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スパイと殺人者と小学生

別ブログに書いたものだが、ここにも載せておく。かなり近いうちに、外国でリメイク(真似)されると思う。こういう、日常の素晴らしさを認識し芸術化(あるいは荘厳化)しているところが日本という国の特殊性だろう。芭蕉の俳句など、その極みである。

(以下引用)

私の娘が言っていたが、「よつばと!」を思わせる、という評言は的を射ていると思う。コメントの中にあった「さざえさん」ではないだろう。シナリオがつまらん、という人間は「よつばと!」を面白いと思わないタイプだと思う。スパイや殺人という非日常性と小学校の日常性が同じ空間にあるから面白くて、日常の素晴らしさが実感されるのである。あと、アーニャが可愛い。


14マンガ大好き読者さん ID:chomanga
アーニャ可愛いだけの漫画だからそれが合わなきゃ無理やで
 
20マンガ大好き読者さん ID:chomanga
アーニャはかわいいけどシナリオはつまらんけどアーニャはかわいあ
46マンガ大好き読者さん ID:chomanga
まぁ流行るほどの面白さではないわな
結構内容も普通だったかもアーニャは可愛い
77マンガ大好き読者さん ID:chomanga
アニメのアーニャ可愛いすぎて種崎のすごさを改めて実感してる
200マンガ大好き読者さん ID:chomanga
ちょっとなろう要素のあるギャグアニメや
あとアーニャが可愛い
 

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「自己実現」という幻の人参

「シロクマの屑籠」という、或る精神科医のブログの記事の一部だが文中のBOTの意味は知らない。文脈だとロボットと同じような感じに思えるが、それならロボットと書くだろう。ツィッターだと有名人の名言集をbotとしていたような記憶があるが、よく分からないし、それとはこの記事での用法とは違うようだ。
この記事を転載したのは、私も「自己実現」という言葉のうさん臭さを長い間感じていたからである。この筆者はそれを資本主義における「馬(労働者)を走らせる幻の人参」としていて、納得したというか、やっと腑に落ちた。まあ、電通的流行語としてはかなり長期的に機能しているパワーワードだろう。
世界中の潜在的犯罪者やサイコパスが「自己実現」したら世界はどうなるのかねwww

(追記)botとはアプリまで含めた「ロボット」的なもの、と言えばいいようだ。昔なら「組織の歯車」と言ったところだが、今は歯車の現物を見たことのない子供や若者が多いのではないかww


「BOT(ボット)」とは、「ロボット(ROBOT)」から生まれた言葉で、一定のタスクや処理を自動化するためのアプリケーションやプログラムのことを指します。
 
どういうことかというと、人がやると時間がかかる単純な作業をコンピュータが代わって自動でやってくれるということです。
 
ただし、ボットは指定されたことしかできません。
そのため、人と同じように臨機応変な対応や、指定されていない作業をすることはないです。



(以下引用)

自己実現は馬を走らせる幻の人参ではないか

 
まず自己実現、という言葉の定義について。マズローは自己実現について厳密な定義づけはしていないが、おおよそ、以下のような理解で良いのではないかと思われる。
 


 自己実現した人の定義はいぜんとして曖昧であったが、マズローは大まかに次のように記述した。
「自己実現とは、才能・能力・可能性の使用と開発である。そのような人々は、自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のことをしているように思われる」。
 消極的な基準としては、心理的問題・神経症あるいは精神病への傾向をもたないことがあげられた。自己実現した人は、人類の中の最良の見本、マズローが後に「成長している先端」と名付けられるようになったものの典型である。
『マズローの心理学』より


 
この成長している先端とは、たとえば研究やスポーツなどといったなんらかの分野で先端的技能や先端的業績に辿りつき、さらなる高みを目指している人がそれにあたると思われる。まず、これが難しく、達成したとしても人の一生のなかで先端に居続けること自体が難しい。稀にそうした人生もあるかもしれないが、おおよそ、凡夫が目指せる境地ではない。各方面の秀才ですら、たいていは一時的にしか達成できない状態だろう。
 
"自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のことをしているように思われる"、というフレーズも厄介だ。この条件を満たすためには、他人と比較して嫉妬するようなキョロキョロしたところがあってはいけない。本当は自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のこととしてしがないサラリーマンをしている人でも、他人と比較して嫉妬してしまい、自分はもっと伸びたのではないか、などと羨んでいてはこの条件には該当しなくなってしまう。*1
 
まあそれでも一時的にしても自己実現にたどり着いたとしよう。
で、置き換え可能なBOT感がなくなったと本当に言えるのだろうか?
 
