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「民主主義」国家と弱者の切り捨て

某ツィッターの転載だが、その内容より、私は民主主義(形骸化した民主主義)というのがファシズムと結びつきやすいということ(現状のコロナファシズムは政権のためというより、政治的低レベル国民の自壊だと、いうこと)を考えているので、メモしておく。

ファシズムの対語は民主主義ではなく多様主義、あるいは寛容主義だ、という考えでもある。多様な思想や主義、生き方や行動様式を許さないのがファシズムの本質である。

なお、私は民主主義を政治信条としているが、それは多数者による少数者の抑圧(「多数決」そのものがそれである。)、つまりファシズムと容易に結びつく危険性をも持っている。
もちろん、君主制や寡頭制(貴族専制)は最悪の政体であり、現代の日本は上級国民という貴族による寡頭制であるが、「この国は民主主義国家である」という幻想が都合よく利用されている。

(以下引用)

政府のコロナ対策のローコストぶりを見ていると、結局、この国はコロナ以前から切り捨てようとして来た人々を淡々と切り捨てているだけで、誰を切り捨てるかがコロナで可視化され、そこに自分も含まれていることに気づき愕然としている人が多数いる、という状況なんだろうな。

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降雨とは雨が降ることであり、忘却とは忘れ去ることであるwww

山形浩生のブログの一部で、全体的には同感しかねる部分が多い記事だが、この「予言」の部分はたぶんそうなると思う。人間の最大の欠点(あるいは天の恩恵)は忘れっぽさであるからだ。
欠点というのは、政治問題を日常性の煩雑さによって忘却することがあらゆる大きな、根本的な社会改善を不可能にするからであり、恩恵だと言うのは、自分が体験した不幸な事実を忘却することでしか人間は生き続ける気力を維持できないからだ。

(以下引用)赤字部分は夢人による強調。


「僕は忘れたくない」と、この小説家は言う。でも、ほぼまちがいなく忘れるだろう。2年もたてば忘れる。ぼくは年寄りだから、エイズが流行ったときに、エイズ後の文明だのいう駄文がたくさん登場したのをよく覚えている。もはや人間同士の密な接触はなくなり、盆栽やお茶会みたいなゆるい枯れた人間関係しかなくなるだろう、なんてことがマジで言われていた。リーマンショック/金融危機で、資本主義は崩壊して新しい世界秩序が、なんて話は腐るほど聞かされた。そして、この日本では「ポスト福島」談義がみんな記憶にまだ残っているはずだ。福島の原発事故は、大量消費現代文明が持続不可能であることを如実に証明するものだ、というわけ。この「僕は忘れたくない」と同工異曲のものを何度目にしたことか。



でも、そのときもみんな忘れた。そして今回も忘れる。一方で、それがもたらした被害は下々の人々にふりかかる。いま、この著者も含め、「医療従事者のみなさんに感謝のツイートを」とか「ゴミ袋に感謝の絵を描きましょう」とかいうクソの役にも立たないバカにした連帯の押し売りをしている人々は、5年後にそういう人々の待遇がどうだろうと、気にもかけないだろう。それどころか数年後にはこの人たちは記憶を改変して、この異様なロックダウンや自粛合戦を、何やら美談に仕立てることだろう。そして「あのときのようにみんなで団結して我慢して地球温暖化を防ごう、コロナも克服したから絶対できるよ」なんてことを平気で言い始めるはずだ。この著者ではないにしても、そのお仲間のだれかが。



そのとき、この『コロナの時代の僕ら』を読み返すと面白いかもしれない。彼らがいったい何を忘れたか(そして忘れる以前に思いつきすらしなかったか)を確認するための手段として。

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大恐慌と超富裕層

「世界の裏側ニュース」から転載。
記事の続きには、コロナ禍以前の「超大金持ち」がこの数十年でいかにその資産を激増させたかが書かれており、コロナ禍によって彼らがどのようにしてさらに資産を増やしたのかという(私が特に気になる)点は書かれていないようだ。まあ、二十世紀初頭の大恐慌でも超富裕層はかえって超超富裕層になったわけで、恐慌というのは彼らによって意図的に作られると私は信じている。ヤクザの賭場仕切りのようなものだ。素人を遊ばせて、最後は胴元が儲かるように操作する。経済界の大恐慌はその操作が五十年百年単位だからまるで天災のように見える。

