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顔(マスク)と「本当の自分」

山本弘という作家の「ビブリオバトル」シリーズの中に、こういう一節があって、まったく同感である。(この作家の言動を全肯定するわけではない。「陰謀論」否定論者というのは馬鹿だ、と私は思っているから。まあ、「頭のいい馬鹿」だろう。作品には面白いものもある。)

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自分を装っている人は大勢います。でも、本気で自分を内面から変えたいと思ってる人なんて、ごく少数じゃないでしょうか。だって、自分を変えるということは、それまでの自分を殺すこと――一種の自殺ですから。

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たいていの人は他人の前で演技をしているものだが、その演技が苦痛である人と苦痛でない人がいる。で、その苦痛の解決法のひとつは「自分を変える」ことで演技の自分に近づけることである。だが、それは上記の言葉の言うように、一種の自殺だから、それ自体も非常な苦痛であるわけだ。この種の「自分を変える」行為ができない人間が引きこもりになったりする。外界との接触を断つことは、当人には天国なのである。これが第二の解決法だ。もちろん、自分を変えることに成功して、幸福になる人もいるだろう。

外面(そとづら)、内面(うちづら)という言葉は、人間の二面性(社会的自己と本質的自己)をよく示している。だが、その内面(うちづら)というものさえ、「家族の前での演技」であることも多いだろう。つまり、「本当の自分」は心の中にしか存在しないし、その自己認識すら自分への欺瞞であることも多い。

演技と同様に、自分の真実の顔を隠すのが「マスク」である。女性の場合は化粧もマスクのひとつだろうか。マスクとは「仮面」なのだが、最近は衛生マスクで顔を隠すということも、顔を隠したい人の助けになっている。

山本弘の同じ本の中に、「美少女仮面ポワトリン」への言及があったが、私は、このテレビ番組の題名は実に秀逸だなあ、と昔から思っている。番組自体は一度も見たことはない。番宣か何かの断片的な紹介シーンでは、主人公役の少女俳優は仮面をつけていなかったが、まあ、普通の顔で、美少女には見えなかったが、「ポワトリン」という名前が秀逸だなあ、と思っていたわけだ。何となくポワポワした感じで、語尾の「~リン」が可愛さを強調している。よくこんな名前を考えられたものである。しかし、問題は「美少女仮面」とは何か、ということだ。「美少女の仮面」で、中身は凄いブスということか、それとも、「仮面の下は美少女」ということか。後者なら、題名に偽りあり、である。

私は「オーバーロード」のイビルアイというキャラが大好きなのだが、こちらは。不気味なマスクの下の顔が美少女らしい描写がちらりと出て来る。私はこのキャラの性格が好きで、そうすると、その不気味なマスクまで好きになる。顔というのは、マスクと大差ないと見ることもできる。顔など、整形手術でどうにでもなるのだから、問題は内面(ないめん)なのだろう。



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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