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「私はカモメ」は誤訳?



私は今まで「ヤー・チャイカ(チェイカ?)」は、「私はカモメ」だとばかり思っていた。少し、ナルシスティックだな、と思っていたが、勘違いだったようだ。「こちら、カモメ」なら宇宙船と地上との通信として当たり前である。
私と同じ勘違いを今までしていた人は膨大にいるのではないか。誤訳は罪作りであるし、それを訂正する、下のような記事(ツィート)は貴重である。



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今日はワレンチナ・テレシコワの誕生日。1963年にソ連のボストーク6号で地球を回った世界初の女性宇宙飛行士。宇宙から発した「ヤー・チェイカ」(こちらカモメ)の言葉が有名。「ウルトラQ」のM1号がラストで言う「わたしはカモメ」はこれが元ネタです。





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政治的な真情吐露と処世術の衝突

「いつか電池が切れるまで」の記事後半を転載。
前半で記事筆者は東京新聞の望月記者に対する批判を述べているが、まあ、意見はそれぞれであり、望月記者の「突撃ぶり」を「自己宣伝」「自己陶酔」と見る皮肉な人も(特に保守側の人間には)あるだろう。だが、今の安倍独裁政治に単身立ち向かう「ドン・キホーテ」がひとりでもいるというのは素晴らしいことだ、と思っている人も(私も含め)多いはずである。
この記事を転載したのは、記事筆者を批判する意図ではなく、この部分には非常に共感するからである。


(以下引用)




 実は、ここからが僕にとっての本題なのですが(これではまるで、「ブログによる牛歩戦術」だな)、この14歳の女の子の言動に「親と子というもののややこしさ」を感じずにはいられなかったのです。
 「14歳の子どもが、こんなことを考えるわけがない。無理矢理母親の意見を代弁させられているか、『洗脳』されているのだろう」
 そういう意見を読むたびに、「えっ、あなたは、そんなに『世の中のことに対して問題意識のない14歳』だったのですか?」と思うのです。
 14歳は法律上「子ども」だし、40代半ばの僕からすれば、未熟というか「世の中を知らない年齢」ではある。
 でも、僕は14歳のとき、今よりもずっと、世の中の不公平に敏感だったし、いじめや戦争をなくしたい、なくせるはずだと、本気で思っていました。おとなではないけれど、おとなびてはいた。
 だから、彼女は「親の操り人形」ではなくて、自分自身の感性で、「記者がいじめられている姿に耐えられなかった」可能性は十分にあるのではないかと考えているのです。
 そして、彼女は自分ができることをしようと、ああいう形で、ネットで書名活動をした。親のサポートを受けながら。
 もし、今の時代に14歳だったら、僕だって、なんらかの矛盾に対して、そういう行動をとったかもしれない。
 僕が14歳の頃には、そういうときにどうしたら良いのかわからなくて、本を読んだり、あれこれ悩んだりしているうちに、何が正しいのかわからなくなって、いつのまにか、こんな年齢になってしまった。




 もしこれが14歳の女の子の「自分の意思」に基づくものであれば、親としては、「そんなことに関わると、ネットで身元を特定されてバッシングされるからやめなさい」と言うだろうか。それが、親として正しいのだろうか。
 それこそ、先日のエントリのように「処世術」としては、子どもがリスクに飛び込んでいくのを止めるべきなのだろうけど、それは、子どもの可能性を摘むことにはならないのか。




