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偽善という「昼の世界のテンプレート」

「hatena blog」から転載。
私は、偽善というのは嫌いではない。というより、ある程度の偽善(子供に「嘘をついてはいけません」と教えるような。)はこの世界の秩序を保つためには必要なものだ、とすら思っているのだが、図々しい偽善、偽善によって自分が有利になるように振舞う人間は大嫌いであり、まして偽善をビジネスの世界に持ち込む人間は社会の害虫だと思っている。
たとえば、今でも漫画家や小説家の世界では、原稿料の金額を仕事に先立って決める習慣が無い、と聞いたことがある。つまり、「金の話をするのはみっともない」という感覚が何となく存在し、その事によって出版社有利の取引が永続的に続いているわけだろう。
この「金の話をするのはみっともない」に近いのが、「これこれの仕事は聖職だから、仕事をすべてに優先させ、私生活は犠牲にしても当然だ」という風潮だ。これが、その「聖職」を運営する経営者側にとって、いかに有利な風潮であるかはすぐに分かるだろう。だが、実際にその風潮に表立って文句を言える人間はほとんどいない。これが「空気に支配された社会」の姿である。某ワタミのように、おそらくブラック企業ほど、「滅私奉公」を美徳とする社内の空気があるのではないか。そして、ブラック企業の経営者は従業者をこき使い、使い捨てにするのだろうが、社内の人間はそれに文句も言えない、というのがこの日本社会だろう。
ブラック企業には限らない。
偽善は、いわば日本の「昼の世界のテンプレート(基本形式)」だとも言える。


「医療という現場で、オンオフが見えなくなるくらい夢中になって人の命と向き合うのは素晴らしいことだと思いますし、私自身考え始めると夢の中まで患者様が出てくるタイプではあるのですが、

「人の命」というざっくりと大きなものと毎日接しているからといってその考え方がさも崇高なものであるように感じるのは勘違いも甚だしいというか、

医療なんて大きな業界なのだから自分自身や家庭の生活のために、心の中では嫌々ながら働いている人もきっといるであろうに、そういった人達に対して排除的なのは、この万年人手不足の業界では自分達の首を絞めることに繋がる気がします。おカネのために働いているからといって仕事ができない・やる気がないなんていうものでも無いですし。



「皆で病棟にだらだらと居座って疲れ目をこすって勉強して患者様のために頑張りましょう」が「今日も定時で帰れるようきっちり情報共有してきっちり仕事こなしていきましょう」より美しく響く社会、いまいち理解できません。」


滅私奉公する人間が職場にいると、それがその職場の標準とされ、他の人間が迷惑する、ということもある。日本人があまりに勤勉だったために、その影響で欧米の勤労者の仕事のハードルが上げられ、日本人が文句を言われた、ということもあった。どこまでが「適正な仕事」か、どこからが「やりすぎ」か、いつもいつも雇用者の側から考えるのではなく、被雇用者側の主張もするべきだろう。とは言っても、一億総非正規雇用時代に向かっている今となっては、既に遅すぎたのだろうが。


(以下引用)



水商売をしていました。看護師になりました。









2015-06-16

看護師になって2ヶ月半、水商売に戻りたいと思う理由




水商売を卒業し、総合病院の新人看護師となって2ヶ月半が経ちました。



そこそこ良好な人間関係の部署の中、厳しいながらも熱心なプリセプターさんに指導していただいて、理不尽に怒鳴られることなく、優しい先輩方がしょっちゅう「困ってることない?大丈夫?」と声をかけてくださって、楽しい同期達が休前日になると私の家に泊まりにくる、この上なく恵まれた社会人人生を送っています。



恵まれているのはよくよく分かっている生活の中、ついぼんやりと毎日のように考えてしまうのが、水商売への復帰だったり。



夜の仕事は好きではあったけど、あくまでお金が必要だから働いていただけの筈で、「大学卒業するまでだから」と自分に言い聞かせながら頑張っていた筈。



もう二度と指名数のノルマと売り上げに追われる必要もなければナンバー争いの女同士のごたごたで靴やドレスがなくなる心配もなければ某掲示板サイトで「枕しかできないブス」と書かれる不快さもなければ(枕営業はしない主義だった)気持ち悪いおじさんとキスする必要も無い今のシチュエーションはほぼ理想的な状態だというのに、

戻りたいなんてどうして思ってしまうのだろうかと考えた結果、今はまだ夜の世界と昼の世界のギャップに順応できていないから、馴染みの環境に逃避してしまいたいのだと感じたので、

昼の仕事に慣れて風化する前に書き留めておきたい今の感情。



まず、夜の仕事の居心地の良さは、働いている人同士が余計なプライベートに突っ込んでこないところにありました。



看護師の方々の、昼休みの会話の中で先日出たのが「高校生の時に何をしていたか」という話。

「部活ばっかりだった」「初めて彼氏ができた」といった、ごくごくテンプレート的な思い出話が飛び交う中、ろくでもない高校生生活をしていた私は何と言えば良いかわからずにだいぶ居心地が悪かったり。

少なくとも私が夜の仕事をしていた時に、付き合いが長いわけでもないのにそんなことを聞いてくる女の子はいませんでした。

だって、目の前の女の子は高校時代は援助交際に生きていたかもしれないし、不登校だったかもしれないし、高校中退かもしれないし。

どんな人がいるか分からないことが前提の夜の世界で、デリケートな思春期の話題なんていう地雷をわざわざ踏み出す人はよっぽど空気が読めないか、お客様が青春時代の武勇伝を語りたがってる時くらいです。

昼の世界にだってどんな人がいるかわからないじゃない…と思うのですが、どうして彼女たちは、10代後半は学校に行って、部活や恋愛をする高校生生活を全ての人が送っていると思い込んでいるのでしょうか。



2つ目は、昼の世界の人達のコミュニケーションはとにかく無駄が多い。

部署の延々と続く飲み会やら旅行(しかも自分がお金払わなきゃいけない)やら、何のためにこれやってるの?と聞きたくなってしまいます。



水商売時代のお店の女の子達との飲み会は、「本当は仕事なんてせずに寝ていたいけれど生きてくためには稼がなきゃいけないんだよね」が前提のパートナーとしての関係だったので、別に誰が来ようと来まいと周りは気にしなかったし、そもそもそこまで他人のこと気にしていないし。お客さん取った取らないの争いの末にドレス捨てられたけど。



少なくとも私にとってお店の女の子と飲むことは、指名のお客様のヘルプ(自分がお客様の席につけない時や、お客様が初めてご来店の方を連れてきてくださった時に一緒に席に着く)の女の子がこれからも丁寧に接客してくれるよう普段のお礼を言ったり、逆に私の指名が少ない時にいつもヘルプとして呼んでくれていた先輩にもお礼を言って、また一緒に座らせていただけるように手配することでした。



