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日本の新しい社会システムへの道(3)全体のまとめ

前回が「中仕切り」だのに、いきなり最終回だが、思考テーマを4つに分けたものを眺めていると、それが根が同じで、基本的にすべて「日本の貧困」に原因があると思ったから今回が最終回になったのである。つまり、第一回で、言うべきことのほとんどは言っているのだ。
私はデカルトの思考法である「分析と総合」が大好きで、つまり「問題を分けて考察し、それをまとめて結論を出す」わけだが、実はその「分ける」事自体に陥穽があるようだ。たとえば、生きた蛇を頭と体(体全体が尻尾のようなものだが)に分けると、それをもう一度つないでも生きた蛇には戻らない。問題解決の場合、分けた部分と部分とのつながりが見えなくなるわけだ。
今の状況で、日本の貧困問題が解決しても、はたして若者は結婚し、子供を作るか、と言えばそれは怪しいだろう。つまり、「日本の少子化の傾向は止まらない」というのが冷静な判断なのではないか。そして、移民を入れれば、日本とは別の国になるだけだろう。もちろん、明治期に日本に来た外国人たちのように優れた知性と教養を持ち、日本の文化の底上げをした人々と、単なる「労働者」として日本に来る貧しい移民とは区別したほうがいいと私は思っている。ただし、それらの人々の子供や孫が日本文化の中で育てば、それは「日本人」になるだろうが、労働移民の性急な導入は、日本社会の軋轢を生むと思う。
さて、なぜ若者が結婚しなくなるか、と言えば、「コンビニとスマホ」のためである、と言えば極論に聞こえるだろうが、現代文明は「結婚することのメリット」をどんどん失わせているのである。結婚しなくても快適な生活が送れるなら、いろいろと束縛の多い結婚に踏み切る若者が少なくなるのは当然である。しかし、それは老後というものが彼らには見えないからだ。単なる性的パートナーは、相手が性的魅力を持つ間だけしか意味はないのである。結婚という制度は、いわば「生涯保険」のようなものである。
結論を言えば、「日本の少子化は止まらない」つまり「日本の人口はどんどん低減し、やがて日本人は消滅する」となるだろうが、まあ、それはかなり先の話だ。ケインズの名言を借りれば「長期的に見れば、我々はみな死んでいる」のである。何百年後のことを考えても無意味だろう。ただ、現在の我々と接する人々の時代のためには、第一回に書いた「日本の貧困からの脱却」案は有意義だろうと私は信じている。

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新コロ詐欺の次は「ポリオ詐欺」か

「徽宗皇帝のブログ」に、「大摩邇」のヴァーノン・コールマン博士(医学博士らしい)の記事を載せたが、下に引用するのも「大摩邇」のヴァーノン・コールマン博士の別記事の一部である。
新コロ詐欺(新コロワクチン詐欺)の次に予定されていると思われる「ポリオ詐欺」(最初は「サル痘詐欺」の予定だったようだが、変更されたか? まあ、ほとんど同じではあるようだが)に関する部分だけ抜粋した。この部分は(専門分野だけに)話がまとまっていて、論理的で読みやすいと思う。

(以下引用)


英国保健安全保障局 (これらの保健機関のどれだけにお金を払っているのでしょうか?) は、英国の水道システムでウイルスの痕跡が検出された後、全国的な事件を宣言し、親は子供がポリオの予防接種を受けていることを確認する必要があると警告しました.


これは、子供にポリオの予防接種を受けるように多くの親を説得するための単なる詐欺である可能性があるという疑いを避けることは困難です. (ほとんどの人と同じように、私はもはやクアンゴ、政府顧問、大臣、または政府部門から来るものは何も信用していません。)


しかし、1 つまたは 2 つのことは言及する価値があります。


まず、ポリオは 2003 年に英国で公式に根絶されました。では、なぜ当局は、19 年前に根絶された病気の予防接種を子供たちに続けているのでしょうか。(実際、最後の症例は 1984 年で、40 年近く前のことです。) ポリオ ワクチンに関する驚くべき真実を知りたい場合は、私のワクチンに関する本をご覧ください。 '。


第二に、英国HSAは、海外で経口ポリオワクチン(生きたウイルスを含む)を接種した人が英国に入り、感染を広げたと疑っています.


