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広瀬隆の現在

この前から、「最近広瀬隆の名前を聞かないが、もしかして亡くなっているのだろうか」と気になっていたので、調べると、少し前に脳出血を起こしたらしいが存命であり、著作も出しているようだ。
脳出血で一時は半身不随だったが、現在は完治している、というのが疑問で、脳出血で失われた身体機能が元に戻ることが可能だとしたら、素晴らしいことではある。私の兄のひとりも脳出血で半身が麻痺しているが、それが回復可能だとしたら大きな福音だ。しかし、どのようにして「完治」できるのか、その詳細が知りたいところである。
まあ、脳出血の内容や、その発症直後のケアなども千差万別だろうから、広瀬氏の場合には幸運も重なって「完治」したのかもしれない。

(以下引用)

広瀬隆さんが「わが家の罪業」を告発!


日本の植民地政策とわが家の歴史



 反原発活動家として知られ、『東京に原発を!』、『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』などのロングセラーもある著述家の広瀬隆さん。近現代史の裏面や暗部をテーマにした著作が多いが、本書『日本の植民地政策とわが家の歴史』(八月書館)は多少趣向を変えている。「広瀬家」の歴史そのものをまな板に載せ、手厳しく批判しているのだ。

脳出血で一時は半身不随

 1943年生まれの広瀬さんは今年77歳。東日本大震災の時は、あちこちで引っ張りだこだった。最近ちょっと見かけないな、と思っていたら、2年前に脳出血になり、1か月ほど半身不随だったそうだ。現在はほぼ完治したというが、心境の変化もあったようだ。


 広瀬家の歴史を書こうと思ったのは、20年近く前、高齢の母親の散歩を付き合うようになったのがきっかけだという。1時間ほど歩きながら、朝鮮生まれの母親の昔話を聞く。身近なところに「民衆史」があることに気づいた。自分が日本史や世界史をテーマに著作を続けてきたのに、自分の家の歴史については深い関心を持たずに生きてきたということを痛感したそうだ。


 本書の骨子は、「私自身が、日本の植民地政策の犯罪者的な系譜から出た人間だという、読者が卒倒するような実話である」。


 さらに広瀬さんは続ける。

 「だからと言って、小生がわが家の罪業を隠そうと思ったことは、天に誓って金輪際ない・・・これまで、その秘密のファミリー・ヒストリーを書籍に記述する機会がなかった。しかし面汚しな秘密だからと言って、もはや語らずにはいられない心境に達したので、読者も覚悟して、富豪の家に生まれたその人間が、いかにして今日まで読者と共に活動する役割を演じてきたか、この奇想天外な『広瀬隆の人生の一部始終』に耳を傾けて戴きたい」

日露戦争のころに朝鮮へ

 本書は三部構成。概略は以下。

 第1部
 第1章 日本の商人が軍隊を引き連れて朝鮮半島に進出し、日清・日露戦争を起こす
 第2章 わが家の野々村家が朝鮮に渡る
 第3章 いよいよ朝鮮を正式に植民地統治する時代に突入した
 第5章 朝鮮人の強制連行がスタートした
 第6章 日中戦争が勃発して、日本は泥沼にはまりこんでいった など
 第2部
 第12章 翻訳者・小説家として第三の人生に踏み出す
 第13章 反原発運動に飛びこみ、新しい運動をめざして市民と共に活動する
 第25章 青森県六ヶ所村の核燃反対運動
 第27章 政争の具にされた原発反対運動 など
 第3部
 第33章 大事故を予告する狼少年が全国を回る
 第36章 自然エネルギーが自然を破壊する
 第41章 『黒い雨』上映と沖縄体験の衝撃 など

 この章立てを見てもわかるように、「広瀬家の歴史」については第1部に詳述されている。具体的に何をして「富豪」になったのか。それを書いてしまうと、種明かしになるので、実際に手に取ってご確認いただければと思う。


