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「自然真営道」より

ブログを雑記帳代わりにして、安藤昌益の「自然真営道」の一部を大雑把に現代語訳してみる。
(「日本古典文学大系97近世思想家文集」より。)
ここに書かれたのは極論だが、一面の真理はあるのではないか。



(p606)

聖人が言う、「身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにする」と。
天下の学者はこれを尊んでいる。これは尊いだろうか。凶年に遭う時は、自ら耕して労働せず、貪欲に他人の稼ぎに寄生して食っている者たちは天下に先立ってわが身を修めることはできず、飢えに苦しんで、他人の作る物を貪り、或いは餓死する。
自ら耕して労働する人々は言う、「学者は尊いと言う。凶年で、実りが無い時も飢えず、凍えないものかと思っていたが、多くの人より先に飢えに苦しむ。このことから見るならば、学者や書物は人に役立つものではない。かえって人を害するものである。忌むべきものは書物ではないか」と。
儒・仏・医・老・荘・巫(神主のこと)・私法を作って人を搾取している者ども・自ら耕さず他人に寄生して書物などを書いて暮らしている者どもは、無字・無学の人々に戒められて、何とも返答できない。
もともと書物や学問は天道を盗む(偽る)罪悪であるからこうなるのである。わが一身を修めることすらできないのに、どうして国家や天下を治め平らかにできようか。これをわきまえない者が「聖人」に学ぶという儒教や、仏教の学者である。であるから書物は天下の大怨である。

或る人が質問して言う、「今の世は国中に嘘の言葉や偽りの行為が横行して、真実の言葉や真実の行為が無いのはどうしてでしょうか」と。
答えて言う、「聖人が出て五倫五常の法を立て、偽りの言葉を教え、天道・天下を盗む。仏教の輩が現れて嘘の話や方便(自分にとって都合の良い言葉)を教えて社会の上位に登り、人々からの布施を貪る。老子が出て谷神・不死の嘘話を教えて、それを商売にして貪る。荘周が出て寓話や嘘話を語って盗み食らう。医書を作る者が出て何の根拠も無い偽り事を言って人殺しを仕事として貪り食う。聖徳太子が出て「厚く三宝を敬え」などと言って嘘をつく。みな嘘偽りを教えとしている。世界に嘘偽りが横行するのはこのためである。これは、書物や学問のせいである。だから、天下の怨みである」。

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正気の歌

昨日の教育勅語に続いて、「正気の歌」とくると、夢人は右翼になったか、と言われそうだが、教育勅語も正気の歌もべつに右翼専用というものではない。
文天祥の「正気の歌」は「せいきのうた」と読むが、私はこれを「しょうきのうた」と読んで、今の、正気(しょうき)を失ってキチガイだらけの世の中に贈るつもりである。

皇路當淸夷 含和吐明庭(皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く)

私は学者ではないし、手元に資料も無いから適当に書くが、「皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く」の「夷」とは異民族のことで、「清夷」とは、「夷」を清める、すなわち「征夷」と同義だと思う。(漢文では「同音の語を同義に転用する」ことがよく行われる。「夷」の捕虜となっていた文天祥が、この詩の検閲に配慮して「征」の字を「清」に変えたのだろう。また原詩と書き下しでは「庭」が「廷」になっているが、そちらは誤植だろう。まあ、どちらも「てい」の音だから漢文的にはさしつかえない。)
その他の部分については訳詩を見ればいい。見事な訳だと思う。原詩は読みにくいのだから、訳詩だけ読めば十分であり、気に入った部分だけ原詩を読む、というのがいいだろう。
今の日本は、国民全員が異民族の政治的経済的精神的捕虜になったようなものであるから、文天祥が夷の捕虜になっても「正気」を失わず、名を青史にとどめた故事を知るのもいいのではないか、ということである。



 

(以下引用)

