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「歌」(クリスチナ・ロセッティ)

正月早々であるが、或る、死についての詩を紹介したい。クリスチナ・ロセッティの「歌」という詩である。


昨日、ここのところずっとネットテレビで見ている「名探偵モンク」の中にこの詩が思いがけなく出てきたので、あちらでは結構有名な詩だと思うのだが、日本ではこの詩が訳されているのを私は見たことが無いので紹介する次第である。「千の風になって」が、この詩のイメージに近いように思うが、あるいはこの詩の影響を受けているのではないか。


なお、私が別に持っていて主に資料倉庫にしている別ブログで、私自身によるこの詩の訳を載せているが、お笑いなことに私は下記の詩中の「haply」を「happily」と勘違いして訳していた。全体にthouとか wiltなど古英語の出てくる詩なので、これもその一つと思ったのかもしれない。しかし、偶然ではあるが、その誤訳も、詩としては結構うまくつながっている気がする。と言うより、面白い気がするので、誤訳の方もお目にかける。


まあ、誤訳は誤訳だから、その部分だけ訂正した訳も誤訳の後に載せておく。ただし、私の貧弱な英語力による訳であるから、まだ誤訳があるかもしれないのはもちろんだ。


なお、原詩は新倉新一氏の『英詩の構造』(名著だと思うが、引用された詩は全部英語であり、訳はついていないので、まだ全部は読んでいない。)から採った。






Song




When I am died, my dearest,


Sing no sad songs for me;


Plant thou no roses at my head,


Nor shady cypress tree.


Be the green grass above me


With showers and dewdrops wet;


And if thou wilt, remember,


And if thou wilt, forget.



I shall not see the shadows,


I shall not feel the rain;


I shall not hear the nightingale


Sing on as if in pain.


And dreaming through the twilight


That doth not rise nor set,


Haply I may remember,


And haply may forget.





CHRISTINA ROSSETTI










歌      クリスチナ・ロセッティ


もしも私が死んだらあなた
悲しい歌は歌わないで
お願い 楽しい歌を……
私の枕元にバラや
陰深い糸杉を植えないで
雑草の生い茂るままにして
通り雨や露の濡らすにまかせ
そして
あなたが望むなら思い出して
そして、あなたが望むなら忘れて

私は影を見ることはないでしょう
雨を感じることもないでしょう
苦しむように鳴く夜鶯の声を聞くこともないでしょう
永遠の夕暮れの薄明かりの中で夢見て
幸せに私は思い出すでしょう
そして、幸せに忘れるでしょう









(訂正訳)







歌      クリスチナ・ロセッティ


もしも私が死んだらあなた
悲しい歌は歌わないで
お願い 楽しい歌を……
私の枕元にバラや
陰深い糸杉を植えないで
雑草の生い茂るままにして
通り雨や露の濡らすにまかせ
そして
あなたが望むなら思い出して
そして、あなたが望むなら忘れて

私は影を見ることはないでしょう
雨を感じることもないでしょう
苦しむように鳴く夜鶯の声を聞くこともないでしょう
永遠の夕暮れの薄明かりの中で夢見て
もしかしたら私は思い出すでしょう
そして、もしかしたら忘れるでしょう



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癌にならない生活

「大摩邇」から転載。
やや長い記事だが、好記事だと思うので全文転載する。かなり前から同趣旨の記事は私自身も書いている。


(以下引用)





2013年12月29日21:38

カテゴリ『光軍の戦士たち』癌

「ガン細胞は39.3度以上で死滅する!」


光軍の戦士達さんのサイトより
http://ameblo.jp/64152966/entry-11738869196.html
<転載開始>

「ガン細胞は39.3度以上で死滅する!」




           


wantonのブログ



  