自己実現について考えた時、私は、マズローの心理学が産業界に受け入れられ、例の、マズローの欲求段階説ピラミッドが今日でもまだ引用されていることに思わずにいられない。欲求段階説のピラミッドが古い古いと誹りを受けてもなお、繰り返し引用されているのは、産業界との親和性が高いこと、労働者や実業家が生産効率を向上させていくのに都合の良い言説だったからでもある。ドラッカーなどもそうだが、産業界がたびたび引っ張ってくる啓発的な言説は、どれほど人間の可能性を謳っているようにみえても、それは資本主義に適合する詩であり、生産性や効率性に貢献する社畜の歌である。ここでいう社畜とは、文字通り会社の家畜という意味だけでなく、社会の家畜という意味を含んでいると付言しておく。労働者は会社の家畜をとおして社会の家畜をやっているし、資本家や経営者はもっと大きな規模で社会の家畜をやっている。いずれにせよ、マズローやドラッカーのいざなう理想には、資本主義のユニバーサルタグがついている。
 
自己実現。至高体験。
しないよりはしてみたいかもしれない。だけど、それらもまた、生産性や効率性を至上命題とする資本主義の、そして現代社会の掌の上でのワンシーンに過ぎず、レアで、一過性に過ぎないものでしかない。なにより、そうした自己実現や至高体験は、ちょっと深く考えてみれば、別に自分がそうならなくっても構わないことでもあったはずなのだ。たとえば蒸気機関のワットやiPhoneのジョブズはそれぞれにたいした人だとは思うけれども、ワットやジョブズがいなくても蒸気機関やiPhoneに相当するものはやはり世の中に現れただろう。よほどの例外を除いて、偉人や有名人すら置き換え可能なBOTではなかったか。椅子取りゲームのユニットではなかったか。芸能人や研究者はどこまで唯一無二だろう。世の中には、自分自身のことを唯一無二だと思い込めている幸福な人もいる。が、その人がいないならいないで、ほんの少しだけ運の悪かった同僚やほんの少しだけ間に合わなかった後輩がその位置を占めていたはずなのだ。
 


自己実現できていない会社員って置き換え可能なbotでしかないわなぁ。むなしくなる。
無私な毎日だわな、ほんと。宇宙人が見たら、あまりの規則性に驚くと思う。人間がアリの習性に驚くように。


 
だから、かりに自己実現したとしても、そんなのは、ちょっと珍しい役割を引き受けた働きアリの匹でしかないのではないだろうか。
今日の発明発見や創作の相当広い領域は、大局的にみれば、一人で作っているというよりみんなでつくっているのであり、時代がつくっているのでもあり、自分がやらなくても誰かが似たようなものを創りだす可能性が高い、そんな何かだ。そのうえグループによる研究や創作もあるわけだから、自分、というものに拘って発明発見や創作を見つめるのは、自己愛を充たすには適していても、事実からは遠い。そうした諸々を承知のうえで、それでも何かに挑む、何かを創るという行為には喜びが、フロー体験が伴うとは言える。文脈によっては、私はそのフロー体験をありがたがってみることもあるのだけど、今日はそういう気分じゃない。脳汁が出てるだけじゃねえか。ずっと出ているわけでもなし。唯一無二の脳汁であるわけでもなし。
 
自己実現も含め、希少で、ありがたいものを夢見て、結局、目の前にぶら下げられた幻想の人参に向かってダッシュし、生産性や効率性を搾り取られて社会のネズミ車を回しているのが私たちなのだから、どこまで行っても社会の掌の上でしかない。そして社会の内部において私たちは常に群体であり、その生態は、ギトギトの個人主義者が思い込んでいるほど個人主義にそぐうものではない、と私なら思う。
 