それが今となってはどうだ。昔ながらの飲みにけーしょん?を否定する気は無くとも、「上司に誘われたなら一緒に飲みにいくべきだろう」をそのまま受け入れるのは賢くないというか、どうせ行くならせめて新人側であれば

「上司と飲む席で『自分は要領が良いわけじゃないから仕事はそんなにテキパキできないけど、決してやる気がないわけではないのよ』という可愛らしさを不自然じゃないくらいにアピールして周りに寛容になっていただくついでに質問しやすい先輩を増やす」

程度の目標を、上司側であれば

「新人の性格とキャパシティを掴んで効率よく覚えられるような仕事の振り方の参考にして、ついでにモチベーションも上げさせて多少給料が低くても辞めないように手配する」

くらいの目的を持っていた方がちょっとした緊張感でその場にいる方々への気遣いはしやすくなるし、効率的だし、ご自身にとってもだらだらと会話を繋げるよりずっと楽なんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。



「そんな下心だらけのコミュニケーションなんて不健全だ!」と怒られそうではありますが、全員が強烈な目的意識を持ってその部署に集まっているわけでもなく、多くの人が生活の手段として仕事をしているようなタイプの職場で無理に表面的に仲良しのフリして裏で悪口を言い合っている方がよっぽど不健全でしょうと思ってしまいます。それでも続く飲み会文化、誰が得をするのか本当に分かりません。



3つ目は、昼職全体がそうなのか医療業界に限った話かは分からないのですが、「お金のために働いている」と言えないこと。



今の病院に入職した時、「貴方達は看護師になったんだから、これからは人の命のために、休みの日も自分でお金を払ってでも学会へ行き、知識と経験を積み重ねるのです!」と偉い人が話していた時に真っ先に「いや出張扱いにしろよ」と心の中で突っ込んだのはきっと私だけでは無いはず。



他の部署に配属された同期が「この前うちの師長、日勤の看護師集めて夕方5時からみんなで掃除し出して帰り夜8時だし残業代つかないの!信じらんない!『皆が働きやすいナースステーションにしましょう!これはボランティアです!』じゃねえよ!金払えよ!」とキレていたのは至極まっとうな感覚のはず。



医療という現場で、オンオフが見えなくなるくらい夢中になって人の命と向き合うのは素晴らしいことだと思いますし、私自身考え始めると夢の中まで患者様が出てくるタイプではあるのですが、

「人の命」というざっくりと大きなものと毎日接しているからといってその考え方がさも崇高なものであるように感じるのは勘違いも甚だしいというか、

医療なんて大きな業界なのだから自分自身や家庭の生活ために、心の中では嫌々ながら働いている人もきっといるであろうに、そういった人達に対して排除的なのは、この万年人手不足の業界では自分達の首を絞めることに繋がる気がします。おカネのために働いているからといって仕事ができない・やる気がないなんていうものでも無いですし。



「皆で病棟にだらだらと居座って疲れ目をこすって勉強して患者様のために頑張りましょう」が「今日も定時で帰れるようきっちり情報共有してきっちり仕事こなしていきましょう」より美しく響く社会、いまいち理解できません。







それでも私が何やかんや看護師を辞めないのは、今の状況で夜の仕事に戻ったところで何のキャリアもなく35歳を超えてしまったら次に仕事に就くことができなくなるという危機感と、他人に言える仕事をしている安心感と、ろくでもない私が正規雇用で働けていることへの感動と、社会保障に守られていたいからと、そしてやっぱり看護師として患者様と関わるのが楽しいからです。



だらだらと書き連ねてみましたが、昼の世界の統率にはある程度共有する思想やコミュニケーションのテンプレートが必要で、それがただ単に夜の世界の情緒と噛み合わないというだけの話で、夜の世界が絶対的に素晴らしいとは思いません。あと数ヶ月もすれば私も昼の仕事の感覚に慣れて何も感じなくなるでしょう。



それでも、過去に自分が存在していたとてつもなく受け皿の広い世界の良い面の感覚を少しでも昼の世界で居心地の悪さを感じている誰かのために持ち込んでいくことができるよう、せめて今はまだ夜の感覚を忘れずにいたいなと椎名林檎を聞きながら思う次第です。


依里楓 (id:erikaede020) 5日前

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「トランス脂肪酸禁止令」の背後にモンサント「遺伝子組み換え種子」あり

米国の「トランス脂肪酸含有食品禁止措置」のニュースを聞いて、まず胡散臭さを感じたのだが、やはりその背後にはモンサントなどの大企業と癒着した米政府の謀略があったようだ。
まあ、マーガリンが体に悪い、という話はだいぶ前から聞いてはいるから積極的にマーガリンを摂る必要は無いだろうが、無闇に怖がる必要も無いのではないか。それよりも、このトランス脂肪酸禁止令によって、「トランス脂肪酸フリー」を謳う遺伝子組み換え食品が大手を振って世界中にまかり通ることのほうが、よほど怖い。
大企業の恣意によって、政府が簡単に国民の安全と命に関わる(生命を危うくする)法令を出すアメリカという国は、まさに資本主義の腐敗の極点に達している、というべきだろう。


(以下「大摩邇」より引用)


02:36

米国のトランス脂肪酸含有食品禁止措置

街の弁護士日記さんのサイトより
http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2015/06/post-400d.html
<転載開始>

ここのところ、世界的な食の安全ルールに関わるニュースが続いている。


 


米国FDA=食品医薬品局が、トランス脂肪酸の食品使用禁止を決めた。3年後までに全廃する。
トランス脂肪酸は、心筋梗塞や動脈硬化のリスクを高めるとされている。
FDAは、この措置によって、年間2万件の心臓発作を防ぎ、心臓病の死者を7000人減らせるとしている。
トランス脂肪酸については、WHOも、1日の総摂取カロリーの1%を超えることがないようにすることを勧告している。




 


このニュース切り口が多すぎて、どうとらえたらよいか、スタンスが決まらない。
まとまらぬまま、思いつくことを並べてみる。


 




1 大胆な措置だという第1印象である。
今や世界を覆うWTOのSPSルールでは、有害であることの十分な科学的証拠があることが求められる。
WHOの勧告は、SPSルールにいう国際基準にはならないし、WHOも全面的使用禁止を勧告しているわけではない。


 


