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日本の貧困生活の守り手「100円ショップ」

日本の貧困化を問題視するのはいいことだが、「100円ショップ」のお陰で日本人貧困者の生活が大きく救われている、という事実を重視すべきだろう。そして、その製品はおそらく中国で大半が作られているとしたら、日本の庶民は中国にいくら感謝してもしきれないのである。(私の生活必需品というか、消耗品の半分くらいは100円ショップで間に合うのだ。)で、今後中国の労働者の賃金が向上していけば、日本ではインフレが起こり、「低賃金の上にインフレ(物価高)」という地獄状態になる、ということを今のうちにきちんと理解する必要がある。既に中国は日本の恩人(命の綱)なのである。なお、日本の普通の製造業も、部品の大半の製造は中国に依存している。それほど今の日本にとって中国は重要な存在なのだ。中国との戦争とかいうキチガイ思想を撒き散らしているのは、豊かな生活をしている連中だろう。まあ、世間を騒がせることで利益を得るわけだ。もちろん、それが仕事というdappiのような存在もいるし、ただの馬鹿もたくさんいる。

(以下引用)


→チープな日本の代表が100円ショップ。日本人は低賃金で購買力がないから格安じゃないと売れない。低価格だと会社が儲からないから低賃金という悪循環。とはいえ法人税は安く大企業は儲かってるし株価も高い。国民の半分が非正規で新たな貧困層となった。日本は貧困の国に陥ってしまった



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鉛筆の好みと書初め

何種類かのブログを書いているので、どのブログに書いたか忘れたが、私も2Bか4Bの鉛筆を使うことを推奨した記憶がある。書き味、書く快感というのが全然違う。HBは、まさに「仕事用」鉛筆である。書いてて、その感触が気持ち良くない。
ちなみに、子供にとっての書道の不快さというのは、「書いたら書き直しができない」という絶望感にある。絵を描くのも同じである。特に、絵の具を使うと、「失敗したら訂正できない」という圧迫感が子供にはある。その恐怖感を無くすために、画用紙やスケッチブックにでたらめに筆を走らせ、その筆跡やかすれや色のにじみの面白さを子供に教えることが、子供への美術教育として有益だと私は思っている。
私が最近凝っているのは、「水彩絵の具を使った『抽象画としての書道』」である。これは、偶然性も加わって、面白い作品になることが多い。つまり、才能など不要で、必要なのは筆やブラシ(掃除用ブラシである)を走らせながら、つぎに、どこにどの色の線や筆跡を走らせようか、という咄嗟の判断だけである。そして、基本的に「失敗は無い」と考えればいい。単に、「世界的な傑作」と「普通の出来」があるだけだ、と考えればいい。ちなみに、洗濯ブラシ(と言うより掃除用ブラシ)を使う場合は、同時に複数の色をブラシに載せて紙の上を走らせる。そうすると、色と色が混じって面白い効果が出る。
そのうちに、この方式で世界的な傑作を書く子供や若者が出て来ると思う。
ついでに言えば、書初めで試しにアクリル絵の具を使ったら、見事に汚い作品になった。水彩絵の具でないと、この方式は向かないようだ。


(以下引用)




 
 
 
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小学校ではHB鉛筆より2B推奨?(Coprid/stock.adobe.com)小学校ではHB鉛筆より2B推奨?(Coprid/stock.adobe.com)


 「今の小学生はHB鉛筆を使わないらしい」ーーこんな話を聞き、兵庫県内の小学校に通う親戚に電話で尋ねると「2Bだよ。かきかたの授業だけ6B」。入学時の説明会では学校から「鉛筆はBまたは2Bを4〜5本」と指定があったそうです。昭和世代の筆者にとっては鉛筆=HBだったのに。慣れ親しんだHB鉛筆の「今」を調べました。

鉛筆の硬度のJIS規格は17種類

 日本筆記具工業会のホームページによると、鉛筆の芯の硬度はJIS規格により6Bから9Hまで17種類あり、やわらかい順に6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H、5H、6H、7H、8H、9Hの記号が付けられています。やわらかい芯の記号BはBlackの頭文字B、かたい芯のHはHardの頭文字。「HとHBの間にFがありますが、これはFirm(ひきしまった)の頭文字を使っています」。

