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「シェフのお勧め」には気をつけよう

ホリエモンのロケット打ち上げ失敗についてのネットゲリラ記事を読んで、まだこういう詐欺に引っかかる人はたくさんいるんだなあ、と思ったので別ブログに載せた記事を転載しておく。
まあ、そもそも、このクラウドファウンディングに投資した人たちは、何の見返りを期待して投資したのか。それとも、単にホリエモンの「壮挙」を応援したくてカネを出したのか。
もうひとつ疑問なのは、ロケットの打ち上げに許可は要らないのか、それを許可した役所はロケットが見物客の頭上に落ちて死者数百人という事故になったらどう責任を取ったのか、ということだ。まあ、今の政府は政府のすることには何一つ責任は取らなくていい、となっているのかもしれないが。
ついでに言っておくと、省略したコメントの一つにあったが、落ちたロケットの本体がほとんど原形のままであるということは、「機体容積の9割(だったか?)近くが燃料」とかいうロケットの常態から見て、明らかにおかしい。本当なら、完全に爆発炎上し雲散霧消していただろう。つまり、打ち上げにどれだけの燃料が要るのかの計算もいい加減で、あるいはそれを承知の上でロクに燃料も積まずに打ち上げたのではないか。


(別ブログから転載)


町山智浩の(かどうか知らないが)ラジオ番組での発言だと思うが、

「レストランで『シェフのお勧め』は頼むな。たいていは冷蔵庫の在庫一掃だ

という言葉がツィッターに書かれていて、目から鱗、であった。言われてみれば当然の話に思える。

我々普通の人間は、「シェフのお勧め」と聞くと、シェフが心を籠めて作った自信作だから客に勧めているのだろう、と勝手に(善意で)思い込むが、その「お勧め」が客にとってのお勧めだとは一言も言っていないわけで、シェフにとってのお勧めであっておかしくないわけだ。
そう考えると、世の中に詐欺師があれほど多く、簡単に人を騙しているのも当然だな、と思う。
我々が、「シェフのお勧め」を「善意に」解釈するのも、裏を返せば、それが自分にとって都合がいい話だからである。そうであってほしいという願望が、それを「善意に」解釈させるのである。
人間は自己愛の動物だから、その自己愛を上手く利用されると脆い、ということである。


(以下「ネットゲリラ」から引用)



なぜホリエモンは乗っていなかったの?

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ホリエモンロケットがまたしても失敗、というんだが、60年前にアメリカが散々失敗していた時の映像を思い起こさせる、懐かしい景色だw 「新しい世界にチャレンジ」とかホザイても、中身は60年前と変わりゃしないw ところで宇宙開発ではドイツ帝国崩壊後、ソ連が先行して、アメリカがそれを追い掛けたわけだが、それというのも、ソ連はV2ロケットの現物と、製造技術者をゴッソリ持ち帰ったんだが、アメリカは設計者だけしか手に入れられなかったからだ、という説があるw 結局、アメリカはフォン・ブラウン博士の元で、一から開発しなきゃならなかった。けれどソ連は、ロケットの現物と製造技術者を抱えていたので、人工衛星を打ち上げるまでの動きは早かった。まぁ、いずれにせよ、半世紀以上も前のテクノロジーだ。


コメント(1)


かなり前(宇宙ブームなどまったくない頃)相模原の某国立組織で直接開発してる方と話したことがあるが、まあ海外行ったり来たりのすごい経歴だけでなく、頭の切れ味と話の面白さは最高でしたね。
優秀を絵にかいたような人でしたが、別に宇宙を目指すというのではなく彼の能力を本当に必要とする場所があまたあり、知らないうちにそのポジションにつかざるをえなかったということのようです。


