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防空識別圏より、過剰反応の方が問題

中国が防空識別圏をどうしたこうしたとうるさいので、ウィキペディアで調べたら、べつにどうという話ではない。防空識別圏を設けるのは防衛上の常識的行為であり、それは国家が自由に設定する、というのが慣習のようである。そもそも、他国の防空識別圏に侵入しようとする行為自体が戦争挑発行為であり、そういう行為さえしなければ、何の問題もない話である。
他国の飛行機が無断で「防空識別圏」に侵入したら?
撃墜すればいい。その当事者が中国だろうが日本だろうが、同じである。
それだけのことだ。
その後、戦争にまで発展するかどうかは、国家指導者の叡智のレベルによる。




(以下引用)




防空識別圏







防空識別圏(ぼうくうしきべつけん、Air Defense Identification Zone、ADIZ)とは、国などの防空上の理由から設定された空域のことである。英称の頭文字から「アディズ」や「エイディズ」と呼ばれることがある。日本国の防空識別圏は1945年にGHQが制定した空域をほぼそのまま使用しており[1][2]、航空自衛隊の対領空侵犯措置の実施空域に指定している。

他国との中間線付近には防空識別圏外側線(アウターアディズ)が設けられ、国外からの航空機の侵入を警戒するほか、領海線付近にも防空識別圏内側線(インナーアディズ)が設けられ、国外への不法渡航が監視されている。防空識別圏内を飛行する際は、飛行計画を航空管制機関に提出することが義務づけられており、 止むを得ず事前に提出された飛行計画と異なる飛行を行う場合は、航空交通業務機関及び自衛隊レーダーサイトに通報しなければならない。また、防空識別圏内で飛行する場合は常時レーダーサイトに監視されており、121.5MHzまたは243MHzの航空無線に応答できるよう取り決められている。






空軍力への対抗[編集]





日本の防空識別圏(外側線内)(夢人注:これは写真のキャプション。写真はカット)

自国の航空機が平和時に他国の防空識別圏内を飛行する場合には、事前に飛行計画を提出することで望まない偶発的紛争や軍事的緊張が高まるのを防ぐよう配慮されていると一般的には理解されている。ただ、この防空識別圏は国際法で確立したものではなく、領空、領土の範囲を定めたものではない。

多くの国において領海は12海里に設定されており、他国機が領海上空の領空を侵犯してから領土上空に到達するまで、旅客機でも1分強、超音速軍用機であれば数十秒あれば可能であり、領空侵犯を確認してから対応するのでは手遅れになる危険がある。従って領空の外周の空域に防空識別圏を設定し、届けのない航空機が防空識別圏に進入した時点で空軍力による強制措置を含む対応がなされる。そのためのスクランブルは、当該機が防空識別圏に進入する姿勢を見せた時点で行われることが多い。




(引用2)「ウィキペディア」から転載。長いので、暇な人向け。この事件も当時大騒ぎされたわりに有耶無耶で終わり、その事にむしろ私は驚いた。結論的には、ソ連の撃墜行為は正当な国家防衛行為だったということだったのではないか。要するに、他国の領空を侵犯するのはもちろんとんでもない行為だが、防空識別圏もそれに近いわけで、そもそも、他国の防空識別圏に近付く必要性など、スパイか戦争挑発の意図以外には無いのである。下記事件はパイロットのミスによるものだろうと推測されているが、要するに、少し誇張すれば、お店の商品を無断で自分のポケットの中に入れたら、逮捕されても仕方がない、というレベルの話である。






大韓航空機撃墜事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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大韓航空 007便
1981-09-15 12-00-00 United States Hawaii Aliamanu 2.JPG
事故機のボーイング747-230(HL7442/1981年撮影)
概要
日付1983年9月1日
原因領空侵犯による撃墜
場所北海道の北・樺太近海
死者269
負傷者0
航空機
機体ボーイング747-230
航空会社大韓航空(KAL)
機体記号HL7442
乗客数240
乗員数29
生存者0
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大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日大韓航空ボーイング747が、ソビエト連邦領空侵犯(航路逸脱の原因については後述) したために、ソ連防空軍[1]の戦闘機により撃墜された事件。乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。


なお、大韓航空はこの5年前にも航法ミスでソ連領空(コラ半島上空)を侵犯し、ソ連軍機に迎撃されている(大韓航空機銃撃事件)。


日本で大韓航空機事件と呼ぶ場合この事件の事を指す場合と、1987年11月29日大韓航空機爆破事件のことを指す場合に分かれるが、両事件の性質は基本的に異なる(混同しているケースもみられるので注意が必要)。


(中略)

経緯[編集]

007便の概要[編集]

 
 
 

事件の当該機となった大韓航空のKAL/KE007便は、アメリカ・ニューヨークジョン・F・ケネディ国際空港を出発し、アンカレッジのアンカレッジ国際空港(現在のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港)を経由、大韓民国ソウル金浦国際空港に向かう、当時週4便で運航されていた定期便である。なおこの便は1979年4月に開設されたもので、事故機には「I LOVE NEW YORK」というステッカーが貼られていた[2]