Yahoo!知恵袋より引用




ガン細胞は39.3度以上で死滅する

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n72356




がん細胞は39.3度以上で死滅するので、
体を温める事はガンに対抗する最良の方法です。

心臓や脾臓は温度が高いのでガンになりません。

ガン患者が梅毒の発熱によって、治癒した際に
ガンも完治した…という例で発見されたようです。

もちろん39度の体温を維持するのは、体にとって
ウィルス感染など異常事態ですので、そうではなく
体温を上げた状態を作る・・・という健康法と
お考え下さい。

運動する
筋肉量を増やす
半身浴
サウナ
体を温める食べ物を食べる
(生姜、ねぎ、唐辛子、他、陽性食品)
靴下の重ねばき
腹巻

35度ではがん細胞がもっとも増殖するので
低体温の人は要注意です。

   詳しくは『石原 結實』先生の著書『空腹力』で



-引用終わり-
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ガンが治る人、治らない人

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-31a4.html





一部引用


ガン細胞は35・0℃で一番増殖し、39・3℃以上になると死滅する

ことがわかっているが、それは、低体温=体の冷えがガンを作る

大きな要因になることを意味している。

ガンは、

心臓や脾臓、小腸など体温の高い臓器にはまず絶対に発生しない。

逆に、ガンが多発する臓器は、食道、胃、肺、大腸、子宮などの中空に

なっており、細胞が少なく体温の低い管腔臓器である。

世界ではじめて発表されたガンの自然治癒例によれば、

ガンに罹患(りかん)後、自然治癒した人全員が、

丹毒(急性の皮膚細菌感染症40℃以上の発熱がある)や

肺炎にかかって発熱した人だった。

以後、発熱により、ガンが治った症例はいくつも確認され、

ヨーロッパの自然療法病院では、ガン患者を45℃くらいの熱い風呂に

入れたり、アルミホイルのようなもので体を包み熱を加えて体を温めたり

というような温熱療法が行なわれてきた。・・・・・・・・・・



-引用終わり-
---------------------------------------------------





 遠赤外線が健康に良い理由
http://www.mukugi.com/kinomi63ensekikennkou.htm




一部引用




下記は専門家の各種本から、私が参考になると思うところを抜粋したメモ。
具体的な記述がされていて役立つ知恵がいっぱいである。
暖めること、特に遠赤外線で温めるといかに健康に良いか明らかである。

●石原クリニック院長「体を温めると病気は必ず治る」より
 身体も頭も36.5度で一番働くようにできている。
 体温が1度低下すると免疫力は30%以上落ちる。
 体温が1度上昇すると免疫力が5-6倍強くなる。
 がん細胞は35度で一番増え、39.3度になると死滅する。

●兵庫医科大 島博基教授
 微弱な遠赤外線を当てられたマウスの体温が0.36度上がり、

マウスに移植されたがん細  胞内の遺伝子にあるアポトーシス回路が

活性化、約70日後にがん細胞の増殖が半分以下 に抑制された。

●杏林大学医学部 高山精次助教授
 ウサギの静脈にバイパスをつくり、チューブの一部を70度に加熱し

血液中の免疫系細胞を温 め、活性化させると、がん組織の増殖を

80%以上抑制。

●新潟大学医学部 安保徹教授「病気にならない免疫のしくみ」より
 基礎体温が高い人ほど、リンパ球多く、免疫力は高い。
 低体温はリンパ球比率のバランスを崩し、病気をまねく
 間違った生活がからだを芯から冷やしてしまう。
 自律神経のかたよりは、低体温、免疫力低下のもと。

ベル
 あらゆる病気は「冷え+ストレス」から引き起こされる。
 金網に挟んだマウスは体温がどんどん下がった。
 温めて血行をよくすれば、ごわごわの皮膚は改善できる。
 子宮筋腫など冷えて血流障害がひどくなると細胞のこぶができる。
 痛みや発熱などの症状は破壊された組織を治しているサイン。
 からだを温めてがんを撃退する温熱療法。
 「+4度C入浴」でからだを芯から温める。
 ぬくぬく生活は細胞分裂が促進されず、要所要所、

時には寒さを体感することも大切。

●愛知医科大学 伊藤要子助教授
 人体は加温されると「熱ショックたんぱく(HSP)」が産生され、

さまざまな病気やストレス傷害 から体を守り、がんの予防をする。

HSPは熱というショックによってつくられる。HSPは、細胞に危機がせまると、

異常なたんぱく質ができないよう細胞内で大量につくられ、異常になった

たんぱく質を修理し、もとの元気な細胞に戻す。
 HSPは加温して2日目がピークになるように増加する。これを利用して
 手術や放射線治療の2日前に加温、あるいは治療後加温すると、

術後の副作用が大幅に軽減される。

●五味クリニック院長「岩盤浴の秘密」より
 岩盤浴では汗もサラサラ汗に、血液もサラサラ血液に。
 良い皮脂膜(油)が分泌するので、岩盤浴後のシャワーはもったいない。
 ある一定の基準を満たせば、特定のブランド石にこだわることはない。 
 院長投稿文「岩盤浴のデドックス効果について」小田クリニックと調査
 NK細胞は自然治癒力の担い手で、健康な人でも1日3000-6000個

