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米国は「今は」日中戦争を望まない?

「2ちゃんねるDAYS PLUS」から転載。
どうやら風向きが少し変わってきた、というか、安倍総理が最初から現オバマ政権の意向を読み違えていたというか、ジャパンハンドラーズが実は米国現政権とは(少なくとも地位的・指示系統的には)まったく無関係な利益集団であるにもかかわらず、安倍政権は彼らに踊らされて一生懸命無駄な働きをしていたか、まあ、最後のあたりが一番可能性が高いのではないか。
つまり、軍産複合体というのは確かに存在するし、米政権はその意思を体して動くことも多いのだが、必ずしもそれだけでも無く、場合によっては別の事情を優先することもあるのだろう。当たり前と言えば当たり前ではある。しかし、日本の右翼的政治家は米国軍産複合体や、その日本支部のジャパンハンドラーズを絶対的な存在と思いこんでいるから、読み違いも起こるわけである。(しかし、「右翼政治家」とか「保守政治家」は、安倍や石破や前原や石原や橋下を形容する言葉としては不適切なので、いい形容が必要である。「属米政治家」「偽右翼」あたりがやはり適当だろうか。もっと適切な言葉がほしいところである。)
とりあえず、これもよく言われていることだが、米国で今何が起こっているかをワッチングしていけば、日本政治経済の今後の動きは読める可能性は高い、ということだ。
今回の記事タイトルは、もちろんワシントンポスト記事は米政府の意向を暗示している、という趣旨で書いている。マスコミが政府の世論誘導装置や洗脳装置であるのはどこの国でも同じことである。



(以下引用)



ニュース速報+



【NHK】「尖閣問題は棚上げすべき」…米有力紙ワシントン・ポスト社説★2


res:1 再チャレンジホテルφ ★2013/01/28(月) 00:21:27.60 ID:???0

米有力紙 尖閣問題は棚上げすべき
1月27日 9時43分

アメリカの有力紙、ワシントン・ポストは26日付けの社説で、沖縄県の尖閣諸島を巡る日本と中国の対立について取り上げ、
不測の事態から日中間の軍事衝突に発展する可能性に懸念を示したうえで、
「当面はこの問題を棚上げすべきだ」として、鎮静化に向けてアメリカも支援すべきだという考えを示しました。

ワシントン・ポストの社説は、尖閣諸島を巡る問題について
「日本と中国の間でこれまで棚上げされてきたものの、去年9月に日本政府が島を国有化したことで
中国側に激しい反発の口実を与え、中国による挑発行為がエスカレートしてきた」と指摘しました。

そして、不測の事態から日中間の軍事衝突に発展し、日本の同盟国であるアメリカが介入を余儀なくされ、
衝突に巻き込まれる可能性が以前より増していると懸念を示しました。

その一方で、社説は公明党の山口代表が25日、安倍政権の幹部としては初めて、
中国の習近平総書記と会談したことについて「事態の鎮静化の兆しだ」と歓迎しました。

そして、来月訪米する予定の安倍総理大臣に対し
「中国側の挑発に応じるのではなく、緊張緩和の道を探るべきだ」とするとともに、
「当面はこの問題を以前のように棚上げすべきだ」と訴え、鎮静化に向けてアメリカも支援すべきだという考えを示しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130127/t10015088931000.html






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風邪やインフルエンザ予防になぜ手洗いが有効なのか

「in deep」から転載。
風邪とインフルエンザの区別すら私は不明確なのだが、詳しい人に言わせると、この両者は違うそうである。インフルエンザは全身症状を伴う、とか何とか言うが、咳やくしゃみや鼻水だって全身症状ではないのか、とも思う。体がだるいとか、嘔吐や下痢を伴うこともあるし、伴わないタイプもあるし、ということで、結局インフルエンザとは医者がそう判定すればインフルエンザだ、とするだけなのだろう。

で、インフルエンザ流行となれば、ワクチン接種が「社会的強制風潮」なのだが、ワクチンがインフルエンザに効く確率はゼロに近い、というのが「陰謀実在論者」の間の常識である。要するに、インフルエンザウィルスは毎年、新しい種類のものが出るので、それに合わせてワクチンを作ることは不可能、ということのようだ。また、ワクチン自体がバイキンの溶液のようなものであり、その危険性の方が大きいとも言う。これはインフルエンザ以外を対象とするワクチンも同様であり、たとえば、子宮頸癌ワクチンなど、将来の不妊につながる、とか言われている。もともと、癌の原因さえまだ不明だのに、ワクチンで癌が予防できるなど、怪しい話である。

さて、ワクチン談義はこのくらいにして、風邪の話である。インフルエンザも風邪も同じとして話をする。
通常の風邪の予防手段には「マスク」「手洗い」「うがい」などがある。もちろん、ワクチン接種など無意味、としての話だ。
これらの予防手段の中で何が効果があり、何が効果が無いか、というのは誰にとっても大きな興味の的だろうが、下記記事によると、「手洗い」が一番効果がある、ということになるようだ。
実は、これは医療・保健業界の近年の風邪(インフルエンザ)対策でも同じように言われていることである。
しかし、問題は、「なぜ手洗いが有効か」ということがあまり明確でないことだ。と言うより、私が知らないだけだろうから、ネットで調べてみると、(引用2)のように説明されている。それで納得するかどうか、私はどうも今一つ納得できていないのだが、まあ、薬に頼るよりはマシだから、手洗いはなるべく頻繁にするようにしよう。

要するに、空気中を浮遊するウィルス(乾燥状態)は、案外と体には取り込まれないが、手を何かに触れることで、皮膚接触により一度体に付着したウィルス(粘着状態)は、やがてその人の目や鼻や口などから体内に取り込まれる確率が高い、ということだろうか。
我々がそれほど頻繁に自分の目や鼻や口を自分の手で触れているとは思えないのだが、案外無意識にやっている行為なのかもしれない。であれば、手洗いより大事なのは、無闇に自分の目や鼻や口に触れる癖を意識して治すことだろう。それ以前に、なるべく病院(ウィルスやバイキンの巣である)や人の多い場所などには行かないことが大事である。風邪やインフルエンザにかかったら、まずは会社や学校を休むことは、これは蔓延を防ぐためにも、ほとんど義務にするべきだろう。
ごほごほ咳をしながら会社や学校に来るような馬鹿は、「エンガチョ」扱いにすべきである。まあ、風邪くらいは、「自然の休養命令」である、と思って数日寝ていればいい。それを許さないような会社や学校が異常なのである。