機材はボーイング747-230型機(HL7442)を使用。ファーストクラスエコノミークラスの2クラスが用意され、当日の乗客は240人、乗務員は千炳寅(チョンビョンイン)機長以下29人(うち6人が「デッドヘッド」= 業務移動のため乗務した非番の乗務員)となっていた。なお、乗客乗員の国籍は次のとおりである。


国籍人数
オーストラリアの旗 オーストラリア2
カナダの旗 カナダ8
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国1
香港の旗 香港12
インドの旗 インド1
イランの旗 イラン1
日本の旗 日本28
韓国の旗 韓国 76(乗客)
23(乗務員)
6 (デッドヘッド乗務員)
マレーシアの旗 マレーシア1
フィリピンの旗 フィリピン16
台湾の旗 台湾23
スウェーデンの旗 スウェーデン1
タイの旗 タイ5
イギリスの旗 イギリス2
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国62
ベトナムの旗 ベトナム1
合計269

発着国の韓国人とアメリカ人の乗客が多くを占めたが、日本中華民国、当時イギリス植民地であった香港フィリピン国籍の乗客も多かった(なおフィリピン人のうちの4人は日本在住者で、そのうちの1人は横浜市セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに通学する小学生であった)。また、業務渡航客から観光客まで幅広い層が利用する路線であったことから、1987年大韓航空機爆破事件と比べると犠牲者の年齢層も幅広い(日本人の犠牲者で最年少は3歳の男児だった)。


なお日本人乗客の多くは、日本航空パンアメリカン航空の直行便に比べて航空券が安価な大韓航空を使い、ソウルを経由して日本へ戻る観光客や留学生であった。また乗客には、右翼団体のジョン・バーチ・ソサエティの会員で、アメリカの民主党の保守派議員として知られ、ソウルでの式典に参加するために搭乗していたラリー・マクドナルド下院議員も含まれていた。

撃墜までの経過[編集]

予定航路(破線)と実際の飛行航跡(実線)の地図

※時刻は東京/ソウル時間(GMT+9)。


(中略)

事件の発覚[編集]

航路を外れた007便は航空自衛隊の稚内レーダーサイトにより観測されていた。しかし、この時点で洋上飛行中(のはず)であった007便はATCトランスポンダから識別信号を発しておらず、航空自衛隊は007便を「ソ連国内を飛行する所属不明の大型機」として、その周りに飛行するソ連軍戦闘機を、「迎撃訓練を行う戦闘機」として扱った。


これとは別に、陸上幕僚監部調査第2部別室(通称「調別」、電波傍受を主任務とする部隊)は、ソ連の戦闘機が地上と交信している音声を傍受。「ミサイル発射」のメッセージを確認したが、この時点ではソ連領土内での領空侵犯機に対する通常の迎撃訓練が行われていると考えており、実際に民間機が攻撃されていたという事実は把握していなかった。この録音テープは、のちにアメリカがソ連に対し撃墜の事実を追及するために使用するが、公式には日本政府からアメリカへの引き渡しは行われておらず、どのような経緯で渡ったのかは不明である)。


撃墜直後、稚内のレーダーサイトは所属不明機の機影が突然消えたことを捉えた。しかし、行方不明機がいないか日本や韓国大邱)、アメリカ(エルメンドルフ)、ソ連(ウラジオストク)の各航空当局に照会したところ、前記の3国からは「該当機がない」との返答を受け、ソ連からは返答そのものがなかった。


撃墜30秒後、それまで007便を通信管制していた東京管制に雑音が混じった007便からの呼び出しが入ったが、そのまま連絡が途切れた(「急減圧により緊急降下する」旨の交信の内容は、その後鈴木松美の音声分析により判明)。付近の飛行機からも007便へは無線が通じず、30分後から「遭難の可能性あり」として当局に捜索を要請した。

各国政府の対応[編集]

撃墜当日[編集]

 
 
 

9月1日の朝の時点で日本政府が、大韓航空機が「サハリン沖」で行方不明になったことを公式発表し、午前7時前後には日本のテレビラジオでは「ニュース速報」として「大韓航空機が行方不明になった」と報じた他、各国の通信社東京発の情報として大韓航空機の行方不明を報じた。


またこの後に「ソ連軍機により樺太に強制着陸させられた」、「乗客乗員は全員無事」などの出所のわからない誤報も報道機関の間で飛び交い、日本の各マスコミはこれらの誤報を朝から昼にかけてニュースで放送した上に、夕刊に掲載してしまった新聞社もあった。さらにこれらの記者が家族に対して直接伝えたりしたために、大韓航空や家族などの関係者が混乱する一幕もあった。