正気の歌

提供: Wikisource
移動: 案内検索 ば   
正気の歌(せいきのうた)
原文書き下し文
天地有正氣 雜然賦流形天地に正気有り 雑然として流形を賦く
下則爲河嶽 上則爲日星下りては則ち河嶽と為り 上りては則ち日星と為る
於人曰浩然 沛乎塞蒼冥人に於ては浩然と曰い 沛乎として蒼冥に塞つ
皇路當淸夷 含和吐明庭皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く
時窮節乃見 一一垂丹靑時窮すれば節乃ち見れ 一一丹青に垂る
在齋太史簡 在晉董狐筆斉に在りては太史の簡 晋に在りては董狐の筆
在秦張良椎 在漢蘇武節秦に在りては張良の椎 漢に在りては蘇武の節
爲嚴將軍頭 爲嵆侍中血厳将軍の頭と為り 嵆侍中の血と為る
爲張睢陽齒 爲顏常山舌張睢陽の歯と為り 顔常山の舌と為る
或爲遼東帽 淸操厲冰雪或いは遼東の帽と為り 清操氷雪よりも厲し
或爲出師表 鬼神泣壯烈或いは出師の表と為り 鬼神も壮烈に泣く
或爲渡江楫 慷慨呑胡羯或いは江を渡る楫と為り 慷慨胡羯を呑む
或爲撃賊笏 逆豎頭破裂或いは賊を撃つ笏と為り 逆豎の頭破れ裂く
是氣所旁簿 凛列萬古存是の気の旁簿する所 凛列として万古に存す
當其貫日月 生死安足論其の日月を貫くに当っては 生死安んぞ論ずるに足らん
地維頼以立 天柱頼以尊地維は頼って以って立ち 天柱は頼って以って尊し
三綱實係命 道義爲之根三綱 実に命に係り 道義 之が根と為る
嗟予遘陽九 隷也實不力嗟 予 陽九に遘い 隷や実に力めず
楚囚纓其冠 傳車送窮北楚囚 其の冠を纓し 伝車窮北に送らる
鼎鑊甘如飴 求之不可得鼎鑊 甘きこと飴の如きも 之を求めて得可からず
陰房闃鬼火 春院閟天黑陰房 鬼火闃として 春院 天の黒さに閟ざさる
牛驥同一皂 鷄棲鳳凰食牛驥 一皂を同じうし 鶏棲に鳳凰食らう
一朝蒙霧露 分作溝中瘠一朝霧露を蒙らば 分として溝中の瘠と作らん
如此再寒暑 百沴自辟易此如くして寒暑を再びす 百沴自ら辟易す
嗟哉沮洳場 爲我安樂國嗟しい哉沮洳の場の 我が安楽国と為る
豈有他繆巧 陰陽不能賊豈に他の繆巧有らんや 陰陽も賊なう不能ず
顧此耿耿在 仰視浮雲白顧れば此の耿耿として在り 仰いで浮雲の白きを視る
悠悠我心悲 蒼天曷有極悠悠として我が心悲しむ 蒼天曷んぞ極まり有らん
哲人日已遠 典刑在夙昔哲人 日に已に遠く 典刑 夙昔に在り
風簷展書讀 古道照顏色風簷 書を展べて読めば 古道 顔色を照らす
 
通釈

この宇宙には森羅万象の根本たる気があり、本来その場に応じてさまざまな形をとる。
それは地に下っては大河や高山となり、天に上っては太陽や星となる。
人の中にあっては、孟子の言うところの「浩然」と呼ばれ、見る見る広がって大空いっぱいに満ちる。
政治の大道が清く平らかなとき、それは穏やかで立派な朝廷となり、
時代が行き詰ると節々となって世に現れ、一つひとつ歴史に記される。
例えば、春秋斉にあっては崔杼の弑逆を記した太史の簡。春秋晋にあっては趙盾を指弾した董狐の筆。
秦にあっては始皇帝に投げつけられた張良の椎。漢にあっては19年間握り続けられた蘇武の節。
断たれようとしても屈しなかった厳顔の頭。皇帝を守ってその衣を染めた嵆紹の血。
食いしばり続けて砕け散った張巡の歯。切り取られても罵り続けた顔杲卿の舌。
ある時は遼東に隠れた管寧の帽子となって、その清い貞節は氷雪よりも厳しく、
ある時は諸葛亮の奉じた出師の表となり、鬼神もその壮烈さに涙を流す。
またある時は北伐に向かう祖逖の船の舵となって、その気概は胡を飲み、
更にある時は賊の額を打つ段秀実の笏となり、裏切り者の青二才の頭は破れ裂けた。
この正気の満ち溢れるところ、厳しく永遠に存在し続ける。
それが天高く日と月を貫くとき、生死などどうして問題にできよう。
地を保つ綱は正気のおかげで立ち、天を支える柱も正気の力でそびえている。
君臣・親子・夫婦の関係も正気がその本命に係わっており、道義も正気がその根底となる。
ああ、私は天下災いのときに遭い、陛下の奴僕たるに努力が足りず、
かの鍾儀のように衣冠を正したまま、駅伝の車で北の果てに送られてきた。
釜茹での刑も飴のように甘いことと、願ったものの叶えられず、
日の入らぬ牢に鬼火がひっそりと燃え、春の中庭も空が暗く閉ざされる。
牛と名馬が飼い馬桶を共にし、鶏の巣で食事をしている鳳凰のような私。
ある朝湿気にあてられ、どぶに転がる痩せた屍になるだろう。
そう思いつつ2年も経った。病もおのずと避けてしまったのだ。
ああ!なんと言うことだ。このぬかるみが、私にとっての極楽になるとは。
何かうまい工夫をしたわけでもないのに、陰陽の変化も私を損なうことができないのだ。
何故かと振り返ってみれば、私の中に正気が煌々と光り輝いているからだ。そして仰げば見える、浮かぶ雲の白さよ。
茫漠とした私の心の悲しみ、この青空のどこに果てがあるのだろうか。
賢人のいた時代はすでに遠い昔だが、その模範は太古から伝わる。
風吹く軒に書を広げて読めば、古人の道は私の顔を照らす。

