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全人類的な平和と幸福への願い

「播州武侯祠遍照院」ブログから記事全文を転載。
言葉は、その人の人格を自然と物語るものだ。皇后の言葉は、その顔立ちや表情、仕草などと同じく、皇后自身の清らかな人柄を示している。頭の明晰なことも驚くほどだ。天皇皇后両陛下が、少しでも長生きして、この日本が良い国になっていく姿を見てほしいものである。
そのためには、まず政界・官界・財界・マスコミ界の大掃除だろう。
坂本竜馬ではないが、「日本を大掃除したい」と願う人はたくさんいるはずだ。


(以下引用)

ちょっと気になる。 皇后さん80歳誕生日の会見の言葉・・・ 渾沌堂

Updated   
2014.10.20 (Mon)
朝日だけが流していた皇后さん80歳誕生日会見の言葉。

宮内庁 より

上記文抜粋
・・・・・・・
問1 このたび傘寿を迎えられたご感想とともに,これまでの80年の歳月を振り返られてのお気持ちをお聞かせください。

皇后陛下
ものごころ付いてから,戦況が悪化する10歳頃までは,毎日をただただ日向で遊んでいたような記憶のみ強く,とりわけ兄や年上のいとこ達のあとについて行った夏の海辺のことや,その人達が雑木林で夢中になっていた昆虫採集を倦きることなく眺めていたことなど,よく思い出します。また一人でいた時も,ぼんやりと見ていた庭の棕梠しゆろの木から急にとび立った玉虫の鮮やかな色に驚いたり,ある日洗濯場に迷い込んできたオオミズアオの美しさに息をのんだことなど,その頃私に強い印象を残したものは,何かしら自然界の生き物につながるものが多かったように思います。
その後に来た疎開先での日々は,それまでの閑のどかな暮らしからは想像も出来なかったものでしたが,この時期,都会から急に移って来た子どもたちを受け入れ,保護して下さった地方の先生方のご苦労もどんなに大きなものであったかと思います。
戦後の日本は,小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ,少なからぬ感情の試練を受けました。終戦後もしばらく田舎にとどまり,6年生の3学期に東京に戻りましたが,疎開中と戦後の3年近くの間に5度の転校を経験し,その都度進度の違う教科についていくことがなかなか難しく,そうしたことから,私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような不安をその後も長く持ち続けて来ました。ずっと後になり,もう結婚後のことでしたが,やはり戦時下に育たれたのでしょうか,一女性の「知らぬこと多し母となりても」という下の句のある歌を新聞で見,ああ私だけではなかったのだと少しほっとし,作者を親しい人に感じました。
皇室に上がってからは,昭和天皇と香淳皇后にお見守り頂く中,今上陛下にさまざまにお導き頂き今日までまいりました。長い昭和の時代を,多くの経験と共にお過ごしになられた昭和の両陛下からは,おそばに出ます度に多くの御教えを頂きました。那須の夕方提灯に灯を入れ,子どもたちと共に,当時まだ東宮殿下でいらした陛下にお伴して附属邸前の坂を降り,山百合の一杯咲く御用邸に伺った時のことを,この夏も同じ道を陛下と御一緒に歩き,懐かしみました。
いつまでも一緒にいられるように思っていた子どもたちも,一人ひとり配偶者を得,独立していきました。それぞれ個性の違う子どもたちで,どの子どもも本当に愛いとしく,大切に育てましたが,私の力の足りなかったところも多く,それでもそれぞれが,自分たちの努力でそれを補い,成長してくれたことは有難いことでした。子育てを含め,家庭を守る立場と,自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために,これまで多くの職員の協力を得て来ています。社会の人々にも見守られ,支えられてまいりました。御手術後の陛下と,朝,葉山の町を歩いておりました時,うしろから来て気付かれたのでしょう,お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って来られ,「陛下よろしかったですね」と明るく云い,また車に走っていかれました。しみじみとした幸せを味わいました。
多くの人々の祈りの中で,昨年陛下がお健やかに傘寿をお迎えになり,うれしゅうございました。50年以上にわたる御一緒の生活の中で,陛下は常に謙虚な方でいらっしゃり,また子どもたちや私を,時に厳しく,しかしどのような時にも寛容に導いて下さり,私が今日まで来られたのは,このお蔭であったと思います。
80年前,私に生を与えてくれた両親は既に世を去り,私は母の生きた齢としを越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出と共に,同じ朝「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれた父の言葉は,私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います。

