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アンケートの問い方

「ネットゲリラ」に引用されていた、おそらく朝日新聞記事への素朴な疑問なのだが、安倍総理への信頼感が「変わらない」というのは、「信頼している」と解釈されるのだろうか。実は私も「変わらない」に属するのだが、それは最初から信頼感ゼロだからである。私のような人間はこれらの選択肢にどう答えればいいのか。なお、安倍総理不支持率が52%と、「(信頼感が)変わらない」の45%より多い割合なのだから、私のように回答に迷った人間が最低でも7パーセントはいることになるのではないか。つまり、アンケートの問い方というのは回答の数字を水面下で操作することでもあるわけだ。


安倍総理への信頼感

低くなった:48%
変わらない:45%
高くなった:5%



(以下引用)


朝日新聞社は23、24日に全国世論調査(電話)を実施した。安倍内閣の支持率は29%(前回5月16、17日は33%)で、2012年12月に第2次安倍政権が発足して以来、最低となった。不支持率は52%(同47%)に増え、5割を超えた。
 男性の支持率は33%で、女性は25%。特に50~60代女性の支持は2割以下で、7割近くが不支持と答えた。支持政党別では、自民支持層の内閣支持率は68%だったが、無党派層では14%にとどまった。第2次安倍政権のこれまでの最低支持率は、森友・加計問題への批判が高まった18年3月と4月の調査の31%だった。
 新型コロナウイルスに対する政府の対応を「評価しない」は57%にのぼり、「評価する」は30%だった。「評価しない」層の内閣支持率は14%と低かった。新型コロナ対応を通じて安倍晋三首相に対する信頼感が「低くなった」人は48%と半数に迫り、「変わらない」は45%、「高くなった」は5%だった。

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「お前ら、休みの日も仕事せい! 俺は遊ぶけど」

アベノマスク第二弾の強引な実施といい、居直りが凄い。そういう政権の存在を許してきたマスコミの罪、国民の馬鹿さ加減もひどいものである。


(以下引用)
nagaya
@nagaya2013
「休暇」というのは「労働者が労働契約上の労働義務を免除される日」なんだよ。休暇に仕事を持ち込むとか労働基準法をなんだと思ってるんだよ。仕事して合間に温泉入って、会議して、そんな貧乏くさいことやってないで、1ヶ月くらいの有給での長期休暇制度をつくれよ。その方がよっぽど観光業は潤う。
引用ツイート
西村やすとし #新たな日常 NISHIMURA Yasutoshi
@nishy03
·
#ワーケーション は、「ワーク」(仕事)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語で、各地で受入れ環境の整備が進んでいる。和歌山県では全国に先駆けて推進し、3年間で104社910名が体験。環境省では第1次補正予算9億円を活用し、国立公園、温泉地等でのワーケーションの環境整備を実施。


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日本語の雑な思想家・活動家たち

ツィッターというのは確か140字という字数制限があったと思う。その中で自分の考えを間違いなく、そして誤解されないように書くのは至難の技だろう。つまり、議論の場としては不適当である。
下の二つのツィートは、誰が何を問題にし、論じているのか、そして二人の発言者の意図(発言趣旨)は何なのか、私にはさっぱり分からない。
ツィートした人は反貧困の活動家で、リツィートした人はフェミニズムの活動家のようで、どちらかといえば二人とも現在の日本社会の在り方に批判的な、大別すれば同じ陣営に属する人たちだと思うが、私の理解では、要氏は藤田氏を批判しているように見える。そして、何を批判しているのか、私には分からない。まあ、藤田氏の発言も曖昧模糊としていると思うのだが、その発言のどこに「本来その属性であってはならない」という考え方(「何が」という主語が無いので意味不明だが)があるのか。そしてそれは「藤田氏」の差別意識なのか、それとも藤田氏が戦っている相手の差別意識なのか、要氏の文章からは分からない。
毎度引用するが、「我、刷毛の影もて馬の影を刷く御者の影を見たり」みたいなものだ。

