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「イスラムテロ」という幻想の敵

「晴耕雨読」から転載。

マリ・アルジェリア問題については無知なので、その学習テキストとしては恰好の文章かと思う。途中まで筆者の立ち位置や視点がはっきりしない観があるが、全体的には理性的かつ不偏不党の立ち位置のようなので、ある程度信頼していいかと思う。

「ある程度」、というのは当然の話であり、私は「ビッグバン宇宙生成論」や「進化論」さえあまり信じていない人間だし、大好きなドストエフスキーだって、そのキリスト信仰はまったくの直覚的理解であり、合理性とは無縁だとして、眉に唾をつけている。(ドストエフスキーの信仰を信じないのではなく、ドストエフスキーへの渇仰は彼の信仰した対象をそのまま信じることには結びつかない、ということである。もっとも、キリストは大好きだし、彼がこの世にかつて存在したこと自体が一種の奇跡だとは思う。だが、世界創造神としてのエホバは、私は信じない。つまり、A→B→Cという信用連鎖・信頼連鎖は私の場合自動的には起こらないということだ。あるいはそれは私の根本的欠陥かもしれないのだが。)

引用した記事にしても、全面的に信じたら、それは信仰である。書いた方にもそれは迷惑だろう。
ということで、下記記事とはまったく無関係な前説になったが、それは毎度のことだ。
とりあえず、こうした記事や論説を読んで、少しづつでも情報を確かにしていけばそれでいいと思う。

特に注意しておきたいが、後半部の「イスラム教徒憎悪世論の醸成」は、『文明の衝突』が出版されたころからマスコミに浮上し、それが「9.11事件」で怒涛のように世界中に溢れたことから、これは冷戦終了後の新たな世界戦略として採用されたものだと分かるのである。
つまり、「テロ(架空のイスラムテロ)との戦い」によって先進国の軍産複合体を維持し、テロ撲滅名目の戦争によって消費を加速し、無駄な貧民を削減し、貧民のための福祉費用も削減し、国民の不満や疑問を「戦時体制」によって圧殺する、という方針が先進国間の合意になったということである。それはもちろん、政府を背後から操り、支配する世界金融界・産業界の意思であるわけだ。




(以下引用)




2013/1/21


「内藤正典・同志社大学大学院教授によるアルジェリア人質事件の背景解説」  憲法・軍備・安全保障

http://togetter.com/li/441998

日本では、90年代の常軌を逸したアルジェリアでの内戦について正確に知っている人はほとんどいないから、マスコミがアルジェリアについて論評するのを聞いていると、ひどく紋切型で「知らないんだろうな」という印象を受ける。

アルジェリアは「イスラム過激派のテロと戦ってきましたから武装勢力を許さない」という解説を耳にするが、そういう表現をすると、アルジェリアが親米だったかのように聞こえることだろう。

とんでもなくずれているが。




中東・イスラーム世界の出来事を断片的にみていると、こういう出鱈目な解説を流しやすい各国首脳の発言をみると、安倍首相のが最も平和的に見えるのは皮肉なことだ。

しかし、日本はなぜ救援機を飛ばさない?

解放された人たちや負傷された人たちを迎えるためにこれまで何度も中東で日本人が取り残される事件が起きたが、その度に日本政府は救援機を飛ばさなかった。

80年代のイラン・イラク戦争の時には、テヘランで取り残された邦人救出に日本の民間機は飛ばずトルコ航空が救出した。

国民国家なら邦人救出は国家の責務。

一連の事件、仏軍マリ侵攻からアルジェリア人質事件に関する米国、英国、仏国などの報道をみていると、次第にアルカイダがアフリカに猛威を振るいつつあるから、力で掃討するのは正当だという方向に収斂しつつある。

だが、これはアフガニスタンにアメリカとその同盟国が侵攻したときに怒涛のような勢いで流布された反イスラム宣伝とよく似ている。

当時も、アルカイダがテロを起こしタリバンは彼らをかくまっているから同様にテロリストであるという理屈でアフガニスタンは攻撃された。

アルジェリアの犯行グループをテロリストとするのは妥当としても、マリのイスラム勢力ごと叩き潰すことの正当性がどこにあるのか?

フランスは、マリへの軍事介入を正当化するために、介入後に起きた人質事件を引き合いに出している。

我々の介入は正当化されたとオランド大統領

アフガニスタンのときもそうだったが、マリについてもイスラム勢力の支配がいかに残虐かという記事がフランスのメディアのみならず日本のメディアにも並んでいる。

窃盗容疑で手首を切断されたマリ人、朝日朝刊。

事実なら報道するのはいい。

だが、住民の支持がないとイスラム勢力の統治が広まるはずはない。

人々がなぜイスラム勢力を支持したのかー欧米や日本のメディアは報じない。

イスラムを名乗る勢力を殲滅することは西欧的価値の優位を維持するために許されるというなら、世界は再び9.11の悲劇を繰り返すことになる

犠牲者の少ないことを祈るのみ。

日本人であろうと、なかろうと

2011年に始まった中東での民主化運動、チュニジアやエジプト、リビアで激しかったが、アルジェリアには波及しなかった。

2012年にはアルジェリアで総選挙があったが、1960年代からずっと与党の座にあるFLN(国家救済戦線)が勝利。

その時も、どうしてアルジェリアでは「アラブの春」が起きないのかと、ずいぶん議論になった。

結論的に言えば、

1.90年代の内戦があまりに凄惨な殺し合いであり、その鮮烈な記憶が残る人びとは体制変革が再び殺戮をもたらすと危惧した、

2.石油とガスの収入を公務員や中流層に還元したいわば一方で「飴」を与え、他方で、「恐怖の記憶」を操ることで、ブーテフリカの政権は、隣国での市民運動のうねりを抑え込むことに成功した。

この無言の弾圧は、当初、シリアのアサド政権も同じことを考えていたはずである。

しかし、シリアの市民は、南部のダラアという町で起きた治安機関による子どもの殺害に憤りの声をあげ、それが燎原の火のごとく広がって、今日の惨状に至った。

アルジェリア政府にしてみれば、今回のオペレーションを国際世論が称賛してくれると期待していることだろう。

90年代の泥沼の内戦を制したこと自体、政権にとっては、「イスラム過激派テロ組織」の芽を早くも90年代初頭に摘み取った功績だった。

9/11が起きた2001年より前にアルジェリアはすべて知っていたのだと。

イスラム主義者の台頭はテロをよぶと。

しかし、論理的にも、事実の点からも、これは誤りである。

冷戦の崩壊で、ソ連のタガが外れたアルジェリアでも、複数政党制への移行を可能にする選挙をした。

90年代のはじめ、地方選挙に続いて総選挙を実施したら、イスラム主義者のFIS(イスラム救済戦線)が勝利した。

それをFLN(国家救済戦線)が軍の力を頼りに潰した。

フランスは暗黙のゴーサインを与えた。

国際社会は、この理不尽な弾圧を非難しなかった。

その結果が、悲惨な内戦となったのである。

イスラム主義者の側も、政治闘争では軍に勝てないから、地下に潜伏して激しい武装闘争を展開した。

市民を標的にする殺し合いが、軍部、過激化したイスラム武装勢力の双方によって続いた。

FLNの政権は、治安に絶対的な力をもつ軍にあやつられてきた。

その結果としてのアルジェリア政府と、その軍が、今回の人質事件の当事者なのである。

武装勢力に対して、どう対処するか、それは事件が起きたときから明白だった。

この種の事件について、私には、フランス政府が知らなかったとは思えない。

英国のキャメロン首相が「事前に情報がなかった」と不快感を示したことも、もちろん額面通りに受け取れない(英と仏はともに中東・アフリカを分割してきた植民地統治の主役である)が、英国が知らなくても、フランスは知っていなければいけないのである。

