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誰が戦争を作り出しているか

「岩下俊三のブログ」から転載。
4歳の彼女に「死」というものの意味が分かっているとは思えないが、おそらく、兵士たちに銃を突きつけられて手を上げる大人たちの姿を見ていて、そしてそれは「とても怖いこと」なのだ、と思っていたのだろう。だから、カメラのレンズを向けられて、彼女はそれを銃口と間違えて手を上げたのだ。この写真の少女の瞳には紛れも無い「恐怖」がある。
こういう世界を作っているのは誰か。
戦争を世界に輸出しているのは誰か。どこの国か。
それは今さら言うまでもないだろう。
そして我が国は、そういう国の戦争の下請けをしようとしている。


(以下引用)

銃口と間違えて手を上げる少女

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彼女がどんな悪いことをしたというのか、彼女にどんな罪があるというのか。

僕はこの写真を見ていて思わず泣いてしまった。

恥ずかしい。

しかし

いい年して泣いたことが恥ずかしいのではなく、こんな世界をどうすることもできない自分が恥ずかしく、それ以上に伝わってくるこのいたいけな年端もいかない少女をここまで追い込んだ大人たちの鬼畜さが悔しくて堪らないのだっ!


粗末だが可愛い刺繍がついているトレーナーを着て、両手をまっすぐに上げてこちらを見つめるまだ4歳の少女。

その真剣な、必死な、しかしまだ幼くつぶらな瞳はしっかりとこちらをみつめ、怯えながらもある種の諦観と意思すら感じさせている。

一体何故

彼女は写真を撮られるときにこのような表情で、さらにこのようなポーズを採らなければならないのか。


なんて悲しいことだろう。

遠い、とおい、ちゅとうのこと?。僕らに関係ない、、、と思っている奴はもはや人間ではない。鬼かなんかであるとしか思えない。

この少女フデアちゃんが今暮らしているのはシリアにある難民キャンプであるから仕方ない?バカ野郎!てめぇら人間じゃねぇ。

人間であるのなら、

黙って見過ごせるわけはないだろうがっ!!!。

うちつづく戦乱、乱れ飛ぶ銃、おびただしい死傷者、、、

ほんとうなら、

まだ陽の輝きや緑の風、小動物、そしてそれにもまして、溢れるほどの「愛」に囲まれて「いなければならない」はずの、豊饒な感受性が無限広がっている「筈の」幼児期に、シリアのこのフデアちゃんは連日怯えながらいきているのだ。

こんな理不尽なことがあっていいはずはない!

ある日、フデアちゃんが暮らすキャンプ地にカメラマンがやって来た。

そして望遠レンズのついたカメラで彼女を撮影しようとした時、フデアちゃんは怯えた様子でさっと両手を挙げ条件反射でホールドアップしてしまったのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

皆さんは

フデアちゃんが望遠レンズを見て銃だと思い、撃たれないように瞬間手を挙げなければならなかった、その本源的な「悲しさ」がお分かりになるでしょうか、人類の、おとなの、責任をほんの少しでもかんじていただけるでしょうか。

そしてそれは

戦場でなんどかそんな光景に遭遇した僕だけが「感じた」ことではないと、、、、信じています。

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細川護熙再認識

「播州武侯祠偏照院」から転載。
私は百姓の倅の倅だから貴族や殿様という連中が大嫌いで、あんなのは大昔の強盗の首領の末裔だとしか思っていない。だから、細川護熙(凄いことに、こんな難しい名前の漢字がワードで一発変換される。有名人の威光だろう。これも癪に障ることではある。)という人物にはまったく好意を持っていなかったが、下の文章を読んで見方が180度変わった。
これは立派な教養人だ。その政治哲学も(彼の古典趣味から来ているのだろうが)悪くないし、教育観にも同感する。
こういう人は、昔の、それも太平の時代ならいい「殿様」になっただろう。だが、戦国時代に、自分の力で権力闘争に勝ち抜けるタイプだとは思えない。現代でも、ヒトラーやスターリンのようなヤクザ・ゴロツキ型政治家を相手にして勝てる人物だとは思えない。彼が総理としてまったく何もできなかった理由もそこにあるのではないか。
つまり、彼は夢想的な政治家であり、リアルポリティシャンではない、と思う。ただ、だから駄目だと言うのではない。現実と理想が乖離しているなら、悪いのは当然現実の方である。
「殿様」が理想家ならば、汚い現実の泥の中に手を突っ込んでドブさらいをする実務家の部下が必要だったはずだ。「退を好む者」を登用する、というのは彼の古典的教養から来たものだろうが、そこにすでに現実から遊離しているものを感じるのは私だけだろうか。「退を好む者」は清廉な人物、人格者である。そういう人物にドブさらい(たとえば官僚群の悪辣な策謀との戦い)ができるとは私には思えないのである。
一事が万事、あるいは一斑を推して全豹を知る、で、細川護熙の政治的不成功はこうした彼の現実から遊離した思考パターンに原因があると思うのだが、繰り返すが、彼の理想主義は素晴らしいものだ。そして、下の記事に書かれた「提言」のほとんどに私は賛同する。


(以下引用)


≪ 【細川護熙】「国も国民も『足るを知れ』」
   55年体制を崩した「殿」が夢見た「質実国家」


【 戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。 第25回は、細川護熙氏。1993年8月に内閣総理大臣に就任して、いわゆる「55年体制」が崩れるきっかけをつくった細川氏は、日本は「大」ではなく「中」日本主義を目指すべきだと話す。 】