(以下引用)

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パンデミック開始から3週間で資産を2,820億ドル増加させたアメリカの超富裕層
America’s Super-Rich See Their Wealth Rise by $282 Billion in Three Weeks of Pandemic
4月28日【Mint Press】
https://www.mintpressnews.com/super-rich-see-wealth-rise-282-billion-three-weeks-coronavirus/267027/ より翻訳


 


 


新型コロナウイルスの大流行が始まってから数千万人のアメリカ人が職を失った一方で、アメリカの超富裕層のエリートらはわずか23日間で2,820億ドルも資産を増加させていたことが政策研究所(Institute for Policy Studies)発行の新報告書で明らかにされています。


 


今四半期には経済が40%縮小すると予想されているという事実にもかかわらずです。


 


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このままだと医療完全崩壊は不可避

「日刊ゲンダイ」記事の一部で、記事内容の一部は、「それはどうかな」と疑わしい気も起こるが、医療崩壊の実情についてはだいたいそんなものだろうと予測した通りである。
「コロナは怖い」と言いながら、そのコロナが原因の医療崩壊をただ嘆いているわけで、いったい、どうすればいいと言うのだろうか。この医者自身は心臓医のようで、コロナについては伝聞でしか知らないのではないかと私は推測している。

医療崩壊をこれ以上進行させないためには、「コロナ疑惑患者」の窓口を別にして、それ専門の「検査要員」を配置すべきだろう。何も医者でなくても、看護師と検査技師だけで十分だ。まあ、その検査技師がどれくらいいるか分からないが、簡単な検査キットなら素人でも扱えるはずである。コロナ疑惑患者の大半はそれで「追い返せば」いいのである。それしか医療崩壊を防ぐ道は無いはずだ。日本人全員がマスクをしたところで感染が防げないのは明白なのだから、基本的には自然終息を待つしかないだろう。後は、例の「犬の薬」を処方するくらいか。
そして明白に陽性が出た患者は、コロナ軽症患者だけ集めた「コロナ専門病棟」でアビガンでも何でも処方して二週間から三週間くらい過ごさせればいい。重症患者は、これもそういう患者だけ集めた指定病院を各都府県に置けばいい。少し大きな私立病院に協力金を出してやらせればいいのである。要するに、同じ病院でコロナも他の病気の患者も扱うから医療崩壊になるのだ。単純な話である。


(以下引用)


南淵 言いたかったことは、「新型コロナウイルスに感染すると、直前まで元気だった人が突然死の淵に追いやられる! それほど怖い病気だ」ということです。

 実は本当にテレビで伝えたかったのは、新型コロナウイルスの感染拡大で、医療崩壊がすでに始まっていることです。特に救命救急医療が圧迫されています。心臓外科でいえば、急性大動脈乖離や急性心筋梗塞になったら、通常なら救命手術で救える命も、コロナウイルス感染への対応で手が取られ、救えない事態に陥っています。

 もちろん「いま病気にならない方がいいですよ!」なんて言えません。結局のところ「コロナウイルスに感染しないようにしましょう」と言い続けるしかないのです。

「長期化なら倒産や経営破綻の病院が続出」

 ――たしかに最近、救急患者の搬送先が決まらない「たらい回し」が激増しているという記事がよく出ています。

南淵 新規の救急患者の受け入れは、2つの意味で負担増になります。1つは、多くの医療スタッフが夜通しで手術するようなことになるし、もう1つはコロナに感染しているのかどうか分からないので院内感染のリスクもあることです。普段から救急患者は病院側のキャパシティいっぱいのところで対応してきました。どこの病院も同じだと思います。そこにコロナウイルス感染やその疑い、あるいはまったく症状がない、つまり疑いがなくても実際は感染していた、という患者が来院されているのです。