*どうでもいい話だが、上の文章の末尾で「するべき」と「すべき」を混用しているのはわざとである。「べし」は古語がそのまま現代語に残っているものだが、終止形接続なので、「する」を古語とすれば「す」に接続し、現代語とすれば「する」に接続することになる。だから「すべき」でも「するべき」でもいいのだが、通常は現代文として書いているのだから「するべき」が適切だ。しかし、「すべき」派も多いので、まあ、どっちでもいいということである。言葉が先にあって文法ができるのだから、何も杓子定規に文法絶対主義を振り回すことはない。


*今思い出したので追記しておくが、風邪の予防として「うがい」はまったく無意味だそうである。喉までウィルスが入っていれば、それはすでに風邪にかかっている、ということなので、うがいなどでウィルスを撃退することは、その時点でもはや不可能、ということらしい。(うろ覚えの知識であるが。)しかし、口の中は案外食べ物の残りカスがたくさん付着しているので、うがいは口の中の掃除の意味では有益だ。もちろん、毎食後歯磨きをするのが一番いいわけである。


(以下引用)


エラソーなことを言っている間に風邪のようなものをひき

実は、昨日の記事を書いた後に、子どもがぐったりとして帰ってきまして、高熱が出ていました。本人曰く「急に熱くなった」とのこと。その前日までは風邪の気配もありませんでしたし、時事としても、下のようなニュースが出ている真っ直中。

インフル患者140万人、前週の倍近く増加-小児にも拡大・感染研
医療介護CBニュース 2013.01.25

インフルエンザの患者がさらに急増している。国立感染症研究所感染症情報センターによると、14-20日の週に全国約5000か所の定点医療機関を受診した患者数は1施設当たり22.58人で、前週の12.07人の2倍近くに増えた。この値を基に推計した全医療機関の受診者数は約140万人で、今シーズン初めて100万人を超えた。


うちの子も吐いたりしてキツそうだったんですが、数時間後に熱は下がり、夜中には微熱がありつつも元気になり、今回のはインフルエンザではないようです。

とはいえ、上のように流行している現状ですし、風邪などで弱っている時には気をつけたいところであります。

そんなわけで、昨日の記事で「ためしてガッテン」で放映していた「風邪の感染に関しての驚くべき米国での実験結果」について書いたとしていたんですが、私も風邪がうつってしまいまして、なんとなくテンションも下がり(苦笑)、結果だけを書いておきますね。

番組自体は、NHK のこちらの番組案内にある「マスクの予防効果のアップ術」というものですが、そのテーマとはあまり関係のないことです。

番組のラストのほうで、米国の医療機関が、風邪(かインフルエンザ)の感染に関して以下の3つの実験をおこなったことについてふれていました。

写真はイメージです。

[1] 風邪を引いていてマスクを着用した患者と同じテーブルを囲んで短時間過ごす





[2] 風邪を引いた患者が使った容器(コップなど)をさわる





[3] 風邪を引いた患者と網などでを隔てた同じ空間の部屋で三日間過ごす




[3]の意味は、「患者と部屋の空気は共有しているが、体の直接的な接触はない」というためのものだと思います。つまり、それぞれの実験の意味は、

[1] 患者の飛沫が飛ぶ範囲での感染率
[2] 体液からの感染率
[3] 空気からの感染率

だと思います。

私たちが日常、あるいは今まで普通に言われてきていたことでは、なんとなく「風邪のウイルスが大気中を漂っていて、他の人たちに感染していく」というようなイメージがあります。

そういう意味から見ると、3日間という長い時間を患者と空気を共有する[3]の感染率が高い感じがします。

そして、その実験結果。

[1] 8パーセント

[2] 50パーセント

[3] 0パーセント


でした。

細かい点は違うかもしれませんが、大まかではこんな感じです。
というか、[3]の感染率が「ゼロ」だということに驚いたのです。


つまり、ごく簡単にいうと、(実験結果に若干の誤差があっても)「風邪は空気感染しない」と、ほぼ言える数値かと思います。というより、表現に語弊があるかもしれないですが、風邪に空気感染は存在せず、体液からのみ感染することを知りました。


ここから考えると、「効果的な風邪の予防法」がかなり見えてくるのです。特に、「学校や職場の集団感染を決定的に食い止める方法」は上の結果で実はわかると私は思いました。

しかし、上に書きましたように、そんなエラソーなことを書く人間が風邪を引いてしまった状態(苦笑)で、テンションが消えてしまいましたので、いずれまとめて書いてみたいと思います。


しかし、風邪ウイルスが大気を介しての水平感染はしないとした場合、大気中では何してるんですかねえ・・・。ウイルスの存在が消えるわけではないでしょうし。



(引用2)



実は、風邪やインフルエンザなど、病気を引き起こす感染症の多くは、“手”を介して体内に侵入することが多いと言われています。例えば、風邪やインフルエンザの流行期には、ドアノブや電車のつり革など、様々な場所にウイルスが付着しています。そういった場所を触った手で、自分の眼や鼻、口を触ったり、食事をしたりすることで、ウイルスが体内に侵入してくるのです。このような状況では、手にウイルスが付着することを未然に防ぐことは困難です。だから、様々な感染症から身を守るためには、手からの侵入を遮断する「手洗い」がとても大切になるのです。
手洗いは、帰宅時や食事前だけでなく、電車のつり革や共有のパソコン、トイレのドアや会社の入り口など、不特定多数の人が触るようなものに触れた後にも可能な限り行うことが大切です。少し神経質に思われるかもしれませんが、風邪やインフルエンザなどの感染予防のためには、頻繁に手洗いを行うことが何より大切なのです。

こんなところに触れた後の手洗いが大切

• ドアノブ
• 電車のつり革
• 階段の手すり
• 共有のパソコン

ウイルス・細菌は、“手”を介して感染します

1. バイ菌・ウイルスがついたものに手が触れる
2. 眼や鼻、口などを触る
3. バイ菌・ウイルスが鼻や喉など体内に侵入する
4. 体内で増殖する


きちんと手洗いをしているつもりでも、よく観察してみると、水でサッと濡らすだけで終わってしまっているようなケースも見受けられます。でも実は、水やお湯でサッと流すだけでは、細菌やウイルスは落とせません。
石けんを使ったとしても、石けん自体に消毒効果があるわけではないので、しっかりと時間をかけて、洗い残しがないように丁寧に洗わないと効果は半減してしまいます。また、冷たい水が嫌だからといって、熱いお湯でゴシゴシ洗うのもNG。皮膚の油分が奪われて、手荒れの原因となってしまいます。荒れた皮膚は、細菌が大変増殖しやすいことが分かっています。
さらに、きちんと手を洗っても、家族で共有のタオルを使うと台無しです。湿ったタオルで増殖した細菌が再び手に付着してしまいます。
以上のように、普段の手洗いでは、感染予防対策として間違った方法もよく見受けられます。それでは、せっかくの手洗いも、感染の抜け道を作るばかりか、逆効果にもなりかねません。
是非この機会に、毎日の手洗い方法を見直して、正しい確実な手洗い習慣を身に付けてください。


流水と石けんを使い、指先、手の甲、親指、指の間と、洗い残しやすい部分も忘れずに、しっかりと時間をかけて手洗いします。流水はできれば、シャワー状がよいでしょう。時間の目安は、「ハッピーバースデー」の歌を2回歌うぐらいの長さ「約20秒」です。正しい手洗い手順や洗い残しをしやすい箇所は、下の絵を参考にしてみてください。洗い終わったら、流水でしっかりすすぎ、清潔なタオルで充分にふき取ります。

石けんを使った正しい手洗い手順

1. 手のひらをよくこする。
2. 手の甲もよくこする。
3. 指先、爪の間も入念に。
4. 指を交差させて指の間も十分に洗う。
5. 親指はひねり洗いで。
6. 最後に手首も忘れずに!!