それでこそ、植民地支配を恬として恥じない大国の面目躍如である。

かつて、こういう明確な政治的意図をもって政権を攻撃する勢力は、「反政府ゲリラ」とよばれてきた。

いまや、だれもゲリラと呼ばず、「テロリスト」と呼ぶ。

違和感がある。

ある人物や集団が「テロリスト」と規定されたら最後、誰も、それに逆らうことはできないかのように殲滅される。

テロリストを殲滅するのは一向にかまわないが、問題は、彼らが本当にテロリストなのかどうか、である。

むろん、ガス田で人質となった人たちにとって、彼らがテロリストであったことに疑いの余地はない。

しかし、そのことと、テロリストを育てたのがアルジェリア政権と軍部の残虐な対応だったこととは無関係ではない。

90年代以来、政権と軍が、イスラムを掲げて世直しを計ったFISを、市民の支持によって選ばれたFIS(イスラム救済戦線)を、残酷に力で壊滅させなければ、マグレブのアル・カイダをはじめ、さまざまな名前が取りざたされる「テロ組織」は、アルジェリアでは活動できなかったのである。

イスラム主義というのは、イスラムに従って世直しをして、イスラムに基づく統治をしようとする政治運動である。

市民の多数がそれを望むなら、そうなるだけのことである。

何か、とてつもなく邪悪な政治思想であるかのように思われるのは、アメリカやフランスなどの欧米諸国にとって、都合の悪いからにすぎない。

国家としての米国や仏にとってだけではない。

すでに信仰を捨ててしまった世俗主義者にとっても、神と共に生きるムスリムは、はなはだ目障りな存在なのである。

それはそうだろう。

欧米では、「神」など居場所を失っている。

人間は、なんでも「理性」に従って行動するのがよいとされる。

他方、ムスリム(イスラム教徒)は、決して「神の下した規範」を乗り越えることはできない。

むろん、「戒律」を破るムスリムならいくらでもいる。

しかし、そのことを、どうとらえるかは信徒にゆだねられている。

そして、彼らは、やはりどこかで、「神の示した正しい道」へと回帰していく。

1980年代以降のイスラム復興の潮流というものは、西欧の真似をしてつくった国家の中で生きるイスラム教徒の「生きにくさ」を反映したものだったのである。

「信仰を捨てて欧米の民主主義国家のようになれば可愛がってやろうじゃないか」アメリカもフランスも、実に自分勝手に、ムスリムの諸国家に、そう言い続けてきた。

ムスリムの国でも、アメリカ風になったり、フランス風になった人は数多い。

だが、やっぱり、それは違うんじゃないか、と思う人が増えたその帰結を、今、私たちはエジプトやチュニジアでのイスラム政党の伸長のなかに見ている。

西欧風の国家をつくることにかけては先端を行ってきたトルコでさえ、いまや、「西欧思想に追いつかなければ進歩にならないんだ」という西欧追随をやめてしまった。

だが、こういう現象は、ムスリム諸国が自分で選択したとは限らない。

いいようにアメリカに利用され、いいようにフランスに支配され、いいようにEUにあしらわれたことによって、中東諸国の人々は、少しずつ、ムスリムとしての自覚を新たにしたのである。



(後略)










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他国ヘイト言説をやめよう

今回は特に引用はしないが、今朝のあるブログを読んで非常にがっかりしている。原発問題などでは政府に猛烈な抗議をし、ネット弾圧らしきものとも戦った立派なブログなのだが、問題が中国のことになると、そこが共産党独裁政権である、というだけでほとんど全否定的論調になっているのである。
いったい、この世界に本物の言論の自由があり、民主主義が機能している国や政権があるとでもいうのか。また与党の独裁でない国があるというのか。むしろ、プーチンのロシアのように、独裁に近い政権だからこそNWOやグローバリズムの侵略と戦えている、というのが実情ではないか。

こうした中国共産党否定言説は中国否定言説との区別なく世間に流通し、世間の中国印象を悪化させる役にしか立たない。
つまり、欧米によるアジア分断戦略のお先棒を担ぐ行為なのである。

実のところ、私が愛読し、しばしば引用するブログの大半は、そうした中国嫌悪言説、中国共産党嫌悪言説をするブログが非常に多い。他の点では理性的で尊敬できるブログ主が、この点になるとまるで欧米やユダ金やジャパンハンドラーズから金でも貰っているかのように、他国ヘイト言説をするのである。
そうでないのは飯山一郎老人などほんの少数にすぎない。
何度も言うが、彼らは自分自身、中国共産党や日本共産党から、ほんのわずかでも害を受けたことはあるのか。なぜ自分が直接の関係もない政党や政権をそれほど口を極めて罵倒する必要があるのか。私にはまったく信じ難い態度である。他国民が「独裁政権」下にあるのがそんなに頭に来るというのは、私には理解できない。

念のために言うが、私は議会制度に基づく漸進的社会主義を推進すべきであるという意見の持ち主だが、「共産主義」は、現実には実現不可能なファンタジーだと見ている。つまり、共産主義を否定する者である。しかし、政治制度については、それこそその国民の問題であり、他国の人間がそれを云々する資格は無いし、そういう言説は他国ヘイトの心情を喚起する有害なものだと思う。

また、共産主義はファンタジーであるにしても、国民全員の平等を理想とする理想主義であり、格差社会や身分固定社会において、その対立軸の一方の旗としては有効であったし、今でも有効だと考えている。


なお、蛇足で言えば、

社会主義とは生産手段を国有化することで国民全体の平等を目指す思想、
共産主義とは私有財産まで否定することで国民の完全な平等を目指す思想

である。


つまり、本当の意味での共産主義国家など歴史上存在したことはないのである。





















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鳩山は偉い! 鳩山は凄い!

「晴耕雨読」より転載。ツィッター部分の途中から別話題になるので、そのあたりは省略する。
やはり鳩山由紀夫は偉い。
真の愛国者であり、日本にとっての利益を第一に考えて行動している。そのためには、自分が逆に「売国奴」の罵言を浴びるのも最初から覚悟している。まるで山本周五郎の『樅の木は残った』の原田甲斐である。世の中に、こうした無私の行動、勇気ある行動ができる人間がいることが、私には奇跡のようにすら思える。

何よりも大事なのは、アジアが手を取り合って発展することである。
それをさせたくないのが欧米(特にユダ金)である。
このことを根底に考えれば、すべての錯綜した意見や主張は簡単に一刀両断できる。
何も迷うことはないのである。

しかし、鳩山は凄い。良い意味での「宇宙人」である。我々地球人のレベルをはるかに超えた精神性を持っている。一人だけ先にアセンションしてしまっているようだ。

日本政府の「領土問題は存在しない」は、まるっきりダチョウが砂の中に頭を突っ込んでいる姿である。目を閉じさえすればものは存在しなくなるとでもいうのか。
あるいは差別問題での「用語規制」にも似ている。言葉を消せば現実問題が解決するとでもいうのか。
もっとも、こうした「問題そのものが存在しない」というのは、自分の国(政府)にとって都合の悪い問題が起こった時の政府の決まり文句にすぎないのだが。
しかし、自分たちが事を荒立てておいて、「係争地問題は存在しない」は矛盾そのものである。
問題の存在を認めないで、問題を論じることは不可能だ。
つまり、永遠に日中両国間の争いは残る。
まずは問題の存在を認めた上で、「棚上げにする」というのなら、これは立派な解答なのである。