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教育と「社会的好循環と悪循環」

自由とは何か、と言えば、物事が自分の意のままになることだろう。
では、自分自身は自分の意のままになるだろうか。もちろん、ならない。つまり、完全な自由などありえないわけで、やたらな「自由崇拝」は現実を無視した空想的思想だとなる。
では、自分以外の存在を自分の意のままにできるか、と言えばそちらのほうがむしろ可能である。そこに権力主義が跋扈する理由がある。ついでに言えば、権力と権威の違いは、権力が他者を暴力や金力や地位・立場の力など外的な力で従わせるものであるのに対して、権威は「自ら従う」ものであることだ。これは宗教的権威を見れば歴然としているだろう。信仰者は、きっかけはともかく、最終的には自ら権威にひれ伏すのである。権威が他者を自ずから従わせる力を「威光」と言う。ただし、新興宗教の中には詐欺的手法でその「威光」を演出し、相手の理性的判断力を失わせて信者にするものもあるだろう。この演出的「威光」は旧宗教も当然用いてきたものだ。ただ、最終的には「自ら従う」という点で権力と権威は違うわけだ。

俗な世間の話はここまでにして、ここから、心理学というか、人間の心理についての浮遊思考を追ってみる。
まず、自分という存在の本質は何かと言えば、身体ではなく、その身体の中にあって思考し感じる存在だろう。その思考の器官が脳なので、身体と意識は不可分だ、となる。だが、問題は、その思考し感じる主体として「自我」がある、ということだ。この自我は果たして脳の中に印刻された記憶の連続体なのだろうか。我々はその自我が思考を操縦し、時には感情も操縦することを知っている。もちろん、その思考や感情が自我そのものだ、と仮定してもいい。だが、私の印象では、思考や感情と自我は別存在に思える。別存在だから一方が他方を操縦できるのだ。
その自我を「真我」と言ってもいい。あるいは、自我の中に真我が埋没状態(無意識状態)で存在している、などと言えば、自我と真我を区別する意味などあるか、と言われそうである。まあ、仏教的に、その真我が表面に出てきた状態が「悟り」なのだ、と言ってもいい。つまり、真我とは自我の迷妄の霧が晴れた状態だ、としておこう。我々は自分を取り巻く世界よりもむしろ自分の思考や感情に騙されるものであり、だから私は自我と真我を区別するのである。

ここで「生活技術」的な話をすれば、我々が人生で最初に学ぶべきことは、「我々は自分で自分を操縦しており、その操縦が上手い人と下手な人がおり、下手な人は周囲をも自分をもきちんと見ていない」ということだろう。私など下手な方の代表だ。まあ、とりあえず、「自分の思考も感情も操縦できる」ということを知るのが第一だろう。だが、操縦できることと、操縦すべきかどうかは別の話だ。感情の操縦など、しないほうがいい(つまり「直情径行」がいい)のかもしれないのである。
学校の勉強も運動も、結局はその操縦の上手い下手にすぎない。我々は自分の身体を自分の思う通りに動かせないし、またその動かし方が間違っていることが多いから、運動が下手な人間も多いのである。自分の身体の動かし方など、他人が教えるものではないし、教えてもなかなか理解されないだろう。これは思考だけを動かす場合、つまり勉強も同じで、つまり、教育とは原則として自己教育なのである。

自己教育の一番の障害は、自惚れだろう。自惚れたらそこで自己教育は終わりだ。現在の自分に満足しているのだから、それ以上進歩するわけがない。
その反対に、明確な理想像(尊敬すべき身近な人間など)があると、それに近づこうとして努力する。東大出の家族がいると、子供はそれを目標にするわけだ。だから、高学歴の家からは高学歴の子供が続出する。スポーツも芸能も同じで、身近な目標やモデルがいることは大きなメリットなのである。その反対に、馬鹿しかいない村里では、いかに優秀な素質の子供でもほとんど埋もれたままになるはずである。
日本で、なぜ優れた漫画家が続出するのかと言えば、それは優れた先人が多く、その誰かを理想として後輩たちが続くからである。