 ある産婦人科で出産をした母親が感染していることが分かって、病院全体に衝撃が走りました。担当した医者や看護婦全員が濃厚接触者になるので、すぐにPCR検査をして自宅待機を強いられた。1人の潜在的な感染者を受入れることで、その病院の全科で診療ストップという事態になりかねないのです。

 岩手県の県立病院が帰省中の妊婦の受け入れを拒否したと報じられましたが(4月24日の読売新聞「岩手の2県立病院、妊婦救急搬送の受け入れ拒否」など)、日本中の病院が「新規の患者は基本的に拒否する」という事態に陥ってしまっても仕方がないと思います。大病院だけでなく、歯科医も「新しい患者は診ない」という同じ対応をしているようです。

 今のところあまり指摘されていませんが、病院の収益も他の業種同様、各段に落ち込んでいます。「医療者の皆さんの献身にはご苦労様です」と社会から賞賛を頂いているようですが、実は病院経営上も相当に厳しい状態です。コロナウイルス医療は概して場所、機材、消耗品、人件費、など莫大なコストに対して、その経済的見返りは相当に少ないように思います。おそらくかかった経費の10%程度の医療収入しかないでしょう。通常の医療を縮小している状況ですから、コロナウイルスを受け入れている病院は通常の売り上げの10%程度と少しぶんしかない、ということになります。いまの状態が長引くと、他の業種同様、倒産、経営破綻の病院が続出するでしょう。

 ――コロナの感染拡大が収束するまでは、緊急救命治療は受けられない?

南淵 救急医療に限りません。がん患者さんも治療が先延ばしになっているようです。「いますぐしなくてもいい手術なら先に延ばして下さい」と病院側は対応しているようです。患者が「いつまで延ばせばいいのですか」と聞いても、医者は「感染拡大が収束するまでですが、それはいつになるのか分かりません」としか答えられません。

 ――5月6日までの緊急事態宣言を5月末まで延長することになりました。発令した時に安倍首相は、1カ月間で感染拡大を食い止めて収束へと向かうという目標を掲げていましたが。

南淵 がん、心臓病に限らず患者が「手術は1カ月待って下さい」と病院から言われたらまずます許容範囲内かも知れませんが、3カ月とか半年延ばされるとなると、患者の不安はいかばかりか。その意味で普段の医療が行えなくなっている現状の医療体制はすでに崩壊していると言えます。

(聞き手=横田一/ジャーナリスト)

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「俺が一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅んでもいい」

「いつか電池が切れるまで」から転載。
前と後ろをかなり切ってあるので、冒頭部分が意味不明かもしれないが、並列されたうちのひとつは例の岡村発言で、もうひとつは「コロナ騒ぎで高価なカツオが安価で食べられて嬉しい」という話である。
ブログの記事タイトルに書いたのはドストエフスキーの「地下生活者の手記」に出てくる主人公のモノローグで、誰の心にもそういう部分は多少なりともあると思う。ただ、「紅茶」と「世界」という巨大な懸隔のある物を比喩にしたために、それが強く印象付けられるわけだ。

(以下引用)


 どちらも「他者の苦境のおかげで自分が利益を得られる話」です。
 ただ、この2つの事例への世の中の評価というのは、正反対になっているようにみえるわけです。




 僕は冒頭のエントリを読んで、この話を思い出したんですよ。
 『ヒトラーとナチ・ドイツ』(石田勇治著/講談社現代新書)より。




fujipon.hatenadiary.com




 僕は「ナチ党政権下のドイツは、ずっと、息苦しい、暗黒時代だった」と思い込んでいたので、この本を読んで、驚いたのです。
 でも、当時の様子を知ると、たしかに、「戦争が始まる前までは、多くのドイツ人にとって、『良い時代』と感じられていたのかもしれないな」という気がしてきます。
 それは、太平洋戦争前の日本にも言えることなのだけれども。