 ごく一部をお伝えすると、広瀬さんの母方は野々村家。ご先祖はすでに明治期に関西の貿易業界の重鎮だった。日露戦争の直後には、曾祖父が朝鮮に渡っている。祖父の野々村謙三は事業を拡大して京城で商工会議所会員にトップ当選、戦後に「野々村謙三・思ひ出の記」を残している。母方のもう一人の曾祖父は、中林思孝。明治初期に東京の大学南校(東大の前身)を卒業した英才だ。日露戦争のころの外相だった小村寿太郎の同期。朝鮮で税関長などを務め、多数の土地を持ち、権力を握っていた人物だという。

ほとんどの日本人に共通する

 広瀬さんは本書で、こうしたご先祖の「ある種の"罪業"」のような史実を記述する。当初は、本のタイトルを『わが家の罪業』にしようと思っていたという。「この世に起こった、そうした動かしようもない家族の史実を、ほかの人に知られることを恥じる、それが人間の最も犯しやすい間違いなのである」という信念からだ。


 しかし、そのタイトルは止めた。広瀬さんが戦後に知る野々村家の人々はみな心やさしい、愛すべき人たちであった。むろん、日本人が朝鮮を植民地とした行為を、悪事だったと語ることはなかったが、広島の原爆では、4人が戦死し、一族は戦争被害者という一面もあった。


 タイトルを変えたのは、いろいろと調べるうちに、これは野々村家だけの話ではなく、ほとんどすべての日本人に共通することが分かってきたからだ。

 「なぜなら、この時代の大日本帝国による軍事侵略は、朝鮮半島だけではなかった。満州においても、フィリピンにおいても、インドネシアにおいても、台湾、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インド、ビルマ(ミャンマー)、タイ、太平洋諸島においても、同じように展開された蛮行だからである」
 「読者が『潔癖なわが家は違う。無実だ』と信じているなら、あなたの先祖がそれを隠して、語らなかっただけだ」

反原発の檄を飛ばす

 こうして広瀬さんは、本のタイトルを『日本の植民地政策とわが家の歴史』という、どの日本人にも当てはまるものに変える。そして日清・日露戦争を起点に、日本の近現代とご先祖のファミリー・ヒストリーを絡ませながら朝鮮で起きたことを辿っていく。


 後半は、自身が深く関わることになった原発反対運動に多くのページを割いている。2016年10月、広瀬さんが、「これから講演会で、韓国のソウルへ行くよ」と、99歳で寝たきりの母親に告げたら、「私は京城(現ソウル)生まれよ。京城の小学校を出たのよ」という返事が返ってきた。その時は極めてしっかりした記憶と意識があったが、約二か月後に亡くなった。反原発運動の広瀬さんの人生が、晩年になって一族の故郷・朝鮮と重なった瞬間だった。


 母が亡くなったということもあり、本書をまとめることにしたという。本書の最後では、反原発運動で関わった有名・無名の故人たちの名を挙げながら、「この精鋭たちの遺志を、生きている我々が継がなくてどうする!」と檄を飛ばしている。


 BOOKウォッチは関連書を多数紹介している。『近代日本・朝鮮とスポーツ』(塙書房)はスポーツを通して「内鮮一体」「皇民化」が図られた歴史を振り返る。『天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成』(幻冬舎新書)は明治天皇と日清戦争、昭和天皇と戦前の朝鮮への思い、平成の天皇の古代史にさかのぼる発言などが掲載されている。『増補 遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学』(皓星社)は父方も母方も古くに朝鮮に渡り、「植民者三代目」として朝鮮で生まれ、戦争に負けて21歳で「帰国」するまで日本を知らなかったという村松武司さんの懐旧記だ。『従軍慰安婦と公娼制度』(共栄書房)は慰安婦問題の歴史的背景を記す。『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)は戦争を金銭面から徹底総括している。


 原発関係では『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫)、『ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版)なども紹介している。

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PCR詐欺は新コロ詐欺の柱だったが

「大摩邇」から転載。動画がコピーできていなければ、元記事参照。
これでもまだPCR検査絶対主義を振り回す人間は全人類(除く、上級国民)の敵だろう。
何度も書いているが、PCRの発明者自身が、PCRを感染症検査の手段に使うべきではないと言っている、いや、言っていた(既に故人である。新コロ大流行の直前に死んでいる。あるいは殺されたか。)のである。
なお、新コロは政治家にとっては実に都合が良く、まったく何もしなくても「新コロ対策(笑)」だけしていれば許されるのである。そのことをdon氏は「各知事さんたち、独裁ができなくなって残念ですね!」と言っているのだろう。