  • 2句をもって1行とした。





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教育勅語の夢人流解釈

教育勅語の読み方や現代語訳はいろいろ書かれているだろうが、私流に解釈してみる。まず、漢字の読みをカッコ内に入れておく。それだけでも大意は分かるだろう。漢和辞典など手元に無いので、間違いも当然あるかと思う。なお、記憶で書いておくが、「徳を樹つるは、」の部分は「徳を樹つること深厚なり。」であったと思う。そうでないと言葉の調子が悪い。下記の文章は、もしかしたら未定稿(ほぼ決定稿に近いだろうが)ではないか。


朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、德ヲ樹(た)ツルハ 、
此レ我ガ國體(こくたい)ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。

爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ 、
恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學(がく)ヲ修メ、業ヲ習ヒ、
以(もっ)テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、德器ヲ成就シ、進(すすん)デ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務ヲ開キ、
常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレバ義勇公ニ奉ジ、
以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。

是(かく)ノ如(ごと)キハ獨(ひと)リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ實(じつ)ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、
之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ。
朕爾臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ、咸(みな)其(その)德ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日

御名御璽(ぎょめいぎょじ)




(夢人訳)*「徳を樹つるは、」の部分は「徳を樹つること深厚なり。」で訳しておく。また「爾(なんじ)臣民」は、当時の気風のままに、あえて直訳にしておく。また「皇運」を「皇室の運」ではなく「皇国の運」としたのは、逆に今風すぎるかもしれない。そういう不統一はある。「中外」は、当時の事情で考えれば「外」とは(日本統治下の)韓国や台湾を意味する、と見るべきかもしれないが、そういう「こちたき(うるさい)議論」は他の人に任せる。



私(明治天皇)の考えるところでは、我が皇室の祖である最初の天皇がこの(日本という)国を始めたことはまさに広遠な事業であり、道徳の基礎をお定めになったのは深く厚いご配慮であった。これはわが国の姿(国体)の精髄や花とも言うべきものであり、教育の深い源(みなもと)も実にまたここに存する。

お前たち臣民は、父母には孝であり、兄弟は仲良く、夫婦はなごやかに、友人はお互いを信じ、恭しく倹約にわが身を保ち、多くの人に博愛を施し、学問を修め、仕事を習い、それを通じて智能を発展向上させ、道徳的人格を完成し、進んで公衆の利益となることを広め、世人の務めとすべきことを開発し、
常に国の憲法を重んじ、国の法律に従い、いったん国に危機が訪れれば正しい勇気を持って公の務めに奉仕し、
それによって天地同様に終わりのないこの皇国の運命を助けるべきである。

ここに述べた事柄(を守ること)は、ただ私の忠実で良い臣民であるお前たちだけでなく、お前たちの先祖の遺風を明らかにし、輝かすものとするに十分だろう。
この(国家道徳の基礎たる)道は、実に、我が皇室の祖、最初の天皇の遺した教えであり、皇室の子孫もその臣民も共に守っていくべきものであり、
この道は古今を通じて誤ることはなく、国の内外に施しても(道理に)矛盾はない。
私はお前たち臣民とともに、この教えに従い、すべての国民が高い道徳性の点で一つになることを心から願っている。


明治二十三年十月三十日


天皇のお名前と印











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これからの老人を待つ社会

「シロクマの屑籠」というブログから転載。(記事の所在は「カマヤンの燻る日記」で知った。)
現在は高年齢独身の人間が増えていると思うから、老人のライフスタイルの変化は重要な社会問題になるだろう。老齢で、独身で、身寄りが無く、収入も無く、体も不自由という例が、けっして少なくはない数になるかと思う。
では、そういう層が今後拡大していくことに対して政府が何か考えてくれるだろうか。それは期待しない方がいい。福島や関東・東北で棄民している政府、格差社会の拡大に対し何ひとつ手を打たない(どころかそれを助長している)政府が、老人層に対し、今より悪い政策を取る以外は考えにくい。
となれば、これからの老人は自衛するしかないのだが、老人にはだいたい頭脳や身体のハンディがあるのだから、自活するのは難しい。私がたとえばコンビニの経営者なら、同じ給与で雇うなら、70歳の老人よりは絶対に20歳の若者を雇うだろう。コンビニの店員以上の体力や思考力を要する仕事(つまり、少し給与の高い仕事)ならなおさらだ。いや、これはコンビニの店員の仕事を軽視するわけではない。たとえば私には会社の社長や総理大臣は勤まっても、コンビニの店員の仕事は勤まらないだろう。そういうものだ。その仕事が要求する条件として、老人ではできない、という仕事が、仕事全体の9割くらいあるだろう、ということだ。
さて、老人でもできる数少ない仕事の一つが農業なのだが、農業への参入は極度に困難であり、しかも農業では固定収入を得るのが困難だ、と私は理解している。では、他に何があるのか。
私が多くの人に考えてほしいのが、
1)低学歴、特技無しの若者に、満足できる程度の収入を与えられる仕事
2)同様に、特に資格や特技の無い老人に、生きられるだけの収入を与えられる仕事
をこの社会に作り出すことである。
これは不毛の砂漠を緑の畑に変えるくらい価値のあることだと思う。