問2 皇后さまは天皇陛下とともに国内外で慰霊の旅を続けて来られました。戦争を知らない世代が増えているなかで,来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい。


皇后陛下
今年8月に欧州では第一次大戦開戦から100年の式典が行われました。第一次,第二次と2度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い,共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました。
私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,身の震うような怖れであったのだと思います。
戦後の日々,私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが,戦中戦後の記憶は,消し去るには強く,たしか以前にもお話ししておりますが,私はその後,自分がある区切りの年齢に達する都度,戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか,と思いを巡らすことがよくありました。
まだ若い東宮妃であった頃,当時の東宮大夫から,著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で,中でも,帰国への期待をつのらせる中,今年も早蕨さわらびが羊歯しだになって春が過ぎていくという一首が特に悲しく,この時以来,抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと,その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に,心を向けるようになりました。
最近新聞で,自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が,十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前,死亡場所等,出来る限り正確な名簿を作り終えて亡くなった記事を読み,心を打たれました。戦争を経験した人や遺族それぞれの上に,長い戦後の日々があったことを改めて思います。
第二次大戦では,島々を含む日本本土でも100万に近い人が亡くなりました。又,信じられない数の民間の船が徴用され,6万に及ぶ民間人の船員が,軍人や軍属,物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを,昭和46年に観音崎で行われた慰霊祭で知り,その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。戦後70年の来年は,大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。
世界のいさかいの多くが,何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で,わが国の遺族会が,一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの,自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも,今,平和の恩恵に与っている私たち皆が,絶えず平和を志向し,国内外を問わず,争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。

問3 皇后さまは音楽,絵画,詩など様々な芸術・文化に親しんで来られました。皇后さまにとって芸術・文化はどのような意味を持ち,これまでどのようなお気持ちで触れて来られたのでしょうか。


皇后陛下
芸術ー質問にある音楽や絵画,詩等ーが自分にとりどのような意味を持つか,これまであまり考えたことがありませんでした。「それに接したことにより,喜びや,驚きを与えられ,その後の自分の物の感じ方や考え方に,何らかの影響を与えられてきたもの」と申せるでしょうか。子どもの頃,両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ,それを楽しんでいる姿を見,私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。戦後,どちらかの親につれられ,限られた回数でも行くことの出来た日比谷公会堂での音楽会,丸善の売り場で,手にとっては見入っていた美しい画集類,父の日当たりのよい書斎にあった本などが,私の芸術に対する関心のささやかな出発点になっていたかと思います。
戦後長いこと,私の家では家族旅行の機会がなく,大学在学中か卒業後かに初めて,両親と妹,弟と共に京都に旅をする機会に恵まれました。しかし残念なことに,私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。結婚後,長いことあこがれていた飛鳥,奈良の文化の跡を訪ねることが出来,古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い,歌に「山」と詠まれている,むしろ丘のような三山に驚いたり,背後のお山そのものが御神体である大神おおみわ神社の深い静けさや,御神社に所縁ゆかりのある花鎮はなしずめの祭りに心引かれたりいたしました。学生時代に,思いがけず奈良国立文化財研究所長の小林剛氏から,創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き,「弥勒菩薩」や「阿修羅」,「日光菩薩」等の像や,東大寺燈篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも,私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。
建造物や絵画,彫刻のように目に見える文化がある一方,ふとした折にこれは文化だ,と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。昭和42年の初めての訪伯の折,それより約60年前,ブラジルのサントス港に着いた日本移民の秩序ある行動と,その後に見えて来た勤勉,正直といった資質が,かの地の人々に,日本人の持つ文化の表れとし,驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。当時,遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに,異国からの移住者を受け入れ,直ちにその資質に着目し,これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても,深い敬愛の念を抱いたことでした。
それぞれの国が持つ文化の特徴は,自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。これまで訪れた国々で,いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが,私は特に,ニエレレ大統領時代のタンザニアで,大統領は元より,ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から「私たちはまだ貧しいが,国民の間に格差が生じるより,皆して少しずつ豊かになっていきたい」という言葉を聞いた時の,胸が熱くなるような感動を忘れません。少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも,文化の一つの形ではないかと感じます。
東日本大震災の発生する何年も前から,釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており,3年前,現実に津波がこの市を襲った時,校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り,全校の生徒がこれに従い,自らの生命を守りました。将来一人でも多くの人を災害から守るために,胸の痛むことですが,日本はこれまでの災害の経験一つ一つに学び,しっかりとした防災の文化を築いていかなくてはならないと思います。
歓び事も多くありましたが,今年も又,集中豪雨や火山の噴火等,多くの痛ましい出来事がありました。犠牲者の冥福を祈り,遺族の方々の深い悲しみと,未だ,行方の分からぬ犠牲者の身内の方々の心労をお察しいたします。又この同じ山で,限りない困難に立ち向かい,救援や捜索に当たられた各県の関係者始め自衛隊,消防,警察,医療関係者,捜索の結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に,感謝をこめ敬意を表します。


