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安倍政権が五輪を中止にできない単純な理由

董卓という人のツィートを転載。
ユダ金やその関連組織相手に契約をすることの危険性がよく分かる。
昔読んだビジネス書の中で、不動産業者である著者は「自分が契約した客が、その細かい字で書かれた長い契約書をきちんと読めば、契約した瞬間に契約不履行の罪に問われると分かるだろうwww」と書いてあった。実際、保険会社やスマホ会社(?)との契約など、全文を読んで契約したひとなどいないだろう。読んでも素人に理解できるはずがない。

(以下、町山智浩のツィッターから孫引き引用)

まず中止について。開催都市契約では大会組織委員会に認められているのは中止の要請までで、中止の決定権があるのはIOCのみ。だから「安倍首相は(or日本は)早く五輪中止を決定しろ!」また「中止と言うな!」と言ってもそもそもその権限が(少なくとも契約上は)ない。

次に補償について。中止に伴う損失や損害に関しては、第三者のものも含めてIOCは免責されており、補償は東京都や組織委員会が行うことになっている。つまり「中止を言い出したら損失の補償をしなきゃいけなくなる」のではなく、そもそも中止に伴う損失の補償は日本側がしないといけない契約なのよ。





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相も変わらず

昼寝猫という人のツィートだ(と思う)が、日本政府のコロナウィルスへの対処はまさに帝国陸軍や帝国海軍の発想である。いや、それで大丈夫という謎の確信(上級国民は既に、特殊な、高価なワクチンを接種済みとかwww)があるのなら、あの滅茶苦茶な対応も理解はできる。
日本だけ別の種類のコロナウィルスを散布したのか。それともコロナ患者数や死亡者数を厳重に隠蔽しているのか。
世界の国々の状況を見ると、それこそ、全世界の人口を五分の一だか五億人だかに減らす「ビル・ゲイツ戦略」を今まさに実行しているのではないか、とすら感じる。

(以下引用)


昔、帝国海軍という国家予算の四割喰らうエライ組織があっての。作戦立案時に「当方の油はこんだけしかないから、米軍は当方の油で艦隊移動出来る範囲しか来ない」と計画して、見事に壊滅させられてのうw





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勝ち負けは人の血を湧き立たせる

小田嶋師の、さすがの名コピーである。
私自身はスポーツ観戦は好きだが、あれは「子供の遊び」に「戦争要素(要するに「勝ち負け」観念だが、特にオリンピックは国別の戦いの要素が強い)」を加えた娯楽であり、まさに不要不急の最たるもので、(教育や道徳の世界では)しばしば有害なものだ。
昔のローマ市民が「人とライオンの戦い」や「剣闘士の戦い(つまり人と人の殺し合い)」を見せ物として楽しんだのの現代版がオリンピックである。
戦争映画で人が戦って死ぬ(敵が殺される)のを見るのが娯楽であるように、マラソンで息も絶え絶えの人間がゴールしてばったり倒れるのを見るのも娯楽である。マラソンがオリンピックの花と言われるゆえんだ。マラソンの起源はマラトン(マラソン)の戦いで、勝利の報告のために戦地から長距離を走り戻った兵士が、その報告をした後、死んだ(と思う)故事による。その悲壮美を、観客席という安全な場所から飲食でもしながら見て娯楽にし、感動するわけである。


(以下引用)


現状を見回してみて、全世界的に不要不急なイベントをひとつだけ挙げろと言うのであれば、私は君の名前を呼ぶ。オリンピックと。


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年長の男はおじさん、年長の女はおねえさん

小学生が某研究所の人たちを励ました手紙に「けんきゅうじょのおじさんやおねえさんがんばれ!」と書いてあったらしい。
「おばさん」ではなく「おねえさん」と書く気づかいがこの年でできるとは、将来モテそうである。

(以下、某ツィートより引用)