手洗いミスの好発部位

指先、指の間、親指は、洗ったつもりでも洗えていない、手洗いミスの好発部位です。 色の付いた箇所については、特に意識して手洗いを行うようにしましょう。


手洗いで最も大切なのは、できるかぎり頻繁に行うこと。ウイルスやバイ菌は、どこに潜んでいるか分からないからです。でも、電車の中や帰宅時の玄関、会社の入り口など、手洗いをしなければならない場所で、水道や石けんは身近にはありません。小さな子どもの場合だと、水道が使える状況でも、きちんと手洗いができなかったり、冷たい水を嫌がったりすることもあるでしょう。
そういったときに、アルコール手指消毒剤はとても役立ちます。水もタオルも必要なく、アルコールをすり込むだけで使えるので、水道や石けんが身近にない場合に便利です。もちろん、小さなお子様にも使えます。
有効成分が80%濃度のアルコールなので、ウイルスや細菌に対しても消毒効果をすばやく発揮します。「消毒剤」というと、ちょっと緊張して構えてしまうかも知れませんが、毎日の手洗い習慣の中に上手に取り入れてみてください。きっと、とても便利で重宝するはずです。
私も診察の際はもちろん、普段の生活でもとっても重宝していますよ。皮膚刺激も少なく、手あれもありません。


• オフィスで・・・パソコンに触れたら「手ピカジェル」
• 通勤・通学に・・・つり革・手すりに触れたら「手ピカジェル」
• 公園・アウトドアなどに・・・お弁当を食べる前に「手ピカジェル」
• お家の中で・・・外から帰ったら「手ピカジェル」
• お家の中で・・・せき・くしゃみをしたら「手ピカジェル」


マスクを着用した場合、顔とマスクとの間にはどうしても隙間ができてしまいます。また、ウイルス対策をうたっていても、フィルターの捕集効率は製品によって差があるようです。このため、マスクをすることによってインフルエンザなどの感染を完全に予防することは難しいと考えられます。マスクの効果を過信しすぎるのはよくないでしょう。
ただし、咳やくしゃみの症状がある人がマスクを着用すると、飛沫の発生を大きく減らすことができます。マスクは「人にうつさない」ためにはとても大切です。
マスクを着用する際は、できるだけマスクと顔の間の隙間がないように、自分の顔のサイズに合った製品を選びましょう。また、マスクを外す際に、ウイルスが手に付いてしまっては、せっかくの予防が台無しになってしまうので、マスクを外した後の手洗いも忘れてはいけません。

マスク着用のポイント

不織布マスクは、咳やくしゃみで発生する飛沫の拡散を防いでくれます。
人に感染を広げないように、マスク着用は大切です。マスク着用の際は、顔にピッタリと密着させて、すき間ができないように注意しましょう。

1. マスクを着用したら、鼻からあごのしたまでしっかりと覆い、マスク上部の金具のワイヤーを押さえて、鼻のカーブに合わせます。
2. マスクが隙間なくフィットしていることを確認しましょう。
3. マスク着用の前後に手洗いを行いましょう。






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勝利とは何だろうか

例の桜宮高校体罰自殺事件について「阿修羅」コメント欄で議論が行われているが、その中になかなか面白い意見もあるので、幾つか転載してみる。
コメント32の

【結論】“負ける事”を当然の前提として、高校の部活動のあり方を冷静に見直す時期に来てるんじゃね?

は、まさしく我が意を得たり、という意見である。というのは、たとえばトーナメント大会の最後の勝者は基本的に一人(1チーム)であり、他の対戦相手は全部敗者なのである。つまり、スポーツでは、「1%の勝者対99%の敗者」という「1%対99%」というのが現実なのだ。(だから、オリンピックの銀メダリストがたまに「金メダルでなければ意味がない」という発言をしたりするわけである。)したがって、「負ける事を当然の前提として高校の部活動の在り方を冷静に見直す時期に来ている」というのは、現実を見据えた非常に理性的な意見であると思う。
勘違いしてはいけないが、「負けるために練習する」馬鹿はいない。しかし、勝つことが何よりも優先されるような部活の在り方というのは、それは人格形成や人格陶冶という教育の大目的に真っ向から反するものなのである。(そもそも、私は、一方の勝利は敗者に苦痛と屈辱を与える、というだけでも「競争」そのものに批判的なのだが)まして、勝利とは無縁の部活動からは何も得られない、ということでは、その部活動に何の意味があるだろうか。
いや、現実の多くの部活動に見られるように、学業に悪影響を与えるというだけでも、その部活は間違っている。部活とは、あくまで精神や健康(体力)を向上させ、そして、何よりもその部活の時間が幸福な時間であることが第一義なのである。勝利は、幸運にも恵まれて得られた偶然的な結果であり、それを喜ぶのはいいが、それだけを目的とするべきではない。学生の本分はあくまで学業と人格修養にある。
もちろん、ハードな練習の果てに素晴らしい結果を出し、その事で精神的に向上し、また一生の思い出にもなる、という形の部活もある。いや、たいていの部活はそれを目指しているだろう。しかし、その場合も、それはあくまで構成員の自発的な同意や指導者の適切な保護・指導に基づくものでなければならない。

だが、やや悲観的なことを言うが、「負けることは当然の前提」という考えは、「敗北主義」であり、「弱虫の思想」である、として、むしろ多くの生徒自身から否定されると思う。そんな考えでは強くなれるわけはない、向上や進歩があるわけはない、とされるだろう。

そしてまたいつのまにか勝利至上主義がはびこり、体罰やしごきが横行し、スポーツ障害が蔓延し、いじめなどがはびこる部活になっていくわけである。

いい加減に、こうした悪循環から学校教育の中の部活、特に運動部の部活を救い出す必要がある。(その当事者である部活生の大半が「放っておいてくれ」と言いそうなのが救われないところであるのだが。)

