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怪物夫婦(7月17日追記)

私は、源頼朝と北条政子の出逢いというのは、歴史的に見て奇跡的な出逢いだったと思っているが、それは男と女の政治的天才の出逢いという、東西の歴史を見ても滅多にない出来事だったからだ。この男女の出逢いが無ければ、完全に無力化していた源氏による「平家の完全な支配体制」の打倒は起こらず、そして頼朝の死後の北条氏への権力譲渡(北条氏による権力奪取)という「無血クーデター」も起こらなかっただろう。
頼朝の政治的天才性は、義経という「軍事的天才で政治的馬鹿」を誅殺したことで「残酷な人間」というレッテルを貼られたために世間の目からは見えなくなっていて、彼を高く評価しているのは坂口安吾くらいかと思う。司馬遼太郎などは源平の争乱や鎌倉室町時代には興味すら持っていないのではないか。いや、知らないが。
で、私は頼朝・政子を中心とした「歴史ダイジェスト小説」(このブログに載せてある「昇る太陽」みたいなものだ。)を書いてみようかな、と思っているのだが、二人の出逢いが彼ら個人にも歴史的にも幸運なものだったということで「幸運な男と幸運な女」ということで題名を「ラッキーガイ&ラッキー何とか」としようかと思ったのだが、「ガイ(野郎)」に相当する、女性を表す英語を思いつかない。「野郎」に対応するような、女性のたくましさを表す英語が無いものだろうか。少なくとも北条政子はladyではない。むしろ怪物である。

(追記)「安吾史譚」から「源頼朝」の一節を引いておく。私は安吾を小説家としてはさほど評価していないというか、ほとんど読んでいないが、歴史や政治に関する「詩人的直観」の鋭さでは、時代小説作家や歴史学者などよりはるかに優れていたと思う。源頼朝が政治的天才であったことが、下の文章で分かるかと思う。その反対が平清盛以下の平家であり、京都に住んで貴族化し、院政の「気まぐれ」や「陰謀」に一喜一憂し、「天下の政治を忘れた」ために滅亡したのである。院政を「気まぐれ政治」と評したのは卓見だと思う。要は、天下や民のことなど眼中にない、貴族のためだけの政治である。

(以下引用)この後に義経への厳しい言葉が続くが、省略する。

(頼朝は幕府を鎌倉に定め)政治向きの用ではコンリンザイ鎌倉の地から動いたことがない。

以上は当時のガンたる院政の正体を洞察した上での深い思慮からでていることで、院政につきものの気まぐれ政治や陰謀政治を抑え、また、それらの気まぐれや陰謀の渦から常に自分の身を離しておくには、こうすることが唯一の手筋であったかもしれない。(略)
彼の施策は悪に対して厳格であったが、民の生活へのイタワリ、また彼らの安穏な生活を保証することをもって政治の当然な義務の一ツと見てそれに副う施策に絶えず意を用いていたことも、その根底に別に思想というほどのものもないのだが、その代り大地から生えたような安定感がある。(略)
鎌倉幕府の諸政策は概ね独創的で、またそれからの何百年かの武家政治の手本となったものだが、その独創性はかりにそれを着想したブレントラストが他にあったにしても、同時に彼自身のものであったことも否めはしない。

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