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アナーキズムの世界

某ツィートだが、例によって、名前(ネット名)やアカウントなどを入れると容量が馬鹿げた量になるので本文のみ転載。
内容に賛同してではなく、用語の問題で、文中に「アナーキスト(破壊する人)」とあるが、アナーキストは「無政府主義者」であって、「破壊する人」ではない。現政府を破壊するだけならすべての革命がそうだが、革命家はアナーキストとは呼ばれない。破壊後によりよい政府を作る意思があるからだ。しかし、アナーキズム(無政府主義)は、政府という存在そのものを否定する思想であり、現実には実行不可能である(社会が成り立たない。あるいは発展不可能である)点で一種のキチガイ思想である。もちろん、コミュニズムやソーシャリズムはアナーキズムとはまったく別である。
現実のアナーキズム社会は、「暴力の支配する社会」でしかなく、西部開拓時代のアメリカの西部がそれに近い。だから、人々は「保安官」を置いて、悪を取り締まるようにしたが、その保安官自体が悪に加担したりもしたわけだ。今の若者には「マッドマックスの世界」と言ったほうが分かりやすいか。今のアメリカがそれに近いと言うのなら、否定はしないwww
それにしても、トランプは、「(暴動が続けば)政府は国民に銃を向ける」と明言しており、ある意味、それは当然なのだが、「それを言っちゃあお終いよ」だろう。まあ、言い方の問題であり、何かを思った瞬間に、それをツィートする、という悪癖が、アメリカをどんどん悪化させている。ただし、毎度言うが、それで(日本から過酷な収奪をしてきた)アメリカという国が潰れれば結構である。東日本大震災で「日本沈没」となるかと思ったら、コロナ騒動で「日本(とアジア)以外全部沈没」となりそうで、昔の日本のSF作家は偉かったwww

(以下引用)


日本から観ると全部「暴動」だが、参加者にはプロテスター(抗議する人)とルーター(略奪する人)とアナーキスト(破壊する人)の違いがある。 #tama954 きょうの町山さんを話を聞いて、やっと全体像が見えてきた気がする。

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未来予測

過去記事を読んでいると、自分の書いた文章だから当然自分にとっては面白いのだが、客観的な判断はできないのも当然だ。
その中で、未来予測をしたものがあって、2020年代に世界的大不況(大恐慌)が来る、と予測していたのが当たる気がするので再掲載しておく。「基本生活保障」は要するにベーシックインカムである。

(以下自己引用)

未来予測





別ブログに去年書いた記事だが、少し面白いので、こちらにも転載しておく。
この中で、自動車の全面的自動運転化は早まりそうだし、癌の完全な治療法は50年くらい遅れそうである。




少し頭の体操として、今から未来の時代に起こる科学上の発明発見や社会の変化を空想してみる。それを今後200年の年表にする。

2020年代:癌の完全な治療法が確立される。大恐慌が起こる。
2030年代:気象コントロール技術が進展する。資本家糾弾運動が激化する。
2040年代:エネルギーの90%が太陽エネルギーに代わり、安価になる。
2050年代:人体の人工臓器交換技術が安価になる。新しい資本主義が提唱される。
2060年代:自動車の全面的自動運転化が開始される。世界宗教者会議が開かれる。
2070年代:老化速度緩和の方法が確立される。全宗教の和解が宣言される。
2080年代:海上都市の建設が進行する。「新国連」が発足する。
2090年代:「世界憲法」が発布され、世界共通法律ができる。
2100年代:全世界的に「基本生活保障」が社会経済の基本とされる。
2110年代:「資本主義は終わった」という宣言が「新国連」から宣言される。
2120年代:アフリカの大開発が行われ、世界の牧場となる。
2130年代:人類の自然的平均寿命が100歳となる。(自殺者を除く)
2140年代:火星開発プロジェクトが始まる。
2150年代:火星移住第一陣が火星に移住する。
2160年代:人工授精が全受精の90%以上となる。
2170年代:脳移植が一般化する。
2180年代
2190年代
2200年代
2210年代
2230年代