このような日本や韓国、アメリカなどの西側諸国の報道に対し、ソ連は「該当する航空機は国内にいない」、「領空侵犯機は日本海へ飛び去った」と事件への関与を否定した。これに対してアメリカは、この日の内に「ソ連軍機が007便を撃墜した」と発表。日本当局から入手したソ連軍機の傍受テープも雑音を除去しロシア語のテロップを付けた上で一部放送した(自衛隊が傍受した軍事情報であるこのテープを公開することについて、中曽根康弘首相や後藤田正晴官房長官をはじめとする日本政府首脳は全く相談を受けていなかっただけでなく、自衛隊からアメリカ側に渡った事実も伝えられていなかった。さらにどのように渡ったのかも不明なままである)[4]


このアメリカ政府による正式発表を受けて、事件の当事国である日本や韓国、アメリカなどの西側諸国ではソ連に対する非難が起こり、ソ連政府に対して事実の公表を求めた。


当日、ソ連の政治局会議が行われたがこの会議では議題にならなかった(ユーリ・アンドロポフ書記長に対しては会議直前に撃墜の報告は行われた)。翌日には事件の反響に伴い、臨時政治局会議が健康不良のアンドロポフに代わりチェルネンコ主催で行われるが、「領空侵犯を計画的な挑発行為として非難する」事のみの決定に留まった。


またこの日には、北海道沖で操業していた日本の漁船が機体の破片や遺品を発見した。これと前後して、海上保安庁アメリカ海軍の船艇が、大韓航空機が墜落したと思われる付近に向けて捜索に向かった。

翌日以降[編集]

9月2日には、ソ連の参謀総長 ニコライ・オガルコフが「領空侵犯機は航法灯を点灯していなかった」、「正式な手順の警告に応答しなかった」、「日本海方面へ飛び去った」と発表した(のちに、航法灯は点灯しており十分な警告は行われていなかったことをパイロット自身が証言する)。これに対してアメリカ大統領 ロナルド・レーガンはソ連政府を「うそつき」と非難した他、当事国である韓国の大統領 全斗煥もソ連を激しく非難した。また、多くの西側諸国の政府がソ連の対応を非難する。


9月6日に、国連安全保障理事会において、陸上幕僚監部調査第2部別室が傍受したソ連軍機の傍受テープに英語とロシア語のテロップをつけたビデオがアメリカによって各国の国連大使に向けて公開され、ソ連軍機による撃墜の事実を改めて世界に問いかけた。これに対してソ連大使はビデオの公開中一貫して画面から目をそらし続けていたが、この後、ソ連の外務大臣 アンドレイ・グロムイコは撃墜を認める声明を正式に発表した[5]


9月9日には、ソ連の参謀総長 オガルコフが「大韓航空機は民間機を装ったスパイ機であった」との声明を発表。9月13日には、緊急安保理事会でソ連への非難決議が上程されるが、常任理事国のソ連の拒否権の行使により否決された。


なお、当事者である韓国は当時ソ連との国交がなかったうえ、国連に加盟していなかったこともあり、ソ連への抗議や交渉、国連での活動は、国連加盟国でソ連と国交があり、かつ事件の当事者である日本(事件時に当該機の管制を担当し、さらに隣接する公海上に当該機が墜落、また多くの乗客が被害に遭った)とアメリカ(当該機の出発国であり、また多くの乗客が被害に遭った)が主に行った。

(以下略)














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いのせ(瀬)もやがて淵となるか

久々に小田嶋隆ツィッターから転載。
いや、本当に小田嶋隆は天才だ。
ついでに言うと、私は高校くらいまで「恋すてふ」を「恋捨てふ」と思っていた。「ふ」って何だよ。いや、それくらいはまけとけ、となると落語の「ちはやふる」だが。
念のために、下記狂歌の元歌を、句読点・引用符付きで書いておく。「てふ」は「と言ふ」の縮約形、「まだき」は「早くも」の意。最後の「しか」は[過去助動詞「き」の連体形「し」+疑問の「か」]ではなく、上の「こそ」との係り結びで、「しか」全体が過去助動詞「き」の已然形である。


「恋す」てふ、我が名はまだき、立ちにけり。人知れずこそ思ひ初めしか。




(以下引用)



小田嶋隆 ‏@tako_ashi 11月23日

返すてふ わが名はなおき バレにけり 人知れずこそ もらいそめしか




 

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寒い話

「長く、暗い冬」というタイトルで徽宗皇帝のブログに記事を書いたが、そこからの連想で、小泉八雲の「鳥取の布団の話」を思い出したので、ネットで拾ったものを転載しておく。訳が少し軽すぎるし、アレンジしてあるので、八雲作品の持つ詩情や不気味さが失われた感があるが、冬の夜、寒さに震えて布団をひきかぶる時には、この話を思い出すのもいいだろう。子供なら、この話がトラウマになって、布団そのものを怖がるようになりかねない話である。

