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善意で舗装された道は

私は、赤十字というのは古くからある西欧のスパイ組織だと思っている。人道的名目があれば、どのような場所にも行くことができるし、安全に行動できるからである。そういうスパイ活動に利用できるのは、学術研究隊(ナショナル・ジオグラフィックなどもそれに近い)や報道関係もそうだし、近年ではNGOやNPOがスパイ活動や政治的工作活動に相当に利用されていることが一部では知られている。ハイチへの寄付金のかなりな部分がNPOやNGOの懐に入ったことは前に転載した記事にあった。
もちろん、そうした組織の末端にいる人間の多くはその組織の真の活動を知らずに善意で活動しているのだろう。
募金活動の中にも正体不明の団体は無数にあり、自分の出した金がどう使われているか、わかったものではない。
心臓手術のために米国に行って手術しなければならないから、1億5000万円の金を募金する、などという話を聞くが、なぜそれほどの大金が必要なのか。いったい、金のどれだけが実際の手術費用で、どれだけがコーディネーターの懐に入るのか、知りたいものである。まさか医者の手術報酬自体に1億円もかかるわけはないだろう。もしそうなら、心臓提供さえあれば、毎日でも心臓手術をして大儲けができる。患者のいる家族はおそらく言われるままにその大金を準備するだけなのだろう。そして集まった金の大半は、おそらく手術とは無関係な人間の手に入るのだと思われる。
いかに心臓手術が難しい手術だからといって、1億5000万円を要求できるという、その神経が私には理解できない。相手が日本人だから金額を吊り上げているにきまっているのだ。
もちろん、日本人が金で手術の優先権を手に入れる間に、米国人で心臓提供を待っている患者が押しのけられているのである。私が米国人なら、日本人を憎悪するだろう。
金、金、金、すべてが金である。
募金の話に戻るが、なぜ人々はどう使われるのかも不確かな募金に平気で金を出すのだろう。
最近、車の後ろにリボンマークのステッカーを貼っている車をよく見かける。リボンマグネットという団体の売っているステッカーらしく、売上の一部が様々な人道的活動支援に寄付されるという。
私は赤十字でさえ信じない人間である。赤い羽根の募金も信じていない。社会的弱者の救済は政治の課題として行政が行うべきものだと思っている。ただの詐欺ならまだましだが、民間のそういった「人道的集金活動」の背後に何かの宗教団体や政治団体の存在があるのではないかと私は疑っている。

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ジェラルド・セレントの言葉

大不況への心構え(ジェラルド・セレント)下線部はウィリアム司教による
 *(注)下線部は転載する際に消えた。
 *(注2)不動産関係・出版・小売・建設・自動車はもはや成功可能性の無い分野だとされている点に注意。


(以下引用)

「金融界を襲っている嵐を乗り切るには何をすべきかについて,私たちは傾向に焦点を当てた具体的助言をするよう絶えず求められています.だが単純明快で,なににでも効く万能薬などありません.個々人が直面する状況はそれぞれ違うからです.もしあなたが地方に住んでいて失業中なら,都会やその近郊に住む人たちとは違う可能性,問題を抱えているでしょう.

先ず実感すべき大事な要素は,自分の直面する状況を乗り切るには長期戦を覚悟しなければならないということです.現在は縮小の時代,持ちこたえ防備する時代です.全体的に可処分所得は減ってきており,本質的なこと以外に使えるドルは少ない状況です.お金が流れているあいだ「本質的」と思えたことは,お金が底をつくと「つまらないこと」に変わります.

「職探しをするに当たり,もし見つかった仕事がもはや選択の対象にならないもの(不動産代理業,住宅ローンブローカー,出版,建設,小売,自動車製造従業員,などなど)と自分で判断したのであれば,いまこそ実務的に考えてあなた自身の夢をかなえる好機でしょう(訳注・原文 “…now may be the time, if at all practical, to live out your dream.” あなたはこれまで常々何をしたいと願ってきましたか?あなたは,他の人たちと自分との違いを際立たせるような他人にはない才能・資質や能力を自分自身のうちに見出し(発掘し)ましたか?そうしたことをあなたは自問しそれに基づいて,自分が楽しくできることは何か,それをすることで生計を立てる可能性はどの程度あるかを,自分自身に問うてみることです.それが出発点です.仮に,つまらない仕事しか見つからなかったとしても,その仕事が他の誰よりもうまくできるよう努めるべきです.独創性をもち,かつ恨み言をこぼすことなく,その仕事に打ち込むべきです.そうすれば,より高い可能性がそこから現れ出てくるでしょう.好きなことをしていると,「働かされている」と思わなくなるものです.(訳注・原文 “If you do what you love, you’ll never have to “work.” 心〈愛〉を込めて〈=主体性を持って・自主的に〉仕事をすることができるならば,誰かの管理下で使われ義務的強制的に働かねばならないと感じることには決してならない.)幸福とはなんでしょうか?一つの定義は「朝目覚めたとき,しなければならないことが自分の選んだことだと思える」ことではないでしょうか.