有害であることの科学的証拠が十分にあれば、直ちに全面禁止が許されるわけではない。
仮に疑う余地なく有害であったとしても、輸出業者が存在する以上は、より制限的でない、取り得る手段が他に存在すれば、そうした措置によらなければならない。
全面禁止は、この点で、大変にドラスティックだ。



3年後に、米国がトランス脂肪酸含有食品の輸入禁止措置を取ったときに、輸出国からSPS違反としてWTOに提訴される可能性はある。
WTOの紛争解決制度は、相互に、食の安全を守らせないように足を引っ張り合うように働くのである。




 


2 日本での報道が小さい
トランス脂肪酸は、マーガリンだけでなく、パン類や、冷凍加工食品(ピザなど)にも、多く含まれている。
したがって、日本にとっても、人ごとではないはずである。
米国の出先機関は、これに追随するかというと、どうも、そうでもないようである。
少し不思議である。


 


勘ぐってみれば、厚労省は、米国の出先機関ではあるが、米国に直接害が及ばなければ、国民の健康より、わが国内で企業活動を展開する企業の利益を尊重するということかもしれない。
だとすると、日本国民は、米国より厳しい基準は、米国の保護水準に下げなければならない上、米国基準が企業活動に不利益を及ぼす場合は、米国湖基準より緩い自国基準で待遇されるわけだから、世界で一番、健康が保護されない国民になりかねない。


 


業界の削減努力や、削減しない度については、MyNewsJapanのサイトに詳しい。


米国で禁止のトランス脂肪酸 国内ワーストマーガリンは日本生協連、ファストフードのワーストはマクドナルド  12/02 2013
Mynewsjapan_j20131129191306



記憶力低下招くトランス脂肪酸 大きく減らす敷島製パン、微増の山崎製パン
01/29 2015


Mynewsjapanreportsimg_j201501291648



3 食品安全委員会調査の結果
2012年12月に、内閣府食品安全委員会平成22年度食品安全確保総合調査」として、財団法人日本食品分析センターが「食品に含まれるトランス脂肪酸に係る健康影響評価情報に関する調査」と題する調査報告書をまとめている。
PDFファイルにして199頁に及ぶ大部のものである。


研究会は、内外の論文を集約調査した上、次のようにまとめている。
(なぜなのか、保護ファイルになっているために貼り付けができない)。



 

  1. 硬化油由来のトランス脂肪酸を多く摂取すると、冠動脈疾患、肥満、アレルギー性疾患の増加リスクが疑われる。
  2. 胎児への影響も懸念され、出生時体重の減少、早産・死産のリスクも疑われる。
  3. 動物実験でもトランス脂肪酸は、動脈硬化を促進し、脂肪を体内に蓄積しやすくし、胎児に悪影響を与えることが示されている。
  4. しかし、硬化油に含まれるトランス脂肪酸は、非常に多くの異性体が存在し、どのトランス脂肪酸が人体に有害であるか明らかでないし、トランス脂肪酸以外の物質が影響をしている可能性がある。
  5. トランス脂肪酸摂取量と、冠状動脈性心疾患の間にはほぼ直線的な正の相関関係が認められる。
  6. しかし、一般的な日本人のようにトランス脂肪酸摂取量が少ない場合に、全く接種しない群との間で、冠動脈性心疾患の発症率との間に有意なリスクになるかは明らかではない。
  7. トランス脂肪酸摂取量をエネルギー比0.1%減少させることによって、年間約9000人の虚血性心疾患患者の減少、約500人の心筋梗塞死亡者の減少が期待できる。

 


SPSルールでいう、有害であることの十分な科学的証拠は存在しない。
平均的な日本人にリスクがあるかは、明らかではない。
しかし、トランス脂肪酸の摂取量を減らせば、カロリー比0.1%減少させれば、500人の心筋梗塞死亡を防ぐことができるという。




 


何とも、まとまりの悪い、まとめである。
今回の米国の措置に厚労省が、日本人は摂取量が少ないから、禁止する必要はないなどと、コメントしているのは、こういうことを意味する。


 


米国マクドナルドは、トランス脂肪酸の使用を止めたが、日本マクドナルドは、トランス脂肪酸を減らすつもりがないのは、厚労省の見解に負うところが大きいようである。
何となく、日本国民は馬鹿にされているようにも感じる。




 


 


4 米国民の心臓疾患は、OECD加盟国で最悪水準である。


ちなみに肥満率の推移は以下のとおりである。
これが全て、トランス脂肪酸の取り過ぎというのであれば、トランス脂肪酸を悪者にし過ぎで、いくら何でも事態を単純化しすぎている。


 


Himanritsu2


 


5 遺伝子組み換え作物との関係
健康ジャーナルのサイト、後藤日出男氏の論考「信用を失う食品業界!今一度確認しておきたいトランス脂肪酸の危険な話。」に次のようなくだりがある。


先進各国のトランス脂肪酸に対する対策を見てみると、政治的・経済的観点から大きく2つのグループに分けることができそうです。




1つは、米国を中心とする「遺伝子組み換え食品にポジティブ(前向き)な国」であり、韓国や中国などが挙げられます。 少々専門的になりますが、米国を中心とする遺伝子組み換え作物の栽培・消費を積極的に進めている国では、遺伝子を組み換えることによって、大豆や菜種油からリノール酸を減らし、オレイン酸を増やすことができます。これによりトランス脂肪酸量を減らすのです(リノール酸はオレイン酸に比べてトランス脂肪酸の生成量が多い)。つまり、トランス脂肪酸の使用を規制してもある程度の低減が可能だということです。




もう1つはEU(および英国)や日本のように「遺伝子組み換え食品にネガティブ(後ろ向き)な国」です。




これらの国は、食糧の米国一極支配を恐れており――遺伝子組み換え作物の種子はすべて米国企業がおさえている――したがって、EUや日本はそうした種子や油の輸入自体を制限しています。しかし現在の大量生産の技術では、遺伝子組み換え作物を使う以外にトランス脂肪酸を低減するよい方法はまだありません。




さらに、酪農が盛んな国(デンマーク、スイス、オーストリアなど)では、植物油を使わなくても乳製品からの脂肪酸(バターなど)でよいと考えているようですし、農業の盛んな国では、昔ながらのオリーブ油や圧搾法の植物油で充分というスタンスのようです。




その代表格のフランスでは、精製・加工植物油の消費量が少なく、また原材料名のなかに「トランス脂肪酸」の表示がなくても、「水素添加油」の表示があればそこにはトランス脂肪酸が含まれると判断できるとしており、さらに人工的トランス脂肪酸を含むいくつかの食品を開示して摂取量を減らすことを勧めています。
つまり、国民が精製加工された植物油の危険性について知らされているという点が日本との大きな違いだと思います。
(抹消線は、マチベンによる)