おじさんや『おねえさん』 (強調筆者) という、細かい気遣いに感動。

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「生産性」は資本主義世界の悪魔の言葉

小田嶋師のツィートだが、私の「マグカップに六分目説」はそういうことを比喩している。
なお、言葉に厳しい小田嶋師が糞インテリ風のカタカナ語(バッファ)を使っているのは、このカタカナ語が世間一般の常識的語彙に入るとの判断だろうか。それとも、該当する日本語が無いと思ったのだろうか。「バッファ」は、私の想像では「緩衝材」か「緩衝装置」のことではないかと思うが、まあ、いずれ調べてみる。「緩衝材」や「緩衝装置」では言葉の範囲が制限されるなら、「緩衝機能」でいいのではないだろうか。とにかく、カタカナ語は、知らない人には通常、推定も不能なことが多い、危険な言葉だと私は思っている。「メルクマール」が英語だと思っている人は膨大にいるのではないか。ネットが出てくるまで、私はこの言葉の意味が調べられず何年も悩まされた。糞インテリ愛用のドイツ語だったのである。(意味は英語の「マーク」と同じと思っていい。意味を知った時には馬鹿馬鹿しさに呆然とした。)
ちなみに、小飼(子飼?)弾が「生産性は凄惨性」と名言を言っていたが、企業御用達経済評論家たちは「生産性生産性」と喚いていた責任を取るだろうか。生産性を高めるとは要するに労働現場&流通市場から「余裕」を駆逐することなのだから。

(追記)今調べると、私の推定で正しいようだ。そして、「バッファ」には「余裕、ゆとり」の意味もあるようだから、小田嶋師の発言は、社会からバッファが消えていることへの批判と言っていい。だが、「余裕」と「バッファ」はいわば文系的表現と理系的表現の違いがありそうで、どちらもお互いには無いニュアンスがある感じもする。一般人に伝えるには、官庁用語的なカタカナ語である「バッファ」と書くよりやはり「緩衝機能」がいいのではないか。「緩衝」だと操作可能性の感じが欠如した力学作用的な意味になるから、「操作可能」性の(物体的な)ニュアンスをも含む「緩衝機能」がベストだと思う。ちなみに、カタカナ語の「ニュアンス」は一般的知名度は高いと思うのだが、どうだろうか。まあ、「感じ」でいいと言えばいいのだが。

バッファは、「緩衝(かんしょう)」という意味の英語【buffer】からきたカタカナ用語で、「バッファー」と表現されることもあります。 緩衝とは、「二つの物の間の衝突や衝撃をゆるめやわらげること。また、そのもの」のこと。



(以下引用)


患者数の増加でたやすく医療崩壊が起こることも、消費者が買い置きをしただけで店頭から紙が消えることも、要は「効率化」「QC」「不良在庫一掃」「トヨタシステム」「選択と集中」てなことを言いながら労働現場&流通市場から「余裕」(冗長性、在庫、バッファ)を駆逐してきたことの結果だと思う。








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再掲載「シオン長老の議定書(ユダヤプロトコル)」

シオン長老の議定書(抜粋)

愚民支配の原則と戦略

*以下に書く文章は、「シオン長老の議定書」とか「Yプロトコル」とか言われている文書の抜粋である。これはY民族迫害のために作られた偽書であるという説もあるが、書かれた内容自体は、いわば「悪の政治教科書」とでもいった内容であり、現実に人民を支配するのに有効な事柄ばかりである。いや、現在の世界そのものがこういう思想や戦略で動いているようにしか見えない。ならば、この文章を研究することは、我々が愚民化しないために絶対的に必要なことではないだろうか。ただし、元の文章は小難しい文章なので、読みやすく変えて(ただし、その古風な趣きは残すが)ここに掲載する。元の文章そのままではないのだから、誤解が含まれるのは勿論だ。それを割り引いても、ここに書かれた内容について知るのは、我々被支配者にとって大いに役立つだろう。

*私は、この世界は一部の人間たちによってコントロールされていると思っているが、それは基本的には民族とは無関係だと思っている。確かに他民族を人間扱いする必要はない、という思想を土台にするなら、その政治的行為は強力極まりないものになるのは確かである(植民地時代の西欧の行為がそれだ)が、言うまでもなく、一部の人間の悪事のために、その民族全体が迫害されることはけっしてあってはならないことである。くどく言うが、世界を支配する巨大資産家(経済的モンスター)は、その民族とはまったく無関係の存在なのであり、自分たちの悪事を隠すために民族迫害のタブーを利用しているだけなのである。したがって、以下の文章中での「異民族」云々は「支配される連中」くらいの意味で読むべきである。