よく知らないが、下記記事の「スタンドアロン」は、「孤立して生きる」こと、略すれば「孤生」とでもいったところか。そして「ソフトヤンキー」は「(低学歴で、)論理的思考を好まず、仲間だけで群れて生きるのが好きな若者」くらいの意味かと思う。もっとも、ヤンキーの条件を過激さだとすれば、ソフトヤンキーという言葉は矛盾表現だ、という小田嶋隆の指摘もある。まあ、単に「馬鹿な若者」を指すだけの言葉だろう。そして、馬鹿でない若者など、若者ではない(精神的老人だ)とも言える。




(以下引用)


2014-04-12

「トイレ共同。風呂共同。」は夢か現実かAdd Staredopurplemhkj2mamezouyatiffany_queendokusyotyutsukiko-aemasuyounitsukiko-aemasuyounihonjo_hinataierowmoromorokokinakonakokinakonakoe_pyonpyon21


 


 ゆうべ、不思議な夢を見た。


 老人になった私が共同アパートに住んでいる夢だ。


 


 私は一人暮らしをしていて、向かいの部屋にはコロコロとした顔つきのおばあちゃんが――同級生の年老いた姿だと直感した――住んでいた。板の間の廊下を渡り、トイレへ向かう。自室の右隣には物音に敏感なおばあちゃんが住んでいたが、彼女はすぐに引っ越して行ったので無人になっている。トイレに行くにも気兼ねしなくて済むようになった。そういえば、洗濯機も回しておかないと……そこで夢から醒めた。 


 


 「老人になった自分が、トイレ共同、風呂共同で住む」。


 


 あり得ないことだろうか?あり得ないとは言えない。大家族が核家族になり、核家族が単身世帯へとなっていく一連の流れは、まだ止まりそうにない。少なくとも一定以上の世代では止めることが難しい。一方、日本社会はシュリンクしていく。その際、トイレや風呂はもとより、様々なものを共同化して効率を重視した住まいに回帰していく流れが主流になっても驚くべきことではない。そもそも、少し若い世代の間では「シェアハウス」というライフスタイルも出てきているわけで。


 


 省みて、90年代~00年代のスタンドアロンな生活は、なんと非効率だったのだろう。非効率と言って語弊があるなら、贅沢と言い直すべきか。。


 


 80年代、ワンルームマンションという若者の一人暮らしに訴えかける居住空間が登場し、トレンディになった。コンビニも普及して、そんな若者の一人暮らしをバックアップした。ウォークマンや携帯電話などの普及も相まって、スタンドアロンなライフスタイルが確立していく。スタンドアロンなライフスタイルは、若者自身が自分の時間と空間を好き勝手に過ごせるという点では素晴らしかった。けれども、金銭的には決して安上がりではなかった。その「自分の時間と空間を好き勝手に過ごせるカネのかかる空間」がある種のスタンダードとみなされていく。


 


 私が大学生活をスタートした1990年代前半は、まさにそういう時代の盛りだった。資料(下記グラフ参照)によれば、1990年代前半には大学生への仕送り金額は過去最高を記録している。バブル景気は終わっていたが、大学生が金銭的に最も恵まれていた時代だ。私の通っていた田舎の大学でさえ、トイレと風呂がセパレートな物件が流行っていて、ユニットバス形式のアパートがそれに続いていた。「共同住宅や大学寮は敬遠され気味」という話をよく耳にしたものだ。


 


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 グラフ:大学生の仕送り金額。『東京私大教連 2013年度 私立大学新入生の家計負担調査』より抜粋。1990年代前半をピークに、減少の一途を辿っている。


 


 それから二十年。グラフを見てのとおり、大学生への仕送り金額は、バブル景気が始まる1986年を下回るようになった。ワンルームマンションやコンビニが流行しはじめる以前の水準になったということだ。この数字が将来どうなるかはわからないが、とにかく、80年代後半~90年代にかけての盛時が戻ってくるのはかなり難しい、とは想像できる。


 


 少子高齢化の流れを考えるに、将来のお年寄りの一人暮らしは、金銭的なゆとりが一層なくなってくると想定される。大学生の頃にワンルームマンションに住んでいた人間が、二十年後もワンルームマンション的でスタンドアロンな生活ができるという保証はどこにもない。金銭面だけでなく健康面から考えても、一人暮らしで完結したシステムでお年寄りが生活するのは相当ハイコストになっているだろう*1


 