とりあえず、思いつきを並べただけだが、後で追加したり変更したりすることにする。



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西洋の没落は非西洋の幸福

「ネットゲリラ」常連投稿者のメビウス氏のアメリカ内乱へのコメントだが、非常に冷静な筆致で、書かれた内容も目配りが広くていい。特にアンティファ(アンチ・ファシズム)を名乗る暴力集団の正体についての記述は、成る程、と思う。
野次馬氏のトランプ嫌いはべつにいいのだが、その敵対者であるクリントン・オバマ一派(NWOの傀儡)のほうが世界政治的には悪質な存在だ、という点を無視すると判断を誤るのではないか。
まあ、私としては「赤勝て白書て」と無責任に眺めて西洋社会と資本主義の「没落を」応援するだけであるww はっきり言って、それが世界の幸福だ。


(以下引用)


まぁ。私はトランプ派なので、
トランプには踏ん張ってもらい所ですが…


私の漠然とした感覚では、
暴動の主体となっているのはANTIFA(アンティファ)と呼ばれる騒擾集団で、
これは中東で暗躍していたISIS(イスラム国)と同根のプ武装ロ組織という感じがします。


中東を実質的に追い出されたISISが、コロナ騒動と相まってアメリカに再集結(里帰り)し、いよいよ本丸であるアメリカ合衆国を乗っ取るために活動をはじめたといったところでしょうか…


この、ISIS(イスラム国)という国際テロ集団も、もともとがオバマや(ヒラリー)クリントンたちが育てた武装組織と見る向きもあり、国家横断的に活動し各地で国家破壊工作を繰り広げてきたと思われます。


現在、アメリカで破壊工作の中核となっている(とされる)ANTIFAですが、
表向きは「アンチファシズム」ということで、(右派的)全体主義に対抗するリベラルな正義の味方としての仮面を装っていると考えています。


しかし、こうしたリベラルで解放的なイメージというのは意外と硬直化した原理主義的なもので、人種差別反対とかジェンダーフリーといったマイノリティ擁護思想をはじめ、地球環境(反温暖化)保護思想、さらに反原発思想や反戦平和思想などの(表向きリベラルな)民主的平等イデオロギーを原動力として、活動の幅を広げていると見られています。


こうしたことから、どちらかといえば、国家主義的なものを超えた汎地球主義(国際主義)を理想とした集団ということで、割合、偏差値度の高いインテリには受けが良いムーブメントとなっている感があります。


これが理想的なものとして発展すると、カントが提唱した「世界共和国」といったものができるのでしょうが、現状のまま拡大していくと、いわゆるNWO(ニューワールドオーダー)的な、人類丸ごと個性を剥奪された(奴隷)管理のシステムの中に閉じ込められる恐れがあります。


また、今回のアメリカの騒擾騒乱と中国をはじめとした諸外国とは、全く関係のない間柄だという見方もありますが、
ANTIFA、さらにそれと同根とみられるISISなども、前述のようにオバマ&(ヒラリー)クリントンのアメリカ民主党・前アメリカ執行部が育てた組織という説もあり、
そのオバマ&ヒラリー時代の民主党自体が、中国の資金援助によって生み出され運営されてきた、利害を共有するお仲間同士の集団であると見る向きもあります。


もっとも、トランプにしても、(ヨーロッパ)ドイツ・ルーツの市民層やキリスト教の宗教ファンダメンタリスト集団のバックアップ、さらに、娘、娘婿のユダヤ教のアシストなどが噂されていますので、全くフリーな存在であるとは言えないのも確かですが…


中国のコロナ封じ込め成功に関しては、武漢から中東、ヨーロッパ、ロシアを経由してきた第2波が、ウラジオあたりから吉林省(旧満州)エリアまで回帰してきているという話もありますので、今後どうなるか予断を許さないものがあると思われます。


中国に限らず、コロナ第2波は日本にとっても同じ注意が必要です。


ということで、


今回のアメリカ騒擾は、裏から資金を貰って煽っているプロ連中は別にして、
叛乱に参加した多数の一般群衆は、財布の中の自前資金が底を着いたあたりで撤収・解散し、騒動は次第に収まっていくような気がします。


給与と生活がとりあえず保障されていて、いつまでも戦える警察官や軍隊とは、そもそも経済的な基盤が違いますからね。


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「女か虎か」(3)



さて、この物語のポイントはここである。扉から出てきたのは虎だっただろうか、それとも女だっただろうか?