印鑰智哉氏のフェイスブック2013年11月21日でも、このことが指摘されている。


モンサントやデュポン・パオイニアはこのトランス脂肪酸を作らず、変質しにくいように遺伝子組み換えした大豆をすでに開発している。体に良いというオレイン酸を多く含むという(以下、高オレイン酸GM大豆)。


遺伝子組み換え企業にとってこの高付加価値形質遺伝子組み換えのセールスはこれまでに普及した悪名高いイメージを一掃させるチャンスになると考えているのだろう。つまり、これまでの遺伝子組み換えは農薬耐性や害虫耐性、農民向けにアピールする(そのアピールがウソにまみれていたことは言うまでもないが)ものだったが、消費者にとっては何らメリットのないものだった。今度の高オレイン酸GM大豆は「体に良い」大豆として消費者にメリットがあるものとして宣伝しようというのだ。




でも、その内実を見るならば、これまでの悪名を返上することはありえないことがわかる。要するに基本的に農薬耐性などのものの上に付け加えられるだけだ。この高付加価値の部分の遺伝子組み換えが果たして健康に被害がないかどうか、こちらも十分な検証が必要だが、それが問題ないとしても、基層に健康を害するものを使い、その上に健康によいものを乗せて、果たして健康にいいものができるはずがあるだろうか?




しかも、トランス脂肪酸フリーの油はすでに市場に出回っていて、遺伝子組み換えを使わずに実現できる。それなのになぜ遺伝子組み換えが必要?




しかし、モンサントらの豊富な資金力はそんなことお構いなしに「健康にいい遺伝子組み換え」を宣伝してくるのだろう、FDAの援護射撃を活用して。だけど騙されてはいけない。




 


後藤日出男氏は、遺伝子組み換えダイズを使わない限り、トランス脂肪酸を減らすことはできないとするようであるが、印鑰智哉氏は、遺伝子組み換えダイズを使わなくても、トランス脂肪酸フリーの油はすでに市場に出回っていると指摘している。




FDA=米国医薬品局の顧問は、モンサントの役員が指名されていたはずであるから、米国が食品安全行政を考え直したなどと考えるのは、ナイーブすぎるように見える。
そういえば、トランス脂肪酸批判をするグループは、何となく親米的のようにも見えてしまう。




 




以上の次第で、何がなにやら、よくわからない、一筋縄には行きそうもないのが、この問題のようである。


NHK 6月17日 10時42分
米 トランス脂肪酸 3年後までに禁止

 

米 トランス脂肪酸 3年後までに禁止    
マーガリンなどに含まれとりすぎると心筋梗塞などのリスクを高めるとされる「トランス脂肪酸」について、アメリカのFDA=食品医薬品局は3年後までに加工食品などでの使用を全面的に禁止すると発表しました。
トランス脂肪酸はマーガリンや揚げ物などに使われる油に比較的多く含まれる脂肪分で、とりすぎると心筋梗塞や動脈硬化のリスクを高めると指摘されています。
このためアメリカでは、食品に含まれるトランス脂肪酸の量の表示を義務づけるなどして、1人当たりの摂取量は大きく減ってきていますが、冷凍ピザや電子レンジで調理するポップコーンなどの加工食品にはまだ多く使われています。
こうしたなかアメリカのFDAは16日、「食品への使用が安全とは認められない」として、国内の加工食品などへの使用を全面的に禁止すると発表し、企業に対し、3年以内に代替品に切り替えるなどの対策を求めました。
FDAではトランス脂肪酸を禁止することで年間2万件の心臓発作を防ぎ、心臓病による死者が7000人減ると見込んでいます。日本では今のところ「通常の食生活では健康への影響は小さい」として、食品に含まれる量の表示の義務などはありません。

日本では「健康への影響小さい」

トランス脂肪酸の使用について、日本では3年前、食品安全委員会が安全性を検討した結果、「通常の食生活では健康への影響は小さい」とする見解をまとめていて「現時点で見解を変更する必要はないと考えている」としています。
トランス脂肪酸の摂取量についてWHO=世界保健機関は、摂取量を食事でとるエネルギーの1%未満に抑えるべきだとしていますが、アメリカでは、2003年から2004年のデータで男性で2%、女性で1.9%となっています。
一方、日本人の摂取量は、3年前にまとめられた食品安全委員会の見解によりますと平均で0.31%で、洋菓子や油分の多い食品を頻繁に食べる人を除くと高い人でも0.61%から1%だったということです。このため、食品安全委員会は「脂質に偏った食事をしている人は注意が必要だ」としましたが、「通常の食生活では、健康への影響は小さい」と結論付けています。
食品安全委員会では、今回のFDAの発表について「日本人のトランス脂肪酸の摂取量が、3年前から極端に増えているとは考えにくい。現在、アメリカの評価の根拠を検討しているが、現時点で見解を変更する必要はないと考えている」とコメントしています。

日本企業 自主的に減らす取り組み

厚生労働省によりますと日本では食品に含まれる「トランス脂肪酸」の量について規制はないということですが消費者の関心の高まりを受けて、国内の食品メーカーは、含有量を減らす取り組みを自主的に進めています。
このうち、マーガリン類で国内大手の「雪印メグミルク」は、主力商品の「ネオソフト」のトランス脂肪酸の含有量をこの10年でおよそ10分の1に減らしたということです。その結果、「ネオソフト」1食分に含まれるトランス脂肪酸は、「総摂取エネルギー量の1%未満にする」というWHO=世界保健機関の勧告を下回る0.037%に当たる量になっているということです。同じく、マーガリン類で国内大手の「明治」も、トランス脂肪酸を自主的に減らす取り組みを進めているということです。両社は「今後も削減の取り組みを続けるとともに、国から新たな方針が示されるようなことがあれば、適切に対応していく」としています。

<転載終了>

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汚れた、汚い、臭い、下品な、卑猥な、不愉快な、邪悪なお方

「ファール」の意味は「不正」だったっけかなあ、と考え、確認のために「faul」を調べたが、出て来ない。ネットで調べて、綴りは「foul」(発音は「ファウル」)だと分かったが、辞書(デイリーコンサイス)でその意味を調べると、「汚れた、汚い、臭い、下品な、卑猥な、不愉快な、邪悪な」の後に、やっと「不正な」が出てきた。なるほど、安倍が今いる場所がまさに「ファウルゾーン」であることが、これらの訳語の数々から良くわかる。辞書を引くのもなかなか楽しいものだ。

(以下引用)