ついでに、同じく寒さからの連想で、山上憶良の「貧窮問答歌」も後で追加しておこうと思う。



(引用1)最初の「ムカ~シ」は、この話の陰惨さにまったく釣り合わないと思うので、訂正させてもらう。その他、少々変更した。







鳥取の、ふとんの話

〔小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』から〕





 昔、鳥取に小さな宿屋がありました。
この宿屋の主人は開店して初めてのお客に一人の旅の
商人を迎えました。宿屋は新しい店ではあり
ましたが、お金があまりなかったため、家具などはすべ
て古道具屋から買ってしつらえたものばかりでした。  
 お酒などのたくさんのもてなしを受けたお客は横にな
るとすぐに眠ってしまいました。


眠っていると
誰もいないはずの部屋から
もの悲しげな声がきこえてきました。

「兄さん寒かろう」

「おまえこそ寒かろう」

 二人の子どもの声でした。

 お客は明かりをつけて部屋の中を見回しましたが、だ
れもいません。気のせいかと思いましたが、また、

「兄さん寒かろう」

「おまえこそ寒かろう」

 という声が聞こえてきました。
よく聞くと、掛けているふとんからこの声が聞こえてくるのです。
 

 気味の悪くなったお客は慌てて勘定をすませ宿をとびだしていきました。

 つぎの晩も同じようにふとんに怯えた別の客が出てい
ってしまいました。
 はじめは、お客の話を信じていなかった主人もさすが
におかしいと思い、そのふとんを自分で掛けて寝てみる
ことにしました。すると――

「兄さん寒かろう」

「おまえこそ寒かろう」

 という声がするのでした。




 
 このふとんは、もとは貧しい一家のものでした。
 貧しい家でしたが両親と2人の子供の4人で仲良く暮
らしていました。しかし、あるとき父親が病気で亡くな
り、それを追うように母親まで亡くなってしまったので
す。残された2人の子どもは頼りもなく生きていくため
に身の周りのものを売っていくしかありませんでした。
そして一番最後に残ったのがこのふとんでした。

 ある寒い日、二人がふとんにくるまって寝ていると、
家主が家賃を払えとふたりのところへやってきました。
家賃が払えないふたりは、ふとんを取り上げられ、雪の
降るなか外に放り出されてしまいました。ふたりは寒さ
を凌ごうと抱き合い、いつしか眠ってしまい、永遠に目
覚めることがなかったのです。あまりの寒さにふとんに
魂が取り憑いてしまったのでしょう。

 そんなかなしい話を知った宿の主人は、ふとんを供養
してもらいました。
 
 それからは、ふとんがしゃべることはなかったという
ことです。








(引用2)夢人が少し訂正してある。たとえば、「布肩衣」が「布肩着ぬ」と誤記されていた。その他、返歌が長歌部分と連続していたのを分けて表示し、一部は色字にした、など。


貧窮問答歌

 風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩衣 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか 汝(な)がよはわたる
 天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く 鞭(しもと)とる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 


世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば




風交じりの雨が降る夜の雨交じりの雪が降る夜はどうしようもなく寒いので,塩をなめながら糟湯酒(かすゆざけ)をすすり,咳をしながら鼻をすする。少しはえているひげをなでて,自分より優れた者はいないだろうとうぬぼれているが,寒くて仕方ないので,麻のあとんをひっかぶり,麻衣を重ね着しても寒い夜だ。私よりも貧しい人の父母は腹をすかせてこごえ,妻子は泣いているだろうに。こういう時はあなたはどのように暮らしているのか。

 天地は広いというけれど,私には狭いものだ。太陽や月は明るいというけれど,私のためには照らしてはくれないものだ。他の人もみなそうなんだろうか。私だけなのだろうか。人として生まれ,人並みに働いているのに,綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて,つぶれかかった家,曲がった家の中には,地面にわらをしいて,父母は枕の方に,妻子は足の方に,私を囲むようにして嘆き悲しんでいる。かまどには火のけがなく,米をにる器にはクモの巣がはってしまい,飯を炊くことも忘れてしまったようだ。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると,短いもののはしを切るとでも言うように,鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる。こんなにもどうしようもないものなのか、世の中というものは。


この世の中はつらく,身もやせるように耐えられないと思うけれど,鳥ではないから,飛んで行ってしまうこともできない。


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今の日本は何色か

今日の「徽宗皇帝のブログ」の記事タイトルの解題(解説)として、ネットで拾った「茶色の朝」の書評を転載しておく。



(以下引用)






■書評『茶色の朝』





 昨年十二月に日本で発刊された本書を、遅ればせながら手にとった。
 原本は一九九八年、フランスで出版された。八〇年代以降仏国内で勢力を伸ばしはじめた極右政党国民戦線が、同年の統一選挙で躍進。著者フランク・パブロフ氏は、これと協力関係をとり結ぼうとした保守派の動きに抗議するために本書を出版した。そして二〇〇二年。仏大統領選の決選投票にルペン・国民戦線党首が臨むことが決まった直後から本書は爆発的に読まれ、ベストセラーに。かつてナチス・ドイツに侵攻された歴史を持つ欧州の人々にとって、初期のナチス党が制服に使っていた茶色はナチズム、あるいはファシズムの象徴なのだという。このわずか十一ページの寓話は、全欧州で擡頭する極右運動への人々の危機感を覚醒させたのである。