 



この問いかけを熟考すればするほど、答えるのは難しくなる。この問題は人間の心についての研究題目を含んでおり、それは様々な情熱の混迷の中に我々を導いて、そこから抜けだすことを困難にさせる。賢明な読者よ、お考えいただきたい。この問いかけの決定はあなた自身が下すのではなく、あの熱い血を持った、半野蛮な王女にかかっているのである。彼女の魂は絶望と嫉妬の白い炎に焼かれている。彼女は彼を失った。だが、誰が彼を得るのか?



いかにしばしば彼女はその覚醒と眠りの中で、激しい恐怖に襲われ、我が手で顔をおおっただろう。彼女の恋人がもう一つの扉を開け、そこに残酷な虎の歯が待っていることを想像して! 



しかし、どれほど、よりしばしば彼女は、彼がもう一方の扉を開けることを夢に見ただろう! 彼女の恐ろしい夢の中で、女のいる扉を開けた時の彼の喜びの驚きを見て、彼女はどれほど自分の髪を掻き毟ったことだろう! どれほど彼女の魂は激しい苦痛に焼かれたことだろうか。……明るい頬と勝利に輝く目の女に向かって彼は駆け寄り、彼女を前に導く。彼の体全体は回復された生の喜びに満たされる。王女の耳は観衆の楽しげな叫び声と、幸福の鐘が荒々しく鳴り渡るのを聞く。僧侶が楽しげな一団を引き連れて前に進み出て、彼女のまさにその目の前で闘技場の中の二人を夫と妻にする。花の撒き散らされた小道を通り、観衆の喜びの声に送られて幸せな二人は闘技場を出て行く。その歓喜の声の中で、彼女のたった一つの悲鳴は搔き消され、呑み込まれる。

 

彼にとっては、即座に死んで、祝福された半野蛮な来世で彼女を待つ方がよいのではないだろうか?



だがしかし、あの恐ろしい虎、その叫び声、あの血!



彼女の決定は即座に示されたが、しかしそれは幾つもの昼と夜を経た恐ろしい熟考の中で作られたものである。彼女は自分が尋ねられるということを知っていた。彼女は自分がどう答えるかも知っていた。そして、ほんの少しもためらうことなく、彼女は手を上げて右の方を指したのであった。



彼女の決定についてのこの質問は軽々しく考えられるべきものではないし、私自身がそれに答えうる唯一の人間だとも主張する気はない。そこで、私はその答えの判断をあなた方に残すことにしよう。開いた扉から出てきたのはどちらだろう。女か、それとも虎か?



 



 



 



 



 



 



               「女か虎か」完



 



 



 



 



 



*話はこれですべて終わりである。「女か、虎か?」という問いに答えるのは読者であるあなたである。このように、話の結論を謎のままに残す話をリドルストーリーと言うが、この「女か虎か」は、その中でもっとも高名なものであり、リドルストーリーの代名詞のようなものだ。しかし、案外と誰も話自体を読んではいないはずだから、ここで掲載したわけである。どうだっただろうか。



 


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「女か虎か」(2)


この半野蛮な国王には一人の娘がいて、その娘は美しいが上にも美しかったが、また王と同じくらいに驕慢でもあった。こうした場合には常にそうであるように、この娘は彼の掌中の珠であり、この世の誰よりも愛されていた。彼の廷臣の中に、こうしたロマンスではよくあるように、血筋はいいが地位の低い若者がいて、彼は王の娘を愛した。彼は王国の誰よりもハンサムで勇敢だったので、王の娘はこの恋人に満足していた。そして彼女は恋人を深く愛したのだが、その愛は野蛮性を伴ったものであり、だからこそいっそう暖かく強いものでもあったのだ。この恋愛は数か月の間幸福に続いたが、或る日、王の発見するところとなった。王は彼の義務を果たすことをためらわなかった。若者は即座に投獄され、王の闘技場での審判の日取りが決められた。これは言うまでもなく特別に重要な審判であり、すべての国民と同様に、王もまた審判の成り行きに非常な興味を持っていた。これまでこのような事件は起こったことがなかった。これまで臣下が王の娘をあえて愛するようなことは無かったのである。年月が経つうちに、こうした出来事もありふれたものになってきたが、当時はまったく異常な出来事であり、人々を仰天させるような事件であったのだ。