 私は総理大臣や知事をやりましたけれども、人の登用については基本的な信条があるんです。一番大事なことは、「退を好む者」を重用するということ です。『呻吟語』という、中国の呂新吾という人が書いた名著があるんですけど、その中に「人を挙ぐるにはすべからく退を好む者を挙ぐべし」と出てきます。 これなんですよね。

 政務次官になりたいとか、大臣になりたいとか、そういう方が世間には大変多いわけですけど、物欲しそうな顔をしている人は大体だめですね。そうではなくて、権力やポストに恬淡としていて、自分はいつでも退くと。そんなもの就きたくないというぐらいの人がいいんです。

 総理の時、田中秀征を総理特別補佐にお願いしたんですけれども、彼なんかそういう人ですからね。後に大臣にもなりましたけど、本人としてはまった くそのポストに就きたいとか、そういうのはなかった。やっぱりそういう人でないと、国家の大事は語り合えないですよ。結局、総理の時に腹を割って本心を話せたのは彼ぐらいでしたね。

■物欲しそうな人は信用できない

 物欲しそうな人は、信用できません。会社でもそうでしょう?  例えば石川島播磨重工業(現IHI)の社長をし、東芝の社長をし、経団連の会長にもなられた土光敏夫さん。お宅には何度か伺いましたが、川崎の下 町の30坪ぐらいの家でね。初めて行った時は探し当てるのが大変でした。経団連会長が財界総理と呼ばれて、今よりもはるかに権威のある時でしたから、私は てっきり豪邸に住んでいるものと思ってましたが、それがもう普通の、どちらかと言えば古い小ぢんまりとした家でね。

 「メザシの土光」という異名がありましたけど、6畳くらいの台所兼食卓の部屋で、本当にメザシをごちそうになりました(笑)。給料も「自分は10 万円あれば足りるから」と言って、残りは全部、母上が開かれた学校に寄付されていたんですね。

 さすがに高齢なので秘書の方が迎えには来てたみたいですけど、通勤も黒塗りの車ではなく、電車。そういう清貧な生活をされていたからこそ、政府の行政改革を牽引できたんだと私は思います。やっぱりトップが身をもってそういう姿勢を示さないと、説得力がありませんからね。

■背伸びせず、量より質に重点を置いた国へ

 私が総理を辞め内閣総辞職を決めたのも、こういう考えが根本にあったからです。急だったためにいろいろと言われましたが、私は一貫してこうした信 念を肚に置いて仕事をしてきました。辞意を表明した時はもう、政権としては死に体になっていましたのでね。ポストに執着して延命する考えは全くありませんでした。

 総理に就任したときの最初の所信表明演説で「質実国家」ということを言いました。質実国家というのは、経済成長一本やりでなくて、生活の量よりも質 に重点を置いた文化の香り高い、環境にも配慮した、品格と教養のある国とでも言ったらいいでしょうか。国も国民も背伸びをせずに、自然体で、内容本位の生き方を探るべき時代を迎えている、とね。

 日本では急速な高齢化と人口減が進んでいます。2040年代後半には日本の人口は1億人を切って、おそらくマイナス成長から抜け出すことは難しいだろうと言われている。だから簡素な生活をしなきゃならんというのは、日本の成熟した経済社会からの要請であるし、また地球資源とか環境の面からの制約で もある。

 最近、内外のいろいろな識者の人たちが、大きくなることばかり考えないで、少し分相応にダウンサイズしたらどうかという意味のことを言っていま す。ベストセラーになっているトマ・ピケティさんの『21世紀の資本』。あれもそうですよね。フランスの経済学者で脱成長のことを言っているセルジュ・ラトゥーシュとか、『資本主義の終焉と歴史の危機』を出した経済学者の水野和夫さん、この間亡くなった経済学者の宇沢弘文さんなんかも「背伸びはだめ。低成長を前提に生活様式を改め、そのモデル国家になるべきだ」ということを盛んに仰っていました。まったく我が意を得たりという感じです。

■「足るを知る」

 でもこれは、何も今の時代に新しく出てきた価値観ではないんですよ。戦前でも戦後でも、例えば幸田露伴や夏目漱石、『徒然草』の吉田兼好、良寛さ んだって、みんな同じようなことを言っているわけですね。これは普遍的な価値観なんです。私は別に、今の時代だからそうしなきゃならないと言うのではあり ません。いつの時代でも、質実に生きるべきだとそう思っています。

 そう考えると、これからの日本の進むべき道は、身の丈に合ったほどほどのライフスタイルでやっていく、つまり大きくなることばかりを目指すのではなく、言うなれば「中日本主義」でやっていくということに尽きるのではないでしょうか。

 大衆は、やっぱり贅沢をしたい。自動車もできれば1台じゃなくて2台、3台と欲しい。うまいものも食いたい。欲望は際限がありません。こういうも のは、いったん手綱を緩めればどんどん膨張していきます。しかし、そういうことは好ましくないことなんだと、ブレーキを踏んで、手綱を引き締めなくてはならない。老子のいった「足るを知る」という意味を、よく考えるべきじゃないでしょうか。