くらいできるといわれ るがん細胞を早期発見し、発病を防いでくれている。


 NK細胞が殺傷力をもつには「パーフォリオン顆粒」という実弾が必要。

この顆粒がNK細胞内 に蓄えられることを、NK活性という。
NK細胞は年齢とともに増加するが、活性化率は20歳で平均45%だった

活性化率が、60  歳以上になると20%まで低下する。 
 岩盤浴(遠赤の温め効果)で、活性化率は驚くほど高まる。

Aさん「43が72%」Bさん「55か ら78%」Cさん「39から57%」、

高齢のDさん「23から52%」に。
 

1回の岩盤浴で、AさんとCさんは、10日後も岩盤浴前より高い数値が持続。
岩盤浴の温熱効果が、骨の中の骨髄、胸の中の胸腺、お腹の中の腸管

リンパ節まで到達し 活性化と思われる。

●(社)東洋療法学校協会 発行「鍼灸の世界」より
  鍼灸施術直後、各種白血球が増加、2・3日その数を保ち、数週間施術

するとリンパ球も増  加。各種白血球の遊走速度速く、

黄色ぶどう球菌に対する白血球の喰菌力が1.5倍に。

●秋田大学医学部の小泉昭夫助教授
 遺伝的に放っておけば全部ガンになるという、ガン多発形マウスを用い、

腹八分の食事と腹五分の食事ではガンのでき方がどう違うかということを

実験されています。

悪性リンパ腫につきましては腹八分では二十一カ月経ちますと

二十六匹のうち七匹がガンにかかります  

が、腹五分では二十八匹中一匹もガンにかかりません。

「乳ガン」については十四カ月経ちますと腹八分では

五十四匹中十二匹がガンになりますが、

腹五分では五十匹中一匹もガンにかからない。

●東海大学医学部微生物教室講師 田爪生気先生
 腹いっぱい食べさせたネズミと腹八分で飼育したネズミの寿命をくらべて、

腹いっぱいのネズミの寿命が平均七十四週であるのに対し、

腹八分のネズミは百二十二週。

●今野和義「遠赤外線が地球を救う」
  効果のある遠赤外線は狭小領域である。
  常温下での電子の移動反応(還元作用)が遠赤外線の作用である。

●(有)志木 山川元志
 遠赤のアルカリ化を確認するため、PH測定器で調べと同じステンレス

ポットでお湯を沸かす と7.0の水道水が、IH、ガス、遠赤でそれぞれ

8.2、8.5、8.9と明らかな違いが確認できた。  

遠赤で土鍋を使用すると9.4と、もっともアルカリ化した。
 また酸化還元計で計ると、

プラス350-500の水道水が50-150程度に還元された。
 これらから、遠赤クッキングヒーターを使うと

明らかに還元力が発揮されることがわかる。

●黒川胤臣
 遠赤外線治療の特色胸に遠赤外線照射器をあてることにより、

呼吸筋が刺激を受けて血液 循環が良くなる。

病状や病気に応じて当てた方が効果が期待できる。
 遠赤外線治療はツボが広いので、ツボの勉強しなくても効果。
 熱エネルギーによる血行改善でリュウマチなどの関節の血行障害による

疼痛軽減 血液循環良くなり白血球集まり、膿を掃除

●泉院長
 遠赤外線は皮膚の表面だけでなく、深部の血液やリンパ球の循環を促す。

●中国トルファン
 世界でもっとも海から遠い盆地、夏は摂氏40度の日が40日続くので

火州、熱砂でガンやリュウマチ治療


● 京大中尾教授
 遠赤はセルライトを取り除き脂肪細胞を活発化させる。

京大中尾教授は、萎縮性糖尿病患者にレプチンを普通の人と同じ量を

投与で治療。
 インシュリンが血糖値を下げるが、脂肪細胞から分泌されるレプチンが

食欲を抑えエネルギ  ー消 費を高める。 レプチンはインスリンを効き

やすくし、糖の代謝をよくする。
 (レプチンは主に成熟脂肪細胞で分泌されるタンパク質。分泌された

レプチンの大部分は視床下部に多く分布するレプチン受容体に作用し、

摂食の抑制とエネルギー代謝の活性化 に強く働きかける飽食因子

(抗肥満ホルモン)としての生理機能を示す。)