なお、私の記憶では、中学高校の運動部員はたいていが学業不良であり、素行的にも不良(これが「ヤンキー」と言えば、可愛げがあるように聞こえるのは、一種の言い換え詐欺である。若い頃の悪事や犯罪を「やんちゃ」と言うのも同様。性行為を「えっち」と言い換えることで、若年層の性行為へのハードルが下がったのも同様。すべてマスコミによって作られた社会潮流である。つまり、マスコミや電通はこうした「見えない教育」で日本社会を退廃させることに熱心であったわけだ。)が多かったようだ。これは、早熟で肉体的発達が他の生徒より上の生徒が運動中心の生活をし、学業や読書を疎かにした結果、精神性は劣等なままにとどまったというパターンがあったのではないだろうか。そうすると、部活さえ一生懸命していればそれでいい、という多くの家庭や教師の教育方針は、非常に危険なものだと言える。部活絶対主義によって劣悪な人間を作り出してしまうというのが現実だろう。

青少年や低年齢の子供を「競争」させる場合にも注意が必要である。
特に小学校時代など、早生まれか遅生まれかだけでも、身体能力には大きな差があるのだから、そうした不平等な条件のもとに「競争」を強要することは、害の方が大きいと言える。また、毎日運動をしているだけの連中が運動で勝つのは当たり前であり、そんな勝利に過大な評価をする必要はない。甲子園における「野球名門校」の勝利も同じことである。
なお、精神能力の面では、(習ったかどうかだけが問題で)1、2年の違いはあまり問題にならないようだ。たとえば中学一年生と三年生では体力や運動能力は圧倒的な差があるが、頭の中身は、「ヤンキー」の三年生よりも普通の一年生の方がはるかに上等である。

高校生への体罰に関しては、コメント37「殴り返したらどうですか」は非常に私のお気に入りの意見だ。
というのは、体罰というのは、「自分は殴り返されることは絶対に無い」という教師側優位の立場(上級生優位の立場からの先輩による体罰も多いが)からなされる卑怯な行為だからである。
相手が殴り返すと分かっていれば、体のでかい高校生を殴る勇気など無い指導者も多いだろう。だが、相手が身体的に自分より下だと見れば、相変わらず、そういう相手に対してだけ体罰をする、という人間の屑も指導者の中には結構いそうだから、(また、そういう指導者が必ずしも生徒に嫌われているとは限らない。たいていのガキが、いや、大人だって同じだが、人間を見る目なんて、いい加減なものである。)この案は残念ながらあまり有効ではなさそうだ。

「勝利」とは、他人と争い、「利」を自分が得る、というだけのことであり、そのための努力行為以外は、べつに他人が称賛するようなものではない。
君子は争わず、というのが本来の東洋的思想である。人と人が争い、相手を蹴落とし、傷つけあう「修羅道」を学校教育が礼賛し、競争を後押ししているというのが現代の社会だ。学校にも社会にもいじめや体罰が横行するのは何の不思議もない話である。





(以下引用)




15. 日高見連邦共和国 2013年1月24日 14:30:06 : ZtjAE5Qu8buIw : C7Wqvb1wZA

スポーツじゃないけれど、盛岡にある『岩手高校将棋部』は、名だたる全国の猛者(進学校)を相手に連覇中です。
(決勝の相手が灘高だったりとか)
日体大、といえば、09年に菊池雄星を擁して甲子園を席捲した花巻東高校の“小さなトプバッター”
佐藤くんが進学し、悲しい事に自ら命を絶った舞台となった学校です。色々な噂が立ちました。
学校教育における部活の強化には様々な形があり、賛否両論も有るでしょう。
強ければ正義ですか?勝つ事が正解ですか?
それを一人ひとりが噛み締め、考え直すきっかけとせねばなりません。



32. 日高見連邦共和国 2013年1月24日 16:18:53 : ZtjAE5Qu8buIw : C7Wqvb1wZA

>>29
>問題の教諭に対し、体罰という方法論を否定の上「スポーツ科学的」な指導を心がけるべきだったのではないかと提言した。
問題ないまっとうな意見だと思うよ。
>日高見>>15では(試合での勝利という)成果を求めること自体問題があるように言っている。
“勝つ事”を目的として切磋琢磨する事と、“勝つ事だけ”を目的化させる事は、全くの“別問題”でしょ?
私はそれを、
>強ければ正義ですか?勝つ事が正解ですか?
それを一人ひとりが噛み締め、考え直すきっかけとせねばなりません。
(セルフコメント引用終わり)
と、問題提起(自戒を含めて)してるだけ。
このコメントで、貴殿に何か喧嘩を売ったり、貴殿の主張を否定をしてるかい?
勝つ事を目的としても、最後の勝者は“一人”だ。
ゆえに“負けること”を当然の帰結とした考え方を提示している。
これは『スポーツ全般“激弱”』の岩手県人としては“当たり前”の感覚だ。
それにそういう“最後の勝者が一人”のスポーツと“農業”を引き合いに出すのは、
唐突過ぎるし、比較すべきものでもない、というのが当然の感覚だ。
挙句に、
>それが嫌なら「分配均一主義を要とする」共産主義国家への移住をお勧めする。
などと言われれば“カッチ~ン”と来ない方がおかしいと思わないかね?
おっと、話しがソレた。
繰り返すが、
①勝利を目的とする ・・・ 正しい。
②勝利のみを至上の目的化する ・・・ 間違い。
③強い事が正義か? ・・・ 間違い。
④勝つ事が正しいか? ・・・ 間違い。
【結論】“負ける事”を当然の前提として、高校の部活動のあり方を冷静に見直す時期に来てるんじゃね?
以上。


37. 2013年1月24日 17:47:16 : xWfLYkjvnA
殴り返したらどうですか?
ケンカと言う事になる。
体罰と言う言い訳はできなくなるし、一方的な暴行ということもなくなる。
大事になったら両者の言い分を聞いて判断することになる。
体力的には高校生の方が上だからな。
取っ組み合いの後でお互い疲れ切ったところで話をするしかないんでしょう。
普通じゃできないと思うけれども、殴られて、殴られて、堪えて、堪えて、そして怒りを爆発させるんだよ。
先に手を出したのが先生だか、退学になる事はない。
部活は出来なくなるかもしれないが、いやなら転校すればいい。
こっちの方が、生徒が先生を、学校を、教育的指導することができる。



40. 2013年1月24日 18:51:04 : DpLdRyGjxM
「売りよし、買いよし、世間よし」
この言葉って、近江商人の精神とか言われているが、
竹中らに象徴される自己中の新自由主義者に浴びせたい言葉だね。
強欲拝金主義者というものは、社会を腐敗させる元凶だ。
競争に勝って、自分だけいい思いをしようと云うことばかり考えている、ほんとうに自己中で強欲なやつらだ。
こんなやつらを撲滅しない限り、健全な社会は訪れない。
人間の基本は、支えあい、助け合い、みんなで力を合わせてより良い健全な社会をつくっていくことだ。
競争は、ゲームの世界だけで十分じゃないの!?