王国の虎の檻には、もっとも野蛮で冷酷な野獣の中でも選り抜きの獰猛なものが何頭か集められ、また、若者の運命が野獣の餌食になるものでなかった場合に備えて、若者の花嫁になるのにふさわしい、国中でもっとも若く美しい乙女たちのランク付けが適当な審判者たちによって注意深く進められていた。もちろん、誰もが、この若者が何の罪で告発されたかは知っていた。彼は王女を愛し、そしてそのことを否定するつもりは彼にも彼女にも、他の誰にもなかった。しかし王は、自分に絶大な喜びと満足を与えるこの裁きのシステムに、いかなる「事実」をも介入させるつもりはなかった。事件の内実がどうであろうが、この若者は闘技場での裁きによって処理され、彼が王女を愛するという悪事を働いたか否かに関わらず、王は若者の運命を決定する裁きの儀式を見ることで、美しい喜びを得ることになるはずだった。



 


指定された日が来た。遠くからも近くからも人々が集まり、この偉大な闘技場を満員にした。建物の中に入りきれなかった者たちは、闘技場の外壁に向かって立ち並んでいた。王と廷臣たちが例の二つの扉に面した所定の席についた。運命の関門――同じ見かけのゆえに、かくも恐ろしいその二つの扉に向かって。



準備はすべて終わった。合図が下された。王族席の下方にある扉が開き、王女の恋人が闘技場の場内に歩み出た。背が高く、美しく、端正なその姿は観衆の称賛と不安の低い物音で迎えられた。観衆の半分ほどは、これほどに素晴らしい若者が彼らの間に存在していたことを知らなかった。王女が彼を愛したのには何の不思議もない! その彼が今、この場にいるというのは、何と恐ろしいことだろう!



その若者は場内に入ると、定めの通りに王に向かってお辞儀をしたが、彼は王のことはまったく考えていなかった。彼の目は父王の右に座っている王女をじっと見つめていた。もしも彼女の生来の性質に野蛮性のかけらが無かったならば、女はその場にいなかっただろう。しかし、彼女の激しい魂は、自分がこれほどに興味を引かれている出来事の場から自分を遠ざけることを彼女に許さなかった。彼女の恋人の運命が王の闘技場で決定されるというあの命令が出された瞬間から、彼女は昼も夜も、この偉大な儀式とそれに関連した物事以外には何も考えられなくなっていた。この儀式にかつて興味を持った他の誰よりもすぐれた権力と、影響力と、性格の力によって、彼女は誰にもできなかった事をなしとげた。――彼女は扉の秘密を手に入れたのである。彼女は、どちらの扉の向こう側に前方の開いた虎の檻があり、どちらの扉の向こう側に美女のいる部屋があるのかを知っていた。分厚い扉の向こう側には皮のカーテンが重く垂れ下がっていて、外から近づいて扉の掛け金を上げようとする人間に対して、中からはどのような物音も示唆の声も届かないようになっていた。しかし、黄金と、女の意志の力によって、王女はこの秘密を手に入れたのである。


そして彼女は、どちらの部屋に女がいて、自分の扉が開けられた時に、輝くような美しさで外に出ていこうと待ち受けているかを知っていただけでなく、その女が誰であるかも知っていた。それは宮廷の中でももっとも愛らしく美しい女で、自分より遙かに身分の高い人間を愛した罪で告発された若者が無罪であった場合に、その償いとして与えられるために選ばれた女である。そして王女はその女を憎んでいた。しばしば、彼女は目撃した。あるいは想像した。この美しい生き物が自分の恋人である人物に称賛の目を投げかけ、そして、時にはその一瞥が受け止められ、あるいは投げ返されさえしたのではないかと。時々、彼女は二人が話をしているのを見た。それはほんの短い時間にすぎない。だが、その短い時間の間でも多くの事を話すことは可能だったのではないか? それはおそらく取るに足らない事柄についての話だったのだろう。だが、彼女にどうしてそれが知りえようか?その少女は愛らしかった。だが、彼女はあえて王女の恋人の前で、自分の目を上げたのである。王女は、その完全に野蛮な先祖たちから長い血筋を通して伝わった蛮人の血の強さの及ぶ限りの激しさで、沈黙する扉の向こうで震えている女を憎悪したのであった。