 …主人公はある日、友人に彼の飼犬だった黒色のラブラドールを安楽死させた、と告げられる。主人公が白地に黒のぶちが入った猫を処分したのと同様に。毛が茶色以外の犬猫を飼ってはならないという法律を政府がつくったからだ。街には自警団がつくられ、毒入り団子が無料配布される。主人公は胸を痛めるが、人間のどもと過ぎれば熱さも忘れるものさ、と呑気に構える。そのうち、この法律を批判する新聞が廃刊に追い込まれ、この新聞社系列の出版物が街中から強制撤去される。あらゆる言葉に「茶色」という修飾語を織り交ぜ友人と会話をするようになる主人公。やがて「茶色に染まること」に違和感を感じなくなっていく。ある日、お互い自分からすすんで飼いはじめた茶色の犬と猫とを見せあいながら、二人は笑い転げる。「街の流れに逆らわないでいさえすれば」「茶色に守られた安心、それも悪くない」と。だが、「快適な時間」を過ごしていたはずの彼らに、突然「国家反逆罪」のレッテルが張られ--。



 「私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描き出して」いる。東京大学大学院教授の高橋哲哉氏は、本書への「メッセージ」のなかでこう述べている。そして氏は、この物語は日本にも無縁ではない、主人公たちが「茶色」を受容していく時に持ち出すさまざまな「言い訳」と似たような理由をつけてその都度「流れ」を受け入れているじゃないか、と警鐘を打ち鳴らす。そしてこう結ぶ。「やり過ごさないこと」「思考停止をやめること」が必要だと。


 ついに日本国軍隊がイラクの軍事占領を米英とともに担うためについに足を踏み入れたいま。私は、たくさんの人が本書を手にとって、この日本社会も「茶色に染め上げられ」てんだと感じてほしいと思う。それは非常に大きな一歩であり、心有る者の前提である。
 同時に私は、では私たちはこの寓話から何を紡ぎだすべきかと考えた。おそらく多くの日本人は、高橋氏の解説がなければ、この寓話を「読めない」だろう。まず私は、パブロフ氏と私たちとの歴史感覚、身体感覚の違いに驚愕した。確かに、イラク戦争とは何だったのかを問う声はここ日本でも皆無ではない。しかし、その多くが国家権力の命令を己の使命とする軍隊に対して「殺すのも殺されるのもダメ」と哀願するものだ。ここからこの寓話に匹敵するものを生み出せる人間がどれほどいるだろうか。この一事に、日本にある私たちが感じ考えるものの浅薄さと軽さを発見し、ずきんと胸が痛むのだ。なぜこんな社会になっているのか。この痛みから私たちははい上がるしかない、と思いを新たにする。
 本書を読んで前が開けるものを感じるのは、パブロフ氏の思いに反するだろう。氏は、イラク軍事占領の当事国の国民である私たちに重い宿題を突き付けた。この宿題にどう答えるかを模索する道程に一歩足を踏み出すことが、私たちには問われている。(晴佳)




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廊下の奥に立っているもの

「さてはてメモ帳」から転載。
フランシス・ベーコンという画家についての記事の後半部分に、この記事があった。たぶん「晴耕雨読」からの転載だと思う。同タイトルの記事をそちらで見た記憶があるが、その時は読まなかったので、中身は知らない。
なぜ読まなかったのかというと、こういう「いかにも」という感じの政治思想俳句を私は好まないからだ。もちろん、俳句の題材に何を扱おうが自由だが、私の好む類の俳句ではない、ということだ。
だが、反戦思想のキャッチコピーとしてならば、なかなか優れたコピーであるとは思う。廊下の奥に立っているのはもちろん幽霊的な存在であろうという、日本人の集合的無意識に訴えかけ、いつのまにか忍び寄る戦争というものの不気味さをうまく暗示している。
なお、記事の下から二つ目の関連記事の、福島の除染作業員の不審死の件は私も「徽宗皇帝のブログ」で取り上げたが、この事件の続報が聞こえてこないところがまた不気味である。




(以下引用)




http://sun.ap.teacup.com/souun/12575.html#readmore




戦争が廊下の奧に立っていた

1939(昭和14)年、京都大学俳句会で活躍していた、

渡辺白泉という学徒が詠んだものです。

白泉はとくに政治に関与していたわけではありません。

もちろん、左翼でもありませんでした。

戦争を嫌い、平和と文学を愛するごくふつうの大学生だったのです。

ところが、特高警察はこの俳句にまで目をつけ、

「反戦思想の持ち主だ」

と言って、渡辺白泉に治安維持法違反の嫌疑をかけ、投獄しました。

仲間も俳句を作れないほどの言論弾圧を受けました。

いまに伝わる「京大俳句事件」です。(新興俳句弾圧事件)