さて、エロ動画のDMMがスポンサーのチンポコロケットを墜落させた会社の開発陣はどうなのかとみてみたら、社長が東工大の就職失敗組(ここの学生はみんな苦労しているらしい。がその時点で任に非ずです)でブタエモンに直接勧誘されて出鱈目ロケット会社に入ったんですな。
で、満足にプロジェクトを進めたこともないまま社長就任。その間、割とまとも協力企業が逃げちゃってます。まあ典型的な、アホIT屋の立ち上げた詐欺商売です。
こいつらの虚言癖と無教養、自信過剰は大体まともな技術開発にたどり着けない。自動運転やテスラ炎上自動車の類の、投資詐欺の目くらましなんですなあ。


隼を飛ばした糸川博士も、最初はペンシルロケットからスタートして技術的な集積をし、国産ロケットまでは数十年かかっています。
航空工学の実務、苛烈な軍事開発で手腕を振るった人でさえそうで、ホームセンターで買ってきたものでロケット飛ばすというこの会社のようなでたらめぶりでは永遠にロケットは飛ばないでしょう。
ここはスレッドにもありますが、技術レベルは低下しているわけで、ロケットのような形をした燃料満載の危険物が自分のところに飛んでくるかもしれませんから発射は見に行かないほうがいいと思いますね。


まあ投資詐欺の商材は数知れずということです。






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坊主の事大主義

「混沌堂主人雑記」の中に引用されていたツィートの中の「日本の坊主はエリート意識が強い」という指摘が面白い。
そもそも、日本の寺は聖武天皇の頃に全国に強引に作らせた(国分寺と国分尼寺)から膨大な数に増えたのであり、「民衆の中から生まれた寺」はほとんど無いと思う。当時のお坊さんは一種の公務員であったから、民間の坊さんは「私度僧」と呼ばれ、見下げられたらしい。一遍上人ももともとは私度僧である。ただ、庶民の間での名声が高かったので東大寺の大仏建立の資金調達のためのPRに利用されたらしい。まあ、仏教には詳しくないので、いい加減なことを書いているのだが、とりあえず、日本のお坊さんは一種の国家公務員だったから、エリート意識が強いのはそのためかと思う。
宗教組織が無税というのもあって、だいたいの坊さんは常にその時の政府の味方である(先の大戦で反戦と不殺生を訴えた坊主はひとりもいなかったのではないか?)から、今なら、安倍政権お友達的なネトウヨ坊主が出てきて不思議はない。



(以下引用)





freire @freiresel

時宗の一遍上人といえばハンセン病患者とともに遊行した宗教者でしたのに、よりによって「ippen_jishu」のアカウント名で差別発言とは!

一遍上人については、香田芳樹氏(慶大教授)のこちらが参考になりますhttp://kodayoshiki.sakura.ne.jp/ich_bin_steindumm/201306.html 

澤野 @Lily_victoria

寺院ツイッターで「ヘイト投稿」 総本山「到底許されることではない」とお詫び https://www.j-cast.com/2018/06/28332520.html 
ぶっちゃけ差別発言する坊さんはリアルでは多い。今回はツイッターで可視化されただけ。日本の坊主はニッポンすごい言説にハマりやすいし性差別もひどい。エリート意識が強いんだよ。





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スポーツと戦争

さすが小田嶋師である。勝利を求めない戦争が無い(侵略軍の撃退も、勝利である。当然、勝利のために膨大な敵味方の人命が失われる。)ように、勝利を求めないスポーツも無い。スポーツにおいて勝利を求めない、というのは実に革命的発想で、日本国憲法的である。
ただ、平和の希求という、憲法なら素晴らしいことも、スポーツ(競争、つまり競い争うのが本質である事象)だと矛盾そのものになる。
では、なぜスポーツだのに勝利を求めないのか、と言えば、1-0の点差のまま負けることで本戦に進め、そのことでビジネスチャンスが拡大するからだ。そのためなら、この試合の観客など糞くらえ、というわけ。





  1. 日本代表は、フェアプレーポイントによる決勝トーナメント進出を誠実に希求し、攻撃の発動たる縦パスと、サイドからのクロス又はスルーパスは、得点のプロセスとしては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、敵陣ペナルティーエリアには侵入しない。チームの交戦権は、これを認めない。