  「遺言」として何か書いてほしいということだったので、「没量」と書きました。「モツリョウ」と読みます。もともとは禅宗の『碧巌録』という、本の 中に出てくる言葉です。今の時代はお金でも生産量でも、何でも量で語るわけだけれども、この言葉の意味するところは、すべてのものの価値を量ではかるというのは、それは間違っているんじゃないですかと。おかしいんじゃないですかということなんですね。

 こういう逸話がありましてね。ある時、浄土真宗の蓮如上人のところに若い坊さんが「弟子にしてください」と訪ねてくる。そうしたら蓮如さんは 「じゃあ、すぐ琵琶湖に行って水を全部かき出してこい」と言う。するとその坊さんは「じゃあ、行ってきます」と、そこにあったひしゃくを持って琵琶湖に 向って駆けだして行こうとする。

 ひしゃくなんかで琵琶湖の水をかき出せるわけはないんだけど、蓮如さんはそれを見て「おい、待った」と。「なかなか見どころがあるから弟子にして やろう」と言うんです。この坊さんは量ということにこだわっていない。それを馬鹿にする見方も当然あるでしょうが、蓮如さんはそれを「なかなか見どころがある」と評したわけです。こういう考え方が、これからの日本には必要なんだと思います。

■「中日本主義を目指すべき」

 私は以前から、「日本は中日本主義を目指すべき」と言っています。大ではなく、中。それは政治的にも経済的にも対外的にも、大きくなることばかり 考えないで、ほどほどの、分相応の振る舞いをすべきではないかと。総理のときも常任理事国になるとかならないとかいう話があって、私は背伸びをしてなる必要はないと言っていましたけど、それもまったくそういうことなんです。

  日本は戦後、万事がアメリカに追いつけ追い越せという目標で頑張ってきたわけです。しかし残念ながら、高度経済成長のあたりからそれを意識しすぎ て、物質的、経済的成果ばかりを追求してきた。そのために日本人はいつの間にかGDPとか、経済成長率とか、あるいは生産性とか、売り上げとか、生産高とか、数字で表される目先の成果ばかりを気にするようになってしまった。そして本来あるはずの、もっと大事な価値のあることを忘れてしまったという気がします。

 そこにいくと欧州諸国なんかは、アメリカ型デモクラシーの波をかぶっても、やっぱり彼らは自分たちの伝統というものを本当に大事にして、アイデン ティティーを墨守して、教育のシステムでもすぐアメリカの制度を見習ったりしなかった。ファストフードやコンビニなんていうものにも非常に慎重で、自分たちの生活の形にこだわって守ってきている。そこが日本と大きく異なる点だろうと思っています。

 若い方に、こういうことを分かってもらうのは非常に難しい。私らの世代は戦争も経験し、貧しい時代も知っている。そして、長く生きてきた経験もあ ります。だからこう思える部分がある。私だって、今のような考えを、若い頃から明確に持っていたわけではないので、若い人たちにいきなり「考え方を変えろ」と言ったってすぐに受け入れてもらえるものではないでしょう。

■若者には古典をもっと学んでほしい

 だからこそ私は、やはり古典といわれるものを若い人たちにはしっかり勉強してもらいたいと思っています。人生で何を勉強するのかって言えば、究極 的には「どう生きるか、どう死ぬか」それだけですよね。そういうものはまさに古典に詰まっている。まぁ何でもいいんですが、例えば『十八史略』では 4500人ぐらいの人が出てくるわけですよ。その中にそれぞれの生き方というものが克明に描かれている。

 戦後70年なんてものじゃなく、もっともっと長い歴史を経ても、やはり人には根源的に変わらない価値観があると分かるわけです。それは『三国志』だってそうだし、『太閤記』だってそう。教養というのは、そういうことだと思うんですよ。

 特に海外の首脳級の方々は、特に宗教的な人たちの生き様や、哲学的なものに深い教養をもっている。そういう部分を養っていないと、外国に出ていって例えば首脳会談で話をするといったって、通用しませんよ。
 どうやったら売上高を上げられるのか、生産性が高まるのか。または、コミュニケーション能力が上がるのか。そんなハウツーものなんかが巷にはあふ れていますが、それがどれだけ役に立つというのか。人生に深く関わるところの、つまり、原理原則みたいなものを身に付けなければ、馬鹿にされてしまいますよ。

■教養なきリーダーは世界から無視される

 例えばね、英国首相だったチャーチルは、もともと米国のトルーマン大統領を軽蔑していたと言われています。ところがある時の晩餐会後にトルーマン が、ピアノを弾いた。彼はピアニストを志すほどの腕前で、大統領在任中もピアノの練習を欠かさなかったという。その演奏を聴いたチャーチルは「ミスター・ トルーマン」と言っていたのを、それを機に「ミスター・プレジデント」に改めた。トルーマンの芸術的才能にチャーチルは敬意を表したわけです。

 ピアノでも、本の話でも何だっていいんですよ。チャーチルは自分もレンガ積みもやって、職人の資格を持っていたし、絵も描いたし、ノーベル文学賞も受けたし。要するに普遍的な価値観につながる幅広い教養を身につけていた人物です。ドイツのシュミット元首相には私も何回か会っていますけど、彼は政治の 世界をやめて60歳を過ぎてから新進のピアニストとしてデビューした。