●1心病院林田医師
 アレルギー性の気管支喘息の改善経験から
 遠赤は①自律神経の機能調整②喘息発作の予防

③発作中の筋肉痛・頭痛の鎮痛効果④ 発作の温床となる肩こり・便秘。

全身衰弱・筋肉痛の症状改善⑤ステロイド常用者の副腎機 能の恒常化

●防衛医科大黒川医師
 遠赤外線療法の特徴①鍼灸神経ブロック通電治療の際に感じる痛み

や刺激がなく、安全で ある。②ほとんど副作用がなく安全である。

③穏やかでまろやかな感触のため長時間使用  出来る。

④強弱の調節が簡単⑤深達性があるので骨組織に囲まれた部位にも有効

⑥患者自身で簡単に操作できる

●安保徹
 赤リンパ球の数が1800-2000個の状態を2年間維持すれば

進行ガンの多くは縮小していく。

●斑目健夫
 ゆたんぽで、平均で725個だったリンパ球が1週間後に1850個に、

ただし1時的。

●水嶋クリニック
 自律神経免疫療法は、悪性リンパ腫、悪性黒色腫(メラノーマ)、

腎臓ガン、肝臓ガンという  4種類のガンに高い効果。

ヘルパーT細胞T1とT2が8:1以上なら免疫療法効果。

●五味常明
  一般的に、皮膚温が5℃上がると発汗量は2倍、10℃上がると6倍。
 岩盤浴の温度設定は40-55℃、最も多かったのは45-50℃と比較的

低温、温度あげなくても汗かける。湿度は50-80%と非常にばらつき

幅広い。外気湿度高いとそれがバリアー  となってその分汗をかきやすい。

15-20分1度休憩をとって再入浴すると汗出しやすい。  

長時間だとかえって汗腺疲労で汗出にくくなる(発汗漸減という)。
 運動減少や冷房で汗腺機能低下、汗をかかないのは退化の証拠、

汗をかかないと変温動物になる。
熱中症、冷え性、低体温。人間は最も汗をかく、カエルやヘビは変温動物。

低体温は少しの 温度上昇で隠れ熱中症状態でめまい・意識失うことも。
 岩盤から出るマイナスイオンは赤血球のヘモグロビンの中の鉄を還元し、

酸素供給力を高める。




-引用終わり-
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 わんわん

管理人


やはり、冷え性は万病の元というのは本当みたいですね。

直ぐに頭に浮かんだのが、サウナや酵素風呂。

家庭では、40度~42度くらいのお風呂に、毎日少し長めの時間

入浴すれば良いという事になりそうです。




内部被曝から、ガンやその他の病気になるメカニズム

http://ameblo.jp/64152966/entry-11350936235.html



ある原子や分子から電子が一個なくなると、その物質は「酸化」された

といいます。逆に電子を一個もらうとその物質は「還元」されたといいます。







パンティ-ストッキングのある恐ろしい秘密~より

http://ameblo.jp/64152966/entry-11379964093.html







女性の身に着ける合成繊維のパンティ-ストッキングは、絶えず静電気、

つまり、プラスイオンを発生させ、近くの身体からマイナスイオンを奪います。

これにより、その部位は機能低下し、冷え性になると考えられます。

近くにある腸も機能低下し便秘になることが考えられます。

子宮も当然、マイナスイオンを奪われますので、酸化を促進することになり、

活性酸素の攻撃に晒され、子宮筋腫や子宮ガンの一因になることが

危惧される訳です。




晴れ




私がお勧めするのは、遠赤外線毛布です。

その数ある中から、安くて良い物を調べました。

遠赤外線とマイナスイオンを出す優れものです。





温泉毛布

http://www.sakuramichifuton.jp/products/onsen/



【純日本製】温泉毛布 シングル 9,980円


【純日本製】温泉毛布 シングル 9,980円


出来れば、敷毛布と掛け毛布で身体を挟むのがベストです。

遠赤外線によって、身体を芯まで温めて下さい。

そうすれば、あなたの免疫力は何倍にもアップするはずです。

更に、欲をいえば、毎日お風呂に入ることをお勧めします。

ガンで、かなり体調が悪化した人が、お風呂で治した例も

あるようです。


<転載終了>


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「いざ生きめやも」は誤訳なのか

前回、絵の写真をコピーさせていただいた「晴れの日も、雨の日も」から転載。
絵画だけでなく、文学にも造詣が深く、深い鑑識眼があるお方だと思う。
この「風立ちぬ、いざ生きめやも」がヴァレリーの詩の誤訳だという説については、私も聞いたことがあるが、今ひとつ納得がいかないものを感じていた。そのモヤモヤしたものが何であったかが、下の文章で見事に解明されている。
結核という病気がかつて持っていた死病のイメージからは、「風が立った、さあ生きよう」という元気な発言は出てこないだろう、という推定はまったく正しいと思う。あるいは、堀辰雄自身、「いざ生きめやも」は誤訳だと知りながら、あえてこの訳をしたのではないか。いや、訳というよりは、ヴァレリーの詩に基づく創作だ、という意識だったのだろう。一種の本歌取りである。
私自身、考えることが趣味だと書いているが、こういう「謎解き」は普通の推理小説の何倍も私には面白い。もっとも、一番難しいのは謎を解くことよりも謎の存在に気が付くことだと思っている。



(以下引用)




「風立ちぬ、いざ生きめやも」は誤訳とはいうけれど。




Kaze_2


 堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭近くで語られる有名な台詞「風立ちぬ、いざ生きめやも」。これは美しい響きの言葉であり、印象深い句なのだが、誤訳であることでもよく知られている。

 「風立ちぬ」の巻頭には、ヴァレリーの詩の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」が引かれていることから、「風立ちぬ、いざ生きめやも」はそれの翻訳であることは明らかではある。
 原詩のほうは、一般的によく使われるフランス語の言いまわしで、特に難しいものではない。英語に訳すと、「The wind is rising, you should try to live」くらい。後ろの句の主語は本来はweなんだろうけど、この句は自分に言い聞かすような言葉なので、youのほうがいいとは思う。
 それで和訳すると、「風が起きた、生きることを試みねばならない」の意味となる。要するに、吹いた風を契機に、著者の「生きるぞ!」との決意を現わしているのである。