fujipon.hatenablog.com




 自分の子どもの発言や行動をみていると、子どもがある「思想信条」を抱くようになるには、親の影響というのは、多かれ少なかれあるのだよな、と考えざるをえないのです。
 僕の子どもは、最近「医者になりたい」と口にすることが多いのですが、僕は正直、自分自身には向いていなかった仕事というのもあって(でも、親が医者で、結局自分もなってしまった、という負い目もあり)、息子には「世の中には、もっといろんな仕事があるし、医者って感情労働と肉体労働のきついハイブリッドだから、おすすめはしかねる。なんかお前は僕に似ているような気がするし……」って、言いたくて仕方が無いのです。でも、言えない。
 結局のところ、「医者になってほしい」というのも、「医者にはなるな」というのも、子どもにとっては「将来を規定するかもしれない言葉」だし、それを突き詰めていけば、親が医者である、ということそのものが、子どもにとっての「呪い」になる可能性もある(いやもちろん、「誇り」や「希望」であればありがたいのだけれど、自分自身のことを思うと、そこまで楽観的にはなれない)。
 子どもは、親が思っている以上に、親のことをみている。そしてときには真似をし、ときには反面教師にするのです。
 この14歳の女の子が、親に強制されたわけでもなくて、身近な存在として影響を受けて、「自分でこう考えるようになった」と認識していたのだとしたら、それは「洗脳」なのだろうか?
 まあ、将来いろいろと生きづらくなりそうな話ではあるのですけど、こういうのって、「そんなに珍しくない、14歳の主張」であり、誰が良いとか悪いとかいうよりも、「多様な意見のひとつ」として、淡々と消化していく、しかないと僕は思っています。
 神ならぬ身としては、真実を知りようがないので、「わからない」前提で身構えておくしかない。




 インターネットが世に出たときには、年齢や性別、人種や社会的な地位などにとらわれずに、「正しい意見」が尊重される時代が来るのではないか、と夢見ていたのだけど、この20年でわかったことは、インターネットでも、人は発言者の「属性」にこだわらずにはいられない、ということなのです。結局、「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が、重視されているのですよね。


 「(自称)国民の代表同士の、うんざり頂上決戦」を見ていると、何かに苛立ちをぶつけたくなるのは僕も同じなんだけれども、この14歳の女の子と母親が、問題の「本丸」だとは思えないし、「親の顔が見たい」っていうのは、現代人がもっとも不快になる「呪縛」だと、多くの人が、わかっているはずです。

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栄光の座にいること

名ギタリストのパコ・デ・ルシアのドキュメンタリー映画(テレビ用か?)を見ていて、印象に残った彼の言葉を(正確ではないが)二つ、載せておく。

「有名人は少しでも失敗すると批判される」

「他人から期待されることは喜びではなく苦しみだ」

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人体はいくら積んでも足場にも陣地にもならない

動画がコピーできるかどうか分からないが、妙なリアル感というか、人間の「物」化という点で戦場のリアルを感じさせる。日露戦争での「203高地」の突撃戦法はこれに近い。「俺の屍を超えていけ」という感じである。まあ、乃木大将は人格者ではあったようだが、軍を率いる人間としては最悪の愚将だったと思う。(最近はまた擁護説もあるようだが、結果だけを見てもその愚劣さは明白だろう。)

ゲームの中では死体を足場にして突撃しているが、現実には死体は足場にはならないだろう。

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「Mamma Mia」をプレイ。一見普通のマリオだが死んでもマリオの死体が画面に残り続け、その死体を足場にして進んでいくというすごいシステム‼️パズル的な要素をマリオに加味すると同時にマリオが常に大量の死を含んでいるゲームであることを可視化してみせている。マリオへの愛と鋭い批評性が共に秀逸


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人命を司る職業の責任

一旦は「尊厳死(と言っていいと思う)」を自己決定した人間が、死の間際にその意思を撤回したらどうするか、という問題である。ここでは医師が「錯乱状態での、尊厳死停止の意思より、平静な状態での尊厳死の意志」を優先させたために患者が死に至ったことが法的な処罰の対象になるだろう、ということだが、こういう事態もあらかじめ容易に想像できることであり、その場合の処置も「契約」し、書面化しておくべきだろう。まあ、書面化しておいても問題視されるのが現在の状況だと思うが、この問題はもっと議論されたほうがいい。「国のガイドライン」が、この医師の行為を「殺人」とする根拠になるのかどうか、である。私としては、ガイドラインはあくまでガイドラインであり、法律と同一視すべきではない、と見る。
少なくとも、この医者も「被害者」でもある。人の生死を司る仕事というのは、その責任も重い。一歩間違えば「殺人犯」になるのだから。
そういう意味では、医師というのは「羨ましくない」職業かもしれない。
その一方で、(同様に、関係者=被疑者の人命に関わる)冤罪事件での警察や裁判官が「何一つ責任を取らない」というのは実に異常なことなのだが、まったく問題視されないこと自体がこれまた異常である。