46. 2013年1月24日 23:23:04 : FfzzRIbxkp
小学生の頃、ヒステリーな教師がいて、いつも怒鳴り声が同じ階の他の教室まで響いてた。女の先生。そこのクラスの生徒は、顔から足まであざだらけだった。
怒鳴り声を聞いて、私のクラスでは担任に抗議したよ。
「僕たちの友達がたいして悪いことしてないのに、どうしてあんなに怒られるのさ!先生、やめさせてよ。ひどいよ!」って。担任は、怒鳴っている先生には考えがあってやっているのだから。と生徒をなだめたけど、
クラスの男子は、
「だったら、先生も俺たちのこともっと殴れよ。同じように叱れよ。先生は俺たちにそんなことしないじゃないか!」って食ってかかった。
その後からかな。暴力教師のクラスでは保護者会が頻繁に行われてた。
でもね、ぜんぜん治らなかったよ。その教師の暴力。
今から思えば、あの先生は、何かの病気だったと思う。
注意しても直せないなら、病気かもしれないのだから早めに治療をすすめたほうがいいし、現場の仕事は荷が重いだろうね。
生徒を犠牲にするなんてことは、あってはいけないしね。






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「崖っぷち社長」の思考的姿勢を見習えばみんな大丈夫

私が愛読するブログの中でも、総合的な知性の高さという点では私は「崖っぷち社長」を最上位の一人と考えている。彼が書いた文章内容で私が疑問を持った経験はおそらく一度も無い。
物事に対する判断が、偏見や先入観に眩まされていない、という点において、彼は他の多くのブログ主より上位にある、と私は思っている。
より適切な言い方をすれば、世界や社会に対するパースペクティブ(遠近感・遠近法)が、誰よりも正確だ、と思っている。他の人は、たとえば民族問題(対中国、対ロシア、対韓国etc)などが混じると、とたんにパースペクティブがおかしくなる。私にしても、白人種(本当は、ユダ金など、その中の一部を対象としているのだが)嫌悪の言説が多いとは思う。基本的には誰もが狂った遠近法で自分の世界像を描いているのである。だから、常にそれを意識し、修正する必要がある。その、正しい遠近感を持った人物の見本が崖っぷち社長であるわけだ。

崖っぷち社長はいつも、自分は自分の我欲から行動しているだけだ、と言うが、これは韜晦というものであり、我欲だけの人間が、あのような体制批判の鋭い発言をいつもするはずはない。
この世界は結局はエゴ(既得権)のぶつかりあいだ、という彼のお得意の言葉も、私の「すべての人は平等に、生きる権利と幸福になる権利がある」というのを偽悪的に言っただけのことだと私は考えている。つまり、上にいる人間は「きれいな言葉」を利用して、下に犠牲を強いることで、自分たちの既得権を守り、拡大するから、それに騙されるな。自分の権利は堂々と主張しろ、というのが社長の言葉の意味だ、と私は考えている。

で、書くことが無い時には崖っぷち社長の言葉や文章を引用していれば、それで世界に「真の理性」の見本を紹介できるわけだから、私としては楽に社会貢献ができるわけである。(笑)



(以下「崖っぷち社長」ツィッターから転載)



で、もうひとつの話題である、いわゆるアベノミクスの件だが、マスコミさんたちはいまだにインフレについて「物価上昇率」という一側面ばかりを必死に強調してやがるね。いいかげんしつこいかもしれんが、インフレは物価が上昇するんじゃなくて、通貨価値が下落するもんなんだって。
01-23 07:11


マスコミにしろ教育にしろ、カネに関して、通貨価値ってものに目を向けずに隠そうとしている意志をものすごく感じるのだよ。カネなんて、実はそのくらいいいかげんなものだってことを、どうしても国民に知られたくないのだろうな。
01-23 07:14

カネに対する信奉が崩れると、ついでに財政再建論、ムダを削れ論など、カネの絶対化による国民奴隷化政策に多くの人間が疑問を抱くようになるんでね。そのへんに気づいている人どれだけいるだろうか。正直、まともだと思ってたエコノミストのなかにも、単にインフレ悪玉論に走ってる人いるからねえ。
01-23 07:22

あくまでも私見だけどさ、前から書いているように、安倍政権の経済運営については、金融面で見れば賛成できる部分も多いんだよ。財政面というか、カネの使い方についてはいろいろ弊害ありそうだし、結局、増税やTPPで全部チャラになること考えりゃ支持できるものではないんだけどね。
01-23 07:25

これまた、前からずっと書いてきたことだが、景気を刺激したいなら、一番意識しなきゃならんのは可処分所得を上げることだ。簡単にいえば、幅広いバラマキによるインフレ化ってことになる。カネの量が増えて価値が下がるのだから、それをみんなにバラまきゃ済む話なのだ。
01-23 07:36

で、自民党が前から言ってた話として、バラマキではなく、仕事や雇用を作り出してどうこうって話につながる。要は働かないヤツにカネはやらんと言いつつ、実は企業にだけカネをくれてやるという「偏向バラマキ」なわけだが、なぜかこんなマゾな理論が正しいと頷いてしまう人が多いんだよな。
01-23 07:39

さっきも書いたけど、インフレってのは、カネの量が増えて、なおかつ、通貨の価値が下がること。それを金融政策として、国民全員に影響がある形で実行するというのだから、当然、その分は国民みんなに公平に分配・補填されて当然だと思うのだが、なんでそういう考え方にならんのだろうね。
01-23 07:44

金融・財政政策にしろ、そのほかの政策でもなんでも同じなんだが、もちろん、我々の利権や既得権を奪い取りに来ている連中は「我々から見れば」ろくでもないヤツらってことになるだろさ。でもさ、そんな連中の仕掛けに騙されて、自分の首を締めてる我々の固定観念のほうがよほど恐ろしいと思うのよな。
01-23 07:50

おいら、思い切りマイノリティーだもんで、政治経済や国際情勢なんかで周囲とまったく話が合わないことが多いのよね。まあ、人それぞれなんでべつに構わんのだけど、そういう話をしてると、世の中はマゾな人が多いんだなあって、いつも思う。その割には愚痴が多いよなあ、とも。
01-23 08:14

この世の中、我慢を強いるようなことをさも当たり前のように要求される場面はいっぱいあるわけだけど、それがいったい誰の利益につながってるのかって考えてみると、結局、世の中の常識みたいなものを利用して、どっかの誰かさんの利益のために都合よく利用されてることばかりと気づくはずなんだが。
01-23 08:23