 その一方で、シェアハウス的なものに馴染む若者が増え、バブルの盛時を知らない人々、間近な仲間を大切にする人々――それこそ、いわゆる“マイルドヤンキー”と呼ばれるような、世代再生産を介して明日の日本を担っていく人々だ――が台頭してくれば、ライフスタイルのスタンダードは、スタンドアロンなものから種々のシェアを前提としたものにシフトすると想定される。そんな将来、ワンルームマンション的なフル装備の一人暮らしは今よりもずっと贅沢なもの、非効率なものとみなされているのではないか――時代の文脈が変われば、ライフスタイルの評価も当然変わってくる。かつて、ワンルームマンションが非常識から常識に変化したのと正反対に――。


 


 冒頭で、私は不思議な夢を見たと書いた。


 風呂共同、トイレ共同の住まい。


 でも、これって正夢になる可能性が高いんじゃないか。


 


 お互いに気を遣い合いながら、コストをシェアしあいながら生きていく、新しいようで古い、古いようで新しい生活に、きっと私達は向かっている。かつては結婚や家族といったシステムも、そうしたコストのシェアという側面を持っていたけれど、それを焼き直したような何かがやって来る。生きていくために人と人が身を寄せ合うための処世術やプロトコルが、たぶん見直されていく。そのために必要なコミュニケーションの一連の作法――あくまで作法であって、人をたらしこむような達人芸までではない――も、おそらく見直されていくと推定される。


 


 してみれば、90年代以来の、スタンドアロンなライフスタイルのほうが夢だったのかもしれない。親の代までに集積した経済力によって支えられてきたライフスタイルは、その経済的基盤が失われれば成立しなくなる。高度成長期~バブルの徒花のようなものだ。にも関わらず、そのような暮らしをスタンダードとみなし続けるのは、白昼夢に近い。もう、夢から醒めたっていい時期なんじゃないか。『笑っていいとも!』だって、もう終わったことだし。


 


 

昨日のスタンダードは今日の白昼夢

 


 この一件に限らず、1980~90年代にかけてつくられた諸々のスタンダードのなかには、経済的/人口動態的な存立条件が失われてきているものが少なくない。そういった、存立条件が崩れてきているスタンダードは、しばらくは惰性で持続するにせよ、やがて消えていくと考えられる。


 


 今、スタンダードとみなされている習慣やライフスタイルのうち、何が残り、何が消えていくのか?それらの存立条件を考えるだけでも、あるていど見通しが立つように思う。見通しが立てば、備える余地も、変わっていく余地もある。失われゆくものへの感傷だけはどうしようもない。


 





*1:金銭に不自由しない一握りの人間は、そのハイコストをおしてでもスタンドアロンに暮らし続けるだろうし、そういう上客狙いのサービスにも拍車はかかるだろうが




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ウクライナ・クーデター政権へ日本政府から借金返済要求?

久々に「ギャラリー酔いどれ」から転載。
「ロシアの声」も、時々見てはいるが、最近ご無沙汰なので、このニュースは初耳である。日本の表マスコミは報道しているのだろうか。まあ、日本のマスコミに期待するほうが馬鹿か。
さて、日本がウクライナ・クーデター政府に対して「借金返済を忘れるなよ」と闇金みたいに凄んだ、というのはなかなか面白い。向こうは案外「貰ったつもり」でいたのではないか。(二酸化炭素排出量規制など本気で考えている国は日本以外に無いだろう。地球温暖化問題自体が詐欺であることは世界の支配層は全員承知しているはずだ。)そんな金などどこかに消えている、と下記記事でも証言されている。さて、金を貸した相手がヤクザ(簒奪政権、ネオコン、ユダ金、NATO)である場合に、借金の取立ては可能か、という、これはなかなか面白いドラマである。
この借金返済要求(まだほのめかしの段階だが)は米政府から叱られることになる、と私は睨んでいるが、正当な要求をして叱られたら、何しろ安倍は子供だからかっとなって「日本の本当の独立」を決心したりして。まあ、それは夢物語か。



(以下引用)



◆http://japanese.ruvr.ru/2014_04_13/271152634/
ロシアの声 13日 4月 2014,
日本、ウクライナのために金を使うのが厭になった?


今週、日本はウクライナと結んだ京都議定書に関する合意を破棄し、
この合意の枠内で提供された資金の返還を求める可能性がある、
との報道がなされた



ウクライナ新政権の政治的自尊心を突如打撃したこのニュース、
もしかしたら同国の財政へも深刻な打撃となるかも知れない


今回の革命の後、ウクライナの財政状態は逼迫している。
欧米諸国はキエフに対し借款の供与を約束しはするが、実現は霧の中である。

そこへ泣き面に蜂、日本がウクライナの未払い金8億ドルのことを思い出した。
無論小さくない数字だ。

資金返還要求

これは、日本のキエフ現政権に対する信頼の欠如を物語るものだ。

モスクワ国際関係大学ドミートリイ・ストレリツォフ氏は以下のように語っている。


「日本政府は現状、キエフ現政権を一定程度慎重に見ており、
少なくとも完全な政府が形成されるまでは、
パートナーとしての相手としては取るには足りないものと考えている。