 日本人が考える以上に、そうした部分を海外の首脳たちは持っている。そして、ちょっとそんな話をすると、もう非常に喜ぶわけです。こうした事実に、もっと目を向けてもいいんじゃないですかね。

 まさにそれが人間的魅力と言い換えられるものですよね。普遍的なものなんですよ。自分の生き方としての原理原則というものを持っている。そうした 信条を持っていれば、何にでも、対応できます。ただ上っ調子に相手の話に合わせる能力を磨こうとするのではなくて、人として本当に深いものを持つ方がずっと価値があります。

 こんなことをあまり言っちゃ申し訳ないけれど、でも日本の政治のリーダーで、どれだけいますかね、そんな人。日本の総理や経営者で…。宮沢(喜一)さんや大平(正芳)さんは大変教養のある方だったけれども、本当に数少ないと思います。

■大学に行ってプラスになったことはひとつもない

 教養というようなものがないと、ユーモアとかウイットとかいうものも生まれてこないですね。自分で考えたことに責任が持てないから、国会答弁もお 役人の答弁ばかりになっちゃったりとか、本当に面白くないことになるわけです。ウイットとかユーモアとか、いまの日本ではそういうものがまったく感じることがないですね。

 例えばスポーツ選手のインタビューなんかでも、時々海外の方だと気の利いたことを言う人がいるでしょう。自分の体験から学んだことを語る人の話は面白いんですよね。日本ではたいてい、ただ頑張りますと言うだけ。そんなのはもうあいさつじゃないですよね。

 こうしたことは、子供の頃からの訓練しかないのだと思います。やっぱり教育を根本的に変えないとダメですね。白州正子さんもここ湯河原にも何回か 来られて、よくそんな話もしたんだけど、やっぱりそこは教育だなあと。ある時知り合いから「大学に行くかどうか迷っている」と相談されたことがあったらしいんです。白州さんは「大学なんか行ったって、ひとつもそんなもの役に立たないわよ」と言って大学行くのをやめさせられた。

 私もまったくその通りだと思うんですね。自分自身も大学に行って、プラスになったことはひとつもないと思いますしね。あ、いや、家内と知り合ったことだけが唯一の収穫かな(笑)。あとは何もないですよ、本当に。

■とにかく日本の教育はつまらない

 とにかく日本の教育はつまらない。小学校から大学まで。イタリアの学校なんか見ているだけで本当に楽しそうですよ。教室を何回か見させてもらいましたけど、これは芸術家が育つわけだと思いました。

  本当に自由にいろいろやらせるわけですね。例えば美術館に行ったって、みんな好きなところに行って見る。ヘッドホンとかパンフレットとかの説明を頼 りに見るとかではない。この絵はいい、この彫刻がいいと思ったら、そこで立ち止まってじっとそれを見る。自分の感性にマッチするものを見つけることで楽しんでいる。彫刻の前なんかで子供が寝そべって絵を描いたりしていますよね。

 それを日本だとすぐに、説明テープを聞かせる。いいと思ったことに対して価値を感じさせるんじゃなくて、他人の物差しを押しつけることばかりですね。

 教育改革の一番効果的なやり方はね、荒療治でこんなことできっこないんだろうけど、理想としてはですよ、もしやれるなら、小学校から大学まで全部、それぞれの学長や校長にすべての権限を与えて好きなようにやらせてみたら面白いんじゃないか。

■同じような人間を大量生産する教育はいらない

 文部省の教育指導要領も何もそんなものを全部気にしないで、好きなようにやらせれば、すごいユニークな学校がたくさんできると思うんですね。いい 学校はどんどん伸びるし、だめな学校は消えていく。親ももっと真剣に、子供にどんな教育を受けさせるか考えるんじゃないでしょうか。

 同じような場所で画一的に教育したらダメですよ。もっと自由にやらせたら、子供たちなんか本当に面白い絵を描くんですから。私なんかもこの間、自分が幼稚園の時の絵をおやじがとっていて改めて眺めてみたんですが、これがなかなかよくできていてね。我ながら「この頃はこんな想像力があったんだ」と驚きましたよ。なんでもいいんですけど、昔の古典を徹底的に読ませるとか、中学までに3カ国語ぐらいできるようにするとか、色々なことを学校が考えたら教育は活性化すると思うんですけどね。

 同じような人間を大量生産しても、そんな人はこれからの時代にはもういらない。私はそういうものを頭から無意味だといって拒絶していましたが、理 系の人はともかく、微分積分とかルートの何乗だとか、大半の人にとってそれが人生で何の役に立つのか。余計なことのつめこみが多すぎるんです。もっと本当の知恵を養うことに教育は力を注ぐべきだと思いますよ。





細川護熙(ほそかわ・もりひろ) 日本新党代表だった1993年8月に内閣総理大臣に就任。いわゆる「55年体制」が崩れ、日本の政治体制 が大きく変わる契機となった。衆院選挙制度に小選挙区比例代表並立制を導入。高い支持率を誇ったものの翌年4月に退陣。60歳で政界引退後、神奈川県湯河 原町の私邸にて作陶、書、水墨画などを手がける。現在は襖絵制作を中心に活動。2014年に「脱原発」を掲げ東京都知事選挙に出馬するも落選。現在は自然 エネルギー推進会議の代表理事などを務める。肥後細川家第18代当主。元朝日新聞記者、元熊本県知事。1938年1月生まれ。(写真:千倉志野、以下同)  ≫(日経ビジネス:マネージメント―戦後70年特別企画「遺言 日本の未来へ」)