もっとも、自分の生活とか立場とか、いろいろ守らなきゃならないものがあって、仕方なくってことはあるけどな。まあ、そうだとしても、黙って従ってるフリしつつ爪を研ぐくらいのことはしたほうがいいんじゃねえの…ってのは余計なお世話だな。
01-23 08:25



(引用2)「陽光堂主人の読書日記」記事の一部である。上記記事の補強として転載する。



 デフレ経済を脱却して景気回復するためには、国民経済の中心を占める内需が拡大する必要がありますが、給料が増えなければ消費は落ち込んだままです。こんなことは子供でも解りますが、政府は公務員の俸給をカットし、生活保護費も10%削減してして最低賃金を引き下げようとしています。

 国民の懐を寂しくしておきながらデフレ脱却を訴えるのですから、訳が判りません。幾ら何でも官僚や政治家はそこまで愚かではないでしょうから、わざとやっているとしか思えません。

 現状のまま金融緩和をすれば、行き場を失ったお金は株と土地に向かいます。マネーゲームと土地投機使われるだけで、既に首都圏のマンションの家賃は値上がりし始めています。アベノミクスは金持ちと大企業を潤すだけで、一般庶民の生活は一層苦しくなることでしょう。

 円安が続けば生活必需品の値段も上がらざるを得ず、土地バブルが起きればサラリーマンの悲願である住宅取得も困難になります。このままでは、景気が停滞して物価が上昇するスタグフレーションに陥る公算が大です。










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アルジェリア人質テロ事件総括

「新ベンチャー革命」から転載。
有名ブログだから、既読の方も多いだろうが、今回の事件についてのブログ主の推定はかなり正解に近いように思うので、取りあえず、この引用で今回の事件についての記事は、(よほどの新情報が出てこない限り)終わりとする。

一言で結論を言えば、これはアルジェリア政府、およびその背後にいる欧米政府による自作自演テロ事件である、というのが当面の結論だ。

別記事で「カレイドスコープ」管理人氏が言っているように、周りに何も無い砂漠に、30人だか何十人だかの武装勢力が近付いてきたら、警備隊(海外のこういう石油・天然ガス施設は、ほとんど軍事施設並に警備されているようだ)がその接近を阻止するはずである。テレビ報道では、施設の前で銃撃戦があったとされているが、はたして事実かどうか。八百長的銃撃戦でお茶を濁して施設内に襲撃者を導き入れた可能性もある。
その他、下記記事にあるように腑に落ちないところはたくさんあり、これはアルジェリア政府(およびその背後の欧米政府)による「自作自演テロ事件」ではないか、という推測も、あながち荒唐無稽とは言えないように思う。何しろ、「9.11事件」という世紀の自作自演テロ事件があるのだから、この程度の規模の自作自演テロは簡単だろう。犯行実行犯は、騙して使い捨てにし、人質もろとも爆破すれば死人に口無しである。
それに巻き込まれた日本人たちは気の毒だが、資源国での資源採掘関連会社で働くことは、もともとそうしたリスクがある、ということだろう。政治的都合で無辜の民が簡単に殺されるというのがこの世界の現実でもある。時には、それが一時に数千人、数万人である場合もあるわけだ。
不気味なのは、下記記事にある、日本人が最初に選択的に殺された、という証言である。
これは改正自衛隊法への日本の国民世論を作るために上(指令犯、さらにその上)から「やれ」と命じられた行為ではないか、というのが取りあえずの私の(そしてベンチャー革命管理人氏の)考えだが、あるいは単に、今やアラブ諸国やアフリカ諸国で日本人が嫌われている、という可能性もある。その方が悲しいことだが、欧米のパシリである日本が、世界中で、どのような目で見られているか、もう一度考えてみる必要がありそうだ。



(以下引用)*(1.)(2.)の部分を省略したほか、読みやすくするため一部を整理した。



3.1.16アルジェリア・テロ事件への疑問点とは


 
今回の事件でいくつか疑問点が浮かびますが、その中でも特に、際立つ疑問点は以下の二つです。
(1)アルジェリア政府はアルカイダ・テロ攻撃を警戒しており、イナメナスの被害プラントも軍によって厳重警備されていた(戦車隊が配備されている)ようですが、なぜ、30人を超える武装テロ集団の侵入を易々と許したのでしょうか。
(2)救出者の証言にて、テロ犯は日本人を探しだして、即、射殺しているようですが、この行為は人質事件としては不可解です、なぜなら、日本人は絶好の人質、すなわち犯人にとって自分の身を守る盾だからです。

4.アルジェリア政府は事前に知っていたのではないか

 上記の疑問から、本ブログではアルジェリア政府はアルカイダのテロ計画を事前に知っていたのではないかと思います、つまり、これは未必の故意の事件だったのではないでしょうか。その証拠に、よく見てみると、アルジェリア政府にとって失ったものは何ひとつありません、すなわち、被害プラントで働く700人近いアルジェリア人は全員無事だったし、肝心のプラントは破壊されていません。
 そして、この事件にて、アルカイダの人質テロ作戦はアルジェリアに限って無効だとテロリストに示すことができたわけです。
 大きな被害を受けたのはこのプラントで働く非イスラム系外国人(日本人含む)のみです。
 要するに、天然ガスの宝庫を抱えるアルジェリア政府は、それを狙う強欲集団に対し、アルカイダを使う人質テロ作戦は効果がないことを証明してみせたということです、ただし、40人前後の外国人(日本人を含む)を犠牲にすることによって・・・。

5.皆殺しにされたテロ集団の連中はだまされたのではないか

 
今回、テロに加わった30数人のテロ実行犯は高額の報酬につられて群がったいかがわしい連中だったのではないでしょうか。
 彼らはこの事件の仕掛け人から、どのような名目で仕事を請け負ったのでしょうか、それは、何人かの外国人を拉致してマリに連れ込むことだったのではないでしょうか。プラント内で暮らす外国人は丸腰ですから、彼らから見れば、それは簡単な仕事にみえたはずです。そして、彼らはバスを使ってそれを実行したのですが、待ち構えていたアルジェリア特殊部隊のヘリで攻撃されたということです。バスに乗れず、逃げ遅れた連中は人質を取って立てこもったが、全員射殺されたのです。
 おそらく、実行犯は仕掛け人からこう聞かされていたのではないでしょうか、それは、プラント内で働くアルジェリア人の一部と水面下で話がついているからプラント内に侵入しても攻撃されることはないから大丈夫と・・・。

