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大衆小説の文章力と面白さ 付録「茄子のレンジ蒸し」

小説家、特に大衆小説家の中にはかなり雑な文章を書く人もいて、奇妙な表現や明らかに誤りと思われる表現や誤字を見ることがある。
先ほど読みだした、ある時代小説の冒頭の一文を読んだだけで、気になる表現があったのだが、それはこういう一文の中にある。

北山の空が墨を掃いたように暗く垂れ込めると

何が気になるかというと、「墨を掃いたように」の「掃」という漢字である。墨というのは「掃く」ものか? まあ、仮に「掃いた」として、その後は墨が無くなって晴れるのではないか?

私自身、「墨をはいたように」という表現を見たのは初めてだが、書くなら「墨を刷いたように」としたと思う。つまり「刷毛(はけ)」の「刷」である。空という画面に刷毛で墨を広げるのである。
この出だしだけで私は後を読む気がかなり無くなったのだが、いつもそう頑固なわけではない。
たとえば、私が最近図書館から借りて読み続けているのが「みをつくし料理帖」という時代小説だが、(感動したか何かで)「瞳を開いて」のような奇妙な表現(人間は目は開くが猫か何かでないかぎり、瞳は開くものではない。もちろん、死ねば瞳孔は開くだろうが、ここはその人物が死んだ場面ではない。)、臭い表現がたくさん出て来るし、キャラの大半は嫌みな人間か馬鹿な善人(特に主人公。善人だが、ビジネスの常識の無い、悪人より傍迷惑な馬鹿)だらけで、話も、作者はどんなサディストかと思わせるような不幸を主人公やその周辺の「善人」の上に降りかからせるのである。しかし、「美味しんぼ」同様に、料理の話というのは、キャラは最低でもかなり面白いのである。豆知識にもなる。
まあ、死ぬと惜しいと読者に思わせるキャラを殺す(第7巻「夏天の虹」)というのは、「タッチ」などに見られる手法ではあり、主人公に困難を与える(料理人なのに臭覚と味覚を失う、など。)というのも話作りの常道ではある。ただ、私のような豆腐メンタルの人間にはそれが「読む快感」になることはあまり無いのだが、「他人の不幸は面白い」というのも、世間の人間には普通の心理ではあるだろう。
 料理の作り方も読み手の私にはあまり分からないがひとつだけ「茄子を蒸して、出汁をかける」だけの料理というのは直観的に、美味そうだ、と感じたので、その現代風アレンジをして作ってみた。素人が蒸籠(せいろ)で蒸すなど不可能なので、電子レンジを利用するのである。
茄子を丸ごと一本、全体をラップして、皿に載せてレンジで2分(800KW)熱すれば、茄子はラップの中で蒸し上がるのである。後は、少し冷ました後、皮を剥がして小切りにし、小さな容器に入れて出汁(市販の「白だし」)とゴマ油を少量入れ、軽く混ぜた後、冷蔵庫で1時間ほど冷やせばいい。実に簡単で美味いので、私はほとんど毎日のようにこれを酒のつまみにしている。(注:茄子をラップする時は、空気を入れないようにぴったりラップしたほうがいい。レンジで熱すると、ラップ内の空気が膨らむから)

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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