小田嶋隆 @tako_ashi 6月17日

ジャイアンツの阿部慎之助は捕手から一塁手に転向するんだそうだが、永田町のアベシンはちょっと前にホシュから右翼に移動していまじゃファールゾーンに立ってる。

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麻薬常習者へのサポートとは何か

「サポートする準備が多少不足していたかと反省している」

そうである。つまり、「日本では麻薬は重大犯罪ですよ」と伝えることを忘れていた、ということか。(笑)


(以下引用)

<トヨタ米国人役員逮捕>豊田章男社長が謝罪「お騒がせして申し訳ない」




[写真]会見を行う豊田章男社長(右)

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動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=C9MthUnFhkQ
 トヨタ自動車の米国人女性常務役員が麻薬の錠剤を密輸したとして麻薬取締法違反の疑いで逮捕された事件で、同社の豊田章男社長は18日夕方、東京本社で記者会見し、「世間をお騒がせし誠に申し訳ない」と謝罪した。


 豊田社長は「(逮捕された)ジュリー・ハンプ氏はかけがいのない仲間。できることは仲間を信じて捜査に全面的に協力すること。今後の捜査を通じて、ハンプ氏に法を犯す意図がなかったことが明らかにされることを信じている」と述べた。

 ハンプ容疑者について、「彼女は(同社の)グローバル化への一歩を行動で示してくれた」と評価したが、日本国籍ではない役員が日本に常住するのは初めてのケースだったといい、「サポートする準備が多少不足していたかと反省している」とした。ただ、性別や国籍を問わず適材適所で行ったとする4月の新体制人事について「変更は考えてない」と述べた。





(追記「ネットゲリラ」より転載)「ジュリー・ハンプがヘンプを頒布した」ら、トヨタはどうなるのだろうか。


オキシコドンは鎮痛剤
この方向で電通チームが世論形成します
明日には鎮火です
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全新聞にトヨタの全面広告で口止め料ばらまきだな
てかそれがこの女の仕事だったんだが・・・
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モルヒネより強力な麻薬だぞ。
常用してるってどんな病気だよ?
アメリカだってなんとなく流通してるわけじゃ無いぞ!
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まともな理由で申請必要なことを知らなかっただけなら起訴猶予になるだろうけど、癌の疼痛とか相当きつい鈍痛にしか使わない強力な鎮痛剤だから、そんな病気の人が役員になるのかな?
仕事の疲れをとるとか適当な理由で外国で処方もされてないなら、有罪判決受けて国外追放、薬物犯なので二度と日本に来れなくなる
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これがグローバル化ってことなんやな。めんどくさい
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モルヒネの副作用軽減版だからな こんなの使ってるジャンキーさっさと首にしとけ
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ジュリー・ヘンプって名前だから
大麻の密輸だと思ったわ


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学ぶだけでは何も作れない

この動画はずっと前に見ていてかなり興味を引かれたものだが、in deepさんが書き起こしてくれたので、転載しておく。
ジェイコブ・バーネットは自分自身を天才だとは思っていない(知能が高いとは自負しているようだ。)ようだが、一般的な人から見れば目も眩むような天才だろう。そして、そうした天才に生まれついた人間を羨み、凡人として生まれた自分の運命を悲しむ、というのが普通の反応かと思う。だが、それは誤った考えだ、と彼は言うのである。何かを成し遂げる人間と、何も成し遂げない人間の違いは、「自分の頭で徹底的に考える」か、「ただ学ぶだけで、自分では考えない」かの違いだ、というのである。実際、そうだろう。
ファインマンが科学者と一般人の違いについて、同じことを言っている。両者の知能は同じだが、科学者は一般人とは違って、一つの問題について徹底的に(問題によっては一生をかけて)考える、それだけの違いだ、というのである。
科学には限らない。何か、興味を持ったことに対し、ひたすら集中する人間が、その分野で成功できないはずはない。あまりにも単純なことなので、逆に誰も実行しないのが、これなのだろう。



(以下引用)


19:23

ついに登場した私の救世主に気づく:「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録

In Deepさんのサイトより
http://oka-jp.seesaa.net/article/420843488.html
<転載開始>


neuron-top.jpg
Your Neural Network


団欒中の覚醒

私は自分の人生で、好きな人はたくさんいても、「尊敬する」という人は基本的にいない、というか、そういう対象を作らないように生きてきましたが(自由が好きな人間が「自分からこの世の自由と平等性を否定してどうする」というやつです)、ちょっと尊敬したくなる人物が意外なところから出現したことに気づきました。

昨日の記事、

「私たちは何か大きなものの上にいる」:地球とすべての宇宙と接続を持つ可能性がある巨大な「プラズマの輪」の存在が証明される
 2015年06月16日

で、世界的な講演会の主催グループ TED で 2012年に講演した ジェイコブ・バーネットさんという、当時 13歳の少年の話を少し書きました。

昨日の記事を書いた時は、この講演会の動画は、パソコンでかなり適当に見ただけだったのですが、昨日の夜、もう一度見ようと、家族で食事をしている時にテレビ画面に写し、大きな画面で、今度はすべての言葉をちゃんと見ていたのですね。

そうしましたところ、彼は、私たち人類の「進化」と「未来の人類社会の理想」に関与する、きわめて重大なことを言っていることに気づいたのです。

もちろん、ジェイコブさん本人はそんなことに気づいていないかもしれません。

しかし、彼が講演会で、物理の歴史を語る際に引き合いに出した、ニュートンやアインシュタイン、そして、ジェイコブさん自身に共通してあったこと、つまり、

学ぶことをやめて、考えだし創りだしたときから、すべては新しくなった

という言葉と、その概念。

「学ぶこと」は人間を発展させない

「考えること」こそが人間の進化を進める

というふたつのこと。

最近の In Deep を読まれていた方なら少しおわかりかもしれないですが、最近の私は以前にもまして、本などで「学ぶばかり」でした。

しかし、現実には、学んでいる時は考えることが止まってしまうのです(本の内容を考えることは「考えている」状態ではないです。基本的に自由な考えではない=ゼロからの発想が止まっている状態ですので)

たとえば、私にしても「恐怖」がどうのこうの、「不安」がどうだの「対峙」がどうだの言っていますが、本を読んで学ぼうとしたりしている。そのような態度では少し困りますね、とジェイソンさんは言っているわけです。

いや、実は、この「学ぶことの弊害」と「考えることが大事」なことは、ずいぶん若い時から体感的にはわかっていたのです。学ぶことを続けていると、人間は自由に考えられなくなる。

たとえば、賢人たちはどうして悟りに辿り着いたかと・・・。

お釈迦様は本などで学び続けた?

達磨大師は知識を学び続けた?

中村天風さんは学び続けた?