以下の文章が、「シオン長老の議定書」あるいは「Yプロトコル」と呼ばれる文書の抜粋である。

○我々の合言葉は「力と偽善」である。政治上の問題で勝ちを制するのは何といっても力であり、国家の事業に携わる人士に必要な力が蔵せられる場合は殊にそうである。奸策と狡猾との「偽善」は我々の目的を達成する唯一の手段である。それ故に我々の計画遂行に役立つ事なら、「暗殺、買収、詐欺、裏切り」等に尻込みしてはならない。政治上の権力を獲得するに必要な場合は、躊躇することなく、他人の財産を奪取する事を心得ていなければならない。

○自然の本性には自由は無く、「理性と性格と才能の不平等」をその法則とする。(注:これは、フランス革命における『自由・平等・博愛』のスローガンを嘲弄したものだろう。他の場所で、「自由と平等が両立するはずはないではないか!」という発言も書かれている。また、フランス革命自体がこの議定書を書いた人々の筋書きによる出来事だったとも書かれている。つまり、『自由・平等・博愛』は、愚民たちを釣るための餌にすぎなかったという趣旨である。)

○(我々は)人間の貪欲を利用して支配する。(注:他の人々を押しのけて自分が上に行きたいという欲望が下層階級の連中を死に物狂いに働かせ、その働きを利用することで上の人間は労せずして利益を得るわけである。井伏鱒二の「さざなみ軍記」に書いてある、貴族の庶民支配の原理が、まったくこれと同様である。)

◎この目的(支配)のために我々は始終、「新聞、雑誌」を利用して、この命令に盲目的に信従するように(人々を)鼓舞する。

○我々の仕組んだ「ダーウィン、マルクス、ニーチェ」の教説に注意なさるがよろしい。(注:この部分の説明は長くなるので、最後に補注として説明する。)

○いわゆる「民権」とはただ概念としてのみ存在しえるもので、けっして実際に実現することはできない。実際、我々の命令にもとづき、我々の密使(為政者)を選任する投票にしても、下層民が憲法政治(立憲政治)から得るものは何もない。(注:これと同趣旨のことをルソーも述べている。「イギリス人は選挙で代議士を選ぶが、庶民が支配者であるのは選挙の間だけで、それが終わるとまた彼らは奴隷に戻るのである」と。ただし、日本における2009年衆議院選の「無血革命」によって、日本の立憲政治は変わる可能性がある。)

◎優越を得るための、極度に緊張した闘争と経済生活に対する衝動とは、絶望的な、しかも悲惨極まる「冷酷な社会」を実現するであろう。否、すでに実現したのである。(注:前出の「我々は人間の欲望を利用して支配する」とほぼ同趣旨。ただし、その行く先にあるのが「冷酷な社会」であることを、我々のどれだけが理解しているか。))

○自由主義の社会では、買収と贈賄の汚職が至る所に侵入し、富は「巧妙なる奸策」と「虚偽の駆け引き」によって得られ、徳義(社会道徳)は、ただ「厳罰と酷法」によって維持される。

◎我々の統治の主要任務は、社会的理性を去勢し、反抗を可能ならしめる彼らの思索を奪い、そして一般の知力を空虚なる雄弁の交戦に堕せしめることである。(注:このために利用されるのが公教育とマスコミであることを、今では多くの人が知っているだろう。)

◎異民族諸国民および各個人たちは、あらゆる時代において、「言葉」を「行為」と思ってきた。彼らは単なる外見に満足して、公的世界において「約束が実行されたかどうか」ということには滅多に気がつかなかった。(注:社会生活を営む上での基本の基本が、「相手の言葉ではなく、行為を見よ」であるが、社会の多くの「善人たち」は言葉を行為と区別していない!)