(以下引用)

はい!PCRのインチキをWHOがはっきり認めたニュースです。

donのブログさんのサイトより
https://ameblo.jp/don1110/entry-12654491358.html
各知事さんたち、独裁ができなくなって残念ですね!
まぁ、医師会は金よこすまで認めないでしょうね!!
御用人を使ってWHOはおかしいって言い始めるかも。
<転載開始>
https://twitter.com/jimakudaio/status/1354648502064713732?s=20 

 これで感染者が増えるようでしたら、インチキを継続している証拠になりますね。(笑)




<転載終了>


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新コロより危険な新コロワクチン

前の記事の補足として「櫻井ジャーナル」から転載。
複数の「接種結果」に該当する人がいるので全体は125%になっているが、それにしても3.34%の死亡率は多すぎないか。しかも、ワクチン接種後それほど期間は経っていないから、ワクチン接種直後に死亡した人が死亡者の大半ではないかと思われる。死亡者以外に重篤な副反応を起こした人も含めれば、かなり新コロワクチン接種は危険だと推測できる。短期間の結果だけでなく、ワクチン接種後に新コロ感染をした場合、危険な免疫暴走が起こる可能性があること、また接種された当人のDNAそのものが改変されることがどういう結果を生むか分からないことなど、現段階でのワクチン接種は人間モルモットでしかないことは確かである。

(以下引用)

2021.02.01
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 アメリカではワクチンの安全性を監視するため、CDC(疾病予防管理センター)とFDA(食品医薬品局)が共同でVAERS(ワクチン有害事象報告システム)を運用している。そのVAERSによると、​1月22日現在、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチンの接種で329名が死亡​した。そのほかにも深刻な副作用が報告されている。現在、アメリカで超法規的に使用されているワクチンはBioNTech/ファイザーとモデルナのmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンだ。





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ワクチンとPCR検査は二項対立(利益相反)か

某漫画家がリツィートしていたものだが、呟き手が本当に外科医かどうかは知らない。しかし、思考が非合理的であるのは確かだろう。外科医、あるいは医者に合理的思考は不要だ、という説(つまり、患者の病状と自分の知識を照合するだけなら、特に合理的思考は不要だ、とも言える。)もあるかもしれないが、こういう医者にはあまり世話になりたくはない。
彼女の言葉のどこが非合理的かは、ツィートの後に載せる。

(以下引用)

ママコロン
女性医療関係者
外科医
@kazaaaaru
親がTV見て「大規模なワクチン接種を始めたら接種後に高齢者がバタバタ死ぬと言ってた。恐ろしいことになる」と言い始めたので、データではなく「全員ワクチン打ったら困るのは今PCR検査で儲けてる人達だよ。誰が反対してるかよく見て」ってお気持ちで答えたら今迄の説明で1番納得できたと言われた
号泣

(夢人の批評)

1)なぜ「全員がワクチンを打ったら、PCR検査で儲けている人たちが困る」のか。この言葉が意味するのは、「ワクチンを打てば、PCR検査は不要になる」ということである。ワクチンの効果があるかどうかはPCR検査で確かめるのではないか。それとも、ワクチンは100%効果がある、という「ワクチン無謬説」を前提にしているのか。

2)「PCR検査で儲けている人たち」とは誰なのか。そして、「PCR検査で儲けている」という非難の口調は、「PCR検査は(単なる金儲けのためで)無意味だからやめろ」という趣旨なのか。(これは、私自身がPCR検査は無意味だと思っていることとは別問題で、医者であるママコロン氏のPCR検査への意見を問題にしているのである。)

3)「ワクチンを打った高齢者が接種後にバタバタ死んでいる」という最大の問題点を無視している。つまり、このママコロン氏はワクチン推進派で、その勇み足で「PCR検査は金儲けのために行われている」というPCR否定論にまで突き進んだものだろう。
 