今回の要求は、察するに、キエフ政権が先行政府の負った債務の全てに
責任を持つことを求めたもの
である。

つまり、前政権からの法的承継性を保障し、
国際債務の全額について責任を負うことを求めたものである。

実のところ、ウクライナ企業がCO2排出量を減らせるようにと日本が供与したその資金は、
どこかへ逸失してしまっている
のである」


あるいは日本は、ウクライナの新政権に対し、
革命的言辞によって先行政権の過失を清算しようとしても、それは無理だ、
と分からせようとしているのかも知れない。

いみじくも先日、日本の麻生財相が、
日本はG20の枠内でウクライナに財政支援を行う問題について議論する用意があるが、
ただし、現状、どのような決断が下されうるかについては分からない、と語った。

京都議定書に関する日本・ウクライナ合意の問題。

あるいはこれは、ウクライナ政府への警告ということを超えて、
ロシアと米国に間接的なシグナルを送ったものかも知れない。

日本専門家ヴィクトル・パヴリャチェンコ氏は次のように語っている。

「もしかしたら、日本の資金返還要求は、安倍政権発足以来
獲得されてきたポイントを失ってしまわないよう、
ロシアはウクライナ問題に関する立場を見直してほしい、
という東京の願望の表れかも知れない。
露日関係には良好な雰囲気が形成され始め、領土問題解決のための環境が整いつつある、
と東京では評価されていた


あるいはロシアも、このことに関して、東京との対話と協力を考えているかも知れない。

米国の目には、日本側の今回のアクションは、日米の伝統的同盟関係に鑑みれば、
相当に思いがけないものであったかも知れない。

日本はいま、国際社会において、より独立した存在になることを願っている

再びストレリツォフ氏に聞く。

「米国が政治的利害を抱える地域に対し、東京がスポンサーとなり、
経済支援を提供してきた、あの米国と日本の古い分業は、もはや今日性を持たない」



もはや米国の地政学的野心の無言の支援者にはならない、

と日本は宣言したのかも知れない


日本にも国際社会における自らの利害を持つのである



                      by エヴゲーニヤ  モイセーエワ



だといいのですがねぇw




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馬鹿に全権を与える国

こういう記事は他人事としか思わない人も多いだろうが、他人事はやがて自分にもはねかえってくるものである。医療、農業、教育などの話も同様だ。
建設業の現在の苦境(豊作貧乏のような話だ)は、為政者の相続いた近視眼的政策の結果である。建設業界の人減らしは、それをやらないと立ち行かなかったのだから、仕方の無いことだろう。しかし、3.11が起こった時点で、こうなることは予測できたのではないか。政府には、あれから3年の余裕はあったわけである。建設業界自体には金がまだ回ってこなかったのだから、人を雇う余裕などあったはずはない。ならば、政府がやるべきことは、「資金の前渡し」しかないのではないか。米国債を買ったり、外国に多額の援助をやる余裕があるならば、その金を国内の必要な部分への手当てに使うべきだろう。その金は国内に循環する金だから、景気回復にも好影響を与えるはずである。これこそが政府がやるべきことだ。
ところが、安倍政府が自らの「功績」として得々と語っている「円安」はどういう効果をもたらしたか。建設業界での資材高騰は一例でしかない。エネルギーや資材関係を中心に、すべての物価が上昇し、国民をどんどん窮地に追い込んでいるだけである。それに消費税増税が輪をかけて、売る側、買う側、すべてを苦しめているのである。笑いが止まらないのは、輸出戻し税のある輸出業者だけである。
安倍総理という「お子様政治家」は、宗純氏の言葉を借りれば、「全能感細胞」で頭がいっぱいになって、まともな判断ができないのである。彼のお仲間も同様だ。「労働者が足りない? ならば移民すりゃいいじゃない」は、「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と同レベルの「高貴な身分の馬鹿」の発想だ。
私は、安倍総理は悪党だとは思わない。ただ、無知無学で馬鹿なだけだ。行動力はなかなかあるし、ブッシュジュニア同様、他人の台本で動く分には操り人形としても使える素材だと思う。であるから、安倍総理を適切に動かす人間さえいれば問題は無いのだが、もしも彼が自分で判断して行動するならば、日本は最悪な状態になるだろう。もっとも、そういう状態が来ることで、日本国民が、さすがにこれではいけないと行動するならば、それも悪くはない。



(以下引用)

好況なのに苦境 アベノミクス効果ねじれる建設業

カナロコ by 神奈川新聞 4月12日(土)15時0分配信

 長らく低迷が続いてきた建設業界に「春」が訪れている。アベノミクスによる公共事業増に不動産市場の回復、2020年の東京五輪開催に向けた特需と好条件が重なった。なのに業界は苦境にあるという。資材高騰と人材不足という二重苦が原因だ。好況なのに苦境-。その内実からは、蛇口を開け閉めするかのような政策に翻弄(ほんろう)される業界の苦悩が浮かび上がってくる。