否。

彼らが悟りに導くまでにしたことは「考えること」だけだと思われます。

ここに「私たちが大きく勘違いしている」明白な真理が見えないでしょうか。

あるいは、「勘違いさせられ続けてきた」と言い換えてもいいです。

それがまさか、偶然知ったこのアメリカの当時 13歳の少年のビデオの言葉で悟らされるとは!

そして、ジェイソンさん・・・いや、バーネット師は以下のことを講演の最後の方で強く語ります。

「ニュートンもアインシュタインも(自分も)天才ではない。天才なんていない。学ぶことをやめて、考えて、創り出してこそ成し遂げられる」




人類は飛躍的に進化することができる

実はこれに関しては、バーネット師匠の言葉で知るに至った、

人類が内在している能力に関する秘密

と、そして、未来の人類の在り方ということを絡めて、

人類が「劇的に進化」して、「劇的に能力を上げる方法」

について、いろいろなことを書きたいのですが、今回はそんなことより、このバーネット師の講演会の言葉を全部書き出すことにしました。

いいところだけを抜き出してもいいのですが、私が「いいところ」と思う場所と、他の方々や、あるいは師匠が「いいところ」と思うところは違う可能性があるからです。

20分近くの講演ですので、確かに大変ですし、相当長くなるかもしれないですので、読む方々も大変だとは思うのですが、一部のジョークなど以外は、すべてを書き写すことにしました。

私にとっては、写経みたいなものです。

くどいようですが、(あくまで私の考えでは)ここには、人類が、プレアデスの人など比較にならないほど飛躍的に進化する道が穏やかに示唆されています。

たとえば、講演の最後の3分間ほどで「まとめ」のようなことを述べていますが、この部分だけでも「人類全員が果てしない能力を獲得する方法」がさりげなくが示されていることがおわかりになるのではないでしょうか。




これは単に、自閉症から数学・物理学者になった少年の話ではなく、2歳で「切断」されて覚醒した本人からの福音と思えます。

師匠本人はそのことに気づいていないと思われますが。

少なくとも、これは私のショック体験で、師匠の講演を聞いた後に「恐怖と不安の正体」に少し近づいた自分を感じます。

ちなみに、バーネット師匠の記事を教えて下さったのは、私の講演会の打ち上げに来ていただいていた、栃木で自給自足をされている女性(農作業中、マムシに噛まれて救急搬送された経験あり)でした。この方が教えて下さらなければ、多分、知らないままだったと思います。

さかのぼれば、講演会に、あるいは打ち上げに、この方が来て下さっていなければ、私は今回のショック体験をできずに、スルーしていた可能性が高いです。ありがたいことだと思います。

これ以上、私がうだうだと何かを書いても仕方ないですので、書きたいことは今度にしまして、早速内容を書き写します。

師匠のギャグは、ややわかりにくいところもありますが、基本的にはそのまま訳して載せています。
語感や雰囲気などを出すために YouTube の訳とは微妙に違います。

ここからです。



Forget what you know | Jacob Barnett | TEDxTeen

知っていることを忘れなさい
ジェイコブ・バーネット TED 講演会



forget-whatyou-know.jpg
・ジェイコブ・バーネット師匠


ハーイ、ジェイコブ・バーネットです。
楽しんでる?

ぼくは今日、「知っていることなんて今すぐ忘れてしまえ」ということを言うためにここに来ているんです。

まず、みんながわからなければならないことは、たとえば、みんなは宿題をするよね?
宿題はやらなきゃならないことだと思ってる。

宿題をちゃんとやっていれば、良い成績がもらえ、素敵なご褒美がもらえる。

ちょっとしたお小遣いとか、いいものがもらえると思っていないかい?

それは間違いなんだ!

「みんなは間違っている」というのが、ぼくの言いたいことなんです。

うまく行かせようと思ったら、すべて自分独自の見方をしなきゃならない。

どういうことかというと、考える時には、既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけないってことなんですよ。

ものを見る時には、美術でも歴史でも音楽でも何でもいいけれど、自分にしかできない見方をする。

ここで、ぼくの数学の見方をお見せしましょう。

たとえば、これは 32 で、回転は、足し算、引き算、かけ算などを表しています。


32-001.jpg


さて、今日、ぼくがここに立っている理由は、量子力学の話をするためです。

今日やることは、シュレーディンガー方程式を、時間に対して不変な要素に分解して、それを格子と、その中の1個の粒子という、境界条件に対して解くということです。

じゃあ始めます!

講義ノートがあるので回してほしいんですが、2列にわけるので、どなたか取りに来ていただけますか?

ちょっと待って下さい。その前に、ひとつ言っておきたいことがあるので。

(と言って、その講義ノートをすべて放り投げる)


note-ted.jpg


(笑)

ぼくは皆さんを量子力学でビビらせに来たわけじゃないんです。

もっと簡単なことを考えましょう。

「円」というものがわかる人は、どのくらいいますか?

では、なぜ、円は重要なのでしょうか。

クッキーの形だからでしょうか?
スケボーの車輪の形でもありますね。
何より重要なのは、Xbox 360 に命を吹き込む形だからですよね(笑)。

学校では円についてどう習うでしょうか。

π・r 2乗とか、丸いとか・・・他にありますか?

まあ、それくらいだよね(笑)。

円について、ちよっとおもしろいことをお教えしましょう。

ジョンソンの定理っていいます。

定理っていうより、数学者のものの見方です。

ジョンソンが言ったのは、3つの同じ大きさの円を重ね合わせて、6本の青い線が … 円を青で描いたとしてですが、6本の線が1点で交わるようにしたとき、円が交わる他の3点は、同じ大きさの円の上にあるということです。


johnson-theorem.jpg


これはπ・r 2乗とは違う新しいことです。

なぜなら、ジョンソンは、「円はπ・r 2乗で丸い。それで終わり」というようには考えずに、数学を作ったわけです。彼独自の見方をして、そうしたんです。

ここにいるみんながみんな数学の才能に恵まれているわけではないことは知っているので(笑)、もっとおもしろい話をしましょう。

中高生以上の皆さんなら、アイザック・ニュートンを知っていると思います。

あの、プリズムとかで、何かやった人です。

ニュートンは 1965年に、ケンブリッジ大学にいました。

歴史が得意な人は知っているでしょうが、ペストの流行のため、ケンブリッジ大学は閉鎖されました。

ニュートンは学ぶことができなくなったのです。

学ぶのをやめて、おそらく寮に閉じこもり、飼い猫と一緒にペストから逃げていたのでしょう。

学ぶことはできなくとも、考えることをやめたくはありませんでした。

それで、ニュートンは天体物理の問題を考えることにしました。

特に、地球を回る月の軌道を計算したかったんだと思います。


newton-ted.jpg


ニュートンがやったのは、この問題を解くために微積分を作り、運動の3法則を見つけ、万有引力の法則を見つけ、法則を検証するために、反射望遠鏡と光学を作り、そういったものすごいことを「学べなかった2年の間に」やったんです。