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「義は利の和」という言葉の一解釈

「正しい」とはどういうことか。
論理的な正しさなら客観的な判断はできる。道徳的・倫理的な正しさは、時代や場所で異なってくるから簡単には判断できない。というのがまず普通の認識だろう。いや、普通ではないかもしれない。世間の大多数は、論理的な正しさと道徳的・倫理的な正しさの区別もしないだろうし、自分の正しさについて何の疑いも持たず、それを主張するのではないか。
で、道徳的倫理的な正しさというものに普遍性は無い、という認識もまた困ったもので、そうなると道徳や倫理の基盤も失われてしまうことになる。
さて、今朝の眠りからの覚醒時の思考の中で思い浮かんだのが「義は利の和」という言葉である。これはたぶん「墨子」の中にある言葉のようだが、印象には残っていたが、同意はできなかった言葉であった。つまり、私は、「義と利を弁別せよ」という孟子の言葉の方が好みで(それは、義と利が対立する時は義を選べ、という、社会に処する際の峻烈かつ根源的な思想だ。)、「義は利の和」という言葉は「(自分にとっての)利を集積して生じる結論こそが正しい答えだ」みたいなものだと思われたのだ。だが、それを「自分にとっての」利ではなく、「多くの人にとっての」利だと考えれば、話はがらりと変わる。そして、その解釈の方が、墨子という思想家のキャラクターや中心的思想(兼愛非攻)にも合致しているのである。
ある問題に対する答えが、私には利益だが他人には不利益を与えるならば、それは「義」ではない。その答えが私にも他の関係者にも、ひいては、あらゆる人に利益を与える時に、その答えは「義」である、というのが「義は利の和」だとすれば、これはあらゆる問題を解決する、単純かつ便利な基本方針になりうるのではないか。
今日の「播州武侯祠偏照院」ブログに載っていたいじめ問題に関する記事の中で、「いじめられる方にも悪いところがある」「悪いところがあるからいじめられる」という考え方についての議論があったが、そもそも「悪い」とは何か、「正しい」とは何かについて、子供のころから考える習慣が無いからこそ社会的な悪がはびこるのではないだろうか。
自分の行為の前に立ち止まり、(それが正しいかどうか)ためらうという習慣があるだけで世間の小さな悪(これが、その被害者にとっては命にも関わるほどの巨大さになる。)の多くは無くなるのではないだろうか。

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新しいものと古いもの


「dot」というサイトから転載。
中国人が、日本人が書いた中国史を読んで面白いと思うのは当然で、それは中国史そのものが面白いからだ。では、なぜそれまでは「面白い中国史」が中国内に無かったか、と言えば、おそらく毛沢東の「文化大革命」以来の「過去の文化との断絶」が、今に至るまで続いていたからだろう。
これは中国だけの話ではない。この日本でも、太平洋戦争の敗戦によって「過去の文化との断絶」が起こり、戦後の教育と欧米支配の文化の中で育った人間はもはや精神の中身がそれ以前の日本人とは違っているのだ。
問題は、「失われた文化の中の貴重な財産」をいかにして再発見し、取り戻していくかだろう。新しいもののすべてが良いわけでもないし、古いもののすべてが悪いわけでもない。それどころか、弊履のごとく捨てられようとしている古いものの中にこそ本当に貴重なものが膨大にある、というのが私が自分のブログの中で何度も言っていることだ。そういう意味では私は「保守主義者」でもある。
で、「新しいもの」は常に「商売」とセットになっており、金になるから誰でも飛びつく。古いものはほとんどタダでその辺に転がっているから誰も目にも留めず、やがて消えていく。(あるいはひそかに発掘され、形を変えて「新しいもの」として再生され、その時には著作権や所有権が発生し、庶民全体の財産ではなくなる。)民俗学者などがそれに僅かに抵抗するだけである。
資本主義とは金がすべてという社会だから、その雄であるアメリカ文化が金と直結する新しいものだけに価値を置き、老人まで無理に若作りするキチガイ文化であるのは当然である。その属国、文化的植民地である日本の文化も然り。



(以下引用)




「日本人が書いた中国史」が現地で大人気 その理由は


(更新 2014/6/25 07:00)

 




講談社の100週年記念事業として出版された『中国の歴史』。「第三者」の視点が評価され、日本以上の反響を中国で起こしている(写真:講談社提供)

講談社の100週年記念事業として出版された『中国の歴史』。「第三者」の視点が評価され、日本以上の反響を中国で起こしている(写真:講談社提供)




「歴史」が日中のいさかいの原因になって久しい。両国関係の冷え込みも続く。ところが、日本人が書いた中国史の翻訳本が、なぜか中国で売れ行き好調だ。

 10年ほど前に日本で刊行された『中国の歴史』(講談社)という骨太のシリーズ。中国で翻訳出版されたところ、執筆者や出版社がびっくりするほどの売れ行きを見せている。

 同シリーズは全12巻。筆者は原則、時代ごとに専門家1人が1巻を担当。例えば8巻は『疾駆する草原の征服者―遼 西夏金 元』といったように従来の通史にない魅力的なタイトルをつけた。ただ、日本では1冊3千円近い価格ということもあり、実売は各巻平均で1.5万部程度だった。

