体(特に若者全体)に対しては悪影響を与える回答である。
2)しかし、質問者の中3女子に対しては、日本社会の中で生きる方針を教える良回答である。

と言えるのではないかwww


(以下引用)



は?嘘だろ、この返答は酷すぎる。立場が上だというだけでやる気をなくすような言葉を弱者にぶつけ陰口まで言っている同級生から後輩を救いたいと書いているのに、その行為を一切批判せず、妥協しろ?!無難に生きろ?!思いやりと思考力、投書する行動力まである成長期の中3にかける言葉じゃない。


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引いてばかりだと土俵を押し出されるのは自明のこと

差別主義者を批判する非差別主義者(差別反対論者)に対して、「お前ら(差別反対論者)も我々(差別主義者)を差別しているではないか。自己矛盾だ。言行不一致だ」と反論する差別主義者の論法があるわけだが、下のカール・ポパーの言葉はこうした論法へのいい対処法(つまり、自己矛盾に悩む寛容主義者の精神安定にいい教え)である。

以前に孔徳秋水氏がよく言っていた「応報論(応報主義)」と似ているだろうか。つまり、「寛容には寛容で返し、不寛容には不寛容で返す」わけである。

寛容主義はべつに「すべてに寛容であれ」と主張しているわけではない。まあ、それをかなり高次元で主張したのはキリストくらいだ。(「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」「汝の敵を愛せよ」というわけだが、キリストも実は自分の思想的敵対者であるパリサイ人、つまり当時のユダヤ教指導層の言動に対しては非常に不寛容だったのである。)「無抵抗主義」のガンジーもそれに似ているが、無抵抗と寛容は同じではない。


(以下引用)



哲学者カール・ポパー
「寛容な社会は不寛容を許容するべきか?もし不寛容な者にまで寛容であろうとすると寛容な人々も、寛容な社会も、彼らに壊される。不寛容や迫害を説くいかなる扇動も犯罪でなければならない。矛盾しているようだが、寛容性を守るには、不寛容に不寛容であるということが必要だ」






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華佗の医療と健康法の現代性

華佗は古代(後漢の時代か)の伝説的な名医だが、「後漢書」に書かれたその医療法や健康保全法が非常に現代的で面白いので紹介しておく。まるで、現代の医者(ただし名医)がタイムスリップして古代に行ったみたいである。


(華佗は)薬の処方に精通している。調合する薬は数種類に過ぎない。目方をそらで見分けて、秤を用いる要はない。針や灸は、数か所だけ。
もし病原が内臓にあり、針でも薬でも届かぬとなれば、まず酒で麻沸散(大麻から取った麻酔薬)を服用させ、酔って知覚がなくなったところで、腹または背を切開し、病根を切除する。病源が胃や腸にあれば、切断し、洗滌(せんでき)して、悪い部分を除去する。そのあと縫合して、よく利く膏薬を塗る。四、五日で傷口は治り、一月くらいでみな本復する。

佗は呉普にこう言った。
「人の体はせいぜい動かすのが望ましい。ただ疲れきってはよくない。運動すれば穀物の気は消化され、血脈はよく流通し、病気は起こりようがない。ちょうど戸の枢(くるる)がいつまでも錆びつかぬのと同じじゃ。されば昔の仙人は導引ということをした。つまり熊経(夢人注:「ゆうけい」と読み、鉄棒懸垂のような運動らしい。)や̪鴟顧(夢人注:「しこ」と読み、ふくろうのように頭部を回す運動らしい。)などで胴体を引き伸ばし、関節を動かして、老けこまぬよう心掛けたのである。」「わしに一つの術がある。五禽の戯と名付ける。(略。夢人注:柔軟体操の類らしい)これも病気をなくし、兼ねて足を達者にするもので、昔の導引に当たる。体が不快な時、起き上がって五禽の戯のどれか一つをやれば、気が晴れて汗が出る。そこで粉(タルカムパウダーの類)をすりこむ。体は軽くなり、食欲が出る」
呉普はこれを実行した。年九十余りで、耳も目もはっきりしており、歯も揃って丈夫であった。