「自分の置かれた状況を正しく評価することです.同じような状況にいて,互いに補いあえる能力を持ち,考え方を共有できる仲間を見つけることです.数は力となります.一つの目標を共有するグループは,ひとりでは思いもよらない,実現不可能なプログラムの立ち上げを可能にします.」

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責任回避システムの確立した日本企業社会

日本の労働・雇用問題はこちらのブログに書くという方向でいくことにした。健康・医療と労働・雇用問題が中心になるわけだ。もちろん、これは私の備忘としての目的もあるので、読む人がいるかどうかはあまり顧慮しないが、できれば読む人がいてほしい。(矛盾したことを言っている)


(以下「阿修羅」より引用)



アフターサービス消滅-c
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/211.html
投稿者 asy8 日時 2011 年 2 月 05 日 21:02:24: 3ati27iqg4fYY


「責任回避システム」電気製品の故障とか、その他のいろいろな日本製品、あるいは、取次店、サービス業務、その他の施設利用や組織の問題、八百長相撲協会の隠ぺい工作等、カスタマーセンターの解約電話窓口対応から、日本の責任回避システムの問題点が見えてくる。まず修理対応当については、日本人ではなく、外国人が電話対応をすることが多い。さらに責任者は絶対に出てこない。すべて窓口対応専門の人間である。しかも別会社であり、正社員ではなく、パートアルバイトか、派遣社員で、本社とは無関係である事が多い。そもそもそういう電話対応の専門会社であり、それを商売としている。まず電話がすぐにつながることはありえない。何度電話をしてもつながらない。そして数多くの項目があり、とても手間隙がかかる。担当者の名前は偽名かもしれない。各分野で綿密に区分けがされており、別の分野とはまったく無関係である。担当者はころころ変わる。電話がつながるまでに恐ろしく時間がかかる。いちいち、こちらの住所、氏名、電話番号、生年月日、お客様番号、ICカード番号を教えなければならない。しかもほとんどの場合、その場の担当者には、まったく何もできないし、問題点も把握できない。別会社である事が多いので、内容も不明だ。長くかかりそうになると、「後でこちらから電話をかけます。」と言い、電話を切らせるが、いくら待っても電話はかかってこない。再び電話をかけると、別の人が対応してくる。そしてまたはじめから、住所、氏名、電話番号、生年月日、お客様番号、ICカード番号を言わねばならない。そして別の人に代わりますという、それにも時間がかかる。結局翌日に連絡しますと言う。このやり取りに2時間ぐらいかかったのが、カスタマーセンターだ。そして閉業時間午後8時以降になると、背後で、女の馬鹿笑いやら嘲笑が聞こえてきた。こんなことだともまもなく倒産するなと予感した。とにかくまるで役所みたいである。もはやまったく問答無用という感じである。要するに、何も事故なり、トラブルがなければそのまま済ませられるが、何かが起きるとまったく対応できない。この状態が、日本に蔓延化しつつある。もはやアフターサービスはまったくしなくなりつつあるのだ。それはコスト削減のためであり、人件費を削減するために、対応する者も減らしているからだ。それに正社員ではないし、別会社だし、まったく何の責任感もない。自分の会社に対する愛着も仕事の誇りも何もない。後は野となれ山となれという方針なのである。あらゆる面で、逃げの姿勢が見える。いつも何も知らないと言う。あらゆる面でいい加減であり、でたらめである。詳細に綿密に担当者を区分けしており、横のつながりがまったくない。少しでも担当が違うともう闇の中であり、別世界の事なのだ。全体的な視点がない。責任回避の構造は非常に巧妙であり、綿密にそれは事前に準備されている。まるで公務員のようだ。あらゆる面で、日本の信用が低下している。日本製品の信頼も低下している。日本が中国化しつつあるのだ。安かろう悪かろうの状態である。だが高くても、悪くなりつつある。これはとても危険な事である。要するに、日本の会社で働いている人が、ほとんど正社員ではなく、非正規雇用労働者となり、もはや自分に夢も希望ももてなくなったのだ。そして自分の仕事に対しても、誇りも自信もないし、一切いかなる責任も背負いたくないということである。これはよくない。それは日本製品の品質低下になるし、そうなると、もはや市場競争能力もなくなり、ますます日本製品は売れなくなる。日本の中小企業までもが公務員化すると、もはや空中分解し、連鎖倒産を招くだろう。だが、現在の日本の労働条件では、やる気が出ないのも当然だろう。不当解雇ばかりするからだ。