まあ、要氏の言いたいことを、言葉を補って書けば、「誰かの属性について、『お前はその属性であってはならない』と批判する考え方が、差別と社会的排除の考え方だ」ということかと思う。つまり、主語や目的語が不明瞭な上、「本来その属性であってはならない」の「本来」が文章を分かりにくくしていると思う。だが、そのように言葉を整理しても要氏が誰をなぜ批判しているのか、その文章から理解することは困難だ。
ついでに書けば、藤田氏の文章もかなり分かりにくい。「自己決定の暴力」はかなり舌足らずで、なぜ意味不明の抽象語の羅列で論をまとめようとするのか。「自己決定」自体が暴力なのではなく、「『自己決定』というレッテルを貼ることにより相手を無力化する言語的暴力」ということだろう。「自己決定の暴力」では自己決定が暴力だという意味にしかならない。
最後の一文も引っかかる。「死にたくて死んだ」が平然と容認されるのは当然だと私のような自殺肯定論者は思うが、実際に藤田氏が言いたい(批判したい)のは「自殺した人間は死にたくて死んだのだから何も問題はない。社会に責任はない」とする思想のことだろう。社会に追い込まれて死んだのと当人が死にたくて死んだのは天と地ほども違う。だが、この文ではそのどちらか分からないのである。


(以下引用)


要 友紀子
傘
SWASH
@kanameyukiko
この言い方や考え方、何がまずいか説明しておきたい。 本来その属性であってはならないという考え方が差別と社会的排除の考え方。 そうではなく、どんな属性であっても、その属性を理由にハシゴを外されるようなことがあってはいけない、不当な扱いをされてはいけないというのが正しい考え方と思う。
引用ツイート
藤田孝典
@fujitatakanori
·
風俗嬢は好きでやっている、ホームレスは好きでやっている、好きで生活保護受けている、好きで派遣社員やっている、好きで日本にいる、好きでその生き方を選んでいる… この被差別構造を無視した自己決定の暴力すごい。 そのうち、死にたくて死んだ、というのも平然と容認されていくのでは。恐怖。



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台風の無い七月

井口博士が言ったとおり、太平洋高気圧が日本の東側に「ピン止め」されているためではないか。で、そのピン止めが長引く雨の原因でもあるわけだ。つまり、日本は気象兵器の対象国である可能性あり。

(以下引用)

観測史上初 台風発生のない7月となる可能性

南保 勇人
日本気象協会 北海道支社南保 勇人

2020年07月26日12:04


観測史上初 台風発生のない7月となる可能性
今年の台風発生は、5月に1個、6月に1個の計2個となっており、今月は発生していません。(7月26日現在)このまま7月の台風発生がない場合は、1951年の観測開始以来、史上初となります。
(追記)「徽宗皇帝のブログ」に載せた記事の一部である。

要するに、日本の東側に位置する高気圧1018mb(hPa)の太平洋高気圧がずっと同じ場所に居座り続ける。
この不可能なことが可能になるということこそ、人工的な気象兵器の関与の疑いがあるというわけだ。
つまり、「不都合な真実」というやつだ。
普通は、太平洋高気圧は偏西風により、東へ抜ける。
だから、梅雨前線は自動的に徐々に北上し、東へ流れる。
ところが、この太平洋高気圧は一ヶ月も同じ場所に居座っている。物理学で言う、ピンニングというやつだ。ピン留め。
つまり、判を押したように同じ場所にピン留めされているのである。
すると、前線はずっと同じ様な場所に陣取る。
こうなると、ハワイの方からくる偏東風に乗り、南太平洋上の熱帯の空気がどんどんフィリピンに押し寄せ、さらに支那南部へ移動する。
こうして、支那の南部へ行った大量の水蒸気を含んだ亜熱帯低気圧が、支那を北上しそこでUターンする。
このUターンの部分が今中国をどツボに嵌めている、大雨である。
これが揚子江周辺部を大洪水に陥れている。
つまり、これもまた気象兵器による攻撃なのである。
では、何者による攻撃か?
一言結論を言えば、NWO側、グローバル企業、偽ユダヤ富豪ネットワークからということになる。
アメリカ・ファースト、日本ファースト、中国ファースト、。。。。
こういったナショナリスト的な政治国家に対する世界支配一派が行っていると言えるだろう。
だから、反トランプ陣営で、反支那共産党、反アジア人、。。。の白人至上主義の組織がアジアの繁栄を嫌って、日本も含めてアジアつぶしを行っている真っ最中ということになる。
こういう組織は、すでに超国家的なワールドワイドなものだから、国家ベースのいまの世界に対して反感を持ち、国を潰して、その上から支配したいわけである。
はたしてそのメンツはどんなやつらか?
どうやら、その兆候が2019年のビルダーバーグ会議に出ていたようだ。