夢人補足:ちなみに、五禽の「禽」は、通常は鳥類の意味だが、動物全般にも用い、「五禽の戯」は「虎・鹿・熊・猿・鳥」の動作を真似るもののようである。まあ、体全体をくまなく動かせばいいのではないか。特に、ふだん使わない箇所(いわゆる「裏筋」)を動かして体の柔軟性を保持すればいいかと思う。




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生きる道具としての「道教」

前に書いた、司馬遷による道教解説を、見やすく整理しておく。先に、儒家との対比や私の補足などの部分をカットし、後で道教思想を箇条書きにする予定だ。長くなるようなら、箇条書き部分は別記事にまとめるかもしれない。




道家は、精神を内に集中して外の誘惑に惹かれず、無形の自然法則に合致するように行動し、無欲になることで万物あるがままに満足することを教える。
道家の道というのは、陰陽家の説く宇宙の循環法則により、儒家墨家の善いところを採り、名家法家の要点をつかんで、時世につれて移行し、対象に応じて変化する。風俗を改め、実地に施行する場合、当たらないところがない。その本旨は簡約で、守りやすい。仕事は少なくて効果は多大である。
道家のいう大道の要旨は、強気や欲望をなくし、知恵を捨てることにある。


道家は無為である。同時にまた『為さざるなし』ともいう。その実質は行ないやすいものであるが、そのことばは理解しにくい。
その道は、虚無を本体とし、因循(自然に任せる)を作用とする。固定した姿勢とか一定の形態とかがない。されば万物の本質を極め、相手の物に即応した形を取る。
法はあるけれど、一定の法はない。時勢に沿って仕事をする。尺度があるとはいえ、固定した尺度はない。相手の物に応じて進退する。されば、『聖人は巧みあらず、時の変をこれ守る』という。虚とは道の本質である。因とは君の大綱である。〔君主自身は己れを空しくし、万民の心のままに因るのが政治である〕

群臣が集まって来れば、各自その正体を示させるがよい。すなわちそのことばに実績が伴うものは、これを正言という。ことばに実績が伴わないものは、これを空言という。空言を聴き入れねば、悪事は生じない。賢愚はおのずと区別され、白と黒はこれで現われる。臣下を使おうと思えば、思いのままに使える。いかな事でも成らぬものはない。こうしてこそ、かの混沌とした大道に合致する。




およそ人が生きているのは、精神のおかげである。精神のよりかかるところは、肉体である。精神はひどく働かせれば、すり切れる。肉体はひどく動かせば、こわれる。肉体と精神が分離すれば死ぬ。死んだ者は二度と生き返らない。離れた者はもう一度くっつけられない。これで見ると、精神は生の根本である。肉体とは生の道具である。

以上をまとめると、こんな具合だろうか。

1:無欲。無欲であることで万物に満足する。
2:柔軟性。何事にも固着せず、外界の変化に対応する。
3:知恵を捨てる。理屈や我意にこだわらず、直観的に当否を判断する。
4:無為。精神や肉体を浪費しない。
5:虚無と因循。(2と同じ)
6:法や尺度に固着しない。(2と同じ)
7:言語に騙されず、実態と照合して判断する。
8:己の精神と肉体が生の本体であることをよくわきまえる。(4と同じ)


以上のようにまとめると、実にその本旨は簡約で、守りやすい。仕事は少なくて効果は多大である。」ことが分かる。上記の箇条書きも、5つに絞られるわけだ。7は組織の長の話だが、メディアリテラシーの話と考えれば、現代にも即応する。ただし、5の「因循」は、解説の中にあるように「自然に任せる」意味だが、現代人にとっては「姑息因循」と取られかねず、注意が必要な用語である。「虚無」も同様だ。
いずれにせよ、これは現代人の処世術にもなり、精神衛生法にもなり、「現代的仙人」になる道でもあり、下にいる人間への教えにも組織の長としての指針にもなりうる、まさに万能の教えではないだろうか。
特に、あまりにも変化が速く、固定したものへの信頼性の無い時代においてこそ、「無欲と柔軟性と直感的判断」はこれまでの「合理性」や「理屈」や「伝統(知識を絶対視した固定的教育内容)」よりも有効な「生きるための道具」になるように思う。(武器と言わず道具と言ったのは、道具とはまさに「道の具え」であるからだ。道教とは「道の教え」なのだから。)