 いくらなんでも、ナチ党のユダヤ人(や障害者、ロマたちへの)絶滅政策は酷すぎるだろう、とは思う。
 なぜ、反対の機運が盛り上がらなかったのか? やはり、ナチ党が怖かったのか?
(それでも、強制収容所での「虐殺」については、ドイツ国民に隠されていたそうです。さすがに反発を招くだろう、ということで)
 ナチ党政権下のドイツ国民が、あからさまな人種差別政策を受け入れてしまった理由のひとつを、著者はこのように説明しています。



 国民が抗議の声をあげなかった理由に関連して、ナチ時代特有の「受益の構造」にふれておこう。それはいったいどんなものだったのだろうか。
 先にも雇用についてふれたように、ヒトラー政権下の国民は、あからさまな反ユダヤ主義者でなくても、あるいはユダヤ人に特別な感情を抱いていなくても、ほとんどの場合、日常生活でユダヤ人迫害、とくにユダヤ人財産の「アーリア化」から何らかの実利を得ていた。
 たとえば同僚のユダヤ人がいなくなった職場で出世をした役人、近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の家財道具や装飾品、楽器などを競売で安く手に入れた主婦、ユダヤ人が経営するライバル企業を安値で買い取って自分の会社を大きくした事業主、ユダヤ教ゲマインデ(信仰共同体)の動産・不動産を「アーリア化」と称して強奪した自治体の住民たち。無数の庶民が大小の利益を得た。




(中略)




 ユダヤ人財産の没収と競売、所有権の移転は、細部にいたるまで反ユダヤ法の規定にしたがって粛々と行われ、これに携わった国税庁・市役所などさまざまな部署の役人も良心の呵責を感じることなく仕事を全うできるシステムができあがっていたのだ。ユダヤ人の排斥を支える国民的合意が形成されていたとはいえないにせよ、ユダヤ人の排斥を阻む民意は見られなかった。




 多数派にとって、自分に「ちょっとした利益」があれば、少数派を排斥する、あるいは、排斥しなくても、「見捨てる」ことは、そんなにハードルが高いことではなかったのです。
 それは、いまの世の中でも、同じなのだと思う。

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PCR検査絶対主義への疑惑

毎日新聞記事だが、有料記事なので後半は省略されている。
この記事には非常に重要なことが書かれている。それは、

 院内での感染者のうち少なくとも2人はコロナの疑いがあったが、いずれも当初のPCR検査で「陰性」に。同病院では感染が疑われる患者を受け入れる際、職員らはフェースシールドなどの防護服を着用して対応するが、「陰性」が2回続くと隔離措置から解除していた。1人は2回、もう1人は転院前の検査も含めて4回「陰性」となり、いずれも一般病棟に移った後に陽性と判明した。

という部分だ。これが真実なら、PCR検査が「当てにならない」は言い過ぎにしても、かなり信頼性は低いと見ていいのではないか。ネット言説に溢れる「PCR万能主義」「検査絶対主義」というのも、或る種の狂信性を帯びていると私には思える。「信頼性が百パーセントでなくても確率的に分かればいい」というのなら、その「検査」の後でどうするのか。陰性と判断された人間が、後で実は感染者だった、とすれば、その人間が感染源となるわけで、いたちごっこだろう。
要するに、新コロに対しては、最低限の注意を国民ひとりひとりが行って、後は運を天に任せるしか解決方法はない、と私は思っている。コロナ疑惑で国民同士が対立し、傷つけあうのが最低だ、と私は思っている。

(以下引用)


感染疑い患者に翻弄された「最後のとりで」の苦悩 35人感染の神戸・中央市民病院


院内感染が発生した神戸市立医療センター中央市民病院=神戸市中央区で2020年4月11日、本社ヘリから加古信志撮影

 新型コロナウイルスの治療で重要な役割を果たす神戸市立医療センター中央市民病院(神戸市中央区)で院内感染が発覚し、まもなく1カ月を迎える。5日午後5時現在で入院患者と看護師や医師ら職員計35人の感染が明らかになり、新型コロナの重症者を除く新規の外来や入院、3次救急の受け入れを再開する時期はまだ決まっていない。市民の命を守る“最後のとりで”に何が起きたのか。