自民党の政治家たちが早速鳩山の日中友好回復活動の悪口を言っているようだが、日中戦争を起こすことが自民党の使命だとでもいうのだろうか。






(以下引用)



2013/1/18


「尖閣諸島 係争地であることはいうまでもない。だから先人達が係争しないように棚上げしてきた:宋 文洲氏」  憲法・軍備・安全保障

https://twitter.com/sohbunshu

ああ、また売国奴と呼ばれる。

尖閣諸島「係争地認定を」=鳩山元首相。http://t.co/ZIZPZ0lf

係争地であることは、いうまでもない。

だから先人達が係争しないように棚上げしてきた。

石原達右翼が係争地を係争にしただけ。


係争地ではないなら、なぜアメリカの新聞に領有権を宣伝する必要がある。

外交上が「固有領土」というのが分かる。

しかし、係争地ではないならば、中国公船を監視するのではなく、即時に駆逐をすべきだ。

米国は日本領土を守る義務がある。

寝た虎を起こすな。

もっと重要なことが山ほどある。

そんな暇がないはず。

(中略)

日本経済が本当に元気を戻り戻すには、中国との関係を早く、「普通」のレベルに戻すことだ。

日中友好じゃなくてもいいから、せめてこのような不健全な状態から脱出することだ。

----------------------
http://t.co/ZIZPZ0lf

尖閣諸島「係争地認定を」=鳩山元首相が中国側に主張

時事通信 1月16日(水)22時6分配信

 【北京時事】中国を訪問した鳩山由紀夫元首相は16日、北京で賈慶林全国政治協商会議(政協)主席や楊潔※(※=タケカンムリに褫のつくり)外相らとそれぞれ会談し、沖縄県・尖閣諸島をめぐる問題などで意見交換した。取材に応じた鳩山氏は尖閣諸島が「係争地であると互いに認めることが大事だ」との考えを中国側に伝えたことを明らかにした。
 日本政府は領土問題は存在しないとの立場で、鳩山氏の発言には批判が出そうだ。鳩山氏は田中角栄、周恩来両首相が1972年の国交正常化に当たり、尖閣問題を「棚上げ」したとして、こうした「認識」に戻ることが必要だとの考えも述べた。賈氏らは鳩山氏に同意したという。 












(追記) 下記引用記事は「読売新聞」記事だから当然鳩山批判記事になっているのだが、その中からでも鳩山由紀夫の一連の活動が中国の国民感情を大きく和らげたことが読み取れる。つまり彼は素晴らしい成果を上げたのである。
しかし、報道記事の中に記者の意見まで入れるという現在のマスコミ記事は、報道の本質から逸脱しているはずだのに、なぜ誰もそれを批判しないのだろう。まあ、マスコミ自身がマスコミを批判するはずがないのは当然だろうが、せめてネットの中で、その事に大きく声を上げていくべきだろう。




(以下引用)



「30万人」にうなずいた…中国紙、鳩山氏絶賛



読売新聞
2013年01月18日21時13分



 【北京=五十嵐文】18日付の中国主要各紙は、鳩山元首相が南京大虐殺記念館で手を合わせる写真を1面に掲載した。

 日中関係が冷え込む中、中国メディアが日本の政界関係者の言動を好意的に報じるのは異例。安倍政権の対中政策に批判的な鳩山氏を持ち上げ、日本の世論を分断したい考えがあると見られる。

 18日付京華時報は鳩山氏の写真と共に、鳩山氏が歴史問題で「おわび」を表明し、沖縄県・尖閣諸島は「係争地」だとの認識を示したことを「理性的」だと絶賛。新京報も同日付で、「日本国内にも強硬一辺倒ではなく、友好的で歴史を直視する声もある」との専門家の談話を掲載した。

 鳩山氏の今回の訪中が、中国側の宣伝に利用された側面は否めない。鳩山氏は大虐殺記念館を訪れた際、諸説ある南京事件の犠牲者を「30万人」と特定している記念碑での献花は見送っていたが、国営新華社通信は18日、「30万人」との記念館側の説明に鳩山氏が「うなずいた」と報じた。









(追記2)「櫻井ジャーナル」に関連記事があったので、これも転載しておく。日本政府の現在の姿勢がいかに危険なものであるか、これを読めば分かるし、その危険を未然に防ごうという鳩山由紀夫の身を挺した行動がいかに素晴らしいものであるかも分かるだろう。




(以下引用)



2013.01.18


尖閣諸島を係争地だと表現した鳩山元首相を小野寺防衛相は「国賊」だと罵ったが、係争地でないなら中国の航空機が日本の設定した防空識別圏に入れば警告射撃もありえる


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 鳩山由紀夫元首相を小野寺五典防衛相は「国賊」だとBSフジの番組で発言したのだという。尖閣諸島は日本と中国との間の係争地だと中国で語ったからだというが、係争地だと認めないということは、この件に関して中国とは問答無用、「中国政府を相手にせず」ということである。

 日本政府は1895年1月に尖閣諸島を日本の領土にすることを閣議決定、この決定を金科玉条のように主張しているのが小野寺防衛相のような人びと。日清戦争の最中の決定であり、しかもこの決定を日本政府は少なくとも正式には公表していないのだが、そういうことは意に介していない。そして翌年の3月に日本が戦争で勝利、中国/清側は文句を言えない状況になった。その後、中国では他国の侵略を受け、内戦もあって国土は荒廃する。

 中国を侵略していた国の代表格が日本だが、その日本は1945年にポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏する。第2次世界大戦で敗北したわけだ。日本の戦後はポツダム宣言を受け入れるところから始まった。

 そのポツダム宣言の第8条には次のように書かれている。

 「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」

 本州、北海道、九州、四国は日本領として認められているが、それ以外は連合国側が決めるとしている。1946年1月に出された「連合軍最高司令部訓令」によると、日本の領土とは4主要島のほか「対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島等を含む約1000の島」で、竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島などは除かれている。(孫崎享著『日本の国境問題』)

 そしてカイロ宣言も日本は受け入れなければならない。カイロ宣言には次のようなことが書かれている。

 「第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト」、また「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」、そして「暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ」。

 日本が中国人から奪った一切の地域を中国へ返還しろとされているのだが、尖閣諸島は日清戦争のドサクサ紛れに領土だと閣議決定、しかも外部に対しては宣言していない。歴史的な背景を云々かんぬんする以前に、ポツダム宣言/カイロ宣言で日本側の主張は揺らいでいる。少なくとも日本側は中国に対し、「問答無用」と言うわけにはいかない。

 しかし、日本政府は尖閣諸島を係争地でないと主張している。尖閣諸島を自国の領土だと主張する中国の航空機が日本の主張する「防空識別圏」に入ればどうなるのかは明らかだ。その明らかなことを小野寺大臣は1月15日の記者会見で語っている。

記者:「つまり、中国の飛行機が日本のいわゆる領空に入ってきた場合、この警告射撃ということは、ありうるということでしょうか。」

大臣:「どこの国も、それぞれ自国の領空に他国の航空機が入って来て、さまざまな警告をした中でも退去しない、領空侵犯を行った場合、これはそれぞれの国がそれぞれの対応を取っておりますし、我が国としても、国際的な基準に合わせて間違いのない対応を備えていると思っています。」