(夢人追記)「in deep」記事の一部である。元記事で全文をお読みになったほうがいい。



感染者の推移は、あまりあてにならない上に、PCR検査のサイクル数が変更されれば、どんどん変化しますので、参考程度にされたほうがよいかと思います。



なお、WHO が「 PCR 検査のサイクル数(増幅させる回数)を下げることを勧告」したガイドラインを最初に発表したのは 1月13日ですが、以下の記事で「今後、感染確認数が激減するはず」と書きました通りに、アメリカでもイギリスでも、多くの国々で「感染確認数だけが激減」しています。



WHOが「PCR検査のサイクル値の基準」を大統領就任の前日に変更。これで今後アメリカを中心にコロナ感染確認数が「激減する」ことが確定的に
投稿日:2021年1月22日



それよりも「死者数の推移」を見ていただければと思います。



接種が開始された日付けは以下のようになっています。



・イスラエル 12月26日接種開始
・UAE 12月23日接種開始
・イギリス 12月8日接種開始



どの国も、接種開始から1ヶ月を超えていますので、そろそろ「効果」が出る頃だと思われます。



まずイスラエルです。



(中略)



つまり、「イスラエルではコロナワクチン接種開始後、コロナの死者が 1ヶ月で約 2.5倍増えた」ことが示されています。



その増加ぶりは、グラフで見ると、さらにわかりやすいです。



イスラエルのワクチン接種開始後の死者数の推移

Daily New Deaths in Israel



このように、人口単位では世界最速で大量のワクチン接種を進めたイスラエルは、



「ワクチン後の時間の経過と共に死者が爆発的に増えた」



ことを確認されていただけると思います。過去最大の死者数が連日記録されていますので「爆発的」という表現はそれほど大げさではないと思われます。





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霧を越えた向こうに何が待つか

「考える楽しみ」の一例として、別ブログに載せた小論を転載する。かなりお気に入りの小論なのである。ただし、推理小説の犯人と動機に関する推理なので、その作品を未読の人は読まないほうがいいかもしれない。とは言っても、この小論を書いたのは、全体の7割程度を読んだ時点なので、その推理が合っているとは限らない。この小論を読んだ上で作品そのものを読んでもべつに問題ではないとは思う。

(以下自己引用)


*注意:綾辻行人「霧越邸殺人事件」の内容にかなり触れています。
この小論に書かれた内容(私の推理)が「正解」かどうかは原作と読み比べてのお楽しみ。





美という悪魔(「霧越邸殺人事件」試論)


 


(最初にお断りしておくが、私は綾辻行人の「霧越邸殺人事件」を読了していない。正確には同書の470ページまで読んだ時点、文庫版で700ページ近いこの長い小説の7割弱読んだ時点でこの文章を書いている。つまり、主要な事件はほぼ終わりと思われ、後は謎解き部分が始まるのではないか、というあたりだろう。で、この段階で私は犯人も犯行の動機も分かったと思い、その犯罪を面白く思ったので、この試論を書いている。だから、もちろん、この「推理」が大外れである可能性は十分にあることをお断りしておく。ただ、かりにこの「推理」が間違っていても、それはおそらく「正解」より面白いのではないか、と思うのでこの文章を書いているのである。)


 


あまりもったいぶらずに、最初に私の「推理」を書いておく。霧越邸における殺人事件の「犯人」は、槍中秋清だろうと推定する。ただし、最初の2件は主犯が槍中で、実行犯はおそらく甲斐倖比古だと思われる。実行犯は名望奈志であっても(どちらにもアリバイは無いので)べつにかまわないが、作中での言動から推察して、甲斐のほうが実行犯だと思われる。


いずれにしても、3件の殺人事件の「真犯人」は槍中だろうというのが私の考えだ。


問題は、槍中の「動機」である。作中で作者(綾辻氏)は語り手役のアマチュア作家に推理小説での動機にはさほど意味が無い、と論じさせているが、これは作者による「落とし穴」だと私は推測する。なぜなら、この推理小説の一番の面白さは、犯人のその「動機」にこそあるからだ。