 ところで、堀辰雄はここの部分を、「いざ、生きめやも」と訳している。「生きめやも」は「生き+む(推量の助動詞)+やも(助詞『や』と詠嘆の『も』で反語を表す)であり、現代語になおすと「生きるのかなあ。いや、生きないよなあ」となる。ダイレクトに訳してしまえば、「死んでもいいよなあ」であり、つまりは生きることへの諦めの表現である。
 「生きめやも」を逆にフランス語に訳せば、Vous ne devez pas tenter de vivre.…ではあんまりだから、やんわりとVous n'avez pas à tenter de vivre.くらいになるだろうけど、いずれにせよ、己の生への強い意志を詠じた原詩とはまったく反対の意味になってしまう。

 それゆえ、堀辰雄の「いざ生きめやも」は誤訳の典型として知られてきており、例えば大野晋、丸谷才一の両碩学による対談で「風立ちぬ」が取りあげられたとき、両者により、堀辰雄は東大国文科卒のわりには古文の教養がないと、けちょんけちょんにけなされている。

 ただ、誤訳といえば、誤訳ではあろうけど、私は小説「風立ちぬ」では、「生きめやも」でもいいと思う。

 結核に冒された人達の生活を描いたサナトリウム文学を代表として、結核患者が著書の作品には独特の世界が広がっている。
 結核は抗生物質のある現代では治療の方法のある感染症の一つであるが、20世紀前半までは、効果的な治療法のない死病であった。今の感覚でいえば、末期癌のようなものであり、これに罹ったものは、自身の命を常に見つめて生きていくことになる。

 それゆえ、結核患者の作品は、短く限られた命を真摯に見つめ、その貴重な時を文章に凝集させていくため、清明でありながら密度が濃い、独自の文学を創造している。
 彼らの残した作品は、堀辰雄をはじめ、梶井基次郎、立原道造、富永太郎、…と日本近代文学の珠玉の宝物となっている。

 そういった人たち、毎日死と向き合っていた人たちの作品として、「風立ちぬ」を読んでみれば、季節の移り変わりに吹いた風に、「生きよう」という意思が立ちあがるとは思えず、季節の流れとともにこのまま静かに命が消えても、という感慨が起きても不思議ではなく、かえって自然な感情とも思える。
 元々「風立ちぬ」は軽井沢の療養所で、死を迎えいく若い男女の、残された日々の静謐な生活を描いたものであり、「il faut tenter de vivre」という能動的な精神はどこにもなかった、と思う。

 ヴァレリーの原詩では、いくつもの魂の眠る墓地に地中海から風が吹き付け、そこで著者は「生きねばならない」という強い意思を抱くわけであるが、軽井沢の森に吹いた秋の訪れを知らせる風は、地中海の風のようにある意味精神を鞭打つような剛毅なものとはほど遠く、もっと人の心に寄り添うような、人に赦しを与えるようなやさしいものであったには違いない。それゆえ堀辰雄は、吹く風にヴァレリーの詩を想起したとき、敢えてあのように訳したのでは。

 「風立ちぬ」という不朽の名作につきものの誤訳問題。
 いろいろと意見はあるようだが、私は堀辰雄を擁護したい。


 風立ちぬ 堀辰雄著






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聖なる森

「死の島」で有名なベックリンの「聖なる森」である。
「死の島」同様に、見るものに恐怖感を与える絵画だ。こうした絵の描ける才能の持ち主はそう多くはない。
写真は「晴れの日も、雨の日も」というブログから拝借した。今日知ったばかりのブログだが、そのブログの管理人氏は芸術に関して深い見識のある人のようなので、過去記事を今後読むのが楽しみである。
なお、「聖なる森」を英訳すると「Holly Wood」つまりハリウッドになる。あの虚飾の都とこの死の森では大違いだが、映画「イナゴの日」のラスト近いシーンでは、ハリウッドが白く塗られた墓であることが幻想的に描かれていた。


(以下引用)




Hollywoods

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資本主義と社会主義の相克と相互浸透

このブログの今後の方針としては、趣味的内容、娯楽的内容の記事を、気の向いた時に書いて行こうと考えているが、「神州の泉」に好記事が載っていたので、転載しておく。
好記事というのは、言うまでもなく、私と考えが同じである、ということだ。(笑)
現代史を概観する上で、資本主義と社会主義の相克と相互浸透が最も重要だと私は考えているが、その関係を実に分かりやすくまとめている文章である。
ぜひ、若い人たちの多くが、下に書かれたような認識を持ってほしいものだ。
学校や予備校の社会科教師なども、この程度の認識が無ければ、教師をするべきではない。





(以下引用)




専門家でなくとも分かることは、諸規制の存在が修正資本主義体制の重要な柱となっている事実である。
イギリスで発祥した資本主義は、産業革命後に「生の形」で発動したために、資本家の横暴がまかり通り、社会は貧困、格差、失業、労働不安、社会暴動の不安など様々な弊害を生み出した。

これに対抗する形で社会主義が生まれたが、第一次世界大戦後、資本主義体制を温存したままで、数々の深刻な弊害に国家が介入して修正を図るという考え方が取り入れられた。
これが修正資本主義である。
分かりやすく言えば、ラッサールの夜警国家から福祉型国家への組替えである。