  2. 後半35分過ぎから堂々と展開された専守防衛憲法第9条サッカーにわが軍の本気を見た




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予防できない犯罪

今の時代、宅配便は生活に必須の要素であり、配達員が来たら、ドアを開けるしかない。
その配達員の中にこういう人間がいたらどうなるのか、ということは私も少し考えたことはあるが、世間はそういう心配も無さげに平気で動いているようなので、すぐにその懸念は忘れてしまった。
まあ、原発と同じである。滅多に事故は起こらないし、便利なようだし、世間は誰も文句も言わないで原発が動いているのだから、いいんじゃないか、と思っていると、ある日(一個人や一部の人にとって)破滅的な事件が起こる。起こってから被害者は泣き叫ぶことになる。
では、それをあらかじめ防ぐことができたか、というと、恐らく不可能だったのではないか。なぜなら、宅配便無しに今の社会はおそらく動かないからである。


(以下引用)パソコンのコピー機能がおかしくなっており、時々変なコピーになるようだが、どうしようもないので、引用記事部分はこれからもこんな風だとあきらめてくださいwww 編集画面だとまともなので、パソコンの問題ではなく、ブラウザー(と言うのか、ブログの元締め、管理会社)の問題かもしれない。










 配達先の母子家庭の高校生の少女に性的暴行をしたとして、佐川急便の配達員だった男(39)が強制性交等罪で福岡地検に起訴されていることが28日、判明した。福岡地裁(平塚浩司裁判長)で同日あった初公判で、男は起訴内容を大筋で認めた。日ごろの配達で被害者方が母子家庭であることを把握しており、当日は母親が留守だった。


 男は重山聡被告。起訴状によると、今年4月、福岡県内の被害者方を訪れ、少女に性的暴行をしたとされる。検察側の冒頭陳述によると、重山被告は2009年に配達員になり、配達時の母親との会話などから母子家庭であることや高校生の娘がいることを知った。事件当日は電報便の営業を口実に被害者宅を訪れたという。


 少女の母親は「(重山被告が)配達に来た時は1、2分世間話をしていき、私がパートで不在の時間も詳しく知っていた。なぜ娘がこんな目に遭わなければいけないのか」と話し、少女は事件後「男性が怖くなり、学校に行けなくなった」と訴えているという。重山被告は事件を受けて解雇された。【平川昌範】
























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近藤誠医師への強力な擁護発言

「逝きし世の面影」から転載。
医療界の「カネの成る木」である癌治療の根幹を否定する発言が近藤誠医師以外から出てきたのは驚きである。もっとも、近藤医師はご自分の専門である放射線治療は有意義だ、というポジショントークもしていたのだがwww 
まあ、癌治療が根本的に無意味だとは近藤氏も岩田氏も言ってはいないが、近藤氏の思想を頭から否定してきたこれまでの医学界を批判する動きが医学界内部で出てきたのは朗報だと思う。
宗純氏は、この岩田教授の発言(ブログ記事)を揶揄するような口調で書いており、いったい誰の味方なのか、それとも医学界にも近藤氏にも敵する立場なのか分かりづらい。ということで、宗純氏の論評部分は引用しない。
私の文章も同じかもしれないが、下手に冗談を混ぜると真意が見えなくなるものである。まあ、私の場合は賛同者を増やす意図はまったく無く、単なる面白がらせ(のつもり)の冗談と、社会の不条理に対する義憤で頭に血が昇っての悪口だけだ。つまり自分自身のストレス解消のブログにすぎないのだが。


(以下引用)