で、その動機に関わることだが、この一連の殺人事件の真犯人は実は「霧越邸」そのものだ、と言えないこともない。太陽がまぶしかったので通りすがりの人間を殺したという殺人犯がいたら、真犯人は太陽だ、という論法である。まあ、それよりも「霧越邸」の犯罪関与度は大きいのだが。別の言い方をすれば、漱石の「猫」に出てくる、「機会は人をして罪を犯せしむ」という思想の壮大な発展形がこの「霧越邸殺人事件」ではないかと思う。


まあ、これで私の「推理」が正解なら推理小説ではタブーであるネタばらしになるのだが、私は「解答部分」を未読なので、安心して(良心に咎めることなく)論を進めることにする。


 


 


順序としては、私がいかにしてその解答に至ったか、から説明したいのだが、これは推理ではなく、同作品を読み進めながら私の潜在意識の中で進行していた無意識的思考が突然、「解答はこれだ」と提示してきたので、説明はできない。ただ、その「根拠」らしきものを挙げれば、


 


1) 3つの殺人事件の中で、最後の死体だけが「美しいまま」である。


2) 劇団員の中で槍中だけが、明らかに芸名かペンネームらしい名前なのに、「本名」が一度も書かれていない。


3) 槍中の「芸術至上主義」的思想。「背景」へのこだわり。


4) 霧越邸の様々な事物に劇団員の名前を無理にこじつける言動。


5) 劇団主催者として、榊由高と希美埼蘭のスキャンダルの発覚を恐れていたこと。


6) 榊と蘭の「殺人劇被害者」としての死は、上記のスキャンダルを消し去り、逆に劇団のマスコミ知名度を一挙に上げること。(劇団員はいくらでも補充できるし、「使い勝手」の悪い二人におそらく槍中はうんざりしていただろう。)


7) 芦野深月の寿命が残り少ないことを知っていたこと。だから、霧越邸という美しい舞台で「美しいままで」死なせてやろうという、自分勝手な「思いやり」。


 


といったところだろうか。


 


で、「霧越邸」が真犯人だ、という奇矯な言い方を説明すれば、この事件は槍中が霧越邸という「背景」に出会うことで生まれたものだ、ということだ。つまり、雪の山中で迷ったことも、彼ら劇団員が霧越邸に遭遇したのもすべて偶然である。したがって、霧越邸の住人は3つの殺人事件にまったく関与していない。事件の中でしばしば登場する謎の「影」のような人物は、おそらく4年前の火事で顔を火傷し、足が不自由になった奥さんだろう。霧越邸主人がこんな山中に隠棲したのも、奥さんを人目から隠すためだったわけである。若いころの奥さんが芦野深月と瓜二つだったのも単なる偶然であり、世の中には容貌の似た人間などたくさんいるものだ。


まあ、この作品全体が偶然と必然の曖昧な境目の中で進行するわけで、読者はこんな偶然などあるわけがない、という思い込みから、推理の迷宮に迷い込むわけだ。だが、人生の出来事の9割は偶然だ、と言っても過言ではないのである。


さて、槍中は霧越邸という「背景」あるいは舞台に遭遇することで、一連の殺人事件、というより、最初は榊と蘭のふたりだけを殺す計画だっただろうが、その計画を思いついたわけだ。つまり、霧越邸との偶然の遭遇が無ければ、これらの事件は生まれなかった。そういう意味では、霧越邸が真犯人だ、と言える。これは一連の「○○館殺人事件」を書いてきた綾辻氏にとっては実に自然な発想だろう。


なお、一連の「見立て殺人」は幼稚なもので、特に意味は無い。北原白秋の童謡「雨」に忠実なのは最初の榊の死体の状況だけで、蘭の死体は「いやでもお家で遊びましょう」という歌詞に反して戸外の目立つ場所に「展示」されている。深月の死体も童謡の歌詞との関連性は薄く、一階のテラスに「きれいに」置かれた(窓から投下したというのは、整然とした死体の状況から見て誤った推定だろう。)それを見下ろすように雉の剥製が二階の部屋の窓辺に置かれただけだ。