(以下引用)



医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院


3/7(木) 5:01配信


毎日新聞


 東京都福生市と羽村市、瑞穂町で構成される福生病院組合が運営する「公立福生病院」(松山健院長)で昨年8月、外科医(50)が都内の腎臓病患者の女性(当時44歳)に対して人工透析治療をやめる選択肢を示し、透析治療中止を選んだ女性が1週間後に死亡した。毎日新聞の取材で判明した。病院によると、他に30代と55歳の男性患者が治療を中止し、男性(55)の死亡が確認された。患者の状態が極めて不良の時などに限って治療中止を容認する日本透析医学会のガイドラインから逸脱し、病院を監督する都は6日、医療法に基づき立ち入り検査した。

【悲痛】女性が夫に送った最後のメール

 ◇ガイドラインから逸脱 都が医療法に基づき立ち入り検査

 外科医は「透析治療を受けない権利を患者に認めるべきだ」と話している。病院側によると、女性は受診前に約5年間、近くの診療所で透析治療を受けていた。血液浄化用の針を入れる血管の分路が詰まったため、昨年8月9日、病院の腎臓病総合医療センターを訪れた。外科医は首周辺に管を挿入する治療法と併せ、「死に直結する」という説明とともに透析をやめる選択肢を提示。女性は「透析は、もういや」と中止を選んだ。外科医は夫(51)を呼んで看護師同席で念押しし、女性が意思確認書に署名。治療は中止された。

 センターの腎臓内科医(55)によると、さらに女性は「透析をしない。最後は福生病院でお願いしたい」と内科医に伝え、「息が苦しい」と14日に入院。ところが夫によると、15日になって女性が「透析中止を撤回する」と話したため、夫は治療再開を外科医に求めた。外科医によると、「こんなに苦しいのであれば、また透析をしようかな」という発言を女性から数回聞いたが、苦痛を和らげる治療を実施した。女性は16日午後5時過ぎに死亡した。

 外科医は「正気な時の(治療中止という女性の)固い意思に重きを置いた」と説明。中止しなければ女性は約4年間生きられた可能性があったという。外科医は「十分な意思確認がないまま透析治療が導入され、無益で偏った延命措置で患者が苦しんでいる。治療を受けない権利を認めるべきだ」と主張している。

 日本透析医学会が2014年に発表したガイドラインは透析治療中止の基準について「患者の全身状態が極めて不良」「患者の生命を損なう」場合に限定。専門医で作る日本透析医会の宍戸寛治・専務理事は「(患者の)自殺を誘導している。医師の倫理に反し、医療とは無関係な行為だ」と批判している。外科医は女性について「終末期だ」と主張しているが、昨年3月改定の厚生労働省の終末期向けガイドラインは医療従事者に対し、医学的妥当性を基に医療の中止を慎重に判断し、患者の意思の変化を認めるよう求めている。

 東京都医療安全課の話 生命尊重と個人の尊厳保持という医療法の理念通りに病院が適正に管理されているかを確認している。

 厚労省地域医療計画課の話 一連の行為は国のガイドラインから外れ、現在の医療水準や一般社会の認識からも懸け離れている。【斎藤義彦】

 ◇人工透析治療

 人工膜や腹膜を使い、血液中の老廃物や毒素、水を除く治療法。人工膜を使った血液透析では通常、週3回で各4時間、腕の血管を透析器につないで血液を浄化する。腎臓が機能しない腎不全に有効で、長期生存が可能になる。1950年代に実用化され、国内では67年に健康保険の適用になった。72年からは更生医療(現・自立支援医療)により自己負担が軽減され、広く普及している。患者らでつくる全国腎臓病協議会によると、薬や機器の進歩で患者負担が軽減され、大多数は苦痛なく治療を受けている。ただ、疲れが出て腰が痛くなったり、針を刺す痛みを強く感じたりする人も一部にいるという。