彼女の恋人が振り返り、彼女を見上げた時、彼の目は彼女の目と出会った。彼女は好奇心に溢れた目で彼女を見ている観衆の大海の中のどの顔よりも蒼白な顔でそこに座っていたが、魂を一つにする者たちの持つ直感により、彼はどの扉の向こうに虎がうずくまり、どの扉の向こうに女が立っているかという秘密を彼女が知っていることを見抜いた。彼は彼女がその秘密を知るだろうと期待していた。彼は彼女の気質を知っていた。彼女は、他の観衆や王にさえも隠されているこの秘密を手に入れるまで手を休めることは無いだろうと彼は確信していた。この若者の唯一の希望――そこには何の確実性の要素も無いのだが、――彼女が扉の秘密を知ることにかかっていたのである。そして、王女の顔を見上げた瞬間、彼が心の底で確信していた通り、彼女が成功したことを彼は知った。


そして、彼の、素早く、答えを切望する目が「どちらだ?」と聞いた。その問いかけは、まるで彼が自分の立っている場所から叫んだかのように、彼女には明白だった。一瞬も無駄にはできなかった。その問いかけは瞬時のうちに行われたが、返答も瞬時に行われねばならなかった。



彼女の右手は座席の前のクッションのついた手すりの上に置かれていた。彼女はその手を上げ、かすかな素早い動きで右を示した。彼女の恋人以外の誰も彼女を見ていなかった。すべての人々の目は闘技場の中の男を注視していた。



彼は向きを変え、自信に満ちた、素早い足取りで競技場の空間を横切って歩いて行った。すべての心臓は鼓動をやめ、すべての呼吸は止まり、すべての目は動けないままにその男に固定された。ほんのわずかなためらいもなく、彼は右側の扉に歩み寄り、そしてそれを開けた。

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「女か虎か」(1)

別ブログに載せてあった、フランク・ストックトンの「女か虎か」の翻訳をここにも載せておく。原文の印象に沿って、生硬な、やや仰々しい文体で訳したつもりだが、まあ、古代の演劇でも見る感じで読めばいいかと思う。元のブログでは原文も載せて全十七回だが、翻訳だけならブログだとその五分の一くらいに収まる程度の短編小説である。全部読んでもかかる時間は十五分程度だろう。

(以下自己引用)


遠い遠い昔、ある半野蛮な王がいた。彼は巨大な夢想を持った男で、また誰も逆らえぬ権力者であったから、彼は自分が望むままにその様々な夢想を実現した。彼は自分自身の夢想の世界に耽り、彼が自分でよしと認めたことは何でも実行された。彼の命じたことが適切に行われれば、彼は穏やかで優しかった。しかし、仮にちょっとした困難や非常に不適切な物事があった場合でも、彼はいっそう穏やかで優しかった。というのは、曲がったものを真っ直ぐにし、不揃いのものを平らにすることくらい彼を楽しませるものは無かったからである。


彼に採用されたアイデアの数々によって、彼はその野蛮性を撒き散らしたのだが、その中には公共の闘技場があって、そこで人々は男らしさや恐るべき勇気を観衆に見せ、そしてそれによって王の臣民たちの心は洗練され陶冶されるのであった。



だが、ここにおいてすら、王の巨大で野蛮な夢想が姿を見せていた。王の闘技場は、死に行く兵士の最後の言葉を人々に聞かせる機会を与えるためや、宗教的意見と飢えた顎の争闘の不可避の結末を観衆に見せるためではなく、もっと有益な目的、すなわち人々の精神的な活力を拡大し向上させるために建てられたのであった。この広大な闘技場は詩的な公正さの代行者であり、ここには、偏りもなく買収されることもない機会があり、その裁定によって罪は罰せられ、美徳は報酬を与えられたのである。





王の臣民の一人が、王を面白がらせるのに十分な重要性を持った罪で告発されると、ある予定された日に、告発された臣民の運命が王の闘技場で決定されるという公告が掲示された。この建築物は「王の闘技場」という呼び名に恥じないものであった。なぜなら、その形態やプランこそはるか遠い所から借りてきたものではあったが、その目的は、あらゆる点で王であるこの男一人に出たものであり、自分自身の愉快な夢想以外にはいかなる伝統にもその起源を負うてはいなかったからである。そして彼はこの闘技場で行われるあらゆる事柄に、彼の野蛮な夢想による豊かで拡張されたアイデアを付けくわえたのであった。



 


 