◎世論を掌中に収めるためには、それ(世論そのもの)をして「了解に苦しましめ」ねばならない。すなわち、各方面から互いに矛盾した種々の意見を言わせ、異民族の人民を迷宮に彷徨せしめ、政治的問題に関しては、何等の意見も持たぬ方がましであると断念せしむるべきである。

◎政権掌握に必要な第二の秘訣は、「風俗、習慣、欲望、社会生活の基準」を繁縟ならしめ、何人もその選択に迷い、互いに理解することができぬような混沌状態に陥らしめるにある。(注:これは情報洪水の現代において、もっとも重要なポイントの一つである。)

◎商工業への投機を奨励せねばならぬ。投機の役割は工業(実業)に対立するにある。投機によって世界の富をことごとく我々の手に収め、以て異民族全部を下層階級に投げ込む事が必要である。(注:金融業という「自分では何一つ生産せず、金で金を生む」職業が世界を支配している点に、世界のあらゆる不幸の根本原因がある。そして、国際金融家は、自分たちに都合がいいように様々な国際機関を利用するのである。ところが、我々は学校で、WTO、GAT、世界銀行などは有益な組織だと偽りの知識を埋め込まれるのだ。)

○我々はあらゆる国家に、(我々以外には)異民族無産大衆と、我々に心服する数人の富豪と、我々を守護する警官と軍隊のみがあるように配慮せねばならない。(注:警察や軍隊の真の仕事は、国民の保護ではなく、支配層の保護だということだ。)

○我々は欧州大陸及び、それを基点とした他の諸大陸に「動揺と紛争および敵対関係」を惹起せしめねばならない。(注:これは、この書が書かれた当時の世界情勢であるが、現代でも「動揺と紛争および敵対関係」は庶民支配の道具に用いられている。一例がアメリカのイラク戦争、アフガニスタン派兵である。戦争や紛争などの大義名分があれば、支配層の望む政策のほとんどは実行できるのである。)

○我々に抵抗を試みようとする国家に対しては、我々はただちにその隣接諸国との戦争を以て、対応し得るように準備しておらねばならぬ。

○あらゆる政治的成功の最大の要訣は、あらゆる企画を厳重に秘するにある。真の政治家の言説はけっして外交官の行動と一致してはならぬ。

○我々は法律用語の最も巧緻な措辞や難解な問題に通暁して、法外に大胆で、かつ不当にも見えかねない決断を下す必要がある場合に、弁解する途をあらかじめ備えなくてはならない。

◎我々の望み通りの結果を得るためには、その過去において後ろ暗い傷を持っている大統領を選挙すべきである。そうすれば彼等は我々の指令の忠実な実行者となる。(注:日本のK元総理についても、殺人・レイプその他の様々な暗い噂がある。)

◎我々は、法律を提案したり変改したりする権利を議院から剥奪して、それを我々の傀儡たる大統領の手に委ねるであろう。(注:日本では、国会は唯一の立法府であると定められているにもかかわらず、成立する法案は内閣提出の法案がほとんどである。議員立法による法案はほんの一部にすぎない。すなわち、国会は内閣に支配されている。宮本政於の「お役所の掟」その他に、官僚支配の実体が書かれている。)

○我々は戒厳令布告の権利を大統領に与える。(注:要するに、いざという時には、大統領(そしてその背後の人間)は法律を無視した行動が可能だということである。)

◎共和国の新憲法を施行すると共に、我々は国家機密の保護という口実を設けて、政府の処置に関して質問する権利を議院から奪取するであろう。

◎大統領は、様々に解釈し得る現行法律を解釈する場合には、我々の意味において解釈するであろう。また彼は、我々が是非そうして貰いたいと指示するならば、現行法を廃棄するであろう。こうして我々は初期に当たって共和国憲法に取り入れざるを得なかったもののすべてを「なし崩し的」に変更させることができる。

◎言論機関におけるいかなる報道も、書籍の内容も、我々の検閲を経ないでは絶対に公表を許さない。このことはある程度までは現在でも実行されてはいるが、その方法として、全世界の各地からのニュースを少数の通信社に集め、そこで手を加えて、それから諸方面へ配布している。 (注:アメリのロイター、日本の共同通信などが想起できる。しかし、インターネットの急速な普及によって、9.11事件などはその最初の段階から米政府やその背後の連中による自作自演であるという見方が広まっていた。実際、あまりにも粗雑なシナリオではあったのだが、表のマスコミはまた見事にそうした見方を無視したのである。これ一つを取っても、マスコミが支配者の道具でしかないことは明白である。)