 「無策のまま広がっているということではない。コロナを追い詰める成果が出ている」。4月29日、新たに1人の感染者が判明した際の記者会見で、木原康樹院長はこう述べた。院内感染の全容がおおむね把握できていることを強調した。


 これまでの院内感染の広がりは深刻だ。


 中央市民病院では感染症病床のあるA病棟で軽症と中等症、B病棟で重症患者を受け入れてきた。もっとも多くの感染者を出したのがA病棟だ。4月8日に初めに感染が分かった70代の女性患者もこの病棟にいた。別の病気で入院し、退院間近に発熱し、PCR検査(遺伝子検査)を実施して陽性と判明。治療で使っていた人工透析室やA病棟に出入りしていた職員や患者を検査したところ、感染の広がりが明らかになった。全18病棟の半数にあたる9病棟と人工透析室、内視鏡センターに関わる人の感染が確認された。


 同病院はエボラ出血熱の患者も受け入れ可能な第1種感染症指定医療機関で、「国際的なガイドラインに従った対応をとってきた」(木原院長)という。感染経路は調査中だが、課題の一つとして挙げられるのが「コロナ疑いの患者」の取り扱いだ。


 院内での感染者のうち少なくとも2人はコロナの疑いがあったが、いずれも当初のPCR検査で「陰性」に。同病院では感染が疑われる患者を受け入れる際、職員らはフェースシールドなどの防護服を着用して対応するが、「陰性」が2回続くと隔離措置から解除していた。1人は2回、もう1人は転院前の検査も含めて4回「陰性」となり、いずれも一般病棟に移った後に陽性と判明した。


 一般病棟に移した判断について、木原院長は「PCR検査に頼り、総合的に臨床で判断しなければ問題が起こる」とPCR検査の限界を認める。その一方で「(一定の基準で)患者を別の棟に移さないと、次の方が入れない。押し寄せてくる新型コロナ患者に対し、どう医療資源を適切に運用するかジレンマにある」と苦渋の表情を見せた。


 病院は対策…





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「三回サボりで選挙権喪失」規定を作ったらどうか

「混沌堂主人」のブログから転載。(確か現在のブログ名は「春曲丼より混沌丼」だったか。少々覚えにくい。「春曲丼」が「ハルマゲドン」だというのはだいぶ後になって気がついた。)

この女子中学生は凄いと思う。頭もいいし見識もある。今すぐにでも日本の総理大臣にしたいくらいだ。春風ちゃんもそうだが、若い娘ほど物事を真っ直ぐ見るから正しい判断をする。中学生くらいだと男のほうが無知で、無見識で、その結果左顧右眄して卑怯卑劣な奴が多いのではないか。男の取り柄は腕力、つまり暴力の能力だけだというのでは日本の未来は危うい。
なお、私が政治に関心を持ったのは結婚して妻に無理やり国政選挙の投票所に連行された時からだ、というのは前に書いたことがある。つまり、中年になるまで政治意識はゼロだったのである。そして、実はそれは日本国民の大多数なのではないか。(少なくとも、大学生くらいまでは政治意識はゼロで、政治に関心を持ってもネトウヨになるのがせいぜいだろう。)
投票するとなると自然にいろいろ政治について考えるようになり、興味も出てくるのである。政治意識がある人間だけが投票所に行くのではなく、まず投票を「義務化」することのほうが日本の政治変革のためには大事だろう。まあ、国政選挙の投票を三回サボったら、投票権(選挙権)を永久喪失するという規定でも作ったらどうか。(復活するには一千万円が必要だとすれば、馬鹿な連中も投票権の価値を理解できるだろう。物事の価値をカネでしか計らないからタダなものを馬鹿にするのが馬鹿の特徴だ。)

(以下引用)