 尖閣諸島を特別扱いしないことを確認している。当然、状況によっては警告射撃の可能性はあるということ。菅義偉官房長官も16日の記者会見で、国際的な基準に基づいて、尖閣諸島に限らず、一般的に領空侵犯機に対しては、従前通りの厳正な対領空侵犯措置を実施する、と述べている。

 尖閣諸島が係争地でないと主張する以上、警告射撃の可能性があるというのは必然的な結論。係争地でないとする主張が軍事衝突、戦争の勃発を引き起こしかねないことを再確認させる記者会見だった。














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アルジェリアの虐殺事件

このニュースは、今朝のNHK朝のニュースではまだ流されていなかったと思う。6時45分配信だから、この後、緊急速報として流れるのかもしれないが、私は今朝は7時のニュースの一部しか見ていないので、その前に流れた可能性もある。
しかし、こうした人質事件でいつも思うのは、外国の政府というものは人質の生命などほとんど考慮しないということだ。
おそらく、軍の「救出部隊」は、犯人と区別などせずに、人質も銃射したのではないか。もちろん、「死なばもろとも」で犯人たちが人質を先に殺し、その後で軍によって射殺されたという可能性もあるが、普通の頭で考えれば、人質は立て籠もり犯の命綱なのだから、それを自ら殺すことはまずしないだろう。するにしても、自分たちの覚悟を見せるために、一人ずつ「見せしめ」に殺すはずだ。
今回の場合は、軍の「救出作戦」によって人質も一緒に射殺されたと私は見ている。
つまり、「救出」する気は最初から無い、ということだ。それが外国での人質事件ではよく見られるパターンである。
もちろん、犯人側の要求を飲めば、それが「悪しき先例」になって、また同じような事件が起こるから、こうした「断固とした処置」こそが正しいのだ、というのが「やる側の論理」だが、それで殺された人質たちとしては、今後のことよりも自分たちの命を救ってほしかっただろう。
もちろん、私はこの犯行を肯定はしないが、こうした「人命が軽視される世界」というものには疑問を持たざるをえない。
この立て籠もり事件の詳細はこれから出てくると思うが、動機は隣国マリでの政治動乱と関係があるようだ。例によってさまざまな真偽入り乱れた情報が溢れ出てくるだろう。
通常の人間から見れば海外で工場プラントを設置するなどの仕事は、その国にとっては自国の産業発展に寄与してくれる恩人なのだから、その類の外国人を人質に取ったり誘拐したりするのは理解しがたいだろうが、資源輸出国の底辺の人々から見れば、そういう外国人は全部、自国資源の収奪者の一味、と見られているのではないだろうか。つまり、こうした「テロリスト」は、ある意味ではグローバリズムと戦っている、という見方もできるような気がする。
もちろん、だからと言ってテロリズムを容認するわけにはいかないが、しかし、彼らの戦いの動機くらいはぜひ知りたいものである。というのは、彼らの側から流される(信頼できるような)情報はまったくと言っていいほど無いからだ。
なお、アルジェリアはかつてのフランス植民地である。ということは、独立後の政権はすべてフランスの傀儡政権であろう、と私は推定している。






(以下引用)





【アルジェリア法人拘束】日本人2人含む人質30人死亡




産経新聞
2013年01月18日06時45分



 【カイロ支局】アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で日本人ら多数がイスラム武装勢力に人質として拘束された事件で、ロイター通信は17日夜(日本時間18日早朝)、同国治安筋の話として、日本人2人を含む人質30人がアルジェリア軍による人質救出のための攻撃の過程で死亡したと伝えた。

 同筋によると、死亡した人質のうち、8人がアルジェリア人で、少なくとも7人が外国人とされ、日本人2人と英国人2人、フランス人1人が含まれているという。

 また、国営アルジェリア通信は、軍による救出作戦が17日夜(日本時間18日未明)に終了したと報じた。







(1月19日追記)「産経ニュース」より転載。銃射ではなく爆撃だったようだが、「人質もろとも犯人を殺す」という推測は当たっていたようだ。それにしても他の新聞などではこうした記事(人質の人命無視の暴圧作戦の実情)は出ていないようだから、産経系列はこの事件では頑張っている。




【アルジェリア邦人拘束】

「人質を乗せた車両は爆撃された」 現場逃れた男性が証言 拙速な作戦で多数の犠牲者?
2013.1.18 11:19 [中東・アフリカ]

デジタルグローブが撮影した、アルジェリア南東部イナメナスのガス田施設=2012年10月8日(AP)
 人質を乗せて施設を出発した5台の車列のうち4台が、アルジェリア軍に爆撃された-。アルジェリアの天然ガス関連施設で起きた外国人拘束事件で人質になり、九死に一生を得て現場を逃れたアイルランド人男性が生々しい現場の状況を家族に証言、その内容をロイター通信が報じた。

 「彼ら(犯行グループ)は5台の小型四輪駆動車に人質を積んで施設を出た。まさにそのとき、アルジェリア軍に行く手を遮られた。5台のうち4台が爆撃されて車は大破した」

 男性の乗った車両も損壊して停止。爆撃された他の4台については「乗っていた全員が恐らく死亡したと思われる」と語った。

 男性はまた、「人質たちは口にテープを張られ、首に爆弾をぶら下げられていた」とも家族に証言したという。男性がその後、どのように脱出したかは明らかでない。

 アルジェリア軍による制圧作戦では、どのような攻撃が行われ、何人の人質がなぜ犠牲になったのか、詳細は不明のままだ。男性の証言通りだったとすれば、拙速な作戦で多数の犠牲者が出たとの批判が高まる可能性がある。









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人から学ぶということ

「日本の独立を目指して」というブログから転載。
私はマスコミによる未来予測はまず信じないが、素人や市井の人の言葉には耳を傾けることが多い。聖書でも、「預言」は神から「普通の人」に「預けられる」のである。だから「預言」と言うのだ。預けられる方は、それで迫害を受けたりするから、ヨナのように迷惑がることも多い。
今はネット上で、匿名で書けるから、多くの未来予測の言葉が多い。それらが「預言」か、ただの妄想的「予言」かは、読む側で判断すればいい。つまり、読む側のレベルによって、それらの未来予測は役に立つこともある、ということである。専門家の言葉しか聞かないという人は、自分の判断力を最初から捨てているわけだ。

学ぶということについて、少し述べてみる。
私は中学校に入った最初の頃、数学で理解できないところがあったが、クラスでは劣等生の部類とされていた同級生から説明されて理解でき、その後はまずまず上位の成績を取るようになった。
自分の分からないことを少しでも知っている人間なら、その事に関しては誰でも自分の師になりうる、ということである。
たいていの人間は、自分より普段の成績評価の低い人間から学ぶということは最初から考えないようである。つまり、劣等生、優等生という考えに凝り固まっていることが多い。これは愚かしい習慣である。
優等生・劣等生と大雑把に分けることはだいたい有害なものだ。優等生当人にとっても、自惚れから性格を悪くしがちである。もっとも、学校という場所は生徒に優劣をつけるのが仕事みたいなところがあるが。
ついでに言うと、「劣等生」の方が、相手が「何がどう分からないのか」が分かっているだけに、自分が理解したことについては分かりやすく教えることができるので、良い教師(教え手)になるものだ。だから、教師による一斉授業よりも、同レベルの生徒同士で教え合う方が、生徒の能力は向上するはずである。
教えるとなると、丸暗記の知識だけでは相手を納得させられないから、教える側も「正解の根拠」を考える必要が出てきて、知識や理解はいっそう深くなるのである。教わる方も、教師に聞くより聞きやすいし、同級生とも親密になれる。
「ゆとり教育」を見直すとか言って、学習時間だけを長くするよりも、教育方法のこうした盲点、つまりあまり意識されていない部分をもっと考え直す方がいいだろう。