第三に、アフリカでのポリオの発生は、主にゲイツのポリオ予防接種プログラムの結果であることは、以前からよく知られていました。私はこれをほぼ2年前に明らかにしました。WHOでさえ、アフリカでワクチン由来のポリオの発生があったことを認めました。そこで使用されるワクチンには、弱毒化または弱体化されたウイルスが含まれています。この弱いウイルスはまだ生きており、病気を引き起こす可能性があります。(BBC などの主流メディアは、これについて議論することを許可しないのではないかと思います。そうすることは、真実の不快な領域に足を踏み入れることになるからです。以前に報告したように、私がプロパガンダ組織と見なしている BBC は、報道機関のふりをして、彼らのプログラムにワクチンの批判者が「たとえ彼らが正しいとしても」、それを許可することを拒否している.)


第 4 に、1980 年代初頭から警告してきたように、薬物の残留物やウイルスが下水システムから水に侵入する可能性があります。汚水(処理される場合とされない場合があります)は、河川に放流されます。実際には、下水を処理するかどうかは問題ではありません。浄化プログラムではこれらの小さな粒子を除去できないからです。そして、下水が投棄された川から新鮮な飲料水が供給されます。(これについて詳しくは、私の著書 Superbody を参照してください。) そして、ビル・ゲイツのポリオが英国に戻ってきたのは、そのためだと思います。それがここにあるので、それを取り除くのは非常に難しいかもしれません.


ところで、水について言えば、今後の水不足に注意する必要があります。その結果、水の配給制とスタンド パイプが導入されることになります。ところで、ドイツは燃料配給制の導入に遠く及ばない。そして、スリランカで何が起こっているのか心配しているなら、イタリアとギリシャを見てください。どちらも、破産からわずか数ドルしかありません. フランスでは、厄介な小柄なマクロンがエネルギー配給について語っています。彼は国民に、「総動員」が必要であり、公共の照明が役に立たない夜に消灯することから始めるだろうと語った.


これはすべて偶然でしたか?


いいえ。混乱を引き起こし、大規模なワクチン接種プログラムを奨励し、最終的には世界の人口を削減する計画の一部です。



そしてそれがポイントです。それはすべて意図的です。

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「ビッグバン説」の怪しさ

我々は、あまりに明白なものはかえって目に入らない(意識に上らない)性質があるようだ。忙しい現代だと、自分の家族の顔さえ注意して見ない人間は多いのではないか。
と言うのは前置きで、私が「ビッグバン説」を信じていないことは何度も書いてきたが、その疑問の根拠は書いてこなかった。だが、下のロシアの科学者が(相対性理論批判の論文の中で)言うように、「何が」爆発したのかというあまりに明白な疑問、起こって当然の疑問は私の頭の中には浮かばなかったのである。
ビッグバン以前には宇宙は存在しない、つまり「何物も存在しなかった」わけだから、そこに突然、爆発が起こるとしたら、その爆発したとされるものは何なのかwww
なお、私は引用した論文を読んだわけではなく、単に漠然と眺めて、その中で興味を惹いた「ビッグバン否定論」の部分を抜き出しただけである。

(以下引用)

 概して言えば,ビッグバン(大爆発)理論は大きな疑惑を抱かせる。何が,どこに向か って,いつ爆発したのかというありふれた疑問(何しろ,空間も時間も物質*も存在しなか ったのだから)の他に,ブラックホールに関する一般相対性理論の結論(限界速度である 光速度は超えられないという結論)はどうするのかという疑問が生じる。何しろ,宇宙は, 83 第 2 章 一般相対性理論の基礎 ゼロ時点においては(さらに,ゼロ時点においてだけでなく,ある長さの時間にわたって) ブラックホールでなければならなかったのだから。一般相対性理論が課す条件はどうする のか? 何しろ,ブラックホール内における収縮といった比喩的記述の代わりに,今や, 我々はあらゆる場所における膨張を実験的に観測しているのだから。どうやら,検証不可 能なものをでっち上げるのがよっぽど面白いにちがいない(ただし,そんなものは科学と 呼ぶに値しない)。 次の原理的な問題に進もう