・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

{赤・青の着色や大文字化は私の編集です。}

偉大な先達の一人ってことで、一応全文載せます。

>私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,身の震うような怖れであったのだと思います。

朝日でもこれを特筆していたが、やはりアベ・戦争屋・原発屋のやっていることに皇室は我慢ならないってことの表れであります。

>戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということ

今の霞が関・アベチョン仲間は、その意思と覚悟はあるか!って話。


>創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き,「弥勒菩薩」や「阿修羅」,「日光菩薩」等の像や,東大寺燈篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも,私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。


基本的に現皇室は「神仏習合」に舵を切っているってことか。神社本庁というカルト集団とは一線を画す。

秋篠宮の息子さんの悠仁さんが生まれるとき、その安産祈願に泉涌寺の腹帯で祈願をした。

>大統領は元より,ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から「私たちはまだ貧しいが,国民の間に格差が生じるより,皆して少しずつ豊かになっていきたい」という言葉を聞いた時の,胸が熱くなるような感動を忘れません。少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも,文化の一つの形ではないかと感じます。

日本もそうだった。

でも今の霞が関・財界・アベチョン仲間・似非保守は、そういう日本の本来持つ文化・思想の良いところはゴミ箱に捨てているようで、弱肉強食の修羅道・餓鬼道こそ本懐の、極悪人の大逆無道であるのは言うまでもない。



いやだろう、日本の権力者どもに取り、老賢女のこの発言は。


お読みくださりありがとうございます。

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麻生や安倍がアレなのは国家機密

最後のコメントに思わず笑った。
昔のソ連のアネクドート(小噺)を思い出した。

「赤の広場で『フルシチョフは馬鹿だ』と叫んだ男が逮捕されたそうだ」
「ほほう、誹謗罪かね?」
「いや、国家機密漏洩罪だ」

おや? そういえば、日本にも似たような法律があったような。




(以下「ネットゲリラ」から引用)



ロシアはiPhone1億台買わないから

野次馬 (2014年10月19日 11:30) | コメント(18)



メドベージェフがオバマを非難というんだが、元はオバマが悪いんで、人類の脅威が、「一にエボラ、二にロシア、三にイスラム国」と言ったというんだが、おいおい。ロシア人は人類じゃないのか? イスラム国の国民は人類じゃないのか? という事になるw 


「たとえば私には、オバマ大統領が国連総会の演壇に立ち、人類が直面している脅威又は課題を数え上げるに、一番目にはエボラ出血熱を挙げ、これは妥当だとして、二番目にロシア連邦を挙げ、三番目にやっと「イスラム国」を挙げたことが、非常に哀しい。
私はこのことに言及すらしたくない。哀しいことだ。何か脳に異常があるんじゃないのか」と首相。

中東みたいな「民主主義」が成立しない土地においては、ああいう手法しか統治する手がないんだろうし、ロシアがユダヤ人嫌いでiPhone6を1億台買わないからって、そら、ロシア人の勝手だ。ロシア人はどんなスマホ使ってるのかね?