HBと2B、2012年に逆転

 老舗鉛筆メーカー「トンボ鉛筆」(本社、東京都北区)では鉛筆の硬度別売り上げ比率は、1999年はHBが43%、2Bが22%、Bが21%でしたが、20年後の2019年には2Bが51%、HBが20%、Bが17%と首位が逆転しました(同社社内構成比)。


 同社担当者によると、2B鉛筆がHBに追いつきそうな傾向が見え始めたのは2006年のこと。2009年までほぼ同数出荷が続き、2010年には完全に同数出荷に。そして2012年、2Bがわずかに上回り逆転。2013年と2014年は2Bが少しずつ上回り、現在に至ります。


 HBはなぜ減ったのでしょうか? 同社担当者は2つの理由を教えてくれました。


 1つは小学校による2B鉛筆の推奨です。「小学校入学時、学校からの通達は以前は『鉛筆を持ってきてください』だったのが、『濃いめの鉛筆を持ってきてください』という説明に変わりました。教育がよりていねいにされているようです」。


 もう1つは、スマートフォンの登場です。「2007年にスマホが登場し、IT化も進み、文字を書かずにコミュニケーションが取れるようになりました。仕事など事務用のHB鉛筆が使われなくなりました」。


 といっても2B鉛筆の売り上げが増えたわけではなく、構成比において2BがHBを上回っただけだそう。「2Bは学校で使うため堅調に売れますが、鉛筆全体ではHBの売り上げが激減しました」。


トンボ鉛筆の売り上げ構成比(トンボ鉛筆への取材より作成)トンボ鉛筆の売り上げ構成比(トンボ鉛筆への取材より作成)

HB鉛筆じゃないとダメな場面も

 小学校やオフィスなどで使用される機会が減ったHB鉛筆。このままでは消えてしまうのでしょうか。


 同社担当者は「HB鉛筆は大学入学共通テストのマークシートやTOEICテストなどに指定されています。また、法務手続きなどの書類上で捺印や署名箇所を示す鉛筆書きの丸印はHB鉛筆が使われることが多いです」。HBの長所「何も書いてなかったかのようにきれいに消し去ることができる」が生かされているといいます。


 「HB鉛筆は社会のお役に立っています。HBの消費本数は減っていますが、信頼感を担っています。今後も社会をしっかり守っていく存在だと思います」(同社担当者)


大学入学共通テストの「机の上に置けるもの」に「黒鉛筆(H,F,HBに限る)」とある(同テストホームページのスクリーンショット)大学入学共通テストの「机の上に置けるもの」に「黒鉛筆(H,F,HBに限る)」とある(同テストホームページのスクリーンショット)

書道教室「字を濃く太く書くことが重要」

 児童や小学生も多く通う書道教室の現状は。小学校教諭の経験もある「睦麗書道教室」(神戸市中央区)の書道家、睦麗さんに話を聞きました。


──やわらかい鉛筆とかたい鉛筆の特徴は。


 「やわらかい鉛筆は字が濃く書ける。線の太い細いの強弱を出しやすい。小さい文字になると美しく書きにくくなります。一方、かたい鉛筆は字が薄い。線の強弱を出しにくい。小さい文字は書きやすいです」


(以下略)








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養老孟司の「新時代の人生論」

私は養老孟司の言うことは、だいたい半分賛成、半分は「そうかなあ」という感じで読むことが多いのだが、まあ、マスコミに生きている範疇の人間ならどこかにポジショントークが入るのは当然で、いつでも真実(自分が真実だと思っていること)しか言わない人間はネットの無名人の中にしかいないだろう。そういう人間も有名になり、スポンサーがつくと御終いである。詐欺師の仲間入りだ。
養老孟司については、かなり「自分がいいたいことをズバズバ言う」人間ではあるから、その言う内容も耳を傾けていい部分はある。「環境問題」の中の「地球温暖化」や「脱炭素」が詐欺であることなど、頭のまともな人間なら誰でもすぐに分かるが、そういう部分は言わないわけだ。

(以下引用)




 
 
 
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養老孟司氏(C)日刊ゲンダイ© 日刊ゲンダイDIGITAL 養老孟司氏(C)日刊ゲンダイ