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弥生人と縄文人の共存と角逐

まあ、基本的には縄文人と弥生人(おそらく渡来人)が平和裏に共存していた(つまり、北米大陸にヨーロッパから白人がやって来た初期のころの白人とインディアンのようなものだ。白人たちが生きていけるようにインディアンたちはいろいろ親切にしてやったのである。そのインディアンを後にはほぼ絶滅させたのが白人であるwww)という説に私も賛成する。
だが、弥生人(渡来人)が完全に社会の上位を占めるようになると「縄文人差別」が生じてきたはずだ。屠殺を「穢れ」とする風習も、仏教伝来以前から、弥生人の縄文人への差別として発生したと思う。縄文人の多くは北や南の辺境に追いやられ、東北地方以北は「蝦夷」とされ、その差別は政治的な「東北地方冷遇」として現代でも生き残っている、というわけ。ただ、「渡来人」のすべてが中央に集まったのではなく、最初から東北などに渡来した朝鮮や中国の人間も多いのかもしれない。つまり、別に、現代の東北人が縄文系だと言っているわけではない。そもそも長年の混交で縄文人と弥生人の純粋種はほとんどいないと思う。

(以下引用)


縄文と弥生のハイブリッド

| コメント(13)

弥生時代の遺跡から出てきた人骨を分析したら、「母方は渡来系、父方は縄文系」という結果だったというんだが、それがどういう意味を持っているかというのは微妙なところで、「渡来系が日本列島にやって来て征服した」というのだったら、そういう結果にはならない。少なくとも、平和裏に、弥生の渡来系と土着の縄文系が共存し、交流していたという証拠です。

 国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で発掘された弥生時代後期とみられる人骨について、県が国立科学博物館や国立歴史民俗博物館と進めるDNA分析の経過報告が2日、鳥取市であった「とっとり弥生の王国シンポジウム」で発表された。昨年実施した母から引き継ぐミトコンドリアDNAの分析ではほぼ全員渡来人系だったが、父から引き継ぐY染色体からは縄文人系の配列がみられた。
 人骨のDNA分析研究班の代表である科博の篠田謙一副館長によると、父母から引き継ぐ核DNAを6人について分析した。その結果、男性5人、女性1人で、それぞれの遺伝的な違いは大きかった。男性特有のY染色体のDNA配列を調べると、縄文人系の配列が3タイプ確認された。核DNAの配列を現代の日本人や韓国人、中国人と比較すると、現代日本人のグループ内に位置した。

いつもおいら言ってるように、弥生と縄文とは、生活の基盤が違う。弥生は湿地帯で稲作を専業でやり、コメだけをたくさん作る。でも、オカズに色々あると楽しいよねw そこで、海山の幸に詳しい縄文人が、イノシシ捕まえたり、カツオ獲ったりして、コメと物々交換。仲良く暮らしていた。稲作は生産性が高いのでどんどん子孫が増えるんだが、オンナはあまり労働力としては有益ではないので、どんどん嫁に出すw 土着の縄文人にしてみても、弥生のオンナというのは「都会的」で、色っぽく見えたかもw




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笑いと差別は紙一重

「クレヨンしんちゃん」が道徳的であるという指摘は慧眼だと思うが、昔のクレしんはオカマをさんざん馬鹿にして笑いを取っていたから、今の時代には無理ではないかwww ヤクザが「園長先生の描写を見て傷ついた」と訴訟を起こすかもしれないしwww





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愚息(小5)曰く、「あ〜、ほんま道徳おもろないわ〜。授業もやけど、教科書があかん。あれ大学の先生も作ってはるんやろ?内容ないわ〜。それやったらドラえもんの映画とクレヨンしんちゃんの映画を観せたらええねん。その方がよっぽどいいで」と。


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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