■二重苦
 大量の鉄筋が積み上げられた横浜市港北区の建設現場。10人余りの職人が黙々と溶接や掘削を進めていた。
 
 請負先の市内の建設会社幹部がため息をついた。
 
 「大幅なんてもんじゃない。この鉄筋だって1トン当たり4万円程度だったものが、いまや7万円台だ」
 
 わずか1年余りで1・5倍を超える高騰。「採算ぎりぎりの価格で落札している。資材が高騰し、見込んでいたわずかな利益も消えていく」。増収減益の構図に幹部は「世間で言われているような好況ではない」と表情を曇らせる。
 
 別の県内ゼネコンは人材不足が悩みの種。最近も高齢者施設の完成が職人の手が足りず、3月末の納期に間に合わなくなるところだった。
 
 最終工程の壁紙や床面を仕上げる職人を割高な賃金で大量に雇い入れ、何とか切り抜けた。積算担当者は「赤字こそ避けられたが、見込んでいた利益が大幅に食われた」とこぼす。
 
 人材の奪い合いのリスクを抱え、特にマンション開発では大手不動産の物件しか受注しない方針に切り替えたという。「自転車操業で成り立っている新興デベロッパーは施工費の見通しが甘いケースが多く、見込みを上回っても補填(ほてん)してもらえない可能性が高いからだ」
 
 こうして消費税増税を見据えた駆け込み需要の恩恵も限定的に終わった。


■翻弄
 資材高騰と人材不足の原因はアベノミクス-。
 
 現場の悲鳴からは、そんな皮肉な側面も浮き彫りになる。
 
 安倍政権は災害に強い国づくりを目指す「国土強靱(きょうじん)化」を掲げ、削減が続いてきた公共事業の復活に転じた。東日本大震災の復興事業も本格化し、資材の供給は不足気味に。アベノミクスによる円安が輸入材の仕入れ値を押し上げているという二重の皮肉もある。
 
 一方、人材不足には公共事業が減らされてきた経緯が背景にある。
 
 建設投資は1990年代半ばから減り始め、2010年はピーク時から半減の40兆円。仕事が少なくなれば企業も人材を抱え続けていられない。1997年に685万人だった建設業の就業者は2013年に499万人と3割減った。
 
 「コンクリートから人へ」のスローガンを掲げた民主党政権では、一層の削減が進められた代わりに介護分野や農業など異業種への参入までもが奨励された。そこから一転しての「国土強靱化」-。
 
 「つい数年前に55歳以上の有力なベテラン社員をリストラしたばかり。今後数年は投資増が続くだろうが、その先が見通せない以上、おいそれと人を増やすわけにはいかない」
 
 県内ゼネコンの幹部の嘆きは、場当たり的にも映る政策のしわ寄せを食ってきた中小建設業者の思いを代弁している。


■悪循環
 人手が足りず、コストに見合った仕事が取れないというひずみは全国で相次ぐ公共事業の入札不調という形でも現れ始めている。
 
 県内の建設業界に詳しい浜銀総合研究所の湯口勉主任研究員は「現場はかなり混乱している。経済は生き物。公共事業は市場を注視し、タイミングを計らなければ奏功しない」と、公共投資による景気浮揚策の空回りを懸念する。
 
 人材不足解消のため、政府は外国人労働者を活用する方針を決めたが、県内のゼネコン幹部は「リスクは大きい。言葉が通じなければ事故の可能性だって高い」と不安を隠さない。
 
 そもそも人材確保の難しさには構造的な問題がある。きつい仕事の割に賃金が安く、社会保障に未加入の下請け業者も少なくない。技術を持ったベテランが減り、厳しい労働条件を敬遠する若手の採用も進まない。特に深刻なのは型枠工や鉄筋工といった技能労働者の不足で、それを外国人で賄うのは難しい。
 
 みずほ総合研究所の大和香織エコノミストは「外国人活用のための緩和策も限定的になる見込みで、不足を補うほどの効果はない。今後想定される建設投資の増加に対応するには単純な人材増だけでなく、下請け構造の整理など労働生産性を高める工夫が欠かせない」と指摘する。
 
 県内自治体の公共建築部門担当者は言う。
 
 「五輪まで増加が続く建設投資に応じて人材を補えば、その後も工事が必要になる。早期に『ポスト五輪事業』の計画を示さないと、いまの人材不足は解決できないだろう」
 
 その先行きにも不透明感がつきまとう。4月からの消費税率アップで消費の冷え込みが見込まれ、短期的には、駆け込みで膨らんだ発注の落ち込みは避けられそうにない。年末には再増税の判断も迫る。アベノミクス「第3の矢」である成長戦略も企業を後押しするだけの具体性を持ったものにはなっていない。
 