ここで深月が殺害された理由について推測すれば、深月は槍中が榊と蘭を殺した犯人だと推定して、それを槍中に確認したのだろう。その結果、殺されたわけだ。つまり、前の二人とは殺害理由が違い、槍中には深月を殺す積極的な理由は無かったのである。むしろ、殺したくなかったが、そのままだと自分が犯人だとバレるから殺した。殺す理由は、「そのままでも、心臓の悪い深月は30まで生きられないという話だから、今、この『美しい舞台(背景)』で、美しいままに殺してやるのがむしろ慈悲だろう」という自分勝手な理屈でもつけたのだろうと思われる。芸術至上主義者というのはそういうものだ。


 


というわけで、この小論の題名を「美という悪魔」とつけた理由がお分かりかと思う。

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あとはどうなろきゃあなろたい

「おてもやん」がネットの一部で話題になっているようなので、某サイトからその歌詞と解説を転載する。解説部分の中の書き手の感想には別に賛同してはいない。
子供のころにこの歌を聞いて「原爆ナスビ」とは何だ、と思った方はゴマンといるはずであるww
下の訳詞でも「玄白なすび」の説明は不明瞭である。
ちなみに、下の歌詞では「あとはどうなっときゃあなろたい」だが、私の耳には「どうなろ」と聞こえていた。あとは「Do not Can not」たい。


(夢人追記)今思いついたが、「玄白ナスビ」とは、普通のナスビの事で、「表が黒く、中が白い」ことを強調したものだろう。(「玄」は「黒」を意味する。だから「玄人」と書いて「くろうと」と読むのである。)したがって、「玄白ナスビのイガイガどん」とは、顔の表は黒いが中身は白い(未熟の意味か、西洋かぶれの意味だろう。)、イガグリ頭(これも断髪した人間、西洋かぶれである。)の書生のことだと思われる。

(以下引用)

ところでこの「おてもやん」。歌詞をみなさん、ご存じですか?



※【おてもやん歌詞】
おてもやん あんたこの頃嫁入りしたではないかいな
(おてもさん、あなた最近結婚したんじゃないの?)
嫁入りしたこたしたばってん
(結婚したことはしたけれど)
ご亭どんがぐしゃっぺだるけん、まあだ杯ゃせんだった
(旦那がブ男なので(天然痘のあとが残っているので)、まだ三々九度の杯はしてないの)
村役(むらやく)鳶役(とびやく)肝入り(きもいり)どん
(村の役付きさんや火消しの頭や仲人さん)
あん人たちのおらすけんで あとはどうなっときゃあなろたい
(いろんな世話役がいらっしゃるので、あとはうまくとりなしてくれるでしょ)
川端町つぁんきゃあめぐろたい
(それより、川端町の方に回って歩きましょう♪)
春日ほうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃーで 花ざかり花ざかり
(春日のかぼちゃのような男たちが裾を引っ張ったりして、私は人生の花盛りなの♪)
ピーチクパーチクひばりの子 玄白なすびのいがいがどん
(ひばりのように浮かれっぱなしの男や、野暮ったいイガグリ男たちは私の趣味ではないからね!)
 
 




結構、すごい歌詞です。。。(((( ;゚д゚)))アワワワワ
おてもやんって、自由!

「おてもやん」は幕末ごろにできた歌で、当時は熊本の花柳界のお座敷歌として歌われていたそうです。この「おてもやん」について「歌詞の続きを調べてほしい」という要望があり、今回調べてきました!(続きもあるんですね・・・)
そして、「肥後民謡風土記」でみつけた続きの歌詞がこちら。

一つ山越え も一つ山越え あの山越えて
私はあんたに惚れとるばい
惚れとるばってん 言われんたい

おいおい彼岸も近まれば
若者(わきゃもん)衆も寄らすけん
熊本(くまんどん)の夜聴聞詣(よじゃもんみゃ)りに ※夜説教を聞くこと
ゆるゆる話も きゃあしゅうたい(ついでだからやりましょう)