オバマ「"人類の脅威"1位エボラ、2位ロシア、3位IS」→メドヴェージェフ「何か脳に異常があるんじゃ」、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。

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例えそう思っていても口に出さないほうが良いこともある
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クロンボはどう逆立ちしても知能労働向きじゃないってことだな
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詭弁使いだからな、オバマンは
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ここまでロシアを敵視してんのアメリカくらいでしょ
世界にとってはオバマのほうが害悪なのは常識だわ
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裏工作してんじゃね
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まあ中共がランクインしていないところがオバマクオリティ
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ロシアより酷い中国が入らないとか露骨っすなー
さすが親戚に中国人が何人もいるオバマだわ
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アメリカはエボラなんとかしろよぉおおおおおおおおおおおお
感染の疑いがある奴は片っ端から隔離しろ!
隔離を手伝った奴も隔離しろよ!
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ロシアは、自分達は世界の癌だと気づいてなさそう
中国は気づいてるが、そんなの関係ないとと思ってそう
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プーチンに主導権握られがちだしなオバマ
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【国際】オバマ大統領「"人類の脅威"1位エボラ、2位ロシア、3位イスラム国」→メドヴェージェフ首相「何か脳に異常があるんじゃないのか」
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413508611/
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ほんと80年代はソ連は悪って映画ばっかだったよな。あれプロバガンダの一つだったんだな。
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↑当時少年だったオバマはソビエト時代がトラウマになってんのかもね
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しかしこんなのにまでロシアを上げるとか悪と思い込ませる印象操作必死だなアメリカ
日本も日本は悪!とアメリカに昔からやられてるけど
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アメリカは昔からロシアの事怖くて仕方がないからな、中東でイスラム教徒同士殺しあってるISより
冷戦時代の核の脅威のトラウマの方に怯えてるんだろ
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いつもの大げさスレタイかと思ったら
メドさん、ホントに言ってたwww
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日本の脅威は

1位アメリカ
2位中国
3位韓国
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ネトウヨ「韓国、韓国」
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まぁ、正面からブチ殺し合って、アメリカと対等に戦えるのはロシアしかない。中国の持っている核ミサイルなんて知れたもんだし、アメリカを攻撃するには、中国はあまりに遠い。ロシアは、何と言ってもアメリカと国境を接している隣国なのだ。


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日本の驚異は中国、働かないお前ら、なかなか死なない爺婆
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エボラばらまいてるのアメリカとイスラエルだろ
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>何か脳に異常があるんじゃないのか

アメリカの国家機密じゃないか
国家機密が漏洩するのはスノーデンに続き2度目か


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人権無き社会

相変わらずの上手さだ。だけど、これは映画「仁義無き戦い」をリアルタイムで楽しんだ世代でないと味が分からないかもしれない。




(以下引用)




小田嶋隆 @tako_ashi  ·  10月17日

のうきょうだい、わしの人権は、みーんなこんなにあずけたけえ、わしゃー永遠のゼロじゃけんのう。

 

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コスモスと大正文化

澁澤龍彦の「フローラ逍遥」という本の中に、実にうまい一節があったので、備忘のために転記しておく。「大正文化を思わせる花」の冒頭である。

 コスモスには、一時代前の、大正文化あるいは大正ロマンティシズムを思わせるところがある。なんとなくハイカラで、郊外の文化住宅の庭に植えられていたり、児童雑誌「赤い鳥」の挿絵に描かれていたり、といった感じなのだ。なんとなく弱々しいところまでが大正文化と似ているから妙である。
 事実、コスモスは明治の末とくに日露戦争後に、日本全国にさかんに植えられるようになったというから、その花が日本であれほどポピュラーになったのは、まさに大正時代と時期的にぴったり一致していたわけだ。









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炎上商法

今日の記事はただの雑談で、しかもコピーしたツィートが消えている状態なので、意味不明の記事かもしれない。この岩崎夏海という一発屋も、マスコミから消えるのが怖くて炎上商法をたくらんだのだろうが、みじめなものだ。そう考えると百田某の右翼的挑発発言の数々も炎上商法の一環か、と思われる。無視するのが一番か。


(以下引用)


2014-10-16

もしドラの作者のセクハラ釣りツイートが意味不明すぎた・・・


f:id:pokonan:20140907122840j:plain


あさイチ!のセクハラ問題特集で、イノッチが有働さんに対する独身ネタなどのセクハラ行為に苦言を呈し、彼は大幅に株を上げて、Twitterでも絶賛されていた。



背は高いが恵比寿様みたいな顔で、別にそこまでカッコイイというイメージもなかったイノッチだが、美女の瀬戸朝香を妻にするだけの器量が彼にはあるわけだ。
良い奴だな、イノッチ…と私は彼のこの発言を大いに支持したわけだが、今日は本当に物凄く意味不明なツイートを見たのだ。