当時、ニュートンが学べなかったのは、ぼくらみんなにとって、とてもいいことだったのです。

学ぶことをやめたことで、自分で考え始め、新しい科学を作ったんです

よかったですよね。

そのおかげで、あの物理学理論があるんですから(笑)。

ニュートンは学者になったり、オールAを取ったり、成績優秀者リストに載ったり、教授のお気に入りになることもできたかもしれないですが、もし、あの時に、学ぶことを「やめなければ」何も創ることはなかったでしょう。

理論を新しく生み出すときに、ニュートンは自分で考え始め、独自の見方で物事を見る必要があったんです。


最初に自己紹介をやらなかったので、ぼくの自己紹介をきちんとしておきたいと思います。

11年前(2歳のとき)、ぼくは自閉症と診断されました。

ぼくは物事に極端に集中してしまうため、周囲からぼくは何も考えていないように見えたようです。

だから、ぼくは、「ここに光が反射しているから、光源は上。そして、ぼくの影はここだから、光はあっちから来る」と思って見上げると、その通りという感じだったんですね(笑)。

そんなことで、周囲は、ぼくは学ぶことができない子どもだと思ったんです。

じっと空を見上げ続けているだけで、ぼくが何もしていないように見えたので、みんなは、ぼくが何も学ばず、何も考えず、何も話さず、靴紐も結ばず・・・あ、それは当たっているかも。いつもサンダルだから(笑)。


sandal-ted.jpg

(バーネット師はいつもビーチサンダルのようです。この日の講演会でも)


でも、ぼくはその頃、大きな本屋に行って教科書を買い、本のデータからケプラーの法則を導いたんです。ぼくが何も学びも考えもしないと思われていた時にです。

他の人から見たら、ぼくは芳しくなくて、普通の2~4歳の子どもがするような、フィンガーペイントだとか、お話とかをやらなかったんです。

それで彼らがやったのは、僕に特殊教育をとるいうことでしたが、それはものすごく特殊でした。何しろ何も教えなかったんですから(笑)。

それで、ぼくは学ぶのをやめなければなりませんでした。

特殊教育のために、学ぶ方法がなかったんです。

そんなわけで、ぼくは何も学ぶことができませんでした。

でも、その時に、影の付き方だとか、そんなことを考えるようになり、それが今、天体物理学とか物理学とか数学が好きな理由だと思います。

学ぶのをやめたことが、今日のぼくがある理由なんです。


じゃあ、重力の話をしましょう。

ニュートンの後に何があったのかというと、ニュートンの後 200年くらいすると、物理学者がニュートンによる軌道をチェックするのに十分な実験技術が発展しました。

ニュートンの予想によれば、水星の軌道は長円です。科学者は「楕円」と言っていますけれど、しかし、望遠鏡を向けてみると、それは違うことがわかりました。

これです(左はニュートンによる水星の軌道。右が正しいらしいです)。


mercury-orbit.gif


まあ、科学者の方なら、この絵がすごい誇張だってわかるでしょうけれども。

いずれにしても、何と! ニュートンは正しくなかったのです。
史上最高の物理学者であり、最高の頭脳が間違ってたんです。

彼は間違った!(笑)

だから別の人間が必要になるわけです。
ニュートンがやったようなことをやる人間が。

知っていることを「すべて」忘れ、すべてを創り直すのです。


「再創造」です。


その人物が、アルバート・アインシュタインです。

アルバート・アインシュタインも行き詰まりました。
あまりうまくいってなかったんです。

アインシュタインはユダヤ人で、ナチスが台頭する前のドイツで大学の職を得られませんでした。それで、彼は特許事務所で働いたのです。理論物理とは関係のない仕事です。

あのアインシュタインがです!

それで、アインシュタインには突如として考える時間がたくさんできたのです。

学ぶことをやめなければなりませんでしたが、考える時間は、たっぷりとあったのです。

それで彼がやったことは・・・彼は思考実験が好きで、あらゆる違う考え方を試したんです。

アインシュタインは想像してみました。

自分が2人の友だちとトランポリンの上にいて・・・うーん・・・アインシュタインに友だち2人は多すぎますかね(笑)。

アインシュタインは1人の友だちと一緒に、トランポリンの上でテニスかなんかして遊んでいたんだと思います。

何しろ物理学者ですから、運動神経がそんなに良くなくて(笑)、テニスボールを掴み損ねて、ボールが周辺にゴロゴロ転がったとします。

これを見て、アインシュタインは叫びます。

「摩擦がなければ、これが重力だ!」と。

「これが重力なんだ!」と気づいたんです。

それで、とてもクレージーな動きを予想したんです(下の図)。


einstein-ted.jpg


そのクレージーな動きは、別のクレージーなことと一致したんです。

mercury-orbit.gif


アインシュタインは独自の見方、独自の考え方をすることによって、問題を解いたんです。

学ぶことをやめて、考えることを始め、創り始めたんです。


ぼくの昔の話に戻りましょう。

ぼくは周囲からは芳しく見えなくて、隅に放っておかれたという話でした。

3年前のことですが、サボりたい数学の授業があったので、そうできるようにするためやることにしたのは、代数と三角法と、その他、中高で習う数学と大学1年の解析を、すべて2週間で勉強してしまうということです。

そうしたら、あとはサボっていられますから。
10歳の時でした(笑)。

当時、大学への願書が受理されました。これも 10歳の時でした。
それで面接試験を受けに行かなければなりませんでした。大学に入るのに必要なんです。

面接を受けに行ったとき、駐車場に払うための硬貨をたくさん持っていたのですが、それを何と、面接官の部屋で床に全部ぶちまけてしまいました。

このことで、ぼくは常識を欠いているという印象を持たれて、入学は丸々1学期保留されることになったのです。

それで、ぼくは学ぶことをやめなければなりませんでした。

それで何をしたか。

学ぶのをやめて、テレビゲームで遊んでいたのか?

違う!