《今は人間関係ばかり。相手の顔色をうかがいすぎていないか》


解剖学者の養老孟司氏(84)氏は、新著「ヒトの壁」(新潮新書)でこう喝破する。


ベストセラー「バカの壁」で、話せばわかるなんて大嘘、耳を貸さない相手には通じないという壁の存在を示した。だからこそ、その壁を共通理解して、それを乗り越えようというメッセージでもあった。


刊行から約20年たった今、壁は取り除かれるどころか高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっているというのである。


■猫を見習え


ーー社会のレースからまだ降りることはできない。かといって、いびつな社会に無理に合わせようとすれば破綻するか、共倒れになってしまいそうです。先生はかつてお弟子さんに「塀の上を歩け」と仰っていたそうですが。


「誰でもそうしているのではないでしょうか。サラリーマンであれば、いわゆるプライベートと仕事。どっちかに落ちちゃうことのないよう、綱渡りしている。それを楽しめ、ってことですね。ただ、好きなことをしろといっても、今のヒトはそれで成功しなきゃならないと思ってしまう。評価とか成果を求める。でもヒトから認められるっていうのは頼りないもので、自分では左右できませんね。奥さんを1ミリ動かそうと思ったら、1メートル動いて努力しなければなりません。そんなの諦めて、ただやりたいことをして、楽しむことです。そうすると生きている苦労なんて、あんまりないでしょ。だから猫を見ろっていうんです」


ーー先生の、愛猫「まる」との暮らしは、多くの人の憧れだったと思います。


「何にも無理しない猫でしたからね。(まるが死んで)分かったのは心臓が悪かったということで、すこし動くと身体がきつかったのでしょう。人間も、その人に適した生き方というのがあるはずで。それをまた、成功と結び付けて考えるのではなく、たとえば天気の良い日であれば、暖かい縁側に出て昼寝するのがいいというような。そのくらい自由でいいんじゃないですか。しょうがないものは受け入れるしかない、折り合いをつけるしかない。あとはのんびり、好きなようにやればいいんですよ」


ーーこの脳化社会に毒されないようにする処方箋として、著書「遺言。」のなかでアートを挙げられています。意識(頭)ではなく、感覚(身体)を取り戻せということでしょうか。


「今の社会では、意識がわかっていないことは、ないものとして、無視しゼロにしてしまう。ゼロかイチか。でも、そんなわけないじゃないですか。僕の芸術についての結論は簡単ですよ、ゼロとイチとの間に存在しているということ。才能とか好き嫌いがありますけど、楽しんでできる人はやればいい。好きなことを楽しんでやっていると、気分が伝わり、周りに移って周りも楽しくなる。だから、ライブなんか人気なのでしょうね。爺さんが白髪頭を集めて深刻な話してたって、誰も傍に寄りません」

「生きていない」と見られている日本人

ーー生まれて、歳を取り、病気になって死ぬ。この限られた一生のうちヒトは何を残すべきなのでしょうか。


「若い頃、面白いと思ったことがありましてね。宗教は目的地を与えてくれますけれど、プロセスは教えてくれない。科学はプロセスはとても厳密に、論理的にきちんと解明していきますけど、それで行き先どうなるのというと、わからない。プロセスにこだわると行き先不明になっちゃうし、行き先を固定すると、どうやってそこに行ったらいいのかわからない。どっちにせよ、あらかじめ決めるっていうのは、よろしくないんです。繰り返しますが人生、プロセスが大切なんです」