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フルメタル・ジャケット

雇用問題に関連して「株式日記と経済展望」のTORA氏が「引きこもり問題」について述べている部分を引用する。彼は引きこもりを軟弱な連中と見做して、徴兵制度を導入せよ、と右翼的発言をしているが、本人自身がその引きこもりだったというのだから、なんだか可笑しい。変えるべきは人間を非人間的に扱う企業風土であり、そう仕向ける弱肉強食の資本主義社会の方だという方向には頭は向かないらしい。その根底には、「自分は競争社会の勝者になれる」という自負心があるのではないか。だが、この不平等社会で勝者となれるのは、良い家に生まれ、あらかじめ幸運なスタートを切ったわずかな人間と、他人を蹴落としてのし上がったさらにわずかな人間だけなのである。
映画「フルメタル・ジャケット」の中で、鈍重で泣き虫でデブの兵士が兵士として鍛えられ、立派な殺人マシーンになる。だが、彼は訓練期間が終わる直前に、教官や同僚をライフルで射殺し、自らも自殺するのである。
他人を蹴落とすことを教えるという点では実は学校教育も同じであり、上の命令に無批判に従うことを教える点では軍隊と学校は同様である。
かくしてわれわれは体も心もフルメタルジャケット(装甲弾)となり、この社会で他人を殺す作業に狂奔するわけである。



(以下引用)


昨日のNHKの「クローズアップ現代」では「働くのが怖い新たなる引きこもり」を特集していましたが、現在の日本では狭義の意味での引きこもりが70万人、潜在的引きこもりが150万人いると言われています。70万人と言えば鳥取県の人口よりも多く、20代30代の若くて働き盛りの年代が働かずに家に引きこもっているのですが、政府も教育界も特にこれと言った対策を立てていない。

問題の原因は家庭にも学校にもあるのでしょうが、大前研一氏が記事で書いているように、企業経営者は使いものにならない新卒者が多くて採用を絞っているようだ。採用しても「職場に馴染めなかった」として3年以内に三人に一人が辞めて行く。中卒や高卒はもっとひどいらしい。欧米のように中途採用が当たり前の社会なら再就職も可能でしょうが、日本のような終身効用制度の下では正社員を一度退職すると二度と正社員には戻れなくなることを覚悟しなければならない。

その結果として、20歳以上の引きこもり者が70万人と言う数字で現れてくる。これは40歳以下の数字であり、実際にはもっと多いだろう。なぜ職場に馴染めない若者が大量に出てくるのか原因はいろいろ考えられますが、学校も家庭も社会の厳しさをきちんと教えないからだろう。以前のように日本全体が貧しかった頃は、いやでも子供のうちから社会の厳しさの洗礼を受けましたが、今では甘やかされて社会に出てくる。

大学生の頃は昼ごろまで寝ていて、大学に出欠だけとって街に遊びに行くかアルバイトに行く生活を送っていて、社会に出て就職すると朝8時に会社に出社しなければならず、夜の8時、9時までの勤務をする様になる。仕事も学校のようにきちんと教えてはくれず見て覚える世界だ。仕事のミスをすれば上司から厳しいい叱責が下されることになる。それだけでもひ弱な若者は耐え切れずに退職してしまう。

私自身もそれと同じ体験をしてきたが、銀行のハードワークにストレスが原因で体を壊して退職した。周りからはせっかく高給もらっているのにもったいないと言われたが、日本の会社の人使いは荒くて体力の限界まで酷使される。会社も学校のように気の合う人ばかりではなく、意地悪な人間が多くて精神的に追い詰められることも多い。だから現代では辞める人が多くなり、企業側から見れば根性のない社員が増えたと言うことになるのだろう。