すべての人々が闘技場に集められ、王が廷臣に囲まれて、闘技場の一方にある、王の尊厳を表す高い玉座に座ると、王は合図をし、玉座の下にある扉が開けられて、告発された廷臣が歩み出る。罪人の向こう正面の側には仕切られて閉ざされた空間があり、そこにはまったく同じ形の二つの扉が並んでいる。この扉にまっすぐに歩み寄ってどちらかの扉を開けるのが裁かれる人間の義務であり、特権であった。彼は自分の望み次第でどちらの扉を開けてもよいが、自分がこの扉を開けることで公正な裁きの機会を得るのだとあらかじめ述べられる以外には、その扉の向こうに何があるかについて何一つ案内も暗示も与えられていなかった。もしも彼がその一つを開けた場合、手に入る限り最も獰猛で冷酷で腹をすかせた虎がそこから飛び出して彼を襲い、彼の罪への処罰として即座に彼を八つ裂きにする。罪人の判決がこのように下った瞬間、鉄でできた鐘が悲しげに鳴らされ、闘技場の端に位置した雇いの泣き女たちの泣き声が沸き起こり、無数の観客たちは、若く美しい人間や年を取って尊敬されていた人間がかくも恐ろしい運命を受け取らざるを得なかったことを深く悼み、頭をうなだれ、悲しみの心とともに、足取りも重く帰途に就くのであった。



しかし、もしも告発された者が別の扉を開けたならば、そこからは一人の美女が出てくる。告発された者の年齢と地位にもっともふさわしい美女で、国王陛下が彼のもっとも美しい臣民の中から選りぬいた女である。そして被告人は彼の無罪への報酬としてこの女と即座に結婚することになっていた。彼がすでに結婚し、家族を持っているかどうか、あるいは自分が結果的に選んだこの女に愛情や好意を持つかどうかはまったく問題とされなかった。王は、自分が描いたこの偉大な報復と報酬の図式に対するいかなる変更も介入も許さなかったからである。この、もう一方の扉が選ばれた場合には同じ闘技場が即座に儀式の場に変わった。王の玉座の下の別の扉から、合唱隊の少年たちと、楽しげに黄金の角笛を吹き鳴らしながら踊る少女たちを伴った僧侶が進み出て、被告人とその伴侶となる女が並んで立っているところまで歩み寄る。そして結婚式がすぐに、楽しく執り行われる。そうして真鍮の鐘が鳴り続け、人々の歓呼の声に送られて、その通路に花を撒く子供たちに先導されながら、無罪を勝ち取った男はその花嫁を自分の家へと導くのであった。




これが、王が正義を執行するやり方であった。その完璧な公正さは明白である。被告人は、どの扉から美女が出てくるか知ることはできない。彼は、その向こうに何があるかまったく知らぬままに自分の好きな扉を開け、次の瞬間、彼は食われるか、あるいは結婚する。ある時は扉から虎が出てくるし、ある時には美女が出てくる。この裁きでの判決は公正であるだけでなく明確に決定されたものである。告発された者が、自分が有罪だと知ったその瞬間に彼は処罰され、無罪なら、彼がそれを好もうが好むまいが、その場で無実の罪の償いを得る。この王の闘技場の裁きから逃れる術は無かった。



この制度はとても人気のあるものだった。この偉大なる裁きの日に集められた人々は、自分たちが血生臭い死に立ち会うのか、楽しい結婚式に立ち会うのか、けっして知ることはない。この不確かさの要素が、さもなくば持ち得なかったような面白さをこの儀式に与えていたのである。こうして大衆の大部分は楽しみ、喜んだし、国民の中の思慮深い人々も、このやり方を不公正のゆえに非難することはできなかった。なぜなら、告発された人間の手に、すべてはゆだねられているではないか?




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新コロは人種を選ぶ?

おそらく印象による判断の、さらに耳情報ではないかと思うが、一応載せておく。
欧米株の新コロウィルス(凶悪新コロ)に対してもアジア人は耐性が高いとすれば、世界の覇権はアジアのものであるwww

(以下引用)

竹熊健太郎《地球人》
@kentaro666
米国滞在中の安冨歩氏によると、新型コロナの感染者と死者数は、黒人やプエルトリカン、白人に比べてアジア人が少ないというのは本当らしいな。原因はまったく不明とのこと。






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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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