6.なぜ、日本人は選択的に射殺されたのか
 

筆者がもっとも疑問を抱いたのは、上記のように、日本人を探し出して、あっさり射殺したテロ犯一味の行為です。これは、あらかじめ、日本人は射殺せよと命令されていた可能性があることを意味します。
 この点から、この事件にはマリに何人かの外国人人質を移送するミッションの他、日本人を射殺するウラ・ミッションがあったのではないかと疑われます。
 プロのテロ仕掛け人は、必ず、一石二鳥、一石三鳥を狙うのが常です。なぜ、このプラントがテロのターゲットに選ばれたのか、それは、日本人が多くいる工事中のプラントだったからではないでしょうか。
 この事件に米戦争屋ネオコンが関与しているとすれば、この事件をネタに法改正をやらせて、自衛隊を米戦争屋ネオコンの傭兵として、中東紛争地域にて便利に活用しようとする魂胆があるのではないかと感じます。
 そういえば最近、中東紛争地帯ゴラン高原に派遣されていた自衛隊が2012年1月15日に撤退完了していますが、上記のテロ事件はその翌日に起きています。
 今回のテロ事件は、自衛隊を中東紛争に巻き込み、米戦争屋ネオコンの傭兵化を狙う連中にとっては、非常に有意義な事件だったと言えます。
 われら国民は、彼らの仕掛ける大きなワナに嵌らないよう、くれぐれも、括目すべきです。





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生の主観的価値と客観的価値

漫画家山本貴嗣(あつじ)のブログ「あつじ屋日記」から転載。

「けなげ」という言葉は幼い者が頑張っている姿に言うものだが、年寄りがこのように前向きに生きる姿にも、微笑ましいと同時に「けなげ」という印象がある。いや、人生の先輩たちに対して、そういう言い方は失礼か。

麻生大臣が、老人の延命治療に対し、終末期老人は「さっさと死ねるように」するべきだ、という趣旨の事を言っているようで、(引用2)それは私が前々から主張していることでもあるのだが、それには保留条件がある。その条件まで含めて言えば、「自分から死にたいと思う人間には、そのための便宜を図ってもいいのではないか」ということだ。麻生大臣の頭にあるのは老人医療費の国家負担のことだけだろう。私の「患者家族の経済問題をもっと考慮して、医療側は延命治療絶対主義を捨てるべきだ」という主張とは少し違うように思う。
今の老人延命治療は、本人がボケ状態になっていてもひたすら生かし続けるというものだから、家族にとっては金銭的に大変な負担であり、「生ける屍」状態の老人を生かしておくために他の家族は極度な生活水準低下や極貧生活を強いられる。そのようなことは、その老人にまともな意識があれば、当人にとっても耐え難い状態のはずである。少なくとも、私ならそう考える。だから私は、年を取って自分一人の力では日常生活が無理な状態になったら自殺する、という意思を自分のブログで書いてきたような記憶がある。(本当にやるかどうかは別である。その時にはあさましく生にしがみつくかもしれない。w)
もちろん、年金や障害者手当を受けることは国民の当然の権利であるから、自分で稼げるかどうかが問題なのではない。私は日常の起居や入浴、排便などに他人の手を借りてまで生きるつもりはない、ということだが、これは主に美意識に基づく私の個人的な思想であり、他の人には無関係な話だ。私が自分自身を「生きる価値無し」と判断した時には、潔く死にたい、と夢想しているだけである。その「価値」は他人が判断するのではなく、あくまで私自身の判断だ。
世の中には、自分だけでの日常生活が不可能でも、その人が存在するだけで周囲の人に好影響を与える老人や障害者は無数にいるだろう。そういう人は主観的にも客観的にも「生きる価値」が大いにある。しかし、私は、あらゆる人間に存在価値があるとは思わないし、逆に存在自体が有害な人間は無数にいると思っている。
念のために言うが、生活に他人の手を煩わすという程度の存在は有害であるとは思わない。政治家や官僚や実業家などの中のある種の「犯罪的存在」の話である。もちろん、本物の犯罪者も「生きる価値無し」である。(ただし、冤罪問題がある以上は、積極的に死刑を実施しろ、とも言わない。)

昭和天皇は生物学研究者でもあったようだが、侍従が天皇にある草の名前を聞かれた時に、「雑草」だ、と答えると、「雑草という植物は無い」と(多分、厳しい口調で)言ったそうである。
私は、昭和天皇の戦争責任問題などは別にして、昭和天皇の人格が優れていたことを、こうした些細な言動の中から窺うことができるように思う。
私のように「生きる価値のある人間と、この世から除去したほうがいい人間がいる」というような思想の人間と、「雑草という植物は無い」と言った昭和天皇とでは、人間のレベルが違うなあ、と思うし、それが天皇教育というものの一つの現れだと思うから、私は「尊皇主義者」なのである。
「雑草という草は無い」という思想は、人間世界に置き換えれば、「あらゆる人間は等しく生きる権利があり、等しく幸福になる権利がある」という、民主主義の根本理念になる、と言えば強弁になるだろうか。
そのような「民主主義的象徴天皇制」というのが今の憲法の特徴であり、特長なのである。だからこそ世界でも稀な、貴重な憲法なのだが、その憲法を弊履のごとく捨てようとする動きが、今日本の政治の中心にある。
そして、国民の生きる権利、幸福になる権利の最悪の否定が、憲法改定の向こう側に待っている戦争であることは言うまでもないだろう。


かなり強引な、というか、支離滅裂な文章展開になったが、まあそれは毎度言うように、私の文章は「行雲流水のごとし」であり、「出ずるかと思えば消え、逝きては永遠に帰るを忘る」ものだからご勘弁願おう。もともとあまり物事を精密に考える頭など無いのである。




(以下引用)



最後まで楽しく


 最近テレビでもCMやってるカリグラフィーの本。
 田舎の母が見て近所の本屋に行ったけど第一号がない(そもそも仕入れてない)貴嗣の近くに売ってないかって先日電話かかってきました。
 アマゾンでも売り切れだったので、近くを回ると幸い一軒目で発見。
 送ったのですが
 母は膠原病やリウマチで手足が不自由になっていて、もう箸も使えずサジで食事をしています。
 若い頃は生真面目なきれいな字だったのが、ミミズが這ったような字になり、本人は悔しがっていますが、私は、一生懸命生きてきた証だから胸張ってればいいよ、と言ってます。
 リハビリにでもなればいいけど、ちょっとペン字は難しいかなあと思いました。

 果たして電話がかかってきて、
 本は届いた、付録のペンとインクは使えないけど、記事だけ読みたい。
 週間で二年以上続くようだが購読できるか。
 医者の話だと最後まで自分は生きてないかもしれないが死んだら解約できるのか、と。

 さっそく書店で聞いて見ると、別に全然問題ないとのことで、購読頼んできました。
 がんばれママ♪

 友人のお母様も、もうかなりの御高齢だけど、なにやら資格試験の突破を目指して(友人は無理だと言ってますが)勉強中で公文にも通っておいでとか。
 老い先短い老人がめげすに前向きに生きてるのを見ると、若いのにグチたれて後ろ向きになってるヒマはないなと、頭をかいてしまいます;
 いや、そういう自分もかなり「古い」方になってきてるんですけど(笑