たった一句の俳句にまで弾圧が及んだ暗黒の時代。

そのおぞましい暴力は、まだ大丈夫だろう、と思っている矢先に、

突然に襲ってきたのです。

国民の目と耳と口をふさぎ、

自分たちの思うがままに独裁的な政治をしようという勢力が

居丈高に振る舞っているいま、

すでに不気味な圧力は

あなたの背後にしのび寄っているかもしれないのです。

戦争が廊下の奧に立っていた

戦前、京大生・渡辺白泉がこの俳句を詠んだときには、

もう戦争は廊下の奧どころか、茶の間に軍靴で侵入していたのです。



TPP"秘密文書"をWikileaksが暴露「著作権侵害の非親告罪化」に10カ国賛成 The Huffington Post | 投稿日: 2013年11月14日 16時01分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/14/tpp-copyright_n_4271586.html?utm_hp_ref=japan

【不審死】福島の除染作業員がゴミ箱の中で炎上して死亡!しかも、ゴミ箱の外からは留め金!警察「事件性はない」

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1196.html


日本が戦争をできるようにしたい安倍首相とオバマ大統領
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-f1e9.html




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愛無き世界

「播州武侯祠遍照院」経由で、「バカ国民帝国日本の滅亡」の記事を転載する。
日本人を人間化しようとする試みが成功すれば、日本は今のような酷薄な社会から、愛に満ちた社会になるだろう。愛とは言っても、たいしたことではない。我欲を少し減らし、その分、他人と分け合うだけのことだ。
「汝の望むところを他人に施せ」「汝の望まざることを他人に為すなかれ」この二つで社会は健全なものになる。その反対が新自由主義の目指す競争社会、闘争と略奪(そのために虚偽がフル活動する)の世界であることはこれまで何度も書いてきた。
だが、人は生きるために闘争するのは当たり前だ、と人々は洗脳されている。(そんなのは野獣の世界であり、人間の世界ではない!)そして、下層階級のその闘争と競争から生まれる剰余としての富を吸い上げるのが社会の上位層である。何もマルクスを待つまでもなく、こんなのは遥か昔から多くの人が知っていたことだ。
グローバリズムと新自由主義は同じものの二つの顔である。
それは、略奪と闘争と不平等を世界に拡散する醜い思想である。



(以下引用)*赤字部分は夢人による強調。



天は、慈悲を以て助ける。 今の日本は愛が無い結果。 渾沌堂



バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画 より  


上記文抜粋


・・・・・・・・・・・



”愛”とはいうけれど…




たとえ、ビジネスであったにせよ、「宗教」の拡大期は人々がその”教え”を共有し、または共有しようとするので、それが「常識」みたいになります…





バブル、バブル崩壊以前は、まだそんな雰囲気がどこかにありました。組合も強かったし…





レーガンだのサッチャーだの、あいつらがしゃしゃりでてきたあたりから、世の中おかしくなりました。





以前もマトモとは言えませんでしたが、今日レベルの状況は「漫画の世界」に限られていましたよ。





この前のNHKは、ユニクロの特集でグローバル競争がどうこうとやってましたが、こういうのがいけないのですよ。ゲームになっちゃってんだもの…ビジネスが…仕事が…命を賭けた”ゲーム”ですよ…





グローバル競争というのは、国境を越えて素潜りで人々が魚を獲っていた地域などに、大資本が超ハイテク船で船団組んでやってきて、そこの魚をぜ~んぶ独り占めにしていくって話と同じなのです。





大資本は確かに大儲けするでしょう。「雇用」も生じるでしょう。「経済」も「成長」するでしょう…





しかし、大量の資源の収奪と文化や環境の破壊と、失業が、富の収奪、貧困の拡大が生じている…






「どうして彼らははたらかないのか?」





…と、自称「先進国」のパー民どもはいう…





あなたがたパー民国の大資本がやってきて、市場も仕事も資源も奪っていったからですよ…





戦争、内戦、自由競争…それらをパー民国が「よいもの」であるかのようにもちこんできた結果ですよ。






その自覚なき加害者たちは、「貧困を救おう」というと、被害者みたいなことを言う…





「なんでおれたちが稼いだカネを、怠け者に分配しなければいけないのだ!」






こーゆー連中は死刑にすべきです。






”愛”とは、分け隔てなく、財物を分配することです。ですから…





貧富の格差が生じるのは、「努力の結果」ではないのです。





”愛”の不実践の結果です。”愛”と反対のことをやっているから、富を蓄えるのです。





それを「努力の結果」?…狂ってますわ…サルが「努力」して、どれだけの結果が出ると思っているのか?






インチキ三昧やって、生活保護の受給者になる者もいるかと思えば…





総理大臣になってるやつまでいるじゃないですか?大金持ちでしょ?庶民からすれば…






もてはやすパー民がたくさんいれば、バカでも総理大臣になれるという見本が現実に存在する!!