 一方、中国版の出版元によれば、1冊50 人民元(約820円)弱という、中国ではかなり高めの価格設定にもかかわらず、今年1月の刊行から何度も増刷を重ね、現時点で6万5千セットに達し、年内に10万セットまで届きそうな勢いだという。

 自らの歴史に高いプライドを持つ中国で、外国人が書いた中国史に人気が集まるのは極めて珍しい。上海の日刊紙「東方早報」は「最近の図書市場で最もホットな出来事は、日本学者が書いた『中国の歴史』だ。国内の読者は、なぜ国内の一流の学者がこうした本を書かないのか考えてしまうに違いない」と、この現象を取り上げた。

 シリーズ編集委員を務めた学習院大学の鶴間和幸教授は「日本人の書いた中国史が、中国人にも共有され、とてもうれしい」とし、「中華思想的な『中華対夷狄』という対立軸でなく、多元文化の集合した中国という視点で執筆したことが、従来の中国人が書く通史とは異なっていたのではないか」と語る。

AERA 2014年6月30日号より抜粋


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メディアの安倍への造反が始まっているか

「播州武侯祠偏照院」より転載。
貴重な情報、貴重な文字起こしである。
ラジオという目立たない媒体とはいえ、こうした発言がNHKで流された、ということは、これが単に突発的な事件、アクシデントでなかったとしたら、希望の持てる潮流の変化が起こっているのかもしれない。


(以下引用)



安倍政権・霞が関・大企業・マスコミという地獄行きの旅客船から逃げる人もでてきた。渾沌堂
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=87548  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
[NHKラジオ第1]藤原直哉氏:地政学的変化のなかの日本の未来 〜911は自作自演〜


竹下氏からの情報提供です。
 リチャード・コシミズ氏のブログでも紹介されていましたが、NHKラジオで例の911に関する衛星写真にふれ、“911テロが自作自演であることを示していた”という発言が藤原直哉氏の口から飛び出しました。
 また後半部分の日本や世界が進む方向性についてもプラウト的な捉え方をされているのではないでしょうか。“その方向性をいつも意識しながら、普段の仕事や生活をすすめていくことが、あまり困難なく新しい時代に到達するためには非常に重要なこと”とアドバイスされています。


「地政学的変化のなかの日本の未来」 経済アナリスト 藤原直哉さん
転載元より文字起こし) NHKラジオ第1 15/3/27

ラジオより文字起こし: 

mc:藤原さん、おはようございます。

藤原:おはようございます。

mc:日本でも世界でも株価が上昇していますが、藤原さんはその背景については、どうご覧になっていますか?

藤原:はい。あの、全世界で政府、中央銀行が恣意的に金融市場を動かしてですよね、株価の下落ですとか、それから株価の上昇、或は金利の下落も結構無理に根拠なくやっていることが多くて、何でこんなにムキになって市場を動かすのかというところに、やはりそのこうでもしないと政治も経済ももたないという厳しい現実が背景にあるんだと思うんですね。

貧困国も大変なんです。中国、インド、中東、ブラジル、さらに先進国のヨーロッパ、アメリカもみんなその巨大なバブル崩壊というのがですね、経済を蝕んでおりまして、この崩壊は止まっている様子がないですね。

特にその爆発的な不動産投資をした国ではですね、不動産価格の下落が止まらずに、倒産が急増している、そういう国がありますね。

あるいはその原価の半分以下に割り込んだ原油、ガスの価格でもうとにかく増産してお金を稼ぐしかないということで、増産はするわ、値段は下がるわで大変になっちゃった産油国とかですね。

あるいはその貿易の縮小で貿易が止まってしまって経済が回らなくなった国とかですね、あるいはその見かけの繁栄を装おうためにサブプライムローンを手当たり次第に貸しまくって身動きがつかなくなってしまった国とかですね、よく見ますとその実態は実に様々なんです。

我々はその1990年代にバブル崩壊の大変な経験を日本としてしているわけでありまして、巨大なバブルが崩壊したら、結局最後の大破綻までいかないと物事が途中で止まるという事はないということは我々は実感で良く知っているわけですね。

今その各国は、90年代と同じような途中の状況にありましてですね、何をやっても症状がよくならなくて、各国政府、企業、中央銀行が振り回されているのが実情なんですね。

こういう状況で世界中は今、利下げとか金融緩和しているんですが、こういうことをやっても効果は極めて限られておりますし、どこかの国のようにですね、これからは利上げをしようなんて言っているんですが、利上げをしたら経済は吹き飛んでしまうんですね。

FRBがQEやゼロ金利政策を止めなければならい時には、市場では大事件が起きる。
FRBがQEやゼロ金利政策を止めなければならい時には、市場では大事件が起きる。(出典)


昔の日本の経験を物差しに考えましたら非常にわかりやすいことなんですけども、各国とも、自分たちだけは昔の日本とは違うと言って頑張っているんですが、しかし、結局は同じ状況なんです。

でも実はそれ以上にですね、地政学的変化が今世界に起きております。例えばウクライナではですね、自主的にこの間の戦争でアメリカがロシアに負けたわけです。そしてアメリカ抜きでヨーロッパがロシアと停戦を決めたと。ロシアのユーラシア及びアメリカに対する影響力は格段に高まりましたですね。