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「面白い」だけの映画と「栄養になる」映画

お笑いの原則は人間を類型化し、一部の人間像を誇張して笑いものにすることだろうから、繊細な描写の多い文芸映画の理解はできなくて当たり前だろうし、蒼井優も結婚相手に芸術鑑賞能力は求めていなかっただろう。しかし、問題は、そういう鈍感な人間が自分に理解できないものは無価値だと断定することで、現在はお笑い界の人間のその種の言説が社会的影響力を持っている。つまり、馬鹿(お笑いの才能はあるから馬鹿ではないが、無教養な人間)が世論をリードする社会になっているわけだ。
山里亮太は妻との会話で自分に欠如した部分、他より劣った部分を認識できたのだからまだマシなのではないか。
などと言いながら、私も嫌いな映画が多く、アクション映画だろうがSFだろうがホラーだろうが、「自分の好みには合わないだろうな」と予測できるので、世間で大評判の映画もほとんど見ていない。「マッドマックス怒りのデスロード」などもそのひとつで、ネットテレビで無料で見ることができるので見たが、半分ほど我慢して見ただけで途中放棄した。自分の興味の無い映画を見るのは時間の無駄である。
ただ、四十年代五十年代六十年代の昔の映画はだいたい好みである。七十年代が限界か。恋愛映画など大嫌いだったが、昔の名作だとやはり素晴らしい。まあ、アクション映画、SF映画、ホラー映画などは若いころに見るべきだと思う。年を取るとジュースよりはお茶や水のほうが美味く感じるようなものだ。
ただし、若いころでも理解できる優れた「人生映画」「文芸映画」もある。「第三の男」などはまさに「人生映画」だと私は思っている。正義感に溢れた誠実な人間が女性に愛されず、その女性は彼女をただの使い捨ての玩具と思っているとんでもない悪党に心から惚れる、そういう映画である。ちなみに、泣いたり喚いたりの場面はひとつもない。名セリフに溢れ、ユーモアもあり、映像も音楽も素晴らしい。
「人生映画」としては、「野いちご」と「東京物語」と「道」もお勧めだ。その世界に没入できれば、見た人は見る前と見た後では紙一枚分くらい別の人間に変わる、あるいは世界を見る角度が一度くらい変化する、というのが名作である。これは文学でも同じだ。それが教養というものだろう。つまり、単に「知っている」のではなく、知ったことが当人の血肉となっていることだ。