世界が米ソ二大大国の冷戦ヘゲモニー状態にあったときは、共産圏の影響を防ぐために資本主義国家群は、比較的に福祉政策に注力していたが、1989年にこの東西冷戦が終焉し、強力な共産圏国家が事実上消滅してから、再び資本主義の猛威が頭をもたげてきた。
この歴史的な推移は、現代においては国際金融資本の世界侵略という形で各国に甚大な被害を与え、それは1%の超富裕層が99%の人間を経済奴隷の道に進ませている。

グローバル資本の最終目的は、社会主義体制が消滅した今の世界で、再び産業革命直後のイギリスのように、資本(企業)が勝手気ままに、支障なく利潤の追求に明け暮れるようなシステムに世界を変えて行こうとする趨勢である。
欲望資本主義が跳梁跋扈し、第一次世界大戦後に形作られた修正資本主義は彼ら1%による強力な外部干渉で崩壊しつつある。

これが日本で言えば、小泉政権以降に表舞台に躍り出た新自由主義(フリードマン主義)の実態である。
ミルトン・フリードマンのセオリーに従ったワシントン・コンセンサスとは、彼ら1%のための侵略思想なのある。

分かりやすい範囲で言うなら、この思想は貿易、投資の自由化、公的部門の民営化、政府介入を極小化することなど、夜警国家論の現代的な実践版となっている。
投資の自由化や公的部門の民営化、政府介入の極小化などは、99%の一般人の視点から見ると、修正資本主義国家が行っている福祉や国民を守る諸規制の取り外しを意味している。

この視点から安倍政権が国家戦略特区法や産業競争力強化法、あるいはTPPで強力に推進しようとしている「規制緩和」が、小さな政府論の典型的な具体化であり、それがグローバル資本の日本侵略のためであることを強く指摘することができる。














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林住期に入ります

しばらくご無沙汰をしたが、徽宗皇帝のブログに昨日書いたとおり、パソコンがおそらく寿命のようで、不調なので、初期化したらネット接続も当然できなくなり、面倒だからそのままブログ更新もやめていただけである。これを機に、ブログ自体の継続もやめようという気持ちもあった。数日前からネット接続はできるようになったが、ネットに関わるのもなかなか時間を取られるし、残り少ない人生の無駄ではないか、という気もするので、今後は更新頻度は極端に落ちるか、あるいは無期限停止になると思う。まあ、文章を書くこと自体は面白い作業でもあるから、個人的な趣味としては多分続けるだろうが、公開まではしないかもしれない。
しばらくブログが停止していたことについて、谷間の百合さんなどからご心配をいただいたようだが、ネット接続どころか、パソコンが使用不能状態だったので、そのCM自体、数日前までは読めなかったのである。ご心配をおかけして申し訳ない。(ミスによるコメントのダブりは削除させてもらいました! まあ、別にそのままでもいいのですがね)
特定秘密保護法案が先日成立したが、私のブログ中断はそれとは無関係である。まあ、心理的にはまったく無関係でもないが、私の思想はこれまで書いた内容で尽くされているから、今さらどうということもない。
これからはこのブログはかなり不定期更新になるか、無期限停止になると思うが、最後に、特定秘密保護法案その他の状況について、なかなか素晴らしい文章を小田嶋隆ツィッター経由で知ったので、それをしばらくの別れの挨拶に代える。筆者の岡田氏は都内の私立大の教員らしい。


うろ覚えだが、仏教で「林住期」という言葉があったと思う。死が近づいたらすべての現世(俗世)との縁を切って林の中に住むべきだ、という考えだったと思う。まだまだ死ぬ予定は無いのだが、精神的にはそろそろ林住期かな、という気分だ。時間はあるのに、やたらと心急いて何も手につかない、というこれまでの生き方をやめて、毎日をゆったりと、心静かに、人類の遺産や自然の美を楽しみながら生きていこうと思っている。




(以下引用)