ーー日本人は、海外から見ると「生きていないんじゃないか」との印象を持たれている。そう、ご著書にありました。


「そうですね。プロセスを楽しんでいないのが分かるからですよ。なんでそんなに渋い顔しているのって。我々は、自分自身がやっていることをよく考えていない、きちんと評価していないのは確かだと思います。ニュースも世の中も、反応しているだけで、よく見えていないというのが結構あるんです。たとえば環境問題。日本政府の反応が鈍いというのは世界の見るところですよ。国連の気候変動会議では、日本が温暖化対策に消極的だって、『化石賞』なる不名誉な賞を受賞しました。これは皮肉なんですよ。でも彼らは絶対に言いませんけど、この二十年、先進国でGDPが伸びていないのは日本だけなんですね。サラリーマンの実質賃金もひたすら低下している。経済界は、日本は後進国に落ちてきていると言うけど、先進国と同じ経済成長を果たしていたら、日本が出した炭酸ガスはどのくらいになるか。実質的に、日本は脱成長主義にシフトしているんです。このコストは普通のサラリーマンらがかぶっている。日本くらい環境問題に貢献している国はないと国連で首相は言うべきで、化石賞どころか見習えって威張ればいいし、サラリーマンは『お前ら、20年実質賃金の低下我慢できるか』って胸張っていいんです。会社に内部留保じゃなくて、もっと給料寄越せって言って良いんです。こんだけ働いているのにおかしいだろうって。普通に生きているだけだから騙される。足元から考え直せば、小学校の算数程度の理屈で分かることっていくらでもあるんです」


■こんな時代の希望とは


ーーそして、2022年の幕開けです。コロナ禍の終わりすら見えません。


「テレビでは、ウィルスの電子顕微鏡写真が映されることが多いですよね。アナウンサーと並んで映ったりしてますけど、ウィルスがあの大きさで見える倍率の顕微鏡でアナウンサーを見ると、私の概算では100万メートル、1000キロの桁に達する。ウィルスにとってのヒトは、ヒトにとっての地球以上になると思います。大きさからして、騙されていませんか。ヒトとウィルスの関係も不要不急で、いかに深いか。コロナもやがて薬剤が開発され、多くのヒトが免疫を持ち、一種の共生関係が生じて不要不急の安定状態に入ると思いますよ」


ーーああすればこうなるという、アタマの時代は終わり、予測不可能な、考え方の前提から変わるような時代への転換もあるとお考えですか?


「まあそれはないと思いますね。そういうことがあるとすれば、富士山噴火とか都市直下型地震といった天災のときでしょう。日本はとてもまとまりの良い国ですので。我々は自分自身がやっていることを評価していない、よく考えていないのは確かです。見方が変われば、世界は変わる。答えがすぐに見えなくても、問題を丸めないことです」


ーー少子高齢化とそれに伴う人口減が止まりません。


「たとえば認知症は研究が進み、予防的に飲ませる治療薬が認可されるかどうか話題になっています。脳は、神経細胞というのは年に1%ゴミが溜まるって若い頃、言われました。そうすると、100年経つと全部ゴミになってしまうんですけど、ゴミを溜まらないよう、片づけるプロセスを進めることができるようになっていくと思います。いつの世も希望はあります」


(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)





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オール電化社会の非効率性

某漫画家のツィートだが、「電気エネルギー一本化運動」への警鐘として載せておく。
エネルギー源を電気化する際のエネルギーのロスは膨大なものだろう。原発など、作られる電気エネルギーは核融合(核分裂か、よくは知らない)というエネルギー源の何百分の一ではないか。簡単な話、ガスコンロの上で湯沸しをして、その蒸気でタービンを回して、電気を発生させて、その電気で暖房をしたり煮炊きをしたりするより、ガスコンロのガスの燃焼による温度上昇や火力のほうがエネルギー効率がはるかに高いのは理の当然ではないか。電気の利便性は安全性にあるわけで、エネルギー効率としては無駄の塊だろうし、それに一本化することの危険性は、特に北国の人間なら熟知しているはずだ。ついでに言えば、ガスや灯油で温まった部屋の温度は持続性が高いが、エアコンの暖房は、スイッチをオフにすると急速に室温が低下するものだ。
ちなみに、原発など、電気を生むのに毎日原爆を爆発させているようなものだ。そのエネルギーの無駄は膨大だろう。

(以下引用)