『近藤誠氏との対峙の仕方』2017/11/09神戸大学岩田健太郎教授のブログ『楽園はこちら側』

1990年代後半、近藤誠氏と当時のがん治療のオピニオンリーダーたち(外科医)の論争で、近藤氏はがんもどきの存在を主張し、なんでも切ったり化学療法をするのは間違っていると論じた。根拠となる臨床試験も参照していた。
一方、当時の外科医たちは実験医学と経験主義ばかり。「切ってる俺達がちゃんと仕事してんだから文句言うな。くじ引き試験?患者で実験する気か。エビデンス?なんだそれ?」って感じで、全然議論が噛み合ってなかった。
近藤氏の意見は理路整然としていたが、当時の外科医たちはひどかった。アメリカはエビデンスエイスドメディシンをバリバリ学んでいたが、日本の医療界は数周時代遅れ。日本のがん領域のトップってどうしてあんなに、、、、と大いに失望させるような稚拙な議論ばかりだった。
患者で実験するなっていうけどさ、動物実験の知見をそのまま臨床応用するほうがよっぽど実験じゃん。日本の医学で進んでるのは基礎医学だけ、臨床医学は全然ダメだ。
90年代の日本の臨床医学はどの領域も概ね「学問」の体をなしていなかった。数年前、某所で高名らしい某科の名誉教授が「研究は誰々に教えていただいた。臨床はやっているうちにできるようになった」とおっしゃっていて、ひっくり返りそうになったが、このどうしようもない妄言暴言も当時のエートスを正しく表現したという意味では名言だった。
現在、リンパ腫や前立腺がんや腎癌で自然消退したり、進行しないがんがあることは分かっている。
近藤氏の指摘通り「がんもどき」は存在するのだ
近藤氏の当時の見解には拝聴すべき点が多々あった。あれを黙殺、全面否定、人格攻撃してしまった日本のがん学術界の罪は大きい。慶応大学の罪も大きい。
(抜粋)

『医療界は反省し、総括し、そして近藤誠氏に謝罪してから、各論的に批判すべきだ。』2017/11/17神戸大学岩田健太郎教授のブログ『楽園はこちら側』

98年当時の近藤誠氏の主張は極めて現代的で、概ね正しい。そもそも瑕疵ゼロで何十年もの時間の批判に耐える論考なんてほぼほぼ実在しない。全体的には非常によくできた主張というべきであろう。
近藤氏の主張が当時の医学界で異端、エキセントリックだったわけでは決してない。むしろ世界的には主流と言ってよいものだろう。しかし、日本の臨床医学界はあまりに遅れており、傲慢で、井の中の蛙だった。
よって日本でのみ近藤誠氏は「異端」となる。実に気の毒な話である。
インターネットが普及した現在であれば学術界や権威が否定しても、近藤氏の主張の正当性はすぐに明らかになったはずだ。しかし1997年のネット環境は悪く、情報量もずっと少なかった。だからサポートする味方はできなかった。
近藤氏の主張は、
1.がんは手術すれば良いとは限らない。
2.抗癌剤を使うとデフォルトで決めるのは間違っている。
3.がん検診をすれば患者に利益があると決めつけるのは間違っている。
4.ロジックとデータが大事。統計も大事。
と、まったく「当たり前」の主張である。
対して国立がんセンター名誉院長(当時)の市川平三郎氏の主張はデタラメ。例えば、
1.個人と集団は違うから、くじ引き試験(RCTのこと)はあてにならない(これは完全には間違いではないが、RCT全否定の根拠にはならない)。
2.日本の外科医は優秀で手術がうまいのだから、優秀じゃないアメリカ人のデータなんてあてにならない。
3.がんは早期に見つければ良い。最新の画像(当時のヘリカルCTなど)を活用すればよい。早く見つかって「助かる人もいる」。
いずれも、現在臨床医学的に見れば「非常識」だ。
近藤氏が繰り返し主張するのは「事実」「データ」「ロジック」の大切さだ。21世紀ですら日本の医療界はしばしばこうしたところを欠くのだから、97年当時はもっとひどかった。
おまけに現在でもそうだが、多くの日本人医師は論文を読まない。ランセットやNEJMといったメジャーなジャーナルを読まない。英語ができないという極めてシンプルで恥ずかしい理由のためだ。「この国では医学が科学になっていない」。