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新興宗教とカルト

「大摩邇」所載の井口博士のブログから表(「オモテ」ではなく「ヒョウ」)のみ拝借。
「政治と宗教」の問題を考える上で、重要な表、あるいはリストだと思う。
「新興宗教=カルト」とは限らないが、新興宗教の8割以上がカルトと見做していいのではないか。
カルトの定義は単純に「超有害新興宗教」とするのが適切かと思う。伝統宗教は歴史と文化の一部になっているし、それが目に余るほど有害ならとっくに淘汰されているだろうからだ。
まあ、もちろん、一部の伝統宗教は有害性が高いかもしれない。特に一神教(創造主、創造神を信じる宗教)はそれを信じない者や信じない集団を敵として多くの悲劇の原因になってきた。
創価学会の信者数が圧倒的に多いが、その教義がどんなものか、私はまったく知らない。仏教系の新興宗教で、最初はカルト扱いだったと思うが、今では公明党という政党まで持って、日本の政治に大きな力を奮っている。誰か、創価学会の教義を10行以内で説明してくれないかwww

(夢人追記)「神戸だいすき」記事の一部だが、この記述に当てはまるのは、下の表のどれだろうか。

私の教団の悲願は、世界平和。

考えてみたら、世界救世教にしても、統一教会にしても「世界平和」を、掲げているんですよね。

目新しい標語ではありませんね。

宗教とは、一人一人の人生の悩みによりそい運命を転換させうるものだと考えていた私から見たら「世界平和」とは、ずいぶん大きく出たもんだ・・と、思えたのですが。

よそは、どうやって世界平和を達成しようとしているのかは知りません。創価学会と統一教会は、政治より上位に立ち、政治を自由に動かして、いわば「宗教国家」「宗教による世界支配」で、達成しようとしているようですね。

私の教団は、宗教が政治によって、なにかをするのは、邪道だと言います。

宗教は、宗教本来の法力で、世界を平和にする。
天と地を和合させ、陰と陽の調和を図り、霊界の不成仏霊を成仏させることで、霊界の「うつし世」である「現世」現象世界を救う。

護摩の火と、施餓鬼の水

火と水の浄め・・・そして、極端に位置する「火」と「水」を、調和させること。

(以下引用)
【ジョーク一発】「カルト教信者ランキング」から「スリランカの岩窟文字」まで_b0418694_14471254.jpg

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国家と「男性性・女性性」

「東海アマ」ブログに引用されていた記事で、一部に無理な論理の展開や誇張があると思うし、まだ詳しく読んではいない。しかし、なかなか啓発的で面白い記事だ。いい思考素材である。
世界的宗教のほとんどが女性蔑視、女性差別の内容がある、という指摘は特に面白い。これは私も個々の宗教については感じていたが、それが全世界的に共通している、ということには気づいていなかった。それ(宗教における女性差別)がなぜかという考察の部分は熟読する価値がありそうだ。

(以下引用)

 ライフジャーナル「母系社会が平和への鍵になる」2019.07.24
 https://naturalharmony.co.jp/journal11/

 なぜ世界から母系社会は消えたのか 女性性を尊重しない社会は滅びる!?
 前回のコラムで、イロコイ連邦をはじめとしたアメリカインディアンの多くの部族が、「母系社会」で成り立っているという話をしました。その母系社会についてさらに掘り下げてみたいと思います。

 母系社会を簡単に説明すると、一般的には母方の血筋を継承していく家族であること、つまり、現代の日本は「父系社会」なので、父親から息子へと男子が家を継いでいくところ、母から娘へと女子が継いでいくということになり、現代とはまったく逆の制度になるということです。