山里亮太 蒼井優との映画デートで弱点発覚「映画を見る人の優劣っていうのがあるのかな?」


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スポニチアネックス

「南海キャンディーズ」の山里亮太


 お笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太(43)が、22日深夜放送のTBSラジオ「JUNK 山里亮太の不毛な議論」(水曜深夜1・00)に出演し、妻で女優の蒼井優(34)との映画デートで気づいた自分の“決定的な弱点”を明かした。 【写真】まさに美少女!10代の頃の蒼井優  山里はTBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」で共演している映画ジャーナリスト町山智浩氏の勧めで、公開中の映画「はちどり」を蒼井と見に行ったという。家族や友人たちとの複雑な関係に悩む思春期の少女の心情を、丁寧な描写で描いた傑作。だが、「繊細な感情のちょっとした揺らぎとかを中心に見せる映画というものを感じ取れる能力が、自分にない」という山里は、その魅力を感じ取れないままだったという。  蒼井は「すごい楽しかった」と感激していたといい、2人で感想戦に突入したものの、山里は「これをいいって言わない人って、映画とか分からない、センスがない人って思われるのがいやで」と見栄を張り、「いい映画だったわ~」と答えたという。しかし、蒼井から「どのへんが?」と突っ込まれ、「大きい声を出してなかった主人公の人」と、ピント外れな答えをしてしまったという。  観念した山里は、「どういうふうにおもしろがればいいの?」と聞いたところ、蒼井から「細かいところを描写している、『ここをこれだけにゆっくり描写するのか!』っていう楽しみ方だよ」とアドバイスを受けたという。日本映画界を代表する大女優を妻に持ちながら、映画を見るセンスの欠如に気づいた山里は、「映画を見る人の優劣っていうのがあるのかな?」と自問自答していた。  山里の好みは、理解しやすい勧善懲悪ものという。「俺はもう、『悪いやつがいる、いいやつがいる。悪いやつ、負ける』。これ以外は無理。分からないんだもん。悪いやつが倒されないと分からない。いつ悪いやつが出てくるの?って思う。『こいつ、悪いやつっぽいな』と思ったら、いねえなみたいな。必殺技が出ないと」と開き直っていた。








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自分の生命は誰のものか

当人も別ツィートで言っているが、短い字数で論じられる問題ではない。ならば、ツィッターで呟くことも控えるべきだろう。短い文で言った内容が、その人の端的な意見だ、ということになる。ここでは、「人は己の意志で自己の生死を決めることが出来るのか(いや、できない)」が呟き主の考えだ、となる。で、それに対し、「安楽死は自分の意志で自分の生死を決めることだけではなく、他人の生死を決める状況も含むし、またどういう状況でそれが判断されるかにも左右される」と言うしかない。しかも、「そうよね、専門家だし」に至っては思考停止であり、この問題について呟く意味もない。「専門家」に「死ね」と言われたら従うのか?
なお、「人は己の意志で自己の生死を決めることができるのか」にはふたつの意味があり、「決めていいのか」という倫理上の問題と、「決めることが可能なのか」という可能性の問題がある。後者は当然、よほどの状況(植物人間や、難病などでそれに近い肉体的状況の人間)でないかぎり可能に決まっている。前者が問題の核心だが、前に書いたように、自分を創造神の被造物と仮定するキリスト教系(一神教系)の信者でないかぎり、決めていいにきまっている。昔の侍の自決は当時の侍の「道徳」に則った行為がほとんどであり、それは間違いだ、という権利は誰にも無い。芥川や太宰の自殺を批判する権利も誰にもない。かと言って、それらを称賛するにも当たらない。自殺は馬鹿な行為だ、という意見を持つのはいいが、それはその人の主観的判断にすぎない。



(以下引用)



安楽死、生命倫理、人は己の意志で自己の生死を決めることが出来るのか。昔、従弟とそういう話したこと有るなあと思ったら日経に載ってた。そうよね、専門家だし。 <「生きる権利支えて」ALS患者ら「安易な安楽死」批判:日本経済新聞
「生きる権利支えて」ALS患者ら「安易な安楽死」批判
ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者の嘱託殺人事件を受け、ALS患者らは「長年の支援活動で患者が生きる選択肢が広がっている」と呼びかけている。回復の見込みのない患者は安楽死を望むことがほとんどとい
nikkei.com
午後4:26 · 2020年7月25日Twitter Web App






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