 みずほ総研の大和エコノミストは「民間投資は17年くらいから増え、20年以降も続く」との見立てを示す一方で、こう付け加えた。「ただ、アベノミクスが成功した場合に限っての話だ」


最終更新:4月12日(土)15時0分

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咲く桜 残る桜も散る桜

下の、最後の引用は「東海アマツィッター」に出ていたもの。
一部業界では大きな人手不足が起きており、それに伴う賃金上昇もあるだろうが、自分で働く能力の無い老人・病人というのもこの社会にはたくさんいる。そういう人々に対する福祉予算はどんどん切り詰められ、社会から排除されている現実を前に「給料の上がりし春は 八重桜」などと浮かれている有様は、「消費税が5%から8%に上がりました。つまり、100円の商品は105円から105.8円になったってこと。ごめんね。(笑)」という感覚そのままだ。要するに、小学3年生である。俳句どころか百分率も小数の意味も分からない人間が総理をしているのがこの国だ。
いや、俳句が下手なのは大いに結構。下手なりに俳句を自ら詠む、その意気や壮なり、である。しかし、この句を総理大臣が詠み、それを公開するのは困る。今頃、公開したことを後悔しているならいいが、前の「105.8円」から何も学んでいないではないか。一国の総理ともあろうものが自己認識ができていない、というのは困るのである。
まあ、総理の俳句は俳句というよりは狂句である。季重なりは、小学校の授業なら叱られるが、別に憲法違反にはならない。だが、「一事が万事」という言葉もある。社会のトップに立つ人々の自己認識の欠如と無知無教養、恥知らずさ、無道徳性が今、日本を過去最低なレベルで品性下劣な国、国民にとっての地獄にしつつあるから問題なのである。

などと偉そうな事を書いたが、今回の記事のタイトル「咲く桜 残る桜も散る桜」は「散る桜 残る桜も散る桜」の誤りかもしれない。論理的にはそちらが正しそうだ。作者は誰か知らない。音調の点で「咲く」と「桜」が重なるのをいいと思うか、うるさいと思うか、意味の点で「散る桜」が二度出るのをいいと思うか、うるさいと思うか、で判断は分かれるだろう。こういうのはべつに季重なりという性質のものではない。わざと「桜」の語を重ねているのである。



(以下引用)



小田嶋隆 @tako_ashi 1時間

  1. 税金の 上がりし春は 自棄錯乱

 

    1. こういうことが起こってみると、皇室の人々の教養の確かさにあらためて感じ入る。 ということはもしかして、安倍ちゃんはあえて自分が泥にまみれることで、皇室に光を当てようとした……わけはないよな。
    1. 給料の 上がりし春は 八重桜  散りて残るは ゴミノミクスか
    1. これ、中学1年生でも先生に叱られる作句だぞ。
    1. 桜がいずれ散るものであることを踏まえた皮肉だというのなら、まあ、わからないでもないけど。
    1. 八重桜と 春が 季重なりなのはまあご愛嬌としても、こういう席のいわばハレの句に「給料」の話題を詠み込む感覚はいくらなんでも日本人として恥ずかしいレベルだと思う。
    1. 「桜を見る会」で、ホスト役の安部首相が披露したという俳句→「給料の 上がりし春は 八重桜」 ただただ唖然。 誰もアドバイスする人がいないということなのか 首相「咲き誇る日本に」 桜を見る会で - 47NEWS(よんななニュース)

(引用2)


はなまま @hanamama58 4月11日

「もう3日間何も食べていない」。日本の「餓死」は特殊なことではなくなりつつある。11年の国内の餓死者は栄養失調と食料不足で1746人。およそ5時間に1人が餓死している。 追いつめる政策で…さらに悪化する「アベノミクス餓死」(女性自身)







(追記)ついでに、某サイトから転載。給料の上がりし春ってどこの世界?


ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレ

小飼弾のツィッターから転載。
終わりの部分が弱いが、力作なので、マル。「解雇 解雇 解雇」はなかなか見事。パイポパイポのグーリンガイ。



(以下引用)



Dan Kogai         @dankogai


ああ寿限無常<@istch: ブラック企業に就職した寿限無 「激務 激務 心は擦り切れ 退社時過ぎても 感情無く 未来無く 将来無く 食う寝るだけの 住むところ パワハラ上司の 糞上司 解雇 解雇 解雇で少人数 少人数の愚民達 愚民からの暴言有りの暴力での病休からの無職へ」





(あのにます追記)調子をつけて読むならこんな感じか。「少人数の愚民たち」は、加害者より被害者を馬鹿にしていて不適なので、「少人数のフル稼働」でどうか。


激務 激務 心は擦り切れ
退社時過ぎても 感情無ーく 未ー来無ーく 将来無ーく
食う寝るだけの 住むところ
パワハラ上司の 糞上司
解雇 解雇
解雇で少人数 ー
少人数ーのフール稼動ー
愚ー民かーらの暴言有ーりの
暴力でーの   *(暴力有-りの)がいいか。
病休かーらの
無ー職へー







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