(引用2)


麻生副総理「さっさと死ねるように」 高齢者高額医療で発言
2013.1.21 13:08

麻生太郎副総理兼財務相は21日開かれた政府の社会保障制度改革国民会議で、余命わずかな高齢者など終末期の高額医療費に関連し、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と持論を展開した。

また、「月に一千数百万円かかるという現実を厚生労働省は一番よく知っている」とも述べ、財政負担が重い現実を指摘した。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130121/trd13012113100011-n1.htm




(引用3「スロウ忍ブログ」より転載)



2013年1月21日月曜日
麻生太郎副総理の終末期医療を巡る発言にマスゴミが揚げ足取り。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/01/blog-post_3474.html

麻生太郎副総理兼財務金融担当相が、本日(2013年1月21日)開かれた「社会保障制度改革国民会議」で、終末医療について、「『生きられるから』といって生かされちゃかなわない。それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い」と述べたとのことである。

此の麻生の発言について、マスゴミ各社が一斉に叩いている様である。



1月21日 18時12分
麻生氏 終末期医療巡る発言で釈明
21日に開かれた「社会保障制度改革国民会議」で、麻生副総理兼財務大臣が終末期の医療について、「『生きられるから』といって生かされちゃかなわない。それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い」などと述べました。
このあと麻生副総理は記者会見し、「私の個人的なことであり、終末期医療のあるべき姿を申し上げたわけではない」と釈明しました。

だが、此れは飽くまでも麻生個人の意見であるのだから、其処まで叩く必要も無いと思うし、麻生の考え方が必ずしも間違っているとも俺は思わないけどな。

己の人生を医療業界の金儲けの道具にされたのでは溜まったものでは無いと誰しも思うだろう。「命を救う」という大義名分のもと、上から目線で患者に接する医者のやり方が正しいとは思えないのである。

人間は長生きしてれば何時かは癌になるわけだが、癌自体が死因というよりも、“癌治療”で殺されると言っても過言ではない。癌治療と言う名の“医療ビジネス”で人体実験の末に殺されるくらいなら、癌と共に生きていく道を俺は選ぶけどな。

体の中の黒子(ほくろ)を必死に探し出して、大げさに「癌認定」して、身体を開けたり閉じたりして高価なクスリを延々と投与してりゃ、ヤブ医者や多国籍製薬企業、そして厚労省の役人共はがっぽり儲かるのだろう。だが其の負担は、全部国民(特に若い世代)に降り掛かってくるわけだからね。






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家畜国家の末路

今日の記事は「徽宗皇帝のブログ」の補完記事のような内容になる。
どうも、事態が非常にキナ臭いので、のんびりと文芸・芸能などの文章を書いていられる心境ではない。(今、ワード変換で「新疆」と出てびっくりした。私が一度も使ったことのない言葉である。つまり、ワード変換はネット右翼御用達であることを最優先しているのだろうか? 個人的使用頻度は無視して、ネット世界で頻出する言葉を変換上位に載せているようである。これは蛇足ではなく、見えない危険性がそこにあると思うから書いているのである。「阿修羅」でもネット右翼や工作員の投稿記事が膨大に増えているのが懸念される。)

下記引用記事は、なぜアフリカでテロが拡大しているのかということを分析したものだ。「徽宗皇帝のブログ」では事態の「現象面」や「今後の推移」を中心に書いたのだが、これはより大きな「根本原因」を示している。
これを私流にさらに大きく、図式的に言えば、

「東(アジア)と西(欧米)との今後の政治経済的対立の舞台(象徴)が今のアフリカだ」

ということになる。
そして、この図式の中で、ロシアは東(=アジア同盟)であり、日本は西の下部国家(パシリ、財布、使い捨て国家)なのである。
で、私としては、日本が地理的に、また長いスパンでの歴史的には東の一員でありながら、明治以降の短い期間にしかすぎない欧米化(特に第二次大戦敗戦後の過去の文化的伝統からの断絶)によって欧米の一員になったかのような錯覚を持っているのは大きな誤りだ、という意見である。

日本が欧米の意にかなう政治的行動を取った時に、日本を称賛する欧米人は多い。だが、それはいわば「褒め殺し」なのである。(本来の「褒め殺し」の用法とは違うかもしれない。心の中でベロを出しながらのうわべだけの称賛、と言うほうが適切だろうが、適切な言葉が無いので、「褒め殺し」と言ったわけだ。)日本人が必死になって欧米にお仕えしているから、よく芸を仕込んだ犬を褒めるように褒めているだけなのだ。その末路は、安楽死させてもらえば幸い、というところだろう。




(以下「櫻井ジャーナル」から引用)




2013.01.21


中東/アフリカで戦乱が広がっている一因は利権を維持したい米英仏が支配システムを維持し、中露を排除しようとしているためだが、日本は中国との緊張を高めようと必死


カテゴリ:カテゴリ未分類

 中東やアフリカで戦乱が広がっている。この地域はかつてイギリスやフランスをはじめとする欧米の植民地。第2次世界大戦後はアメリカの影響力が拡大していたが、21世紀に入るとこうした「西側」の国々が保有していた利権が揺らぎ始めた。

 その大きな原因はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)の台頭にある。BRICSはベネズエラなどのラテン・アメリカ諸国もつながり、SCOにはオブザーバー国としてインド、イラン、モンゴル、パキスタンが参加している。勿論、BRICSとSCOを結びつけているのは中国とロシアだ。

 現在、「西側」の国々は揺らぎ始めた利権を取り戻し、さらに拡大しようとしている。そのひとつの結果が「アラブの春」。マリやアルジェリアでアル・カイダ系武装集団が活発に動き始めた理由もその辺にあるだろう。好戦的な雰囲気を高めるためにメディアが果たした役割も忘れてはならない。

 ネオコン(アメリカの親イスラエル派)に支えられたジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した2001年の9月11日に大きな出来事があった。ニューヨークの世界貿易センターにそびえていた超高層ビル2棟に航空機が突入、国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。その後、アメリカは中東に軍事侵攻、国内ではファシズム化が急速に進む。

 9/11から10日後の時点でブッシュ・ジュニア政権はイラク攻撃を決定、6週間後にはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが攻撃予定国のリストに載っていたとクラーク大将は語っている。

 中東/北アフリカでは中国とアメリカは強力なライバル関係にあるが、経済面で強く結びついていることも事実。いわば、握手しながらナイフを突きつけ合っているような状態である。そうした中、日本は中国との軍事的な緊張を高めようとしている。


(後略)








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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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