(以下引用)
(追記)別のスレッドで同じ問題を扱ったコメントの中に、「赤ちゃんが乗っていない時はステッカーを外しているのか」という疑問が提示されていて、成る程、と思った。まあ、確かにその場合は虚偽ステッカーになるが、世の中の人間の(他人の上げ足を取る)「人の悪さ」にも感心するというか、寒心する。
これだぞ
と言われて一瞬信じかけたけど貼りっぱなしだし混乱のもとにしかならんな
つけていて更に運転が下手な奴は印象に残りやすからだ
そうじゃなかったら詐欺罪が成立するぞ
気の赴くままにつれづれと。
Des milliers et des milliers d’années
Ne sauraient suffire
Pour dire
La petite seconde d’éternité
Où tu m’as embrassé
Où je t’ai embrassée
Un matin dans la lumière de l’hiver
Au parc Montsouris à Paris
À Paris
Sur la terre
La terre qui est un astre.
・・以下日本語訳・・
何千年かかっても
とうてい言えっこない
あのほんの一瞬を
きみがぼくにキスをして
ぼくがきみにキスをした
ある朝のこと 冬の光のなか
パリのモンスリー公園で
パリで
地球で
地球という惑星で
・・・・・
フランス語を学習していた時に、フランス語の先生が朗読してくれたジャック・プレヴェールの詩。題名の「Le jardin」は”庭”という意味。読み方は、ル ジャルダン。
私はこの詩の朗読を聞いて、綺麗な詩だな、と思った。フランス語の発音の美しさはもちろん、フランス人の愛に生きる生き方がこの詩にギュッと詰まっているような気がして。
冬の光がさすある朝のこと、小さなモンスリー公園で、パリで、地球で、惑星で、広がっていく宇宙のなか、まるで時が止まったかのような。でも、言えない。キスをした、あのほんの一瞬を語ることなんて、どんなに時間がかかっても言えっこない。何回読んでも、素敵だなぁ。
こういう詩で思うことは、日本語にしてしまうと、どうもくさすぎるセリフになりがち、ということ。私は村上春樹の本はムズムズして読めないのだけれど、きっと英語とかフランス語訳で読んだら自然な表現に感じるんだろうなと思う。言語と表現の相性というか。日本語の感覚、英語の感覚、というのかな。その言語の感覚ってあるよね。言語って、言葉って、文化だもんね。
というわけで今日は東証クラッシュを日中ずっと推察していて、いくつかの結論が出てきて脳みその中は大変な1日でした。で、杉田整形枕営業水脈が何言おうが所詮は杉田整形枕営業なのでどうでもいいかな?でも比例第1位なんだよね、杉田整形枕営業水脈って。やはり日本の政治は5爺のチ〇コを平気で尺八出来ないと出世しないという結論で。
それにしても今日の情報番組は東証クラッシュのみを扱うべきなくらい、重要な事件なんですが、全くと言っていいくらい取り上げず強盗トラブルばっかですな。事件って書いてるのはもちろん意図的にクラッシュさせたわけですが、その意図的な部分に気付く人が増えると日本経済即沈没事態なので意図的に強盗トラブルばかりにしてるわけです。尚、意図的を繰り返してるのはわざとです。