これは「社会的好循環と悪循環」という言葉で問題提起してこの文章は終わりとする。













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日本の少子高齢化と新しい社会システム(1)

哲学的問題についてはこれ以上考える必要性を感じないので、少し現実的な問題(とは言っても日本全体の話だから個人としては非現実そのものだが、生きていればそのうち自分自身の問題となるww)を幾つか考えてみたい。その第一は、古くて新しく、しかも未来に関係する「少子高齢化」の問題だ。これは日本の貧困化とも大きく関係する、優れて経済的な問題だ。
先に総務省統計を引用し、その後で考察する。まあ、グラフ自体の考察ではないから、引用部分は無視してもいい。

(以下引用)
■1 我が国の人口の動向及び将来推計

(1)人口及び生産年齢人口の推移
 少子高齢化の進行により、我が国の総人口は2008年をピークに減少に転じており、生産年齢人口も1995年をピークに減少に転じている。2015年の国勢調査における人口速報集計では、我が国の総人口は1億2,711万人であり、5年に1回の国勢調査ベースでは調査開始以来、初めての減少となった。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計(出生中位(死亡中位)推計)によると、総人口は2030年には1億1,662万人、2060年には8,674万人(2010年人口の32.3%減)にまで減少すると見込まれており、生産年齢人口は2030年には6,773万人、2060年には4,418万人(同45.9%減)にまで減少すると見込まれている(図表1-1-1)。
 
図表1-1-1 我が国の人口構造の変化
図表1-1-1 我が国の人口構造の変化
Excel形式のファイルはこちら
(以上引用)

最初に問題設定をしておく。

1:少子化問題の解決法
2:高齢社会の諸問題とその解決法
3:生産年齢人口減少とその解決法
4:日本の貧困化の解決法

以上4つの問題が、これからの日本の最大の問題だろう。そして1と4が大きく関係しているのは言うまでもない。「結婚したくてもカネが無い」のが少子化の最大の問題点だからだ。確かに現代社会は「独身でも生きやすい」社会だが、それは老後を無視しての話だ。自分自身が働く能力を失う年齢で独身だと年金か生活保護以外に生きる手段はない。病気になった時も同じだ。つまり、独身生活とは綱渡り生活なのである。そして、これまでの日本は「夫婦単位」の家庭が生きやすい社会設定だったわけだ。それは現在の「非婚社会化」に対応していない。
まあ、問題設定をしておいて、後はゆっくり考えていく予定である。
問題自体も後で追加したり変更したりするかもしれない。





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昔は海賊の拠点、今は現代の海賊の避暑地ww

まあ、

観光が盛んで美しい白浜の海岸があり、ロスチャイルドロックフェラー一族がプライベート・ビーチとして広大な土地を購入している。

観光が盛んで、タックス・ヘイヴンも盛ん。

ということである。www



サン・バルテルミー島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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サン・バルテルミー島
Saint Barthélemy

サン・バルテルミー島のサン・バルテルミー島の
サン・バルテルミー島の旗サン・バルテルミー島の紋章
サン・バルテルミー島の位置

公用語フランス語
行政所在地グスタビア
大統領エマニュエル・マクロン
知事(プレフェ)セルジュ・グーテイロン(Serge Gouteyron)
領土評議会議長グザヴィエ・レデー (Xavier Lédée)
面積
 -  総面積21 km²
 -  水面積率 (%)-
人口
 -  推計8,450人
 -  人口密度402/km²
GDP (PPP)
 -  合計
通貨ユーロ (EUR)
時間帯 
ISO 3166-1BL / BLM
ccTLD.bl
国際電話番号+590
中心地グスタビアの港を望む
サン・バルテルミー島の地図

サン・バルテルミー島フランス語Saint Barthélemy)は、カリブ海リーワード諸島セント・マーチン島から南の方に浮かぶフランス領の。英語名はセント・バーツ島 (St. Barts)。


名称は、クリストファー・コロンブスの弟バーソロミュー・コロンブス英語版に由来する。18世紀から19世紀にかけてスウェーデンに売却していた。面積は25km2、人口は8,450人(2007年)、中心地はグスタビアである。