私は会社を辞めてから2,3年ぶらぶらしていたが、アパート経営を始めていたから失業手当は貰わなかったが、体を壊していたので家でインターネットをしているしかする事がなかった。いわば引きこもりに近い生活をしてきたから、引きこもり者の心境はよく分かる。何とか再就職しようと職安にも通ったが、再就職してもストレスでやられた体は耐えられず1ヶ月で辞めたりした。

現在の日本企業はバブル崩壊やリーマンショックで厳しさは増すばかりであり、大学の新卒者が就職してもそれに耐えられる能力のある大卒者は少なくなってきている。連日の残業にも耐えなければならないし、上役や仕事先との酒の付き合いや休日の付き合いなどに借り出されても文句は言えない。社内では自分を殺して周囲に合わせなければならないから、ストレスも溜まる。

それに対して、日本の大学や高校はレベルが下がる一方であり、体力的にも精神的にもひ弱になり、とても会社が求めているような企業戦士は勤まらないのだろう。昨日のNHKの番組に出ていた40歳の引きこもりの人は社会復帰は難しいだろう。20年に及ぶ引きこもり生活で体力が低下してしまって、仕事に耐えられない。

問題の解決には、徴兵制を復活して1,2年自衛隊で鍛え直すしかないだろうと思いますが、難しいだろう。学校側も運動部などに入らせて体力を鍛えてスパルタ訓練を施すべきと思いますが、それも難しいだろう。若いうちから鍛えなおせば何とかなるのでしょうが、引きこもりが長くなると体力的に何の仕事も出来なくなってしまう。精神的に辛い仕事に耐えるという事もできなくなるだろう。最終的には責任は家庭が負って両親が息子の生活の世話をするようになってしまう。

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スピンという言葉

なかなか有益な「思考素」(私の用語で、物を考える際の道具となる概念)なので、備忘のために転載しておく。ただし、見やすくするために一部をカットしてある。


(以下引用)


スピン (パブリック・リレーションズ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スピンとは、パブリック・リレーションズ(PR)において、特定の人に有利になるような、非常に偏った事件や事態の描写を意味する、通常皮肉のこもった言葉である。


概要

従来のパブリック・リレーションズが事実の創造的な表現に頼るのに対し、「スピン」は (必ずというわけではないが) しばしば、不誠実で人を欺くような高度に操作的なかけひきを含意している。政治家はスピンについて政敵から非難されることが多い。

クリケットのスピンボール投手は、ボールを空中で曲げたり、有利な方向にバウンドさせたりするために、投球中にボールにスピンをかけることがあるが、この用語は、そのような球技から借用されたものである。

「スピン」と記者会見 (特に政府記者会見) には密接な関係があるので、記者会見が行われる部屋のことをスピン・ルームと呼ぶことがある。

概要

スピンのテクニックには、以下のようなものがある。

恣意的な引用、チェリー・ピッキング (自分の見解を支持する証拠を選択的に提示すること)
事実の選択的な援用
対立相手のアイディアをいち早く入手して、相手が発表する前に自分のアイディアとして発表
間接的な否定 (論理的には否定していないが、印象としては否定的な印象を与えるような発言のこと)
立証されていない事実を前提とする論法
婉曲表現による論点のすり替えや強調
他にも、悪いニュースの公表を遅らせて、より重要もしくは良いニュースや事件の陰に隠れて目立たないようにするテクニックもある。2001年9月11日にイギリスの政府広報担当者ジョー・ムーアが送信した電子メールの中で、「今日は、葬り去りたいニュースを発表するには絶好の日だ」と書いたのも、このテクニックに言及した有名な例である。この電子メールがマスコミに報じられたときに起きた騒動は、最終的に彼女を辞任に追い込んだ。

スピンの実践に熟練した者のことを、スピン・ドクター(spin doctor)と呼ぶことがある(もっとも、それは作家を「御用評論家」と呼ぶようなものだから、冗談でないかぎり、面と向かっては言わないだろうが)。おそらく、「スピン・ドクター」と呼ばれることの多いイギリス人の中で最も有名なのは、1994 - 2003 年にトニー・ブレア政権の広報活動に携わり、さらに、2005年のラグビーのニュージーランド・ツアーで、ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズの広報担当として論争の的となった、アリスター・キャンベルであろう。また、同じくブレア側近のピーター・マンデルソンや、ブラウン側近のチャーリー・ウェランも労働党のスピン・ドクターとして認知されている。