あるいはそのアラビア半島南部のイエメンで事実上政府が崩壊して、アメリカが大使館も軍も国外に逃げ出してしまったわけですね。

国が武装勢力の手に落ちてしまいまして、サウジアラビアがいたたまれなくなって軍事介入を昨日あたりからしておりますけども、これはあたかもですね、中東のアメリカと親しい国の未来を予兆する出来事なんですね。

或はそのイランとアメリカなどの間の核の脅威はかなり進展しております。最終合意は先送りになりましたけれども、イランとパレスチナの武装勢力のヒズボラ、この2つは昔からアメリカのテロリストとして、アメリカはテロとして、テロリスト団体と指定しているんですが、アメリカはこの2つをテロリストのリストから削除しているわけですね。

或はその中国主導のアジアインフラ投資銀行にイギリスとヨーロッパを参加する。日本とアメリカは参加しない、台湾は要請があれば参加すると言っているわけでありまして、新しいユーラシアの時代に日本もちゃんと参加しないと、何か孤立するばっかりなんですね。

(続きはここから)

或はそのアメリカの退役軍人の団体があるんですが、そこに属しております元軍人がロシア政府が出してきました2001年の911テロに関する衛星写真をモスクワで検討したんです。それはあの時のですね、ビルの破壊というのが、爆破解体によるものでありまして、911テロが自作自演であることを示していたと。

その事を公表しているんですね。しかもその団体はロシアのプーチン大統領にですね、世界の平和を確保するために必要なその他のいくつかのファイルも公開するように、同時に要請しております。

出典
ベテランズ・トゥデイのゴードン・ダフ氏がプーチン大統領に宛てた資料の公開要求(出典 )


日本でも安倍政権が安保法制、或は辺野古の基地の移転、原発再稼働、TPP推進などの政策を推進しているんですが、いずれも反対は根強くてですね、与党内にも議論がありますし、今後安倍氏の力押しだけでできることなのかは、甚だ疑問な所がありますね。

mc:そのような世界情勢の中で、これから日本はどうなっていくとお考えですか?

藤原:はい。以前から述べておりますように、21世紀というのは20世紀とは全く秩序が違う時代になると思います。

システム的に言いましても、アメリカが1つだけ強いとか、或はドルが1つだけ強いとか、自民党が1つだけ強いとか、こういったように1つだけ最後に強いのが残るという状態になりますと、その次は、そのシステムが中からとけていきまして、イノベーション、創造と言いますか、全く新しいものが生まれてくるんですね。

江戸時代が行き詰まりまして、明治維新が起きたり、戦争末期の翼賛体制が行き詰まりまして戦後の民主政治になったり、或はその昭和の非常に一極化しましたバブル経済がとけて、平成のもっと分権化された新しい経済が生まれたりと、こういう感じなんですね。

で、アメリカの世界一極体制っていうものがとけてくれば、それはロシアとか中国が台頭する。まさに今の状況でありますし、いずれはそれもとけて、今度はユーラシア全体が各地域の横の共同体というかたちで安定していくでしょうし、さらにはドルが一極でとけてくるのであれば、ユーラシアも、或はその地域の自立性も高まりまして、地域ごとの基軸通貨という状態にもなるでしょうね。

日本も政治が中から1つとけてくればですね、経済、それから財政、都市の一極集中もとけてくるし、本格的な21世紀の日本に形が変わっていくでしょう。その間はいろいろ困難もあるかもしれませんけども、まあしかし、いずれにいたしましてもですね、変化が来る事は間違いない。そこに天変地異とか気象災害ということもあり得るでしょうし、いろんな意味で日本はですね、これから国を作り変えていかないと、新しい時代に合った国になっていかないのでありますね。

ですから、今起きております国際的な金融の問題、軍事の問題というのも、要するに新しい時代が来ているとういうことじゃないかと思うんですね。こういう変化、たぶんおそらくこれから50年まではかなり進んでくるんじゃないかなと思うんです。今からちょうど100年ぐらい前にはですね、アジアの夜明けということで、辛亥革命というのが中国で起きまして、それから半世紀ぐらいの間に2度の大戦を経験して、日本は軍隊もなくなりまして、新しい日本に生まれ変わったわけでありますから、今からほんとに50年もしますと、全く違った秩序の中に我々はいるんじゃないかと思いますね。

mc:そうした時代の流れの中で、これからどんな意識をもっていくことが大切だとお考えですか?

藤原:はい。現在のこの見かけの安定というのは、世界中、たいていがですね、単にお金を刷って撒いて、取り繕っているというそれだけのことであることが多いんですね。ですから、こういうものは、消える時はあっという間に消えてしまいます。その反省も踏まえまして、21世紀というのは健康と持続可能性を重視して、近代文明を乗り越えました新しい世の中を建設することになっていきます。その方向性をいつも意識しながら、普段の仕事や生活をすすめていくことが、あまり困難なく新しい時代に到達するためには非常に重要なことなんですね。

で、政治や外交におきましても、何かこう強いものに守られているという姿ではなくて、自立して横に連帯する、連携するというかたちになるというのが21世紀の国内も外交も経済もそういう姿だと思いますね。

ですから、誰でもまず個性を生かして、競争するんではなくて競争を避けるために独自の進化をとげていくという、基本的に考え方の転換が必要です。競争の結果未来が生まれるんじゃないんですね。ですからまあ、そういう意味で言いましたら、みなさんそのリーダーをちゃんと作らなきゃだめだと思いますね。