さて、例によって引用記事とは無関係な前説になったが、下記記事の未来予測は、だいたい納得できるものに思える。ならば、この予測を自分自身の今後の活動の参考にすればいいわけで、ネット周遊にはこうしたメリットもある、ということである。


(以下引用) *誤字や誤記らしきものの一部を失礼ながら注釈訂正してある。誤字誤記指摘が細かいのが厭味かもしれないが、書いている内容には大賛成だし、示唆されるところも多いのである。だからこそ引用もしたわけだ。そもそもネット上の文章の国語的正確さなど、ほとんどの人は気にもしないのだから、下記ブログ筆者も鷹揚に構えていいのである。私が誤字や誤記が気になるのは、過去の仕事からの職業病みたいなものだ。また、一部に余計な「突っ込み」を入れているのも、悪意からではない(単なる面白がり)であるのだが、悪意と思われる可能性もあるので、先に謝っておく。




2013/1/14
「大愚の当たらない大予想」  

実物経済に戻る

これを芸術にもどすとどうなるか

工芸の隆盛である

抽象絵画。ポロックやラウシェンバーグなどのインチキ連中はちょうど金融工学のインチキと似ている

抽象化してこれがいいと強弁すれば価値が生まれる、という構造である。金融工学がマスコミででたらめを垂れ流す経済学評論家とペアになっているのと同じで

これらの現代芸術なるものは芸術評論家の口から出まかせ理論とセットになっている。

音楽ではどうか。

ジョンケージのどのなんかわからない音楽とこれまと評論家とセットになっている。

このようなインチキ抽象概念は2008年に死滅した

抽象化が人間に耐えられないものであることがわかったのだ

料理もそうだ。マクドナルドに代表される栄養成分主義は死滅した。食った人間が病気になったのである。大量生産農作物はこれから死滅する

医療もそうだ、生存率主義はちょうど利益率主義にあたるが、これも死滅する

幸福度で表現しなくてはならぬ。QOLが医療の結果として重視されるようになった

正気が戻ってきた

また都市に緑と虫と鳥を戻そうとしている

文明とは、虫のいない生活のことであった。カに刺されるのが嫌でインカは山へ逃れた。ローマは風呂と水道の求心力だ。(夢人注:?)アメリカは電気洗濯機と冷暖房だ

でもアレルギーが増えてきた。非特異抗原刺激の上で病原体を抑え込んでいたものが、非特異抗原暴露(夢人注:「曝露」か?)がなくなったので、過剰自己免疫が起こるようになった

過剰清潔のたまもの(夢人注:「たまもの」は有益なものを含意するので、皮肉の意図でなければ「結果」くらいがいい。)である。

いまや発酵食品のおお流行りだ。たとえば黒酢。あれは亀(夢人注:「甕」か)に原料を入れてほおっておくと巣(夢人注:「酢」か)になる。つまり大気中のカビである(夢人注:「亀に原料を入れてほおっておくと巣になる」というのは、何かシュールでグロテスクなイメージがあって面白い。)

ワインはどうか。地方に自生するカビと、ブドウをふんづける足のカビの混合物だ。だから名産のワインは土のにおいがする。安物のステンレスボトルで発酵させたものにはそれがない

さけはどうか?酒は造り手と天候次第である。ロット差が大きいが(夢人注:?)それでもそれを楽しむ。人の苦労をしのんで飲む

コメも同じだ、野菜も同じ。人の苦労が価値の中心に入ってきた。

そう、等価交換(夢人注:なぜ「等価交換」? 「実物経済とは等価交換が原則だ」ということだろうか。)と制作者(夢人注:「製作者」がいいが、「製造者」の方がもっといい。)への感謝がキーである

料理も産物も工芸品も食べ物もなにもかも感謝する相手を探しているのである。奪う奴やだますやつや抜け駆けする奴にはもう飽き飽きしているのだ

つまり西欧の500年の機能主義パラメータ主義に飽き飽きしているのだ。





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嫌な現実に目を閉じさえすれば生きるのは容易、か?

私の母が何かの機会に言った言葉で、今でも覚えているのが二つある。
それは「見ぬもの清し」と「我がサミ(かさぶた)や、かぎ(美しい)サミ」という言葉で、後者は沖縄か宮古島のことわざかと思う。どちらも実に皮肉な言葉で、ラ・ロシュフコーばりの冷徹・冷厳な人間観が底にある。
前者は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」に少し似ているが、それよりも、「心ここに在らざれば、見れども見ず、聞けども聞かず」(一般には「見れども見えず、聞けども聞こえず」として知られている。)の方に近いか。しかし、それよりも短くて、鋭い箴言である。この言葉は二つの解釈ができる。一つは、我々は自分の目の前のものに何の根拠もなく信頼を置くが、それが信頼に値するとは限らない、ということ。もう一つは、我々は自分が見たくないものは存在しないものとして自分自身を騙しながら生きることが多い、ということだ。
後者(「我がサミや……」)は、言うまでもなく、人間の自己愛をからかった言葉である。「我がものと思えば軽し 笠の雪」という俗な俳句にどこか似ている。自分に関するものは何でもよく見え、他人のものには嫉妬し、見下したがる、というのが通常の人間性である。
こういう言葉を言う私の母親であるから、リアリストではあったのだが、弱者への同情心は非常に強かった。私の反権威主義や、常に自分を弱い者、劣った者の側に置いて考える性向は、あるいは母親からの遺伝かもしれない。父親の方はというと、西郷隆盛の大ファンで、「敬天愛人」の額を家の鴨居に懸けるような夢想的博愛主義者であった。
子供の頃は、そういう両親の良さを知らなかったし、どちらもとっくに死んでいるのだが、まあ自分の中にその両親の血が流れていることは、嬉しいことである。

さて、何だか個人的回想になってしまったが、これは下記記事の前置きなのである。
要するに、最初に書いた「見ぬもの清し」が、下記記事の除染活動を一言で言ったものだ。
つまり、除染など最初から不可能だし、除染した土を捨てる場所もあるはずがない。
であるから、とにかく「やったふり」をしていればいい、というのが政府の福島原発放射能汚染対策であったというのが事実なのである。
良く使われる比喩で言えば、「敵から隠れたつもりで頭を砂の中に突っ込んでいる駝鳥」というのが現在の日本政府と日本国民の姿であるわけだ。
で、ほとんどの日本国民は「放射能汚染など存在しない」、というふりをして、見たくないものから目をそむけつつ、個人の日常という砂の中に頭を突っ込んで生きている、というわけである。





Living is easy with eyes close……(ビートルズ「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」)







(以下「阿修羅」から引用)



除染で汚染物不法投棄 ゼネコンの底知れぬ悪意と腐敗 (とある原発の溶融貫通(メルトスルー)) 
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/656.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 1 月 10 日 14:54:00: igsppGRN/E9PQ

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6856502.html
2013年01月10日09:59 とある原発の溶融貫通(メルトスルー)