インチキ三昧やってても、総理大臣になれる平和な国がニッポンなのです…






レーガンやサッチャーのようなクルッパーが出てくる以前は、「人間は平等」をみんな信じていました。





ある種の「信仰心」がみなにあり、それを追い風に宗教や政党が組織を拡大できたときだった。





時代は変わる。人類は進歩する。





多くの人が、そう信じられる”なにか”がまだあったのです。






中国でも、宗教が大流行ということで、ある種の”目覚め”があることは確かでしょう…





でもね…そんなことを、人間は繰り返しているんですよ…





宗教ブームも、「ビジネスチャンス」ととらえている人々はすでに少なからず存在しているんです。






そして人々は再び間違える…





隣人にではなく、教祖様や教団や政治家に「分け与えて」しまう…






人々は結局”愛”ではなく”欲”を求める…





「”愛”がほしい」などといって、貪りのこころをたぎらせ、阻むものを憎むのです…






「”愛”がほしい」…そう言った時点で”愛”は消える…





伝えることはいいのだが、貪ったり、裁いたりしてはいけないのだ…






なぜ”愛”がないのか?





貪っているからだ。それを追い求めるからだ…






無償でなければ”愛”ではない。






見返りを求めた時点で、それはもう”愛”ではない。






「私がこんなに愛したのに…」と言った時点で、もう”愛”じゃない。






イエスも「私が愛したのに」みたいなことを言っていたと思うが、それは「お互いに愛し合え」ということを教えるためで「私をもっと愛せ」という意味ではなかったと思う。






「見返りを求めてはいけない」と言っているのではない。





「見返りを求めた時点で、それは”愛”ではない」と言ったのだ…






”愛”に気づいても、実践のレベルには段階がある。





レーガンもサッチャーも出てこなかった時代…





人々は、そうした”愛”の実践について、学んだり、試みたりしていたのだ。





少なくとも、その時代くらいまでは、戻さねばなるまい…





(付録)


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日本国民の現状は「自業自得」

「馬鹿国民帝国日本の滅亡」という、ブログタイトル自体がすべてのブログ記事内容を語っているようなブログから転載。
実際、このブログに書かれているのは、日本人は馬鹿国民だから、日本馬鹿帝国は滅亡して当然、という内容がほとんどのようだ。私もその意見の前半には賛成だし、私もその馬鹿の一人なのだろうが、日本が滅亡することは何とか阻止したいと思っている。その気持ちが自分のブログで政治的記事を書く原動力の一つでもある。今の大人は(今の社会を作ってきた責任があるのだから)どうなってもいいが、若者や子供や幼児には罪は無いからである。
さて、下記記事は政治的記事ではなく、「哲学」である。かなり高度な哲学だと思う。難解さは少しも無いから、こういう議論は軽視されがちだと思うが、人間性の本質に迫る議論だし、言っていることはほぼ正しいと思う。(まるで自分に「判定者」たる資格があるような偉そうな言い方だが、誰しも自分の読んだ物については自分で判断する資格はある。ただし、その判定が正しいとは限らないのは勿論だ。)







「自己実現」とは何か



2013-11-15 22:56:00
テーマ:神(真)言・魔(真)言


「自己実現」ということばは、マズローの欲求五段階説に基づいて日本に流入してきた舶来モノですが…


これを「自己実現」と訳すところに、仏教の影響があるように感じます。


「自我実現」でもない、「自分実現」でもない… 「自己実現」!!…


「自己」ってなんでしょう?「自我」って?「自分」とはどう違う?…



「自分探し」とは言うが…「自我探し」とか「自己探し」とはいわへんな~…



「自我探究」「自己探求」というのはあっても「自分探究」というのは、ちょっと特殊な感じだし…



簡単にいえば、「自分」とは、他者とはちがうもので、姿かたちやポリシーなどでしょうか…


キャラクターとかパーソナリティーとか、ペルソナといったことばが浮かびます。



「自我」というと、もう少し「いま、ここ」で、いままさに「自分」をこの瞬間瞬間に生成しているものという感じがします…


西洋の心理学では「超自我」なんてのも出てくるんですが、いまいち正体が定かではありません。



シュタイナーなどの西洋神秘思想になると、肉体、エーテル体、アストラル体、の三層構造によって「自我」を規定し、これにさらに「霊体」という「超自我」みたいなものを設定するのですけどね…



おもしろいですが、これなら西洋占星術だって似たような「自我構造モデル」をつくっていて、人格を上昇宮、太陽宮、月の入っている宮の三つでとらえるってやつがあるわけです。



それぞれに「私」というものを、どう分析し、どう描くかという点で共通のツールとして興味深いものです。



で…それらは、どんな服を着て、どんな鏡に自分を映してみるかということであり、好みでやればよいわけですが、きょうのテーマは、仏教でいうところの「本当の自分」というやつについてです。



「自分」って、なんだろうかと…内観してみると、いろんな「自分」がいるじゃないかと…


日本人は単純に「タテマエ」と「ホンネ」の二元論でシンプルに「理解」しようとするのですが…


矛盾するふたつの「願い」や「自分」が、両方とも「ホンネ」だったりするわけですね?