アメリカのトーク&ラジオ・ショーのホスト、ビル・オライリーは、自分がこのような現象を嫌っているということを強調するために、自分のショーを「スピン禁止区域 (No Spin Zone)」と呼んでいる。

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日本の雇用問題(1)

前に予告した「日本の雇用問題の解決案」について考えてみる。

問題点は、IT化と機械化によって日本の産業は大幅に人員削減されて、わずかな仕事を無数の人間が奪い合うという状況になっているということだ。しかもそこに、外国からの「格安労働者」が入ってくる。正社員と派遣社員の仕事の奪い合いによって企業側は労賃をどんどんダンピングでき、さらに海外からの労働者を使って人件費が削減できるわけである。
だが、この状況によって生じるのは、国民全体の消費能力の低下である。一般家庭の可処分所得は減り続け、生活防衛のために安い物しか買わなくなる。企業はそれに合わせて商品の値段を下げ続けねばならない。こうして今、日本はデフレスパイラルに入っているわけである。ちょうど、ヘンリー・フォードが労働者に高賃金を払うことで自分の会社の車を購入する顧客を増やしたのと逆の現象が起こっているということだ。会社は人件費をどんどん削減し、それと同時に顧客をどんどん減らしているのである。
前にも書いたが、これは個々の企業の経営行動としては正しい行動だが、それが合成されると日本を貧困化させるという誤りを生じる、「合成の誤謬」である。しかし、企業行動としては正しいのだから、この人件費削減の流れを変えることはできない。また政府によって人件費削減を中止するように強制することも不可能だろう。つまり、日本はまったく手づまりの状態なのである。
バブル崩壊以来続いている「年間自殺者3万人」の主な原因はここにあると推測できる。つまり、自殺者の多くは、仕事の無い人間や金の無い人間だろう。病気が原因とされる場合でも、医者にかかる金が無いというのが自殺の真の原因だと思われる。それに対して政府はまったく雇用状況改善の政策を取ってこなかったのだ。ハローワークなどで職探しの手段を与えたところで、職そのものが無い、あるいは普通の人間にできる仕事がほとんど無い、という状況では職探しにも意味が無いのだ。せいぜい、ハローワークで働く公務員の仕事を作るだけのことである。

では、そうした状況を改善する手段はあるだろうか。
ある、と私は考えている。
これも前に書いたことだが、まず日本の産業構造を第一次産業重視に変えていくことである。つまり、農林水産業での雇用者を拡大することだ。具体的には、旧ソ連の「国営農場」のようなものを全国に作ることである。目標は食糧自給率を100%、いや200%300%にし、食糧輸出国になることである。
国営農場だから、そこで働く人間は国家公務員だ。毎日定時に農場に行き、所定の作業をして定時に退出する、という勤務は通常の公務員と同様である。
しかし、旧ソ連の経済体制は破綻したではないか、という疑問が提出されるかもしれない。私は、何も国家全体を社会主義にせよと言っているわけではない。自由主義、あるいは資本主義の社会の中に、国民保護の意味での食糧生産部門を作るというだけのことだ。ここの「国営農場」で生産されたものは、これまで同様に資本主義社会の競争原理に従って市場で売買される。そこで働く人間の給与も、上限はあっても、働きに応じた差はあってよい。ただし、管理職であっても普通労働者の2倍までの給与しか認めないことにしたほうがいいだろう。なぜなら、第一次産業で(どの仕事でも本当はそうだが)実際に働く主体は管理職ではなく、現場の労働者だからである。
国家公務員としての最低賃金が保障されるのだから、贅沢な暮しはできなくても、生きるのに不自由はないだけの給与は得られる。これによって、生活苦からの自殺は大幅に減らせるだろう。

すでに日本の製造業、つまり第二次産業は衰退に向っており、格安労働者を使った外国企業との勝負は不可能になりつつある。第二次産業において先進国から後進国へと中心が移っていくのは歴史の必然と言ってよい。ITなどでごまかしたところで、産業の競争力は人件費が土台なのだから、競争のためには人件費の安い後進国に生産の足場を移すしかないのである。つまり、日本での工業生産はこれから盛り返す可能性はほとんど無い。また、海外に生産拠点を移した企業は実質的にもはや外国企業なのである。日本国民の所得には何一つ貢献しない。  (以下、次回)