しかし灯油ストーブは暖かい。この熱量をすべて電気で補おうとするとかなり大変ではなかろうか。

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金持ちの精神の空虚さ

「徽宗皇帝のブログ」に引用した「齟齬」の別記事だが、こちらも非常に面白い。
金持ちの精神生活については、私もおそらくそんなものだろう、と漠然と思っていた通りである。それ以外になりようはないだろう。つまり、子供が何かのゲームでの勝利を求め、それを得て嬉しがるのと何も変わらない、ということだ。ならば、その金持ちはトランプ遊びをしたりテレビゲームをして満足できるか。もはやそうはならないだろう。では、ゲームに熱中している子供と、その金持ちとどちらが幸福か、と言えば、同じようなものだ、と私は見ている。記事中に書かれたように、それはもはや麻薬化しているので、より大きな刺激でないと満足できないわけだ。
金持ちが滅多に慈善にカネを使わないのも、それをやると自分の毎日の行為が無意味化するからだろう。カネを得るのが生活のすべてだのに、そのカネを捨てることほど馬鹿馬鹿しいことはないわけだ。だから彼らの慈善は「別のカネ儲けの布石」か「自己防衛」が目的になる。
なお、記事末尾に「知性を得るのも、金持ちのカネ儲けと同じではないか」という疑問が提出されているが、馬鹿げた疑問である。ミケランジェロやダビンチやモーツァルトの傑作が、前沢某の「宇宙旅行」と同じレベルのお遊戯か、ということだ。「知識」を得るだけなら空しいだろうが、「知性」と「知識」は別のものだ。


(以下引用)



2019-08-27

「富裕になることの最大のパラドックスとは?」


というQuoraの質問に対するK. P. Gill氏の回答がとてもおもしろかったので翻訳しました。ロサンゼルスの富裕層の集まる豪邸でのパーティに呼ばれたK. P.氏が、主催者の大富豪の告白を聞いた、その要約を引用します。


君が金を持っていないときには、君は金で問題事を解決できると考える――これはある程度は事実だ。しかしある段階から、金はそれ自体による問題をもたらす。金を持つことは子どもを持つこととよく似ている。君は子どもの面倒を見て、気をくばり、毎分見守らなければならない。そうするのは、成長していることをたしかめるためだけではなく縮小しないかをたしかめるためでもある。金は生きていて、容易に変化しうる。つまり私はつねに自分の金について考えているということだ。私は朝起きて一番に金のことを考える。そして寝る前に金のことを考える。……さて、そういったことは金がまるで重荷であるかのようだし、ときには本当に重荷になる。しかし残酷な真実は、私の人生のなかで金を稼ぐより大きな満足を与えるものがないということだ。このことは経験しなければ理解するのは難しいだろう。この家を例にとってみよう。私はこの家のための資金を一年で、たったひとつの小さな株式投資で稼いだ。私は10万ドルを3百万ドルに変えた。株価が上昇しつづけるので毎朝私は笑いながら起きたものだ。たった一日で株価が5万ドル以上あがったこともある! すばらしい気分だ! しかし、それこそが狂ったことだ。つまり、こういったことを私は十分に楽しんでいる。これらガラクタはすべて私をわりあいに楽しませるし、退屈しないようにしてくれる。しかし、所有物が増えるにつれて、正直に言うと――そして私はほんとうにこのことを考えるのだ――他のなによりも、私の犬たちから喜びを得るのだ。これが真実だ! 物質的には、幸福になるために私は多くを必要としない。欲しいものはすべて揃っている。私が働いているのは、まったく正直に言うとすれば、それは金を稼ぐスリルのためだ。それはゲームを遊ぶようなもので、そのゲームの賞品は権力であり、それは金によって表される権力だ。なんのための権力か? そんなことは問題ではない! 権力それ自体が賞品だ。権力を持つという感覚がすべてなのだ。金をかせぐときにはある感覚がある……もし君が経験したことなければ、私はそれをセックス、ギャンブル、コカインと例えるしかできない。まさしくそのようなものだ――たぶんそれらよりも良いかもしれない。だから、私の投資とビジネス・ベンチャーは、さまざまなカジノゲームのようなものだ、ゲームのオッズがつねに私に有利であることを除けば……そして私が毎日生きているのは、それらゲームを遊ぶことのスリルのためなのだ。これがクソいまいましい真実だ! もし私が金を稼ごうとすることをやめれば、朝ベッドから出る理由さえわからない……。私が最初に自分がどん詰まりであることを認識しはじめたのは、他人の職業を収支の面から考えていることに気づいてからだった。私には子どもの頃からの友人である医師がいる。そして私はなんて非合理的な職業選択だろうかと考えている自分に気づいた。彼もまた金のことを気にかけており、そして私は単にこう考えたのである、彼の才能と時間の使い方は、なんと無駄で……なんと非効率的なのか、金を稼ぐにはよりよい方法がいくらでもあるのに、と。狂っているだろう? 私は医者になることがどんなものか知らないが、人々がその仕事に打ち込むことには意味の全体的なレベルがあると私は想像する。しかしそんなことは私にとっては意味がない。まるで私が理解できるものは金だけのようだ! 私が数年前に50代になって気づいたことは、ビジネスが私のアイデンティティとなっていること――そして私がそういう自分を好きかわからないということだった。しかし私には選択肢はない、末期の麻薬中毒者と同じように。私はビジネスマンたちが自分が本当はなにをしているかについて自分をごまかすことを知っている――すべては家族のためだとか、他のでたらめのためだとか。自分を騙すな、と私は思う。私はお前のことがわかっている! お前はただ猿にエサをあげている(すべきではないことをしている)だけなのだ! と……。とにかく、それが私のストーリーだよ、K. P. 。私は自分の人生を完全には誇れない。でも、そのことを受け入れた。私はできるかぎり快適であろうとし、楽しもうとした、しかし私は何事においても現実を否定しない。私は根本的には、自分が次の注射のために生きている単なるジャンキーであることを知っている。