文科省や厚労省は「反省し、総括し、改善しない」。前人の批判をタブーとし、前職のやったことはアンタッチャブルになり、うまくいったこととうまくいかなかったことの区別をせず、ただただ「いろいろあったけどみんな一所懸命頑張ったよね」で終わらせてしまう。だから同じ構造の失敗を繰り返す。
この悪癖は日本社会全体にも普遍的で、特に医者界隈でも多い。例えば、多くの医局の同門会では先人、前職の批判はタブーであり、反省、総括、改善、、、今風の言葉で言えばPCDAがまったくない。
日本のがん診療界はかつての非科学的な態度や診療を大反省すべきだ。総括もすべきだ。そして近藤氏に当時の非礼と不見識を謝罪すべきだ。少なくとも当時の近藤氏の名誉を回復することなしに、ただただ人物批判、人格否定してもただのいじめではないか。
当時の無茶苦茶ぶりを看過して、一方的に近藤氏を叩くのはフェアとはいえない。医学界の悪習をそろそろ見直し、過去を直視するプラクティスを習慣化すべきだ。
(抜粋)

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細川の殿様の最良の行動

「ネットゲリラ」から転載。
私は、殿様とか大名というのは山賊の親玉の成り上がりだと思っているから、その子孫もほとんど尊敬していないのだが、その家に歴史、つまり文化遺産を保存し伝えているという点だけは感謝している。皇室については、それこそ日本文化そのものだと思っているから、ひとつの時代の考えだけで断絶させるのは、それこそ法隆寺を古い建築だから燃やしてしまえというようなものだ、とは何度も言っている。ロシア皇帝家(ロマノフ家か?)だって、ロシア革命で皆殺しにせず、恩給でも与えて博物館管理人にしておけばよかったのである。そうすれば、ロシア文化も厚みが出ただろう。一時の興奮で文化資産を滅ぼすのは、子孫に対する罪だと思う。文化資産は子々孫々伝える義務があるのである。
とはいえ、今回の細川元総理のやったことは日中友好の実にスマートな形のもので、彼が現役総理の時にやったすべてのことより良いのではないかwww


(以下引用)




普段、国宝の茶碗でメシを食ってるような人

| コメント(3)

細川の殿様が、蔵書整理で、中国に4175冊というんだが、なんせ古い家なので、タララモノは山ほどある。殿様、陶芸やってるんだが、どうせ殿様の手すさびだろうと思ったら、意外に評価が高いそうで、考えてみりゃ、国宝の茶碗とかゴロゴロ転がっている家だw 普段、国宝の茶碗でメシを食ってるような人なので、目が肥えているw 中国は相次いだ戦乱で、古典籍の多くが失われた。今、中国の金持ちは物凄い勢いで神保町を買い漁っている。珍しい本だと億の値も付くらしいw アベシンゾーが馬鹿な分、こんなロートルまで頑張ってますw

2018年6月27日、細川護熙元首相が自身が理事長を務める永青文庫の収蔵する漢文書籍4175冊を中国に寄贈したことが、中国のネット上で話題になっている。
中国メディアの澎湃新聞は、北京市の中国国家図書館で26日、漢籍の贈呈式が行われたことを伝えた。
中国訪問中の細川元首相は贈呈式であいさつし、「日中平和友好条約締結40周年の節目に寄贈することができて喜びに堪えない」「研究に役立ててもらえば大変うれしい。中国の悠久の歴史に必ずや資するものと確信している」などと述べた。
中国のラク樹剛(ラクは各ヘンに隹)文化観光相は、細川元首相の日中友好事業への尽力に謝意を表明し、「新しい時代の中国と日本の文化交流と協力のモデルとなり、推進する役割を果たす」と述べた。
澎湃新聞はまた、香港・文匯網の報道を引用し、今回の寄贈について「日本から中国への漢籍の寄贈として1945年以降で最大規模のものだ」とし、「その中には、唐代末期から1000年も失われていた政治参考書『群書治要』全50巻など、中国の歴史から失われて久しい重要な書籍も含まれる」とも伝えた。