 古代には、世界中に多くの母系社会が存在していたと言われています。現存している先住民族の中でも母系社会を継承している民族の分布を見ると、熱帯地方に多く集中しており、寒帯地方では少ない傾向があるようです。また、農耕を中心とする民族に母系社会が多く、牧畜を中心とする民族には少ない傾向があります。これだけを見ると、温暖な地方で農耕を営む民族には母系社会という構造が適していたのかもしれません。

 さて、母系社会の大きな特徴をまとめると、部族の長は女性であり、その女性が部族内をすべて取り仕切り部族全体に大きな影響力を持っています。
 しかしその内部は非常に民主的に運営されており、決して封建的ではなく、すべての者に寛容な社会を築いています。

 中国雲南省の奥地に存在する「モソ」という民族は典型的な母系社会を継承していますが、その特徴を見るのが分かりやすいと思います。
 まず、結婚という制度がないため夫婦という関係性もなく、その概念すら存在しません。ではどうなっているかというと、「走婚」つまり「通い婚」になっているのです。
 (アマ註=日本でも合掌造りの白川郷や、弥生人文化圏では「通い婚」が常識だった)

 男性は好きな女性の家に通いながら、というより女性が好きな男性を呼び、関係性をつくります。最低限のルールがあるにせよ、一緒に住むのも自由だし、その関係を終わらせるのも自由なのです。
 もし子供が出来た時は女性の家族が皆で育てることになり、男性には一切の養育の義務はありません。父親が誰であるかは重要ではなく、誰が産んだのかが大切にされます。

 このような習慣を現代の常識的な目線で見てしまうと「これで社会が成り立つのか?」という疑問が浮かぶと思います。民族の構成はシンプルで農耕を中心とした社会なので、必要以上に現金収入を必要としていないから成立していたという背景もあります。
 また男性の存在感がないわけではなく、地域社会の中でしっかり役割があり責任ある仕事が任されています。

 ただ、至って自由であるということ。前述のように男女関係だけではなく、すべての人間関係が、とてもおおらかで寛容な社会を築いていたということです。この傾向はモソだけではなく、多少の違いはあれ母系社会を築いている民族ですべてに見られる傾向です。

 かつての日本も平安時代までは明らかに母系社会を築いていたといえます。おそらく当時は一部の貴族や武士階級を除き、明確な結婚の制度もなく女性が家系を継いでいました。

 世界的にみると人々の生活習慣や社会的な仕組みに大きく影響を与えた出来事は宗教の広がりです。有史以来、世界に急速に広まった宗教には女性を蔑視する内容がとても多いことに気が付きます。
 キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・仏教にいたるあらゆる主な宗教で経典の中に明確に女性蔑視を記述しており、表向きは平等と教えながら本質的に男性から劣っている存在であると位置づけていることから、とても矛盾をはらんでいます。
 神道についても穢れという考え方があり、例えば相撲の本場所の土俵には女性が立ち入ると穢れるという理由から厳しく禁じています。

 もちろん宗教もその時代とともに内容の解釈や記述が変えられてきているので理解は様々です。宗教の発祥初期からそのような教えがあったかは定かではありません。
 ただし、世界的に共通していることは、みな同じように男女の関係性に抑圧的な厳しい戒律を設けて、女性の位置づけを低く保ち、同時に善悪の概念を強力に植え付けてきたと言えるでしょう。

 日本も平安時代以降、本格的に仏教が普及してきたところから、明らかに父系社会への転換が起こりました。それが直接的な要因と断言できませんが、やがて戦国時代へと移り変わっていきます。
 ではなぜ、そもそも多くの宗教が女性を蔑視してきたのでしょうか? ここは大いに想像力を膨らませる必要がありますが、それは主な宗教が常に権力と結びついてきたという経緯があります。

 歴史上、常に政治が宗教を利用して、逆に宗教も政治を利用してきました。時の権力者たちは民衆をコントロールするのに宗教を使い、宗教にも様々な便宜を図ることで関係性を強固にして、必要であれば教義を書き換えてでも目的を達成させようとしてきました。
 当然ながら権力者やそれを取り巻く者たちは、その体制に反対する人々を物理的・政治的に抑圧しました。