「どっちが本当の自分?」と問うても迷うような…「どっちも自分やんか!」みたいな…


こういうのを”葛藤”というのですがね…「自分」のこうした「分裂」は、昔からあることなんです…



しかし、どれも「タテマエ」ではない「ホンネ」ではあるものの、「本当の自分」はどっちなのだと…?


どれも「本当の自分」ではあるけれども、そのなかでももっと究極的な「真の自分」ってのがあるじゃないか…


仏教では、それを「自己」と呼んでいる…


それは慈しみのこころであり、悲しみを知るこころである…


儒教では”仁”と呼び、キリスト教などが”愛”と呼んでいるもの…どんぴしゃりに一致ではなくても…



恐怖し、惑う自分がいる…飢え渇き、貪る空虚なこころが満たされぬ自分がいる…


他人や世間と引き比べ、いつも外見や体裁を気にするだけの自分がいる…


ただ感情のままに快楽に浸り、嫌悪感に相手を憎悪する自分がいる…


常に「敵」や「課題」をみつけ「戦って」いる自分がいる…



まあ、どれも「自分」には違いないが「本当の自分」はそれらではないよ…



ちょうどNスペが「病の起源」というので「うつ病」をやっていた。


何でも平等に分け与える狩猟社会では、うつ病はなかったと…


階級が生じ、富に独占が生じ、階級が生まれてから、うつ病は増大したのだと…


仏教もキリスト教も「分け与える」ことを奨励する…


貪ること…つまり、効率や利益を追求することは、否定しているといってもよいくらいだろう。



「本来の自分」は、分け隔てなく、財物を分け合う「自分たち」なのだから…



競争ではない、むしろ協力…戦いではない、むしろ慈愛…


実際、そうした”人間の本性”にしたがうほうが気持ちがいいし、健康的なのだ。



こうした”本来のこころ”を、人間はだれしももっている…


自他を分け隔てすることなく、自然と一致している調和した「自分」を…



これを「人間だれしも仏性をもっている。地獄鬼畜生といえども、それをもっている」と仏教は説く…


その「仏性」が、宇宙と生命と調和して一致する「自分」…それが「本当の自分」だと…



だから、そういう感じがもてたとき、「自分」は自分の中にある気がしない…



それは、むしろ天から「降りてくる」感じがする…


「自分」もまた「ある」ものではなく、一瞬一瞬天から与えられているような…そんな感じがするのだ…



これを…


「真の自分を取り戻す」


…と言ってもよいのだろう…または…


「神との合一」


…と言ってもよいのだろう…



そして、その”本当の自分”というのは、天地生成以前からと言ってもいいくらい昔から悟っていた…


初めからすべてを知っていた…



「即身是仏」というのだが、実は我々は生まれながらに”仏”なのだと…


お釈迦様も悟ったときには、自分は大昔から悟っていたという確信を覚えたという。


それだけ”悟り”というのは実感するものだし、悟ってみれば、バカに当たり前のことということなのだ。



しかし、ほとんどの者は悟ることなく地獄へ落ちる…


「本当の自分」に波長を合わせず、貪る自分や妬む自分に同調してしまうからだ…



ネットには、そうした鬼畜生に同調している者たちがウヨウヨいて罪を重ねている…



自分が積み上げた罪業の報いは必ず受けることになる。


今日の日本の惨状も、よくよく思い起こせば、すべて日本人が自らの悪行三昧で招いたものなのだ。



たとえば…だよ…「人を殺した者は死刑だ」と言う者がいる…


だが、その者は無批判に原発にただただ賛同していたとする…


じゃあ、東電と同罪ではないか…


東電が”人殺し”であるならば、それに盲従してきた者たちも”人殺し”だ。


ならば、自分が宣言した法にはしたがわねばならないから、みな「死刑」である…



…で、奇しくも現実はそれが実現しつつある…



簡単に言えば、こういうことだ。



「本当の自分」を偽ってきた者たちは、必ずその報いを受ける。


「本当の自分」を思い出せ…仏の自分に回帰せよ…



これが「即身是仏」の教えだ。



死者のために仏教はあるのではない…



たとえば、反原発の市民運動をしていたとする…


広瀬隆とか、講演に来てもらう…(けっこう高額だってね…)


そして、学習を重ねながら「反原発」というムーブメントをつくっていくわけだ。



仏教も、もともとは、この教えを広め、実践しようという者たちが集まって”檀家”となり…


僧を呼んで学んだり、儀式を執り行ったりしてきたわけである…



昨今は、全然そういう”本来のかたち”になっていない。


坊さんも坊さんだが、一番酷いのは”檀家衆”である。


な~にもわかっていない…



こういうことが国政レベルでも生じていて、民主主義をまったく理解していないチンパン国民が結局は現在のデタラメな政治を引き寄せているのである。


すべては”自業自得”…


天罰なのである。




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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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