「無欲・柔軟性・直観的判断」と、私は道教の本質を3つにまとめたが、実は道教の本質を一言で言った言葉もある。それが「無為自然」である。

道教は「水」と「幼児」に象徴される。幼児のように、何も心配せずに生き、「大人」の賢しらを捨てること、水のように融通無碍であることだ。




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出家とは何か

ただのジョークであるが、なかなか面白いのでメモしておく。私は仏教は大好きだし、必ずしも職業としての出家をそしる者ではない。まあ、職業としての出家というのも変だが。
出典は中国の古典随筆。漢字が難しいので題名や筆者名は略。




或るお坊さんが、毎日のように大官や貴顕の家に伺候していたが、ある日、知人に向かって、
「どうもこう交際が多くては、まったくやりきれませんよ」
とこぼしたので、その知人が言うには
「そんなに大変なら、いっそ御出家なすったらどうですかな」





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司馬遷による「道教(老荘思想)解説」

道家について司馬遷は非常に好意的に言っている。次のようなものだ。

「道家は、精神を内に集中して外の誘惑に惹かれず、無形の自然法則に合致するように行動し、無欲になることで万物あるがままに満足することを教える。道家の道というのは、陰陽家の説く宇宙の循環法則(夢人注:陰陽の変化のことだろう。もちろん、易の教えそのものが「変化」を基本思想としているのである。春夏秋冬の四時のように、季節は変化し、またもとに戻る。それをここでは「循環法則」と言っているのだろう。「易」とは「変わる」意味である。変わらないことを「不易」と言う。)により、儒家墨家の善いところを採り、名家法家の要点をつかんで、時世につれて移行し、対象に応じて変化する。風俗を改め、実地に施行する場合、当たらないところがない。その本旨は簡約で、守りやすい。仕事は少なくて効果は多大である。儒家は、そうはゆかない。儒家はいう、『君主は天下の模範である。君が唱え、臣が和する。君が先に立ち、臣が後に従う』と。これだと、君主が苦労して臣下は楽をすることになる。これに対し、道家のいう大道の要旨は、強気(夢人注:傲慢や無理を含意していると思う。)や欲望をなくし、知恵(夢人注:浅知恵とでも言うか、目の前の利益しか考えない、自分の欲望を正当化するためだけの小賢しさを私はイメージするが、「知恵」そのものの否定かもしれない。そうすると理解は困難だが、「大道」を体得している人間には知恵は不要だ、ということか。)を捨てることにある。儒家はこれをさしおいて、政治技術にたよる。そもそも精神はひどく働かせればすり切れる。肉体はひどく動かせばこわれる。精神肉体が早く衰えるようなことをしながら、天地とともに永遠に生きたいと願っても、できた例はない」

さらに、このように言っている。

「道家は無為である。同時にまた『為さざるなし』ともいう。その実質は行ないやすいものであるが、そのことばは理解しにくい。その道は、虚無を本体とし、因循(自然に任せる)を作用とする。固定した姿勢とか一定の形態とかがない。されば万物の本質を極め、相手の物に即応した形を取る。かくてこそ万物の主人となり得る。法はあるけれど、一定の法はない。時勢に沿って仕事をする。尺度があるとはいえ、固定した尺度はない。相手の物に応じて進退する。されば、『聖人は巧みあらず、時の変をこれ守る』という。虚とは道の本質である。因とは君の大綱である。〔君主自身は己れを空しくし、万民の心のままに因るのが政治である〕(夢人注:この括弧内の文は本田済氏の注釈だと思うが、その解釈でいいかどうかは措いておく。この解釈だと、君主制が民主主義とそのまま合致することになり、面白いとは思う。私は、現代日本の「象徴天皇制」はまさにそういうものだと思っているが、話が生臭くなるので、ここでは深入りしない。)群臣が集まって来れば、各自その正体を示させるがよい。すなわちそのことばに実績が伴うものは、これを正言という。ことばに実績が伴わないものは、これを空言という。空言を聴き入れねば、悪事は生じない。賢愚はおのずと区別され、白と黒はこれで現われる。臣下を使おうと思えば、思いのままに使える。いかな事でも成らぬものはない。こうしてこそ、かの混沌とした大道に合致する。天下に輝くばかりの誉れをあげて、ふたたび自然に帰るのである」