男振りには惚れんばな
煙草入れの銀金具が それがそもそも因縁たい
あかちゃかべっちゃかちゃかちゃかちゃ

おてもやんは、見かけだけでなく、煙草入れの銀金具が素敵だとかそういう男っぷりに惚れる女性のようです。なかなか粋な女性ですね。
「おてもやん」については、肥後(熊本)の若い女性の通称とも、明治の終わりに実在した人物ともいわれているそうですが、真相は定かではありません。作詞、作曲、 振付けは慶應元年生まれの永田稲(イネ)と伝えられています。




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「教養」とは何か

有料会員限定記事だが、1月31日まで無料で読めるので、ぜひ全文をお読みいただきたい好記事である。記事のテーマは、「現代の政治と社会における言葉の危機」、つまり言葉の無力化(それは論理も良識も力を失い、権力への「忖度」ですべてが動く社会である。)という重要な指摘をしているのだが、ここでは「教養とは学歴や知識ではなく、思考を楽しむ姿勢だ」という、まさに私の中心思想が言語化されているページを抜粋した。
もちろん、思考の素材としての外界や知識が存在する必要はあるが、その話は脇に措いておくとして、「思考するだけで楽しい」というのが私が持っている最大の財産だろう。それを「教養」などと言うと面映ゆいが、その教養が学歴や知識(の量や質)ではない、と言えば、大方の「教養人」のイメージとは異なることが分かるのではないか。
たとえば、小学生が「1+1=2」であることを理解し納得して、そのことに喜びを感じたとしたら、その時彼は教養の喜びを得たわけだ。その程度のものである。(ちなみに、「リンゴ1個と猫Ⅰ匹を足すといくつになるか」と子供に聞いてみるといいww)
つまり、山頭火のようなホームレスだろうが、晩年の正岡子規のように床から動けない重病患者だろうが、思考を楽しむことはできる、ということなのである。もちろん、それには生存に必要な最低限度の物が前提ではある。

(以下引用)


訥弁は忖度を生み、詩は思考を呼ぶ

コラムニスト
 有料会員限定
61 91%
全6212文字

Who has seen the wind?
Neither I nor you:
But when the leaves hang trembling,
The wind is passing through.


Who has seen the wind?
Neither you nor I:
But when the trees bow down their heads,
The wind is passing by.


 詩は、解釈を要する文芸だ。
 読んだままに感じる感興も大切だが、その一方で、様々な角度から読み解く努力もまた、詩を楽しむための必須のプロセスだと思う。


 忖度と似ているようにも思える。が、全く違う。
 思い切った言葉を使えば、詩を読み解くには、それなりの「教養」が要るということでもある。


 教養とは学歴や知識ではなく、思考を楽しむ姿勢だ。
 英語の詩を読むことは、解釈をあれこれ考えることの喜びを教えてくれる。
 英語という障害を超えなければならない分だけ、日本語の詩をそのまま読む時よりも、多大な思考を費やさなければならない。で、それだけ、詩を読む者の経験は豊かになる。
 私自身、中学生の頃から、日本語の詩よりも、英語の詩になじむ時間のほうが長かった。


 私が英語の詩に拘泥した理由のひとつは、告白すれば、ポップミュージックの歌詞を翻訳することで、楽しみながら受験知識が身につくことを期待していたからでもある。
 結果をお知らせするなら、たいして学力がついたわけではなかった。
 とはいえ、私が英語の詩や歌詞を自力で翻訳する作業から与えられた果実は、偏差値よりずっと大きなものだった。


 試みに、中学生の時に大好きだった Who has seen the wind を、自分なりに翻訳してみることにする。


 誰が経済を回しているのだろう
 あなたも私も回してない
 でも、なじみの店が看板をおろす時
 経済は空回りをしている


 誰が経済を見たのだろうか
 あなたも私も見ていない
 ただ、ホームレスの寝息が止まる時
 経済は通り過ぎている


 なまぐさい翻訳になってしまった。
 こういう一方に偏向した解釈はよろしくない。


 正しい訳は、それぞれ辞書を引きながら考えてみてほしい。
 正しい解釈は、自分の頭脳を正しく駆使した人にだけ、正しく授かるはずだ。だと良いのだが。


(文・イラスト/小田嶋 隆)


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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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