2013年12月7日土曜日

祭りの後にするべきことについて 〜大切なこと3つ〜

 デモクラシーと憲法の根っ子をダメにしかねない法律が昨日成立した。ものを書く人間にとっては、昨日までの世界と今日からの世界が変わってしまうほどの大変なルールの変更がなされてしまった。怒りと情けなさと失望で少々無口になりかけている。多くの友人たちが元気を失っているようにも感じられる。当たり前だと思う。それが自分の頭でものを考える者たちの普通の反応だ。
 しかし、この2週間あまりの日々に、何かがおかしいと思い始めた人々が急速にその気持ちを増幅させていき、街頭に出て、立ち話をして、キーボードを打ち、人差し指で文字を送り出し、危険を伝え合った。大変な数の人々が肉体を動かして、「おかしなことになりかけている」と声帯を震わせた。日比谷公園に、ものすごい数の人々が集まった。永田町周辺も、どうにかしたい、なんとかしたいという人々が集まった。そこには大きな高揚感があったと思う。
 私たちのほとんどは、職業政治運動家ではないから、軍隊のような行進はできない。だから、怒りと憂慮でこわばる心を緩(ゆる)めるように歌い、話し、歩き、呼びかけ、声を出す。それにはいくばくかの祝祭的要素が必ず含まれている。そうでないと生きていけないからだ。それを見て「絶叫はテロだ」と自称職業政治家が言った。そして人々の心をこわばらせているのが自分たちだということを等閑に付し、なおも人の気持ちを縮こまらせようとした。
 だから言い返した。祭りで何が悪い。祭りは、人間の無力をサポートする何かを呼び起こすのだから、力を得たい、なんとかしたいと思う者は祭りをするのだ。「祭りなどくだらぬ」と、過去に生きた人々、今を生きる人々、未来の人間に貴方は言えるか?世界を畏怖する以上、私にはそんなことは言えない。言えるはずがない。
 しかし、祭りの高揚感の後には「心の二日酔い」がやってくる。昨日はよく呑んだなぁ、久しぶりに聞こし召しましたなぁ、ああ、もうしばらく酒なんかのまねぇぞなどと、脱力している。酔って口に出してしまった死ぬほど恥ずかしい言葉が鈍頭痛の合間をぬってハウリングする。心のある部分が開いてしまい、制動されそこなって、呆然とするような振る舞いをしたことも、古いモノクロームの映画のようにフラッシュバックしてくる。疲れた身体でつぶやく。
 
 「ああ、なんかが終わっちゃったなぁ」と。
 
  終わってなどいない。世界は「まだ」ギリギリで何も変わっていない。
 
 何も終わってはいない。これから始まる。私たちは、自由にものが言える世界をすでに疑う余地のないものと高をくくり、冬の日向ぼっこをしながら享受できると思い込んでいたが、そうした世界は「ものを言い続けなければ保つことができない」ということに気がついたと思う。あんな安易に、あんなにあっさりと、あんなに短い時間で、自由にものを言い、自分の頭でものを考えるための基本のルールが変更されてしまうのだということに気がついたと思う。しかし、途方に暮れている。で、どうすりゃいいの?と。
 
 だから私はここで、祭りの後に何をしたら良いのか、でもじゃあどうすればよいのか、そんなこと言われてもと途方に暮れている友人達に伝えたい。祭りの後の気だるさと脱力の中で何をするべきかを共有したい。
 大切なこと「その一」
 
 少々ささくれ立った「怒り」を、やや温度の低い「鋼(はがね)のような意志」へと変形させて、それを長く継続させる方法を習慣化させよう。ハートは熱く頭はクールに。
 そのために暮らしの中で感じた「異変」、「奇妙な変化」をひたすら記録しよう。
 「実におかしなことになってしまったではないか」という気持ちを持続する方法を考えることが必要だ。人間は全員上手に忘れる生き物として創られている。それは人間が様々な苦悩の中で完全につぶれてしまうことを防ぐ装置だが、同時に加速度を付けて過去を「既成事実(すんでしまって今さらどう仕様もないこと)」へと決めつけてしまう厄介なものだ。
 忘却し「ああ、あったよねぇ、秘密保護法、チョー盛り上がったよね」となり易い私たちを、どこかでせき止めるための工夫を考えねばならない。
「今までは問い合わせれば教えてくれたことを教えてもらえなくなった」とツイートする。
「調べものをしても、肝心な情報が出てこなくなった」とメモする。
「福島第一の様子が変だとツイッターが言っているけど情報が出ていない」とFBに書く。
「酷いことが起こっているのに、何故か皆が無口になっているような気がする」と話す。
 SNSは、日々の記録をデータベース化させるのに絶好のメディアであり、記憶装置である。
  大切なこと「二」
  