 しかし、どうしてもコントロール下に置けない勢力がありました。それが女性だったのです。まだ母系社会が色濃く残る社会であっても政治的には優位な立場になっていた男性が、すでに社会全体に浸透していた女性の影響力を弱めることが出来ないため、宗教の力を使って存在そのものを低く劣ったものとして定義しました。つ
 まり権力者はそれほど女性の力を恐れました。

 中世のヨーロッパを中心に起こった魔女狩りはまさにそれを象徴する出来事であったといえます。人並み外れた霊的能力や知識をもった女性を魔女や悪魔の使いとして仕立て上げ、社会を惑わすものとして民衆の恐怖を煽り、社会的に影響力のある女性を抹殺してきたのです。

 ここまで読んだ方は、「では父系社会というのはそんなに悪い仕組みなのか?」と思われるかもしれません。
 実はそうではなくて、現代社会の中で父系社会を形成する男性性の要素が強くなり過ぎたということです。古代では母系社会と父系社会が共存していた形跡が多くみられており、中には双方が混ざった習慣を持つ民族もあります。

 近代では、その男性性の特徴である論理的・競争心・実力主義・結果重視などの傾向が過剰になり、社会の中で常にその条件に合うように生き方を要求されます。
 更に付け加えると、宗教の普及とともに貨幣経済が強力に広がり、社会を構成する要素として最も大きな影響力を持つことになったため、なおさら男性性を増長させることになりました。戦争や民族的な争いが絶えないことも、男性性の過剰という問題が根底にあるからではないでしょうか。

 女性への差別や蔑視や抑圧的な行為は、明らかに男性性過剰の結果であり、逆に言えば女性性の欠如の現れです。
 これは生物学的な男と女の違いの問題ではありません。どちらにも男性性、女性性の両方が備わっているからです。

 長い歴史の様々な場面で女性(性)が犠牲となってきた事実があります。犠牲とは、その犠牲の下に社会が成り立ってきたという意味です。
 さて、それを犠牲にして得てきたものは何でしょうか。国家の軍事的な強さでしょうか? 経済的な強さでしょうか?

 かつて男性性優位と見られる帝国が数多く誕生しましたが、ことごとく衰退・滅亡していきました。
 その一方で目立たないながらも女性性を大切にする平和な国家も存在していました。歴史の年表にはまったく出てこない史実ですが、帝国の栄枯盛衰を学ぶより、なぜ平和な国が存続していたかを学ぶことに価値があると思います。
 そうすれば、かつて理想的な母系社会を築いていた日本が、世界に先駆けて出来ることが自ずと見えてくると思います。
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 一部引用以上

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老年と壮心

「世に倦む日々」氏がNOTEに発言の場を移した最初の記事の末尾だが、「老キ(たぶん、キと読むと思うが、パソコンで出て来ない。「麒麟」の「麒」とは違うようだし、麒麟は馬小屋にはいないだろう。つまり、馬の意味か。)」の意味が分からなくて戸惑ったが、下の写真を見て、これが曹操の詩の中の言葉だと知った。その詩がなかなか面白い。もちろん、独断での解釈だが、だいたいこんな意味だろうか。

 亀は長寿だが

神亀は長寿だが、いつかは死ぬ
龍は霧に乗って飛ぶが、いつかは土灰となる
老馬は馬小屋に伏せるが、その志は千里にある
烈士は生涯の暮方にも、壮心は止まない
満つる時と収縮の時の如何はただ天命にあるだけではない(自分次第だ)
そして、(自ら)喜びを養うことの幸福は生涯あるだろう

最後の一行はかなり恣意的な訳だが、「怡」の意味が漢和字典だと「よろこび、楽しむ」らしいので「養怡」の解釈が難しい。そこで「自ら」の冗語(文章を冗長化する無駄な言葉)を入れたわけだ。「自分で自分の喜びを養う」精神と言うか、知恵は、万人に通じる人生訓としてかなり有益なアドバイスなのではないか。



この新環境が、志は千里を駆ける老騏の馬小屋だと、前向きに。


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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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