日本のいじめ対策は間違っている
                北海道 旭川市立永山中学校 2年
                      紙谷 桃歌(かみや ももか)
今,日本の学校や様々な所で問題となっている「いじめ」。日本は,いじめを 防止するために様々な対策を実施しています。例えば,学校側はカウンセラーの 協力を得ながらいじめを受けた生徒を継続的に支援する,いじめを行った生徒に は別の教室で授業を受けさせる,道徳教育の充実,などのものです。しかし,こ れらは本当にいじめ防止の根本的解決につながっているのでしょうか。
そもそも日本のいじめの一番の問題点は,長期間にわたって続き,陰湿化しや すい点だと思います。私は小学校五年生の頃までドイツに住んでいて,ドイツで 起きていたいじめも目の当たりにしましたが,日本とは違って,暴力的な代わり に少しも長続きせず,ほとんどが一日で終わってしまうものばかりでした。では, なぜ日本のいじめは長期化しやすいのでしょうか。
それには,二つの原因があると思います。一つ目は,日本の根本的ないじめの あり方にあります。例えば,ドイツで「いじめ」といったら,大抵校庭などのひ らけた場所で下級生など自分より弱そうな相手や,気に食わない相手に暴力を加 えることを指します。この種のいじめは暴力的で,比較的目に付きやすいので, すぐに先生の指導が入り,長続きすることはほとんどありません。一方日本で「い じめ」といったら,暴力よりもどちらかといえば嫌がらせや集団無視などの精神 的苦痛を与える行為を指します。このやり方だと,表面上は何もなさそうに見え るので,周りからは気付かれにくく,結果,先生方など学校側の対処も遅れてし まいいじめが長続きしやすくなってしまいます。
二つ目は,周りの見ている人達の反応です。私も一,二度,ドイツで上級生に いじめられたことがあったのですが,どの時も必ずそばにいた同級生や知り合い が味方になってくれて,協力していじめっ子を追い返していました。私の経験に 限らず,いじめを見たら必ず周りの人達が止めに入ったり先生を呼んだりなどし ていました。しかし,私が通っていた日本の学校で一度いじめが起きた時,気の 毒に思いながらも誰も助けようとはせず,むしろどこか逆らってはいけないよう な雰囲気が漂っていました。
つまり,いじめのストッパーとなるものがなく,どんどんエスカレートしてい って,長期化してしまうのです。ではどうすれば,「いじめのストッパー」にな れるのか。
これは私個人の考えですが,「いじめのストッパー」になるには必要不可欠な三つの要素があると思います。一つ目は,正しい善悪の判断ができること。二つ 目は,自分の意見を持つこと。そして三つ目は,他人の意見を尊重すること。日 本人はこの三つの中の一つ目と三つ目はとても良くできていると思うのですが, 二つ目の「自分の意見を持つ」に関しては意識できていない人が多い気がします。
日本人は周りに合わせることを良しとするので,協調性にとても優れているの ですが,いじめの場合,この特徴は悪い方向に行きがちです。いじめは大抵一人 対大勢なので,周りの人達は自然と人数の多いいじめる側についてしまうのです。 こういう場合には,自分の意見を持ち,周りに流されずきちんと主張することが 重要になります。私はこれこそが今の日本人が「いじめのストッパー」になるた めに最も必要なことだと思います。
私が通っていたドイツの学校では,クラスの誰もが最近起きた問題・もめごと を書き込めるノートがあり,毎週金曜日の最後の授業で行われる学級会議でそれ を開き,書かれている内容の一つ一つを全員で話し合いながら解決していく,と いう活動がありました。
日本でも,こういった活動を取り入れてみてはどうでしょう。一つの問題に対 して真剣にそれぞれの意見を交流し,全員で良い方向に進めようとする。このよ うな場をつくることで正しい善悪の判断,自分の意見を持つ,他人の意見を尊重 するという能力を養うことができると思います。
今の日本のいじめ防止対策は,いじめを受けた人の救済を重視していますが, いじめを外野から見ていた周りの人たちには,あまり目を向けていない気がしま す。これでは,いじめを根本的に撲滅することにはつながりません。もっと生徒 に自分の意見を持ち,主張させる機会を増やし,基本的人権について自分なりの 意見を持たせるべきです。それが,私達が将来自分達の基本的人権を守っていく ための力になると思います。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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