なんだこいつは!?と思ったら、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の作者だった。
もしドラ読んでないから、まぁ私にとっては全然知らない人であるが、世間的にはそこそこ有名人だと思う。
彼が一体どれだけ意味不明なのか、ちょっと紹介したい。











まずこれだけでも、すごく謎が多い。
一つ目のツイートは、もうこれは完全に叩かれるのは目に見えてる。
セクハラを好きだというこの発言は、立場の弱い女性に性的嫌がらせをするのが好きって言ってるわけで、そんな発言は当然バッシングされるべきだ。
だから、私のTLなどでは非難轟々で、ものすごく叩かれていた。
こういう発言は、もうスルーされる世の中ではないのだ。
それが分からないのなら、存分に非難されて認識を改めなよ、としか言葉がない。
しかも、好奇心がどうのこうの言ってるが、性的嫌がらせを好奇心を満たすためにやっているって、ちょっと理解不能である。


で、「セクハラを指弾するという名目にかこつけて、個人的な権利の拡大を図ろうとする輩が多いから」とあるが、それが具体的にどういうことなのかがさっぱりわからない…。
イノッチの発言にかこつけて、セクハラを指弾したとして、それでどうにかなる権利って一体なんなのだろう。
しかも、そういう輩がとても多いらしい。
この権利とやらが、やたら抽象的でなんのことか分からないのがちょっと怖い。


これってもしかしてだけど、セクハラを嫌がり拒否することを「権利拡大」なんて言ってるんじゃないよね…?





そして、まさかの釣り宣言…( ゚д゚)ポカーン


今までもこれとよく似た展開はいくつか見てきたことがある。
女性を馬鹿にした発言をして、それで炎上したら「釣りでした~☆」って妙な言い訳をする人たちは結構いた。
この人も、思わぬバッシングで焦ってこういう展開に持っていくしかなかったのだろうか。





この人が賢いか馬鹿かは知らないけれど、自分でも悪質だと認識している冗談をスルーされると思ってるそのふんぞり返った態度は一体なんなのだ。







そして、なにやら見えない敵と戦いだした。
サッカー代表の試合でよくみかける「絶対に負けられない戦いが、そこにはある!」ってフレーズが頭のなかでリフレインするぜ…。


私はこういう悪質な冗談とやらがスルーされない、きちんと非難される社会が健全だと思っているので、この人が考える「健全な社会」って、女性にとっては地獄だろうな、ってことだけは分かった。


その後のツイートも、本当に目眩がするくらい何言ってんのかよくわかんないことが続いていた。




色々びっくりだが、セクハラに苦言を呈したイノッチを絶賛する女性たちの盛り上がりが気に入らないんだろうなぁ、てのはなんとなく想像できた。


件のあさイチ!に対しても、俺の「セクハラする権利」を生意気な女が奪おうとする!って反応は、腐るほど見てきたので、この人もその延長かもしれない。


ちょいワルおやじ気取りでうっかり「セクハラが好き」なんてノリでツイートしたら、物凄く非難されたので、言い訳のために謎の拡大する権利を持ちだしてきて、悪と戦うヒーローになり、このセクハラ好き発言を肯定させとうと必死で、ここまでちんぷんかんぷんになったのかな。


この発言を非難すると同時に、この人が一体何を言っているのか意味が分からない、と困惑している人がTwitterのTLにはかなり多かった。


もしかして、この意味不明さで相手を惑わし、論点ずらしをするのが狙いなのか…?



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愛とは何か

晩酌をしながら読書をし、その本の中で得たヒントを基にしての思索だから、酔っ払いのたわごとであることは最初にお断りしておく。

大野晋の自伝的随筆「日本語と私」の中に、北条民雄の「いのちの初夜」の一節があり、そこにらい病患者のうめきが書かれている。「同情はいらない、愛情がほしい」と。
さて、らい病患者が愛情を求めることは妥当だろうか、というひどい質問が、私からの問題提起である。らい病患者には限らない。はたして、人は他人に愛情を要求できるのだろうか。そもそも、愛情と同情の違いは何か。
数刻前に、ディケンズの「大いなる遺産」の前編を読み終えたところなので、その中の一節を引用しておく。