■捨て場所がないので川に
福島県内などで行われている除染作業で、汚染された土や枝葉、水などを日常的に、川などに不法投棄していた。除染作業を受注した元請けのゼネコンは「指示はしていない」と否定するが、現場作業員からは「不法投棄は日常的」とする声も聞こえる。

■汚染土、汚染水、枝葉も
福島第一原発事故により飛び散った放射性物質を除去するいわゆる「除染」は、大手ゼネコンが受注。その後、2次、3次の下請けに回す形で作業が行われている。
作業については、環境省が細かいガイドラインを定めている。建物を洗浄する際には、下にブルーシートを敷いて水を受け、たまった水はポンプでくみ取り、浄化装置で処理する。
枝葉はフレキシブルコンテナバッグと呼ばれる専門の袋に入れ、仮置き場で管理する。
はぎとった汚染土壌は、やはりバッグに入れて、市町村などの提供する仮置き場に置くことになっている。
ただ、現場ではこういったガイドラインは全く守られていない。毎日新聞の取材によると、そもそも仮置き場が不足しているため、日常茶飯事になっているという。
■大手ゼネコンは指示を否定
今回、汚染土壌を不法投棄したとされるのは、田村市、楢葉町、飯舘村で行われた除染作業。担当するのはそれぞれ、田村市が鹿島JV、楢葉町が前田建設工業、飯舘村は大日本土木。
それぞれの大手ゼネコンは、「不法投棄するよう指示していない」と回答しているが、常識的に考えれば、仮置き場が足りないことは知っていたはずだ。
どう対処するのか、指示、監督する責任を負うべきであり、下請けのせいにして逃げるのであれば、国と現場の間に入って「ピンハネ」している企業として、最低限の仕事すらする気はない、ということになる。
■除染はゼネコンのため
そもそも除染活動は意味がない。除染しても、時間経過とともに線量が戻ることは、各地で報告されている。セシウムなどの放射性物質は、風や雨にのり、常に移動しているためだ。
昨年10月、みんなの党の柿沢議員がウクライナを視察した際、当時の非常事態省副大臣、ボリス・プリステル氏が、チェルノブイリ事故の影響を説明。
同国では、事故直後から4年間にわたり、巨額の費用と軍隊を投入して、除染活動を行ったが、全く効果はみられなかった、と語り、日本は同じ間違いを犯すべきではない、とアドバイスしている。
除染はもっぱら、ゼネコンに血税を吸い上げられるだけで、何の効果も生まないことは明らかだ。さらに除染モデル事業を実質的に仕切ったのは、今回も問題となっている鹿島JVの他、大林組、大成建設の3社だ。
3社は原発建設受注でも、トップ3を占める。国内57基の原子炉建屋の受注実績は、鹿島24基、大林組11基、大成建設10基となる。
原発を作り、事故が起きれば、無意味な除染を受注。さらに手抜きまで行って利益を増大させる。原発ムラに連なるこういった企業にいかに対応するか、安倍新政権の手腕に注目したい。









(1月17日追記)「晴耕雨読」に同じ話題についての記事が出ていたので転載しておく。私も相田みつをは嫌いなのだが、その理由は、「何でも肯定的に見ることは、現状への批判心を眠らせ、世の悪を温存する結果になる」からである。「悪があったっていいさ。人間だもの」というわけである。これが世の権力者や支配層にとってどんなに都合のよい大衆心理であるか、気づかない人が(相田みつをファンはもちろんだが)案外多いのである。ついでに言えば、相田みつをのあの「下手ウマ字体」も「狙って作った素朴さ」という厭味と臭みがあって私は嫌いである。



(以下引用)


2013/1/16


「室井佑月氏 「手抜き除染」問題は「にんげんだもの」に似ている〈週刊朝日〉」  世界経済のゆくえ

室井佑月氏 「手抜き除染」問題は「にんげんだもの」に似ている〈週刊朝日〉 投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 1 月 15 日 から転載します。

週刊朝日 2013年1月25日号

 作家の室井佑月氏は新年から「手抜き除染」の記事を読んで、「なぜか『相田みつを』さんの『にんげんだもの』という言葉を思い出している」という。

*  *  *

 1月4日、朝日新聞朝刊のトップ記事は、「東京電力福島第一原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水の一部を現場周辺の川などに捨てる『手抜き除染』が横行していることが、朝日新聞の取材でわかった」というものだった。

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 作業員いわく、「計測地点周辺だけきれいにすればいいと指示された」だって。

 ってことは、汚染物質のたかが移動に、この国は6500億円もの金をつぎ込むのね。だったら、その金を地元の人々に直接渡したほうが良いんではないかとあたしは思う。

 どうせ国は国民に本当のことを教えてくれないし、どうせ国民の一人一人の命や健康なんてつまんないことだと考えているんだろうし(今回、計測地点だけきれいにしろって指示されていたってことからしてもわかるじゃん)、だったらできる限りの金を渡してくれて「自分で考えろ」っていってくれたほうが親切というものだ。

 相田みつをさんの「にんげんだもの」。どういう内容の詩だったか気になって、きちんと調べてみた。

――つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの くるしいことだってあるさ 人間だもの まようときだってあるさ 凡夫だもの あやまちだってあるよ おれだもの――

 なんかやっぱり、あたしはこのニュースにピッタリの詩だと思う。絶対に安全だっていってた原発で事故が起こった、にんげんだもの。事故の収束上手くいかない、人間だもの。放射能の被害が出たらどうしよう、凡夫だもの(超人じゃないって意味)。

 ただ、相田さんは、そんな弱くておろかな人間だけど、反省して前を向いて行こうと、詩の中で訴えかけている。この国の一部の指導者の心根とは、真逆。

「あやまちだってあるよ おれだもの」の次は「まあ、いいか。被害を受けるのおれじゃないもの。おれだけ良ければそれでいっか」。そんなもんなんだろ?


コメント


01. 2013年1月15日 19:09:40 : GCziX3ujBY
にんげんだものというより、無責任・いいかげん・どうでもいいが団子になった結果でしょ。

02. 2013年1月15日 19:15:53 : 90iotVfajo
効果のない”除染”なるものに使う金はこの日本にふんだんにあるということだ。

しかし生活者に回る金はないらしい。


03. 2013年1月15日 19:26:11 : Pj82T22SRI

>汚染物質のたかが移動に、この国は6500億円もの金をつぎ込む

除染とは、そもそも、「汚染物質のたかが移動」

どうせ時間が経てば自然放射線以下になるような無意味なことに人やモノを回すのは止め

必要不可欠なインフラ整備や、それに関連した失業訓練などを最優先に行う方が、余計なインフレも抑えられるので遥かによい


04. 2013年1月15日 19:26:22 : 0obSollhXY
いや。おれは最近、歳のせいで目がわるいものだから、「にんげんだもの」を「けだものだもの」と読み違えた。われながらはっとして、よくみると「にんげんだもの」だった。ほっとした。

――つまづいたっていいじゃないか けだものだもの くるしいことだってあるさ けだものだもの まようときだってあるさ けだものだもの あやまちだってあるよ おれはけだものだもの――

相田みつおって三流のパスカルみたいな短文を書くひとだけど、あれだね、銀行の支店長室なんかに飾ってるのをよくみるね。
けだものだもの。か。(ぷっ)



05. 2013年1月15日 19:40:25 : GCziX3ujBY
>>04

相田みつおを感性が好きな人と嫌いな人がいる。
私は嫌いで、皮膚の表面がムズムズする。気色が悪い。
支店長室とか、零細・中小企業の社長室とかによく飾ってありそうな相田みつを。
高速道路の土産物屋とか、道の駅で色紙を売ってそうな相田みつを。