歴史[編集]

1493年クリストファー・コロンブスにより発見された。コロンブスは弟のバルトロメ(バーソロミュー)の名を島に名付けた、先住民のアラワクカリブ族は現地語でオゥアナラ (Ouanalao) と呼んでいた。1648年フランス人が入植した。その後、悪名高い海賊の隠れ家になった。


1651年にはマルタ騎士団の財産ともなる。1744年からはイギリスが占領した。1784年スウェーデンに売却され、スウェーデン領になった。スウェーデンはこの島で1786年スウェーデン西インド会社を設立するが、利益に結びつかず、1805年に閉鎖された。若干の植民活動も行われたが、経済活動には全くの不向きであった。またスウェーデンは奴隷貿易にも着手したものの、奴隷制1846年に廃止されている。


1878年グアドループの一部として再びフランスの領土となり、1963年にはサン・マルタンと共にグアドループ県に属するサン・マルタン−サン・バルテルミー郡となった。しかし、2003年の選挙の結果、フランス領セント・マーチン島北部ことサン・マルタン島と共に2007年2月22日グアドループ県から脱退し、独自のフランス海外準県に昇格した。

政治[編集]

サン・バルテルミー島はフランス領グアドループ県に属し、サン・マルタン島と共にグアドループ県の一つの郡を結成していたが、グアドループ県に属するかサン・バルテルミー島独自でのフランス海外準県になるのかを決める住民投票を2003年12月7日に始め、投票率95.5%が海外準県を選ぶと言う結果、独自でのフランス海外準県が決まり、2007年2月22日にグアドループ県から正式に分離し、独自でのフランス海外準県 (Overseas collectivity) となった。

地理[編集]

沿岸は複雑で小港が多く、島の最高峰は281mのモメ・ドゥ・ヴィティト山 (Mome du Vitet) である。島の周囲にはフゥルシュ島などの小島がある。

経済[編集]

観光が盛んで、タックス・ヘイヴンも盛ん。

交通[編集]

グスタフ3世飛行場 (Gustaf III Airport) と言う空港がある。


この空港は、ヒストリーチャンネルにおいて、「世界で最も危険な空港」第3位に選ばれている[1]

住民[編集]

島の住民はスウェーデン領やフランス植民地時代に移住してきたゲルマン系ノルマン人ケルト系ブルターニュ人からの子孫の白人系が多い。黒人は少数。最近ではポルトガルブラジルなどを中心に外国人労働者もいる。


公用語フランス語。母国語としてフランス語系クレオール語英語も広く通用し第二言語として話されている。スウェーデン語は1970年代以降ほぼ話されなくなったが、スウェーデン語を理解する住民は未だに存在し、観光業に従事している住民もいる。現在でも通りの名前の標識はフランス語とスウェーデン語の二言語で書かれているものがある。

概要[編集]

観光が盛んで美しい白浜の海岸があり、ロスチャイルドロックフェラー一族がプライベート・ビーチとして広大な土地を購入している。


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特攻を命じた人たちwww

「ネットゲリラ」の靖国に関するスレッドの或るコメントがなかなか貴重である。
永久に保存し、戦争扇動者が現れたらその顔に叩きつけたらいいwww
お前らの大好きな特攻隊の実情はこれだよ、と。


(以下引用)




富永恭二:航空部隊の指揮官として息子を特攻死させたが本人は最前線のフィリピンから台湾に逃亡、シベリアに抑留されるが天寿を全うする。 

菅原道大:後で自分も行くからとか言って特攻隊を送り出し、終戦時に部下から行きましょうって言われたら「特攻隊の慰霊するからやっぱ行かない」と却下、養鶏やりながら天寿を全うすry

倉澤清忠:菅原の部下として特攻隊を送り出す。飛行機のトラブルなどで帰ってきたパイロットを監禁するスパルタ施設を運営。 
戦後は印刷会社経営、特攻隊の生き残りからの報復を恐れ常に拳銃を携帯。勿論天寿を全うry