横に繋がって、みんなでその自立できるようなリーダーを押し出していく力がないと、その共同体はなかなか持ち上がらないと思います。いずれにしましても、今年は変化が激しいので、注意が必要かと思います。

mc:はい。ありがとうございました。

藤原:ありがとうございました。

文字起こし:はちコ



・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

9・11アメリカの自作自演が、NHKのラジオで流れた。

これも「泥舟=日本田布施・横田帝国」から逃げようと、まともな人が動き出した印かな。

今の東京・大企業・霞が関は、タイタニックだろう。

お読みくださりありがとうございます。

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60歳児は人前には出すな

コメント25の「60歳児やからしゃーない」には笑った。「60歳児」とはまさに安倍にぴったりの言葉だ。麻生なども同類だが。


【悲報】安倍、外国指導者の葬式中に爆睡


rr



1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:39:30.16 ID:6PGfCZFK0.net
現地の人に呆れられた模様

@jichellemanice
https://twitter.com/jichellemanice/status/582059577983660033
Abe please. If you're here to pay your respects to Mr. Lee, can you not sleep in UCC
(安倍。リークアンユーに敬意を表しているなら寝るな)
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/f/fut573/20150329/20150329225130.png

5: セリーグ速報がお伝えします 2003/07/13(土) 13:19:52.46 ID:lfkmapegj  




3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:40:14.28 ID:LrGB3Kfb0.net
謎定期

4: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:40:15.59 ID:6PGfCZFK0.net
ちなみにシンガポールの元指導者、リークアンユーの葬式

5: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:40:42.98 ID:GX/oZyk8M.net
なんやこいつ…

国の恥!

6: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:41:12.65 ID:hR82W0CzD.net
行かなくてもいいのにわざわざ行くって言ってこのザマか

7: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:41:43.99 ID:VR9SvYVU+.net
ほんま最悪…
安倍、頼むから辞めてくれ

そんなに寝たいんなら永遠に眠っとけや

12: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:43:19.79 ID:Fb0iQw3m0.net
一番右にいる奴も私語しとるしリー氏の人望はボロボロ

13: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:44:19.43 ID:GX/oZyk8M.net
ほんと外国に失礼…
何が積極的平和主義じゃ
何が地球儀外交じゃ
最低限の礼儀もないんじゃ外交以前の問題やろ!!!!

14: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:44:23.11 ID:b7Er9ey+0.net
時差ぼけやろ

19: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:46:22.69 ID:6PGfCZFK0.net
本来なら辞職もんやろこれ
この前の我が軍発言もそうやし
おかしいやろ今

22: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:46:46.63 ID:FJpnGBej0.net
ケンモメンに聞きたいんだけど、安部じゃなくて誰が総理なら文句ないの?

26: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:48:10.26 ID:6PGfCZFK0.net
>>22
このスレにケンモメンなんていない
いるのはなんJ民だけ

33: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:49:28.66 ID:FJpnGBej0.net
>>26
じゃお前でいいや
誰が総理として理想なの?

24: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:47:40.84 ID:L6stLn+60.net
シンガポールが華僑の国って知らんのか…

29: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:48:50.48 ID:7K51ihdA0.net
>>24
ネトウヨはまず華僑を知らんと思う

35: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:49:46.80 ID:u6lciGtU0.net
>>29
そらいくらなんでもないでしょ

45: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:53:15.09 ID:LKPBDXhcK.net
>>35
なんかネトウヨに在日認定された声優かなんかが「わたし華族の家系なんですが……」って言ったら
「ああ中国人かよwww」って言ってたで

25: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/30(月) 00:48:05.56 ID:ob5vd9SR0.net
60歳児やからしゃーない

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四月の馬鹿、永遠のアホ

エイプリルフール向けの話題は無いか、と探して、次の記事に出遭った。
まあ、これで日本は経済的に死亡だね。
法人税軽減したところで、いったい、企業は誰に商品やサービスを売るつもりなのだろう。もはや、物やサービスを買う一般庶民はいないよ。恒久的デフレ、恒久的不景気になる。金の卵を産むニワトリを殺して食ったら何も残らない、というのと同じこと。政府や大企業(財界)というのはまったくアホの巣窟。四月だけの馬鹿ではなく永遠のアホ。


(以下引用)

消費税10%、17年4月に引き上げ決定

1: デンジャラスバックドロップ(宮城県)@\(^o^)/ 2015/03/31(火) 22:41:20.69 ID:ACZDk2lO0●.net BE:601381941-PLT(13121) ポイント特典
消費税10%への引き上げ時期、17年4月決定

2015年度税制改正関連法が31日、参院本会議で
自民、公明、次世代の党などの賛成多数で可決、
成立した。

消費税率10%への引き上げ時期を、当初の予定から
1年半先送りして17年4月とすることが決まった。
景気が悪化した時に増税を停止できる「景気条項」は削除された。

14年4月に消費税率が8%に引き上げられた後、
個人消費の回復が遅れている。

15年度税制改正では、景気の底上げを図る。
親や祖父母から受け取った結婚や子育ての資金について、
1000万円まで贈与税を非課税とする。
企業のもうけにかかる実質的な税負担の割合である法人実効
税率(標準で34・62%)を2・51%引き下げる。

http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150331-OYT1T50151.html

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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