この感性に感動しちゃう人って、俗っぽいのが好きな人だと思うよね。
昔、「一杯のかけそば」に感動して国会で紹介しちゃった議員がいたが
(たしか公明党のガハガハ・ゲハゲハしたオヤジ議員)、
そういう単純な粗い感性。


06. 2013年1月15日 19:41:31 : GCziX3ujBY
>>05 訂正

× 相田みつおを感性が好きな人と嫌いな人がいる。

○ 相田みつおの感性が好きな人と嫌いな人がいる。


07. 2013年1月15日 19:43:02 : w18f1GkoJs
「自己中」だものって言った方がいいかも。「俺は俺のために偉くなったのであって、国民なんか、ホントはどうでもいいんだよ」っていうような奴が多いようだ。

08. 2013年1月15日 20:57:06 : I0wUTwXRRk
問題は原発の安全性を力説する者が結局作業は下請け任せで直接作業には関わってないという事だ。
つまり彼らの安全性は天気予報レベルであるという事だ。
こんな体制で原発再稼動、無論原発増設などもっての他だ。
政府と東電は未だに原発の安全性に責任を取ってない!下請けに聞いてくれ状態なんだ。
事故が起きても隠蔽しかしないのにどう安全だと信じれるのか?ふざけないでくれ。
東電社長の、あの謝罪は何だったんだ?政府は事故後に一体何のどんな対応をした?
結局、何にもやってないじゃないか!経産省も東電も少しは真面目にやってくれよ!
被災地の農家を、作業員を、何だと思ってるんだ!これじゃ中国、北朝鮮云々を言えないだろ?同レベルですやん。

09. 2013年1月15日 21:53:45 : 0obSollhXY
高校の体罰問題もそうだ。
ハシシタあたりが体罰禁止なんていってるが、今回の高校生の自殺は体罰が問題なんじゃない。
体罰から逃れるにも逃れようが無いという日本の閉塞した社会のあり方が問題なのに、なぜかそれを問題にせず、体罰自体が原因のようにマスゴミがはやしたてる。
そうじゃないのだ。
体罰はたしかに悪いが、それよりも体罰をさけるような方向に進むにも世間の狭さゆえにどこにも逃げ場がなかったことが問題なのだ。
その意味では両親も、仲間も体罰以上の「悪」なんだ。
クラブ活動をやめる事ができないような空気。学校に訴えることもできないような空気。どこにもだれにも相談できない空気。このような現代日本の閉塞した空気が問題であるのにだれもそれに言及しないで、
むしろそれを隠蔽するために教師にすべての責任をおいかぶせる。
体罰なんかむかしからいくらでもあった。
自殺するまでに至るには体罰以上にそこから逃れることのできない世間全般のがんじがらめの空気にこそ問題があるのだ。

10. 2013年1月15日 22:02:55 : FMdMRKf5Fw
09〉さんに賛同します。
体罰・自殺問題に、まともな論評を初めて接しました。

11. 2013年1月15日 23:08:31 : RxJtylE7p6
10さん同様、09さんの意見に賛同。

12. 2013年1月15日 23:24:49 : RxJtylE7p6
それで、100万年殺人廃物の製造湯沸かし器ってのは、設計者の段階では、トラブルにはこうしてああしてと、その人の中では出来るだけ手を打った設計をする(した)つもりで出すんだそうだが、結局現場の作業には、あろうことか職人が入れずに、素人に近い現場作業員が、複雑怪奇な図面に対応できずに、とんでもない低レベルで作業するんだって、現場監督の方が経験談を語ってた。
移染作業でも、指示者と作業員が乖離してるし、そもそも建設の現場からしてそうだってんだから、あの殺人機械ってのはとことん性質の悪い厄介もんだ。

一つの暴力の権現にたいな存在だから、暴力団体よろしく巨額を動かしやがりますから、どうしても麻薬同様の中毒者が出現しちまう。いわゆる既得権益、利権って麻薬だ。移染にしても、原発ってやつにしても、その中毒症状から、この国の人間は解脱できない、したくないってんなら、残念ながら滅びが待つだけだ、我々は。

自分だけは得したい、他人を押しのけても、というのが大陸型の強欲だが、この国は、自分だけは損したくない、という強欲の国民性だ。だから、みな一斉に止める以外には世の中が変わりようがない。ほんの一部の人間は、自分が持っているものを失っても、子孫のため、他者のためならいいと考えるが、またそんな人々をあざ笑うから始末が悪い。せめて干渉しないでおればいいが、どっか己の内面で後ろめたいのは自覚があるせいだろう、揶揄し、罵詈雑言を浴びせずには落ち着いていられない(というのが工作員の適正というか、性分ということか)。

これだけゆがんだ国民が多数となれば、全ての人間は自滅以外の方向性しか持てない、これは真に悲劇だ。


13. 2013年1月15日 23:28:52 : MpRTrXYSR2
蕎麦屋のトイレではじめて相田みつおの色紙を見たとき、
「づ」にゴミがついていて「が」に見えた。

「つまがいたっていいじゃないか にんげんだもの…」
なかなか粋なことをいう人だなと思ったが、
その後、本物を知って気持悪くなった。

この蕎麦屋の主人はみつおのファンらしく、店内所狭しと彼の言葉が並んでいて、蕎麦を食いながら説教されている気分になるので、この店に行くのをやめた。
蕎麦は旨かったのに残念だ…。

相田みつおと金子みすずは反吐が出る。


14. 2013年1月16日 00:23:37 : 90iotVfajo
人間がけだものより倫理的に優れているということはない。

人間は人間同士殺しあう。それも組織的に大量に。ほかにそんなにばかなことをする種はない。

ナニに関しても普通の動物は普通発情期以外は発情しない。生殖に適した時だけ発情する。人間は男も女も年がら年中発情している。(これには人間の生長期間がやたらと長いということに適応したもの)

まるでけだもののようにという表現は大笑いである。


15. 2013年1月16日 05:06:06 : KZWsL1KpwQ
『流石は<平成の和泉式部・室井佑月様>、事態の本質をやんわりシャープに提示していますねぇ。』

<相田みつを氏>の色紙の言の端を比喩として持ち出すなんざぁ、お見事!としか言いようがない。
そもそも<相田みつを氏>は詩人でも書道家でも思想家でも無い、単なる<レタリング作家=書道の丸文字作家>でしかない…と私は思っている。
<相田みつを氏>の言の端は、言ってみれば、大昔の<武者小路実篤氏>の「仲良きことは美しき哉」「君は君 我は我なり されど仲良き」なーんて、訳のわかんない、体制温存・予定調和・ガス抜き文言と似たようなモノに過ぎないのである。

とは言え、<相田みつを氏>自身がそうした政治的な意図をもって活動していたかって問われれば、そうではないでしょう?と言わざるを得ない。
恐らく、<相田氏>は元来が‘僧侶=仏教家’であると思われるから、その道に沿って行動・表現したのであろう。が、それが<自己保身・既得権益族=広告媒体>の餌食になってしまったってことさ。

だから、<13~MpRTrXYSR2 様>が『相田みつをと金子みすずは反吐が出る。』と仰る根源は、芸術的創作者が“権力構造&広告媒体”に“身を売る”ことに対する「嫌悪感」にあるって私は思う。
創作者ご本人も版権継承者も、銭金の問題はさて置いて、よーく熟慮した方が今後の御身のためでっせ?