「あいつが悪い」と言う代わりに「こいつは我々の力になる」と言って友人を探そう。
 大切なことは、大きな悪の根源を「あいつのせいだ」としないことである。巨悪は、巨大なる悪を懐に抱えた強靭なる悪人によってもたらされるのではない。巨悪は、我々の怠惰と迂闊と油断を素とする小悪と微悪が集積してできるものである。だから「アベイッテヨシ!」と溜飲を下げるのは、明日に結びつかない迎え酒である。悪夢のようなアベは、七変化となって後から絶え間なく立ち現れる。そして、それは我々自身の何らかの幻影かもしれない。
 「あんなデタラメな法律に投票した自公と裏切り者のみんなの党と維新は許さん!ではなく、我々のボロ議会にも、議会人の良心を必死に維持した者たちがいたよ」と言い換える。
 「掲示板やツイッター見てるともう反吐がでそうなネトウヨがいる。あいつらは人間じゃないよ!ではなく、自分の頭でものを考えている人たちが他にもこんなに大勢いるではないか」と再確認してみる。
 「どんな時代どんな問題においても、問題があることすら気がつかない悪意なき人々が3割は存在するのが人間の世界であるという健全なペシミズムを持って」、諦めるのではなく「落ちついて」みる。
 「マスゴミという大雑把な言葉は捨てて、自分で考えたり、ものを書いたりする者はみな我々の友人足りうるのだから、横並びの関係で悪口を言うのはやめよう」と決心してみる。
 「だからあの時あれだけ言ったではないか!という口上は、後になって問題に気付いた友人達には決して浴びせず、一緒にもっとたくさんの友人に知らせよう」と誘ってみる。
  我々は闘う相手を間違えてはいけない。つまらない内ゲバは力を低下させる。
 「バカ」と言わずに、でも、それでも言いたかったら「残念です」と言い換えよう。
 大切なこと「三」
 「あっという間に3年ぐらい経ってしまう」という当たり前のことを思い出そう。
 今から3年前がどれだけ近い過去であったかを思い出した時、衆議院の任期満了が瞬き2回ぐらいでやって来ることに気がつく。3年前の201012月とは、震災の数ヶ月前である。暦の上「でも」もうディッセンバーと、裏声で歌ってみる。もう選挙は始まっていると考える。
 これほど迂闊で、粗雑で、杜撰で、前のめりになっている政権は、今日から任期満了になるまでに、必ずいくつかの致命的な過ちを犯す。議会が解散されないという保証も無い。
 ワールドカップを見て元気がついたら、次の選挙は目前である。人生は速い。
 まとめてみる。
 「おかしな出来事を記録する」
 「罵らず、友人を作る」
 「チャンスはすぐにやって来ると信じる」
  祭りの直後に、これだけのことを生活において習慣化すれば、我々は必ず世界を修正できる。ただし、やり「続け」なければならない。私は、今日からそれを始める。多くの人のおかげで高い教育を付けてもらった。だから恩返しのためにも頑張る。
2013127
   

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NHKへの好感と嫌悪感

「神州の泉」から転載。
この中に引用された「日々坦々」記事はたしか「文殊菩薩」にも転載されていたと思うが、拡散のため、こちらにも引用した。
私はどちらかと言えばNHKが好きである。特に、早朝の、誰も見ていないような時間帯の番組が好きだ。一種の環境ビデオのような、美しい自然の景色に美しい音楽が重なった映像が淡々と流されているのだが、それが好きだ。「小さな旅」も好きだし、ほかにも好感の持てる上品な番組が多い。民放の下品そのもののタレント救済番組(ほとんどがそれだ)とは段違いである。
しかし、政治姿勢に関しては、テレビ全体がダメである。NHKは料金を取っているだけに罪も重い。
ついでに言えば、NHKでも最近はステマが多く、ニュースの一部の情報コーナーでやたらとスマートフォンを持ち上げることが多い。これも気に食わないことの一つである。




(以下引用)






2013年11月26日 (火)



NHKは「特定秘密保護法案」の強行採決の場面を故意に生中継から外した(怒)




今日(11月26日)、午前中の衆院特別委員会の様子をNHKのラジオ放送で聴いていた。
すると審議が突然打ち切られ、総理の退席が告げられた。
怒号が飛び交い始めた段階でラジオの中継はいきなり止められた。
その数分後にNHKラジオは「特定秘密保護法案が採決されました」とそっけなく伝えた。

中継が止まる直前に怒声の出たことから、おそらく反対派議員たちが議長席に詰め寄ったものと思われたが、その肝心な場面は伝えられなかった。
はたしてテレビ中継は、この場面と強行採決の光景をきちんと中継したのだろうかと思っていたが、案の定、NHKはテレビ中継でも採決場面を中継しなかったようだ。

日々坦々さんは下記のように書いている。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

日々坦々 @hibi_tantan24

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NHKは総理退席の後、一旦、放送を終了させ、猪瀬都知事会見といくつかのニュースを報じた後、速報として特別委員会に再び切り替え、特定秘密保護法案が採決されたと報じた。完全に最初から強行採決される映像を恣意的に避けて、政府と申し合わせしているとしか思えない。

2013年11月26日 11:23 AM

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

NHKはテレビもラジオも肝心な強行採決場面の生中継を避けていたのである。
反対派議員たちが、突然の審議打ち切りから強行採決にいたるまでに頑強に抵抗する様子を故意に視聴者に見せない方針を取っていたことは間違いない。
実に卑劣というか陰険な放送姿勢である。

強行採決に対する議員連中の抗議の様子が放映されれば、反対派の視聴者を刺激することを恐れたのである。
もしかしたら、これは官邸の要請だった可能性もある。
だが、肝心の場面を中継から外して、その後に結果だけを伝えるとすれば、そのやり方は活字媒体の新聞と変わらず、リアルタイムの映像中継の意味がない。

報道公器としてのテレビの役割を自ら放棄する愚劣かつ姑息な姿勢と言えるだろう。
このような重大法案の採決状況だけが故意に生中継からブラインド(目隠し)されたことは、NHKが安倍政権に協力していることの明白な証拠であり、同時に報道倫理としての不偏不党原則を完全に破っていることになる。


それにしても怒りが湧いてくる。

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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