ぼくは「形」について考え始めたのです。

そのとき、ぼくは、天体物理学のある問題について考えていました。


shape-001.jpg


当時、天体物理にとても興味があったんです。
もちろん、今も興味があります。

次の2週間、いろいろな形について考え、その問題について考え、そうしたら問題が解けたのです。

天体物理の問題を解いたわけですが、それは基本的に、アインシュタインやニュートンに起きていたのと同じことです(学ぶことができなくなり、考えるようになったこと)。

まだ発表していないので、正確にどういう問題なのかは言いませんけれど、論文が出たら、それとわかるでしょう。

ぼくは、そういった問題を考えるのに、量販店で売られている 500枚組の安い紙を使っていましたが、考えているのが、多次元の話だったので、紙がすぐ足りなくなるのです。

紙を切らすと、ホワイトボードに移動しましたが、ホワイトボードなんて、すぐにいっぱいです。

それで今度は家の窓に移動しました。

それからぼくはマジックリンと戦うことになります。あの邪悪なマジックリンに、ぼくの数式が消されてしまいます。

そのうち、ぼくが公園とかに遊びに行かないで、窓に変な図系ばかり描いていることに、両親が気づきました。


space-window.jpg


ぼくがやろうとしていたことは、基本的に反証です。

ニュートンみたくはなりたくないですので。

100年も経ってから、間違いを証明されるなんてごめんです。

それで窓に行って、反証しようとしたんですが、できませんでした。

その後、両親は、ぼくが公園に行くべきだと考えて、プリンストン大学から誰か呼んできて、ぼくに対しての「反証」をしてもらうことになったのですが、ぼくのやっていることはどうやら正しそうだということになって、両親の計画はうまくいきませんでした。

公園はナシになりました(笑)。

ぼくは、学ぶことをやめなければならなかったことによって考え始め、問題を解いたんです。

その後、微積分のビデオを制作することにしたんです。微積分を学びたいというような変人も3人くらいはいるかもしれないし(笑)。

それで作ったんですが、12歳で微積分のビデオを作っているということで注目され始めました。


12-video.jpg


最初に取り上げたのは、インディアナポリス・スター紙で、一面で取り上げられました。写真が出ていますが、この時、ぼくはサンドイッチを食べていました(笑)。

おいしかったです。

それ以来、ぼくの微積分のビデオが大人気になりました。そもそも微積分のビデオが人気になるなんて誰が思ったでしょうかね(笑)。

外国語にも翻訳されました。それから、フォックステレビの人から連絡があって、その人の窓に書くことができることになりました。フォックステレビは窓がすごく広くて良かったですね(笑)。

それから、いろいろな変な人が家に訪ねてくるようになりました(笑)。
これは CBS 60 ミニッツのモーリー・セーファーです。


morley-safer.jpg


写真をよく見ると、ぼくは今と同じサンダルを履いていますね(笑)。


まとめみたいなことをしましょう。

アインシュタインやジョンソンやニュートンといった、ぼくがこの講演で取り上げてきた人たちは、みんな天才だったんでしょうか?

それが彼らを特別にしていたものなのか?

天才だったからできたのでしょうか?

それはちがう!
絶対に!

天才だからじゃないんです!

この人たちはみんな「学ぶところから考えるところ」へと、そして「創るところ」へと変化を辿っているんです。

メディアはそれを単に天才だと言っていますけれど。

まあ、彼らの IQ が比較的高かったのは確かでしょうけれど、しかし IQ が高くても、こういったことが何もできない人たちもたくさんいて、例えば、ただ円周率を 20万桁とか覚えて、それでおしまいとか。

なぜ他の数字を覚えないのか疑問です。たとえば、今ぼくが着ている黄金比(φ)などを(笑)。


fai.jpg


ぼくは、そもそも、このようなところに立つことを期待されていませんでした。

言葉を話すようにはならないと言われていましたから。

あの時のセラピストたちがどこかでこれを見たら卒倒すると思いますよ(笑)。

ぼくは、話せないと思われ、学べないと思われていましたが、今日ここに立っています。そして、何百人ものニューヨークの人を前に話しています。


今日の話から皆さんに持ち帰ってほしいことは何か?

皆さんにやっていただきたいことは、次の 24時間、まあ、土曜日で学校とか、いろいろとある人もいるでしょうが、次の 24時間は、学ばないで下さい!

これから 24時間、学ぶことを禁止します。

その代わりにやってほしいのは、何かの分野に・・・皆さんは何か好きなことがありますよね? ここで少し話しただけのぼくは、皆さんが何に興味あるのかわからないですが、みんな何か好きなことがあって、それが何かは、自分でわかっていることでしょう。

その分野について学ぶかわりに、その分野について考えてほしいのです。

その分野の学生になる代わりに、「分野そのもの」になってほしいのです。

音楽でも建築でも科学でも何でもいいです。

その分野について考えてほしい。

そうすれば、あなたは何かを創り出すことができるかもしれないのです。

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「安全な場所での後方支援」というジョーク

安倍総理が面白いジョークを言ったので、そのフリップの入った写真を貼っておく。



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一眼の人々の国では二眼の人間は奇形である

昨今の(でもないが、最近特に目に余る)「ジャスティス・ハイ」の風潮について、まず小田嶋隆師(散文の「文章」については私がもっとも尊敬する現存の人物である。)の箴言から。彼のツィートは、その多くが、ラ・ロシュフコーの箴言に匹敵する警句である。(警句は警抜な句、ということであり、警告の句ではない。だが、しばしば社会への警告の句となる。)
その後に、「播州武侯祠遍照院」所載のエンジョウ・トオルの文章を載せる。ここに見られる「ジャスティス・ハイ」(自らを「正義」の立場に置いて、他者を断罪する狂熱)の風潮への批判は耳を傾けるべきだろう。だが同時に、安倍一派の憲法破壊、憲法無視などの明白な悪への批判が、それによって及び腰になってもいけないのである。出版の権利は、法で保障されたものだ。一方、安倍一派の画策は、憲法という最高法規に明白に違反するものである。単なる「空気」や権力によって法がないがしろにされる、という点がこの国の諸悪の根源なのである。
蛇足だろうが、「狂った時代を打開できるのは……狂った人間の言葉だけだ」中の「狂った人間」と言うのは、狂った時代において、時代風潮に背く思想や発言は「狂っている」と周囲からは看做されるということであり、その「狂人」こそが実は正常であることは言うまでもない。

(引用1)


小田嶋隆 @tako_ashi 13時間前

狂った時代において、空気を読んで発言する常識人の言葉は、圧力しかもたらさない。狂った時代を打開できるのは、自分のアタマで考えて発言する狂った人間の言葉だけだ。

小田嶋隆 @tako_ashi 4 時間前


安保法案が違憲であるのは、法理として高度だったり難解だったりしない、ごく基本的なお話だと思う。野球で言えばピッチャーが石投げちゃだめだよみたいな。



      
    

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酔生夢人
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男性
職業:
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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