16. 2013年1月16日 07:26:35 : EYHTwT0u8w
私は震災直後の怒涛のような『ぽぽぽぽーん』もキライです。
でもうちの両親はほとんど民放を見ないので、震災後しばらくはずっとテレビをつけていたらしいのに『ぽぽぽぽーん』を知らないらしい。

事件後の周辺取材で犯人について、道で会ったら必ず挨拶してくれるいい人なのに、みたいな。
暴力教師は学校内外で挨拶しないのかな?殴られてもいいんだな?って許可とってる。ぽぽぽぽーん

一生かけたって使い切れないほど蓄財してもいいじゃないか、にんげんだもの。
そのためにどんな手使ってもいいじゃないか、にんげんだもの?












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2月15日午前10時には空を見上げよう

「in deep」から転載。
数日前の記事だが、2月15日まであとちょうどひと月なので、掲載するのにいいタイミングかもしれない。もてない青少年の中には、どうせなら2月14日が地球最後の日であればいいのに、と思っている奴もいるかもしれないが、そうはうまくいかない。人生最後の屈辱を味わった翌日に、人生最後の日が来るかもしれないわけだ。
まあ、地球にはぶつからないだろうと予測されているのだが、なにせ月よりも地球に近いところを通過するのである。そう計算どおりに行くかどうか。少なくとも静止衛星にぶつかり、その破片と共に地上落下、そしてその衛星破片や石片のどれかが、あなたの家にちょうど落っこちてきて、あなたにとってのこの世の終わりになるという、「ド※ー・ダー※」みたいな展開もありうるわけだ。
元記事には画像や図表も掲載されているので、興味のある方は元記事へどうぞ。

グリニッジ時で19時25分が最接近なら、日本時間なら9時間前の10時25分が、あなたの人生最後の時かもしれない。もちろん、静止衛星とはその前にぶつかるかもしれないから、その数時間前からカウントダウンしつつ空を見上げているのもいいだろう。晴れてさえいれば午前10時ごろの冬空は美しいはずだ。




(以下引用)


しかし、今回は別のニュースをご紹介します。

まだ少し先ですが、2月15日に地球から非常に近い場所を通過していく小さな小惑星のことを書きます。


なぜかというと、この小惑星のコースが「当初想定されていた距離よりどんどんと近くを通過する軌道となってきている」からです。







近年では最も地球の軌道圏内の近い場所を通過していく小惑星「2012 DA14」


2月15日に地球をかすめる小惑星は「2012 DA14」と名付けられたもので、地球に近い場所を通過することはもともとわかっていたものですが、問題は「そのコースが想定とズレてきている」ということのようです。

下の表は スペースウェザー のページ下段に日々更新されている「地球の近辺を通過する小惑星」の表です。NASA が軌道を把握しているものに関しては、すべて載せられます。




上で赤く囲んだ「2012 DA14」というのが今回書いている小惑星で、大きさは「約 58メートル」と、小惑星としてはかなり小さなものです。通過する距離は、上の表で「 0.09 LD 」と書かれてあるのが距離なんですが、この「 LD 」という単位は、月と地球との距離を「1」としたもので、月と地球の距離は約 38万 4000キロメートルですので、目安として、

1LD = 38万キロメートル

ということでよろしいかと思います。

なので、2月15日の「小惑星 2012 DA14」が通過していく距離はまあ、大体地球から3万キロメートルくらいのところを通過していくということになっていたのですが(これはこれで地球の地殻を通過する小惑星としては非常に近いです)、今朝の「ロシアの声」のニュースで下のようなものがあったのです。





40m級の小惑星DA14、2月15日に地球に接近
VOR 2012.01.12




2月15日に地球に接近する40m級の小惑星2012 DA14の軌道が以前考えられていたよりも遥かに地球に近いことが分かった。最新の研究結果によれば、当初予測より 800kmも地球に近い。

天文学者らによれば、この小惑星の軌道は地球の軌道と交差する。

この小惑星の直径はおよそ45m、重量はおよそ13万トン。万一この規模の天体が地球に落下した場合に発生するエネルギーはTNT火薬2.4メガトンに相当する。しかし現在のところ、計算によれば、地球への衝突の可能性はない。

小惑星2012DA14はグリニッチ時で2月15日19時25分、地球に最接近する。




ということで、刻々と軌道を変化させてきている 2014DA14 ですが、地球に直接影響のあるコースをとる可能性はないでしょうが、ただ、今の予想されるコースの時点で、すでに地球から打ち上げられている「静止衛星などの衛星」に影響を与える可能性が出てきているとはいえるようです。

ちなみに、そのあたりの宇宙空間には私などが想像していた以上に「地球から打ち上げられた物体」が多く、Wikipedia の地球周回軌道によりますと、下のようになっているようです。




地球周回軌道

地球周回軌道とは、月や人工衛星のように地球の周囲を周回する軌道である。

現在、約2,465個の人工衛星が地球の周囲を回っており、6,216個のスペースデブリがゴダード宇宙飛行センターによって監視されている。

またこれまで16,291個を越える物体が地球から打ち上げられ、地球の大気圏内で燃え尽きた。




そのことと、あとは2月15日の当日の予想軌道を示した図を載せた記事がガーディアン・エクスプレスというメディアにありましたので、ご紹介しておきます。

記事にある NASA の説明によると、これほど予測からのコースを変えてきているのは、「重力による軌道のパターンの変化」とのこと。なので、重力の影響次第では、さらにコースを変える可能性も排除できないと述べています。

ここからです。


--------------------------------------------------------------------------------


Asteroid 2012 DA14 will Flyby Us In Medium Earth Orbit: NASA
The Guardian Express 2013.01.07


NASA によると、小惑星「 2012 DA14」は、地球の軌道内を通過する


地球の近辺を通過する軌道を持つ小惑星 2012 AD14 は、2013年2月15日に地球に最も接近するが、 NASA の「地球近傍天体プログラム ( NEO ) 」によると、その小惑星の軌道から計算すると、地球の静止衛星などに影響を与える可能性があるという。

NASA は「この小惑星が地球に衝突するというような直接的な影響についての可能性はない」ことを明言したが、ただ、 重力による小惑星のコースのパターンのさらなる変化についての可能性は、排除できないという。

NASA によると、2月15日にはこの小惑星は地球から 約 33,000キロメートルの地点を通過するとしているが、地球から約 42,000キロメートルの上空には、地球の軌道を周回している静止衛星があり、赤道上空の約 35,000キロメートルにも静止衛星がある。

下図は NASA のジェット推進研究所のシミュレーションの当日の通過コースの予測。





地球上空 2,000キロメートルまでの低軌道(LEO) から、高度が22,236キロメートル以上の高軌道(HEO) の間には、数多くの地球から打ち上げられた物体がある。それらに影響がないとは言えない場所を小惑星は通過する。


この小惑星 2012 DA14 の直径はおよそ 45メートル、重量はおよそ 13万トン。万一この規模の天体が地球に落下した場合に発生するエネルギーは TNT 火薬 で2.4メガトンに相当する。

NASA によると、現在の計算では最大地球に近づいた場合で、地球の赤道上空の約 27,000キロメートルの位置まで接近する。


--------------------------------------------------------------------------------


(訳者注) 最初のほうに「ひとつひとつの記事を短めに」って書いておきながら、あまり短くはなってないですね。

どうも効率的に記事をまとめられないです。




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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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