筆者補注:「ダーウィン、マルクス、ニーチェ」の教説がなぜ陰の支配者(と仮に呼んでおこう)にとって都合がいいのかを説明する。
まず、ダーウィンの進化論は「適者生存」の思想を人々の頭に植え付けた。つまり、生き延びた者は、生き延びるにふさわしい存在であり、滅びた者は滅びるのが当然の「無価値な」存在だったという思想である。これによって、たとえば欧米人種の行ってきた過去の悪行(他人種からの略奪行為や大量虐殺)も正当化される。弱い者、無能な者は滅びても当然であり、弱者への同情はセンチメンタルな感情でしかない、というわけだ。そして、もちろん、資本主義社会における様々な悪行(詐欺行為や非人間的な搾取)も正当化される。なぜなら、強い者が生き残るのは当然であり、資本家が金の無い人間に勝つのも「適者生存」だからである。
次に、マルクスの教説がなぜ陰の支配者にとって都合がいいのかだが、陰の支配者とは要するに、表舞台には出てこない大富豪や大財閥である。彼らは政治そのものを動かす力があるので、税金すら払わず、(いや、アメリカにおいては紙幣を印刷する権利すら持っているのだが)高額納税者(世間の人間は、これを大富豪と錯覚している)として公表されることはないために彼らの存在は世間には知られていない。しかし、誰かが搾取しているからこそ、大多数の人間は貧困から逃れられないのだと人々が思うことは避けられない。そこで、そのスケープゴートとして彼らが用意したのが表に出るレベルの富豪・資本家であり、「資本家対無産階級」という対立図式である。この資本家はあくまで世の法律に従って生産活動をする実業家に過ぎず、暴利をむさぼっているわけではない。しかし、彼らは目の前にいる、目に見える存在である。そこで貧民の憎しみは彼らに向けられ、陰の支配者の望む「混乱と無秩序」が作り出されるのである。その間に、もっと大きな金を動かして、投機市場を操作することによって、あるいは定期的に大恐慌を起こすことで低レベルの資本家の金はみな大富豪の手に入っていくのだが、それは庶民には見えないのである。つまり、マルキシズムの効用とは「分割して統治せよ」のパターンの一つなのである。
最後に、ニーチェの教説の目的だが、それはキリスト教の破壊である。キリスト教は本来、清貧と貧しい者への施しを教えており、資本主義にとっては都合の悪い思想だ。そこでカソリックやプロテスタントの中枢にスパイを潜入させてキリスト教を変質させると同時に、キリスト教の神自体をニーチェによって否定させたのである。ニーチェとはいわば、思想的テロリストである。アメリカ政府の中枢は一見、キリスト教信者が占めているように見えるが、それは、彼らが自分をキリスト教徒だと名乗っているからにすぎない。(多くの俗衆は、言葉を事実と誤認する、という「議定書」の嘲笑を見よ。)彼らの行為を見れば、それがキリスト教的精神からどれほどかけ離れているかがわかるだろう。

*さて、以上をお読みになって、どう感じただろうか。もちろん、私自身、ここに書かれたことのすべてを信じるわけではないが、これが現実政治の教科書として有効なことだけは否定できないだろう。つまり、多くの人が心の隅に止めておくべき文章なのである。

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泥棒や殺人者が自分を逮捕し起訴するか

赤木夫人のこの言葉は多くの人も同じように感じたことだろうが、残念ながら多くの場合権力(行政)犯罪は行政自身が裁くシステムになっていて、実質的に抑止も懲罰も不可能なのである。だからそれに歯止めをかけるために「三権分立」という制度が採用され「国会が三権の長」となっているのだが、国会が政権与党によって過半数を占められると、「内閣不信任」(つまり内閣総退陣と行政革新)も不可能になり、三権分立も機能しない。これは中学で習うが日本人の大半は理解せず、選挙で常に与党に入れる。まあ、マスコミ洗脳の結果である。マスコミを支配するものは国家を支配するという「ユダヤプロトコル」そのままだ。「民主党革命」が自民党のデマ作戦とそれをバックアップするマスコミの総動員で倒されたことへの反省が日本人には無い。

(以下引用)
相澤冬樹 著書「安倍官邸 vs. NHK」発売中
@fuyu3710
「安倍首相、麻生大臣。あなた方は調査される側で『再調査しない』と言える立場にありません」
命を絶った赤木俊夫さんの妻のけさの言葉です。ヤフーニュースに記事を出しました。





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男性
職業:
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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