まぁ、研究者としては、デジタル化されたアーカイブがあれば本物はどうでもいいわけで、ネトウヨみたいにギャーギャー騒ぐ必要もないんだが、それにしても、マトモな政治家が出てくると、アメポチどもが寄ってたかって引きずり下ろすという現象は、そろそろヤメにしていただきたいw

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豚が肉屋を支持する理由

「混沌堂主人雑記」から、記事の一部を転載。
あるお坊さんのブログ記事だと思うが、非常に面白い内容である。一般大衆は伝統的宗教やカルト的新興宗教への嫌悪感を持ちながら、しかし宗教的叡智への関心は非常に高くなっている。そういう傾向からそのお坊さんは「post-religion」という概念を考え、これからの世界はその方向に進むのではないか、と見ているようだ。ただし、既成宗教が終わるのではなく、既成宗教に依存しないが宗教的精神を自ら考察し体現化していく人々と、既成宗教が並立していく、という形のようだ。
この考察に私も同感だ。と言うより、私がこのブログでよく書いているのはその種の考察である。ただし、考察するだけで体現はしない。人間の自己愛の強さは度し難いもので、宗教的行為は自己愛の対極にあると私は思うからだ。私にはそんな立派なことはできない。
まあ、宗教とか何とか言うよりも、その人が存在することでこの世界がほんの少しでも良くなったと評価できるなら、その人はこの世に生まれた価値がある。その逆ももちろん膨大に存在する。安部とか麻生とか小泉とか竹中とか橋下とかetc,etc
さて、下の記事の中で、私が赤字にした部分は、私が以前から書いている「組織悪」であり、実は組織悪とは自己愛の拡大化なのである。そういう観点からも下の記事は面白い。また、青字にした部分は精神分析学的に面白い。下級国民の安部自民党支持者を精神分析したらこんなものだろう。


(以下引用)色字部分は夢人による強調。


しかし、その叡智がどんなに素晴らしいものであったとしても、人間の営みである以上、求める人の行列ができれば、それを我が物にしようとする人、そこで商売を始めようとする人が出てきます。そこに、神や仏の威を借るキツネによる権威生成のための抑圧装置としての宗教組織が生まれます。聖性や霊性に対する人々の素朴な祈りが組織化され、少数の権威者のエゴを満たすため、商業利用や政治利用されていきます。信者を組織につなぎとめ拡大する常套手段は、罪悪感や不安や恐怖を植え付けた上で、その解放の唯一の方法として信仰を示すことです。抑圧構造の中で無力感を育てられた被抑圧者は、抑圧を自分自身が望んだものとして肯定することで自意識を保とうとするため、自ら抜け出すことはできず、依存関係が完成します。
そのような抑圧は、多かれ少なかれあらゆる宗教組織に見られます。宗教組織に限らず、人間である限り避けることのできないカルマといっても良いかもしれません。あえて言えば、この抑圧がマイルドなのが伝統宗教で、極端に出たのがカルト宗教です。マイルドなキツネを選ぶか、カルトなキツネを選ぶか? もちろん、どちらも選ばないで済むなら、それに越したことはないでしょう。だからといって、「無宗教」を選択することもノーリスクではありません。なぜならば、抑圧は人間社会の隅々まで浸透していて、ほとんどの人がそれを自分の中にも無意識に内面化しているからです。
無宗教によって、自分のエゴというキツネによる抑圧で自縄自縛に陥っている人も大勢います。「俺には宗教なんて必要ない。そんなものは弱い奴が信じるものだ」という人ほど、自分自身がすごく縛られています。宗教ではなくても、たとえば科学教だったり、お金教だったり、多くの人が無意識の中で何かに縛られて、自分で自分の枠を作り、自家中毒的に生きている。なりたい自分になりたいけれど、なれない。常に欠乏感に襲われ、自分で自分を無意識に縛りつけている。そのことに無自覚な人ほど案外コロッと、何かのきっかけでカルトにはまってしまったりするものです。

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男性
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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