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医療崩壊の一報告

現在の医療の実態のレポートとして転載しておく。後半には筆者の政治的主張が書かれていたが、与謝野の増税路線賛成の論説であり、えらそうな「ポピュリズム批判」の文章なので省略する。
ポピュリズムとは「大衆迎合」であり、視点を変えれば民意を尊重することである。現在の政治は「民意無視」の政治であるにもかかわらず、ポピュリズムを批判してどうするというのか。増税によって苦しむ無数の貧民を無視して、「俺は増税という苦い薬や痛みにだって堪えてみせる。なぜなら俺は愚かな民衆の一人ではないからだ」、と言わんばかりのエリート臭の漂う文章だ。
「我々は皆、他人の痛みに平然と耐えきれるくらいの勇者である」とはラ・ロシュフーコーの言葉だったと思うが、まったくである。
だが、それでも掲載するのは、前半部分は現場からの事実報告なので、貴重だと思うからである。


(以下「阿修羅」記事より引用)


■from MRIC  □ 与謝野馨氏の死処  ■亀田総合病院 副院長 小松秀樹
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 正月明けの1月13日、かねて予想されていたが、亀田総合病院(千葉県鴨川市)が
パンクした。考えうる限りの調整をしてきたが、入院病床が足りなくなり、救急患者
がこれまで通り受け入れられなくなった。正確には入院病床の不足ではなく、看護師
不足のためである。建物・設備としての病床はあるが、看護師不足のために、数十床
閉鎖している。平均在院日数も12日間と10対1看護体制としては限界まで短くなった。
これ以上労働負荷をかけるのが不可能なので、7対1看護体制を達成することを優先課
題にしている。このため、しばらく、増床できる見込みはない。

 亀田総合病院の入院患者の53%は安房医療圏外に在住している。北東側の山武長生
夷隅医療圏の医療はほぼ崩壊状態にある。北側の君津医療圏も、医師不足のため中核
病院の機能が低下し、あふれた患者が亀田総合病院に押し掛けてきている。

 国立社会保障・人口問題研究所の都道府県別将来推計人口によると、2010年から20
25年(団塊世代の全員が75歳を超える)までの15年間で、65歳以上の高齢者人口が日
本全体で694万人増加する。現役世代の医療需要は小さく、大半の医療需要は高齢者
による。今後医療需要の大幅増加が見込まれる。

 特に首都圏の高齢者人口の増加は著しい。全国の増加の3分の1は首都圏の増加であ
る。厚労省の基準病床数の計算方法を用いて試算すると、東京、神奈川、埼玉、千葉
で、15年間で、基準病床+介護施設対応可能数を26万床増やす必要がある。これは現
在の千葉県全体で必要とされる数の3倍である。さらに、埼玉県、千葉県は人口当た
りの医師数・看護師数が日本で最も少ない。亀田総合病院のパンクの原因は人口問題
に起因するので、今後、悪化することはあっても、改善する可能性はほとんどない。

 2008年度に、国の指示で、各都道府県で一斉に地域医療計画が改定された。この改
定は、従来の病床数抑制政策に則って立案された。当時、多くの自治体病院は、2004
年頃から目立ってきた医師の立ち去り現象のため疲弊していた。加えて、総務省が20
07年12月に出した自治体病院改革ガイドラインで、民営化、独立採算化が求められた。
具体的には、経費と定員の削減圧力が強まった。民営化の受け皿はほとんど現れなか
った。経費削減圧力のために、病院設立者と管理者の溝が広がり、一部で病院管理者
が立ち去った。この間、日本全体で、病床数が密かに減少し、一方で、増床はストッ
プした。千葉県の既存病床数は名目上2007年3月31日45,537から、2010年4月1日45,65
9とほとんど変化していない。その間に基準病床数は、2008年44,241から、2010年48,
482(千葉県健康福祉部試算)と増加し、病床数は1,296の過剰から、2,823の不足に
なった。既存病床数には、利用されていない、あるいは、存在しない病床が含まれて
いる。許可病床が既得権として病院で保持されているからである。千葉県に問い合わ
せても実態を把握していないという。ある専門家は、千葉県では、実際に稼働してい
る病床数は既存病床数の70%程度ではないかと推定している。

 どう対応するのか。これから医師や看護師を養成しても間に合わない。必要な費用
も膨大になる。これまでと同様の方法で医療サービスを提供しようとする限り、サー
ビス水準を大幅に下げざるを得ない。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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