「ほんとの愛とはどんなものか、おまえにいってあげよう」と、彼女はおなじ早口の熱情的なささやき声でいった。「それは盲目的な献身です。疑うことを知らない自己卑下です。絶対的な従順です。信頼と信仰です。おまえ自身にそむき、全世界にそむいて、おまえの全身、全霊を、おまえを打つものにゆだねてしまうことですーーちょうど、わたしがそうしたように!」

で、私は、結婚式の直前に婚約者に裏切られ、それ以降の時計をすべて止めた、このミス・ハビシャムとまったく同意見なのである。そうでない愛など、ただの計算にすぎない。
とすれば、他人に愛を求めることが本来的に不可能であることは論理的必然だろう。

「愛のおのずから起こるまでは、呼び、かつ覚ますことなかれ」

という旧約聖書の「雅歌」の言葉は、永遠の格率(従うべき規範)なのである。
愛とは、呪いであり、理不尽な運命なのである。

ちなみに、「同情」と「愛情」の違いを言えば、「同情」とは、自分がその立場にいない者からの「優越心」を背景とした慈善的感情である。つまり、「同情する私は上」「同情されるあなたは下」という上下関係が絶対的前提としてあるから、世間の大多数の人間はあれほど同情されることを嫌うのである。それも、結局は「自分を価値ある存在と看做したい」というくだらない自尊心や自己愛の将来するところでしかないのだが、そういうちゃちな「プライド」は案外、多くの人の共感を呼ぶようだ。つまり、それほどに人間の自己愛というものは度し難い、ということである。













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太陽光発電を利用した国家的詐欺

「播州武侯祠遍照院」ブログから、記事の一部を抜粋転載。
我が家も数年前に太陽光発電システムを購入しようかと検討したこともあったので、この壮大な国家的詐欺は他人事ではない。政府と大企業が結託した詐欺では、庶民など簡単に騙せるのは当然だ。しかも、それが「脱原発」を求める真面目な庶民感情に付け入る「美しい顔」をした詐欺であるから、なおさらだ。
これでまた、原発再稼動に向かって政府と電力会社は歩を進めていくわけだ。まったく、フクシマという巨大原発事故の後始末はほとんどなされず、また原発無しでも電力に余力があることは完全に証明されたというのに、原発村のしぶとさはゴキブリ以上である。これが日本の官僚組織だ。転んでもただでは起きない。それどころか、常に「焼け太り」するのである。




(以下引用)



そういえば、あれだけブームになっていた太陽光発電(というクリーン・エネルギー)も、今や急激にブームの陰りが見え始めていますね。
 
太陽光発電ブームの終焉か-電力会社が送電線への接続申し込み保留で

いやはや。裏社会は最初からこのシナリオを企んでいたんじゃないでしょうか。

電力会社があなたのおうちから太陽光で発電した電力をどんどん買い取りますよ。だから、今のうちに太陽電池を買っておいた方がいいですよ。そう言って、多くの人たちに太陽電池をどんどん買わせる。で、実際に多くの人たちが続々と太陽電池を買う。

ところが、いざその電気を電力会社に売ろうとしたとたん、申し込みが殺到したとの理由で、電力会社が買い取りを保留。儲かったのは太陽電池を大量に売ったソフトバンクのみ。もちろん、ソフトバンクは金融ユダヤの傀儡です。

何しろソフトバンクの太陽光発電パネルの発電量がとびぬけて凄かったみたいですからね。マスコミも記事にしたほどですから、かなり多くの人がソフトバンクから太陽光パネルを買ったんじゃないでしょうか。

太陽光発電 「メーカー主導」の終わり 引き金引いたソフトバンクとカカクコム :日本経済新聞

この太陽発電のためにソフトバンクは国から莫大な予算をもらった上、大量の売り上げを出して大儲け。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

現在、「脱原発利権」なるものが生まれつつある。孫正義・小泉純一郎・細川護煕・菅直人の動きに注意。

で、国家ぐるみで「電力の買い取り制度」なるものをマスコミとグルになって大々的に宣伝し、この太陽光パネルを買うように国民に促した。しかし、いざその太陽電池を買った人は、電力会社に電力を買ってもらえない……。
 
これを詐欺と言わずして何と言えばいいのでしょうか。



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