黒島亀人:「変人参謀」と言われ数々のキチガイ作戦とキチガイ特攻兵器を立案。 
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。なお、宇垣纒の手記(後に「戦藻録」として出版)を遺族から借り出し、自分に都合の悪い部分を破棄、「電車に置き忘れた」などと言い逃れる。当然天寿を全ry

源田実:自分の指揮する部隊でも特攻やりたいからよろしくと部下に命じたところ、部下から「私が操縦するから貴方は後席に乗ってください」と言われソッコーで沙汰止みに。 
戦後は航空自衛隊に入り航空幕僚長、自民党から参議院議員に。議員時代、日本全土を無差別爆撃したカーチス・ルメイに勲一等を授与する工作する。 
言うまでもなく天寿をまっry
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大田正一:米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。自分が乗るから開発させてくれと上層部に頼み込んだ癖に「適性なし(笑)」とやらで出撃せず。 
終戦直後逃亡、名前と戸籍を変えて暮らす。至極当然に天寿をまry

中島正:現地で全軍特攻を唱え、目を合わせると特攻に行かされると噂される。私も後に続くと言って特攻を送り出したかと思えば、私は内地に戻って君たちの活躍を後世に残すと言って内地に帰り、戦後は特攻を自分に都合がいい美談に変えた著書を発表。天寿をry

真鍋正人:特攻隊員の前で「俺は成績が良かったから早く参謀になれる。だからここでは死ねねえんだよなぁ」と言いながら特攻へ送り出していた。天寿ry

永仮良行:現地で特攻隊員を殴りながら「そんなに命が惜しいか!命のいらない搭乗員は内地にいくらでもいるんだ!」と言って特攻へ送り出す。天じry

坂井三郎:特攻隊員に対し「私も後に続く。遅いか早いか!ごちゃごちゃ言うな!」と言って特攻へ送り出す。戦後は自分に都合がいい話を作り著作活動で有名に。ねずみ講で荒稼ぎしたり原爆投下を賞賛したりと。天ry

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相手国の「攻撃準備状態」に対する攻撃とは何を意味するか

「阿修羅」からコメントのひとつを転載。
非常に重要な指摘だと思う。こういうことを野党政治家や評論家は言うべきなのである。それを言わない、言わせないところに日本が政治的破産国家であることが現れている。


(以下引用)


5. 命を大切に思う者[6109] lr2C8JHlkNiCyY52gqSO0g 2022年5月04日 19:45:51 : LN8kojZrik MlpTLi9NWWR4VWM=[41]  報告
みなさんに聞きたい。
自民党や大手マスコミの連中は、
「相手が攻撃準備を整えた時点で攻撃されたのと同じだから、
 実際に攻撃されてないのに攻撃しても、反撃と呼んでいい」
と言うけれど、
中国やロシアがミサイル攻撃の準備を整えていない状態、ってあるの?
白兵戦なら、侵攻すると決めてから攻撃準備を整えるだろうけど、ミサイル攻撃は、いつでも、撃てる状態になってるでしょう。
「日本本土にミサイルを撃ち込むぞ。さあ、これからミサイルに燃料を入れようか」なんてやり方してないでしょう。
膨大な数ある、基地や潜水艦内のミサイル発射場所のうち、一部は保守中で攻撃準備が整ってないとしても、大半は整ってるでしょう。
仮に、燃料は、撃ち込むと決めてから入れるのだとしても、入れるのに1時間もかからないでしょう。
日本政府は、今は整ってない、今整った、という1時間の短い時間の変化を、どうやって知るの?
日本政府は山勘で「たぶん整えたな。攻撃を受けた(実際は準備されただけ)」と宣言してミサイルを撃つの?

結局、
攻撃準備が整ってない状態なんてないから、
改憲が成立した瞬間に、日本政府は「攻撃を受けた」(実際は準備されただけ)と叫んで、
即、撃つことになるんじゃないの?
改憲が成立した瞬間に、撃つことになる。
「相手が攻撃準備を整えた時点で攻撃されたのと同じだから、実際に攻撃されてなくても攻撃する」
という規定に従ったら、そうなるだろう?
これ、先制攻撃と、何が違うんだよ? 

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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