感想

私が本当に好きな映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」より

この投稿の非常におもしろい点は、大富豪の話を聞く投稿者は、哲学科を卒業し、知恵を追求して生きてきた失業者(当時)であり、知恵を求めるあまり経済的に自立できていない状態の者だったということです。


投稿者には知恵はあっても、世の中を動かす力をもたなかった。一方で大富豪は絶対的な力を持ちながら、自分がしていることに確信を抱けず、疑念を抱いていた。このコントラストが印象的な内容になっています。



あとは個人的な感想です。


はじめは「金持ちざまあ!貧乏人正義!」とか、「資本主義はやっぱクソ!」的な読み方をしていたのですが、よく読むとずっと深い内容だと感じました。実のところ、私は彼と同じ虚無に直面しています。


私も金儲けは大好きですが、彼ほどは執着はしません。基本的に「知性>金」だと思っているからです。金があっても知恵がなければ不幸ですし、知恵があれば金がなくても自由に楽しく生きていける。


しかし、金を追求することと知恵を追求することは本質的に違わないのだと最近考えています。私が知恵を追求するのは、大富豪が金を求めるのと同じ――それがより多くの快楽と権力を与えるからです。


私がなにか知識をたくわえようとするとき、投稿の大富豪と同じような虚無感や意味の不在を感じることがあります。読書をして新しい知識を得るときには「麻薬中毒者が注射を打つ」ような快楽を覚えるし、知的深化をすすめるときには「権力が賞品のゲーム」のように感じることがあります。


そういった意味で、私は大富豪の葛藤に共感しますし、境遇はまったく違えど、本質的に同じ類の人間であると感じます。


そもそも、人間は権力ゲームに興じるジャンキー以上でありうるのか? と……索漠とした気分になります。


自分がしていることを直視せず、自分を騙して生きている――それはビジネスマンだけではなく、ほとんどの人間に当てはまる「クソいまいましい真実」ではないでしょうか。




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なぜ簡単に物事を信じるのか

中村哲氏はいいことを言っているが、これをリツィートした人は、新コロ詐欺を頭から信じていて、PCR検査を頭から信じているwww

(以下引用)


Koro
@Koro_0619
返信先:さん
お邪魔します。 中村先生は良い言葉を残してくれてます。ありがたい事です。 自筆で残してくれた言葉をご紹介します。私も自由でありたい。
画像

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マスク警察の次はマスク狂人

デルタ機内というのは、デルタ航空の機内ということだろうが、オミクロン航空というのは無いのだろうか。
それにしても、「マスクをして食事をしろ」というのは、一休さんでも答えを出せない難問だろうww もちろん、着けたり外したりは不可。頭にかぶるなどもマスク着用とは認めない。

(以下引用)



T.Kamada
@Kamada3
·
デルタ機内で先週木曜に起きたことです。食事中の男性に、女性旅客がツバをはく、殴るという暴行が’起きました。原因は食事中の男性がマスクをしていなかったためです(この女性もしてません)。着陸後、この女性はFBIに逮捕されました。dailymail.co.uk/news/article-1





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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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