後半は、司馬遷自身が本当にそう言っているのか少し疑問ではある。と言うのは、ここで書かれた「臣下を使う方法」は『韓非子』に書かれた「形名審合」であり、法家の思想だからである。(もっとも、『韓非子』を少し読んだのは数十年前のことであり、記憶はあやふやだが。また、「名家法家の要点をつかんで」、と書いているから、法家思想も実際に道家思想に一部入っているのだろうか。)
最後に、司馬遷は先に書いたことを繰り返して、こうまとめている。


「およそ人が生きているのは、精神のおかげである。精神のよりかかるところは、肉体である。精神はひどく働かせれば、すり切れる。肉体はひどく動かせば、こわれる。肉体と精神が分離すれば死ぬ。死んだ者は二度と生き返らない。離れた者はもう一度くっつけられない。これで見ると、精神は生の根本である。肉体とは生の道具である。まず精神と肉体を安定させることもせず、『わしは天下を治める道を知っている』といっても、何によって治めようというのか?」


最後のあたりは儒家や墨家や法家への皮肉のように聞こえるが、それはともかく、道家について司馬遷が言っている言葉は、道教(そういう言葉が適切かどうか知らないが)の本質を見事に射抜いており、道教、あるいは老荘思想というのは現代的な意義を持っている、人生指南の教えであるように思う。その道が虚無を本体としている、とすれば、仏教の「空」と無縁でもない。
司馬遷の道教理解が正しいかどうか知らないが、非常に分かりやすく、有益であるのは確かだ。道教の中に紛れ込んだ古代中国の迷信部分(道教の「神」の存在など)をきれいに除去したら、老子や荘子のあの分かりにくい文章の中の「哲学部分」は司馬遷が言う通りであるように思う。








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司馬遷による、種々の思想の評価

「漢書 司馬遷伝(本田済編訳)」の中に、司馬遷が陰陽家・儒家・墨家・法家・名家・道家の特質を論じた部分があって、その中で道家について言っている言葉を読んで、道教の本質が分かったような気がする(まあ、もちろんそう感じるだけだ。)ので、少しメモしておく。

その前に、儒家について言った、次の言葉は「成る程なあ」と思ったので、それから書いておく。私自身は孔子や墨子の思想に非常に好意を持つ者だが、儒家や墨家の限界や欠陥を司馬遷は明確に見抜いていたと思う。こうした、「対象を批判的に観察して、その本質を見抜く」人間は、その対象となる集団(儒家や墨家)の内部からはなかなか出ない。人間、遠くの島は見えても、自分のまつげは見えないのである。(これは沖縄のことわざ)
儒家について司馬遷はこう言っている。

「かの儒家は六経をもって手本としている。六経の注釈書は何千何万とあり、何代かけてもその学に精通することはかなわず、幼い時から壮年までかかってもその礼を極めることはできない。されば私は『広いけれど要点は少ない。骨は折れるが効果はさほど挙がらない』というのである。けれども、儒家の、君臣父子の礼を述べ、夫婦長幼の別を立てる点となれば、他のいかな学派といえども、動かすことはできない」

もちろん、儒家の「長所」として司馬遷が挙げた部分は現代ではむしろ欠点かもしれないが、君主制の時代において社会秩序を建てるのに君臣父子の礼、夫婦長幼の序が非常に効果的であったことは明らかである。
それより、私が感心したのは、儒家の学問内容があまりに広すぎて、学ぶのが困難であり、骨は折れるが効果はさほど挙がらない、と言っているところだ。
普通なら、学問の広汎さというのは、その学問をむしろ権威化するものとされるところである。だが、それは、その学問を学ぶのに膨大な年月がかかるということであり、学んだ学問を理解し、現実社会に利用できる時間がほとんどないということ、そしてその学問を先に学んだ老人連中がその学問世界を牛耳り、新たな解釈や新たな説の前に立ちはだかるということなのである。これは現代でも大学のアカデミズムの姿そのものに思える。


長くなるので、道教についてのメモは次回に回すことにする。












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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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